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子育ての方法を教えるところがない、子育てに必要な親の学びとは

 親や教師といった子どもと身近に接する大人が「子どもとの関わり方」、「生き方や心の姿勢」が変わらなければ、子どもは変わりません。
「学校が悪い」、「地域が悪い」と自分以外に責任を転てん嫁かするのではなく、まず大人が自分を見直すことから始まるのです。
 子どもの対人関係能力や社会とつながる力が弱くなっていると言われますが、大人はどうなのか、自分はどうなのかと自身に問いかけることから始まるということです。
 そこで「親学」が必要になるわけです。
 親学は、オックスフォード大学・トーマス学長の「学校でも、大学でも教えていないのは親になる方法だ。社会はこの親になる教育にもっと関心を向け、親としての自分を向上させることが大切である」という趣旨の問題提起を受けて、日本で「親学会」が発足したことに始まります。
「親学」というのは、「親になるための学び、つまり親になるための準備学習」と「親としての学び」です。
 親が人間として成長していく、親心が成熟することを促うながすためのものなのです。
 親学講座やセミナーでは、講義形式ではなく、弱音やぐちを話せる場づくりに始り、建前論ではないドラマセラピーやロールプレイを使って、親の意識改革、中でも自分で気づくためのプログラムに力点を置いています。
 いわゆるキレる子どもに対応するためには何が必要なのでしょうか。
 それは、何が子どもの心を育て、脳を育てるのかという「育」の視点です。
「育む」という言葉の語源は親鳥がヒナを「羽は含ぶくむ」、すなわち羽で抱きしめるということです。
 つまり、愛情と信頼で抱きしめることによって初めて心が育つということです。
 だから、親心が崩壊すれば、子どもは優しさや共感性を学ぶチャンスを失ってしまい、いくら学校の道徳の時間で「思いやりを持ちなさい」「人権を尊重しなさい」と教えても、子どもの心の琴線(きんせん)には触れません。
 そういう意味で親学の一番大事なポイントは「脳の発達段階に応じて子どもとどう関わるべきか多くの親たちが共通理解する必要がある」という事です。
 教師が子どもとの関わりについて親に言うと「我が家には我が家の方針がある」と言う人がいます。
「どう関わるべきかはそれぞれで、こう関わるべきだという絶対的な考え方はない。余計な口出しをしないでくれ」という事です。
 しかしそれに対して引いてはいけない、子どもの脳や心の発達段階に応じてこういう風に関わるべきですよと説得力のある言葉で、いかに納得出来る提起が出来るかという事なのです。
 説得しようとすれば逃げてしまいますが、納得すれば親は変わりますのでその点に気をつけて、ぜひ脳の発達段階に応じた関わり方という事について共通理解を求めるべきなのです。
 その際に「しっかり抱いて下に降ろして歩かせろ」という、この関わり方は「親になるための学び」と「親としての学び」という二つの意味を持っています。
 前者は親になるための準備教育で、今は気付いたら親になっている若い親がたくさんいて「親になるとはどういう事なのか」という準備教育を本来であれば家庭科で行なっていく必要があるのですが非常に欠けています。
「しっかり抱く」という段階は「愛着」で「下に降ろす」は「分離」、そして「歩かせろ」は「自立」でこれが子どもの発達過程なのです。
 子どもは一番信頼出来る大人に甘え、依存してやがては反抗しながら自立していきます。
 この「甘えて依存する」という段階が愛着で「三つ子の魂、百までも」と言ってきたのです。  
 日本の子どもたちは十分に親に甘える事が出来ないし依存出来ない、それから反抗出来なくなっています。それは母性的な関わり、父性的な関わりを持つ事の出来るお父さんやお母さんがどんどんいなくなっているからです。
「親学」の基本は、
1「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」が子どもへの関わり方の基礎基本
2 脳には臨界期があるという事について共通理解が必要である
3 千利休の残した「守破離(しゅはり)」
 形から入って躾をする。
 日本の歴史や文化、伝統を貫いている「形」というものを継承しながら茶道、華道、剣道、柔道と「道」の付くものは最初に形の継承から始めますが、それは子どもの興味関心で選択する事は出来ないのです。
 必ず基本の型というものを継承しなければならない、これが教育の出発点なのです。
 家庭においても形の継承である躾というものを親がしっかりと教えなくてはならない。
 身を美しくするというのは形から入る訳ですが、その形を守り、破り、そして形から離れるというのが本当の個性や創造性なのです。
「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」という日本人の子育ての知恵を凝縮させた格言が示すように子どもが自立するためには、しっかりと抱くという「愛着」、下に降ろすという「分離」のプロセスが必要不可欠です。
 しっかり抱くというのが母性的な関わり、下に降ろすというのが父性的な関わりと考えています。
 優しさというものは母親の愛着から子どもの心の中に育っていくものです。
 その愛着が狂っているとすれば子どもたちに心を育むとか思いやりを育てる、命を大事にするという事は単なる建前のスローガンになってしまうのです。
 一方、父性の特徴は「義愛」です。秩序感覚、ルール感覚、規範意識、人間としてのマナー、それは教えねばならないものです。
 例えて言うなら北風の厳しさと太陽の暖かさ、これが父性と母性だと思っています。
 父親は子どもを産む事も授乳する事も出来ません。胎児期と乳幼児期は特に母親との身体的、感覚的な接触の相互作業によって子どもの心が安定しその子の大きな基盤となります。
 一般に子どもは母親から心の安定を、父親には外部世界の知的好奇心と刺激を期待しています。
 父親には子どもの心を活性化し自立を促し社会のルールなどを教えるという独自の役割があります。
 このような意味で基本的には母性的な役割を母親が担い、父性的な関わりを父親が担うという事が人の進化の歴史から見ても自然であると言えます。
 もちろん父子家庭、母子家庭において一方の親が母性及び父性的関わりの両方の役割を果たす必要もあります。
 父親と母親の性別役割分担を強制すべきではありませんが、子どもにとっての父親と母親の役割を認識する必要があります。
 この点を踏まえた上でどのように役割分担すべきか夫婦で十分話し合うべきです。
 温かさや優しさは母親、厳しさは父親だけに求められるものではないから性別的役割分担を固定的に捉える事は問題です。
 時には父親が母性的関わりを、母親が父性的関わりをする事も求められるのです。
 男らしさ女らしさというものを形から入って教える事はアイデンティティを育むためには必要不可欠なのです。
 それを差別だと言ってしまっては育む事が出来ない「育」という視点に立てば対立を超える道が見えてくるのです。
 私はいつも学生達に尾形光琳の『紅白梅図』を見せています。紅梅と白梅の間に広い川が流れている、これが日本人の感性、バランス感覚なのです。
 一見対立する男と女、お父さんとお母さん、「教える」と「褒める」など様々なものがあります。
 教育はある意味で綱渡りだと思うのですが綱渡りをする時には長いバランス棒がなければ細い綱の上では落ちてしまうのです。
「男のくせに、女のくせに」と言いすぎたら子どもは駄目になってしまう、形だけを強制しすぎたらかえって反抗したり事件を起こしたりしてしまうのです。
 父性母性という時には「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」という基本を大事にして父性的な関わり、母性的な関わりが大切なのです。
(高橋史朗:1950年兵庫県生まれ、保守活動家、右派思想家、教育学者。麗澤大学特任教授。親学推進協会理事長。明星大学教授、麗澤大学道徳科学教育センター客員教授を歴任)

 

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