子どもたちが安心できる学級づくりは、どうすればよいか
子どもたちがもっと恐れていることは、叱られること、恥をかかされること、級友たちの前でバカみたいに見えること、悪い成績をとること、親の怒りを買うこと。
教師が恐れていることは、かっこ悪いこと、子どもたちに好かれないこと、言っても聞いてもらえないこと、子どもが自分の手に負えなくなることを。
私が新任のころ、学校がはじまる最初の日に子どもたちを威嚇する計画を立てた。
私がボスであることをはっきりわからせたかったのだ。同僚の何人かも同じことをした。私たちは、子どもたちに秩序を守らせることに成功したと思い込んでいた。
だが、正直になろう。いくら効果的であっても、手段を選ばないやり方は、教育的に見て正しい方法だとはいえない。もっとじょうずなやり方があるはずだ。
ある日、優れた教師が語っているビデオを見た。彼は、教えるときやしつけをするときには、つねに子どもの立場に立って物事を見、教育手段の近道として恐怖を用いてはいけないと言っていた。
私たちは、子どもたちがよりよい人間になるのを助けてやるべきなのだ。
実際、その後の教員生活を通して、教室の雰囲気を改善すれば子どもたちをいろいろなことに挑戦させやすくなることを知った。
恐怖のない教室をつくりあげるのは簡単ではない。何年もかかるかもしれない。しかし、やってみる価値はある。
今の私の学級には、恐怖はない。私の教室を訪れた人がいちばん感心するのは、子どもたちの学力でも、私の授業の仕方でも、手際よく飾られた教室の壁でもない。
クラスの雰囲気に感嘆するのだ。静かで、信じられないぐらい礼儀正しい。安らぎの場所であることを。私は、つぎのように努力している。
1 信頼感を持たせる
新年度、学級がスタートする日、私は子どもたちと、話し合う。
「大抵の学級は怖さがもとになっているけれど、この学級は信頼がもとになっているんだよ」と私は言う。
私が本気であることを子どもたちが知るのは、私の行動を通してである。
私は信頼のエクササイズと呼ばれるものを例にとって、生徒たちに信頼の大切さを説明する。
そのエクササイズはごく単純で、一人が後ろに倒れ、それを仲間が抱きとめるてやるというものだ。
そのエクササイズで、もし、友だちが冗談半分であなたを落としてしまったらどうだろう。
その友だちへの信頼は永遠に損なわれるにちがいない。たとえ彼が謝り、二度と落とさないと誓ったとしても、あなたは安心して倒れかかることはできなくなるだろう。
つまり一度失われた信頼は、簡単には修復できないのだ。そのことを私は子どもたちの心に深く刻み込む。
もちろん、子どもたちは信頼をこわすことがある。そのときは信頼を取り戻す機会をあたえられるべきだ。
しかし、それには長い時間がかかる。子どもたちは私からの信頼を誇りにしており、それを失いたくはない。実際、失うことはめったにない。
私は、子どもたちに求める信頼に自分が値するかどうか、日々、確かめるようにしている。
私はあらゆる質問に答える。以前に尋ねられた質問でもかまわない。
自分が疲れていてもかまわない。私が心から子どもたちに理解してもらいたがっている、ということが、子どもたちに見えなければならない。
理解してもらえなくても、がっかりせず、私は何度でも挑戦する。
アランという子は、かつてこう言っていました。
「去年、ある先生に一つ質問をしようとしました。そしたら、その先生は怒って言いました。『それは前にも教えたでしょう。あなた、聞いていなかったのね!』って、でも、ぼくは聞いていました! ただ、理解できなかったんです」
「レイフは、ぼくが理解するまで、500回でも答えてくれます」
親や教師は、たいていしかるべき理由があってだが、いつも、子どもに腹を立てる。
でも子どもが何かを理解しないからといって、いらつくべきではない。
子どもたちの質問に対する私たちの忍耐強い肯定的な態度が、ゆるぎない信頼感をつちかってくれるのだ。
2 約束は守る
大人は子どもに約束し、きちんとできたらご褒美をあげる。
安易に約束し、大人が約束を破ることが問題なのだ。
信頼を損なうことは何が何でも避けなければならない。
親や教師は約束を守る必要があるのだ。
もし金曜日に図工の特別な課題学習をはじめると子どもたちに言ったら、木材や絵筆を手に入れるため、早朝四時に24時間営業のホームセンターに買い物にいかなければならないとしても、約束どおり図工の課題学習をやらなければならない。
いつもあてにできることが、信頼感を築く最良の方法なのだ。ありきたりな言い方だが、言葉よりも行動が多くを語るのである。
3 しつけは合理的に
しつけについて、けっして忘れてはならないことがある。
子どもたちは、厳しい先生は受け入れても、不公平な先生は毛嫌いする。
罰は犯した罪に見合ったものでなければならないのに、往々にしてそうではないのだ。
いったん子どもたちがあなたを不公平とみなせば、あなたは子どもたちの信頼を失う。
不公平な罰や、筋の通らない結末について、私は子ども達からさんざん不満を聞かされてきた。
一人の子どもが教室内で勝手なふるまいをする。
すると教師が、その午後、クラス全員でやることになっていた野球をやらせないことに決める。
子どもたちはしぶしぶ従うが、内心、猛烈に腹を立てている。
もう一つよくある例はこうだ。
ジョンは算数の宿題をしてこなかった。罰として、休み時間にベンチに座っているように言われた。そこには何の関連性もない。
私たちのクラスでは、何らかの活動の最中に行儀悪くしたら、その活動への参加を禁じられる。それが最高の罰である。
たとえば、子どもが理科の実験中に不作法なことをしたら、私はただこう言う。
「ジェイソン、きみは器具を正しく扱えないようだ。グループの外に立っていてくれないか。実験を見ててもいいが、参加はできない。明日、チャンスをあげるよ」
野球の試合中、文句ばかり言ってきちんとプレーできない子は、ベンチに座っているよう命じられる。
それは論理的である。そして子どもが正しくプレーできるようになったら、かならずもどれるようにするのだ。
4 教師が子どものお手本になる
子どもたちはあなたをお手本にする。
教師はたえず子どもたちに見られていることを忘れないでもらいたい。
だから、あなたは子どもたちになってもらいたい人物にならなければいけない。
私は子どもたちに行儀のいい努力家になってもらいたい。
ということは、私もとびきり行儀のいい努力家になったほうがいいということだ。
子どもたちを騙そうなんて考えてはならない。そんなことをしたら、すぐに見破られてしまうだろう。
子どもたちに信頼してもらいたいなら、いつも気をつけて、努力する必要がある。
ある教師は学校に遅刻していた。その教師は子どもたちの信頼を失った。
遅れるということは、自分にとって子どもは大切でないと告げたも同然なのだ。
それなのに、どうして授業をまじめに聞く気になるだろう。
その教師が授業をしている間、子どもたちはうなずいているが、心のなかでは「ふざけんじゃないよ」と思っているのだ。
私は若い頃、よく怒って、いらついたものだ。それは間違いだった。
ささいなことで怒っていたら大きな問題など扱えない。
子どもを脅しつければ、言うことを聞くだろう。
しかし、それがあなたの望みだろうか?
生徒たちは、専制君主ではなく、擁護者を必要とする。
私は若いとき、さんざん独裁者を演じたので、専制君主の無益さをを知っている。
近ごろわかってきたのだが、堅牢でなごやかな避難所を教室につくってやれば、子どもたちは自信をもった幸せな人間へと成長する機会をもてる。
何とか努力して、教室から恐怖を取り除いてほしい。
そして、公平で、合理的であってほしい。
そうすれば、あなたは教師として成長するだろう。
子どもたちは、あなたが築いた安全な避難所でみごとな進歩をみせて、あなたを驚かせ、そして自分自身にも驚くだろう。
どうか私を信じてもらいたい。
(レイフ・エスキス:UCLA大学院卒、米国の教育を根本から変える力を秘めた小学校教師。ロサンゼルスの犯罪の多発するロサンゼルスの貧困地区の移民家庭の子どもたちが多く通う小学校のクラスを30年以上受け持ち、学力を飛躍的に伸ばし、品格のある子どもを育て、教師として初めて、アメリカ国民芸術勲章を受章。
英語が第二言語である子どもたちが自発的に朝6時半から放課後5時過ぎまで学校に滞在、教科の勉強のほか、ビバルディを演奏し、ロックバンドを組み、シェークスピア劇の練習をし、週末には名画を鑑賞する。教え子は続々と名門大学に進学し、医師や科学者を輩出。毎年上演するシェークスピア劇が高く評価された)
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