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大正自由主義教育運動で中心的な役割を果たした澤柳政太郎とはどのような人物であったか

 澤柳政太郎は、教育官僚、教育者で、大正自由主義教育運動の中で中心的な役割を果たした。
 澤柳は、東京帝国大学を卒業し文部省に入り、小学校令を改正して、4年から現在の6年の課程にし、旧制高等学校を増設し、旧来の藩閥の弊から脱却、全国から人材を登用する扉を開いた。
 明治39年に文部次官、東北帝国大学総長、大正2年に京都帝国大学総長を歴任した。
 その後、陸軍士官学校の予備校として名高かった成城学校の校長に就任。
 成城学校内に新教育の実験校として、大正6年に成城小学校を創立した。
 小原國芳を訓導として招聘し、以来、成城学校は大正自由主義教育運動の震源地となる。
 澤柳の教育や教師について次のように述べている。
 教育者の精神の創造は「教育者各自の心に求めるべき」としている。
 教育を支える最大の要素は教育者の人間性である。
 教師は高遠なる見識を持し、自重自信の精神をもって仕事にあたる。
 沢柳が重視したのは、第一に学識、第二に徳義であった。
 教育学を学ぶものは単に教育の方法を知れるを以て足れりとしてはいけない。
 必ず教育の目的について明確な思想を得ること。
 教師は徳義(人間としてふみ行うべき道徳上の義務)の教育者であり、同時に自身へ道徳的完成の責任を負う。
 教師の最も肝要な資格は、教育に対する「誠実さ、熱心さ」である。
 教師の仕事は愉快である。その理由は、
(1)授業で教師は行動の制限を受けることはなく、自由に思うままに行動することができる。
(2)社会・国家のために有益なこと。
(3)安易ではなく、無数の困難と解決の努力が必要である。
(4)実践にあたっては工夫の余地が無限にあること。
(5)実践の努力の成果が直に眼前にあらわれること。
 教育は授業ばかりではない、訓練、管理を含む。しかし、大部分は授業である。
 師弟の関係というと訓練上のことである。
 師弟の徳義上の関係も澤柳の考えるところでは、授業以上に影響を受けることが多い。
 教師の生徒に対する同情、教師の人物、徳行から生徒が教師を尊敬し教師に心服し、師恩を感ずるようになることもあるが、それらよりも授業上より教師に対する考が定まることが多いと澤柳は思った。
 澤柳も「ペスタロッチー伝」を訳したり、「実際的教育学」を書くなど、新教育の指導者としての役割を担った。
 澤柳のモットーは「随時随所無不楽」(随時随所楽しまざる無し)。いつどんなときでも楽しみを見いだすことはできる。
(澤柳政太郎:1865-1927年長野県生まれ、教育官僚、教育者。大正自由主義教育運動の中で中心的な役割を果たす。文部官僚、文部次官、高等商業学校校長、東北帝国大学総長、京都帝国大学総長を経て成城学校校長、成城小学校を創立して大正自由主義教育運動を行う)

 

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