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授業で「学習集団づくり」をするには、どのようにすればよいか

 学習集団づくりの道すじは、次の二つあると教育学者の吉本 均は次のように述べている。
1 学習規律の組織化
 まず、吉本は、教師は個々の子どもたちではなく、全員参加できるように、班を指名すべきだと提案する。
 吉本は班の質、とりわけ班長が班内にわからないものがいるかどうか把握する。
 次のステップに進むとき、班員がお互いに確認し合う。
 班員がお互いに確認し合うといった点を教師が評価してみせることによって、子どもたち自身が点検し合う学習体制をつくることにより、自覚的な学習規律を確立しようとした。
 これには「全員の参加・発言を保障する」ことと「自主・共同の学習体制をつくる」ことが含まれる。
2 「問い」による思考の組織化
 吉本は豊かに思考するために「集団思考=討議」を重視していた。
 仲間との緊張をはらんだ「問い-答え」の過程で「認識する学力」がつくりだされ、内面に定着していくと述べている。
 集団思考を発展させる方法の一つとして
「○○さんに賛成です。そのわけは・・・・」
「ぼくは、いまの○○君につけ加えます」
「私は○○さんの意見に反対です。そのわけは・・・だから」
 といった「発言形式の訓練」を提唱していた。
 これは、子どもたちの聞き方の訓練にもなっていた。
3 教師による発問
 決定的に重要なのが教師による発問である。
 吉本は、次の三種類の発問を示している。
(1) しぼる(限定する)発問
 子どもの思考を焦点化させ、思考を引き出す具体的で明瞭な発問。
(2) ひろげる(関連させる)発問
 既知の内容と未知の内容を明確にして、関連を組み立てさせるような発問。
 それと、具体的事実、資料、生活経験などに関連づける発問。
(3) ゆさぶる(否定する)発問
 子どもたちが現在、習得している思考に対して、あたらしい次元の対立や矛盾などをつくりだす発問。
 授業の中心的な場面において発問すべき最も重要なものである。
 その典型として吉本があげているのが斎藤喜博の森の出口はどこかを問う「森の出口」の授業である。
「ゆさぶり」の典型的にあらわれた授業として斎藤喜博の「森の出口」の授業がある。
 斎藤喜博(1911-1981年)は、1960年代に島小学校で教育実践を行ったことがよく知られている。
 この斎藤の「森の出口」の授業を具体的に見ていく。
 小学3年の国語の教科書に、次のような文章が記載されていた。
「あきおさんとみよ子さんはやっと森の出口に来ました」
「つかれきって速く歩くことができません」
 授業で、この「森の出口」という言葉が問題になり、子どもたちからさまざまな意見が出された。
 話し合いの結果、「森の出口」は森とそうでないところの境だという解釈をして、子どもたちは喜んでいた。
 ところが、うしろで見ていた斎藤は立ち上がって黒板に森の絵を描き、森の中から森の外が見えたところを「森の出口」と書いた。
 黒板の絵を見て、子どもたちは思ってもみなかった解釈に、ハッとした。
 子どもたちは驚き、緊張がクラスにひろがった。
 斎藤は子どもたちの読みとりに対して、別の読みとりがあることを気づかせた。
 森に迷い込んだ二人の子どもにとって、森から出られると実感できた場所で、「やった。森から出られた。家に帰れる」と叫んだであろう。
 あきおさんとみよ子さんにとっては、その地点が「森の出口」なのである。
 作品の中の人物の立場から考えることが要求され、そのことが子どもたちの知的なめざめを誘発していったのである。「ゆさぶり」が、そこにあらわれている。
(吉本 均:1924-1996年広島県生まれ、広島大学名誉教授 日本における教育方法学の確立に貢献したといわれる)
(鳴瀬彰夫:神奈川大学)

 

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