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2020年6月に作成された記事

教師は情熱が第一条件だが、そこに技がなければいけない、エンカウンターを採り入れて生徒同士の関係を深め、荒れの克服をめざした

 鹿嶋真弓先生は、「エンカウンター」という手法を使って、生徒同士にコミュニケーションをとってもらい、クラスの絆を深めていくという教育で、有名な先生です。
 鹿嶋先生は、今では、いじめのない理想のクラス作りの第一人者ですが、やはりここまでの道のりは壮絶なものでした。
 鹿嶋先生が40歳のとき、異動して受け持ったクラスは、いわゆる学級崩壊状態。
 鹿嶋先生が教室に入ると「ウザイ」「ババア」「帰れ」と言われた。
 何かしゃべると「聞いてねえよ」と返ってきたそうです。
 授業中に机の上を走りまわる生徒、理科の実験中、火のついたマッチが飛んできたこともあったそうです。
 鹿嶋先生は、胃潰瘍になり、学校の校門をくぐるのが怖くて、帰ってしまったこともある。
 「人間やめますか?それとも、教師やめますか?」というような状況だったそうです。
 鹿嶋先生は、20年近く教師をやってきて、はじめて「教師を辞めたい」と思った。そして、友達に「教師を辞めたい」と相談したそうです。
 友達から帰ってきた言葉は、「鹿嶋さんらしくないね」でした。
 そこで、鹿嶋先生は、ハッとします。自分が20歳代の頃、ガムシャラに教師をやっていた時のことを思い出します。
 「今の私は、自分の苦しみから逃れるために、昔のように本氣で生徒に向き合っていない」
 「本当に一番苦しいのは、子どもたちじゃないだろうか?」
 「子どもたちに、何かしてあげられないだろうか?」
 と鹿嶋先生は考えました。
 子どもたちが担任を無視したのは、前学年の担任6人のうち5人が勤務継続年限のため他校へ異動となり、生徒たちは「見捨てられた」と感じ、教師を信頼できなくなっていたからだった。
 同じ学年の担任は皆、夜遅くまで学校に残り対策を話し合った。
 6月初旬の2泊3日の移動教室で、小さいころに親から「してもらったこと」「してあげたこと」「迷惑をかけたこと」を思い出す「内観」をやろうということになった。
 担任がまず自分の思い出を話した後、内証で親から預かっていた手紙を生徒たちに渡し、生徒たちが壁に向かって読んだ。
 生徒たちが感動している様子が背中から伝わってきた。すすり泣く生徒もいた。
 そして、その手紙を、生徒同士で見せ合い、コミュニケーションを取り始めたそうです。
 一人の生徒が鹿嶋先生のところにやって来て「先生読んで」と手紙を差し出した。それまで「ババア」と罵っていた生徒だった。
 鹿嶋先生だけでなく参加した教師みんなが変化の兆しを感じた。
 ここで鹿嶋先生は気づきます、
 「そうか、先生と生徒ではなく、生徒同士がコミュニケーションを取れる方法を考えればいいんだ」
 そこから「エンカウンター」を使って、生徒同士がコミュニケーションをとれる方法を作っていったそうです。
 「思っていることは言う、書く」を継続することで関係性を深めていくことが大切だと考え、何かをしてくれた友だちにお礼のメッセージをあげるエクササイズ「あなたに感謝」を席替えの度に行った。
 次第にクラスの雰囲気がまとまっていくのを感じた。
 担任による日ごろの観察と合わせて「気になる子」をピックアップし、学年会やスクールカウンセラーなども交えた検討会で対応を話し合う。
 また、年2回の「ハートフルウィーク」では、自分の話したい先生を選んで相談ができるようにもなった。
 「エンカウンターの授業が生きるのは、仲間の教師の存在と学校全体での取り組みがあってこそ」と鹿嶋先生は強調する。
 受験への対応でしばらくエンカウンターの授業をできずにいると、給食の最中に一部の生徒たちが「勝手にエンカウンター」と称して、友人への感謝の気持ちを伝え合い、拍手をしていた。
 「自分のした行動が人から感謝される」→「自分の行動は人を喜ばせると自覚する」→「他の人にも同じ行動をしてみたい」→「他の人からも感謝される」と言う思考や行動が強化された成果だと、鹿嶋先生は感じた。
 「エンカウンターですぐに生徒が変容し、自己成長していくわけではありません。日々揺れ動く思春期の心に寄り添い、そうした揺れに対して臨機応変に展開していくことこそ、いまの中学で求められているのだと思います」
 生徒同士にコミュニケーションのきっかけを与える「エンカウンター」(構成的グループエンカウンター)は、アメリカで開発された考え方を、日本の教育心理学者・國分康孝氏が持ち込んだ。鹿嶋先生はそれを現場で実践した先駆者の一人だ。
 例えば、「愛し、愛される権利」「きれいな空気を吸う権利」「遊べる・休養できる時間を持つ権利」など鹿嶋が提示した10の権利のうち、何が一番大事かを生徒達に話し合わせる。
 6人ほどのグループに分かれ、それまで話をする機会の少なかった生徒同士も意見を交わす。
 大事にする権利も、その理由もそれぞれ違う。話し合うことで、互いの価値観を知り、関係が深まっていく。
 鹿嶋先生がこうした授業を取り入れる背景には、自身の教師生活の中で感じている「生徒の変化」がある。
 最近の生徒達は、コミュニケーションの力が落ちているというのだ。
 人付き合いが苦手で、ほっておくと、なかなかクラスメートと関わろうとしない生徒もいる。
 核家族化が進み、地域社会の結びつきが薄れている昨今、他人と関わる場として、学校の役割はますます大きくなっていると、鹿嶋先生は考えている。
 鹿嶋先生は、さまざまなエンカウンターのプログラムを駆使し、生徒同士を関わらせる。生徒一人一人が絆(きずな)の糸でつながっていれば、いじめや学級崩壊は起こりえない。
 生徒同士のネットワークが張り巡ったクラスを鹿嶋先生は常に目指している。
 鹿嶋先生は、
 「自分は独りよがりだった。私ばっかり、なんで私ばっかりこんな辛い目にあうの、と考えていた。けど、見方を変えた瞬間に、周りの人を支えたいと思った」
 「視点を変えれば、光は必ず見えるんだ」
 「教師は情熱が、まず第一条件」
 「情熱だけではダメだなっていうことを体験したので、そこにワザがなくちゃいけない」
 「立ち止まることなく、いつも研究をし続けながら、現在進行形で実践する人でなければいけない」
 と語る。
(鹿嶋真弓:広島県生まれ、東京都公立中学校教師(30年間)、神奈川県逗子市教育研究所長を経て高知大学教授を経て立正大学特任教授。文部科学大臣優秀教員表彰。日本カウンセリング学会賞受賞。専門は学級経営、人間関係づくり、カウンセリング科学。構成的グループエンカウンターなど教育現場に活かせるワークショップを展開。『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)出演)

 

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教師に求められている能力とは何か、どうすれば身につくか

 教師に求められている能力は、
1 話術と専門的な知識
 従来の講義型授業で求められる専門的な知識や独演会的な話術である。
(1)話術
 話法が単なる技術として、その大切さが軽視されている。
 授業を成り立たせる要素の一つが「語りのうまさ」である。
 ベテランの教師に話術のたくみな人が多かった。
 例えば、語りの上手な次のような教師がいた。
 ある小学校の教師は、お話を低学年の子どもたちにして、45分間飽きさせなかった。
 話しの構成、間の取り方、声の強弱、身振りと表情に工夫をこらして話しをした。
 その教師は、大学生のときから、紙芝居、人形劇、寸劇などの表現活動を中心に行うサークルに入り、20年近く活動を続けている。
 話しの分かりやすさは、話しの構成力に負うところが大である。
 話しのおもしろさは、話し方と豊富な雑学的知識による。
2 子ども理解能力
 一人一人の子どもに対する的確な理解を行う能力。
 子どもの気付きや、驚き、感動や興味を尊重し、子ども独自のものの見方や考え方の筋道を重視する。
 教師が授業中、子どもの発言、行動観察、作品(ノート・ワークシート)等より、さまざまなことを把握すること。例えば、子どもたちは、
・何に関心をもっているか。
・何にこだわっているか。
・何がネックになって学習が進まないか。
・どのような発想をするか。
・どのようなことによって、考え方や見方が変わるのか。
・どのような筋道で物事を考えているか。
・どのようなことに学ぶ喜びや達成感を感じているか。
 授業の巧みな教師は、毎日の授業で、無意識のうちに子どもを理解し評価する活動を頭の中で行っている。
 将棋のプロ棋士は、一瞬のうちに最善の手を見つける。
 授業中の瞬時の判断こそ、力量の差が表れる場面である。
3 対応力(対話力)
 子ども理解に基づく臨機応変の対応力(対話力)である。
 コミュニケーション授業がうまい教師の授業に共通していることは、教師が自分も知らないこと・知りたいことを問い、子どもが知らないこと・知りたがっていることを伝える。
 教師が一方的に話すのではなく、子どもの話しを引き出し、それに応える。例えば、
(1)ある発見や気付きに導いていく能力
(2)一定の時間内に、一定の内容について対話を終える必要もある。
(3)クラス30人の勝手な思いと対話していくことができる。
 先輩の授業を参観して、実際に子どもの前に立って授業をして失敗し、もう一度やってみるという繰り返しが必要。
 対話を成り立たせるためには、相手の理解が不可欠である。
4 教師の能力向上のための研修
 「伝承」と「創造」の二つが必要である。
 将棋の格言・定跡のように、初心者は格言・定跡を使って基本を身につけ、「名人に定跡なし」とトッププロは、新しい手をひねりだす。
 教師の指導力向上のために、授業では、子どもとのコミュニケーションや、子どもの学習への評価(理解)などが重要である。
 小学校における指導力不足教員は、40~50歳代が多く、研修後、学校現場への復帰者が少ないことから、若手のうちに予防策を講じることが必要である。
 専門とする教科・領域を定め、時間外にも行える研究仲間との研究会方式が効果的である。
 教師の指導力向上のためには、
(1)「鉄は熱いうちに打て」と言われるように、素直に吸収できる教職5年目までの期間に、授業の基礎を身につけさせておくことが必要である。
(2)内容は授業研究に大胆に時間をおく
 若い教員が授業に集中できるよう、校務を精選する。
 服務事故の原因の多くは、指導力不足からくる、子ども・保護者・同僚とのストレスにある。
 経験を重ねるにしたがって、校務処理、学校運営などに比重を増やしていく。
 私の経験から言うと、学力の定着度が高い学校というのは、生活面でも落ち着きが見られ、学校行事や学級活動において、子どもがいきいき活動している。
(3)自己研修
 授業力の向上は、常に自分の授業の問題点を意識し、改善の努力を続ける姿勢が必要なのである。
 ある教科にしぼって、1年間、全授業を録音し、通勤途上に聴くという方法を勧めたい。
 私は、若い20歳代後半に、専門とする社会科のすべての授業について事前に学習指導略案を作成した。
 授業後、苦手であった話し合い指導の場面についての授業記録を起こした。
 板書を記録し、子どもの作品をすべてコピーして授業分析を行った。
 準備に3時間、記録と分析に3時間、計6時間かかった。
(4)授業が楽しければ学級崩壊はおこらない
 子どもは、「授業が楽しければ学級崩壊はおこらない」と思っている。(大阪大学の秦政春教授の調査)
 授業に自信をなくしている教師が多い。
 授業を苦痛に思うことが「よくある」「ときどきある」という教師が6割(同上)。
 授業がうまいと「あまり思わない」「まったく思わない」という教師が6割(同上)。
 忙しくて疎かになっている仕事の1位は、教材研究(39%)であった。
 大阪大学の秦政春教授は、
 「授業さえ、きちんとしていれば子どもはついてくるものだという自信が教師になくなったことが、学級崩壊に反映されていると思う」と述べている。
 子どもは、教師と子どもの人間関係づくりに精力を傾けるよりことよりも、授業の充実に力を注いでくれることを望んでいる。
 授業が充実すれば、教師に対する信頼感が生まれ、人間関係もよくなる。
 教師は専門職である。実際に何回も失敗を重ねながら、その資質や能力を高めていくものであろう。
 一心不乱に授業のことを考える、そんな毎日を過ごすことによって教員の授業力は高まる。そのことを後ろ押しする教員研修の在り方が、今、問われていると思う。
(鈴木義昭:東京都公立小学校教師を経て、元東京都教育委員会統括指導主事。指導力不足教員を対象にした研修に携わった後、問題を起こした教員を対象にした研修を担当した。多くの教員を見てきた経験から、メディアなどで提言を行った)

 

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大正時代に提唱した手塚岸衛の「自由教育」はどのようなものであったか

 手塚岸衛は、1919年に千葉師範学校附属小(現千葉大教育学部附属小)の主事となる。
 ここで教育の画一性を廃し、子どもの自発性、自主性を最大限に発揮させるという自由教育を提唱し、その名を全国に知られるようになる。
 1921年東京師範学校の講堂で開かれた八大教育主張の大会で、手塚は「自由教育論」の演題で「子ども自らが、自らの力を出して自己を開拓して進む力をつけてやるのが教育である」と主張した。
 その後、1926年、千葉県大多喜中学校校長となるが、配属将校の扇動によって校長排斥運動を生徒らが起こしたことが原因となり、辞職に追い込まれる。
 1928年、東京で、自由主義的教育の理想を掲げ、幼稚園・小学校・中学校からなる自由ヶ丘学園を創立した。
 大正デモクラシーの影響を受けた手塚は、試験や通信簿をなくし、子どもの個性を尊重した教育を行った。
 手塚は教育に没頭していきますが、資金繰りの困難さに加えて、生徒管理の難しさに失意のうちに病没してしまった。手塚の死去によって学園は苦境に陥った。
 大正期の教育は、大正デモクラシーの影響をうけて、明治時代の画一的な注入主義教育を、子どもの生活や学習を中心としたものに転換しようとする「新教育(自由教育)運動」が全国的に高まりをみせた。
 児童の個性の尊重と自由な学習を目指した「児童中心主義」的な方法であった。
 東京の成城小学校(校長:沢柳政太郎、主事:小原国芳)、児童の村小学校(校長:野口援太郎)、奈良女子高等師範学校附属小学校(主事:木下竹次)、千葉師範学校附属小学校(主事:手塚岸衛)、明石女子師範学校(主事:及川平治)などがよく知られる存在となっていました。
 この自由教育は県内から全国へと拡大してゆく傾向を示した。しかしながら、県教育行政部局、教育者などから自由教育に反対する者もでてきた。手塚は、
「その反対の多くは経過に等しい経験に基づく素朴なる常識論か」
「しからずんば、自由の語感を毛嫌ひして―あのカントの厳粛な哲学上の自由であるのに気づかずに―これを排斥する俗説か」
「または、たゞ何事も旧に泥み新を厭うて真をも捨てる守旧主義か」
「時には彼等が自由教育などゝは小癪な片腹痛い言分であるとする感情論さへ交つてゐるとさへ思はさせられた」
 と述べている。
 手塚じたいが反体制派の教育家であったかのような誤解をその後に生んでいったきらいもある。
 各学級の級長は校長による任命制から子どもたち自身による直接選挙での選出に改め、全校朝会を5,6年生による自主運営に委ねるなど、当時としては画期的な改革を試み、「分別扱」(小集団方式)と「共通扱」の臨機応変の展開による授業形態の改革などとともに注目を集めた。
(手塚岸衛:1880- 1936年栃木県生まれ、福井、群馬、京都女子の各師範学校の教師を経て千葉師範学校附属小学校の主事になり自由教育を提唱し、その名を全国に知られるようになる。千葉県中学校長となるが辞職に追い込まれた。1928年、東京で自由ヶ丘学園を創立するが道半ばで病没した)

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子どもを躾けることができていない親にどう対応すればよいか

 子どもを躾けることができていない親にどう対応すればよいか、カニングハム久子はつぎのように述べています。
 日本人駐在員の5歳の子どもがいた。ふざけてセラピーが進まない。甘やかしと叱らない無責任な子育てのためである。
 久子先生は厳しい声音で、
「大人も子どもも悪いことをすれば叱られます。久子先生も子どものとき、悪いことをするとうんと叱られて、良いことと悪いことを教わりました」
 子どもは驚いて久子先生の顔から目を放せない。
 その間にも久子先生は、子どもの脚に私の脚をくっつけて体温を通わせていた。
「先生は○○くんを大切に思うから、いけないことにはダメって言います」
 幼児とはいえ、まずは、しっかりと誠実に対応することしかない。
 子どもは気分を取り直してセッションを終えた。
 そのあと、久子先生は両親に懇々と話した。
「親も毅然として躾に関わらなければ、○○くんの一生を誤らせてしまいます」
 そして、○○くんにも、
「いつもほめられるような子どもになるために、久子先生のところにくるのです」
「久子先生は○○くんのことをとても大事に思っているのよ」
 次のセッションからはふざけが減り、「聞く」態度が少しずつ身についてきた。
 家庭でも遅まきながら躾をし、叱ったあとの慈しみに満ちたフォローをするようになった。
 親が変われば子どもも変わるのです。
(カニングハム久子:1934年長崎県生まれ、ニューヨーク在住の臨床教育スペシャリスト。
毎年来日し、自閉症、ADHD、学習障害などの発達障害、子育て・教育全般に渡るアドバイスの依頼を受け全国各地で講演を行う。日・米教育関連機関の教育コンサルタント、ニューヨーク臨床教育父母の会主宰、全米精神遅滞研究協会最優秀臨床教育賞)

 

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「遊び」の効用は限りなく大きい、遊びを活用して「元気はつらつとした子ども」を育てよう

 平成の初め、全国的に都市型過疎化が進行し、東京都台東区に統合して新しい小学校がスタートすることになった。
 そのとき学校が心配したのは「校区が広くなって子どもたちが登校をしぶるのではないか」ということであった。
 そこで、子どもにとって「魅力的な学校を創る」ことをテーマに掲げて、地域人材を活用する授業展開を様々に試みた。
 そうした活動の中で、子どものやりたいこととして選んだのは「遊び」の導入であった。
 毎朝15分間、子どもが好きな遊びを選んで行う。
 ただし、校庭が狭いことからサッカーのようなチームゲームは禁止し、1人で遊べることに限定した。その遊びの種類は、
 マラソン、鉄棒、なわとび、バスケット・シュート、お手玉、折り紙、読書、けん玉、あやとり、竹馬、一輪車、パソコン、自由研究である。
 実はこれらの遊びはすべて「腕が上がる」ようになっている。
 遊びを導入した結果、学校に新しい雰囲気が生まれたのである。
 学校で「好きな遊びができ、遊びを選ぶことができ」「遊びで腕を上げることができ」 「遊びで仲間ができる」という雰囲気が生まれた。
 腕をあげるために、子どもは次にここまで上達したいと「めあて」を決め、学級のボードに「見て見てカード」を掲げる。
 その遊びの時間を「チャレンジ」と名づけている。
 保護者も参加していいが、教えない。子どもが見よう、見まねで上達するのを見守る。
「魅力ある学校づくり」は効果があり、上野小学校に不登校児童がいない状況が何年も続いたのである。
「遊び」の効用は大きかった。遊びの効用とは、
(1)遊びには面白さとともに開放性と自由性があり、夢中になれる
 そのため心身がリフレッショする。朝の遊びは目覚めを促し、気持ちをシャンとさせ、情緒が安定する。
(2)遊びで仲間内での約束やルールを学び、社会性が身につく
 勝ったり負けたりすることで敗者復活の対処の仕方を身につける。
 だから、勝敗にこだわらなくなり、自他の力関係を客観的に判断できるようになる。社会性が自然に身につく。
(3)遊びは練習し、頑張ればできるようになるので忍耐力が身につく
 上達するためには繰り返し練習する必要がある。好きな遊びだから練習が苦にならない。
 自然な形で練習の大切さと、頑張ればできるようになる、という忍耐力や生き方の基本を身につけることができる。
(4)遊びは全身を鍛える
 けん玉や竹馬は全身のバランス感覚が得られる。手先と体と頭が一緒になった運動である。
 巧緻性が高まり、集中力が生まれる。体を動かすことと、精神を働かすことの統合が起こる。
(5)遊びを選ぶことの教育的効果も大きい
 きょうは何で遊ぶか、という「自分のやりたい」ことを選ぶことは子どもの主体性や個性を育てる。
 それは子どもの個々の生活感覚や学習への態度を豊かに形成する。
 小学生の暴力行為が増加しているが、子どもの遊びの減少が背景にあるのではないか。学校は遊びを積極的に生かすべきである。
 東京都品川区のある小学校の朝、登校すると15分間子どもたちは校庭で思いっきり遊ぶ。「生き生きタイム」の時間である。
 どの子どもも元気はつらつとした表情で明るい。「朝ごはんを食べてきたから」と口々にいう。
 校長は「子どもの目覚めが悪いことに気づいて、目覚めを促すために外に出て遊びをさせた。その結果、朝ごはんを食べてくるだけでなく、10時前就寝も多くなった、学力も高まった」と語っている。
 また、高学年担任の教師は、
「これまで朝の授業は反応がなかなか返ってこなかったのが、生き生きタイムを実施したあとは、いい反応が返るようになった」と言う。
 最近の子どものテレビ漬けや夜更かしはかなり深刻な状況であるが「早寝・早起き・朝ごはん」を提唱するだけでは十分でない。それができるための仕掛けが必要である。
 子どもの心に「早起きしなければ」と思わせる動機づけが必要である。「生き生きタイム」はそのための仕掛けである。
 最近の子どもは体全体を動かす遊びが足りない。子ども同士が群れになって行う遊びが少ない。
 遊ばないと、勝ったり負けたりの敗者復活の経験ができない。
 遊びはストレスを発散させる特効薬だが、その薬を与えられないため、すぐキレる、暴力を振るうなどの短絡的な行動に走る。
 遊びだけではない。多くの面で「子どもらしさ」が失われているのではないか。
 将来的には「人間力」形成は重要だが、今の子どもに必要なのは、元気はつらつとした「子ども力」ではないかと考える。
 その意味で、朝の15分間の「生き生きタイム」はどこの学校でも真似してほしいことである。
 それは子どもが1日通して学習も生活も有意義に過ごせることが最も重要だからである。「遊び」は活力の源なのである。
 しかし、最近の子どもはテレビゲームのような室内遊びに熱中するが、戸外で遊ぶ姿を見ることが少なくなっている。
「遊び」の効用は限りなく大きいのである。
(高階玲治:1935年樺太生まれ、北海道で小・中学校教師、北海道立教育研究所副部長、盛岡大学教授、国立教育研究所室長、ベネッセ教育研究所顧問、ベネッセ未来教育センター所長、教育創造センター所長を務めた。専門は、教育経営、学習指導、特別活動など、講演と幅広く活躍した)

 

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子育ての原点は安心感、親の愛は自立への出発基地、自然に育っていく子どもの力を信じ、家庭の機能を生かそう

 斎藤慶子臨床心理士は、医療という場を中心に、長いことたくさんの方々と継続的なかかわりを持った。
 ちょっと見には同じような子どもの実態でも、その背景は実に多様でした。
 けれども、あわてずていねいにときほぐしていくとき、いくつかの軸をもって検討していくと、必ず打開への糸口が引き出されていきます。
 実は子どもの暮らしに起こる、小さな一こま一こまが「自ら育つ営み」の資源となっていくのです。
 なにが子どもの不安を表している事柄なのか、子どもが大人になっていく自分に誇らしさを実感して満足するのはどのような経験からなのか、その実感が未来の自分にどのようにつながっていくのかは、子どもが自ら育つ営みの資源となっていく。
 子育てで、なにごともなく通り抜けられるはずという親の思いこみの中で、おもいがけない苦労を親が経験する。
 親が共通する苦労は、まわりの子どもたちとの摩擦、子どもへのじれったさ、先の見通しが見えない不安などである。
 なにか予想外の困難に遭遇したときに、ともするとだれか一人を悪者にして処理しようとする親自身の防衛反応が起こる。
 たとえば「子どもがいうことを聞かない」「教師が冷たい」などと、責任を逃れるための楽な言い訳を見つけようとする。
 子どもに対して大人が禁止や指図による働きかけにとどまってしまうと、子ども自身の自発的な動きはなくなり、成熟への手がかりも損なわれていく。
 ものごとの善し悪しに親が強くこだわらずに、ゆるやかな姿勢で子どもを見守る中から、子どもたちは息を吹き返し、よりよい適応に至っていく。
 子どもは「自ら成長し変わっていく」という発達のしくみがある。
 子どもを理解し、対応の指針が見えてくれば、親と子どもの関係が「親が変わることによって子どもが変わる」関係へと変化していく。
 子どもが自ら成長し変化していくことを信じ、注意深く見いだしていこうとする親の態度を、子どもたちは求めている。
 家庭でなければならない機能とはどのようなことが期待されるのだろうか。
「やすらげる」「巣ごもれる」「さ迷える」「羽ばたける」「巣立つ」これらの言葉が、家庭という場に求められる働きなのではないだろうか。
「やすらぎ」は、生命の安全が保障される営みが主流の乳児期は、まさにやすらぎの意味が大きい。
「巣ごもり」は、家庭の外で仲間や先生とのつき合いで自分を発展させていくが、自分が自分そのものと向き合って、なにかをする営みは、まさに巣ごもりであろう。
「さ迷い」は、家庭の中で無為に過ごしているのではなく、本を読んだり、ものをつくったり、一人になれるときに得るものがある。家庭でなんらかの模索、さ迷いが続いているのである。
「羽ばたき」は、まわりとのかかわりから、自分の在り方を揺さぶられて起こる、迷いを静かに暖め直し、新たな吟味を始める場でもある。
「巣立ち」は、自立への試みをする基地でもある。
 そのひとつひとつには、親や兄弟姉妹とのかかわりから得た智恵や力が働いていく。
 親が子ども時代の失敗を語るのもよい。
 少なくとも時間に追われている生活を、露骨に子どもにぶつけないように加減をすることが保障されていれば、子どもは家庭に満足する。
 そのうえで、基本的なしつけは、人格の成熟を助ける手だてのひとつとして、おりにふれて関心を向けるようにしたい。
「しつけ」とは、人々が集まって暮らしていくのに、お互いに認め合い、許せる基準を持てるようにしていくことである。
 その結果、人と調和して暮らしていける安定した情緒が発達していくのである。
 相手を思いやる気持ちを持たせるのは、家庭ならではの役割であろう。
 同時に、あいさつは強制的に子どもに言わせようとする前に、大人がいつも言っている雰囲気が大切である。
 社会の基本となる機能を持っている家庭生活で、お互いに尊重し合うことを大切にしていこう。
 子育てに失敗しないためには「ふだんの生活の中で子どもが安心感を回復していく」ことこそ、子育ての原点であると言い切れるのではないだろうか。
 親よりもはるかに小さく、弱く、力のない子どもが、実はいつも大きい問いかけやメッセージを送っているのではないだろうか。
 日常生活で子どもが安心感を回復するには、「やさしさ」に基づく親の援助が必要である。
 その「やさしさ」にはいくつかの側面があって、
「ひたむきさ(一貫した関心)」
「しなやかさ(柔軟性)」
「あたたかさ(感受性)」
「確かさ(かかわりながら観察し、蓄積された事実に基づいた判断:客観性)」
「さりげなさ(日常性)」
 が考えられる。
 安心感が子どもによみがえっていくことが子どもに幸せをもたらす。かかわる大人たちにも幸福をもたらす楽しみがある。
 子育てで、親が自らもいつのまにか人間がひとまわり大きくなっていく喜びを味わいたい。
 親しい人々との間柄を考えてみると、その人のそばにいることが安らぎになり、ゆとりを取り戻す。
 親しい人々がいないと寂しく感じ、いるとさわやかな満足があるといった間柄ともいえる。
 子どもが欲しいもの、食べたいものを充足するのが本来の愛の姿ではない。
 子どもには子どもなりの世界がある。
 やっかいでも子どもが必ず通らなければならない道筋を、外れないように見守るという親の包容力が、こどもにとっての最高の愛の保証ではないかと考えてみたい。
 大人の常識からすれば、大人が普通に進んでいる道を子どもに譲らなければならないことがおきる。
 大人にとっては多くの無理が生じるであろう。
 しかし、こどもにとっての意味を考えて、快く「どうぞ」と道を開いてあげるために、大人たちは大人にとって考えにくいことをたくさん考える努力をしてほしい。
 きっとその努力は、のちに子どもから親への「思いやり」という最高のプレゼントをもたらしてくれるはずです。
 愛とは、大人の弱みを正直にさらけ出せる生活態度にはぐくまれる部分が少なくない。
 愛や親密さは子どもにとって自立への巣立ちの出発基地である。
(斎藤慶子:1935年東京都生まれ、武蔵野赤十字病院、戸田病院で心理臨床に取り組む。障害児保育、病児の教育、ターミナルケア、老人問題、メンタルヘルス、精神障害者のケア、青少年の暮らせる場づくりなどの活動に関与)

 

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自宅のパソコンなどからインターネットを介し、いつでも自分の都合のよい時間帯に学習を進めるeスクールとは、どのようなものか

 早稲田大学人間科学部eスクールは、スクーリングを除くほとんどの課程をeラーニング(インターネットを通じた授業)で行う日本初の通信教育課程です。
 eスクールの授業は、時間や場所の制約に縛られない。
 つまり、一人ひとりの学生が自宅のパソコンなどからインターネットを介し、いつでも自分の都合のよい時間帯に学習を進めるというスタイルである。
 2003年に始まり、これまでに1500名以上の卒業生を送り出しました。
 講義をはじめ、レポート提出や小テストなども自宅のパソコンでOK。卒業すると学士(人間科学)が取得できます。
 教材は通学制の授業を撮影した映像をベースに、スタジオで新たに収録した動画や参考資料などを加えます。
 これを単元ごとに一定期間内であれば、同じ講義を何度でも繰り返し受講して理解を深めることができる。
 講義の受講をはじめ、電子掲示板での質問・議論、レポート提出や小テストまで、すべてインターネットでおこないますので、大学への通学が難しい人も自分のペースで卒業を目指すことができます。
 自分のペースで取り組むということは、ともすれば卒業まで孤独に頑張り抜くといったような印象があるかもしれません。
 しかし、実際の科目履修においては、クラスごとに電子掲示板が設定されており、履修学生同士による意見交換や教員への質問等のために双方向のコミュニケーション環境が整えられています。
 また、各科目には教育コーチが学びを支援してくれます。
 eスクールの学生は、30~50歳代の社会人が中心で、在籍人数の半分以上を占めますが、若い人は18歳から、上は70歳以上と、その裾野はすべての世代をカバーしています。
 そうした人々がeスクールで学ぶことを決心した背景は多岐にわたり、仕事に役立てたい、自分の仕事を学問的に見直したい、最新の知識を身につけたいといった具体的な動機から、自分の人生を見つめ直したい、夢を実現したいという抽象的なことまでさまざまです。
 eスクールは、社会に出て、新たに学びたいと思ったときにいつでも大学で最先端の科学と技術を学べる環境を整える役割を持っています。
 eスクール立ち上げから関わってきた野嶋栄一郎名誉教授は次のように述べています。
 eスクールを開始して改めて感じることは「社会人は優秀である」ということです。「私」が鍛えられているのですね。
 eスクールは、「対面授業ではないから通学生に比べ、ハンディキャップがある」と考えられ勝ちですが、これは大きな間違いです。
 講義は全く同じものであり、かつ、電子掲示板により個別の疑問に対応、議論は、リアルタイムではありませんが、24時間展開され、受講生全員が共有出来ますので、授業の中で展開する以上に、学びに広がりが生まれるのです。
 中には海外在住の学生や、社会人経験のある人が多く、議論の種となる経験が具体的でシビア、指摘が鋭い。
 ただ講義を受ける一斉授業よりはるかに質が高まる可能性が高いといえます。
 eスクールでは1講義につき最低1人、院生などが「教育コーチ」としてつき、講義後の電子掲示板での対応を行っています。
 eスクールの学生は、一人ひとりがウェブサイトの講義映像を見ながら学習を進めつつ、オンラインディスカッションで意見を交わして理解を深めていく、個人学習と協調学習である。
 従来、大学で一般に行われてきたのは、一人の教員が主導権を握って何かを伝える教え方である。
 例えて言うなら、馬にくつわを付けて「正しい方向はこっちだ」とぐいぐい引っ張るような教育でした。
 eスクールを進めるうちに、能動的な学びを引き出すのに適していると野嶋教授は確信しました。
 学生たちが行きつ戻りつしながらも、互いに触発しあって何かを見出していく。
 そんな授業の在り方こそが、人を成長させるのだという思いを強めました。
 そのために野嶋先生は、ある程度の方向性を示す以外は、あえて細々とした指導はしなかった。
 あたかも社会人が仕事を通じて能力を磨いていくような、自活力の高い学習の機会をつくりたかったのである。
 ネットワーク環境が能動的な学びを引き出すのに適していると確信した野嶋先生は、eラーニング、つまりインターネットを通じた授業で、キャンパスに通わなくても学位が取れる四年制のオンデマンド課程を創設しました。
 オンデマンドとは、一人ひとりの学生が自宅のパソコンなどからインターネットを介し、いつでも自分の都合のよい時間帯に学習を進めるというスタイルである。
 教員や学生同士がほとんど顔を合わせずに卒業する。そう聞くと、無機質で冷たい印象を覚えるかもしれない。
 だが、「実は、ネット空間のほうが対面式の教室よりも濃密なコミュニケーションが生まれる場合もある」と野嶋先生は言う。
 eスクールでは、個人ベースで受講する講義に加え、教員との質疑応答や学生間のディスカッションの場として電子掲示板が用意されている。
 また、教育コーチと呼ばれる指導助手が各科目に必ず一名以上付き、学生たちのさまざまな悩みや疑問に応じている。
 そうした多彩な意見や情報をネット上で受講者全員が分かち合うことで、限られた教室内での交流をはるかにしのぐ緊密な関係が築かれるのである。
 ある学生のほんの小さな気づきが、別の学生にとっては大きな発見になるかもしれないし、数多くの考え方に接することが、新たな知的関心を呼び起こすことにもつながる。
 そればかりか、自分の授業がネットで公開されるという緊張感が、教員にとっても格好の刺激となり、教育の質がおのずから上向くことさえ期待できるのです。
(野嶋栄一郎:1946年生まれ、福井大学助教授、早稲田大学教授を経て同大学名誉教授、パナソニック教育財団評議員)

 

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校長のあり方が学校を変える

 野口克海先生の印象を一言でいうと「スクルウォーズからそのまま飛び出してきた先生」というのがぴったりでしょう。
 叩き上げの教育論は実が詰まった具体的な話が多く、講演会での講話に涙が出るほど感動する。
 熱血先生なので学校の荒くれどもとのエピソードが耐えません。
 中学校に赴任早々に、職員室の机でふんぞり返っていた生徒に灰皿で殴られ、血まみれになって取っ組み合いをした話。
 勉強を一切しなかった落ちこぼれが「俺やっぱり高校行きたい」という告白から、毎夜泊まり込みでの特別個人指導をした話など、下手な落語家よりよっぽど面白い。実体験だというのだからさらにすごい。
 全国各地から講演に呼ばれ、本当に教育熱心先生です。
 野口先生の実体験からの講演内容には必ずと言っていいほどの共通項があります。
 それが「絶対に生徒を裏切らない。どんな状況でも子どもを信じ抜く」という姿勢でした。
 野口先生には言葉では言えない「覚悟」の強さを感じます。それはその信念があるからでしょう。
 その信念があったからこそ、決断力もまた大きい力がありました。
 野口克海先生が中学校教師のときに仕えた三人の校長はタイプが全然違っていました。
 望ましい校長像というのは、それぞれの持ち味でいいのだと思うと野口先生はいいます。
 三人ともそれぞれ何か一つほれさせるものを持っていた。
 一人は「ハート」、二人目は「冷静な判断力と知恵」、三人目は「力」にほれました。
 校長は自分の持ち味のなかで、教職員に、なるほどと思わせるものを持っているということが、大事なのだと野口は思っています。
 この三人に共通していることは、自分のいる学校をよくしたいという情熱を持っていたことです。
 野口先生は、校長先生たちを前にして次のような話をされたことがあります。
 赴任したらまず校長室に入らずに、主事室や給食室に挨拶に行き、その後は不登校の生徒の家を家庭訪問して、
「今度赴任した校長です。きみが登校したときに、このおっちゃん、誰やと思わないように挨拶に来た」と、言いなさいとのことです。
 野口先生は、心がけが違うというか、本当に子どもたちのことを一番に考えている人なんだなあと思います。
 校長の哲学として「静」と「動」があると野口先生は次のように言います。
「静」というのは「動かざること山のごとし」です。
 野口先生は、全日本中学校長会会長の話を聞いて、なるほどだなと思いました。
「うちの学校はゴミ拾いで学校を立て直した。やんちゃな子も、近所の方からありがとうと言われ、ほめられたことのない子が地域でほめられる」、
 だから「学校の特色は何ですか」と問われたら、「ゴミ拾いです。それで学校を立て直しました」と答えています。
 いろんなことをしなくても、うちの学校はこれでいくという学校長の信念。それはすばらしいことだと思います。
 私はこういう学校をつくりたい、私はこういう子どもを育てたいという動かざること山のごとしという校長の信念です。
 もう一つは「動」でありますが危機管理の問題です。
 野口先生が教育委員会に勤務していると、学校の様々な事故や事件が起こったときの初期対応のまずさ、危機管理の不徹底で、こじれて教育委員会に問題があがってくるときがあります。
 そのときは、手のほどこしようがないほど、保護者の不満やら苦情が渦巻いているという状態で、教育委員会のところに来ます。
 じっと事件や事故の報告を見ていたら、ああ、これが起こった最初の日に、校長先生が足を運んでいてくれたら、全て解決していたのになあと思います。
 初期対応のまずさという危機管理の問題です。
 学校経営が非常に複雑な今の時代で、様々な保護者がおられ、どれだけ日頃から危機管理がなされているかどうかということが問われています。
 十分に学校の危機管理の体制は整えておくべきだと考えます。
 ある校長先生にお聞きしましたら、私は必ず保健室の保健日誌は、一日一回必ず報告させ、今日は何という名前の子がケガをしたか、目を通して印を押すことにしているということです。
 学校がきちっとしているということも、大事だろうと思います。
 そういうことも含めた危機管理の体制を整えることが、今日、非常に重要になり必要になってきています。
 野口先生の好きな言葉は、「骨太、信念、協調、細心大胆」です。日ごろ仕事上で野口が思っていたことは、
(1)ドンとこい、ということです
 どんなことがあっても、うろたえるなということです。
(2)部下の面倒はちゃんとみるということ
 きちっと面倒を見て、安心して働いてもらうこと。
(3)自分を開くということです
 自分の思いや願いは絶えず職員に全部、話をします。トップに立つ者がどっちを向いて走っているのかを、部下の職員が知らなかったら、みんな困ってしまうからです。
(4)人間としてのつきあいも大切にします
 自分の弱さやプライベートなことも職員の前で裸になるというふうにしている。
(5)人を信頼する
 人を信頼しきって任せていくということが非常に大切です。任せてどうするのか考えさせます。責任は私が取ります。とことん信頼します。
(6)五、三、二
「五つ教えて、三つほめ、二つ叱って人を育てよ」と言われます。
 これは、いろんな意味があって、叱るよりもほめる方を多くしなさいよという意味もありますが、同時に最低二つは叱れよということです。
 先輩教師が若い教師を叱らなくなったと言われています。
 私はできるだけ、明るく、ネアカで仕事をするように心がけ、みんなの前で明るく大声を出して怒りまくります。
(7)不安と孤独
 長のつく者は不安で孤独です。人からどう思われているか、非常に気になる。
 確かに気にはなりますが、お互い気の弱い人間ですから、割り切るようにしています。
 割り切って、好かれなくてもいいと思うようにしています。
 まず、優先順位は、職務をきちっとやり切ることが、本来の仕事ですから、好かれようが嫌われようが、仕方がないと割り切るようにしています。
(野口克海:1942- 2016年大阪市生まれ、大阪府公立中学校教師、大阪府教育委員会課長、堺市教育長、大阪府教育委員会理事、文部省教育課程審議会委員、園田学園女子大学教授、大阪教育大学監事、子ども教育広場代表)

 

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子どもの話にじっくりと耳を傾け、受け止めれば、子どもの信頼を得て自尊感情は育つ

 自分の子育てに自信をもてない親が多いようです。
 大阪府内の公立小学校で30年余年の経験がある大阪教育大の園田雅春教授は「子育て不安最盛期」といいます。
 親に自信やゆとりがあるかないかは、子どもの育ちにまともに跳ね返ります。
 核家族化が進み、地域とのつながりが薄れたことで、おばあちゃんらの「子育て知恵袋」に頼りにくくなっている。
 同世代とのヨコのつながりは多少あっても、異年齢とのタテの情報交換は不足しがちです。
 親としての自分を振り返ってみてください。
 ゆとりや自信のなさから、親の物差しに当てはめてやたらに指図していませんか。
 子どもの持ち味を生かそうとしていますか。
 子どもは敏感です。萎縮(いしゅく)したり、親の前でだけいい子になったりします。 
 砂場にスコップをたたきつける、給食をひっくり返す、家の外でのそんなキレぶりを告げられても、親は信じられません。
 フランスの思想家ルソーは教育論「エミール」で、「人は子どもというものを知らない」と述べています。
 この言葉をかみしめる必要があります。子どもは小さな大人ではないということです。
 いろんな情報は参考になりますが、子どものペースを見守っておおらかに考えてほしい。
 わが子にこそルールあり。子どもの目線や発見を共に楽しんだらいい。
 子どもが望んでいることは、大きく言って二つあります。表現と承認です。
 自分の話を聞いてくれ、受けとめてくれる人がほしい。
 求めているのは居心地のいい居場所というより、居心地のいいひと「居人」です。
「ねえねえ」と寄ってきたとき、「忙しいの」「後で」とついかわしたくなります。
 一息のんで「そうやったん」「へえー」と共感のメッセージを送りましょう。
 そうすれば子どもは納得し、親の話も聞くようになります。
 野菜や果物を食べてビタミンを摂取するように、
「親の言葉で子どもの自尊感情は育つ」
「自分の存在そのものに対する揺るぎない自信を高める」
 ここが子育てのツボです。
 園田教授は周囲からのプラスの言葉を、自尊感情の頭文字をとって「ビタミンJ」と呼んでいます。
 子どもの信頼なしでは、しかっても響きません。「切る」より「つなぐ」で。
 1日3分でも話を聞いて。甘やかしではなく共感を。
 自分の物差しに当てはめて、やたらに指図し、子どもの持ち味を消していないか。
 子どもの話にじっくりと耳を傾け、受け止めれば、子どもの自尊感情は育つ。
 自分への揺るぎない自信を高めさせることが、子育てのツボだ。
 授業中、中学校の教室にれんがを投げ入れ、走り去った男子生徒がいました。
 教師は職員室に生徒を呼びました。さてどんな言葉をかけたでしょうか。
「何やってんだ」「危ないだろ」こんな言葉が思い浮かぶでしょう。
 この教師がかけた言葉は「どうしたん」でした。
 とたんに生徒は涙をみせました。その子が泣くなんて同僚もびっくりしたそうです。
「何やってんだ」などは「切る言葉」。言ったほうはスッキリ。でも、言われたほうはストレスがたまります。
「どうしたん」は「つなぐ言葉」。子どもを受容して、そこから会話が始まります。
 子どもの信頼を得てからでないと、しかっても響かないんです。
 つなぐより、怒る方が効き目があるかどうかを、立ち止まって考えましょう。
 自分のムカッ腹解消のために言っていないでしょうか。
 数年前、園田教授の講演を聞いて、中学3年の息子をもつ父親が次のように言いました。
 その日は、テスト前なのに友だちに誘われてプールに行ったので、帰ったら叱るつもりだったそうです。しかし、
「お前は友情に厚い男やな。明日からの試験も頼むで」と言いました。
 子どもの立場を理解し、プレッシャーもかけられますよね。
 親が言い聞かせようとしても、ふだん耳を貸していないと子どもは応じません。ツケの代償は大きいのです。
 1日3分でも子どもの話を聞くようにしましょう。
 子どもと話しをするには、要領をつかむまで苦戦するでしょう。
「学校は最近どうだ」と聞いても、「別に」としか返ってこないとか。
 でも、大人だって「最近、会社どう」なんて聞かれたら困ります。工夫がいるんです。
 子どもがうれしそうにしているときなど、喜怒哀楽を現わしているタイミングで、
「おっ、いいことあったみたいだな」「どうしたん」
 と水を向ける。あとは話を遮らず、耳を傾ける。
 ただ、甘やかしと受容は違います。子どもに共感しての受容なのか、ベタベタなのかは違います。
 園田教授が小学校の教師だったとき、友だちに「髪の毛切ったら」と言われた6年生の女子の親が、「余計なことを」と抗議してきたことがありました。
 その友だちに話を聞くと、給食を配るときスープに長い髪が入るから注意したそうです。
 子どものもめ事は往々にして互いに言い分があるのに、わが子しかみえない。そんなケースでした。
 親の共感が子どもに伝わって好転した例は多くあります。
 ある中学3年の女生徒が、周りから悪口を言われているように思えて学校に行けなくなり、死ぬことばかり考えていました。
 仕事に追われる母親がある日の食事中、わが子に「みんなが敵になってもお母さんは味方だから」と言って、泣いてくれた。
 身近にこんなに寄りかかれる人がいると実感して、翌朝から登校できるようになったそうです。
 突然やってくる節目で、親の経験と底力が問われます。子どもがグッと伸びるチャンスに後押しできるよう、ふだんから備えたいものです。
(園田雅春:1948年京都市生まれ、大阪府高槻市立小学校教師、大阪教育大学教授を経て大阪成蹊大学教授。専門は教育方法学)

 

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ユーモア詩の笑いがあってこそ学校に安らぎが生まれ、子育てに悩む親も心が温かくなり子どもが愛しくなるだろう

 増田修治先生が、その名を教育界に広めたのは、小学校の教師だったときに始めた「ユーモア詩」でした。
 NHK(2002年「にんげんドキュメント 詩が躍る教室』」)で取り上げられ、大きな反響を呼びました。
 学校は、教師も子どもも真面目で一生懸命に勉強をするべき場所と思っていないでしょうか。
 教師を長くやっていると、教師こそそのように思い込み「学校はこうあるべきだ」「子どもはこうあるべきだ」という考えにとらわれてしまいがちです。
 増田先生も、そういう教師になってしまっていました。でも、その思い込みを完全に打ち破ってくれたのが「ユーモア詩」だったのです。
 じつは、これは偶然に発見したものです。
 増田先生が小学校で4年生の担任をしていたとき、男の子が書いた詩を学級通信に載せたのです。それは「おなら」という詩でした。
「おなら」 
 だれだっておならは出る。
 大きい音のおならを出す人もいれば
 小さい音のおならを出す人もいる。
 なぜ、音の大きさが違うのだろう。
 きっとおしりの穴の大きさが違うんだ。
 増田先生はこの詩を見たとき、正直、「ばかじゃないのか」「くだらないことを書いて」と思いました。
 でも、事前に「どんな内容でも学級通信に載せる」と約束していたため、載せないわけにはいかない。
 この詩を見た子どもたちは15分も笑い転げた。
 じつはこの頃、増田先生のクラスは子ども同士の関係があまりうまくいっていませんでした。でも、この詩でみんなが笑い転げている。
 そのとき、気づいたわけです、
「子どもたちは、笑ってつながりたいんだ」
「学校にこそ、笑いが必要なんだ」と。
 子どもは、うんちやおしっこ、おならの話が大好きですよね。
 その子どもたちの「面白い」「楽しい」という感覚に教師が近づかなかったら、子どもたちといい関係が築けるわけがありません。
 そうして、はじめたのがユーモア詩でした。ルールはありません。なにをどう書いてもいい。
 そして、そのうち、ユーモア詩がびっくりするような出来事も引き起こしました。そのきっかけとなったのが、「弟ってすごい?」という詩です。
「弟ってすごい?」 Aくん
 こないだ弟が外を走っていました。
 弟が
「ぼく、すごいのできるよ!」
 と言いました。
 弟は走りながらぼうしやクツも
 ぬぎました。
 そしてクツ下もぬげて
 ズボンもぬげました。
 それから弟はぼくに
「まっ、お前じゃできねーな。」
 と言いました。
 そんなのやりたくねーよ!
 これを見て、増田先生はAくんに「面白い、見てみたい」と言いました。
 Aくんの弟は当時、保育園の年長さん。
 服を全部脱いで裸になって「すごいでしょ?」と自慢げに言う彼を、増田先生は「すごいね、たいしたものだね」と褒めまくりました。
 その2週間後、Aくんが「弟が技に磨きをかけたから、また見てほしいそうです」と。
 もちろん、見に行きました。今度は服を全部脱ぐまでの時間が大幅に短縮されていた。
 増田先生は「もう名人芸だね」と大絶賛しました。
 じつは、Aくんの弟は、保育園ではちょっと問題がある子どもでした。
 ところが、小学校に入学したらきちんと座って真面目に授業を受けている。
「僕は小学校の増田先生に褒められた、できるはずだ」と思ったそうなんです。
 そうして、6年生になったらなんと児童会長になった。
 増田先生は、ただ裸になることが早いと褒めただけ。
 それなのに、子どもにとってはそれが自信になる。
 どんなにばかばかしいことでもいいんです。
「いいよね、面白いよね」と言ってあげることが、その子どもを認めてあげることになる。
 大人は、子どもがいわゆる「いいこと」をしたときにだけ褒めます。そうすると、子どもはその「枠」のなかにしかいられなくなる。
 自己肯定というのは、「いいこと」のようなプラスのことだけに働くものではいけません。
 マイナスのことも含めて、「あなたはそのままでいいよ」と言ってあげなければ、本当の自己肯定感は育たないのです。
 ユーモア詩が影響を与えるのは、子どもだけに限りません。親同士、親子の関係も変えていきます。
 あるとき、保護者にユーモア詩の感想を寄せてもらったのです。親同士のつながりも深まることにもなりました。
 さらには、お父さんと子どもの関係も変わった。共働き家庭が増えているとはいえ、仕事に忙しいお父さんはどうしても子育てはお母さんにまかせがちです。
 たまに子どもに学校の話を聞くにしても「どうだ? 頑張っているか? しっかり勉強しているか?」というような内容になってしまう。
 もちろん、子どもからすれば面白くありません。
 でも、ユーモア詩を目にすれば変わる。「Bくんって面白いな、どんな子なの?」「ところで、おまえはどんなことを書いているの?」と、お父さんが子どもの友だち関係を知り、親子のコミュニケーションをしっかり取れるようにもなるのです。
 もちろん、「ちゃんとしたもの」を書こうとしなくていい自由な表現なので、言葉による表現力も格段に上がっていきます。
 わたしは作文の指導なんてしませんでしたが、作文の全国コンクールで優秀賞を取る子どもも出てきたくらいです。
 ユーモア詩は、家庭ですぐにでもできるものです。詩を例に見せて、子どもに自由に書かせればいいだけ。
 ただ「なにを書かれても絶対に怒らない」と約束してあげることがルールになる。
 普段の会話ではなかなか出てこない子どもの本音を知り、観察眼や表現力を伸ばすことにもつながるはずです。
 クラスでは口げんかがよくあったが、詩を通じて子どもがお互いをよく知るようになり、けんかがなくなったそうだ。
 増田先生は「笑うのは点数にならないが、点にならないことは学校から消えつつある。でも、笑いがあってこそ学校に安らぎが生まれる。子どもにとって、いやすい教室にしていきたい」と話す。
 かわいくて、おかしくて、ちょっぴり切ないユーモア詩は、子育てに悩むお母さん、お父さんもきっと心が温かくなり、今まで以上に子どもが愛しくなるだろう。
(増田 修治:1958年埼玉県生まれ、埼玉県公立小学校教師を経て白梅学園大学教授。子育てや教育にユーモアを提唱している)

 

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子育てに失敗する親はコミュニケーションに障害がある人が多い

 一般的にいって、子育てに失敗する親は、親子間のコミュニケーションに障害がある人が多いといえます。
 それは、壊れた電話器で話をしているのと同じです。
 親は送信器だけ、子どもは受信器だけで電話をしているようなもので、話は一方的です。
 子どもは話が通じないので、しまいに「症状」や「行動」で示すことになります。
 このようなコミュニケーションのパターンは、その親と子どもとの間に見られるだけでなく、その親を育てた親との間でも同様だということが多く見られます。
 子どもの問題で困っている親のほとんどは、実は自分自身も多かれ少なかれ、自分の親との間の「コミュニケーション」ができていないという問題をかかえていることが多いのです。
 まず、親子間が許容的で、何でも話し合えるという「対人関係コミュニケーション」がスムースでなければなりません。
 子どもの成長にプラスになる育て方とは、親がまず、子どもの心を知り、子どもの心の中でおこっていることを理解することです。
 親は語りかけると同時に、子どもの「語りかけ」や「サイン」に敏感に応答することができなければなりません。
 子どもの「語りかけ」や「サイン」を待つことの方がはるかに重要です。
(黒川昭登:広島県生まれ、皇學館大学名誉教授・龍谷大学名誉教授。日本の臨床ケースワーク(臨床ソーシャルワーク)の第一人者)

 

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自分のことばや声を通して自分の身体に気づき、子どもを感じ取れる身体になるにはどうすればよいか

 自分のことばや声を通して自分の身体に気づくと、子どもを感じ取れる身体になると鳥山敏子先生は述べています。
 身体に気づくというのは、むずかしいけれど、何年かかけてやっているうちに、ある日「ああ、こういうことだったんだ」と気がつきます。
 鳥山先生は以前、竹内敏晴(演出家。演劇的レッスンを主宰)さんの「からだとことばのレッスン」で、大きなショックを受けました。
 竹内さんは次のように述べている。
 話しかけるとは、ただ声が音として伝わるということではない。
 声とは、聞き分けていると、単に空気の疎密波であるといわれるような、抵抗感のないものではないことが実感される。
 声は、肩にさわった、とか、バシッとぶつかった、とか、近づいて来たがカーブして逸れていった、というような感じのからだへの触れ方をする。
 声はモノのように重さを持ち、軌跡を描いて近づき触れてくる。生きもののようにと言うべきであろう。
 声が相手に届くには、声の大きさではなく、相手に届ける発声が必要である。
 身体で感じたままの感覚を大事に、声を相手の身体に届かせる。
 他人とのコミュニケーションの前に、自分とのコミュニケーションが先ず出来ているかを問う必要がある。
 知らず知らずのうちに身についてしまった、形式的なコミニュケーション、不自然な習慣。そういったものに気づき、人との自然なかかわり合い方が求められる。
 ことばは身体の反応に呼応している。自信がないとき、声は小さく下向きになってしまう。
 身体に気づき、声に気づき、自分に気づくこと。
 竹内さんのレッスンは、基本的には、自分がどんな声を出しているか、自分のことばや声を通して自分に気づくレッスンです。
 自分が喋っているつもりでいるけれど、本当に話しているのだろうかということですね。
 他者に向かって喋っているのか、自分自身に向かって喋っているのか。
 自分の出している言葉は「本当に自分の話したいことなのか」それとも「儀礼的にやりとりしているだけなのか」という、自分の声に気づく、自分の言葉に気づくレッスンです。
 声を手がかりにして、自分がどういう人間であるか、どのような身体なのかということに気づいていく。
 身体のゆがみに気づいていく。自分では声を出しているつもりでいても、声になっていないということが起きているわけです。たとえば、
 声が上ずっているとか、
 本来はトーンが低いのではないかとか、
 息が出ていないとか、
 力が入りすぎて脱力できていないとか、
 脱力しすぎて腰がしっかりしていないとか、
 そういう声や言葉、姿勢、呼吸などを通して、自分の心の声、叫びに気づいていき、自分を取り戻し、自分を創りあげていく、レッスンです。
 自分で自分の体に気がついていくということは、人に言われても、なかなか容易ではありません。
 自分では出したつもりの声でいても、安定した声になっていないのです。
 身体に気づくというは、自分自身に正直になるということです。
 それは子どもを育てるときにも役立つ、大切なことです。
 子どもが親や教師に何を言おうとしているのか、ということを感じ取れる身体になる。
 それがないと「こうしなさい、ああしなさい」と、言うだけで、それがどのように子どもに響いているのか、感じ取れない親や教師になってしまいます。
 子どもが何を表現しようとしているのかということを感じ取り、子どもの表現を受け入れられる身体になる、ということですね。
 子どもはなかなか言葉で表現しませんから、子どもの様子から親や教師が感じ取ることが、まず必要なのです。
(鳥山敏子:1941-2013年広島県生まれ、30年にわたって東京都公立小学校で教え、子どもの身体と心に生き生きと働きかける革新的な授業を展開。1994年「賢治の学校」を創立。自分自身を生ききるからだの創造を目指した)

 

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「変わりたい」と切に願った瞬間、眠っていた良い遺伝子が目を覚す

「変わりたいと切に願った瞬間に、眠っていた遺伝子が活性化する」とは、新しい遺伝子が目覚めることであり、それまで活発だった遺伝子が影を潜めることに他ならない。
 子どもの頃はおとなしくて目立たなかった子が、大人になって有名になったということはよくあるし、その逆もしかりである。
 村上和雄は言う、
「ある環境に巡り合うと、それまで眠っていた遺伝子が『待ってました』と活発にはたらき出すことがあり、そういうとき人は変わることができる」と。
「新しいものにふれることは、OFFになっていたよい遺伝子を目覚めさせる絶好の機会」なのだそうだ。
 なるほど、「中学生デビュー」や「高校生デビュー」というものがあるのもうなずける。
 人間の能力を抑える最大の阻害因子は、マイナス的なものの考え方です。
 生き方の鍵を握っているのが「ものの考え方」だということです。
 マイナス発想は好ましくない遺伝子を働かせる可能性があります。
 感動で涙をこぼすと、人は良い気持ちになります。良い遺伝子が働くからです。
 人間の遺伝子の中には、代々の祖先だけでなく、過去何十億年にわたって進化してきた過程の記憶や能力が入っている可能性があります。
 極端に言えば一人の人間の遺伝子に人類全ての可能性が宿っています。
 だから優れた親は、パッとしない自分の子どもを見てガッカリしてはいけないのです。
 実際に働いている遺伝子は5~10%に過ぎません。つまり人間の持つ潜在能力はとてつもなく大きいのです。
 パッとしないのは遺伝子がONになっていないだけ。いつどこでどんな才能に火がつくかわかりません。
 遺伝子の働きは、それを取り巻く環境や外からの刺激によっても変わってきます。
 ある環境にめぐり合うと、それまで眠っていた遺伝子が「待ってました」と活発に働き出すことがあります。そういうとき、人は変わることができます。
 行き詰まりを感じている時、環境を変えてみるとよいようです。
 動くと人は伸びます。新しいものに触れることは、OFFになっていた良い遺伝子を目覚めさせる絶好の機会です。
 40年近い研究生活の結論として「人の思いが遺伝子の働き(オン・オフ)を変えることができる」と村上氏は確信するようになりました。
 昔から「病は気から」という言い方があります。
 心の持ち方一つで、人間は健康を損ねたり、また病気に打ち勝ったりするという意味ですが、村上氏の考えではそれこそ遺伝子が関係しているということなのです。
 つまり、心で何をどう考えているかが遺伝子の働きに影響を与え、病気になったり健康になったりします。
 心を入れ替えると心の変化により、今まで眠っていた遺伝子が活性化します。
 阻害因子を取り除けば人間の能力は百倍も千倍も発揮できます。
 悪い遺伝子をOFFにし、良い遺伝子をONにする方法として、どんな境遇や条件を抱えた人にでもできるのは、「心の持ち方」をプラス発想することです。
 自分にとって不利な状況の時こそ、プラス発想が必要なのです。
 プラス発想をする時、私たちの体はしばしば遺伝子がONになるのです。
 どんなにマイナスに感じられる局面でも、結果をプラスに考えるのが、遺伝子コントロールのためには何よりも大切なことなのです。
 また、感動、喜び、笑い、などによっていきいきワクワクすれば、眠っている遺伝子の目を覚まさせることができると村上は確信しています。
 遺伝子をONにするもう一つの方法は、ギブ・アンド・ギブの実践であると村上氏はいいます。
 人間関係の基本はギブ・アンド・テイクと一般には考えられていますが、でも心構えとしてはギブ・アンド・ギブが正解なのです。
 遺伝子をONにもっていきたいのなら、ギブ・アンド・ギブの方がはるかに効果的です。
 本当に大きなテイクは天から降ってくる。そういうテイクをとりたいのなら、ギブ・アンド・ギブでいくべきです。ギブ・アンド・ギブでやっている人の周りには人が集まってきます。
(村上和雄:1936年奈良県生まれ、DNA解明の世界的権威、筑波大学名誉教授)

 

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大人の言ったことが、子どもの心に響くようにするためには、子どもの視線に合わせて、一対一でほめ言葉で接するようにするとよい

 子どもの心に響くようにするためには、子どもの視線に合わせて、一対一でほめ言葉で接するようにするとよい。
 上から目線に構えて、説教しないこと、他人数相手に話さないことである。
 多人数相手に語りかけても何も伝わらないし、心にも響かない。
 教育相談をしている私に、家にきてほしいということでタカシの家を訪問した。
 タカシの父親は医者で、タカシに一流大学医学部への進学を強要した。
 二度の大学受験に失敗して部屋に閉じこもり、出てこない生活を二年も続けていた。
 母親の顔は見たくないし、父親が行くとナイフを振りかざして大暴れするので近づくこともできなかった。
 私が行ってもドアを開けないので、部屋の前に座り込んだ。
 二時間もたったころ、私に根負けしたのか「おい、おまえ、入ってもいいぞ」と、少しドアが開いた。
 部屋に入り、あれこれ話をするうちに自分の気持ちを少しずつ話し始めた。
 初対面の私に十時間にわたって怒とうのように話し続けた。
 外の空気を味わうためにドライブに誘ったあと、タカシの部屋に戻った。
 疲れたので一緒に寝ることにした。
 タカシがすりよって私に抱きついてきた。
 しっかりと抱きかえしてやると、安心して眠ってしまった。
 今まで、両親に自分の思いを抱きしめてもらえず、ずっと辛い思いをしていたのだろう。
 親からは指示や命令ばかりで、受容されたり認められたりすることが少なかったのではないか。
 その証拠に、タカシと私が抱き合って眠ったことを母親に話すと、ハッとしたように「私たちのこれまでの態度に非があったのですね」と理解してくれた。
 覚醒剤のような常習性のあるものは、一斉にやめさせることはできない。なぜあんなものに子どもたちが魅入られるのか。
 家庭では「おまえのような子どもは産まなきゃよかった」と言われ、先生には白い目で見られ、友だちには無視され、なにもかもおもしろくない。
 そんなとき、覚醒剤は、快感を覚え、一時的にでも彼らに嫌な現実を忘れさせてくれる。
 幻想の世界に心を遊ばせていなければ、心のバランスを保てない彼らの気持ちもわかるような気がした。
 このような生きる喜びを知らない子どもたちには、一人ひとりと真剣に向き合わないと、効果は絶対に表れない。
 ある子どもの例では、延々十時間、手を握って話し込んだ。
「いつでも君の味方になってあげたい。応援しているから、何かあったら相談に来てほしい」
 私は、人間というものはさまざまな不本意な思いを心に抱かえながら生きていかねばならぬこと。
 その中でよりよい生き方を、最後の死の瞬間まで求め抜いていくことの価値を訴えた。
 するとようやく「先生はとっても優しいんだね。わかった、もう明日からやめるよ」と約束してくれた。
 やはり子どもはいつも「ぬくもり」を求めているのだということが身にしみた。
 触れ合いたがっている子どもを拒絶すると、とんでもない方向へ曲がってしまうこともわかった。
 子どもにとって、自分が必要とされているという気持ちは、善悪を問わず、何ものにも代えられないものである。
 子どもを見守る親は、「あなたが大切だ」という心の抱擁を、ぜひとも忘れないでほしい。
(濤(なみ)川栄太:1943-2009年、小学校教師(20年間)、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者、教育相談(40年間)、悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

 

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集中力とバランス感覚は、子どもたちに小中学校を通じて身につけてほしい一番大事な力です

 社会に出て、自分のキャリアの基礎技術を得る、最初の大事な5年ぐらいが20~30代前半にあります。
 そこでは体力と耐力が必要なわけですが、耐力を支えるのが「集中力」と「バランス感覚」です。ぜひ小中学校で身につけてほしい力です。
 もし、子どもに集中力があるのなら、多少学力が低くても、夢は何かと語れなくても、大目に見てあげてほしいですね。
 集中力を養う方法は、百ます計算や音読がすごくいいと思います。
 今や世界中に広めようとしている陰山英男さんの百ます計算。
 これで養われる力は計算力だけではないですね。
 単純計算を繰り返すことで脳が刺激されて、脳の力、考える力が増すこともあるでしょう。
 それ以上に集中力が増します。
 あるいは「声に出して読みたい日本語」で有名な齋藤 孝さん推奨の音読も、毎日やることで、記憶力だけでなく、集中力が高まるすごくいい方法だと思います。
 また、これらの方法が広まる前から、跳び箱を使ったり、ロボットを作らせたりして、集中力を高めたり、引き出す技術を持った先生が日本中にたくさんいるわけです。
 こういう先生とぜひめぐり会ってほしいですね。
 集中力は、本当に子どものころに身につけることじゃないかと僕は思います。
 興味の対象が見つかったときに、集中力さえあれば、それが絶対に身につきます。
 もう一つのバランス感覚は、主に小中高を通じて身につける力です。
 昔は地域社会が豊かで、兄弟の多い子の兄貴分に鍛えられることがあったんです。
 僕は一人っ子だから兄弟では揉まれなかったんですが、住んでいた公務員住宅の隣に5人兄弟のあきちゃんという子がいました。
 あきちゃんが左利きだったもんですから、僕も一緒にお兄ちゃんに野球を教えてもらって左打ちになっちゃった。
 そういうことが昔はきっといっぱいあったのに、地域社会もごそっとなくなった。
 それに兄弟も親戚付き合いも少ないから、子どもたちは、親と子、先生と生徒という縦の関係と、友達の横の関係だけになりがちなんですね。
 学校がこぢんまりとして暴力的ないじめがなくなった一方で、ナナメの人間関係ができにくいわけです。
 世の中にいる厳しいおじさん、いろいろ教えてくれる優しいおばさん、お兄さん、お姉さん、そういうナナメの関係に揉まれていないので、人間の関係性や距離感が非常に学びにくくなっている。
 僕は、ナナメの関係というのはすごく大事で、地域社会を学校の中に復興させなきゃいけないと主張しています。
 とりわけ人間との距離感を学ばせるためには、今の社会はあまりにも過酷すぎます。
 あまりにも核家族化し、地域社会がなくなり、学校も小規模化しています。
 だから、人の関係に限らず、物やお金を含めた世界全体と自分との距離を学ぶ機会が少ないですね。
 そういう、昔は黙っていても育った、まっとうなバランス感覚が、現在は育ちにくくなっていることを親は非常に意識しなくてはいけません。
 小中学校を通じて、この集中力とバランス感覚はすごく大事です。これがあれば、周りにどんな人が現れても、そこから学びとる力が自然に育まれていきますから、自分の興味がどこへ向かっていっても大丈夫な子になると僕は思っています。
 これが、小中学校でぜひとも身につけたいことの話です。
(藤原 和博:1955年東京都生まれ、東京都初の中学校の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務めた)

 

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挨拶は心の定期預金、必ず子どもの心に積み重なり、応えるようになっていく

 中村 諭先生は、教員生活31年のうちの23年間を、崩壊寸前の学校ばかりに教諭、教頭、学校長として派遣されました。
 中村先生は、
「組織や集団の秩序を回復したいと思ったら、一番最初にすることは挨拶じゃないか」
 といって、学校で生徒の顔を見るたびに、
「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」「元気?」
 などと言い続けた。
 最初は、生徒の方が変な顔をして、そっぽを向いて足早に去っていきます。
 そのときに「こら、待て。おまえは何で挨拶をしないんだ?」と言ってはいけないというんですね。
 そうではなく、それでも、ニコニコして「おはようございます」と言い続ける。
「挨拶は心の定期預金だ」と言うんですね。
「必ず相手の心に積み重なっていく」
「相手は気持ちの負担を感じて、小さい声で『おはようございます』と応えるようになる」
 というんです。
 中村先生は「教育というのは、火を点けることです」と言う。
 みなさんは、教師が子どもに火を点けることと思っているでしょう。
 そうではなく、子どもが教師に実践の火を点けることなのです。
 子どもたちからのメッセージを本当に教師が受けとめ、教師が、
「これまでの自分たちの実践を見直す」という実践の火を点けるというのが中村先生の持論です。
 中村先生の尊敬する山口良治先生(伏見工業高校ラグビー部総監督)は「子どもたちの問題行動は愛を求めるシグナルだ」と。
 中村先生の赴任された学校は、兵庫県宝塚市内の中学校で、20年間の犯罪件数が、毎年市内でナンバーワンという学校だったんです。
 それが、挨拶を続けていくことですっかり穏やかな学校になって、よその人が校門を入って来ても「こんにちは」と生徒の方が挨拶をするような学校になったといいます。
 中村先生に転任の時期が来て、いよいよ学校を去ることになりました。
 最後の卒業式で、生徒の代表が謝恩の辞を述べるのですが、途中で自分が感極まってしまって、全くのアドリブになってしまうんですね。少し読んでみますと、
「数え切れないほど言い争いをして、先生には迷惑を掛けてしまいました」
「でも、それも俺の中ではめっちゃ良い思い出になりました」
「先生の方も『良い思い出ができた』ということにしておいてください」
「これからも、俺みたいな問題児が現れるかもしれないけど、挫けずに頑張ってください」
 と言うんですね。
 その後、今度は生徒会長が立ち上がって、
「僕たちの気持ちです。先生、どうぞ受け取ってください」
 と言うんです。
「何だろう?」と思って立っていると、ピアノの前に生徒が座って『仰げば尊し』を黙って弾き、生徒の大合唱が始まった。
 もちろん、先生も生徒もボロボロ泣いてしまったそうです。
 昔から、禅のお坊さんは「一波は動かす、四海の波(一つの波が動けば、海全体の波が動き出す)」ということを言いました。
 この「波」というものを、「祈り」といってもよいし「思いやり」といってもよい。
「あの学校に行くとみんなが挨拶をするよ」など、何か特色をもった学校づくりができていくというのは、素晴らしいことだと思うんですよね。
 ひとつの波が動けば、海の波は動くんですよね。
 何もしないで、
「言葉つきが乱暴だ」「すぐキレる」「危ない」
 というだけで、子どもたちに対して距離感を持ってしまう。
 それが一番の大きな問題なんです。
 なぜ大人が踏み込んでいかないのでしょうか。
「この子はこんな良いところがある」という目で、子どもたちを見るということです。そうすると子どもたちの輝きが増していくのです。
 そうやって、分かってくれる子、つまり、お互いに心を交換できる子を増やしていくことによって、つっぱっていた子が、
「つっぱっていても、つまんねえよな。」
 と、必ず応えてきます。
 根っからの悪い子なんていないんですよ。 そこをもう一度考えてみたいという気がします。
(中村 諭:1948-2003年兵庫県生まれ、兵庫県公立小中学校教師、同教育委員会指導主事、同公立中学校校長、読売教育賞児童生徒指導部門優秀賞受賞)
(草柳大蔵(評論家):文参照)

 

 

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親の子育て方法が子どもの未来を左右する、最も効果的な子育てとは何か

 親のどのような子育てが子どもの将来にプラスにはたらくのか、神戸大学西村和雄特命教授と同志社大学八木匡教授らの研究グループが明らかにした。
 1万人の日本人のデータから、日本人の親に多い子育てのタイプを
1 支援型
  子どもを信頼し、関心を持って見守ることで、自立を促す。
2 厳格型
  子どもに関心はもってはいるが、教えて指導し、できなければ叱る。
3 迎合型
  子どもの好きなことを親も子どもと一緒に行い、叱ることをしない。
4 放任型
  子どもに関心をもたず、子どもと何か一緒にすることもない。
5 虐待型
  子どもに愛情もなく、信用もせず、合理的な理由もなく叱る。
 の5つに分類した。
 それぞれのタイプが、子どもが就職した後の所得、幸福感、学歴、倫理観にどのような影響を与えるかを調査したところ、いずれにおいても「支援型」が最も高い達成度や望ましい結果を示した。
 では、子どもに良い影響を与えるとされる支援型の子育てとは、どのようなものなのだろうか。
 端的に言うと、支援型子育ては「関心をもって見守る」というスタンスである。
 一方の厳格型子育ては、「関心をもって厳しく指導する」というスタンスだ。
 調査では、こども時代の親との関係を尋ねた20項目の質問に回答してもらい、子育てを特徴づける6つの因子「関心」、「信頼」、「規範」、「自立」「共有時間」「叱られた経験(厳しさ)」によって6つのタイプに分類している。
 支援型は、「親がこどもに高い関心をもち、子どもを信頼している。親子で多くの時間を共有している。子ども自身が自立している」という要素が強く、子どもの意志を尊重し、自立をサポートする姿が読み取れる。
 子育てタイプ別の平均所得は、最も高いのが支援型で、厳格型、平均型、迎合型、放任型と続き、虐待型が最も低い。
 幸福感については、「前向き思考」と「安心感」の側面から調査したところ、支援型はいずれも突出して高く、幸福感が高いことがわかる。
 学歴については、支援型の高学歴者比率が最も高く、続いて迎合型、厳格型となっている。
 興味深いのが、最も低いのが放任型だという点である。
 子どもへの関心が低く、親子の関係性が希薄な放任型の子育ては、学歴形成という観点では好ましくないことがわかる。
 社会性や遵法意識といった倫理観についての結果も興味深い。
 遵法意識(ルールは守るべきである、など)
 非社会性(面倒なことには関わりたくない、など)
 扶養意識(年老いた親の面倒はこどもが見るべき、など)
 打算的(収賄を認めるような思考傾向)
 の各因子において、支援型は最も高い倫理観(遵法意識・扶養意識は高く、非社会性と打算的傾向は低い)を示した。
 今回の調査結果を受け、西村特命教授は、次のように述べています。
 親から信頼され、関心をもって、見守られながら育った人は、所得、幸福感、学歴、倫理観がいずれも高いということが実証されました。
 一般的に、子育てのあり方の良し悪しというのは、親の一方的な思い込みで判断されることが多いものです。
 子育ての方法が子どもに与える影響についての実証的研究は、子どもをもつ親にとっては一つの判断材料になると思います。
 厳格型の子育てよりも、関心をもって見守る支援型の子育ての方が効果は高い。
 この調査結果は、子育て方法に悩む親たちには少なからずインパクトのあるものだろう。
 親子で時間を共有しながら信頼関係を構築し、こどもを見守りながら自立を促す。
 まさに、言うは易く行うは難しだが、具体的にはどのようなことを心がければよいのだろうか。
 西村特命教授は、次のようにアドバイスをする。
 どんなことでも、まずは、子どもにやらせてみることです。
 もちろん、危険があれば止めさせ、時には叱ることも必要ですが、基本的には挑戦するこどもの姿を見守りましょう。
 例えていえば、子どもと一緒に歩くときには、子どもを先に歩かせて、自分はそのすぐ後について行くようなもので、常に見守っていれば、危ない時には制止できます。
 また、子どもと勉強をするときには、まずはこどもに考えさせ、やらせてみます。
 そして、もし間違えたら、どうして間違いなのかを教えてあげましょう。
 ちなみに、歩くときに、子どもがついてくるかをいつも気にしている親、勉強するときに、親が先に解いてみせ、似た問題をこどもに解かせる親は、厳格型とのこと。
 親としての自分の行動を、一度振り返ってみてはいかがだろうか。
(西村和雄:1946年北海道生まれ、日本の経済学者。京都大学名誉教授、日本学士院会員。日本経済学教育協会会長、専門は数理経済学、複雑系経済学)

 

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子どもだけでなく、大人のほうもイライラし、キレる人が増えている、どうすれば防げるのでしょうか

 前橋 明(早稲田大学)教授は、子どもの疲労と体温・運動,乳幼児の生活リズム等について研究している。前橋教授は、次のように述べています。
 確かにキレやすくなっているように思います。
 子どもだけでなく、大人のほうもイライラしている人が増えて、簡単にキレて、犯罪に結びつくことも多くなったと思いますね。
 その原因というのは、いろいろ考えられるんですけれども、現代の生活リズムというものが、人間が本来持っている体のリズムと合わなくなってきている。
 そして、その歪みがいろいろな問題を引き起こしていると思っています。
 生活リズムの乱れが、キレる子どもや大人をつくります。
 動物というのは、太陽が昇ったら起きて活動して、日が沈んだら眠るというふうになっている。
 昼も夜もない社会になって、体の方の対応が追いつかなくなっているんですね。そのために睡眠のリズムが狂わされている。
 それから、便利になって体を使わないで済む社会になってきましたから、体にストレスがたまりやすい状況になっているのです。
 運動不足というのも、快い睡眠を妨げて不眠を招くようになります。
 食生活の方も、現代の飽食によって肥満を招き、糖尿病などの生活習慣病を生む原因にもなっています。
 つまり、キレやすい人間を生む現代の生活リズムというのは、まず「遅寝」なんですね。
「短時間睡眠」、それから「朝食の欠食」と「食事内容の悪さ」、こういったものが引き金になっています。
「早めの就寝」と「十分な睡眠時間」の確保、そして「朝食」をしっかり食べて、朝の快いスタートを心がけることが大事だと考えています。
 子どもの寝る時間が短くなっています。
 例えば、小学校に入る前の5歳くらいの幼児ですが、かつて午後8時には寝て、朝の6時には自然に起きていました。
 今は、夜10時を過ぎて寝る子が4割もいるんですね。幼児の頃から「遅寝・遅起」の習慣がついてしまっています。
 睡眠の問題が、体温とも関係してくる。
 通常、一番体温が高いのは午後3時過ぎで、非常に活動力旺盛なときです。
 ところが、遅寝・遅起の子どもは、その「体温のリズムが後ろにずれてくる」わけです。
 朝は眠っている時の低い体温で起こされることになります。機嫌は悪いですし、イライラしてきます。
 そうなってくると、学校に行こうと思っても、朝、起きれない。
 学校に行けないという状況で、不登校にも結びついたりすることも多いですね。
 体温リズムを整えて、イライラを防止しましょう。
 食生活も大事ということです。
 キレる子、イライラする子、疲れやすい子、そういう子どもたちに共通した特徴なんですけれども「食生活が乱れている」ということですね。
 こうした子どもというのは、1日のスタートの「朝食をとっていない」ということがあります。
 私の調査では、幼児の約15%が欠食しています。
 一方で、85%の子どもたちは、毎日朝ごはんを食べているかというとそうではないようです。
 うんちの状況を見てみますと、朝うんちをしているのは2割程度しかいないんですね。
 食べても菓子パン程度の朝食のようです。
 それでは、うんちの重さや体積といったものは作れないですから、排便にはなかなか至らないのです。
 朝って慌しいかもしれませんけども、食事というのは体のためにも大事です。
 食事というのは栄養素の補給という点で、もちろん重要なんですけれども「家族のコミュニケーションを図る」絶好の機会なんですね。
 心の栄養補給もしてくれるわけです。食という字は、「人に良い」と書きますよね。
 人を良くすることを育む貴重な機会なんですね。
 それから、食の場面でも、朝食をとらず、夜は一人で簡単な食事で済ます孤独な食事をしている「孤食」。
 家族一人ひとりが自分の好きなものばかりを食べて、勝手な食事をする「個食」など。
 そういったものが「子どもたちの心の居場所をなくし」て、ささいなことでキレて心を乱す子どもを作り出しているんではないかなと思っています。
「一家団欒のある食卓」がキレる子どもをつくらない。
 キレる子どもと運動について考えてみます。
 最近は場所もないせいか、外で遊ぶという子どもも減りましたよね。
 遊びという「空間」「仲間」「時間という3つの「間」が、子どもの遊びの世界から、かなり減っているように思っています。
 遊びの減少が進むにしたがって、気になるのは子どもたちの大脳、つまり理性をコントロールし社会性を育てて、高いレベルの心をつくるという、脳の前頭葉の働きが弱くなっているということなんです。
 遊びのための3つの「間」がなくなると、頭の働きも悪くなる。
 たとえば、鬼ごっこで、友達から追いかけられて必死で逃げ、対応策を考えて試みたりしますよね。
 そういう時に、子どもたちの交感神経は高まっていくんです。
 そういう体験こそが、大脳の中にフィードバックされていって、脳の働きや活動水準をより高めて、思いやりの心や、将来展望の持てる人間らしさが育っていくんです。
 遊びとしては「体を使った遊び」がいいと思うんですよね。
 生きる力の土台となる自律神経を育てて、大脳の活動水準を高める「戸外での遊び」ですね。
 鬼ごっこやかくれんぼ等の遊びがありますけれども、これは、安全な緊急事態が備わっている、ワクワクドキドキする運動遊びなんですね。
 こういった心臓がドキドキして汗をかく、友達とかかわる、戸外での運動ということがとてもいい遊びだと考えています。
 友だちと外で遊ぶことが人間らしさを育てます。
 前橋教授は、大学で教鞭をとるかたわら「ふれあい体操」を全国に広げる活動を積極的に行っている。
 先生は「親と子が、いっしょに体を動かすことを続ければ、子どもたちは、夜は早い時間からぐっすり眠り、朝はおなかがすいて食事をしっかりとるようになるので、生活リズムを正しくたもつことができ、低体温などにならないためにも有効」とおっしゃいます。
 体操は道具も広い場所も必要なく、ちょっとしたスペースでお互いの体重を貸し借りして行います。
 なんといってもお父さんやお母さんが自分のために遊んでくれるという、子どもを楽しい気持ちにさせるコミュニケーションの機会にもなります。
 今の日本の子どもが抱えている学力低下、体力低下、心の問題といった様々な問題を解決・予防する方法のひとつとして、小さい頃からのふれあい体操が位置づけられるのではないかと考えています。
 親と一緒に体操する子どもは、心の居場所もあるし、体を動かすことで体力づくり、また想像力の育成にもつながると思います。
(前橋 明:早稲田大学人間科学部教授。大学で教鞭をとるかたわら「ふれあい体操」を全国に広げる活動を行っている。日本幼児体育学会会長、日本幼少児健康教育学会副会長)

 

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「役者」として演ずることは、生きること

 仲代達矢さんの父親はすごく歌舞伎が好きで、仲代さんは小さな頃からだっこされたり、手をつないだりして歌舞伎を見ていました。
 後に、全く違う新劇の方に入ったわけですけど。歌舞伎には「型」というのがあります。仲代さんは新劇にも型があっていいんじゃないかと思っています。
 歌舞伎の型は300年から400年の長い歴史の中で、名優が一つずつ作り上げてきたものです。
 昔から芝居は「一声、二振り、三姿」といわれます。
 観客はよく歌舞伎役者の動きの美しさをたたえますが、新劇はせりふに頼るところがより大きい。
 しゃべりが崩れてしまうと、新劇というものは何だということになるので、少なくとも仲代さんの周りの若者たちには、それを一生懸命教えています。
 仲代さんが「無名塾」を始めたのは、月謝をとらず、少しでも理想を高くもつ役者が、ひとりでも出てくればいいと願う気持ちでした。
「無名塾」では、朝6時から夜9時まで芝居づけにして育てるのですが、「それじゃやっていけないだろう!」なんて、親や学校の先生が言うべきことも言ったりしていましたね。今は仲代さんも、やさしくなりました。
 役者商売の技術の一つは、観察なんですよ。
 例えば、電車の中で、前におじいさんがやって来たら、その人をじっと見て、どういう生活を送っているのか、どういう家族を持っているのか、どういう商売をしているのかと推察していくわけです。
 それが役者の一つの大きな勉強になるんですね。
 仲代さんは、その人の行為がどうしてそうなったのか突き止め、そこから演技の方法を探るのが好きです。
 仲代さんは他者を見て「この人はどういう生き方をしているのか?」と、盗んで演じます。
 つまり「芸」というのは、人間をみつめることが重要なんですね。
 仲代さんは、多くの映画監督と接してきました。
 黒澤明監督は、真っすぐな人です。例えば撮影しているとき「わぁ、ばかもの! どうしてそんなことができないのか。何なんだ。もっと勉強してこい」って言う。
 小林正樹監督は、ただ静かに「はい、もう一度。はい、もう一度」。ワンシーンを1週間ずっと繰り返して、オーケーがなかなか出なかったこともあります。
 岡本喜八監督とは、長い間、兄弟みたいに付き合っていました。彼は素晴らしい喜劇作家です。
 仲代さんがとても深刻な役を演じてきたにもかかわらず、彼はいろんな喜劇で、ぼやけた喜劇性を出すように私に要求してきました。
 仲代さんには、ぼんやりしたところがあることを、よく知っていたもんですから。
 演劇の中で、自分自身と戦い、自己主張する人間は、いい意味でも悪い意味でも「薄く」なったように思います。
 昔は「こういう芝居がしたい」と監督や共演者と言い合っていました。
 そんなふうにお互いの個性を出し合って生きていくことや、自分が本当に何をしたいかが、薄いような気がします。
 仲代さん自身は、演劇人・映画人に対しての想いがあります。
 演劇や映画、テレビがなくなったらこの世の中はどうなるのか?
 世の中から「うるおい」や、ものを見て感動することがなくなったら、すべてがそっけなくなるのではないでしょうか。
 今は「効率」の時代だと思いますし、文化や芸術は多少の退化をしていると思うけれど、最終的には「人間」が大事なんだと思います。
「役者」は体で人間を表現するプロとしての能力である「人間力」こそ、死ぬまでたたきこまなければならないでしょう。
「役者」は、厳しい職業です。定年はありませんが、年金もない。
 役者として生きていくことができる確率は、ほんのわずかでしょう。その厳しさは、仲代さんも同じなのです。
 プロ野球選手は「40歳になったら引退」とよく言いますが、役者は違います。
「私は役者のプロです」ということはない。いくら演技がうまくても芽が出ない役者もいれば、昨日までモデルだったような役者が人気になる場合もあります。
 そんな厳しさをもつのが「芸能界」なんです。
 仲代さんは、過ぎ去った過去をひきずることはせず、未来もわからないから考えない。今日一日をどう生きるか。どう「夢」をもつかが大切なのだと思います。
 演ずることは生きるということだと仲代さんは思っています。これは俳優という商売だけじゃなくて、全ての職業に当てはまるのではないでしょうか。
(仲代 達矢:1932年東京都生まれ、日本の俳優、無名塾主宰。劇団俳優座出身で演劇・映画・テレビドラマで活動を続け、日本を代表する名優の一人)

 

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「学びの共同体」の学校改革と、「いのちの授業」を命が尽きるまで子どもたちに伝えた

 大瀬敏昭校長は、新しく創設する浜之郷小学校を「学びの共同体」の理念に掲げて、東京大学の佐藤学教授と共に学校づくりに取り組んだ。
 浜之郷小学校の改革は徹底していた。ひとつは教員の意識改革だ。
 子どもを教え、導くのはあくまで教師である。教師こそが学校の根幹であり、教育の要である。
 「1年に一度も研究授業を行っていない教師は、公立学校の教師と認めない!」と徹底的に教師のスキルアップを断行した。
 それにより、報告書によると年間174回以上も研究授業が行われた。
 研究授業もユニークで、指導マニュアルを持たず、各先生が自由に考えて行った。
 授業を途中でやめても良いし、延々続けても良い。失敗したらもう一度挑戦する。
 授業公開も自由で、参観者も授業に参加しても良いという、かなりフリーな設定だ。
 研究協議という時間を設け、教師全員の発言を原則として、長い時間の討議を何度も繰り返した。
 また授業研究に時間を割くことを優先にし、職員会議以外の会議を禁止した。
 開校2年目に大瀬校長のガンが発覚し「いのちの授業」が始まった。
 大瀬校長は、ガンが再発し、余命わずかと宣告されながら、子どもたちに命の尊さを伝えようと、最後まで教壇に立ち続けた。
 命の終えんをどうやって子どもたちに見せるか。
「やせ衰えていく自分の姿を見せることで命の重みを伝えたい」と、自分の体を教材に「いのちの授業」をはじめた。
「ガン」と、大瀬校長は、黒板に書いて、静かに語りだした。
「校長先生が、がんを手術したことはみんなも知ってるね」
 子どもたちに緊張感が走り、教室は静まりかえった。
「実は校長先生は、がんが再発しました。明日死ぬかもしれない。とても恐ろしくて、怖い。けれども、お医者さんの指示に従ってがんと闘っています」
 大瀬校長は淡々と話を続け、もう一度黒板に向かって話のキーワードとなる言葉を記した。「生命」「からだ」「生」と。
 大瀬校長にとって、死への不安・恐怖を和らげてくれたのが絵本であった。
「いのちの授業」は、絵本の読み聞かせから始まった。
「いのちの授業」を始めたころの授業は、つぎのようなものであった。
 がんという病気について話す。自分ががん患者であることを知らせる。
 死の不安・恐怖から救ってくれたのが絵本であったことを知らせる。
 絵本は「わすれられない おくりもの」(スーザン・バーレイ)、「100万回生きたねこ」(佐野洋子)、「ポケットのなかのプレゼント」(柳沢恵美)を読み聞かせた。
 最初は、授業というにはあまりにも単純で、子どもたちは、ただ私の話と本の読み聞かせを聞くだけである。
 その後は、素材を教材化したり、話し合いの場面を組織したりして、いわゆる授業らしくなっていった。
 子どもたちに「いのちの授業」をするうえで、大瀬校長は命をつぎの三つの側面で理解したいと考えていた。
(1) 限りがある命
(2) 連続する命
  人間として、種として、家族としてのリレーされる命である。
(3) 心や魂としての命
  無限な命であり永遠の命。
 人間が生きていく中では、どちらかというと、辛いことや苦しいことが多い。
 そういうとき、自分を支えてくれる「もの」をもつということである。
 それは、何かを信じる心であり、あるいは家族である、ということを最後に子どもたちに伝えたいと願った。
 いのちの授業は答えを求める授業ではなく、自分だったらどうするかを自分なりに考えさせる授業である。
 大瀬校長の行った「いのちの授業」は、大瀬校長自身ががん患者であり、死が近いかもしれないということを、子どもたちも知っている中で行っている。
 そうした緊迫した中での授業であるから、子どもたちの心のもち方も変わってくるのだと思う。
 そういう状況でない場合「いのちの授業」はどのようにすればよいのだろう。
 それにはまず「いのちの授業」を行う教師自身が、どれくらい自らの命について真剣に向き合っているかということが求められる。
 もっと言うと、よりよく生きようとしているかを、自分の内面にもてるかということが、何よりも求められてくると思う。
「いのちの授業」は自らの生き方に目を向けることができる教師なら、誰にでもできると、大瀬校長は思っていた。
 大瀬校長はフランクルの言葉を思い出す。
「われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者」であり、自分の人生に対して「毎日毎時、正しい行為によって必答してなければならない」のである。
 そして限りある日々に対して、自分自身を辱めることなく精いっぱい誠実に生きることである。
 このように生きてこなかった自分を恥じ入るだけである。
 死が不可避となったいま、何かと、そういう自分になりたいと思うようになっていった。
 私という個性を完成させて、死にたいと願うようになってきた。
 このように、死と対座することは、生を考えることである。
 その意味において、死というのは、人間として成熟するための最後のチャンスなのである。
「いのちの授業」をとおして、大瀬校長自身が「家族・いのち・愛」について多くのことを学ぶことができた。
 授業をしながら、子どもや保護者の感想文を読んだ。
 子どもたちの授業の感想文には、こうつづられていた。
「えいえんの命っていうのは、みんなが、こうちょうせんせいのことがすきだから、えいえんのいのちだとぼくはおもいます」
「ぼくは、えいえんって、とこに気がついたことが、いのちだとおもいます」
「死んだんだから、もうこの世にいないと、言いはる人がいますが、わたしはそうはおもいません。死んでしまっても、人の心の中で生きていると思います」
 感想文を読みながら、大瀬校長自身が変わっていった。まさに「学ぶことは、変わること」だ。
 それにしても、大瀬校長に遺された時間がどれくらいあるかわからないが、限りある時間を、
「いのちは神に委ね、身体は医師に委ね、しかし、生きることは自分が主体」
 という姿勢で、生きていたいと願っていた。
(大瀬敏昭:1946-2004年、茅ケ崎市公立小学校教師・教育委員会指導課長・浜之郷小学校初代校長。「学びの共同体としての学校」を創学の理念に掲げ、東京大学の佐藤学教授と共に学校づくりに取り組んだ。開校2年目に大瀬校長のガンが発覚し「いのちの授業」が始まる。ガンが再発し余命わずかと宣告されながら、子どもたちに命の尊さを伝えようと、最後まで教壇に立ち続けた)

 

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子どもの「分からなさ」から出発して、子どもの学びをつくる「学び合う学習」とは

 学校というところは、「できること」「わかること」が求められる。
 ややもすると、すぐできる子ども、すぐ分かる子どもが優遇される。
 そうして、いつの間にか、よく発言する子どもと、無気力な子どもに二極化してしまうことになる。
 それは、分からないでいる子どもにとって不幸であるばかりでなく、すべての子どもの学びを深める意味でもよいことではない。
 学びは様々な子どもが、かかわり合い、学び合うことで豊かになるからである。
 そのために「分からない」ということが遠慮なく言える教室にすることである。
 そして、その「分からなさ」を大切にして学び合うことのできる教室にしていくことが肝要である。
 グループによる学びにしても、それぞれの考えを出し合う段階、考えの共通性を確かめ合いながら、考えを積み上げられる段階と深まっていく。
 しかし、異質な考えを聴き分け、他者の考えを尊重しながらも、ではいったいどうなのか、と突き詰めようとする「擦り合わせ」ができるまでになるのは難しい。
 そこまでの授業をつくるためには、「学ぶ」ということは「自分を問う」ということになるという、その自覚が教師には必要なのだと思える。
 こどもたちが学び合う授業は、教師側からの発想した「学びあう授業」ではない。
 教師が「授業をつくる」ということから「子どもの学びをつくる」ということへの転換である。
 それは、教師の思いにより、子どもを引っ張るのではなく、子どもの考えから出発する学びである。
 教師の役割は、子どもの考えを「受信」することである。
 しかし、教師の仕事が「受信」だけではない。
 授業の中で、その時間に目指していることから、はずれそうな子どもの発言があったとき、板書してある言葉を指差し、その観点から語るよう子どもに促す。
 やはり、子どもたちの学び合いが、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしないよう、教師は絶えず留意しなければならない。
 ただし、発言を変えさせるわけではない。
 例えば、子どもがある登場人物の観点から語ろうとしたとき、そのことを別の登場人物の観点から語るよう促し、軌道修正がなされる。
 もちろんこれは、教師が子どもの考えを「受信」しているからできることである。
 しかし、それだけではない部分がある。
 このほかにも、子どもの発言に対して「どこからそう思った?」と聞くことで、テキストから離れないような配慮がされている。もっとも、確認の意味で使っているようではある。
 以上のような教師の役割のほかには、教師の授業観とでもいうべきものがある。
 ひとつの正解に向かうことを目的としない、ということである。
 たとえば、その場その場で子どもたちが作品と出会い、その時々に子どもなりの鑑賞をするのが大切なのである。ある解釈に到達させることが目的なのではない。
 子どもなりの考えを発表し、他人の意見を聞きながら、自分の納得のいく考えが作られればよしとする。
「学び合い」の授業では、最初の段階で、同質の内容を繰り返し何人もの子どもが語ることがある。
 それは一見、冗漫な感じに思えたり、子どもの考えが画一的に聞こえたりする。
 しかし、それは子どもたちにとって必要なことなのだ。
 まず、ある一定のことをみんなで確認する意味合いがある。
 そして、その確認に基づいた新たな発見が、その繰り返しの中で準備されるのだ。
 いわばお酒が発酵していく時間のようなものである。
 それを基礎として「新たな発見」が生まれる、というのである。
 そのうち「いっしょかどうかわからないんだけど……」という前置きで語る子が出てきたりする。
 その発言も、他の子どもたちの腑に落ちるような発言なら、同意的な発言が後に続くし、そうでなければそこで終わってしまう。
 そこで終わるのは時期が早すぎたという場合がある。その場合でも、その発言が伏線となり、後々生きてきたりする。
 授業の後半に子どもたちが必死になって取り組む、質の高い課題であるジャンプは、グループ学習こそがふさわしい。
 個人では届かないが、グループなら届ける課題がジャンプである。
(石井順治:1943年生まれ、「国語教育を学ぶ会」の事務局長・会長を歴任、三重県の小中学校の校長を努め、退職後は、各地の学校を訪問し佐藤学氏と授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」の顧問を務めている)

 

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甘やかされて育った子ども、愛情がなく、殴られて育った子どもは、どのような子になるか

 子どもをふつう以上に甘やかして育てた場合、暴力を生む母体にもなるのです。
 甘やかされるというのは、本来その子どもが自分でやるべきことを大人がすべて手伝ってやってしまう。
 子どもの判断でなく、大人が判断してやってしまう。
 したがって、歳相応の判断力がついていないのです。
 子どもが欲しいといえば、なんでも要求に応じて、買い与える。
 つまり、子ども自身が幼児期から、自分の手・足・体などを使って、成長のための自然な日常生活をしていない。
 自分の力を発揮した、経験が少ないのです。
 甘やかされて育ち、勉強でも体育的なことでも自己主張できないとき、強いものの形をかりてツッパリで自分を主張しようとします。
 そのような甘やかした育てかたをすることで、子ども自身の判断力や研究心が育たないと同時に、自分でものごとに挑戦をしてみる気力もなくなってしまうのです。
 いろんなことを判断する習慣を自分の経験として、少ししか持っていないのです。
 したがって、子どもの判断力は幼児的です。
 感覚や感情が育っていないので、思いがけずに大きな犯罪的なことを起こすことになります。
 お母さんが、うちの子どもは気が弱いからとか、うちの子は他人に引きずられやすいなどと、いう子どもたちは、子どもが自分でするべき生活をいつもお母さんが手伝ってやってしまう、甘やかして育てたせいです。
 小さいときから自分で判断する習慣の中で育てられた子どもは、一時的に迷うことがあっても、最終的には、自分の判断力で立ち直ることのできる子どもに育っていくものです。
 幼児期には、そのときどきにふさわしい自分の意志で決めた行動をさせて、判断を任せることが大切です。
 そうすることによって、子どもなりに自分の心で損得の確認をします。
 その体験をずっと続けないと、普通の感情を持った大人に成長できないのです。
 つまり、子どもの発達段階に応じて、自分のしたことへ責任を持つことを知るようになるのです。
 それをとかく親はやらせない。
 子どもが自分の手を使ってするべきことを、親のほうでやってやり、それが親の愛情だと考えちがいをしています。
 自分で責任を持たせないから、どんなときに、どんな我慢をすればよいか、感覚的に理解することができなくなってしまっているのです。
 だから子どもなりの我慢が身につかないまま大人になってしまう。
 倒れたら自分で起きあがるような、自分に責任を持った生きざまを、親は子どもにやらせなければならない。
 不登校の子どもの親と話し合って感じることは、親が甘いというか、子どものいいぶんだけを聞く、親自身の弱さがめだつことです。
 子どもが不登校になる一つの原因は、親が子どもの行動を管理することにあるのです。
 行動のみならず、子どもの心までも管理してしまっては、子ども自身の判断力がなくなってしまうのも当然といえます。
 子どもにすれば自分の判断ではないので、自分の失敗は当然、親のせいにします。
 子どもは親を困らすことで、ふだん管理されていることへ、復讐しようとする。
 その手段で一番てっとり早く、効果のあるのは不登校というわけです。
 子どもの自由な心を縛って親の思うような方向へと子どもを管理しても、子どもは納得していません。
 そこで、子どもが思春期を迎え、自我が芽生えると、親との戦いがはじまるのです。
 毎日の生活で、愛情がないと子どもの心は横道にそれやすい。
 非行の子どもの小学生時代のことなど調べますと、必ずといってよいほど家庭が不安定なんです。
 子どもが非行に走るには、周囲にいる大人に対して、非常な不信感を持つようなことが、過去に何回もあり、それも1年や2年のことではなく、長いあいだの積み重なりです。
 それだけに、思春期になってから直そうとすれば、大変な時間と犠牲が必要なのです。
 ある場合には、命にさえかかわってしまうこともあるのです。
 大部分の大人は、子どもが、自分たち大人を、小さくしたような人間であることを望んでいるのです。
 絵でいえば、親は自分の子どもが、大人の描くような上手な絵を描くようになることを望んでいる。
 いい絵というのは、その子ども独特の、技術、方法があり、工夫があると思います。
 自分で工夫して描いてみてはじめて、こうやればうまくいくんだなあ、という発見や、自分が塗る一色一色に、手応えや感動があることを、見つけているのです。
 それでこそ、子どもが一生懸命になれるし、絵を描くことが面白くなるといういい循環になってくる。
 こうした心の動きによって描かれたものが、いい絵といえるのです。
 大人を小さくしたのが子どもである、というのは間違いである。
 ということは、誰でも知っていることです。
 子どもは自分自身の生活体験の中から発見して、いろいろなことをやっている。子どもは大人とちがった感覚を持って生活し、工夫しているのです。
 絵を描く場合も、大人の描く絵とはちがう、ということをはっきり認めてやるべきなのです。
 子どもは子どもであって、大人のミニチュアではないんです。
 どんな子どもでも、必ずといっていいくらいに、問題を持っているものです。
 ほとんどの子どもは、どこか少しは曲がっている。
 けれども、みんな自分と戦っているのです。
 たとえば、ある小学生の子どもがスーパーで万引きしてしまった。
 それはそのときの家庭環境を含めて、子どもの精神状態が、なにかを持ってこざるをえない状態だったからです。
 子どもの心にも耐え切れない、ひどい環境に追い込まれているので、非行的なことまでしなければ心の健康を取り戻すことができない。だからやるんです。
 毎日の生活の中で、親からの愛、先生からの愛、友だちとのあいだの友情が十分でないと、子どもの心は横道にそれやすいのです。
 親に殴られて育った子どもは、将来他人を殴るようになりますし、弱い者いじめをやるようになります。
 親が子どもを殴ることによって、その恐怖で子どもを育てようとすれば、彼は自分より弱い対象を見つけて、自分が受けた圧力を発散させようとします。
 こうして、いじめられた子どもが、こんどは自分の番がくれば、弱い者を目標にしていじめ返す。
 自分が殴られた恐怖によって生まれた憎しみを我慢する知的な力があれば、他人をいじめることを抑えられます。
 ところが、殴られて育った子どもは感情が幼児的なので、知的な我慢をすることができない弱さがあるのです。
(高森 俊:1932年千葉県生まれ、1952年創造美術教育協会に入会。ホーマレイン「親と教師に語る」により子どもの心理を学ぶ。中学校の美術教師となり、幼児から大人までの絵にあらわれる心の研究を続ける。1993年退職。講演活動、子どもの絵を見ながらの子育て相談、著作活動などを続ける。児童美術教育研究所「小さな原始人」主宰)

 

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教師に必要な資質として大事なものは何か

 教師に必要な資質として大事なものは何でしょうか。
 教師に必要な資質を考えるということは、自分なりに教師の理想像を抱くことを意味します。
 自分なりの理想像をふだんから意識しながら、それを自らの行動の指針として機能させることは私にはとても大切なことのように思えます。
 こうした問いに絶対に正しい答えなどありません。
 年齢を重ね、経験を重ねるうちに少しずつ考えが変わっていくことはあるでしょう。
 自分の成長にしたがって修正していけばよいのです。
 私は教師生活20年を超えましたが、教師に必要な資質として大事なものは、つぎの5つだと思います。
(1)いつも笑顔でいること
 あなたが教育技術をいくら学んだとしても、いつも笑顔でいること以上に威力を発揮することはありません。
 教師は子どもたちにとってモデルとして機能しています。
 いつも和やかにすごす子どもに育てたいと思うならば、他ならぬあなた自身が常に上機嫌でいることです。
(2)孤独に耐える力をもつこと
 教師も人間ですから、他人に嫌われまいという気持ちが働いてしまいます。
 それが生徒指導を甘くさせてしまったり、保護者に事なかれ主義で対応してしまうことにつながります。
 どれも「孤独に耐える力」の欠如に起因しているのです。
 教師は孤独に耐える力が必要なのだという意識を持っていると、具体的な場面で驚くほど対応が異なってくるものです。軽視してはいけません。
(3)無駄とわかっていることに取り組めること
 教師の一つの指導や取り組みによって、すぐに効果があらわれるわけではありません。
 しかし、そうした指導や取り組みを続けることでしか、成果はあがらないのです。
 生徒たちを変えたい、成長させたいと考えるならば「無駄とわかっていてもやり続ける」という覚悟が必要なのです。
(4)子どもといっしょに馬鹿げたことを一生懸命にやるのを楽しめること
 人はいっしょに笑った分だけ人間関係を築くことができます。
 学生時代の友人とのやりとりを思い浮かべれば合点がいくはずです。
 行事やレクレーションなどでは、生徒たちとともに楽しむ姿勢が必要です。
 馬鹿げた取り組みを何度もいっしょに行うことが、少しずつ大きな意味をもち始めることもあるのです。
(5)いつでも変われること
 教師は成長することが重要です。
 それでこそ生徒を教育する資格があるのです。
 成長とは自らを変えることです。
 実は、変化を怖れる人、現状維持にどっぷりとつかっている人は教師に向いていないのです。
 常に自らを変化させようとアンテナを高くする。
 何か現状を一歩でも進める方法はないかと常に考えている。
 そういう教師だけが生徒たちを導く資格があると私は考えています。
(堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」を設立、道内の民間教育団体でつくる「教師力ブラッシュアップセミナー」の代表も務める)

 

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不登校・高校中退をした経験から「自信こそが生きる原動力」と考え、シンガーソングライターなどさまさざまな表現活動をして教育にあたっている

 大野実先生は小学校、中学校と不登校の経験を持ち、京都の進学高に進んだものの、競争主義、学歴主義の教育のあり方に疑問を持ち、高校1年のときに不登校となり高校を中退した。
 中学時代の恩師の説得により、高校を再受験し、大学を卒業。
 表現することの楽しさを知り、大学時代よりミュージシャンをめざし、路上ライブをしたりして本格的に活動するが挫折した。
「人前で何かをする仕事」をキーワードに仕事探しをしているとき、教師の仕事にめぐり合い、その後、教員資格を取得し、教師として24年間教師生活を送った。
 京都市にある私立高校長就任中も、ラジオパーソナリティ、シンガーソングライターとしてさまざまな表現活動を行い、不登校、高校中退、と挫折をくりかえしてきた自身の経験を生かし、悩みを抱える若者の相談にのり、子どもたちに勇気を与えている。
 今の学校教育は、子どもの自信を失わせる作用の方がかなり大きい。
 子どもの能力を点数化して頑張らせる。
 頑張れる子は良い。結果を出せたなら、成功体験、達成体験になる。
 でも、どうしても数字を上げて行けない子だっている。
 自分が数字として、シビアに突きつけられていると感じもする。
 点数化できる能力だって、それはきっと限られたものだと思う。
 そんな一部分の能力で、それだけでその子を評価してしまうのはとてもこわい。
 学校は、子どもに成功体験・達成体験を積む場所であってほしい。
 大野先生は「あなた」は「あなた」のままで良い。そんなメッセージを送り続けている。
 教師の仕事は、子どもたちの心に「夢の種」を蒔くことである。
 夢は、諦めなければ必ず叶うもの、とオリジナルの応援ソングを弾き語りし、夢を持ち続けることの尊さについて語り、子どもに自信を、保護者に安心を与えるトーク&ライヴショーを催している。
 時代は、集団から個へと確実に変化してきた。
 実力や能力主義という個人の力が試される中で、どう生きていくのか。
 教育の果たす役割は、感性を育むことである。
 不登校や引きこもりの中にそのヒントはある。
 自己表現とコミュニケーションが夢を支え、活き活きと生きる力を生み出してくれる。
 大野先生は子どもの頃、不登校であった。だから不登校やいじめに真剣に向き合っています。
 大野先生は「歌う校長 夢の種をまく」の本の中でこう書いておられます。
 人は、だれか味方がいたら、死んだりできないものです。
 ほんまに、一人ぼっちやと思うから、死を選んでしまう。
 いじめている子、いじめられる子の間にいて、傍観している子どもたちに、勇気とやさしさを示してもらえたら、追いつめられて、死のうとしている子が、思いとどまるんやないかなと思います。
 そしてきっと、いまは傍観している子の中に、その子のことを、気にかけている子がいるはずやと思っています。
 その子たちに、勇気を出してほしい。
 いじめられている子に、自分はあなたの味方だ、というメッセージを伝えてあげてほしい。
 そんな思いで「明日はきっと晴れる」という歌をつくりました。
「明日はきっと晴れる」作詞作曲 大野実 編曲 大村篤史
 「ひとりぼっちじゃないよ わたしがついているよ」
 やさしい言葉が心に届く
 ただそれだけで生きていける
 かけがえのない生命 かぎりある生命
 なくさないで なくさせないで
 勇気だして やさしさ伝えて
 あなたのやり方で あなたの言葉で
 笑顔見せて 生命つないで
 あなたの生き方で あなたの声で
「あなたが心配だ、あなたが大切だ」
 熱い思いが心にしみる
 その人のために生きていける
 かけがえのないあなた この世に一人のあなた
 忘れないで 忘れさせないで
 勇気だして やさしさ伝えて
 あなたのやり方で あなたの言葉で
 笑顔見せて 生命つないで
 あなたの生き方で あなたの声で
 みんないっしょに明日創ろう
 明日はきっと きっと晴れる
 大野先生は、自身の経験や、これまでの長年にわたる教員生活での体験をとおして、子どもたちや保護者の思いを、歌にしている。生の演奏を聴いて感動します。
 電話相談にかかってくる子どもの声を聴いて、感じるのは自己肯定感の低さです。
 誰もほめてくれないのなら、自分で自分をほめればいいんです。
 自分で自分を、認めてあげればいいんです。
 そんな子どもたちに対して、大野先生の「自画自賛」という歌もあります。
 「自画自賛」作詞作曲 大野実 編曲 大村篤史
 自分なりに一生懸命やってきたことが
 他の誰にも認められなくても
 額に汗して築いたものが
 一瞬のうちにくずれ去ったとしても
 それはそれでいいじゃない
 やるだけのことをやったのなら
 自画自賛 自画自賛
 自分を精一杯ほめてあげよう
 自画自賛 自画自賛
 自分をもっと好きになろう
 失敗を恐れて何もしないより
 自分の可能性を試してみよう
 たとえうまくいかなかったとしても
 そのすべてを見てきた自分がいるから
 夢はいつか叶うはず あきらめさえしなければ
 自画自賛 自画自賛
 自分をほめれば輝き出す
 自画自賛 自画自賛
 自分に惚れれば夢動き出す
 成功したヤツらを 羨むよりも
 これからの自分をおだて育てよう
 生きているからくやしいこともある
 生きているからはじけることもある
 つまずいても立ち上がれる 勇気と力の合言葉
 自画自賛 自画自賛
 この世に一人の自分のために
 自画自賛 自画自賛
 最強の味方さ 自分のために
 大野先生の好きな言葉は「心の元気」、座右の銘は「生きていることと死んでいないことは違う」である。
(大野 実:1953年生まれ、京都市私立高校教師、京都市私立高校校長を経て社会福祉障害者支援センター所長、八幡市社会福祉協議会チャイルドライン京都理事。シンガーソングライター、フリーのラジオパーソナリティ)

 

 

 

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手のつけられない悪ガキが教師となったわけとは、授業や子どもの指導のポイントとは

 義家弘介先生は少年時代、哀しい不良少年でした。自分の弱さから目をそらし、誰にも心を開かない少年でした。
 義家先生が生まれてすぐに両親が離婚。すぐに父親が再婚するも、物心ついた時から孤独を感じ「反抗」という形でしか、自らを表現することができなくなっていきました。
 中学生になると髪を染め、酒にタバコ、更にバイクを乗り回し、喧嘩を売る毎日。強く見せたかった。
 高校進学後も孤独を紛らわせるために、暴れに暴れ、気づけば一年生で番長に。手のつけられない悪ガキでした。
 そして16歳の時、事件を起こし高校から追放され、生まれ育った家からも追われ、里子にだされました。
 全てを一瞬に失った義家先生は、何もできない、何も知らない「子ども」だったんだということを心の底から思い知らされました。
 私の何が間違っていたのか、これからどうやって生きていけばいいのか、里親さんに与えてもらった部屋に1年間、膝を抱かえながら、引きこもり、孤独の中で考え続けました。
 今までの生活から抜け出したい一心で、やり直そう、もう一度学校に行こう。本当の友だちを作ろう、大嫌いだった先生と、改めて心を開いて向き合おうと決心しました。
「やり直しを賭けようとする者の過去は問わない」という記事が新聞に掲載されているのを見て、高校中退生や不登校を受け入れる、北海道の北星学園余市高校の門を叩きました。
 先生たちは一生懸命だった。下宿の人も、あたたかく、地域の人たちもみな優しかった。
 私が問題を起こしたとき、担任の安達先生は、満面の笑みで、あなたは「宝物だから」と指導された。初めて心から温もりを感じたのです。私は変わり、先生や友と向き合うようになった。
 高校を卒業し、大学に進学して弁護士になろうとひたすら法律を勉強しました。しかし、司法試験を直前に控えて、バイク事故を起こしてしまった。内臓を激しく損傷し、意識不明の重体なった。
 事故の一報を聞いた安達先生は病院に駆けつけ、意識が朦朧としている私に、涙しながら「死んではダメ、あなたは私の夢だから」と、何度も何度も伝えてくれた。
 あの瞬間、苦しんできた全てが肯定された気がした。この事実だけあれば私は生きていけるって。何としてでもこの温もりに執着したいって思いました。
 救われた命だから、世の中に傷つき涙している子どもたちがたくさんいる。これからはその子どもたちに寄り添いながら生きていこうと。
 安達先生の歩いてきた教育の道を歩いていこう、教師になろうと思った。
 大学を卒業して北海道の大手進学塾に就職。塾の講師として、教育の場に飛び込みました。
 私は塾でナンバーワン講師になるぐらいでなければ母校の教師になる資格はないと思っていたので、必死になって授業のやり方を研究しました。
 きれいな字で板書できるよう練習をし、人気の高い講師たちの授業を聞きに行った。授業が面白く、子どもたちを引きつける魅力があった。
 他人の良いところはどんどん盗んだほうがいい。人気のある講師はみんな導入がうまい。無駄話から入るのだが、気がつくとそれが授業の本筋とつながっている。間を取り、息抜き時間も用意している。
 授業の技術ばかりに走らず、私が心から授業を楽しむようになってから、評価がどんどん上がっていった。
 教師が授業を楽しんでいると「先生がこんなに楽しそうに教えているんだから、きっと何か面白いことがあるに違いない」と、子どもたちが感じて意欲が上がるはずだ。
 今の教師が子どもに与えるのは「安心感」だと思う。そのためには、まず教師が子どもに近づいて「注目」してやることだ。
 今は、子どもたちは将来への安心感が持てない。だからこそ、大人たちが彼らに安心感を保証してやることが大事なのだ。
 誰にも注目されていない状態ほど、人間を不安にさせるものはない。だから子どもたちは、いつも誰かに自分のことを見てほしがっている。
 子どもというのは、将来の定まっていない存在だ。したがって、多かれ少なかれ不安を持って日々の生活を送っている。そんな子どもと距離を置き、なおかつ大人に対する畏怖感を与えてはいけない。
 教師は、子どもと一人の人間として本気で関わらなければ仕事にならない。
 全身から情熱を発して子どもたちに接するのが、教師の仕事だと思う。自分の持ち味を生かしながらやっていけばいいと思う。
 要は、子どもたちを心底「かわいい」と思えるかどうかだ。
 子どもがかわいいから「ダメなものはダメ」と熱くなって怒ることができる。
 かわいいからこそ、熱を持って抱きしめてやることもできる。
 かわいいからこそ、一緒に遊んで、心から楽しむこともできる。それが教育本来の営みのはずだ。
 「飴と鞭」は昔からの教育の基本的なあり方だった。
 たとえば家庭では、父親が子どもに対して「これ以上やったらタダじゃおかないぞ」と厳しいことを言い、その一方で母親が「大丈夫よ、私がついているから」とだきかかえる。
 これが伝統的なパターンだったと言えるだろう。「厳しさ」と「やさしさ」が車の両輪のように機能するのが、教育の原点なのだ。
 それに対して、子どもに媚びを売っているかのような現在の教育は、その原点を完全に見失っていると言えるだろう。
「つらいだろう、くるしいだろう、でも無理しなくていいんだよ、そばにいてあげるから」とホールディングする大人は大勢いるが、「そんなことではダメだ」と厳しく言う大人がいないのだ。
 これでは、いわば片輪走行している車のようなもの。よほど特殊な訓練を受けた腕利きのドライバーでなければ、そんなアクロバットのような走り方ができるはずがない。教育が成り立たなくなるのは当然だ。
 こんなことを続けていたのでは、子どもたちが大人に寄りかかるばかりで、自分の足で歩けるようにならないのではないだろうか。
 学校の教師というのは勉強を教えるだけが仕事じゃないはずです。その子と向き合って心を揺さぶることも仕事ですから。
 私は生徒たちと対立しても、気持ちでは絶対に引かない。自分が引いた線からは絶対に引かない。
 私は生徒たちに、情熱と正論で突っ張る。生徒たちは彼らなりの理屈で突っ張ってくる。
 その二つがガチンコになると、最後には絶対に、情熱と正論が勝つんです。教育の場では、絶対にそうなるんです。
 おまえの人生のために、おかしいだろうというのが教育の場では正論なわけです。
 今やっていることは正しいのか、正しくないのかは、生徒たちの心の中では、みんなわかっていますからね。
 しっかりと叱って、その子が涙を流した後に、黙ってギュッと抱きしめてあげれば、それでその子が変わってくる。
 問題児として、くくってしまったら、どんどんひねくれた方向に行ってしまう。
 私なりに気をつけていることは、叱りっぱなしではなく、叱った理由とか、私の本気の思いなどを、後からしっかり伝えてあげるということです。
 ほんとうに思いがあるなら、それはできるんです。
 もちろん、私が叱ったら、生徒たちはみんな泣きます。私は本気で叱りますから。
 でも、その後に「ちょっと来い」と。
 それで「叱った理由はわかるか?」って話をする。延々と説明します。
 そうなると方法論じゃないんですね。
 本当に、この子のことが大事だと思ったら、ダメなことはダメと言わなきゃいけない。
 なのに、今の大人は、子どもたちを叱らなきゃいけないときも「いいよ、いいよ」と言って、優しさと甘さの線引きをぼやかしてしまう。
 そうすると、必ず子どもは、ぼやかされた線のところを行ったり来たりする。
 思いっきりそのままの気持ちを伝えることのほうが大切だというのに。
 私は、教育にとって肝心なことは、今、自分の気持ちが子どもたちに届くときに、何をするかということに尽きると思うんです。
 先生が迷っていたら教育の答えは絶対に出ない。精一杯、動くほうが大切なんだと思います。
 知らない街を旅しているのが子どもで、教師はガイドだと思うんです。
 教師は「大丈夫だよ、この道だ」と言って、子どもと一緒に歩いていく。信念をもって共に道を探すガイドが、今の子どもたちに必要なんです。
 教育困難校などで、普通の教科書どおりの授業をしたら、間違いなく学級崩壊します。
 そうなると、ポイントになるのは、授業をする人、つまり教師の在り方になってきます。
 教師がどういう教材をつくって、どういう授業をするかになるんです。
 私なんかは、教科書を参考にしながら、生徒たちの興味を喚起するような身近な事例を織り交ぜたプリントを作成して、授業をすすめています。
「一年間、このプリントをしっかり学び、一冊のファイルが完成したら、それがおまえらの教科書になる」
「俺の授業では、教科書がはじめからあるのではなく、みんなで1年かけて、教科書をつくっていくんだ」と。
 日々の激務のなかで行う教材作成は、正直しんどいです。でも、学級崩壊が続くよりは、よっぽどいいですから。
 それに、本気で準備して、本気で授業をやれば、生徒たちに絶対に伝わるんです。
 やっぱり、授業こそが生徒たちの生活指導の中心です。
 その授業を適当にやっておいて、問題があったときだけ叱るなんていうのはダメで、不断の努力が必要になります。
(義家弘介: 1971年長野県生まれ、高校で退学となったが、北星学園余市高校を卒業し、塾講師、母校の教師となり活躍し2005年に退職する。横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる)

 

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いじめられ、自殺を考えた成績がオール1の生徒が有名大学に合格し高校教師となった、その経過とその思いとは

 宮本延春先生は、小学生時代に酷いいじめを受け、勉強も学校もすべてが嫌いになり、九九もいえない「オール1」の落ちこぼれになる。
 中卒で見習い大工として就職。16歳で母親を、18歳で父を亡くし、兄弟も親戚もなく天涯孤独の身となる。
 23歳の時、偶然アインシュタインのビデオを見て、物理学に興味を持ったことから勉強を始める。
 24歳で定時制高校に入学。27歳で名古屋大学に合格し、母校の高校数学教師として、生徒たちと正面から向き合う毎日を送っている。2007年、内閣教育再生会議有識者メンバーに選抜された。
 宮本先生は、小学校2年生の時に些細な事件をきっかけに嫌がらせを受けるようになり、それがだんだんとエスカレートするようになった。
 毎日のように無視や暴力など、陰湿ないじめを受け続けているうちに勉強に身が入らなくなり、いつのまにか落ちこぼれてしまった。
 先生も両親もそんな宮本先生を救う術を知らず、中学1年生で最初にもらった成績はオール1。
 いきなり突き飛ばされ、鼻血が出るまで殴られ、ものを隠され、無視される…。
 学校での壮絶ないじめは、幼い宮本先生を精神的にも肉体的にも傷つけた。宮本先生は自殺を考えた。 
 いじめられないために習いはじめた少林寺拳法で、初めて自分に自信を持てた。
 職業訓練校を経て、16歳で大工見習いとして就職するものの職場に希望を見いだせず、好きな音楽を生業とするためにフリーターとなった。
 はじめて親身になってくれた大人と出会った建築会社への就職。
 少林寺拳法を通じて後に妻となる女性と出会う。その彼女から手渡されたビデオで「アインシュタインの相対性理論」を知り、物理に強い興味を抱くようになった。
 そこで、宮本先生は1年間で小学校3年生から中学校3年生までの勉強をし、24歳で定時制豊川高校に入学し、必死の勉強の後、27歳で難関といわれる名古屋大学に合格し、大学院を経て母校の豊川高校に数学教師として赴任した。
 宮本先生は、
「絶望の淵をさまよった自分でも、人との出会いの中から生きる目標を見いだし、それに向かって努力、邁進することができた。その事実を知ってもらうことで、自分に自信が持てない子どもたちに勇気を与えたいと思った」
「確かに私は特殊な半生を歩んできたとは思います。しかし、教師として生徒に対峙する真摯さにかけては誰にも負けないつもりです」
 全国各地の講演に招かれ、自身のいじめ体験や教師となるまでの苦労話をする際にも、
「こうすべきだという教育論へと展開するのではなく、淡々と自分の経験や感じたことを語る中から、何かを感じてもらえば十分だ」という。
「自分がそうだったように、子どもの視野はとても狭いものです」
「学校でいじめられれば、世界のすべてが地獄のように思える」
「ほんの少しつまずいただけで、自分が本当に駄目な人間のように思えるんです」
「大人は、少なくとも子どもよりは世の中を知っているはず」
「ですから、先人として『大丈夫だよ』『きっとできるよ』『逃げたっていいんだよ』とメッセージを伝え続けることは大人の義務だと思うんですよ」
 宮本先生は「○○すべき」と断定的に正論として伝えるのではなく「こんなことがあった」「こんなふうに感じた」と自らを主語に、事実だけを淡々と語り、その上で、自分に置き換えたときの可能性を「感じてもらう」ことができれば本望と思っている。
「なりたいものがないといっている子どもだって、まだまだ目標となる可能性のあるものが、彼らの視野に入っていないだけなんです」
 迷い苦しみ続けた青少年時代を経て、そして今度は教師という導く立場に立って、宮本さんは改めて「大人の役割」の在り方とその大切さを痛感しているという。
 学校では壮絶ないじめに耐え、家庭では父親の暴力におびえる。その中で自分に自信をなくし「自ら物事を解決する力」を奪われていたという宮本先生が、そこからどうやって自らの足で立ち直ることができたのか。
 宮本先生は、その問いに対してまず「目標を持つことができたこと」をあげる。
「私が生まれて初めて持った目標は、少林寺拳法を習って強くなることでした」
「情けなくも『いじめられたくない』という一心からきたこと」
「しかしそれだけなら、なかなか上達しないことにしびれを切らして、やめてしまったかもしれません」
「でも『なかなか飲み込みがいいね』『がんばり屋だね』と誉めてもらうのがうれしくて」
「道場に通い始めた唯一の友人の存在もあって、続けていくことができました」
 大人にしてみれば、ごく些細な成功体験に過ぎないが、宮本先生にとっては大きな一歩だった。
 目標なく努力し続けることは、人間には難しいもの。
 憧れることは簡単だが「やればできるはず」という確信を持ち、実現しようと努力してはじめて「目標」となる。
 成功体験がなく、自分に自信が持てない子どもは、たとえ何かに憧れたとしても、あきらめてしまう。
「私自身も自信のない子どもでしたが、師範や友人の励ましがあったからこそ厳しい少林寺拳法の練習を続けられたわけです」
「意志が弱くても、周りの励ましがあれば、続けられる」
「人に助けられながらでも『やりとげることができた』という自信が生まれれば、次の目標に走り出すための原動力になるはずです」
「そう、それが成長するということでしょう。私も少林寺拳法に打ち込んだ結果、いじめられっ子には変わりがありませんでしたが、小説を読んだり、音楽に親しんだり、新しいことに対する好奇心が生まれてきたのです」
 しかし、技術と音楽が2、あとはすべて1の成績では高校進学は無理。教師に勧められて大工見習いとなったものの、親方の理不尽な扱いに疑問を覚え、職場での「目標」を見いだすことができなかった。
「目標のない人生を生きていかなくてはならないのか、1週間部屋に閉じこもって自問自答しました」
「それで考え抜いた末に『やりたいことをやって死にたい、やらずに後悔するより、夢に到達できなくてもやった方がいい』と思ったのです」
「母は亡く、父は入院中という不安定な時期でしたが、迷いはありませんでした」
「結果、大好きだった音楽の道を目指して仕事を辞め、アルバイトでわずかな収入を得るだけで、雑草や蟻を食べたほどの貧乏生活でしたが、精神的には充実していましたね」
 宮本先生は、その後、短期のアルバイトのつもりで就職した建設会社で、社長をはじめ親身になってくれる人たちと出会い、人に求められ、役に立ち、認められるという「働くことの楽しさ」を知ることになった。
 結局、人は「目標」がなければ生きてはいけない。そして、人は敬愛する人々との出会いや、ふれあいの中で成長する。子どもの頃のむなしさが何であったのか、宮本さんは身をもって実感したのである。
「『がんばれ』『やればできる』という言葉は、落ちこぼれには届きません」
「そもそもどうがんばっていいのか、どうやればいいのかわからないわけですから」
「また、どんなにやる気があっても、方法がわからなければ疲弊してしまうでしょう」
「建築会社では、孤独だった自分を家族のように受け入れてくれて、どうすれば役に立てるのか明確なアドバイスをしてくれた」
「そして、がんばったことに対して評価してくれたからこそ、働く楽しさと成長の喜びを実感できたのだと思います」
 仕事は充実し、少林寺拳法を通じて恋人もでき「このままこの会社で一生働いてもいいな」と思っていたある日のこと、宮本さんは新たな「師匠」と出会うことになる。
 のちに妻となる恋人に手渡されたドイツ出身の理論物理学者アインシュタインを特集したテレビ番組を録画したビデオだった。
「かけ算も満足にできない男がアインシュタインの相対性理論に感動したのか、と不思議がられるんですが、事実なんです」
「できるだけ数式を使わずに、映像で説明されていたこともあるのですが、自分がこれまで『当たり前』と思っていたことが覆され、新しい世界が広がっていたことに、ただただ圧倒されました」
 それをきっかけに、宮本先生はさまざまな物理の本を読みあさり、数学がわからないために理解ができないことに対していらだちを感じたという。
 そしてそれ以上に、あらゆる世の中の不思議に対して、純粋な興味がわいてくるのを実感した。
「おそらくちゃんと勉強してこなかったというコンプレックスがあったのでしょう」
「生活が充実して、精神的に安定した時、アインシュタインのビデオがトリガーになって『勉強したい』という欲求が吹き出したんじゃないかと思うんです」
「アインシュタインは9歳まで満足に言葉を話せなかったという説もあると聞いて、劣等生だった自分と重ね合わせたりしていましたね」
「いじめがあったから、少林寺拳法と出会い、妻と出会い、アインシュタインと出会えた。学ぶことへの渇望や勉強し続ける根気だって、いじめがあったからこそ養えたのかもしれません」
「あの痛みは決して無駄ではなかった。ある意味、心の成長痛だった
「でも、おそらく過ぎたことだからそういえるんです。決して、子どもたちには経験してほしくないですね」
 しかし、こうした経験があったからこそ「いじめは絶対に許さない」「どんなに落ちこぼれてもやりなおすことができる」という言葉が、真実味をもって子どもたちに届くのではないか。
「その気持ちだけは誰にも負けないつもりです。でも、教師としてはまだまだ未熟者です」
(宮本延春:1969年愛知県に生まれ、愛知県私立豊川高校数学教師)

 

 

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社会が変わり、教師がものわかりのいい、やさしい態度で接すれば、生徒はおしゃべりをやめない、それでは学校は成り立たない、どうすればよいか

 河上亮一先生は、1966年に中学校の教師になった。
 河上先生は、戦後の民主教育を受け、生徒をのびのび自由に育てたい、ものわかりのいい教師になりたいと思って教師になった。
 だけど、それでは学校は成り立たない。
 授業中、ものわかりのいい、やさしい態度で接すれば、生徒はおしゃべりをやめない。掃除だって放っておけば生徒はやろうとしない。
 現実には、教師が怒鳴って、生徒をむしやりやらせなきゃいけない場面がいっぱいでてくる。
 叱って育てる教育は必要不可欠であるにもかかわらず、日本の社会はそれを軽視している状況にある。状況は相当に深刻である。
 叱ることが大切だからといって、むやみに叱っても混乱するだけだ。叱るには、覚悟と戦略が必要なのだ。そのためには、
(1)学校の「大わく」をしっかり固める
 まず、学校は家庭や社会と違うことを、生徒にはっきりと示す必要がある。
 学校は生徒に基礎的学力、生活の仕方、人とのつきあい方を身につけさせ、一人前の国民にするところで、生徒はそのために来ているのだ、ということを示すことである。
 「おしつける」ところと、生徒が「大枠のなかで自由に活動するところ」をハッキリわけて生徒に示すことが大切なのだ。
 このことについて、教師の間に共通認識をつくることが出発点である。
 教師の間に共通認識をつくらなければ、教師が個人的にどんなに頑張って叱っても、トラブルになるだけで、ほとんど意味がない。
(2)教師と生徒の関係をハッキリさせる
 学校は、基本的に生徒が教師の言うことをきき、教え教えられるという関係が成立しなければ何も始まらない。現在、この根本がくずれているのである。
 やさしい、ものわかりのよい教師など論外だ。
 生徒との距離をとり、クールに生徒に接することを基本とすべきだ。
 べたべたと生徒にくっついていたら、叱ることなどできはしない。
 教師自身が自分の仕事を誠実に行うことが必要だ。
 例えば、いつも時間にルーズな教師が、生徒のチャイム着席を叱ることはとても難しい。
(3)教師がみんなで同じように叱る
 家庭でもほとんど叱られたことがない子どもが相手である。
 教師たちが共通の原理をハッキリ示して、同じような場面で、教師がみんな同じように叱ることが大切だ。
 教師がバラバラでは叱ることなど無理である。
(4) 学校の役割や目的は、学校生活では必要なことであることを生徒に訴え続ける
 学校を成立させる必要から、学校の役割や目的を生徒におしつけることだ。
 例えば、学校の役割や目的である授業をしっかり受ける。掃除をしっかりやる等である。
 クールに、ていねいな言葉でハッキリ叱ることが大切だ。
 それに違反したからといって、人間として悪いということではない。
 道徳的ではないからだ。生徒の内面には立ち入らず、外側だけを規制するということだ。
 言うことをきかない悪い生徒だと、ヒステリックに叱れば生徒と泥沼におちいる。
 だから、納得させようといろいろ説得すると混乱し、最もまずいことになる。
 教師はこの区別をきちんとしていない。ここが落とし穴である。
 守れない生徒がでてくるのは当然のことである。
 学校生活では必要なことであり、それを守らないと学校の目的が達成できないから努力してほしい、ということをしつこく言い続けることである。
 生徒との根くらべと考えていい。できれば全教師が一致して要求し続けるほうが効果が大きい。
 教師と生徒の力関係に左右されるので、時と場合によって戦術を立てる必要がある。
(5)人間の生き方にかかわる「道徳的なこと」について叱る
 人と人とのつきあい方について、叱らねばならないことがでてくる。いじめについてもこの分野に関することである。
 しかし、これは教師が子どもと人間として向き合うことになり、かなり難しいことである。
 叱る教師の人間的な力量が試されるからである。
 つまり、権威がなければ無理なのだ。
 教師は自分の人間の大きさをじゅうぶんに自覚したうえで叱らねばならない。
(6)すべての生徒を同じように差別をせずに叱る
 子どもは「えこひき」を最もいやがる。なかなか言うことをきかない子どももいる。
 すべての子どもに対して、同じように叱るのはエネルギーと根気がいる。仕事だと思って根気よくやることだ。
 ただし、力のある教師であれば、叱り方にバリエーションをつけるとよい。
(7)叱るということと、言うことをきかせることは別
 これをゴッチャにしている教師が非常に多い。
 叱るとは、学校としてのサインをハッキリだすということである。
 サインをだし続けることに徹する必要がある。
 言うことをきかせるためには、ある種の力が必要なのだ。
 教師個人として生徒に言うことをきかせるには、権威というものが必要である。
(8)教師が自分で権威をつくる
「子どもが教師を信頼すること」が権威のよりどころである。
 教師としての仕事をハッキリさせ、それを誠実に実行していくことが大切だ。
 難しいことだが、自分で権威をつくるしかないのである。
 生徒に言うことをきかせるためには、教師として生徒の前にしっかり立つ必要がある。
 生徒と距離をとり、ていねいな言葉づかいで、きちんと対し、要求することはハッキリ要求することが必要だ。
 生徒とベタベタして、ものわかりよく対応していたのでは、生徒におしつけることなどできはしない。
 権威は、親や地域社会の支持が不可欠である。
 子どもの危機的な現状を率直に親にぶっつけ、親と手を結んで子どもを育てるという方向が必要だ。
 以上の原則をもとに、学校の現状を冷静に把握し、自分としての戦略を立ててみよう。
 そのうえで、具体的な場面でどのような叱り方をすべきかを考えるのだが、これは個々の教師が、その場その場で生みだすしかなく、マニュアルに頼るなどできることではない。
 学校は、基礎的な学力や社会的な生活習慣を生徒に身につけさせて、一人前の人間として社会におくりだす。これが教師の役目なんだからね。
 たとえ生徒が嫌がっても、押しつけて教えなきゃいけないことはあるんだ。
 昔は、親も地域の大人たちも、
「おまえらは、まだまだ未熟なんだから、学校で頑張っていろんなものを身につけなきゃ大人になれないぞ」
「学校は家や町中とは違うところなんだ。嫌なことも我慢しなければならないよ」
「学校へ行ったら先生の言うことを聞くんだぞ」
 そういう地域の力に支えられ、教師の権威もその上に成り立っていた。
 その後、高度経済成長で、近所づきあいや地域のつながりがなくなり、地域が崩壊して、一軒一軒の家庭が孤立してしまった。
 子どもの教育の関心も「しつけ」よりも「進学」になった。
「学校にさえ行ってくれれば、嫌なことはしなくていい」と親が子どもに思うようになった。
 教師の権威も低下した。
 その後、マスコミの学校たたきが始まった。
 生徒の自由・人権を尊重しろ、生徒も教師も平等だ。
 学校のあらゆる教育活動を攻撃した。
 これで、教師たちは生徒を叱ることもできない状況に追い込まれていった。
 生徒の間にも「嫌なことなら、教師の言うことなんか、べつに聞かなくてもいい」という雰囲気が広まった。
 そして現在、日本の学校が完全に崩壊しないで何とかもちこたえているのは、真面目にコツコツやっている教師が日本中にいっぱいいるからだ。
 授業中に生徒が騒げば、根気よく注意するし、掃除しない生徒には「しっかりやれ」と叱っている。
 生徒がゆうことを聞かなくても、最後まで頑張って立ち向かっている教師に支えられている。
 今や、教師の力だけでは通用しなくなってきている。どうにかできるわけがない。
 授業中のおしゃべりを注意すれば「私だけじゃない、先生が命令する権利があるのかよ」と言う生徒もいる。
 みんなで取り組むことも、年々難しくなってきている。
 昔であれば、合唱コンクールでも女子生徒が男子のケツをたたいて、ケンカしながら合唱を作っていったけど、最近の生徒はそこまで、お互いに踏み込まないからね。
 放っておくと、我慢してつらいことに挑戦するなんてこともしない。
 教師が挑発したり、励ましたりしないとね。
 今、生徒たちは「自分のことが一番大事」「好きなことは何をやってもいい」と思ってるわけだよね。
 教育改革の大枠や柱は、政治が決めるわけ。私たち教師が決める立場にない。
 私たち教師にできることは、
「教育改革によって、現場の教師はこんなふうに生徒と対応するようになってきた」
「生徒は、こう変わってきた」
 という実態を、外に向かってアナウンスすることなんじゃない。やらなきゃまずいと思う。
 河上先生は、
「学校と生徒の現状を伝うようと、書けるだけ書いて、チャンスがあれば、テレビや新聞にも出たい」
「それは、やんなくちゃ、いけないことだから」と訴えている。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教師、プロ教師の会主宰、教育改革国民会議委員等を経て日本教育大学院大学教授。埼玉県鶴ヶ島市教育委員会教育長。マスメディアに多数出演し、著書多数)

 

 

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百ます計算は、どのような趣旨で生まれたのか

 百ます計算は、陰山英男先生が百ます計算を活用し、小学生の基礎学力向上に成果を見せたことにより話題となった。
 百ます計算は、縦10×横10のますの左側と上側に、それぞれ0から9の数字をランダムに並べ、1けたの数字の足し算、かけ算などのスピードアップを競う。
 教育現場に登場したのは1960年代。考案者は、神戸市で40年間の小学教師経験のある岸本裕史先生だ。
 68年の学習指導要領改訂で「詰め込み教育」が進み、岸本先生は「授業についていけない児童が多数出る」と、百ます計算を授業に組み込んだ。
 百ます計算のブームは、兵庫県朝来町立山口小学校の異変がきっかけである。
 岸本先生は、
「山口小学校は数年に1人程度しか有名大学進学者がなかった。ところがこの10年間、同小で百ます計算など反復トレーニングを集中的に実践。毎年、2割程度の難関大学合格者が出るようになった」と説明する。
 東北大学未来科学技術共同研究センターの川島隆太教授は、
「百ます計算や音読のときは、脳全体に血流が集まることが実験で明らかになった」
「小学生時に訓練された計算力や言語能力、記憶力、認知力は一生残る」と指摘。
 しかし、教育界には、小学生時の単純な反復訓練が大学受験時まで効果があるのか疑問視する声も多い。
 元教師の家本芳郎は、
「小学生の時につけた学力が、簡単に壊れることは長年の中学校教師経験で知っている。計算能力と考える知能は全く別ものだ。受験の学力を本当の学力と定義しているのが間違い」と言う。
 さらに、教師がストップウオッチ片手に子どもを競わせるスタイルも問題という。
 家本先生は、計算が早ければ偉いという一元的価値観を植え付け、受験戦争につながる。小学生の段階で、人との協調性より競争心を育てるのは時期尚早である。
 実は、百マス計算の生みの親の岸本先生も、考案の目的は受験対策ではなかった。
 詰め込み教育の、落ちこぼれ対策が出発点だったというのだ。
 百ます計算の利点は、勉強が苦手な子どもでも全問正解できる。
 自信をつけさせてくれた教師に、子どもは「先生、今度は何をすれば賢くなれるんや」と聞いてくる。
 理想論では、子どもたちは救えないと。
 教育界の百ます計算の批判に対し、岸本先生は、
「反復学習を批判するのは、自身が高学歴者ばかりじゃないか」と一蹴する。
「全国で学級崩壊どころか学校崩壊にまで広がっている危機的状況をみて、どう思うのか」
「子どもの能力を引き出すのは、子どもに基礎学力がある場合だけだ」
「勉強が分からないから、学校が楽しくなくて、荒れる子どもたちの悲しみが分かっていない」
 と反論する。
 競争が子どもの人格形成に悪いという意見については、岸本先生氏は、
「競争が駄目なら、運動会の徒競走で順位をつけるのも、コンクールで表彰するのもやめなければいけない」
「競争があってこそ、努力して成長できる」と言う。さらに、
「百ます計算で競争する相手は、友だちはなく、レベルが低かった過去の自分」
「教師が『よく頑張った』と褒めることで、みんなも祝福し、教室の雰囲気がよくなる」と。
(岸本裕史元:1930-2006年、神戸市生まれ、元小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)」(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)代表委員)

 

 

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