« 子どもの「分からなさ」から出発して、子どもの学びをつくる「学び合う学習」とは | トップページ | 「役者」として演ずることは、生きること »

「学びの共同体」の学校改革と、「いのちの授業」を命が尽きるまで子どもたちに伝えた

 大瀬敏昭校長は、新しく創設する浜之郷小学校を「学びの共同体」の理念に掲げて、東京大学の佐藤学教授と共に学校づくりに取り組んだ。
 浜之郷小学校の改革は徹底していた。ひとつは教員の意識改革だ。
 子どもを教え、導くのはあくまで教師である。教師こそが学校の根幹であり、教育の要である。
 「1年に一度も研究授業を行っていない教師は、公立学校の教師と認めない!」と徹底的に教師のスキルアップを断行した。
 それにより、報告書によると年間174回以上も研究授業が行われた。
 研究授業もユニークで、指導マニュアルを持たず、各先生が自由に考えて行った。
 授業を途中でやめても良いし、延々続けても良い。失敗したらもう一度挑戦する。
 授業公開も自由で、参観者も授業に参加しても良いという、かなりフリーな設定だ。
 研究協議という時間を設け、教師全員の発言を原則として、長い時間の討議を何度も繰り返した。
 また授業研究に時間を割くことを優先にし、職員会議以外の会議を禁止した。
 開校2年目に大瀬校長のガンが発覚し「いのちの授業」が始まった。
 大瀬校長は、ガンが再発し、余命わずかと宣告されながら、子どもたちに命の尊さを伝えようと、最後まで教壇に立ち続けた。
 命の終えんをどうやって子どもたちに見せるか。
「やせ衰えていく自分の姿を見せることで命の重みを伝えたい」と、自分の体を教材に「いのちの授業」をはじめた。
「ガン」と、大瀬校長は、黒板に書いて、静かに語りだした。
「校長先生が、がんを手術したことはみんなも知ってるね」
 子どもたちに緊張感が走り、教室は静まりかえった。
「実は校長先生は、がんが再発しました。明日死ぬかもしれない。とても恐ろしくて、怖い。けれども、お医者さんの指示に従ってがんと闘っています」
 大瀬校長は淡々と話を続け、もう一度黒板に向かって話のキーワードとなる言葉を記した。「生命」「からだ」「生」と。
 大瀬校長にとって、死への不安・恐怖を和らげてくれたのが絵本であった。
「いのちの授業」は、絵本の読み聞かせから始まった。
「いのちの授業」を始めたころの授業は、つぎのようなものであった。
 がんという病気について話す。自分ががん患者であることを知らせる。
 死の不安・恐怖から救ってくれたのが絵本であったことを知らせる。
 絵本は「わすれられない おくりもの」(スーザン・バーレイ)、「100万回生きたねこ」(佐野洋子)、「ポケットのなかのプレゼント」(柳沢恵美)を読み聞かせた。
 最初は、授業というにはあまりにも単純で、子どもたちは、ただ私の話と本の読み聞かせを聞くだけである。
 その後は、素材を教材化したり、話し合いの場面を組織したりして、いわゆる授業らしくなっていった。
 子どもたちに「いのちの授業」をするうえで、大瀬校長は命をつぎの三つの側面で理解したいと考えていた。
(1) 限りがある命
(2) 連続する命
  人間として、種として、家族としてのリレーされる命である。
(3) 心や魂としての命
  無限な命であり永遠の命。
 人間が生きていく中では、どちらかというと、辛いことや苦しいことが多い。
 そういうとき、自分を支えてくれる「もの」をもつということである。
 それは、何かを信じる心であり、あるいは家族である、ということを最後に子どもたちに伝えたいと願った。
 いのちの授業は答えを求める授業ではなく、自分だったらどうするかを自分なりに考えさせる授業である。
 大瀬校長の行った「いのちの授業」は、大瀬校長自身ががん患者であり、死が近いかもしれないということを、子どもたちも知っている中で行っている。
 そうした緊迫した中での授業であるから、子どもたちの心のもち方も変わってくるのだと思う。
 そういう状況でない場合「いのちの授業」はどのようにすればよいのだろう。
 それにはまず「いのちの授業」を行う教師自身が、どれくらい自らの命について真剣に向き合っているかということが求められる。
 もっと言うと、よりよく生きようとしているかを、自分の内面にもてるかということが、何よりも求められてくると思う。
「いのちの授業」は自らの生き方に目を向けることができる教師なら、誰にでもできると、大瀬校長は思っていた。
 大瀬校長はフランクルの言葉を思い出す。
「われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者」であり、自分の人生に対して「毎日毎時、正しい行為によって必答してなければならない」のである。
 そして限りある日々に対して、自分自身を辱めることなく精いっぱい誠実に生きることである。
 このように生きてこなかった自分を恥じ入るだけである。
 死が不可避となったいま、何かと、そういう自分になりたいと思うようになっていった。
 私という個性を完成させて、死にたいと願うようになってきた。
 このように、死と対座することは、生を考えることである。
 その意味において、死というのは、人間として成熟するための最後のチャンスなのである。
「いのちの授業」をとおして、大瀬校長自身が「家族・いのち・愛」について多くのことを学ぶことができた。
 授業をしながら、子どもや保護者の感想文を読んだ。
 子どもたちの授業の感想文には、こうつづられていた。
「えいえんの命っていうのは、みんなが、こうちょうせんせいのことがすきだから、えいえんのいのちだとぼくはおもいます」
「ぼくは、えいえんって、とこに気がついたことが、いのちだとおもいます」
「死んだんだから、もうこの世にいないと、言いはる人がいますが、わたしはそうはおもいません。死んでしまっても、人の心の中で生きていると思います」
 感想文を読みながら、大瀬校長自身が変わっていった。まさに「学ぶことは、変わること」だ。
 それにしても、大瀬校長に遺された時間がどれくらいあるかわからないが、限りある時間を、
「いのちは神に委ね、身体は医師に委ね、しかし、生きることは自分が主体」
 という姿勢で、生きていたいと願っていた。
(大瀬敏昭:1946-2004年、茅ケ崎市公立小学校教師・教育委員会指導課長・浜之郷小学校初代校長。「学びの共同体としての学校」を創学の理念に掲げ、東京大学の佐藤学教授と共に学校づくりに取り組んだ。開校2年目に大瀬校長のガンが発覚し「いのちの授業」が始まる。ガンが再発し余命わずかと宣告されながら、子どもたちに命の尊さを伝えようと、最後まで教壇に立ち続けた)

 

|

« 子どもの「分からなさ」から出発して、子どもの学びをつくる「学び合う学習」とは | トップページ | 「役者」として演ずることは、生きること »

教師の人間としての生きかた・考えかた」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。