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2020年12月に作成された記事

小学生は学年によって、どのように叱り方を変えればよいか

 小学生は学年によって、中嶋郁雄先生は叱り方をどのように変えているのか。
(1)1~2年生
「ならぬものはならぬ」と、簡単な言葉で理由を教え、形を作る。
(2)3~4年生
 教えたことができているか見守る。
 できなかったら「今はどうすべきだったかな」と正しい方向に戻す。
(3)5~6年生
 頭では理解しているので、間違った時には「先生が言いたいことはわかるか」とだけ述べて考えさせる。
 外を固めた上で、徐々に精神を鍛え、自律の精神を養っていく。
 子どもたちが生活への意欲を高められるように指導するのがプロの教師だ。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

 

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叱ることで、子どもに「自律の精神」を養う

 小学校は6~12歳という幅広い年齢の子どもたちが集まる。
 著しく成長するこの時期に、どのように叱れば効果的な教育につながるのか。
 叱り方についての著書がある小学校の中嶋郁雄先生に聞いた。
 叱る先に見ているのが、子どもたちに「自律の精神を養うことだ」
 子どもたちの心の中に「先生」を住み着かせたい。
 教室で走り回ったり、ポイ捨てをしたりした時、行動を振り返り「これはいかんやろ」と考えられる人になってほしい。
 中嶋先生が叱り方を意識するようになったきっかけは、
「教師になったばかりの頃は叱り方がわからず、感情的に叱ったこともあった」
「後に再会した教え子が『先生は怖かった。なぜあんなにむちゃくちゃに怒られたのか、今でもわからない』と打ち明けてくれた」
「よく叱られたなあと思い出す人はいるが、どうして叱られたかを話す人は少ない」
「反省した理由を忘れない叱り方をしないと、教師の思いは伝わらない」
「恐怖でしか抑えられないのは、教師として未熟な証し」
「クラスから巣立ち、教師の恐怖から解放されたら、怒られないからと考える子どもがいる」
「命令通りに動かすのみでは、子どもは体裁を取り繕うだけ」
「時間をかけ、子どもなりに納得させた上で行動させたい」
「厳しく一言で抑えつけろという雰囲気が職員室にあるかもしれない」
「子どもには子どもなりの考えや理屈があるので、それを理解できるように子どもたちとの信頼関係をしっかり作ることが必要だ」
 中嶋先生が子どもとの接し方で心がけていることは何か。
「怒りに身を任せた感情的な姿を見せないこと」
「ある児童を叱っている時、別の児童に呼ばれたら『にこっ』と笑顔で振り返るくらいの余裕を持つべきだ」
「小学生になれば、人間の感情を逆なでするような発言ができる」
「教師は、なぜ指導しているのかを忘れてはならない」
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

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「叱り方の極意」とは

 叱り方の極意のひとつは、「子どもの将来を見据える」ということでしょうか。
 つまり、子どもの将来を思えば、子どもに嫌われると思っても、しっかり叱ることができるということです。
 本当に子どものためを思うなら、目の前の子どもがつらい思いをしていても、かわいそうだと思っても、叱らなくてはならないことはしっかりと叱るべきです。
 そして、「叱る」という行為は、決して怒鳴ったり、力に任せて子どもに恐怖を与えたりすることではないということです。
 優しい言い回しでも、厳しく叱ることはできますし、無言で子どもに反省を促すことだって可能です。
 本当の意味での「厳しさ」とはどういうことなのかを、今一度考えてもらいたいと思います。
 この二つをしっかり肝に銘じておけば、子どもにおもねったり、反対に虐待をしたり、といったことには、まずならないと言っていいと、私は思います。
 「叱り方がわからない」「子どもにどう接したらいいか教えてほしい」と口にする親が多くなりました。
 やはり、親に自信がないのでしょうね。
「こんな些細なことで叱っていいのか」「子どもが傷つかないだろうか」「嫌われないだろうか」……と。
 そんな自信のなさによって、どんどん子どもにおもねってしまうのです。
 しかし、それは私に言わせれば、親としての「子どもを叱る責任」を放棄しているだけです。
 幼いうちから自分の子の顔色をうかがって、この先、どうやって子育てをしていくのでしょう。不安は募るばかりです。
 親にあまり叱られずに育った子の中には、何をするのも投げやりで、人を信頼できていない子が多いように思えます。
 どんなに悪いことをしても親から叱られなければ、「本当に愛されているの?」「ボクのことどうでもいいの?」となっていくのでしょう。
 子どもは、誤った言動をしていることを、自分自身でもなんとなくわかっています。
 それを正すために親は叱るのですが、この「叱るという行為」に対して、実は子どもは、親の愛情を感じているのです。
 私は教師ですから、子どもを毎日のように叱っています。
 子どもとの関係が深まれば、それだけ叱ることも増えてきます。
 そして子どもたちも、叱られることを心から受け入れるようになります。
 ですから反対に、「叱られない」ことはつまり、「先生に見放された」と思ってしまうこともあるようです。
 教師に対してすらそうなのですから、相手が親なら、なおさらですよね。
「うまく叱る」には、「どんな子に育てたいのか」ということを、親自身がしっかりと見つめることが、とても大切だと思います。
 そして、叱るときには自信をもって叱ってほしい。
「お母さんはあなたを愛しているから、いい子に育ってほしいから叱るのよ」という、親の愛情と責任感を、しっかりもってください。
 子どもを取り巻く環境はどんどん変化していますが、子ども自身や、子どもを思う親の愛情は、昔と少しも変わりません。
 子育てに悩み、子育てに疲れることも時にはあると思います。
 しかし、子どもを守り、立派な社会人として育てることができるのは、親だけです。
 どうぞ、ご自身のお子さんを思う気持ちに自信をもっていただきたいと思います。
「ブレない子育て」を実践していくためには、子どもを「ひとりの人間」として、客観的に見ることです。
 親はともすれば、自分の子どもを「特別な人間」と思いがち。
 大切なわが子ですから、親にとって特別な存在であるのは当たり前なのですが、その「特別感」が、わが子を適正に見る目を曇らせたり、過信につながってしまったりしてはいけません。
 よく、「うちの子がそんなことをするはずがない」「子どものことは、私がいちばんわかっている」と言う親御さんがいます。
 しかし、子どもだって私たちと同じ。ウソもつけばズルいこともします。だって、それが人間なのですから。
 他人や自分を見るように、わが子の行為や、それに至った心の動きを冷静に、客観的に考えてみることが必要です。
 そうすることによって、自分の子の長所と短所が見えてきます。
「ああ、この子は、こういう考え方をするのだ」とわかるようになり、対処の仕方や接し方も、自ずと見えてくるのではないでしょうか。
 そうすれば、外からの情報にばかり頼る必要はなくなってくるはずです。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

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英単語の効果的な覚えかたとは

 英語学習が初期のころは、基礎語彙を速やかに蓄積するようにする。
 新しい単語は、例文で覚えたほうが長く覚えられる。
 学習した単語の復習は1週間以内にしたほうがよい。
 英文を読むとき、辞書を引いたほうが単語をよく覚えるようである。
 単語の学習に必要な繰り返し回数は6~20回と説にバラツキがある。
 単語の意味を理解することが大切で、視覚・聴覚で理解する。
 理解しやすい英語を多く読むと語彙がふえる。
 大学受験までに2000語を習得するのが目標となる。
(高梨芳郎:1948年生まれ、福岡教育大学名誉教授を経て名古屋外国語大学教授。専門は英語科教育、とくに指導法、学習者要因、テスト法の研究)

 

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幼児教育は遊び心を生かし、遊ぶ楽しさで始めさせるとよい

 鈴木鎮一はヴァイオリンを習いにきても、はじめからヴァイオリンひかせることはしません。
 まず、親も一曲ひけるように親に指導します。
 親に家庭でよい教師になってもらうためです。
 子どもは家庭のけいこで育ちます。
 じょうずなけいこのしかたを子どもにさせるには、親がそれを体験しておくことが必要であり、それによって子どもは正しくよく育つのです。
 親が一曲ひけるようになるまで、子どもにヴァイオリンをひかせない。
 子どもには、練習する曲を家庭で聴かせるようにするのです。
 親が子どもにヴァイオリンのけいこをやらせたいと思っても3,4歳の子どもにけいこをしたいという気持ちはまるでないからです。
 そこで必要なことは、子どもが無意識のうちに「自分もやりたい」という気持ちをもつようにすることです。
 そのために、家庭では練習する曲を子どもに毎日聴かせ、レッスン教室では、他の子どもがひいている環境のなかにおきます。
 しかも親がヴァイオリンを教室でひき、家でもひく。
 子どもはしぜんのうちに、親からそれを取りあげて、自分も遊びたいとしだいに思い始めます。
 もう曲のメロディーを知っている。
 ほかの子どももひいている。
 「自分もひいて遊びたい」という心が、だんだん育ってくるのです。
 そうした状況をつくってから、
「ヴァイオリンがやりたい」
「うん」
「それでは先生にお願いしてあげましょう」
 これで成功します。
 すこしひけるようになってから、ほかの子どもたちといっしょに合奏させます。
 子どもの大きな喜びは、みんなとの合奏です。
 そのなかで大きな影響を受け、よく育っていくのです。
 遊ぶ楽しさで始めさせ、遊ぶ楽しさで正しいほうへ導く。
 幼児の教育はここからなされねばなりません。
 教育だと四角ばったとき、とたんに子どもはゆがみます。
 まず心を育て、そして能力を身につけさせていく。
 これが自然の正しい道なのだと鈴木は述べています。
(鈴木鎮一:1898~1998年 ヴァイオリニスト、音楽教育家。才能教育運動をおこし音楽教育システム(スズキメソッド)は世界的に評価されている)

 

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才能はつくるものである

 才能はあるものではない。
 才能はつくるものだ。
 正しい努力を続ければ、やっただけの能力が必ず身につく。
 500回やってできない人も、5000回やればできるようになる、ということを忘れてはいけないのです。
 自分には才能がないという悩みと悲しみは、ばかげた間違った考え方である。
 人間は環境の子どもである。
 へたな努力をすれば、へたな才能が育つ。
 正しい努力(一つのことができたら、それをくり返しやること)を積み重ねた人がすぐれた才能を示す。
 手先の仕事をするある工場で、
「生まれつき手の遅い工員がいます。なんとかなりませんか」
 と社長が鈴木に言った。鈴木は、
「それは手でなく、頭がおそいのですよ」
「いいコーチをつけて、卓球の練習をさせてください」
「卓球は瞬間的に体と頭が同時に働かなければなりません」
「うまくなったとき、仕事の能率も上がっています」
 と言った。
 それから半年後、社長から仕事の能率が上がったと礼状が鈴木に届いたそうです。
 子どもの短所を生まれつきと放置せず、短所は時間をかけて訓練すれば逆に長所とすることもできると鈴木は信じています。
 だれにでも短所はあります。
 それを放置しないで、すぐに長所にする行動に移す。
 これは人の一生の運命を左右するほど大切なことです。
(鈴木鎮一:1898~1998年 ヴァイオリニスト、音楽教育家。才能教育運動をおこし音楽教育システム(スズキメソッド)は世界的に評価されている)

 

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私はシューベルトの「アベ・マリア」で音楽の心の目がひらかれた、音楽・芸術とは何か

 初めて目にした蓄音機から聞いた、エルマンのシューベルトの「アベ・マリア」のヴァイオリンの甘美で、ビロードのようなやわらかさで包まれた調べは、激しい驚きでした。
 父の日本で最初のヴァイオリン製造工場で働き、おもちゃのように思っていたヴァイオリンがこんなにもすばらしい音を出す。
 鈴木の音楽への心の目はひらかれたのでした。
 レコードを聞きながら我流でヴァイオリンがひけるようになりました。
 大きな慰めを見いだし音楽に愛着をいだくようになった。
 知人の薦めで21歳のとき、父のヴァイオリン工場をやめ、上京してヴァイオリンのレッスンを受けました。
 世界旅行に誘われ22歳のときにドイツで8年間ヴァイオリンの勉強をしました。
 鈴木は演奏に対する自分の才能に絶望しました。
 その絶望を招いたものが、才能がなかったのではない。
 自分の才能を育てる方法(一つの曲を何百回もくり返し、より高く、より美しく、より容易にひくようにする)を知らなかったことにあったのです。
 ドイツ留学でアインシュタインと交流させてもらった。
 アインシュタインは「新しい発見は、親に6歳からヴァイオリンを習わせてもらった音楽の世界の勘のおかげである」と言っていることを知りました。
 同時にベルリンの音楽会でモーツアルトを聞いて、なんともいえない崇高な、喜びと感動が鈴木の魂を奪った。
 生と死のどうすることもできない悲哀を深い愛情のなかに表現していたのです。
 その愛情は悲哀を越えてあるがままの人生をめで生きる喜びへと転換してくれました。
 死ぬことも自然のすることで、個人の責任ではない。
 鈴木はつねに愛と喜びのなかに生きたいと願った。
 生きる人間が、愛し合い慰め合う、その愛情のなかに人生がある。
 モーツアルトが「すべての子どもがすこしでもいい人間に、すこしでも幸せに育つようにすることだ。そのために働け」と鈴木に一生の仕事を与えてくれた。
 わたしたちの人生は人に愛を与える、慰め合うという愛情によって生きがいを得るのです。
 音楽は不思議な力をもった存在である。
「音はいのちなり、姿なく生きて」これは鈴木の座右のことばです。
 人間は、ことばと文字という文化を創造するとともに、音楽というすばらしい文化をつくりました。
 それは、ことばや文字を越えた生命のことば、神秘ともいうべき生きた芸術です。
 そこに音楽の与える感動があるのです。
 モーツアルトやベートーベンたちは、音楽のなかに生きて、わたしたち生命に強く語りかけ、わたしたちを浄化し、高め、無上の喜びと感動を与えてくます。
 芸術は遠い高いところにあるものではなく、日常の生活が芸術そのものである。
 人にあいさつすることも自己表現としての芸術です。
 りっぱな芸術を欲するなら、その姿に現れる。
 芸術作品は全人格・全感覚・全能力の表現である。
(鈴木鎮一:1898~1998年 ヴァイオリニスト、音楽教育家。才能教育運動をおこし音楽教育システム(スズキメソッド)は世界的に評価されている)

 

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能力を身につけるには、どのようにすればよいのでしょうか

 教育とは、教えよう、やらせようと一生懸命にやってもどうもうまくいかない。
 みんな、教えることだけに夢中になって、育つという子どもの実体を忘れている。
 どうしたら能力が身についていくか、ということについて深く追求しなかった。
 つまり、教育の「教」ばかりを行って、目的である「育」のほうを忘れてしまっているということです。
 自分には生まれつき能力がないと嘆くのは身勝手なことです。
 わたしたちが自由に日本語をしゃべるのは、実は非凡なわざなのです。
 能力が育っていれば日本語をなにげなくしゃべるように、やさしく感じるものです。
 能力が身につくようになるには、身につくまでくり返し努力することです。
 鈴木は過去に間違った練習や努力で、自分の能力に絶望しました。
 楽器を練習するとき多くの場合、一つの曲がひけるようなると、どんどんつぎの曲へ移ってしまいます。
 しかし、そういう努力を続けていると平凡な演奏しかできなくなります。
 音楽ばかりでなく、なんでもそうです。
 りっぱになっていく原則は、身につけた力を、ぎりぎりの高さにまで築き上げていくことです。
 鈴木は過去の間違った経験から、練習方法を正しいほうに変えました。
 子どもたちの楽器の練習は、会得した一つの曲をうんと練習させます。
 毎日3回ずつ、約3か月間ひかせるのです。
 しかも一方では、その曲の世界最高の演奏を絶えず聴かせる。
 もっとりっぱに、もっとりっぱにと。
 そうすると、やがて高さというものが生まれてきます。
 また勘を育て、技術をこえた、曲をひき終わった後の精神的な態度の領域にまで達します。
 能力は自分でつくるものだと鈴木は信じています。
 くり返し、くり返しやることだ。
 そのために根気ということが問題になります。
 どんなことでも、ことの成否は、やり抜くかどうかにかかっているともいえるでしょう。
 根気も育てなければならないものです。
 そのためには、しばらくのあいだ忍耐することです。
 自分をたたき起こす。
 このしんぼうが運命を決めるのです。
 しばらく続けていると、必要な根気の能力が生まれてきます。
 その根気の能力が手伝いを始めるので、しだいにやりやすくなり、根気が続くのです。
(鈴木鎮一:1898~1998年 ヴァイオリニスト、音楽教育家。才能教育運動をおこし音楽教育システム(スズキメソッド)は世界的に評価されている)

 

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「教えずに、考えさせる授業」では子どもたちに力はつかない

 教え込み、詰め込み教育の反動として、知識を教えることは、もはや古いし悪いことであるような風潮が広まり、きちんと教えない授業が目につくようになった。
 導入時にほとんど知識を与えないまま、考えたり討論したりする授業をときどき見かける。
「教えずに、考えさせる授業では、子どもに力がつかない」と感じていた教師は多い。
 知識があってこそ人間はものを考えることができる。
 学習は、与えられた情報を理解して取り入れ、それをもとに、推論したり発見したりしていくことである。
 教えずに考えさせても、自ら学び、自ら考える子どもは育ちません。
 「教えて、考えさせる授業」は、
(1)基本事項は教師が教え
(2)子どもどうしの説明や教え合い活動で理解を確認し
(3)理解を深める課題によって問題解決や討論などをして
(4)授業の最後に今日の授業でわかったこと、わからないことを自己評価して記述させる。
 これが「教えて考えさせる授業」の基本的な流れです。
「教えて考えさせる授業は、あたりまえで、とっくにやっている」という教師の中にも、「教える場面」(教師が一方的な説明)と「考えさせる場面」(問題を与えて子どもに解かす)さえつくれば「教えて、考えさせる授業」になっていると思ってしまっている教師もいるようです。
 「教えて考えさせる授業」のそれぞれの段階での注意点をまとめてみると、
1 教える
 教材、教具などを工夫して、わかりやすい教え方を心がける。
 また、教師主導で説明するときも、子どもたちと対話したり、ときおり発言や挙手を通じて理解状況をモニターしたりする姿勢をもつ。
2 考えさせる
(1)教科書や教師の説明したことが理解できているかを確認する
 ・子どもどうしの説明、教え合い活動を入れる。
 ・「授業でわかったこと、まだよくわからないこと」を記述させたり、質問カードで疑問を提出する。
(2)理解深化
 多くの子どもが誤解してそうな問題や、教えられたことを使って考えさせる発展的な課題を用意する。
(3)参加意識を高める
 小グループで、協同して問題を解決させて参加意識を高める。
(市川伸一:1953年東京都生まれ、東京大学教授。専門は認知心理学、学習過程の分析と教育方法を研究)

 

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教師に向かない人、向く人とは、教師に必要な人間としての資質とは何か

 教師は、子どもの心をつかみ、信頼され、指導に従ってもらえる関係を作り出す能力が必要とされる。
 教師は子どもとの間に気持ちの通じ合いが求められる。
 しかし、通じ合っても友だち関係ではなく、師弟関係が必要である。
 また、子どもが言うことをきかないと、すぐ怒鳴ったり、子どもに睨まれたら腰がひけるようでは教師の仕事が務まらない。
 こう考えるなら、教師に向かない人は、一般的に言って、
(1)子ども嫌いの人
(2)大人しすぎる人
(3)すぐに感情的になる人
(4)人の痛みがわからない鈍感な人
(5)暗い人
 は、教師に向かないと思われる。
 教師として求められることは、
(1)教育への熱意と迫力
(2)子どもが好き
(3)子どもの気持ちが感じとれる
(4)子どもに軽視されない人間的存在感
(5)スキンシップを深める
 といった能力である。
 また、教師に必要な人間としての資質は、
(1)開かれた柔軟な性格
(2)自信と心の安定
(3)暖かさと協調性
(4)社会的な常識と責任感
 が考えられる。
 実践を通じて自分を見つめ、反省し高め、新たにしていくといったたえまない努力が人間的な成長をもたらすであろう。
(梶田叡一:1941年生まれ、国立教育研究所研究員、京都大学教授、兵庫教育大学学長等を歴任し、奈良学園大学長)

 

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子どもの真実がわかるものの見方とは

 山田洋子は現場(自閉症の子どもの心理療法)を経て大学の研究者となった。
山田は大学院入学前に心身障害者コロニー中央病院で自閉症の子どもの心理療法を行った。
 ことばがでない自閉症の子どもたちとの出会いが山田のものの見方を変えた。
 病院も施設もどこも混乱と試行錯誤の連続であった。
 そこで山田が得たものの見方は、矛盾したものを矛盾と自覚したうえで両者を共存させ複眼の視点でみる。
 つまり、研究者と生活者の両方に身をおいてものごとをみるのである。
 現場にどっぷりと浸らないと見えないものがあり、逆に外部の研究者だからこそはじめて見えるものがある。
 山田は障害児をかかえて苦労している母親からたくさんのものを学んだ。
 ひとつのものごとについて、あの母親たちの眼からみたらどうだろうか、と自問するようになった。
 矛盾するふたつのものの見方を共存させるというものの見方がそのときできたのである。
 山田は結婚して子どもができ母親となった。
 母親として子どもが泣きだしたらすぐ抱きしめてやりたいが、研究者としては、つぎにその子どもがどのような行動をするか観察してみたい。
 両者は矛盾する子どもへの関わりかたであるが、両方の見方があってはじめて、子どもの真実がわかると山田は思っている。
(山田洋子:京都大学名誉教授。立命館大学特別招聘教授を経て、立命館大学OIC総合研究機構上席研究員、立命館大学生存学研究所運営委員。もの語り心理学研究所長。専門は生涯発達心理学、ナラティヴ心理学)

 

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教師に求められる資質とは何か

 教師に求められる資質とは何か、梶田叡一はつぎのように述べています。
1 人間として成熟していること
 開かれた柔軟な人格を持ち、自分を受け入れることができて自信を持ち安定感がある。
 人間的な暖かさと協調性を持つ。
 社会的常識と強い責任感がある。
2 子どもと信頼関係が築けること
 子どもと遊んだり、雑談することに喜びを感じ、子どもの気持ちや感情を察知し、子どもと心のつながりを持つ方法を身につけている。
3 教育に対する使命感と情熱にあふれている
4 授業の指導力がある
 教科の専門的な知識と授業の指導方法に深い理解を持ち、子どものつまずきの対応や子どもの成長をはかることができる。
5 子ども集団を指導する力と信頼をえることができる
 指導が公平で、力の強い子どもに引きずられない。
 集団の動きや子ども一人ひとりの状況を把握できると共に集団に対する指示が的確で規律正しく活動させることができる。
 また子どもたちに熱気と活気を与え、気持ちをひとつの方向に集中させる力がある。
6 常に成長し続ける
 常に学び続け成長し、人間としての生き方あり方についても学ぶ姿勢を持つ。
(梶田叡一:1941年生まれ、国立教育研究所研究員、京都大学教授、兵庫教育大学学長等を歴任し、奈良学園大学長)

 

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子どもたちが元気になり、勇気がわいてくるには、どうすればよいか

 人は笑顔、励まし、まなざしの中で元気とか勇気が湧いてくる。
 学校は、自信と達成感と居場所が子どもたちにあることだ。
 そのためには、授業、友だち、給食の三つが必要条件になる。
 この三つをきちっと指導できる教師がプロである。
 なかでも、授業は要になる。
 的確な発問に子どもが元気よく答える。
 子どもどうしのうなずきや問い返し、共感や支持など、学び合い支え合う学習集団があるかどうかである。
 真剣に学ぶ規律ある教室の空気が子どもの落ち着きをつくりだし、学びを深める。
 「学習が遅れがちな子」「家庭に課題のある子」「心身に障害のある子」といった課題のある子どもたちを底上げすれば、できる子どもをさらに伸ばし、全体の高まりの中で個人も伸び、学習集団全体が高まる。
 学習が理解できること、心身にハンディがあっても、みんなの輪の中で生きていけること。
 家庭に課題があっても「そんなことは、あなたの責任や努力とは関係のないこと」と支えられる教育環境があれば、子どもたちは明日に希望がもてる。
 机に向かっている子どもは、みんな同じように見えるが、家庭や地域の暮らしの中に、子どもの教育課題が隠れている。
 見ようとしないと見えてこない。
 学校外の暮らしに心を寄せないと、本当の子どもの姿が見えない。
 学校で教科指導しているときだけが教師の仕事ではない。
 教師の人間性・人格そのものがお手本である。
 その意味で教育は奥が深いし、教師の責任は非常に重い。
「先生に出会ったおかげで、今の自分がある」と、教え子に言ってもらえたら、教師冥利に尽きる。
(明石一郎:大阪府公立小学校教師、全国同和教育研究協議会事務局長、大阪府教育委員会指導主事、貝塚市立小学校校長を経て関西外国語大学教授)

 

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教師、教頭、校長はどのような人がよいか

1 子どもが「信頼する」先生、「好きな」先生、「嫌いな」先生
(1)子どもからの「信頼が高い」先生は、
・授業がうまく
・明るく
・元気で
・人間味あふれる教師
(2)子どもが「好きな」先生は、
・ユーモアがあり
・親しみやすい
・やさしく、時に厳しい
・一緒に遊んでくれる
・教え方がうまい
(3)子どもが「嫌いな」先生は、
・えこひいきをする
・短気ですぐ怒る
・がんこである
・独断的である
・小言をよくいう
2 教頭は、臨機応変で、人柄がよい人
 教頭は学校組織を交通整理する役割である。
 どんなことでも臨機応変に子どもの立場にたって交通整理しなければならない。
 教頭の要件は、
(1)誠実・堅実・果敢が求められる。
(2)人に好かれる人間性が根本となる。
(3)対人関係を肯定的にこなす。
(4)自信をもって、明るく笑顔で接する。
(5)ユーモアがある。
(6)人柄がよく、そこにいるだけで職員室の雰囲気が良くなる。
3 校長
 学校の善し悪しは校長で決まる。
 校長の指導力は、教師との良好な信頼関係で決まる。
 指導力は始動力であり、校長の方針や抱負は教師の働きによってはじめて実現する。
 校長の要件は、高い志と使命感と実行力
(1)どんな学校にしていくのか。明確なビジョン、理念を示す。
(2)具体的な対応、方策を選んで決めていくという決断力をもつ。
(3)校長が陣頭指揮をとる。日々の校長の言動が学校の風景に映る。
(4)校長のパワーと、子どもへの情熱の深さが物事の成否を決める
(5)誠実、前向き、ワクワクさせてくれる人柄。
(6)人間味のにじみでる笑顔の人。
(明石一郎:大阪府公立小学校教師、全国同和教育研究協議会事務局長、大阪府教育委員会指導主事、貝塚市立小学校校長を経て関西外国語大学教授)

 

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上手な叱り方とは

 大人が本気で子どもを叱るとき、子どもは真剣に受けとめる。
 叱るときは本気で思いきり叱り、ほめるときは心からほめる。
 鬼のような怖い顔と、仏のようなやさしい笑顔の両面が愛情である。
 上手な叱り方には、3つの原則がある。
(1)子どもを一人の人格者として認めること。
 人間は認められ、あてにされ、他者から受け入れられて心を開く。
(2)なぜ叱られるのか、十分説明し、子どもが納得することである。
 失敗には必ず原因がある。
 原因を考え、改善すべき手だてを工夫すると次の失敗は回避できる。
(3)同じまちがいを繰り返さないために、どうすればよいかを気づかせること。
 時に一緒に考えることである。
 どの子どもも「また、失敗したい」とは思っていない。
(明石一郎:大阪府公立小学校教師、全国同和教育研究協議会事務局長、大阪府教育委員会指導主事、貝塚市立小学校校長を経て関西外国語大学教授)

 

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学習意欲を持っていない子どもたちを相手に授業するために、やむにやまれぬプリント学習

 学習意欲を持っていない子どもたちを相手に授業するにはどのようにすればよいのでしょうか。
 教科書や筆記用具を机にださず、教師の説明は聞かず、隣とおしゃべりしたり、携帯電話をさわっていたり、立ち歩き教室から出ていこうとするものもいる。
 教師は授業どころではありません。
 話すのをやめさせ、音楽を聴くイヤホンをはずさせ、教室から出て行くのを止めたり、隣の教室の授業を妨げないようにするのにかなりのエネルギーがいります。
 授業を成立させるためには、結局は、意欲のない子どもをなだめすかして、授業だからしかたがないと思わせるようにする。
 意欲のある子どもには、わたしのために授業をやってくれていると思わせるようにするといったことが考えられる。
 そのために教師がよく使う方法としてプリント学習があります。
 配布したプリントの空白(虫くい)の部分を埋めさせていくものです。
 パソコンの普及で教師は簡単に作成できます。
 プリント学習は、プリントを配布し、子どもたちに教科書を開かせて、虫くい部分を埋める語句を見つけさせて、空白部分を埋めていきます。
 そのとき教師は子どもたちにヒントを言ったり、黒板に板書したりして補助します。
 まともに授業ができないので、学習意欲のある子どもにも、意欲のない子どもにもある程度満足のいく授業にするために、やむをえずプリント学習を行ないます。
 多くの教師は、子どもたちの瞳が輝くような、内容が充実した授業をしたいと思っています。
 しかし、その願いを子どもたちは聞き入れてくれません。そのための対処法のひとつとしてプリント学習にたよらざるをえないのです。
(千代多 勝:1946年生まれ、40年間、高校教師)

 

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家庭も社会も学校に責任を押しつけている

 家庭も社会も、教育的役割をはたそうとはせず、何もかも学校や教師に責任を押しつけています。
 わが子さえよければという親の過度の要求や、問題が起きれば学校を非難するマスコミが、学校の教育力を弱体化しています。
 しつけはがんらい家庭教育が担うべきことです。
 しかし、家庭はその責任を十分に果たしていません。
 それでいて、親は家庭で「先生の言うことをしっかり聞きなさい」と、いうような育て方がなされてない。
 そこにあるのは学校や教師に対する不平不満です。
 学校の指導が気にいらないと、わが子と一緒になって学校を非難する。
 集団のルールを守らない、わがままなわが子に迎合して、親が学校の指導を非難するのは、わが子から嫌われたくないという、その場しのぎの一瞬の親の幸せを望んでいるだけのためです。
 将来を見すえてわが子の成長を願おうとはしません
 家庭でそのような育て方をしているため、指導に従わない子どもが増え、教育活動で何か問題がおきれば親やマスコミは学校を非難します。
 マスコミの学校批判は現場の実態とずれています。
 マスコミが教育について論じているとき、現場の実態とずれていると教師たちは感じます。
 論議をしている人のほとんどが、学校現場で苦闘した経験を持たないからだと思います。
 学校現場で戦っている教師としては「あなたが教室に来て、実践して」と叫びたくなります。
 だから、学校も自己防衛するために教育活動が防衛的・消極的になって後退してきています。
 それにともなって、学校の教育力が低下しています。
 マスコミは教育の問題が起きても具体的な解決策を提案しないで、親の責任は問わずに学校の責任を追求ばかりいるのが今の社会の現実です。
 学校の教育力の低下の原因は、教師の指導力の低下だとするのではなく、学校と家庭・マスコミの関係を見直してみることが解決の糸口になるのではないでしょうか。
(千代多 勝:1946年生まれ、40年間、高校教師)

 

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いじめの「きっかけ」「理由」「加害者の特徴と被害者の対応」「いじめの発見者」など

1 いじめのきっかけ
 単純な動機が多い
(1) はらいせ(いい子ぶる、生意気)
(2) からかい(動作がにぶい、すぐ泣く、無抵抗、力が弱い)
(3) 違和感(転校生、交わろうとしない)
2 いじめる子どもの「いじめる理由」
(1) 性格が暗いから
(2)ウソをつくから
(3) かげひなたがあるから
(4) むかつくから
(5) 不潔だから
3 いじめる子どもの特徴
(1) 不満に対する耐性が弱い
(2) 攻撃性が強い
(3) 思いやりが薄い
(4) 劣等感をもつ
(5) 寂しい
4 被害者はいじめられたときどうしたか
 じっと我慢している子どもが多い。
(1) じっと我慢した
(2) 保護者に話した
(3) 教師に話した
5 いじめの発見者
 いじめは見つかりにくい
小学校
(1) 担任
(2) 本人の訴え
(3) 他の子ども
(4) 他の教師
中学校
(1) 本人の訴え
(2) 担任
(3) 他の教師
(4) 他の子ども
6 いじめだと訴えた者
 本人からの訴えは少ない
(1) 保護者から
(2) 教師から
(3) 本人から
(4) 近所のうわさから
(5) 他の子どもから
(石丸 淳:元中学校教師・小学校校長・愛媛県総合教育センター部長)

 

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いじめ防止の指導、いじめを生まない学級づくり

 人間は、まわりの人に認められ受けいれられて、安心して生活ができます。
「みんなの役立ち、みんなに受け入れられている」
「私を必要とする場があり、仲間がいる」
「自分も仲間を大事にし、受け入れている」
 という実感づくりが必要です。
 一人ひとりの違いを認め合い、一人ひとりの子どもが持ち味を発揮し、協力しあう学級生活を生み出していくことです。
 学級で一人ひとりが響き合ってはじめて、子どもたちは存在の意義を実感できます。
「人間は一人ひとり違う。違っているから値打ちがある」
「違っている人が集まっているから、素晴らしいものが生まれる」
 ということを常に語り、違っていることを恐れたり、排除しない学級を築きたい。
 弱い子どもに温かい視線をおくり、言葉をかける教師に子どもたちは学びます。
 担任は「あなたたちの味方だよ」と絶えず語り、実行しなければなりません。
 そうでないと、心を開いて相談にくるようにはなりません。
 子どもたちは、家庭の事情やさまざまなことで悩んだり、苦しんだりしています。
 こういう思いにそっと寄りそう、子どもたちの心に届く言葉が大きな力を生みます。
 いじめを生まない学級づくりをするには、
(1) 異なるよさを認め合う
 みんなが同じ必要はない。
 異なる人間の、異なるよさを認め合う学級づくりをめざす。
 異なっていることの価値を説明し、異質な意見を述べ合う中で、よい考えが生まれることを体験させる。
 そのためには、どんな意見や考えも、大事に受けとめる姿勢の確立に全力を注ぐ。
 そうすることによって、開放的な学級になります。
(2) 間違えることは大切
 間違えると笑われる。この恐怖をなくさないと、活発な学習活動はできません。
 学習はわからないことを学ぶのですから、間違えるのは当然です。
 間違えた考えや答えから正解が生まれ、新しいものが生まれてきます。
 間違うことがあたりまえになるようにします。
 こういう体験や学級づくりがいじめを生まないために大切です。
(石丸 淳:元中学校教師・小学校校長・愛媛県総合教育センター部長)

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「ほめる、叱る」はその教師の生き方の表現である、どう「ほめ、叱れ」ばよいか

「ほめること」と「叱ること」は技術ではなく、その教師の生き方の表現だ。
「ほめ、叱る」ことは全人間性が現れる行為です。これがうまくできないと教育になりません。
 教師はこういう授業や学級にしたいと実践します。
 そのために子どもたちをほめ、叱るのです。
 ほめることも叱ることも難しいものです。
 子どもたちが成長するためにはほめることが有効だし、叱られた体験なしに強い精神力が生まれることはないように思います。
 子どもたちを「ほめる」のポイントは
1 8つほめて、2つ叱る
2 結果でなく、その過程をほめる
3 悪いことの中に、よいものを見つけ、ほめる
 基本的生活習慣などはこの方法でないと、身につきません。
4 感情をこめてほめる
 表情豊かにほめると相手に届く
5 他人を介してほめる
「先生がほめていたよ」と友だちから聞くと、直接聞くより何倍もうれしいもの
6 手紙でほめる
7 子どもたちが気づかないことをほめる
8 ほめても、子どもの心が感じとれるように
 ほめられる子どもの、恥ずかしさがわかる
 子どもたちを「叱る」ポイントは
1 場・状況に応じて叱る
 集団は厳しく叱ります。個人の成長に関わるものは、幅をもって叱る。
2 小事は叱るが、大事は叱らない
 大きい失敗は本人が十分に傷ついています。寄り添い、聞く姿勢で。
 小さい失敗は間違いと思っていないことが多いし、人間的な成長にどうかかわるかが、わかっていないことがあります。丁寧に叱ります。
3 叱ったときにも、ほめることをわすれない
 人間は叱られるだけでは、立つ瀬がありません。
4 その教師の生き方を述べて叱る
 教師が自分の生き方で語り、叱るほうがよい。一般的な言い方で叱らないようにする。
5 「あなたたちは○○しなさい」でなく「私たちは○○しよう」と言うようにする
6 子どもによって叱り方を変える
7 叱るときはユーモアも大事で、おもしろく、楽しく叱る
8 くどくど叱らない。前の出来事を持ちださない。
9 叱るときは、まずほめ、つぎに叱り、そのあと激励する
10 皮肉をいうと、逆効果になる
(石丸 淳:元中学校教師・小学校校長・愛媛県総合教育センター部長)

 

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若い教師が困難に直面したとき、どのようにすればよいのでしょうか

 若い教師の多くは、子どもたちの集団を動かしたり、集団で話し合ったりした経験があまりありません。
 また、乱れた学級や授業を成立させたり、子どもたちの人間関係のトラブルに取り組んだ経験もすくない。
 若い教師は、困難に取り組み、摸索し、傷つきながら悩みます。
 そうした困難に直面した、子どもたちとのやりとりの中で、子どもを見つめ、受けとめ、子どもから学び、子どもを育てる力を日々磨いていくしかありません。
 苦悩と失敗は教師にはつきものです。
 しかし、子どもを捉える目の鋭さ、冒険や挑戦をして失敗を恐れず、今を切り開く力が若い教師にはあります。
 子どもへの問いを持ち続け深めていくことが、いまを切り開き、子どもと共に生きる教師となるでしょう。
 子どもに対する願いを持ちながら、押しつけず、焦らず、子どもの成長を喜び楽しみながら歩んでいくことです。
 新鮮な心と笑顔を忘れずに。
 同僚や学校外の教師、本から学び、少しずつ教師として、人間として新たに成長していくしか方法はありません。
(山崎隆夫:1950年静岡県生まれ、元東京都公立小学校教諭。都留文科大学非常勤講師、「学びをつくる会」「教育科学研究会」会員)

 

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荒れていた学級を立て直すには、どうすればよいか

 特に学級の指導で気をつけていたのは、子どもたちの攻撃的な感情を助長するような雰囲気をつくらないこと。
 ゆっくりとした時間の流れのなかで対応することをこころがけていました。
 朝の会で「守るくん、ねこのチャトラは元気ですか」と一人ひとり名前を呼んで、ふと思いついたことを語りかけます。
 それから、心にのこったことを一つ二つ話します。
 そして、一日の予定について話します。
 子どもたちのいらだちや攻撃性は、この一日の予定を知ることでかなり弱められるようです。
 見とおしをもつことが人間らしい努力を生みだす力になっていきます。
 体育の授業は、おにごっこ、手つなぎおに、「網投げた」などの遊びを全員で楽しみました。笑顔がこぼれてきます。
 とくに「網投げた」のあそびを子どもたちは好みました。
 遊び方は簡単です。最初わたしが漁師になってあと全員魚になります。
 体育館の一方の端に魚となった子どもたちが並び、漁師となった私がもう一方の端に立ちます。
「網投げた!」と大声をあげて、子どもと私は体育館を交差するように駆け抜けていきます。
 そのとき、漁師である私にタッチされたらアウトです。
 捕まったらこんどは反対に漁師に加わります。
 横にステップを踏んでタッチをかいくぐることは許されますが、後ろに逃げることは許されません。
 スピードとフェイントの勝負です。
 漁師の数がどんどん増えてきて、そのなかを逃げきるのはスリルがあって楽しいのです。
 どんなすばしっこい子も最後は、クラスみんなにワーッととり囲まれて捕まってしまいます。汗びっしょりで。
 からだを動かすことをめんどうくさがっていた子どもたちが、マットなどに全力を出しはじめます。
 子どもたちの気分や感情とていねいにつきあっていくのですが、普通のクラスからみれば荒れているように見えます。
 しかし、一概にそれが悪いとは言えない気がします。
 感情の処理をていねいにしきれない子どもたちが、お互いの要求をぶつけあいながら、学び学校生活を送るということで、教師から命令されるのではなく、自分から自覚していく時間が必要だろうということです。
 教室で、体育で、遊びやゲームをよくしました。
「無人島」とか「人数づくり」とか「ジャンケンゲーム」とか「シェーハ」とか。短い時間をちょっとつかって楽しみました。
 無人島、無人島、ひとりぼっちの無人島、こんどはどこへ行こうかな それ、一、二、三(パン、パン、パン)
 「青!」 椅子に輪になって座っていた子どもたちが、リーダーの声でいっせいに立ちあがります。
 「青、青、青・・・・・あったあ!」Aくんのトレーナーが青、Bさんのスカートが青。みんな入り乱れて”青”にタッチし、急いで新しい席を見つけて座りました。Cくんがひとりあふれてオニです。
 学校にはこういうゆったりとした時間が流れることが必要ではないかと、思いました。
 いらだちやむかつきを表現し、傷つけあうことばが飛びかっていた教室に、授業への集中や読書への集中の快さを創りだすことはとても大切なことだと思いました。
 一週間に一度だけど、図書室でみんな静かに本を読むようになりました。
 文字を読み、イメージを広げ、夢中になって心躍らせる体験は、子どもたちの内面を充実させていくでしょう。
 絵本の読み聞かせをしました。右手の指できつねの”コンちゃん”をつくって一人芝居をしました。
 「やあ、みんな、こんにちは。ぼく、コンちゃん。先生、本読んでよ」
 「よし、じゃあ、読むとしよう。「三びきのやぎのガラガラどん」、始まり、始まり」
 心をこめて小さな声で読みつづけていきました。シンとして聴いてくれます。
「おもしろかったあ」読み終わると、みんな、ほうっと肩の力を抜いて笑っていました。
六年生の教室であることがうそのようです。
 子どもたちがわたしに信頼をよせ、心を開きすっかり身をゆだねてくれているのです。こんな瞬間、子どもたちがとてもいとおしくなります。
 子どもたちは、人間として一人ひとり尊敬され、ていねいにあつかわなければならない。そんなふうに強く想うのでした。
 教室に何冊もの本を持ち込んで紹介しました。「1年1くみ1ばんワル」「キャプテンがんばる」「それゆけズッコケ三人組」など。
 子どもたちは、少年や少女の時代を輝いて生きたいと願っているように見えます。
 荒れているように見えても、じつは少年たちの生きることへの願いのようにも思えます。
 しかし、荒れている状況を放置するわけにはいきません。
 荒れの向こうに見える子どもの要求を聞きとりながら、人間的に生きることへの喜びに結びつけていかなければなりません。
 子どもたちは希望をもつことではじめて人間的な生き方に心をよせ、みずからを変えることに挑戦しはじめるのですから。
(山﨑隆夫:1950年静岡県生まれ。元東京都公立小学校教師。学びをつくる会世話人、教育科学研究会常任委員、都留文科大学非常勤講師)

 

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人は困難を喜んで受けとめ、感謝できるようになると幸せになる

 私は困難に遭遇したからこそ、本気で考えざるをえなかった。
 本気で考えたからこそ、だれにも負けない忍耐力が身についた。
 私に忍耐力が備わったのは、困難に遭遇したからでした。
 忍耐力が身につくと、肩肘張らない自信ができてきます。
 迷いがなくなり、落ち着いた自分を確認できるようになります。
 そうなると、やることなすこと、自然と練達(熟練してじょうずになること)もし、希望も湧いてくるものです。
 わが身に降りかかる困難なことを、きらい災難にするのではなく、喜んで受けとめて、感謝できるようになりたいものです。
 幸せな人生を送っている人に共通した能力があります。
 生かされている自分に感謝し、どんな小さなことにも感謝できることです。
 人は感謝するから幸せになれる。
 幸せだから感謝するのではありません。
 幸せになるためには、不平不満をいわず、現状に感謝の念を深くすることから始める以外にありません。
 できない理由を考えるよりも、いま自分にできることを一つでも多く考えてみる。
 そうしているうちに、小さなことにも感謝できる豊かな感受性が身につくようになります。
 小さなことに感謝できる人は、自分の苦しみや悩みを小さく受けとめることができるようになります。
 その分、幸せになれるわけです。
(鍵山秀三郎:1933年生まれ、株式会社イエローハット創業者。創業以来続けているトイレ掃除が国内外に広がっている)

 

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人生をよくするには、いままでの考え方を変え、よい習慣を身につけるようにすると運命がかわります

「優れた人とそうでない人との差は、その人の身についている小さな習慣の差である」といわれます。
 ゴミを捨てる人は、ゴミを拾うことはまずいないものです。
 ゴミを拾う人は、ゴミを捨てません。
 人生は積み重ねですから、ゴミひとつでも小さなことではありません。
 この差は年月がたつと大きな差になって現れます。
 人間は、9割以上を習慣で生きているそうです。
 人生をよくしようと願うならば、一つひとつよい習慣を身につける努力をすることです。
 いままでの考え方を変え、習慣を変えると性格が変わります。
 そうすれば運命が変わります。
 その具体的な方法として、自分の身を低くして、手足を汚すことをいとわずに、人から顧みられないことを実践することです。
 その実践を通して自ら学ぶことで性格を効果的に変えることができます。
 鍵山秀三郎の場合は、素手でトイレ掃除を徹底して行うことでした。
 素手で掃除をするのは、髪の毛一本まで直接に手で感じ取ることができるからです。
 ゴム手袋をすると感覚が遠ざかってしまい、問題から遠ざかることになります。
 人間の敏感な指先から直接に汚れ具合を感じ取ることが、問題解決の早道だと信じているからです。
 また毎日掃除をするなかで、職場のあらゆるムダ・ムラ・ムリに気づき点検できる効果があります。
 どのような実践をすればよいかは、各自で考えるとよいでしょう。たとえば
1 自分の運命を変えるために、いま自分にできることは何かを自問自答する。
2 答えが見つかったら、大小・軽重は関係なく、すぐに実践する。
 よいと思ったことはすぐ行動し、悪いと思ったことはすぐやめる。
 この実行力と直観力、判断力が人生を左右します。
3 手間ひまをおしまず、一生懸命に打ち込むことが大切です。
 こうした実践を積み重ねることで、考え方や性格が変わり、運命が変わっていくようになります。
 世の中で成果を上げる人とそうでない人の差は、気づく人になることです。
 人は「大変だ!」という場面に遭遇します。大変になってから対処しても、もう手がつけられません。
「大変」になる前に、必ず「小変」があります。この「小変」に「気づく」ことは、「大変」になる前に知ることになります。
 「気づき」の段階で対処すれば、「大変」な事態になることはなくなります。
 それだけに、気づいたことを迷うことなく優先的に処理していくことが何より大事なことになります。
「気づき」を一つひとつ処理するなかで、さらに「気づき」のアンテナが研ぎすまされていきます。そうしますと、ますます人生がよくなるわけです。
(鍵山秀三郎 1933年生まれ、株式会社イエローハット創業者。創業以来続けているトイレ掃除が国内外に広がっている)

 

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誰にでもできる平凡なことを、誰にもできないくらい工夫し徹底することを続ければ人を感動させます

 鍵山秀三郎が就職した自動車部品販売店は、来客はほとんど期待できない状態であった。
 会社の環境を変えなければだめだと感じ、鍵山はまずトイレ掃除を始めた。
 余計なことをするなと、いじめにもあったが、職場や店舗をきれいにすると客層がよくなり、有名人も来店するようになった。
 ともすると人は,平凡なことはバカにしたり,軽くあしらいがちです。
 難しくて特別なことをしなければ,成果が上がらないように思い込んでいる人が多くいます。
 そんなことは決してありません。
 世の中のことは,平凡の積み重ねが非凡を招くようになっています。
 いつも難しくて大きなことばかりを考える人は,失敗したり続かなかったりして元へ戻ってしまうことが多いものです。
 できそうにない特別なことばかり追いかけるよりも,誰にでもできる平凡なことを少しずつでも積み重ねていけば,とてつもなく大きな力になることを知るべきです。
 平凡なことを徹底して続ければ,平凡のなかから生まれてくる非凡が,いつかは人を感動させます。
 鍵山は過去45年間徹底して掃除を続けてきました。
 何度やめようと迷ったかしれません。
 それでも何とか続けてこられたのは、自分がやっていることの価値を見失わなかったからです。
 鍵山が取り組んでいる掃除は、人の心の荒みをなくし、穏やかにすることに役立っている、と確信していたからこそ続けてこられたのだと思います。
 会社で何が大事かというと、利益より社風をよくすることだと思います。
 社風が悪い会社で未来永劫よくなった会社はありません。
 社員といういのは命令や規則、あるいは職務規定によって仕事をするということは絶対にありません
 社風が向上すれば自然と行動もよくなり、それが顧客への信頼につながります。
 事実、創立したイエローハットでは15年目くらいから客に認められ、評価されるとともに社員が自信を持ち発展の基盤が固まりました。
 続ける励みになったのは、たえず工夫し改善して進歩することでした。
 たとえば、どんな好きなものでも、毎日食べ続けていたら飽きてしまいます。
 しかし、調理方法や味付け、盛り方を工夫すれば、毎日でもおいしく食べられます。
 このように、工夫は継続のエネルギーになります。
 工夫して、少しでも進歩したことが実感できるようになったら、続けることに迷いがなくなってきました。
 孔子も言っていますが、誰にでもできる平凡なことをきちんと処理できることが何よりも大事です。
 鍵山の人生をひと言で表現すると、
「誰にでもできる平凡なことを、誰にもできないくらい徹底して続けてきた」
 ということに尽きます。
 人が見過ごしたり、見捨てたりする平凡なことを拾い上げ、徹底して、差をつける。
 そんな信念で生きてきました。
 平凡なことを徹底して続けていれば、非凡なものが生まれ、いつかは人を感動させると信じています。
 いまでは「掃除の鍵山」といわれるまでになりました。
 鍵山は「凡事徹底」を提唱し、
「物を整理し掃除することは頭を掃除することでもあり、ムダや汚れに気づくようになる」との考えを抱くにいたった。
 いまの日本は、小さな努力で大きな成果を得ようとする人が多くなっています。
 当然、思い通りにはなりません。
 気持ちは満たされず、心は不安定になります。
 反対に、大きな努力で、小さい成果にも耐えていける生き方ができると、心も安定してきます。
 人は本来すばらしい可能性を持っています。
 それをつぼみのままで終わらせるようなことがあってはいけません。
(鍵山秀三郎 1933年生まれ、株式会社イエローハット創業者。創業以来続けているトイレ掃除が国内外に広がっている)

 

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吉田松陰のことば

1 宿命は天命と受けいれると、恐れることはない
 宿命は、人間の力や智恵が及ぶものではない。だから、この原因は天にまかせるしかない。
 宿命はいわば天命ともいうべきものである。天命であるからには、それは全て天にまかせ、人間は一途に人として踏み行うべき道を守ればよい。
 生死、困窮、栄達などを素直に受けいれ、わが身の分に応じて正しく生きておれば、何も驚くことはなく、恐れることもない。
2 人と交わる道
 人と交際する際には、相手に対して怨み怒るようなことがあれば、遠慮なく自分の信ずるところを、まごころをもって指摘し、いましめ諭すべきである。
 立派な人の心は空のようなものである。
 雷のように怒りを発することもあるが、それが終われば、再び雲ひとつない青空のようである。その気持ちを心の中に残す、ということはない。
3 人を従わせるのは難しい
 人の生き方を改めさせて、自分の生き方に従わせるのが難しいのは、私が決して人の生き方に従うことができないのと一緒である。
4 立派な人はきざしを見てすぐ行動を起こす
 心ある立派な人は、事のきざしを見て、正しいか、正しくないか、また、時がちょうどよいかすぐ見抜き、すぐに行動を起こし、一日たりともぐずぐずしていない。
5 人が集まる生き方
 自分の尺度のみで他人を批判しない。
 一つの失敗だけで、その人のすべてを駄目だといって見捨てない。
 その人の長所を取り上げ、短所は見ないようにする。
 心中を察して、結果を見ないようにする。
 このような気持ちで生きれば、どこへ行こうとも人が集まってくる。
6 大きな仕事をなしとげる人
 昔より大きな仕事を成しとげる人は、おだやかで人と争わず、ゆったりとして物静かである。
7 志を立てる方法
 志を立てる方法は、特に優れた、会い難い人物に接することにある。
 やる気を起こす方法は、有名な山や川などを巡り歩くことにある。
 心ある立派な人が物事を行うときには、意気込みがどのような状態にあるかだけによる。
8 松下村塾の目標
 困難にくじけない強い意志があって、自分の信じる主義・主張などを堅く守りとおし、正しいことを行う人物となることが、松下村塾の最も目指していることである。
 いたずらに書物を読んでいるだけではない。
9 気持ちの会わない人に対し寛容の心をもつ
 多くの人がいると、おのずと気持ちの合わない者もいるだろう。
 これは、たいてい私心である個人的な感情より起こることである。
 お互いに心を広く持ち、人の言動を受け入れ、他の者の欠点などをきびしく責めないように気を配ることが大切である。
10 人生は永遠に朽ちないことを一つなせば十分である
 人生は極めて短いものであり、夢まぼろしのようなものである。
 そしりを受けることも、ほめられることも一瞬である。
 栄えることも衰えることも瞬時である。
 はかない人生である中で、一つだけでいい、永遠に朽ちない事柄をなし遂げられれば十分である。
11 人はまごころをもつのみ
 人はただ、まごころをもつだけである。まごころは愛すべきであり、敬うべきである。
12 人を大きく育てるには
 人を大きく育てるには、不思議なこと、普通と違うこと、自分を恥ずかしく思うようなこと、喜ぶようなこと、などを見聞きさせることが一番である。
 あたりまえの平凡なことは、新しい経験とはなるでしょうが、それで新たに志しを立て、励むにはたりません。
(吉田松陰 1830~1859年 山口県萩 松本村生まれ、10歳で藩主毛利敬親の前で山鹿流兵学を講じた。藩校明倫館の教授、江戸で佐久間象山に学び改革に目覚める。松下村塾で高杉晋作や久坂玄瑞など育てた。老中暗殺などを策したとして斬首刑に処せられた)

 

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保護者と直接つながりをもち、協力しあう、つきあい方とは

 クラスの規律維持には保護者の支援が欠かせない。
 保護者の支援と信頼を勝ちとることができれば、いざこざのない楽しい1年が約束されている。
 しかし、いくら経験をつもうとも問題がまったくなくなるわけではないが。
 では、保護者の支援と信頼を勝ちとるには、どんな問題を起こす子どもであれ、「保護者との最初の接触は前向きなものでなければならない」ということだ。
 たとえば、ほとほと手を焼いていた子どもの家に電話し、保護者に
「じつは、きょう電話したのは、○○さんが私のクラスにいてくれてどれほど楽しいかをお知らせするためです」
「○○さんは、とても張り切って学習していて、クラスの討論のときなんかには、大変な活気をもたらしてくれます」
「だから、今日、○○さんにいったんです。『○○さん、きみはいつもとてもマナーがいいね。お母さんの育て方がものすごくよかったんだな』って」
「で、そのとき決めたんですよ、お母さんに電話して、すばらしい育て方をなさったとじかにいおう、と」
「今日はお話しできてよかったです」
と、私は真っ赤なうそをついた。
 それなりの理論があった。
 電話の翌朝、○○さんは
「あんた、いったいなにを考えてんの?」とでもいいたげな顔をわたしに向けてきた。
「へえ、学校じゃ徹底的にワルをやってもいいんだな。この先生、母ちゃんになんにもいわないんだ」と。
 それから3日間、辛抱に辛抱を重ねた私は、ふたたび○○の家に電話をかけた。
「今日は、かなりアタマにきています」
「じつはですね、こんなことをいうとショックを受けられるでしょうが。私でさえほんとに驚いたのですから」
「このところ、○○さんの学校での様子が少し変だったんですよ。私には信じられなかったんですが」
「実は、このところまったく授業を聞かないし、ほかの子どもにもいやがらせばかりするんです」
「たまりかねて、○○さんを廊下に連れ出して、○○さん、今日のきみはどうしちゃったんだい? 信じられないよ」
「お母さんは○○さんのことで一生懸命だし、いままでの育て方だってみごとなものだ」
「お母さんを侮辱していることになるんだよ」
「それを聞いて、○○さんはどうしたと思いますか?」
「そんなこと知ったことか、みたいな態度に出たんです」
保護者:「ちょっとここにおいで、すぐ来いといってるんだよ、このバカが」
 ○○さんは私を出しぬいたつもりになっていた。
 それでも最終的には、私が母親と直接つながりをもち、協力しあうことで、横道にそれないようにすることができた。
(ロン・クラーク:米国の小学校教師。各地を冒険旅行したのち、小学校の教師となる。ハーレムの底辺学校から優秀児を排出し、目覚ましい成果をあげる。2001年28歳のとき全米最優秀教師賞を受賞)

 

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優秀な教師の子どもとのつきあい方とは

 子どもを相手に働くときには、こちらが賢くなければならない。一般的に、つぎの普遍的真理があると考えられる。
1 子どもはシステムを好み、必要としている
 子どもたちは安心感を求める。威厳をもって自分たちを管理監督してくれる人物を求めている。
 クラスのなかにきちんとしたシステムをつくりあげ、明確なルールをつくって、子どもたちが安心感と、居心地のよさを感じられるようにしなければならない。
 子どもたちに好かれたいから、あまり厳しくしない教師は、最初のうちは子どもたちに好かれるが、最終的にはそういう教師を子どもたちは尊敬するようにならないようだ。
2 子どもは、ひとりの人間としてあなた(教師)が好きなら、あなたのために一生懸命に努力する
 クラス内にすぐれた規律を打ちたてることができれば、子どもたちの尊敬を集めることはできる。
 しかし、必ずしも子どもたちがあなたを好きになるわけではない。
 子どもに好かれるために私は
1 新年度がはじまる前に、私という人間について知ってもらうために、受けもつ予定の子ども全員に手紙を出すことにしている。
 手紙には、私がワクワクすることや楽しいことをするのが好きだとわかる写真をたくさん添える。
 新学年の初日には、私自身や私が旅したことのあるさまざまな場所の写真を使って、簡単なスライド・ショーをする。
 わたしが子どもたちと同じ年ごろだったときの写真も披露する。
 早く私になじんでもらいたい、たんなる担任ではなく、それ以上の存在であることを知ってもらいたいからだ。
2 子どもたちの関心を引くためにどんなことでもしてみることだ
 子どもたちの前で、ガードをゆるめる。
 ばかげたことでも、ばつの悪いことでも、羞恥心をかなぐり捨てる。
 子どもたちを味方に引きいれたいなら、威厳にこだわってなどいられない。
3 初日につぎのような話をする
「きみたちが私を好きになってくれるかどうかなんて、私にはどうでもいいことだ。好きになってくれなくても、ちっともかまわない」
「私がここにいるのは、きみたちに勉強をさせるためだから」
「私自身はきみたちの一人ひとりのことを気にかけているし、きみたちにできるかぎり最高の教育をするために全力を尽くすつもりだ」
「そのために必要なことはなんでもするつもりだということを、きみたちは知っておいてもらいたい」
 と話をする。
 少し厳しい言い方だと思われるが、重要な話だ。理由は、
(1) そういっておくことによって、ばかな行動をすれば大目に見てもらえないということを知らせると同時に、私が子どもたちのことを気にかけていて、熱意にあふれていることを知らせることができる。
(2) 子どもたちに私が何を優先しているかを知らせ、これからの1年の土台をつくることができる。
 ただし、そのじつ、子どもたちに好かれる教師になろうと、スライド・ショーをし、踊り、椅子の上に立ち、歌い、演じと、ありとあらゆることをする。
 子どもたちが私を好いてくれようがくれまいがそんなことはどうでもいいというのは、こちらが優位に立つということなのだ。
 子どもに規律を教えて愛さずにいることはありえないし、子どもを愛しているのに規律を教えないということもありえない。
 規律と愛はワンセットでなければならない。
(3)子どもは自分に何を期待されているかを知りたがる
 子どもたちが自動的にあなたの望みどおりの行動をすると期待するのは、非現実的だ。
子どもはあくまでも子どもだから、大人が常識と思えることの多くが、子どもたちにはなじみのないものと映る。
 私が経験から学んだのは、教師が子どもたちに何を期待しているのか、どういう行動をとってほしいと思っているかを正確に説明しさえすれば、最善の努力をするということだ。
 問題を起こした子どもはよく「ぼくが何をした?」といい方をする。
 どこがいけないかを理解していないだけなのだ。
 私は、子どもたちと一対一で話し合う。
 その場合、まず、
「何がいけなかったと思うか、話してくれないか」あるいは
「どうして私が怒っていると思うのか、その理由を教えてくれないかな」
 という言葉で話し合いをはじめる。
 子どもが問題をどうとらえているかを聞くのは、どんなときにもきわめて有用だからだ。
 ほとんどの場合、子どもは大人と問題のとらえ方がまったく異なっているものだ。
 そのため、理由をちゃんと説明してやらなければ、罰を受けたことへの怒りをいつまでももちつづけるだろう。
 子どもたちは、まちがいなく、自分に何が求められているかを知りたがっている。それを説明してやるのが大切だ。
(4)子どもは自分が愛されていることを知りたがっている
 私が子どもたちのことを気にかけ、愛していることを知りたがっている。
 教師が喜んで子どもを買う気があるかどうかをしりたがっている。
 それができれば、それ以降の子どもたちとの関係ははるかにやさしく、より生産的で意味深いものになるはずだ。
(ロン・クラーク:米国の小学校教師。各地を冒険旅行したのち、小学校の教師となる。ハーレムの底辺学校から優秀児を排出し、目覚ましい成果をあげる。2001年28歳のとき全米最優秀教師賞を受賞)

 

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教室で地震から子どもを守るにはどうすればよいか

 地震発生と同時に教室は、大きく揺れる。
 落下物等から身を守るため頭を体に丸め机の下に潜らせる。
 同時に防災ずきんやヘルメットを子どもたちに着用させ、教師も着用する。
 常に子どもたちを大きな声で指示し、励まし続ける。
 緊急放送で、身の安全を図る指示を繰り返し出す。
 初期の揺れが収まると直ちに、教室の出入り口の戸をしっかり開き誘導する。
 そして校庭(雨天時は体育館、海の近くで津波の恐れがある場合は高台・上層階に避難させる)等の安全な場所に避難する。
 その際、窓際、倒壊物、落下のおそれのある物から離れ避難するようにする。
 笛やメガホンを使い、子どもたちを指示し励ます。
 避難したら、すぐに人員点呼をして安全の確認を行う。
 未確認の子がいたら、複数の教師で捜査を行う。そして心身の状況を把握する。
 救護班による急患・けがの子どもたちの応急手当をする。
 本部の指示により、学校体育館等の第2次避難場所に子どもたちを誘導する。
 保護者に引き取りの連絡をする。引き取りが困難な場合は、保護体制をとる。
(寺尾 央:元小学校長、玉川大学講師)

 

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