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自分のことばや声を通して自分の身体に気づき、子どもを感じ取れる身体になるにはどうすればよいか

 自分のことばや声を通して自分の身体に気づくと、子どもを感じ取れる身体になると鳥山敏子先生は述べています。
 身体に気づくというのは、むずかしいけれど、何年かかけてやっているうちに、ある日「ああ、こういうことだったんだ」と気がつきます。
 鳥山先生は以前、竹内敏晴(演出家。演劇的レッスンを主宰)さんの「からだとことばのレッスン」で、大きなショックを受けました。
 竹内さんは次のように述べている。
 話しかけるとは、ただ声が音として伝わるということではない。
 声とは、聞き分けていると、単に空気の疎密波であるといわれるような、抵抗感のないものではないことが実感される。
 声は、肩にさわった、とか、バシッとぶつかった、とか、近づいて来たがカーブして逸れていった、というような感じのからだへの触れ方をする。
 声はモノのように重さを持ち、軌跡を描いて近づき触れてくる。生きもののようにと言うべきであろう。
 声が相手に届くには、声の大きさではなく、相手に届ける発声が必要である。
 身体で感じたままの感覚を大事に、声を相手の身体に届かせる。
 他人とのコミュニケーションの前に、自分とのコミュニケーションが先ず出来ているかを問う必要がある。
 知らず知らずのうちに身についてしまった、形式的なコミニュケーション、不自然な習慣。そういったものに気づき、人との自然なかかわり合い方が求められる。
 ことばは身体の反応に呼応している。自信がないとき、声は小さく下向きになってしまう。
 身体に気づき、声に気づき、自分に気づくこと。
 竹内さんのレッスンは、基本的には、自分がどんな声を出しているか、自分のことばや声を通して自分に気づくレッスンです。
 自分が喋っているつもりでいるけれど、本当に話しているのだろうかということですね。
 他者に向かって喋っているのか、自分自身に向かって喋っているのか。
 自分の出している言葉は「本当に自分の話したいことなのか」それとも「儀礼的にやりとりしているだけなのか」という、自分の声に気づく、自分の言葉に気づくレッスンです。
 声を手がかりにして、自分がどういう人間であるか、どのような身体なのかということに気づいていく。
 身体のゆがみに気づいていく。自分では声を出しているつもりでいても、声になっていないということが起きているわけです。たとえば、
 声が上ずっているとか、
 本来はトーンが低いのではないかとか、
 息が出ていないとか、
 力が入りすぎて脱力できていないとか、
 脱力しすぎて腰がしっかりしていないとか、
 そういう声や言葉、姿勢、呼吸などを通して、自分の心の声、叫びに気づいていき、自分を取り戻し、自分を創りあげていく、レッスンです。
 自分で自分の体に気がついていくということは、人に言われても、なかなか容易ではありません。
 自分では出したつもりの声でいても、安定した声になっていないのです。
 身体に気づくというは、自分自身に正直になるということです。
 それは子どもを育てるときにも役立つ、大切なことです。
 子どもが親や教師に何を言おうとしているのか、ということを感じ取れる身体になる。
 それがないと「こうしなさい、ああしなさい」と、言うだけで、それがどのように子どもに響いているのか、感じ取れない親や教師になってしまいます。
 子どもが何を表現しようとしているのかということを感じ取り、子どもの表現を受け入れられる身体になる、ということですね。
 子どもはなかなか言葉で表現しませんから、子どもの様子から親や教師が感じ取ることが、まず必要なのです。
(鳥山敏子:1941-2013年広島県生まれ、30年にわたって東京都公立小学校で教え、子どもの身体と心に生き生きと働きかける革新的な授業を展開。1994年「賢治の学校」を創立。自分自身を生ききるからだの創造を目指した)

 

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