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「自分の力で、たくましく生きる」子どもを育てるには、親はどのよう子育てすればよいのでしょうか

 早期教育は人格的な要素を欠く一部のエリートサラリーマンのように、情緒的な豊かさとか、社会性、主体性、柔軟性、意欲の高さなどが育たない恐れがあります。
 たとえば、シュタイナー教育の考え方によりますと、小学校に入るまでは「生命体を育てる時期」として「生物にふれる経験をたくさんさせることが大事である」といわれています。
 もし、この就学前の時期に、子どもに機械的に暗記するような学習を強制したならば、その子の知力は一見高くなったように見えても、この時期に育つべき「意志力や行動力」が育っていないので、結局、その思考力にも限界が来る、ということです。
 また、つぎの小学校の時期は「感情体を育てる時期」として、単なる知識のつめこみではなく「へえ、そうなのかあ!」というように驚きや感動をもって、すべてのことを「感情体験として感じとらせるように学ばせる」ことが必要であるといわれます。
 もし、この時期に、抽象的な思考を強制したとするならば「感情のまずしい、人間味のとぼしい人間にしてしまう危険性がある」と警告しています。
 日本の教育は、早期教育であれ、小学校教育であれ「単なる知識のつめこみが中心」ですから、現代の子どもたちに「意志力や行動力が育っていない」のも、「豊かな感情や人間味が育っていない」のも、当然の結果のように思います。
 就学前や小学校の段階で、塾通いなどの回数が多く、過剰な知的教育を強制されていると思われる子どもの絵ほど、空疎な印象の絵が目立っているのです。
 これまで母親講座などで、早期教育に対して反対意見を述べたりしますと「それでは、子どもに何をしたらいいのでしょうか」とよく聞かれます。
 それに対して「何もしないのが一番です」と答えると、質問した人は困惑した顔をされます。
 しかし、子どもの積極性や自主性、社会性、創造性、行動力、意志力など、そういう人格的な要素を養っていくためには、実際、大人は下手に手出しをしないことが一番なのです。
 子どもが自由に使える空間と時間、それに豊かな人間関係を取り戻してあげる以外にはないと、私は思っています。
 それにはまず、親自身の価値観を変える必要があるのかもしれません。
 就学前から幼児に文字や計算を教えこんだり、小学校受験や中学受験をめざして子どもに何年間も塾通いをさせることは、長い目で見るならば、お金やエネルギーをかけて子どもをスポイルすることになりかねないことを、このへんではっきりと認識する必要があります。
 さらに、塾の問題に加えてもう一つ考えなければならないことは、子どもたちがテレビやビデオ、ゲームなどの間接体験づけの生活になってしまっている、この現実です。
 とくに、まだ現実の世界と仮想の世界の区別が十分につかない就学前の子どもに対しては「生の直接的な体験を豊富にさせる」ようにして、画像をとおすような間接的な体験はできるだけさけるべきではないかと思います。
 間接体験づけの生活をさせているよりは、保育園に入れて子ども同士で遊ばせておいたほうが、よほど健全に育つ可能性は高いのではないかと思います。
 私自身は、子どもの創造性や意志力がほぼ育って、もう大丈夫と思われる小学校五、六年生になるまでは、絶対にゲーム機を買い与えることはしませんでした。
 子どもにたくましさを育てるためには、子どもを守りすぎないことが大切でしょう。
 親が先まわりして子どもを守ろうとすればするほど、子どもを脆弱にしてしまうおそれがあります。
 公立学校は荒れているとかいじめがあるなどの理由で、私学志向の親が多くなっています。
 そうやって常に親が子どもを守ろうとすることはかえって危険な場合もあります。
 無菌状態にばかりおかれていますと、かえって感染したときに決定的なダメージを受けてしまうことがあるのです。
 就職したりすれば、この国際的な社会のなかでは、どんなところにいかされるかわかりません。
 実際に温室で育った人たちが、自力で困難な状況を切り抜けるような機会がほとんどなかったために、ほんのささいなことでつまずいてしまう、というケースも非常に増えているのです。
 結局、子どもを精神的にたくましく育てるには、むしろ雑多な中で育てるほうがいいのではないでしょうか。
 よく、保育園に通っている子どもに対して、幼稚園のお母さんたちは、「保育園の子たちって、たくましくて、人なつっこいのよね」などとやや皮肉をこめた口調で言うことがあります。
 しかし、その「たくましさ」と「人なつっこさ」こそ、世の中を渡っていくためには必要なものなのです。
 子どもがつまずかないように、先まわりして道ばたの石をどけてあげることよりも、むしろ子どもがつまずいて転んだときに、ただ怒ったり責めたりするのではなく、優しく抱きとめて話を聞き、なぐさめてあげられるような大人に、ぜひなりたいものです。
 最近の傾向として、子どもの教育には熱心だけれど、しつけに関しては無関心、という親が増えているようです。
 そればかりか、「しつけ」という言葉に抵抗感があって「子どもを自由でのびのびと育てたい」ということで、ほとんど子どものやりたい放題にさせている、という親が増えているともいえます。
 しかし、子どもにとって本当に頼りがいのある親とは、ただ甘いだけの親ではなくて、悪いことに対しては、しっかりと壁のようになって立ちふさがってくれるような、ときにはきびしい親なのです。
 親は子どもから「愛される権威」であると同時に「尊敬される権威」であることがたいせつです。
 子どもはよく大人を見ているものですから、たとえきびしく怒られたとしても、それが真剣なもので、その子に対する深い愛情から発するものである場合は、しっかりと受けとめることができます。
 ところが「大人の都合」や「その場の感情」によって子どもをしかったり、しからなかったりするならば、子どもは何にしたがっていいのかが、わからなくなってしまいます。
 そして結局、いつまでも自分の欲求をとおそうとして、まわりの人と常に戦いつづけるような子どもになってしまうおそれがあります。
 どうも最近の相談を聞いていますと、そういう問題が増えているように思うのです。
 かつての家族では、そのきびしくしかることを、おじいちゃんやお父さんがにない、優しくなぐさめるのは、おばあちゃんやお母さんが受けもつという役割分担がありました。
 しかし、核家族で母親が一人で子どもを抱かえている状況では、母親一人がその両方の役割を果たさなければならないのですから、どちらも中途半端になりかねません。
 後でなぐさめてくれる人がいると思えば、思いきりしかることができるでしょうが、しかったその母親が、また、なぐさめ役もやらなければならないのですから、現実はなかなか大変なのです。
 そういうなかで、私たちカウンセラーの役割も、単なる受けとめ役だけではすまされなくなって、どうもその「きびしい壁」の役割を、になわされることが多くなっているのです。
(三沢直子:1951年生まれ、臨床心理士として、病院や企業で心理療法に携わり子育て中のお母さんをサポート。明治大学教授を経てコミュニティ・カウンセリング・センタ等で家族の問題に関わる職員の研修や、親教育支援プログラムの普及に努める)

 

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