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授業の多くが体験学習にあてられる「きのくに子どもの村学園」とは、どのような学校でしょうか

 和歌山県の小さな村に、子どもたちの歓声が響き渡る小さな学校がある。「きのくに子どもの村学園」です。
「きのくに」では生きる喜びがあり、互いに尊敬し信頼し合っていて、徹底した自治のもと、生活する一人ひとりの子どもにエネルギーがあふれています。
 元来、学校というのは、何をどのように学ぶのかは教師によって決められ(教師中心主義)。
 同じ年齢の子どもが同じ教材を使い同じペースで、同じ方法で学習する(画一主義)。
 書物に書かれた知識の記憶量によって子どもの能力を測ろうとする(書物中心主義)。
 これでは、子どもたちは知識を教師や書物から伝達されるだけの受動的な存在となってしまいかねない。
 そしてそれは、自分の感情を押し殺すことや、自ら考えることが苦手な子ども、互いに意見を言って他の子どもと合意を図る、という経験に乏しい子どもが育ってしまう。
 すなわち「感情」「知性」「人間関係」のすべての面で「不自由」な子どもの育成につながってしまう危険性がある。
 こうした状況から子どもを解放し「ホンモノ」の学習をするために、「きのくに」では、「自己決定」「個性化」「体験学習」を三原則として学校づくりを進めてきた。
 この三原則を反映させた学習活動が「プロジェクト」である。年度初めにプロジェクトのテーマごとにクラスがつくられる。人数も年齢構成も男女比もさまざまとなる。例えば別荘づくりプロジェクトでは、どのような別荘をつくるのか、誰が何をするのか、活動の進め方は話し合いを通して決められていく。
 このようなプロジェクトを学習の核として、各教科はプロジェクトと関連づけながら実践されていく。プロジェクトの体験をくぐることで、自分たちにとっての意味を感じながら学習が進められる。
「きのくに」が現代の学校教育に投げかけているものは何だろうか。
 増え続けている不登校やいじめ、他者との関係の希薄化・・・。
 そうした現代社会にあって「きのくに」の子どもたちは自他への信頼にあふれ、生き生きと目を輝かせ真剣に学習に取り組み、仲間とともに自分たちの生活を創造している。
 こうした実践は公立学校で行うことは無理だという声があるかもしれないが、「きのくに」は正規の私立学校として認可をうけているという事実により、実現できる可能性がある。
 教育改革が叫ばれている今日、「子どものため」になる学校づくりとは何かを問い続けているといえる。
「きのくに子どもの村学園」は1992年に和歌山県の山中でスタートしました。
 元大阪市立大学教授の堀真一郎が、イギリスのサマーヒルスクールなどを範として創立しました。
 教育思想や実践は、ニールやデューイの流れを汲んでいます。
 子どもたちの多くが寮生活を送りながら学んでいます。
 1学年20名の小さな学校で宿題がなく、テストもありません。
 「先生」と呼ばないで、大人は「○○さん」とか、ニックネームで「ゴンちゃん」などとよばれます。
 子どもは自分のしたい活動(プロジェクト)をよく考えて、その年のクラスを選びます。授業の多くが体験学習にあてられ、どのクラスも異年齢学級です。
 普通の学校の授業に相当する時間「基礎学習」もあります。
 活動(プロジェクト)は「人が生きる」ことを「衣」「食」「住」「表現」の4つの視点から追求していきます。
 小学校では「工務店」「劇団きのくに」「よくばり菜園」など、中学校では「動植物研究所」「劇団バッカス」「くらしの歴史館」などのクラスがあります。
 国内外の教育関係者やマスコミからも注目され、学校の数も増え、福井県勝山市、山梨県南アルプス市、福岡県北九州市、長崎県、英国スコットランドにあります。
 入学の選考は、体験入学によっておこないます。募集時期は学年によって異なります。
 体験入学は学校および寮で過ごします。また保護者と面談し、総合的に合否判定をします。筆記試験はありません。子どもの意思をもっとも尊重します。
(堀真一郎:1943年生まれ、元大阪市立大学教授教授。「二イル研究会」を設立、その代表を務める。大学の教授職を辞めて、ニールのサマーヒル・スクールを範とした新しい学校を目指して、1992年和歌山県橋本市に、きのくに子どもの村小学校を開校。きのくに子どもの村学園理事長。)

 

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