ユーモア詩の笑いがあってこそ学校に安らぎが生まれ、子育てに悩む親も心が温かくなり子どもが愛しくなるだろう
増田修治先生が、その名を教育界に広めたのは、小学校の教師だったときに始めた「ユーモア詩」でした。
NHK(2002年「にんげんドキュメント 詩が躍る教室』」)で取り上げられ、大きな反響を呼びました。
学校は、教師も子どもも真面目で一生懸命に勉強をするべき場所と思っていないでしょうか。
教師を長くやっていると、教師こそそのように思い込み「学校はこうあるべきだ」「子どもはこうあるべきだ」という考えにとらわれてしまいがちです。
増田先生も、そういう教師になってしまっていました。でも、その思い込みを完全に打ち破ってくれたのが「ユーモア詩」だったのです。
じつは、これは偶然に発見したものです。
増田先生が小学校で4年生の担任をしていたとき、男の子が書いた詩を学級通信に載せたのです。それは「おなら」という詩でした。
「おなら」
だれだっておならは出る。
大きい音のおならを出す人もいれば
小さい音のおならを出す人もいる。
なぜ、音の大きさが違うのだろう。
きっとおしりの穴の大きさが違うんだ。
増田先生はこの詩を見たとき、正直、「ばかじゃないのか」「くだらないことを書いて」と思いました。
でも、事前に「どんな内容でも学級通信に載せる」と約束していたため、載せないわけにはいかない。
この詩を見た子どもたちは15分も笑い転げた。
じつはこの頃、増田先生のクラスは子ども同士の関係があまりうまくいっていませんでした。でも、この詩でみんなが笑い転げている。
そのとき、気づいたわけです、
「子どもたちは、笑ってつながりたいんだ」
「学校にこそ、笑いが必要なんだ」と。
子どもは、うんちやおしっこ、おならの話が大好きですよね。
その子どもたちの「面白い」「楽しい」という感覚に教師が近づかなかったら、子どもたちといい関係が築けるわけがありません。
そうして、はじめたのがユーモア詩でした。ルールはありません。なにをどう書いてもいい。
そして、そのうち、ユーモア詩がびっくりするような出来事も引き起こしました。そのきっかけとなったのが、「弟ってすごい?」という詩です。
「弟ってすごい?」 Aくん
こないだ弟が外を走っていました。
弟が
「ぼく、すごいのできるよ!」
と言いました。
弟は走りながらぼうしやクツも
ぬぎました。
そしてクツ下もぬげて
ズボンもぬげました。
それから弟はぼくに
「まっ、お前じゃできねーな。」
と言いました。
そんなのやりたくねーよ!
これを見て、増田先生はAくんに「面白い、見てみたい」と言いました。
Aくんの弟は当時、保育園の年長さん。
服を全部脱いで裸になって「すごいでしょ?」と自慢げに言う彼を、増田先生は「すごいね、たいしたものだね」と褒めまくりました。
その2週間後、Aくんが「弟が技に磨きをかけたから、また見てほしいそうです」と。
もちろん、見に行きました。今度は服を全部脱ぐまでの時間が大幅に短縮されていた。
増田先生は「もう名人芸だね」と大絶賛しました。
じつは、Aくんの弟は、保育園ではちょっと問題がある子どもでした。
ところが、小学校に入学したらきちんと座って真面目に授業を受けている。
「僕は小学校の増田先生に褒められた、できるはずだ」と思ったそうなんです。
そうして、6年生になったらなんと児童会長になった。
増田先生は、ただ裸になることが早いと褒めただけ。
それなのに、子どもにとってはそれが自信になる。
どんなにばかばかしいことでもいいんです。
「いいよね、面白いよね」と言ってあげることが、その子どもを認めてあげることになる。
大人は、子どもがいわゆる「いいこと」をしたときにだけ褒めます。そうすると、子どもはその「枠」のなかにしかいられなくなる。
自己肯定というのは、「いいこと」のようなプラスのことだけに働くものではいけません。
マイナスのことも含めて、「あなたはそのままでいいよ」と言ってあげなければ、本当の自己肯定感は育たないのです。
ユーモア詩が影響を与えるのは、子どもだけに限りません。親同士、親子の関係も変えていきます。
あるとき、保護者にユーモア詩の感想を寄せてもらったのです。親同士のつながりも深まることにもなりました。
さらには、お父さんと子どもの関係も変わった。共働き家庭が増えているとはいえ、仕事に忙しいお父さんはどうしても子育てはお母さんにまかせがちです。
たまに子どもに学校の話を聞くにしても「どうだ? 頑張っているか? しっかり勉強しているか?」というような内容になってしまう。
もちろん、子どもからすれば面白くありません。
でも、ユーモア詩を目にすれば変わる。「Bくんって面白いな、どんな子なの?」「ところで、おまえはどんなことを書いているの?」と、お父さんが子どもの友だち関係を知り、親子のコミュニケーションをしっかり取れるようにもなるのです。
もちろん、「ちゃんとしたもの」を書こうとしなくていい自由な表現なので、言葉による表現力も格段に上がっていきます。
わたしは作文の指導なんてしませんでしたが、作文の全国コンクールで優秀賞を取る子どもも出てきたくらいです。
ユーモア詩は、家庭ですぐにでもできるものです。詩を例に見せて、子どもに自由に書かせればいいだけ。
ただ「なにを書かれても絶対に怒らない」と約束してあげることがルールになる。
普段の会話ではなかなか出てこない子どもの本音を知り、観察眼や表現力を伸ばすことにもつながるはずです。
クラスでは口げんかがよくあったが、詩を通じて子どもがお互いをよく知るようになり、けんかがなくなったそうだ。
増田先生は「笑うのは点数にならないが、点にならないことは学校から消えつつある。でも、笑いがあってこそ学校に安らぎが生まれる。子どもにとって、いやすい教室にしていきたい」と話す。
かわいくて、おかしくて、ちょっぴり切ないユーモア詩は、子育てに悩むお母さん、お父さんもきっと心が温かくなり、今まで以上に子どもが愛しくなるだろう。
(増田 修治:1958年埼玉県生まれ、埼玉県公立小学校教師を経て白梅学園大学教授。子育てや教育にユーモアを提唱している)
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