教育は修養を楽しめる子どもにつくりあげること、そのためには教師はどのようにすればよいか
教育は修養(知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること)を楽しむ子どもにつくりあげることが最も重要である。
修養の味を知れば、子どもは生涯、向上発展して止まぬ。自分自身に満足を求めるから、他と比較して、羨望し、煩悶し、憤慨することはない。
修養を楽しめる子どもにするためには、私はただ一つの方法しかないように思う。その方法とは教師がひたすら修養を楽しむということである。
修養の味を知らない者が修養の味を知らせようということは、無から有を生じさせようと計画するのと同じで、不可能である。
教師が修養の味をしめてさえいれば、説かなくても、その一挙一動が有力な説明である。
教師が修養の味をしめるには、どのようにすればよいか。
私は人間を育成する教育は、名画家や名俳優以上に、日々教壇に立って行う授業に、入神の技が必要と主張する。
これを求めるには知識のみではだめである。方法のみでも得られない。本性に帰ることに努めねばならない。
修養の本性は人間の本性にたち帰るという意味である。
私は、人間の本性を定義することはできない。
ただ明鏡の如き止水、七色の配合した太陽の光線、七情の調和した人間の本性、これらを思いあわせて、万物一如の真理を認めないわけにはいかない。
人間の本性を悟ったものは、利害得失の思いを超越してしまう。この本性を得るには修養しかない。
本性に帰る最も早い道は、端座瞑目して自己の内観につとめるのがよいと思う。
私の内観の方法は、自然にまかせて、意識にあらわれるものを静かにながめて、去るものは追わず、来るものはとがめないのである。
お金もあらわれる、美人もあらわれる、名声・利達・嫉妬・怨恨、あらゆる悪徳の行列が通る。
あさましいが、それが七情の仮装であるからしかたがない。過ぎ行くままにまかせていおく。
これら百鬼は次第に影を潜める。
かつて夜も眠らぬほど苦悶したことも、児戯に等しい(たわいもない)ように感じて来る。
こうなると一面には広々とした世界が、次第に展開して来るようになって、本性の閃きかと思われるものが見える。
内観により、お金よりも、美人よりも名声・利達よりも、嫉妬・怨恨よりも、世相を超越した心の安住の場所が感じられ、人間の「性」とか「道」とかいうものはこれだろうかと思う。
物があるのではない、規範があるのでもない。世の中の百事をこれに映して、即断即決してもあやまりではないように思われる。これは私一人の経験である。
私は読書をしたり、他人の説を聞いたりして、人間の「性」とか「道」を会得しようとつとめた。
いつのまにか自己に「性」が宿り、「道」が行われていることに気づかなかった。
瞑目は内観を行うために最良に工夫されたものである。端座は身心を平静させる唯一の方法である。
心身の気分に注意をすると、百鬼の往来する間は、形は端座していても、心は平静ではない。百鬼が次第にその影を潜めてくると、自ら心がひろく体がゆたかになる。
端座瞑目して内観につとめ実行することを、一日でも怠ってはならない。
ひたすら心がひろく、体がゆたかなる気分を得ようと端座瞑目するがよい。
これが即ち修養である。
内観によって得たものは、強い信念が伴っている。
信念の伴うものは、事に当たっては融通自在である。
茶道の達人は茶を点てる技から悟入して、天地を開拓している。
およそ一道に名を得たる人の動作には、いずことなく典雅の趣がある。
修養に志す者の身体的工夫の一つとして、丹田に力をこめることを説かないものはない。
忙しいときや事件に遭遇しても、丹田に力が抜けないように修養すれば、非常時でも普通の事となり、忙中に閑を発見することができるだろう。
私は、修養の方法として、内観につとめ継続すること、丹田に力をこめること、読書することを勧める。
常に丹田に力をこめて、自ら内観につとめ、本性のひらめきを認めてここに心を安住し、七情の調和をたのしめば、心はおのづからひろく体はゆたかになる。
これを何十年も実行すれば、そのうち人生の真意義が、釈然として氷解するときがくるであろう。
修養の道場として、教室の教壇上と運動場を特にあげたいと思う。
子どもが事件をおこしたときは丹田の力が抜け、七情の調和がやぶれ腹をたててしまう。
後で心が平静になったとき、なぜこの事に腹をたてたのか、即ち怒る要のないときに怒ったということが多い。
教師は太陽が年中その光を閉ざさないように、雲が光を覆うことがあっても、雲が去ると共に輝きだす態度が望ましい。
万物は太陽の光により成長し、子どもはこれがために育つのである。
(芦田恵之助:1873(明治6)-1951(昭和26)年、兵庫県生まれ、東京高師付小学校教師、全国各地で授業をする。国語教授法や随意選題の綴り方教授法を考え実践した。小学校国語教育に多大な影響を与えた)
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