吉田松陰に学ぶ、人の育て方とは
教育者としての理想像を吉田松陰に見出した川口雅昭先生は、30年に及ぶ松陰研究を続けています。
吉田松陰は山口県萩で生まれ、萩藩の山鹿流兵学師範だったおじから厳しい教育を受けて育ち、10歳のとき藩校の教壇に立ち、翌年には藩主毛利敬親の前で講義をしました。
松陰は全国各地を旅して、さまざまな人の教えを受けて見聞を広め世界への目を開かされました。
外国を自分の目で見たいと考え、黒船に乗り込み外国への密航を図りますが失敗。自首し、江戸から萩の野山獄へ送られます。
やがて実家で幽囚中、若者らが教えを求めて来るようになり、松下村塾を受け継ぎます。
松下村塾は、15坪ほどの瓦葺き平屋建てで、わすか2年余の教育期間ながら、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山県有朋といった後世に名を刻した多くの人材を輩出しました。
塾生には「読書だけではだめだ。実行が大事だ」と説き、個性を重んじ、一方的に教えるのではなく議論しながら共に学び、多くの志士を育てました。
その後、松陰は日米修好通商条約に調印したことを厳しく批判するようになり、幕府による安政の大獄が始まる中、幕府は過激な言動を恐れ、松陰は江戸へ送られ処刑され満29歳で亡くなりました。
しかし、志ある人々が立ち上がって日本を変えるべきだという松陰の志は、塾生らに受け継がれ、討幕へ、明治維新へと、時代を大きく動かしていきました。
松陰先生の真の偉大さは「現代でも、若者たちを社会のために勉強しようという気にさせ続けていること」だと川口先生語ります。
松陰は教育者だが「教育」は和語では「教える」で、その語源は「愛(お)しむ」だそうだ。つまり「愛することが人を育てる」ことだ。教育者に必要な心構えだろう。
人を育てること、つまり「人づくり」の目的は「よき人になる」ことである。現在の教育からはここがすっぽり抜けてしまってはいないかと川口先生。
子どもから「なんのために勉強しなければならないの?」と聞かれた経験のある人は少なくないだろう。また、そういう疑問は誰しも一度は抱いたことがあるだろう。
「学は人たる所以を学ぶなり」つまり「人間とは何か、いかにあるべきかを学ぶこと」「人間とはどういう生き方をすればよいかを考える」ことが学ぶことだと松陰は述べている。
勉強するのは、自分がわかるため、心を磨くため、いかに生きるかということである。
松陰は弟子に先生を訪ねて質問せよと門下生全員に紹介状を持たせた。落ちこぼれずに自己教育を続けられる人間を作ろうとした。
川口先生の講話の中でもとりわけ心に響くのは「自己教育」という考え方だ。
自己教育とは「自分の関心のある学問を主体的に継続すること」だ。
自己教育は、先生がいて、行き詰まったら、先生の指導を受ける。主体は能動的に学ぶ方にある。学習能力を自得することだ。
自己学習と独学の違いは「行き詰ったときに質問にいける先生がいるかどうか」だ。
さらに「同じ訊きにいくなら一流の人に訊け。一流の人は決して門前払いしない。」と川口先生は言う。
人を育てることにおいては「やる気にさせる」ということがとても重要である。
教師というものは、生徒たちに「教師のようになりたい」と思わせることができないと、どんな教育理念を持っていてもダメだ。
人に暗示をかけ、悟らせてあげることを「人を點醒(てんせい)す」と吉田松陰は言った。
松陰は、そばにいる人間に、やる気をひきおこさせる「點醒(てんせい)」の達人だったと川口先生いいます。
點醒とは人づくりの基底にある最も大切な教えではないだろうか。
その人に接するだけで、やる気を興させてくれる人がいる。點醒的資質のある指導者というべきであろう。
これは何も天性のものばかりとは限らない。人を指導する立場にあるものは、努力によりこのような資質をこそ、自得して行くべきではないか。
今、教育にも子育てにも活かせたいものだ。
松下村塾で多くの人材が育ったのは、子どもたちは松陰のようになりたかったのだ。
また川口先生は「自分がいなければならない」という人物になれと。
人を育てるには、ひとつ忘れてならないのは「待つ」ということだ。
松陰は「人間が育つのにもっとも必要なのは能力ではなく、時間である」と。
つまり教え子が成長するのを待つことが大切だ。
しかし、逆に、時間をかけさえすればすべての人が「モノ」になるかというとそうではない。大切なことは「大器」たらんとする志を持ち続け、人知れず、日々の努力を継続することであろう。
今自分が何をすればいいのか、川口先生は、
1 今自分がいる場所で、今できることを全力でやれ。
2 成長しない人間が成長する人を育てられない。
3 まずこれというものひとつに集中し、しっかりした幹を作れば、枝葉はいくらでもつく。
4 独学でなく自己教育を一心不乱に行う。
(川口雅昭:1953年山口県生まれ、山口県立高校教師、山口県史編さん室専門研究員などを経て、人間環境大学特任教授。師範塾塾長。吉田松陰研究の第一人者)
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