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学級のいじめの予防といじめが起きたときの対処法とは

 いじめられやすい子は、毎日子どもたちと生活しているとだいたいわかるものである。
 私の経験で言うと、クラスの平均的な雰囲気からはみ出している子どもだ。
 私はまずそういう子どもとなかよくなろうとした。
 なかよくなってその子の持ち味を知りたいと思ったのである。
 そういう持ち味を授業中にさり気なく発揮できる機会をつくることが必要だ。
 つまり、その子はちょっと変わっているけれども(ここを担任が肯定しておくことが大事)、人間としていい味を出していることを認めていくのである。
 ゆっくり時間をかけてそう認めるまで続ける。
 もちろん他の子どもたちの持ち味も見つけていく。
 こうして、まずは担任対一人の子どもという親密な関係を人数分作っていくのである。
 いじめが起きたら、その経過を全員の前で明らかにしていく。
 事実関係を明らかにしたら、どこがいけないのかその都度確認していく。
 ここで私の善悪の判断をはっきり言う。躊躇してはいけない。
 謝らせるべきことがあれば、しっかり謝罪させる。
 終わればいつものように声をかけ一対一の関係を築いていくのである。
 いじめられた子どもに、いきさつから全部聞いていく。
 そしていじめはすぐになくならないことをはっきり伝える。
 いじめと闘い、はねつけられるようになるまでは、私が体を張っても守ってあげると、はっきり言う。
 そして同じような事件が起こる度にどう闘えばよかったか、二人で話していく。
 子どもの弱さや勇気のなさも話題に上がってくる。
 また、親が心配するようなことが起きればすぐに家庭訪問し、子どもに言ったことと同じことを話して帰ってくる。
 いじめられた子どもだけにかかわっているように見せてはいけない。更にいじめられることがあるからだ。
 いじめっ子ともなかよくなり、一対一の親密な関係を作っていかなければならない。
(尾崎光弘:元東京都公立小学校教師)

 

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