子育ての原点は安心感、親の愛は自立への出発基地、自然に育っていく子どもの力を信じ、家庭の機能を生かそう
斎藤慶子臨床心理士は、医療という場を中心に、長いことたくさんの方々と継続的なかかわりを持った。
ちょっと見には同じような子どもの実態でも、その背景は実に多様でした。
けれども、あわてずていねいにときほぐしていくとき、いくつかの軸をもって検討していくと、必ず打開への糸口が引き出されていきます。
実は子どもの暮らしに起こる、小さな一こま一こまが「自ら育つ営み」の資源となっていくのです。
なにが子どもの不安を表している事柄なのか、子どもが大人になっていく自分に誇らしさを実感して満足するのはどのような経験からなのか、その実感が未来の自分にどのようにつながっていくのかは、子どもが自ら育つ営みの資源となっていく。
子育てで、なにごともなく通り抜けられるはずという親の思いこみの中で、おもいがけない苦労を親が経験する。
親が共通する苦労は、まわりの子どもたちとの摩擦、子どもへのじれったさ、先の見通しが見えない不安などである。
なにか予想外の困難に遭遇したときに、ともするとだれか一人を悪者にして処理しようとする親自身の防衛反応が起こる。
たとえば「子どもがいうことを聞かない」「教師が冷たい」などと、責任を逃れるための楽な言い訳を見つけようとする。
子どもに対して大人が禁止や指図による働きかけにとどまってしまうと、子ども自身の自発的な動きはなくなり、成熟への手がかりも損なわれていく。
ものごとの善し悪しに親が強くこだわらずに、ゆるやかな姿勢で子どもを見守る中から、子どもたちは息を吹き返し、よりよい適応に至っていく。
子どもは「自ら成長し変わっていく」という発達のしくみがある。
子どもを理解し、対応の指針が見えてくれば、親と子どもの関係が「親が変わることによって子どもが変わる」関係へと変化していく。
子どもが自ら成長し変化していくことを信じ、注意深く見いだしていこうとする親の態度を、子どもたちは求めている。
家庭でなければならない機能とはどのようなことが期待されるのだろうか。
「やすらげる」「巣ごもれる」「さ迷える」「羽ばたける」「巣立つ」これらの言葉が、家庭という場に求められる働きなのではないだろうか。
「やすらぎ」は、生命の安全が保障される営みが主流の乳児期は、まさにやすらぎの意味が大きい。
「巣ごもり」は、家庭の外で仲間や先生とのつき合いで自分を発展させていくが、自分が自分そのものと向き合って、なにかをする営みは、まさに巣ごもりであろう。
「さ迷い」は、家庭の中で無為に過ごしているのではなく、本を読んだり、ものをつくったり、一人になれるときに得るものがある。家庭でなんらかの模索、さ迷いが続いているのである。
「羽ばたき」は、まわりとのかかわりから、自分の在り方を揺さぶられて起こる、迷いを静かに暖め直し、新たな吟味を始める場でもある。
「巣立ち」は、自立への試みをする基地でもある。
そのひとつひとつには、親や兄弟姉妹とのかかわりから得た智恵や力が働いていく。
親が子ども時代の失敗を語るのもよい。
少なくとも時間に追われている生活を、露骨に子どもにぶつけないように加減をすることが保障されていれば、子どもは家庭に満足する。
そのうえで、基本的なしつけは、人格の成熟を助ける手だてのひとつとして、おりにふれて関心を向けるようにしたい。
「しつけ」とは、人々が集まって暮らしていくのに、お互いに認め合い、許せる基準を持てるようにしていくことである。
その結果、人と調和して暮らしていける安定した情緒が発達していくのである。
相手を思いやる気持ちを持たせるのは、家庭ならではの役割であろう。
同時に、あいさつは強制的に子どもに言わせようとする前に、大人がいつも言っている雰囲気が大切である。
社会の基本となる機能を持っている家庭生活で、お互いに尊重し合うことを大切にしていこう。
子育てに失敗しないためには「ふだんの生活の中で子どもが安心感を回復していく」ことこそ、子育ての原点であると言い切れるのではないだろうか。
親よりもはるかに小さく、弱く、力のない子どもが、実はいつも大きい問いかけやメッセージを送っているのではないだろうか。
日常生活で子どもが安心感を回復するには、「やさしさ」に基づく親の援助が必要である。
その「やさしさ」にはいくつかの側面があって、
「ひたむきさ(一貫した関心)」
「しなやかさ(柔軟性)」
「あたたかさ(感受性)」
「確かさ(かかわりながら観察し、蓄積された事実に基づいた判断:客観性)」
「さりげなさ(日常性)」
が考えられる。
安心感が子どもによみがえっていくことが子どもに幸せをもたらす。かかわる大人たちにも幸福をもたらす楽しみがある。
子育てで、親が自らもいつのまにか人間がひとまわり大きくなっていく喜びを味わいたい。
親しい人々との間柄を考えてみると、その人のそばにいることが安らぎになり、ゆとりを取り戻す。
親しい人々がいないと寂しく感じ、いるとさわやかな満足があるといった間柄ともいえる。
子どもが欲しいもの、食べたいものを充足するのが本来の愛の姿ではない。
子どもには子どもなりの世界がある。
やっかいでも子どもが必ず通らなければならない道筋を、外れないように見守るという親の包容力が、こどもにとっての最高の愛の保証ではないかと考えてみたい。
大人の常識からすれば、大人が普通に進んでいる道を子どもに譲らなければならないことがおきる。
大人にとっては多くの無理が生じるであろう。
しかし、こどもにとっての意味を考えて、快く「どうぞ」と道を開いてあげるために、大人たちは大人にとって考えにくいことをたくさん考える努力をしてほしい。
きっとその努力は、のちに子どもから親への「思いやり」という最高のプレゼントをもたらしてくれるはずです。
愛とは、大人の弱みを正直にさらけ出せる生活態度にはぐくまれる部分が少なくない。
愛や親密さは子どもにとって自立への巣立ちの出発基地である。
(斎藤慶子:1935年東京都生まれ、武蔵野赤十字病院、戸田病院で心理臨床に取り組む。障害児保育、病児の教育、ターミナルケア、老人問題、メンタルヘルス、精神障害者のケア、青少年の暮らせる場づくりなどの活動に関与)
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