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社会が変わり、教師がものわかりのいい、やさしい態度で接すれば、生徒はおしゃべりをやめない、それでは学校は成り立たない、どうすればよいか

 河上亮一先生は、1966年に中学校の教師になった。
 河上先生は、戦後の民主教育を受け、生徒をのびのび自由に育てたい、ものわかりのいい教師になりたいと思って教師になった。
 だけど、それでは学校は成り立たない。
 授業中、ものわかりのいい、やさしい態度で接すれば、生徒はおしゃべりをやめない。掃除だって放っておけば生徒はやろうとしない。
 現実には、教師が怒鳴って、生徒をむしやりやらせなきゃいけない場面がいっぱいでてくる。
 叱って育てる教育は必要不可欠であるにもかかわらず、日本の社会はそれを軽視している状況にある。状況は相当に深刻である。
 叱ることが大切だからといって、むやみに叱っても混乱するだけだ。叱るには、覚悟と戦略が必要なのだ。そのためには、
(1)学校の「大わく」をしっかり固める
 まず、学校は家庭や社会と違うことを、生徒にはっきりと示す必要がある。
 学校は生徒に基礎的学力、生活の仕方、人とのつきあい方を身につけさせ、一人前の国民にするところで、生徒はそのために来ているのだ、ということを示すことである。
 「おしつける」ところと、生徒が「大枠のなかで自由に活動するところ」をハッキリわけて生徒に示すことが大切なのだ。
 このことについて、教師の間に共通認識をつくることが出発点である。
 教師の間に共通認識をつくらなければ、教師が個人的にどんなに頑張って叱っても、トラブルになるだけで、ほとんど意味がない。
(2)教師と生徒の関係をハッキリさせる
 学校は、基本的に生徒が教師の言うことをきき、教え教えられるという関係が成立しなければ何も始まらない。現在、この根本がくずれているのである。
 やさしい、ものわかりのよい教師など論外だ。
 生徒との距離をとり、クールに生徒に接することを基本とすべきだ。
 べたべたと生徒にくっついていたら、叱ることなどできはしない。
 教師自身が自分の仕事を誠実に行うことが必要だ。
 例えば、いつも時間にルーズな教師が、生徒のチャイム着席を叱ることはとても難しい。
(3)教師がみんなで同じように叱る
 家庭でもほとんど叱られたことがない子どもが相手である。
 教師たちが共通の原理をハッキリ示して、同じような場面で、教師がみんな同じように叱ることが大切だ。
 教師がバラバラでは叱ることなど無理である。
(4) 学校の役割や目的は、学校生活では必要なことであることを生徒に訴え続ける
 学校を成立させる必要から、学校の役割や目的を生徒におしつけることだ。
 例えば、学校の役割や目的である授業をしっかり受ける。掃除をしっかりやる等である。
 クールに、ていねいな言葉でハッキリ叱ることが大切だ。
 それに違反したからといって、人間として悪いということではない。
 道徳的ではないからだ。生徒の内面には立ち入らず、外側だけを規制するということだ。
 言うことをきかない悪い生徒だと、ヒステリックに叱れば生徒と泥沼におちいる。
 だから、納得させようといろいろ説得すると混乱し、最もまずいことになる。
 教師はこの区別をきちんとしていない。ここが落とし穴である。
 守れない生徒がでてくるのは当然のことである。
 学校生活では必要なことであり、それを守らないと学校の目的が達成できないから努力してほしい、ということをしつこく言い続けることである。
 生徒との根くらべと考えていい。できれば全教師が一致して要求し続けるほうが効果が大きい。
 教師と生徒の力関係に左右されるので、時と場合によって戦術を立てる必要がある。
(5)人間の生き方にかかわる「道徳的なこと」について叱る
 人と人とのつきあい方について、叱らねばならないことがでてくる。いじめについてもこの分野に関することである。
 しかし、これは教師が子どもと人間として向き合うことになり、かなり難しいことである。
 叱る教師の人間的な力量が試されるからである。
 つまり、権威がなければ無理なのだ。
 教師は自分の人間の大きさをじゅうぶんに自覚したうえで叱らねばならない。
(6)すべての生徒を同じように差別をせずに叱る
 子どもは「えこひき」を最もいやがる。なかなか言うことをきかない子どももいる。
 すべての子どもに対して、同じように叱るのはエネルギーと根気がいる。仕事だと思って根気よくやることだ。
 ただし、力のある教師であれば、叱り方にバリエーションをつけるとよい。
(7)叱るということと、言うことをきかせることは別
 これをゴッチャにしている教師が非常に多い。
 叱るとは、学校としてのサインをハッキリだすということである。
 サインをだし続けることに徹する必要がある。
 言うことをきかせるためには、ある種の力が必要なのだ。
 教師個人として生徒に言うことをきかせるには、権威というものが必要である。
(8)教師が自分で権威をつくる
「子どもが教師を信頼すること」が権威のよりどころである。
 教師としての仕事をハッキリさせ、それを誠実に実行していくことが大切だ。
 難しいことだが、自分で権威をつくるしかないのである。
 生徒に言うことをきかせるためには、教師として生徒の前にしっかり立つ必要がある。
 生徒と距離をとり、ていねいな言葉づかいで、きちんと対し、要求することはハッキリ要求することが必要だ。
 生徒とベタベタして、ものわかりよく対応していたのでは、生徒におしつけることなどできはしない。
 権威は、親や地域社会の支持が不可欠である。
 子どもの危機的な現状を率直に親にぶっつけ、親と手を結んで子どもを育てるという方向が必要だ。
 以上の原則をもとに、学校の現状を冷静に把握し、自分としての戦略を立ててみよう。
 そのうえで、具体的な場面でどのような叱り方をすべきかを考えるのだが、これは個々の教師が、その場その場で生みだすしかなく、マニュアルに頼るなどできることではない。
 学校は、基礎的な学力や社会的な生活習慣を生徒に身につけさせて、一人前の人間として社会におくりだす。これが教師の役目なんだからね。
 たとえ生徒が嫌がっても、押しつけて教えなきゃいけないことはあるんだ。
 昔は、親も地域の大人たちも、
「おまえらは、まだまだ未熟なんだから、学校で頑張っていろんなものを身につけなきゃ大人になれないぞ」
「学校は家や町中とは違うところなんだ。嫌なことも我慢しなければならないよ」
「学校へ行ったら先生の言うことを聞くんだぞ」
 そういう地域の力に支えられ、教師の権威もその上に成り立っていた。
 その後、高度経済成長で、近所づきあいや地域のつながりがなくなり、地域が崩壊して、一軒一軒の家庭が孤立してしまった。
 子どもの教育の関心も「しつけ」よりも「進学」になった。
「学校にさえ行ってくれれば、嫌なことはしなくていい」と親が子どもに思うようになった。
 教師の権威も低下した。
 その後、マスコミの学校たたきが始まった。
 生徒の自由・人権を尊重しろ、生徒も教師も平等だ。
 学校のあらゆる教育活動を攻撃した。
 これで、教師たちは生徒を叱ることもできない状況に追い込まれていった。
 生徒の間にも「嫌なことなら、教師の言うことなんか、べつに聞かなくてもいい」という雰囲気が広まった。
 そして現在、日本の学校が完全に崩壊しないで何とかもちこたえているのは、真面目にコツコツやっている教師が日本中にいっぱいいるからだ。
 授業中に生徒が騒げば、根気よく注意するし、掃除しない生徒には「しっかりやれ」と叱っている。
 生徒がゆうことを聞かなくても、最後まで頑張って立ち向かっている教師に支えられている。
 今や、教師の力だけでは通用しなくなってきている。どうにかできるわけがない。
 授業中のおしゃべりを注意すれば「私だけじゃない、先生が命令する権利があるのかよ」と言う生徒もいる。
 みんなで取り組むことも、年々難しくなってきている。
 昔であれば、合唱コンクールでも女子生徒が男子のケツをたたいて、ケンカしながら合唱を作っていったけど、最近の生徒はそこまで、お互いに踏み込まないからね。
 放っておくと、我慢してつらいことに挑戦するなんてこともしない。
 教師が挑発したり、励ましたりしないとね。
 今、生徒たちは「自分のことが一番大事」「好きなことは何をやってもいい」と思ってるわけだよね。
 教育改革の大枠や柱は、政治が決めるわけ。私たち教師が決める立場にない。
 私たち教師にできることは、
「教育改革によって、現場の教師はこんなふうに生徒と対応するようになってきた」
「生徒は、こう変わってきた」
 という実態を、外に向かってアナウンスすることなんじゃない。やらなきゃまずいと思う。
 河上先生は、
「学校と生徒の現状を伝うようと、書けるだけ書いて、チャンスがあれば、テレビや新聞にも出たい」
「それは、やんなくちゃ、いけないことだから」と訴えている。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教師、プロ教師の会主宰、教育改革国民会議委員等を経て日本教育大学院大学教授。埼玉県鶴ヶ島市教育委員会教育長。マスメディアに多数出演し、著書多数)

 

 

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