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私はシューベルトの「アベ・マリア」で音楽の心の目がひらかれた、音楽・芸術とは何か

 初めて目にした蓄音機から聞いた、エルマンのシューベルトの「アベ・マリア」のヴァイオリンの甘美で、ビロードのようなやわらかさで包まれた調べは、激しい驚きでした。
 父の日本で最初のヴァイオリン製造工場で働き、おもちゃのように思っていたヴァイオリンがこんなにもすばらしい音を出す。
 鈴木の音楽への心の目はひらかれたのでした。
 レコードを聞きながら我流でヴァイオリンがひけるようになりました。
 大きな慰めを見いだし音楽に愛着をいだくようになった。
 知人の薦めで21歳のとき、父のヴァイオリン工場をやめ、上京してヴァイオリンのレッスンを受けました。
 世界旅行に誘われ22歳のときにドイツで8年間ヴァイオリンの勉強をしました。
 鈴木は演奏に対する自分の才能に絶望しました。
 その絶望を招いたものが、才能がなかったのではない。
 自分の才能を育てる方法(一つの曲を何百回もくり返し、より高く、より美しく、より容易にひくようにする)を知らなかったことにあったのです。
 ドイツ留学でアインシュタインと交流させてもらった。
 アインシュタインは「新しい発見は、親に6歳からヴァイオリンを習わせてもらった音楽の世界の勘のおかげである」と言っていることを知りました。
 同時にベルリンの音楽会でモーツアルトを聞いて、なんともいえない崇高な、喜びと感動が鈴木の魂を奪った。
 生と死のどうすることもできない悲哀を深い愛情のなかに表現していたのです。
 その愛情は悲哀を越えてあるがままの人生をめで生きる喜びへと転換してくれました。
 死ぬことも自然のすることで、個人の責任ではない。
 鈴木はつねに愛と喜びのなかに生きたいと願った。
 生きる人間が、愛し合い慰め合う、その愛情のなかに人生がある。
 モーツアルトが「すべての子どもがすこしでもいい人間に、すこしでも幸せに育つようにすることだ。そのために働け」と鈴木に一生の仕事を与えてくれた。
 わたしたちの人生は人に愛を与える、慰め合うという愛情によって生きがいを得るのです。
 音楽は不思議な力をもった存在である。
「音はいのちなり、姿なく生きて」これは鈴木の座右のことばです。
 人間は、ことばと文字という文化を創造するとともに、音楽というすばらしい文化をつくりました。
 それは、ことばや文字を越えた生命のことば、神秘ともいうべき生きた芸術です。
 そこに音楽の与える感動があるのです。
 モーツアルトやベートーベンたちは、音楽のなかに生きて、わたしたち生命に強く語りかけ、わたしたちを浄化し、高め、無上の喜びと感動を与えてくます。
 芸術は遠い高いところにあるものではなく、日常の生活が芸術そのものである。
 人にあいさつすることも自己表現としての芸術です。
 りっぱな芸術を欲するなら、その姿に現れる。
 芸術作品は全人格・全感覚・全能力の表現である。
(鈴木鎮一:1898~1998年 ヴァイオリニスト、音楽教育家。才能教育運動をおこし音楽教育システム(スズキメソッド)は世界的に評価されている)

 

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