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教師の言葉が子どもに届くにはどうすればよいか、授業の重要な要素とはなんでしょうか

 教師のことばは、聞き手である子どもに届かなくては力をもちません。
 たとえば、演出家の竹内敏晴は、次のようなエピソードを紹介しています。
 5~6人の人に勝手な方向を向いて座り、目を閉じてもらう。そして、少し離れたところから、一人の人がその中の誰かを選んで話しかけてみる。
 すると、話しかけられた人が、そう感じて手を挙げる人はきわめて少ないという結果になったそうです。
 ここから言えることは、単に声が聞こえ相手に情報が伝わるということと、声が相手の身体に届くということは別物であることがわかります。
 言葉が届くというのは、相手の身体の中に入って、心を動かすことです。
 それは、相手と真剣にかかわろうと欲し、自らを開いて全身体的に相手をめざす、という関係が必要です。
 たとえば、クラス全体に説明しているときでも、集団に対してではなく、一人ひとりの子どもに向かって語りかけ、語りかけるその子どもの相づちや表情を受けとめ、彼らと共振しようとする。
 こうした応答的な関係の下でこそ、教師の言葉は子どもの学びを触発するものとなり、両者の間の人間的信頼関係を生み出していくことになるのです。
 石井英真先生が考える、授業において重要な要素とはなんでしょうか。
 私が重要と考える要素は、「目標と評価を一体化すること」と、「ドラマとしての授業」の2点です。
 1時間の授業で追求したいメインターゲットを一つくらいに絞る。その上で、授業を通して子どもたちが何を学んでどういった姿に変わればいいのかを考える。
 このように「何のためにアクティブにするのか」を熟慮することは極めて重要です。
 目標を問うとは、このように、教育活動の出口の子ども像を具体的にイメージすることです。
 そして、「目標と評価の一体化」というのは、授業計画の段階で目標と評価をセットで考えてみるということです。
 授業を通して子どもたちのどんな姿が出てきたらいいか、いわば評価者の立場に立って授業前に考えてみることで、授業の目標は子どもの具体的な姿でイメージできるわけです。そこまでできれば授業はぶれません。
 ただ、「目標と評価の一体化」のみを強調すると、事前に想定した姿に子どもたちを無理やり向かわせることになりかねません。
 そこで、「ドラマとしての授業」を同時に意識します。
 これは、ひとつには授業は生き物だということを認識するということです。
 計画通りにいくのがいい授業とは限らないし、筋書があってもそれを越えることで子どもたちの学びは深まっていくわけです。
 そしてもう一つは、展開感覚を持つということです。授業には「導入・展開・まとめ」があると言われますが、これはただのお題目ではないのです。
 要はドラマのようにヤマ場があるのです。
 授業は流すものではなくて展開するものであり、だからその展開感覚を学ぶことが大事なのです。
 それがないと、最初に盛り上げてしまってあとは息切れするなどの失敗をします。
 日本の授業の蓄積の中で、いま若い世代に伝えきれていないと感じるのがこうした展開感覚です。
 授業の一番のヤマ場で思考を触発する課題提示を行い、思い切って子どもたちに任せて、考える機会を保障するのが一番展開的に見て良いヤマ場のつくりかただと思います。
 そのために最初は静かに好奇心に火をつけ、ちょっとずつ一問一答なども使いながらやり取りしていくと、子どもたちも徐々に授業に入ってきやすいし、全員参加の授業にしやすいです。
「目標と評価の一体化」と「ドラマとしての授業」の2つをセットで考えていくのが、アクティブラーニングに限らずすべての授業づくりの基本ではないかと考えています。
 アクティブラーニングなど最近の流行を導入して授業案を作る際に注意すべきポイントはありますか?
 たとえば中学校・高校のアクティブラーニングなら、一時間の授業の中に一か所、生徒たちに委ねるアクティブな場面を入れればよいでしょう。
 逆に小学校の場合はすでにアクティブ過ぎるので、これ以上アクティブであることを強調する必要はないでしょう。
 むしろ小学校については、児童が教科内容を理解することや先生自身が教材研究・教材解釈を深めることなくして学びは深まらない、という点を強調すべきだと思います。
 アクティブラーニングについて文科省は「深い学び・対話的な学び・主体的な学び」という3つの視点で授業を見直すよう提案しています。
 このうち、「深い学習」をきちんと意識すべきです。いま心配しているのは「対話的」と「主体的」がすごくクローズアップされた、いわば主体的で協働的な学習だけになっている傾向が非常に強いことです。
 特に高校でも「学び合い」などが広がりつつありますが、一つ間違えると「教科指導の特別活動化」になる危険性があります。
 例を挙げるなら、問題集から適当な難度の問題を選びます。
 あとは生徒たちみんなでわかっていきましょう、全員がわかるようにするのが自分たちの責任であるといった、ある種の学級づくりの指導をして「みんなでわかっていく集団」を作る。
 あとは生徒たちにおまかせという授業も見られます。そこに教科指導はあるのでしょうか。
 子どもたちの学びへの責任意識や主体性を喚起する点で、こうした指導を決して全面的に否定するわけではないですが、それが教師の教科指導の責任の放棄にならないよう、深さの軸、つまり「対象世界との対話」ということをきちんと考慮する必要があると考えています。
(石井英真:1977年生まれ、京都大学准教授。授業研究の蓄積に学びながら、学校で保障すべき学力の中身とその形成の方法論について理論的・実践的に研究している。特に、授業を硬直化させるのではなく、むしろ柔軟で創造的なものにするような、目標の明確化とそれに基づく評価のあり方について考えている。)

 

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