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いじめられ、自殺を考えた成績がオール1の生徒が有名大学に合格し高校教師となった、その経過とその思いとは

 宮本延春先生は、小学生時代に酷いいじめを受け、勉強も学校もすべてが嫌いになり、九九もいえない「オール1」の落ちこぼれになる。
 中卒で見習い大工として就職。16歳で母親を、18歳で父を亡くし、兄弟も親戚もなく天涯孤独の身となる。
 23歳の時、偶然アインシュタインのビデオを見て、物理学に興味を持ったことから勉強を始める。
 24歳で定時制高校に入学。27歳で名古屋大学に合格し、母校の高校数学教師として、生徒たちと正面から向き合う毎日を送っている。2007年、内閣教育再生会議有識者メンバーに選抜された。
 宮本先生は、小学校2年生の時に些細な事件をきっかけに嫌がらせを受けるようになり、それがだんだんとエスカレートするようになった。
 毎日のように無視や暴力など、陰湿ないじめを受け続けているうちに勉強に身が入らなくなり、いつのまにか落ちこぼれてしまった。
 先生も両親もそんな宮本先生を救う術を知らず、中学1年生で最初にもらった成績はオール1。
 いきなり突き飛ばされ、鼻血が出るまで殴られ、ものを隠され、無視される…。
 学校での壮絶ないじめは、幼い宮本先生を精神的にも肉体的にも傷つけた。宮本先生は自殺を考えた。 
 いじめられないために習いはじめた少林寺拳法で、初めて自分に自信を持てた。
 職業訓練校を経て、16歳で大工見習いとして就職するものの職場に希望を見いだせず、好きな音楽を生業とするためにフリーターとなった。
 はじめて親身になってくれた大人と出会った建築会社への就職。
 少林寺拳法を通じて後に妻となる女性と出会う。その彼女から手渡されたビデオで「アインシュタインの相対性理論」を知り、物理に強い興味を抱くようになった。
 そこで、宮本先生は1年間で小学校3年生から中学校3年生までの勉強をし、24歳で定時制豊川高校に入学し、必死の勉強の後、27歳で難関といわれる名古屋大学に合格し、大学院を経て母校の豊川高校に数学教師として赴任した。
 宮本先生は、
「絶望の淵をさまよった自分でも、人との出会いの中から生きる目標を見いだし、それに向かって努力、邁進することができた。その事実を知ってもらうことで、自分に自信が持てない子どもたちに勇気を与えたいと思った」
「確かに私は特殊な半生を歩んできたとは思います。しかし、教師として生徒に対峙する真摯さにかけては誰にも負けないつもりです」
 全国各地の講演に招かれ、自身のいじめ体験や教師となるまでの苦労話をする際にも、
「こうすべきだという教育論へと展開するのではなく、淡々と自分の経験や感じたことを語る中から、何かを感じてもらえば十分だ」という。
「自分がそうだったように、子どもの視野はとても狭いものです」
「学校でいじめられれば、世界のすべてが地獄のように思える」
「ほんの少しつまずいただけで、自分が本当に駄目な人間のように思えるんです」
「大人は、少なくとも子どもよりは世の中を知っているはず」
「ですから、先人として『大丈夫だよ』『きっとできるよ』『逃げたっていいんだよ』とメッセージを伝え続けることは大人の義務だと思うんですよ」
 宮本先生は「○○すべき」と断定的に正論として伝えるのではなく「こんなことがあった」「こんなふうに感じた」と自らを主語に、事実だけを淡々と語り、その上で、自分に置き換えたときの可能性を「感じてもらう」ことができれば本望と思っている。
「なりたいものがないといっている子どもだって、まだまだ目標となる可能性のあるものが、彼らの視野に入っていないだけなんです」
 迷い苦しみ続けた青少年時代を経て、そして今度は教師という導く立場に立って、宮本さんは改めて「大人の役割」の在り方とその大切さを痛感しているという。
 学校では壮絶ないじめに耐え、家庭では父親の暴力におびえる。その中で自分に自信をなくし「自ら物事を解決する力」を奪われていたという宮本先生が、そこからどうやって自らの足で立ち直ることができたのか。
 宮本先生は、その問いに対してまず「目標を持つことができたこと」をあげる。
「私が生まれて初めて持った目標は、少林寺拳法を習って強くなることでした」
「情けなくも『いじめられたくない』という一心からきたこと」
「しかしそれだけなら、なかなか上達しないことにしびれを切らして、やめてしまったかもしれません」
「でも『なかなか飲み込みがいいね』『がんばり屋だね』と誉めてもらうのがうれしくて」
「道場に通い始めた唯一の友人の存在もあって、続けていくことができました」
 大人にしてみれば、ごく些細な成功体験に過ぎないが、宮本先生にとっては大きな一歩だった。
 目標なく努力し続けることは、人間には難しいもの。
 憧れることは簡単だが「やればできるはず」という確信を持ち、実現しようと努力してはじめて「目標」となる。
 成功体験がなく、自分に自信が持てない子どもは、たとえ何かに憧れたとしても、あきらめてしまう。
「私自身も自信のない子どもでしたが、師範や友人の励ましがあったからこそ厳しい少林寺拳法の練習を続けられたわけです」
「意志が弱くても、周りの励ましがあれば、続けられる」
「人に助けられながらでも『やりとげることができた』という自信が生まれれば、次の目標に走り出すための原動力になるはずです」
「そう、それが成長するということでしょう。私も少林寺拳法に打ち込んだ結果、いじめられっ子には変わりがありませんでしたが、小説を読んだり、音楽に親しんだり、新しいことに対する好奇心が生まれてきたのです」
 しかし、技術と音楽が2、あとはすべて1の成績では高校進学は無理。教師に勧められて大工見習いとなったものの、親方の理不尽な扱いに疑問を覚え、職場での「目標」を見いだすことができなかった。
「目標のない人生を生きていかなくてはならないのか、1週間部屋に閉じこもって自問自答しました」
「それで考え抜いた末に『やりたいことをやって死にたい、やらずに後悔するより、夢に到達できなくてもやった方がいい』と思ったのです」
「母は亡く、父は入院中という不安定な時期でしたが、迷いはありませんでした」
「結果、大好きだった音楽の道を目指して仕事を辞め、アルバイトでわずかな収入を得るだけで、雑草や蟻を食べたほどの貧乏生活でしたが、精神的には充実していましたね」
 宮本先生は、その後、短期のアルバイトのつもりで就職した建設会社で、社長をはじめ親身になってくれる人たちと出会い、人に求められ、役に立ち、認められるという「働くことの楽しさ」を知ることになった。
 結局、人は「目標」がなければ生きてはいけない。そして、人は敬愛する人々との出会いや、ふれあいの中で成長する。子どもの頃のむなしさが何であったのか、宮本さんは身をもって実感したのである。
「『がんばれ』『やればできる』という言葉は、落ちこぼれには届きません」
「そもそもどうがんばっていいのか、どうやればいいのかわからないわけですから」
「また、どんなにやる気があっても、方法がわからなければ疲弊してしまうでしょう」
「建築会社では、孤独だった自分を家族のように受け入れてくれて、どうすれば役に立てるのか明確なアドバイスをしてくれた」
「そして、がんばったことに対して評価してくれたからこそ、働く楽しさと成長の喜びを実感できたのだと思います」
 仕事は充実し、少林寺拳法を通じて恋人もでき「このままこの会社で一生働いてもいいな」と思っていたある日のこと、宮本さんは新たな「師匠」と出会うことになる。
 のちに妻となる恋人に手渡されたドイツ出身の理論物理学者アインシュタインを特集したテレビ番組を録画したビデオだった。
「かけ算も満足にできない男がアインシュタインの相対性理論に感動したのか、と不思議がられるんですが、事実なんです」
「できるだけ数式を使わずに、映像で説明されていたこともあるのですが、自分がこれまで『当たり前』と思っていたことが覆され、新しい世界が広がっていたことに、ただただ圧倒されました」
 それをきっかけに、宮本先生はさまざまな物理の本を読みあさり、数学がわからないために理解ができないことに対していらだちを感じたという。
 そしてそれ以上に、あらゆる世の中の不思議に対して、純粋な興味がわいてくるのを実感した。
「おそらくちゃんと勉強してこなかったというコンプレックスがあったのでしょう」
「生活が充実して、精神的に安定した時、アインシュタインのビデオがトリガーになって『勉強したい』という欲求が吹き出したんじゃないかと思うんです」
「アインシュタインは9歳まで満足に言葉を話せなかったという説もあると聞いて、劣等生だった自分と重ね合わせたりしていましたね」
「いじめがあったから、少林寺拳法と出会い、妻と出会い、アインシュタインと出会えた。学ぶことへの渇望や勉強し続ける根気だって、いじめがあったからこそ養えたのかもしれません」
「あの痛みは決して無駄ではなかった。ある意味、心の成長痛だった
「でも、おそらく過ぎたことだからそういえるんです。決して、子どもたちには経験してほしくないですね」
 しかし、こうした経験があったからこそ「いじめは絶対に許さない」「どんなに落ちこぼれてもやりなおすことができる」という言葉が、真実味をもって子どもたちに届くのではないか。
「その気持ちだけは誰にも負けないつもりです。でも、教師としてはまだまだ未熟者です」
(宮本延春:1969年愛知県に生まれ、愛知県私立豊川高校数学教師)

 

 

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