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国語(小学校)「ちいちゃんのかげおくり」の授業

 この作品は、これまで何度も3年生を相手に授業をしていますが、いつもうまくいきます。
 これは悲しい暗く重たいといった印象を受ける作品です。
 この話は、ちいちゃんが亡くなる寸前までは暗く沈んでいます。
 ちいちゃんが最後、昇天してしまうのですが、上に上がったら、きれいなお花畑でお父さん、お母さん、お兄さんが待っている。
 そして笑いながら駆け寄ってくるというラストになっています。
 私は、これは作者・あまんきみこさんの、幼いものへのやさしさだと思うのです。
 あまりにも悲惨な話だから、最後の場面を用意して、子どもたちにホッとさせたかったんじゃないかと。
教師「ちいちゃんとお父さんやお母さん、お兄さんたちはみんな、生きて会えたんですか?」
 という質問をしたらいいと思います。
 そうしたら子どもたちはもう一回考えます。
 いくら明るく描かれていても死後の世界のことです。
 だから本来の意味での明るさ・楽しさではないんですよということが言外にわかると思います。
 お父さんが出征していくことが決まって、みんなでお墓参りに行って、その帰りに家族四人で「かげおくり」というあそびをする場面があります。
 自分たちの影をじっと見つめて、サッと空を見上げるとその影に残像が空に映って見えるのです。(第一章)
 この第一章で
教師「この場面で皆さんが、ちいちゃんかわいそうとか悲しいと思うところに線を引きなさい」
 と言ったら、圧倒的多数の子どもが線を引くのは、お父さんが出征していく場面の、
子どもたち「おとうさんは白いたすきをかたからななめにかけて・・・」というところと、
「“からだのよわいおとうさんまでいくさにいかなければならないなんて”おかあさんがぽつんといったのが、ちいちゃんの耳にはきこえました」というところです。私が、
教師「ここを読んでどうして悲しいと思いましたか」と聞きました。すると、
子どもたち「お父さんは戦争に行ったら死ぬと思う」
 と言います。
子ども「“からだがよわい”と書いてあるから、そんな人が戦争に行くなんて負けてる」
 というわけです。
 重ねて私が、
教師「お父さんは戦争に行くと自分はどうなると思っていますか」と聞くと
子ども「生きて帰りたいけれども帰れない、死ぬことを覚悟している」
 という答えが返ってきました。
教師「じゃ、お父さんが死ぬことを覚悟しているのがわかることば・ことがらが二つあるんです。考えてごらん」と問いました。
子どもたち「先祖の墓参り、ふつうそんなんお盆かお正月にしか行かない」と言います。
 もうひとつは、
子どもたち「お父さんが、“かげおくり”をして影が空に映ったときに、きょうの記念写真だなあと言ったのは、これで四人そろって写真をとることなんてないと思ったから、そう言ったんじゃないか」と。
 それはそうかもしれません。
 このように、子どもが言ったことを教師がうまくすくいあげて、それをもう一回子どもに返して、集中するところはいっしょに考える。
 そういう授業をしていったら子どもたちは楽しいんじゃないでしょうか。
 教科書教材というのは、あくまでも資料のひとつです。
 漢字だけはちゃんと教えておかないといけないでしょうが、教科書の作品ばかりをしなくていいと思います。
 そして、浮いた時間で、やっぱりいろいろな名作を読ませてあげてほしいのです。
 そのことは実は、読書指導につながる国語の授業だと思います。
 あまんきみこさんの「ちいちゃんのかげおくり」をするなら、あまんさんの他のいろんな作品を用意しておかなければなりません。
 勉強したあとに、
教師「いいお話でしたね。あまんさんの作品、他にもこんなのがあるよ」
 と言ったら飛びついて読みます。
 このことの積み上げが、自然に子どもたちを本好きにするのではないかと思います。
 私は読み方の授業の延長線上に読書指導があるんだと考えています。
 教科書にある、いい作品一つで勝負しようなんてことはダメだと思います。
 一つの作品だけにシャカリキになる人に限って、長時間やる傾向があるようです。
 一つの教材を9時間も10時間もかけるのです。私はせいぜい5、6時間でいいと思います。
「くまのこウーフ」などの作者・神沢利子さんは、以前、講演でこんなことを言われていました。
「私たちの書いた作品は、作者の手をいったん離れたら、読み手がどう読んでもいいんです」
「だけど、私たちが書き上げた作品というのは、子どもたちの手に届くときには新鮮なはずです。おすしにたとえたら新鮮なネタです」
「ところが料理人の先生が、ああしたりこうしたりしているうちに、だんだんネタが古くなってしまって、子どもが興味を失ってしまう。そんな授業はしてほしくない」
 私は、これを一つの作品は長い時間かけず、短時間でしてほしいということだと受け取りました。
 私の娘が4年生のときです。2学期のある日、「今、国語で何勉強してるの」と聞いたことがあります。
 そのとき彼女は「今日から『ひとつの花』やねん」と実にうれしそうな顔で答えました。
 それからずいぶんたってから、また同じように「今、国語で何勉強しているるの」と聞いたら、今度はイヤそうな顔をして「まだ『ひとつの花』やねん」と言うのです。
 私はこのことばをいまだに忘れることができません。
 これは神沢さんが講演で言われていたこととピタリと重なります。それ以来、私はいよいよ、そう思うようになりました。
(持田俊介:元大阪府交野市立小学校校長)

 

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