甘やかされて育った子ども、愛情がなく、殴られて育った子どもは、どのような子になるか
子どもをふつう以上に甘やかして育てた場合、暴力を生む母体にもなるのです。
甘やかされるというのは、本来その子どもが自分でやるべきことを大人がすべて手伝ってやってしまう。
子どもの判断でなく、大人が判断してやってしまう。
したがって、歳相応の判断力がついていないのです。
子どもが欲しいといえば、なんでも要求に応じて、買い与える。
つまり、子ども自身が幼児期から、自分の手・足・体などを使って、成長のための自然な日常生活をしていない。
自分の力を発揮した、経験が少ないのです。
甘やかされて育ち、勉強でも体育的なことでも自己主張できないとき、強いものの形をかりてツッパリで自分を主張しようとします。
そのような甘やかした育てかたをすることで、子ども自身の判断力や研究心が育たないと同時に、自分でものごとに挑戦をしてみる気力もなくなってしまうのです。
いろんなことを判断する習慣を自分の経験として、少ししか持っていないのです。
したがって、子どもの判断力は幼児的です。
感覚や感情が育っていないので、思いがけずに大きな犯罪的なことを起こすことになります。
お母さんが、うちの子どもは気が弱いからとか、うちの子は他人に引きずられやすいなどと、いう子どもたちは、子どもが自分でするべき生活をいつもお母さんが手伝ってやってしまう、甘やかして育てたせいです。
小さいときから自分で判断する習慣の中で育てられた子どもは、一時的に迷うことがあっても、最終的には、自分の判断力で立ち直ることのできる子どもに育っていくものです。
幼児期には、そのときどきにふさわしい自分の意志で決めた行動をさせて、判断を任せることが大切です。
そうすることによって、子どもなりに自分の心で損得の確認をします。
その体験をずっと続けないと、普通の感情を持った大人に成長できないのです。
つまり、子どもの発達段階に応じて、自分のしたことへ責任を持つことを知るようになるのです。
それをとかく親はやらせない。
子どもが自分の手を使ってするべきことを、親のほうでやってやり、それが親の愛情だと考えちがいをしています。
自分で責任を持たせないから、どんなときに、どんな我慢をすればよいか、感覚的に理解することができなくなってしまっているのです。
だから子どもなりの我慢が身につかないまま大人になってしまう。
倒れたら自分で起きあがるような、自分に責任を持った生きざまを、親は子どもにやらせなければならない。
不登校の子どもの親と話し合って感じることは、親が甘いというか、子どものいいぶんだけを聞く、親自身の弱さがめだつことです。
子どもが不登校になる一つの原因は、親が子どもの行動を管理することにあるのです。
行動のみならず、子どもの心までも管理してしまっては、子ども自身の判断力がなくなってしまうのも当然といえます。
子どもにすれば自分の判断ではないので、自分の失敗は当然、親のせいにします。
子どもは親を困らすことで、ふだん管理されていることへ、復讐しようとする。
その手段で一番てっとり早く、効果のあるのは不登校というわけです。
子どもの自由な心を縛って親の思うような方向へと子どもを管理しても、子どもは納得していません。
そこで、子どもが思春期を迎え、自我が芽生えると、親との戦いがはじまるのです。
毎日の生活で、愛情がないと子どもの心は横道にそれやすい。
非行の子どもの小学生時代のことなど調べますと、必ずといってよいほど家庭が不安定なんです。
子どもが非行に走るには、周囲にいる大人に対して、非常な不信感を持つようなことが、過去に何回もあり、それも1年や2年のことではなく、長いあいだの積み重なりです。
それだけに、思春期になってから直そうとすれば、大変な時間と犠牲が必要なのです。
ある場合には、命にさえかかわってしまうこともあるのです。
大部分の大人は、子どもが、自分たち大人を、小さくしたような人間であることを望んでいるのです。
絵でいえば、親は自分の子どもが、大人の描くような上手な絵を描くようになることを望んでいる。
いい絵というのは、その子ども独特の、技術、方法があり、工夫があると思います。
自分で工夫して描いてみてはじめて、こうやればうまくいくんだなあ、という発見や、自分が塗る一色一色に、手応えや感動があることを、見つけているのです。
それでこそ、子どもが一生懸命になれるし、絵を描くことが面白くなるといういい循環になってくる。
こうした心の動きによって描かれたものが、いい絵といえるのです。
大人を小さくしたのが子どもである、というのは間違いである。
ということは、誰でも知っていることです。
子どもは自分自身の生活体験の中から発見して、いろいろなことをやっている。子どもは大人とちがった感覚を持って生活し、工夫しているのです。
絵を描く場合も、大人の描く絵とはちがう、ということをはっきり認めてやるべきなのです。
子どもは子どもであって、大人のミニチュアではないんです。
どんな子どもでも、必ずといっていいくらいに、問題を持っているものです。
ほとんどの子どもは、どこか少しは曲がっている。
けれども、みんな自分と戦っているのです。
たとえば、ある小学生の子どもがスーパーで万引きしてしまった。
それはそのときの家庭環境を含めて、子どもの精神状態が、なにかを持ってこざるをえない状態だったからです。
子どもの心にも耐え切れない、ひどい環境に追い込まれているので、非行的なことまでしなければ心の健康を取り戻すことができない。だからやるんです。
毎日の生活の中で、親からの愛、先生からの愛、友だちとのあいだの友情が十分でないと、子どもの心は横道にそれやすいのです。
親に殴られて育った子どもは、将来他人を殴るようになりますし、弱い者いじめをやるようになります。
親が子どもを殴ることによって、その恐怖で子どもを育てようとすれば、彼は自分より弱い対象を見つけて、自分が受けた圧力を発散させようとします。
こうして、いじめられた子どもが、こんどは自分の番がくれば、弱い者を目標にしていじめ返す。
自分が殴られた恐怖によって生まれた憎しみを我慢する知的な力があれば、他人をいじめることを抑えられます。
ところが、殴られて育った子どもは感情が幼児的なので、知的な我慢をすることができない弱さがあるのです。
(高森 俊:1932年千葉県生まれ、1952年創造美術教育協会に入会。ホーマレイン「親と教師に語る」により子どもの心理を学ぶ。中学校の美術教師となり、幼児から大人までの絵にあらわれる心の研究を続ける。1993年退職。講演活動、子どもの絵を見ながらの子育て相談、著作活動などを続ける。児童美術教育研究所「小さな原始人」主宰)
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