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新任の学校で大きな挫折感を味わったが、生徒を好きになる方が大切と思ったとたん、気持ちが楽になった

「いつか辞めてやる」と思う気持ちが「せめて3年は続けるか」に変わってきたのは、私を「バカ」だの「ブス」だのと罵り続けてきた2年生のKという生徒が、突然「1年の英語が全然わからないから、教えてくれ」と言ってきたあたりからだ。
 たしかbe動詞の使い方だったと思うが、かみ砕いた説明の後で簡単な問題をやらせると、全部できる。
 それが彼にはひどくうれしかったようだ。
 その後、何度となく彼は手下を引きつれて職員室にきては問題を解き「俺って天才」と言いながら帰っていった。
 それまでKは私にとって、一種のモンスターであり、あの滅茶苦茶な状態の学校のシンボル的存在でもあった。
 私の価値観をたたき壊し、私の自尊心をボロボロにし、仕事もこれ以上は続けられないかいうところまで私を追いつめた。
 私は傷つくことを恐れ、彼らの存在に怯え、心も体もすっかり固くなっていた。
 しかし、ある日ふと気がつくと目の前にいるのは少々自己顕示欲が強く、ちょっとばかり乱暴な、一人の15歳の少年だったのである。
 その時の気持ちをどう表現したらよいのだろうか。
 荒波がさーっとひいていくような感じである。
 心はとっても晴ればれとしていて、まるで広い野原に立ってゆっくり深呼吸しているよう、そんな何ともいえない解放感を、私は教師として初めて味わったのであった。
 4年目にして初めて学級担任を任された。
 そしてその時になってはじめて生徒と「身内」のような距離の近さを感じた。
 保護者とのつき合いも、副担任だった時のそれとはまるで違っていた。
 いろいろな事件や問題は相変わらず起こっていたが、その度に一人ひとりの生徒と真っ正面から向きあって話しあった。
 学級通信は日刊モード。
 生徒の親との電話が深夜にまで及ぶこともしばしばだった。
 クラスの生徒は様々で、例えば
 向こうから近づいてくる人なつっこい生徒
 まるで無愛想で、何を考えているのかさっぱり分からない生徒
 はたまた学校や教師に対し敵意まる出しという生徒
 もいたが、初めて「みんな可愛くて、みんな大事」という、とても不思議な、そしてとても心地よい感情を、彼らに対して抱いていた。
 新任のとき、そっぽを向いてやりたい放題の生徒を前にして、彼らに「好かれよう」という努力をしていた自分に気づいたのは、その時だったろうか。
 なんだかすごくおかしかった。
「好かれる」ことよりも、彼らを「好きになる」ことの方がずっと大切なのに。
 そう思ったとたん、気持ちがもっと楽になった。
 もう、転職情報誌は買わなくなっていた。
(友松利英子:元東京都公立中学校教師・法政大学中学校副校長、新英語教育研究会で活躍した)

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