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一人の女性教師が「やればできるんよ」と荒れた学校を立て直した、その方法とは

 広島県のある高等学校。この高校は、かつて県内一の落ちこぼれて荒れた学校だった。それを変えたのは、一人の女性教師だった。
 2001年に山廣康子さんは教頭としてこの学校に赴任した。
 教師すら指導を諦めていたこの高校は、落ちこぼれの受け皿校と呼ばれていた。
 喫煙、暴力、万引き、いじめが横行し、すがすがしいはずの新学期一日目に廊下はゴミで溢れていた。
 生徒たちが春の遠足で市内の動物園を回っていた。1年生のTくんは、入学以来何度かいじめにあっていた。彼は遠足中にも生徒に難癖をつけられて集団暴行を受けた。
 ところが引率の教師たちは遠足から学校に戻ると、山廣教頭に「何も問題は起こりませんでした」と事件の表面化を避けるために嘘の報告をしたのだ。
 山廣教頭はこの事実を別の教師から聞き、問題の教師たちに理由を聞いた。
 彼らは「放っておけば問題は収まりますから」「どうせ一番悪い生徒たちは辞めていきますから」と答えた。
 山廣先生は、目の前の教師に恐ろしさを感じた。生徒たちをなんとかしたいと思う山廣教頭にとって、最大の壁はこの無気力な教師たちだったのだ。
 集団暴行事件に端から始まった騒動は、1学期が終わるまで、校内を混乱の渦に巻き込んだ。
 山廣教頭と教師たちは、被害にあった生徒の送り迎えに追われた。
「いじめや暴力は絶対に許さない、安全な学校にしよう」という決意を固めていた。
 山廣教頭は全校生徒を体育館に集め、一大演説をぶつことに決めた。
「いじめや暴力に遭っている人は、絶対に守ってあげます。先生を信じて隠さないように。厳しい処分で対処します! いじめや暴力は絶対に許しません」
 と、激しい口調で演説した。
 また、加害者の保護者を集め、事件の経緯と学校の方針を明確にした。
 山廣教頭は、
「生徒たちの生活習慣を確立させたい。規範意識を高めたい。自律心を持たせて、自分や相手を大切にするよう導きたい」とその思いを、ぜひとも保護者に理解してもらいたかったからだ。
「親にとって、どの生徒もかけがえのない、かわいい子どもです。学校にとっても大切な生徒です」
「もし、被害者の子の親だったら、どんな気持ちになるか、考えながら聞いてください」
 と、被害者がどんな目にあい、どんなつらい思いをしたか事実を克明に説明した。
 凄惨な場面の一部始終を話す時には、山廣教頭は声がふるえ、涙が出そうになった。
 途中「むごすぎる」と泣き出し、廊下に出る保護者もあり「被害者に謝罪させてほしい」という声もあがった。
「被害者には私たち学校が、責任を持って対処します。安全で安心な学校生活が送れるよう全力でがんばります」
「そのためには、みなさんのお子さんに、心から反省をさせなければなりません」
「現状をしっかり見つめ、学校と連携し、力を合わせてがんばりましょう。何より大切なのは親の愛情です」
 その日を契機に、保護者の口から子どもに対する愛情や熱意、期待などを直接聴くことが多くなった。
 山廣教頭は逐一それらの言葉を生徒に伝えるようにした。
「幸せだね、お母さんがこんなことを言っていたよ。これほど両親から思われているなんて」
「がんばって親孝行しんさい。あなたが学校でがんばることが最大の親孝行なんだから」
 保護者と生徒の架け橋になることで、なんとか生徒たちを更正させようと必死だった。
 最初のうちは無表情で話を聞き流している生徒や、恥ずかしいのか顔を反らして聞こえないふりをする生徒が多かったが、次第に素直に聞き入るようになっていった。
 うれしいことに、徐々に生徒のほうからも、家庭での生活や親のことを笑顔で話してくれるようになったのである。
 山廣教頭は保護者と生徒の関係が少しずつ変わっていると、そう肌で感じるようになった。
 山廣教頭は、赴任した当初から職員室もふくめ学校の汚さにへきえきしていた。
 学校が荒れているせいなのか、だれも校内を清掃しない。ゴミは散らかり放題。生徒や教師も積極的に掃除をしようとしない。
 学校改革の最初の一歩は職員室の掃除だったかもしれない。山廣教頭は流し、食器棚などを徹底的に掃除をした。そのほかにも、机の配置換え、不要物の処分などを行った。
 同時に山廣教頭は、校内の掃除にも取りかかった。まずは自ら行動で示そうと思ったのである。廊下や階段を、毎日黙々と掃除した。
 休憩時間のたびに、生徒たちが出てきて、パンの袋やジュースの紙パックを捨て、生徒がツバを吐くので、廊下や階段の汚れは目を覆いたくなるほど不快だった。
 山廣教頭がトイレットペーパーでツバを拭き取り、そのあとをモップで拭く。きれいにすると、生徒がまたツバを吐き、散らかす。それをまた掃除する。その繰り返しだった。
 山廣教頭が掃除をしていても、教師たちは、避けて通ったり、ごくろうさまの言葉もなかった。結局、手伝ってくれたのは、一人の女性教師だけであった。荒れた校舎の光景が、教師や生徒の心象風景であるかのように感じた。
 夏休み前のある日、ふと校門から校舎に登っていく70段の階段を見て山廣教頭は思った。
 階段はいつもゴミだらけ。生徒は掃除をしないし、教師もさせるつもりがない。これでは、いつまでたってもきれいになるはずがない。
 そこに、ずらっと花を植えたらどうなるだろうか。そう思った瞬間「ゴミの代わりに花を植えてやれ」と決心した。
 決めたらすぐ動くのが、山廣教頭の身上。体育教師の協力を得て、プランター100個に、ベゴニア、サルビア、ペチュニアなどの花を植えた。九月の始業式には見事に咲きそろい、学校の校門の前は見違えるようにきれいになった。
 学校を再生するためには、まず教師の意識を変えなくてはならない、というのが赴任した当初からの、山廣教頭の考えだった。
 というのも、教師たちの大半が、都合の悪いことはすべて社会のせい、他人のせいにしていたからである。
「生徒を受け入れてやらなければ」と言うけれど、それでは生徒のためにはならない。そのまま社会に出したら、生徒たちは間違いなく切り捨てられる。
 生徒たちを受け入れ、救うと言いながら、生徒たちの行動を放置し、容認するだけという野放しの状態。いったん、このように割り切れば教師はとても楽である。
 教師たちはみんな、口では「大変だ、大変だ」と言っていたが、生徒指導も進学指導も、教材研究も、クラブ指導も十分にしないのである。
 教師にとって、こんな楽な学校はない。授業中寝ていてもオーケー。制服を着ていなくてもオーケー。
 このままでは、この子たちは落ちるとこまで落ちてしまう。山廣教頭は危機感を持っていた。とはいえ、いきなり教師たちの意識を変えることはできない。
 そこでまずは、生徒を指導するという、教師としてごく当たり前の意識を芽生えさせようと思いついた。
 夏休みの間に教師を集めて会議や研修を行い、いくつか提案することにした。
 まず、提案したのは、遅刻指導をするということ。しかし、教師たちは、ことごとく反対した。「では、ゆっくりやりましょう」と、ひたすらなだめ、こんこんと説得を続けた。
 次に服装指導を提案した。私は、まず身だしなみをきちんとしなければ生徒たちの意識は変わらない、という確固たる信念をもっていた。
 職員会議を延々と続け、ようやく、遅刻指導から行うことが決定した。
 服装指導は、とりあえず、山廣教頭をはじめ生徒指導部の教師が積極的に指導することで落ち着いた。
 早速、二学期の始業式から、校門の前に遅刻指導のテントを張った。教師が交代で常時テントにいるような体制を整えた。
 実質的には「出入り指導」であった。
 朝、遅刻してくる生徒はもちろん、授業中に勝手に学校に出入りする生徒をチェックする機能も兼ねていたからだ。
 出入りする生徒を呼び止めて、話をして、少しずつ人間関係を築いていく。それが、この指導の目的でもあった。
 1カ月、2カ月と続けるうちに、遅刻指導のテントは、次第に効果をあげ始めた。
 遅刻が目に見えて減少し、さらに、生徒と教師の関係が密になった。
 テントの前で、一対一で話をすることができるため、生徒が勉強、家庭、恋いの悩みを打ち明けることなどが次第に多くなったからだ。
 同時に、教師間で生徒たちに関する情報の共有化も図れるようになったのである。
 山廣教頭は、環境が変われば人も変わると信じていた。
 学校改革を進める山廣教頭に、全国の学校や駅のトイレを掃除するボランティア団体『広島掃除に学ぶ会』との出会いで、ある考えが浮かんだ。
 山廣教頭は、学校が休みの日に生徒たちと一緒に校内のトイレ掃除をしようと提案したのだ。
 3ヵ月をかけ徐々に準備をしていくことにした。「掃除に学ぶ会」の機関誌を各教室に配布したり、会の活動内容や、全国各地の参加者の体験発表などを紹介して、生徒たちに参加を呼びかけた。
 当日たくさんの生徒を動員しようと、山廣教頭は生徒たちの自宅に個別に電話をかけ始めた。「教頭の山廣ですが・・・」電話に出た生徒や保護者は、何ごとかと驚いた様子だった。
 しかし、主旨を説明すると「わかりました。参加します」と、一様に保護者たちも理解を示してくれた。
「友だちも誘ってね」と、そんなふうに、人間関係が築けている生徒、一人ひとりに電話をかけて「出てね、出てね」と頼みまくった。
 ふだんから積極的に生徒に声をかけていたので、そのネットワークを生かして、生徒集めに奔走した。
 また、問題行動を起こした生徒は自動的にトイレ掃除に参加させる方法をとった。
 一方、教師たちには半ば強制的に参加を促した。
「各クラスの問題行動を起こした生徒がトイレ掃除に出るのだから、その担任も一緒に参加するように」
 そうした結果、当日は、生徒や教師はもちろん、PTAや同窓会の人々、「広島掃除に学ぶ会」のメンバーや、県警や県教委の関係者、そしてイエローハットの鍵山相談役など、総勢300名が参加することとなった。
 さらに話題性があるということから、地元の新聞社やテレビ局などが、大挙して取材に訪れるという一大事に発展していった。
 無気力だった教師たちの目つきも変わり、懸命にトイレ掃除をした。その姿を見て、問題の生徒たちも掃除に参加した。トイレ掃除を始めると、嫌悪感も忘れみんなどんどん集中していった。
 トイレ掃除は思わく以上に大成功だった。山廣教頭にとって、生徒たちが熱心に取り組んでいる姿は意外だったし、正直、生徒たちがここまでやるとは思っていなかった。
 このトイレ掃除で得られたことは、トイレをきれいにした、という充実感だけではない。
 大勢の人々と一緒になり、一つの目的に向かうことで生まれる共有体験も得られるのだ。特に問題行動を起こす生徒たちにとって、大人と一緒に何かに取り組むという経験は、新鮮なことに違いなかった。
 もともとこの学校の生徒たちは、大人に対する不信感が非常に強い。
「どうせオレらは、ダメなんだけー、相手にしてくれるはずがないじゃん」と、投げやりなところが見られる。劣等感が強く、世の中を肯定的にとらえられない。
 そこへ、これだけの大人が自分たちの学校へやって来て、新聞やテレビも取材してくれた。
 問題を起こしての報道ではない。「オレらでも注目されるんだ」という事実が、生徒たちを力づけた部分も大きかったのだろう。
 トイレ掃除終了後、体育館に集合して、全員でおむすびとみそ汁を食べながら、体験発表をした。
「初めは抵抗があったけれど、きれいになっていくのが楽しかった」と、どの生徒も晴れ晴れとした表情で、口をそろえてそう言った。
 翌朝、遅刻指導で校門に立っていると、声をかけてくる生徒がいた。「先生、おはよう」と、山廣教頭に敵対心をむきだしにしていた問題行動の常習犯の生徒だった。
 トイレ掃除を機に、学校全体の空気が、少しずつ変わり出していく気配があった。
「掃除に学ぶ会」の方たちの姿を見て、自分たちの学校は自分たちの手できれいにしようという意識が芽生えてきたようだった。
 それ以来、教室を掃除しようとか、ゴミのポイ捨てをやめようという動きが、教師や生徒たちの間に、徐々にではあったが、自然に生まれていった。
 学校が少しずつきれいになることで、生徒や教師の心が安定するという変化が起きているようだ。
 翌年の夏にはトイレ掃除だけでなく荒れたグランドの草刈りが行われ、その成果として7年振りに体育祭が開催されたのだ。不良グループのリーダーは盛り上げ役のリーダーになっていた。
 山廣教頭は、何か特別なことが起こったのではなく、地道にこつこつと積み重ねて来たことが成果として大きく現れたのだと話す。
 4月、高校に新たな入学生たちがやってきた。そこにかつての荒れた学校の影はもうない。山廣教頭の学校改革は、着実に成果を上げたのである。
(山廣康子:1949年生まれ 元広島県公立高校校長。荒れた学校をトイレを掃除するボランティア団体の協力を得て、学校を立て直した)

 

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