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2021年1月に作成された記事

音楽を聴きに来る人は、指揮者や楽員の幅や高さや深みなどの人間性を見にきている

 小澤征爾は音楽、指揮について、つぎのように述べています。
 音楽を聴きに来るお客さんにとって大事なのは、楽員が弾いているバイオリンの曲や書いた作曲家をどう解釈して弾いているのか。解釈した人間性が出てこなきゃいけない。
 弟子を教育していて考えるのだけれど、一番悪い弟子はね、僕の真似やカラヤンの真似をしたりする人。
 カラヤンはカラヤンの育ちがある。ピアノがうまく才能もすごい。
 そうじゃない人が真似をしたってダメだろうと思う。
 表面的なことは真似ができても、人間の中身は真似ができませんから。
 指揮者は楽員の7割ぐらいが納得してくれれば相当うまくいく。
 指揮者の考えに3割の楽員が賛成じゃなくても、
「まあ、しょうがない小澤征爾だから」
 と、信頼して弾いてくれる。
 信頼してついてくるようになるためには、こうやれというのではなくて、
「あなたはどう演奏したいの?」と。
 で、ちょっとその楽員の向きや方向を指揮者がつくってあげて、それにその楽員を乗っけてあげる。
 そうするとその楽員も自然にやりたいように演奏する。
 ほかの人たちも指揮者をみて、
「なるほど、ああいうふうにいくんだな」
 と、なるわけね。
 楽員は指揮者にコントロールされているかはわからないが、
「演奏したいように演奏しているようになっていくのが一番いい流れ」
 だと思うんです。
 悲しみや喜びは人から教われないから、自分が見たり、悲しんだりした経験が大事です。
 特に、ずっとまじめに音楽の技術を勉強してきた人ほどわかっていないことがある。
 音楽での悲しみや喜びの表現は奥深いんです。
 一人ひとりの経験の中からじわじわっと出てくる。
 結局、お客さんは音楽を聴きに来て、幅や高さや深みがあったりすることで満足してくれるわけです。
 楽譜に書いてある通り几帳面にやって、
「はい、これで終わり」
 の演奏をされたら、みんなバカバカしくなって音楽を聴きにこなくなっちゃいますよ。
 音楽を聴きに来るお客さんは楽員や指揮者の人間性を見にきているんだと思うんです。
(小澤征爾:1935年生まれ、指揮者。2002~2010年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。日本人音楽家として最も世界的に成功した音楽家)

 

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教師の力に依存しない漢字指導「マッキーノ」とは

 漢字マッキーノは、漢字を使ったビンゴですが、創作者の教師牧野氏の名前にちなんで、こう呼ばれています。
 ゲームなのに、漢字小テストよりも効果があるという優れものです。もちろん漢字小テストよりもずっと子どもたちに喜ばれます。
 このマッキーノという方法の面白さは、「ビンゴゲーム」を繰り返し遊ぶうちに、何度も何度も漢字を書いて、その結果として、気がついたら漢字を覚えてしまったというところにあります。
 このビンゴゲームを遊ぶには漢字を書く必要性があるということです。
 また、その面白さを倍増させるために、普通のビンゴゲームでの「勝利」である「早上がり賞」の他に「最多列賞」「ゼロ列賞」というような「賞」を設定した点が凄いです。
 特に、「ゼロ列賞」は秀逸です。ビンゴゲームの本来からすれば「ビンゴ」が完成しなかったわけですから「負け」になるところを、逆転の発想で「賞」にしてしまっています。
 この逆転の発想の背景にはきっと「詰め込み式」とは異なる教育観があります。
1 用意するもの
 漢字を書くカード(八つ切り画用紙を四分の一にしたもの)22枚(低学年は15枚)。
 たて4マス・横4マスの計16マス(低学年はたて3マス・横3マス)を印刷した紙を人数分
2 やり方
(1)カードに学習した漢字を書きます。(高学年22文字・低学年15文字)
(2)カードを黒板に貼ります。
(3)マッキーノの用紙を配り、22文字の中から16文字(低学年の場合は15文字の中から9文字)選ばせてマスの中に書かせます。
(4)全員書けたら漢字カードを黒板からはずし、カードをよくきってから、1枚ずつ読み上げます。
(5)読まれた漢字があったらマッキーノ用紙に印を付けていきます。
(6)たて・横・ななめどこでも3つ(低学年は2つ)そろったら、「リーチ」といって手を上げさせます。
(7)たて・横・ななめどこでも1列そろったら、「マッキーノ」または「ビンゴ」と声と手を上げさせます。
(8)16枚(低学年は9枚)読み上げたところで終了です。
3 各賞
(1)早いで賞・・・一番早くビンゴした人にあげます。
(2)多いで賞・・・一番たくさんの列がそろった人にあげます。
(3)0で賞・・・・一列もできなかった人にあげます。
賞ではないですが
○究極リーチ・・・3枚目でリーチになることです。結構出ます。
○究極ビンゴ・・・4枚目で早いで賞を取ることです。たまに出ます。
○パーフェクト・・・10列そろうことです。毎日やっても、1年に1回出るか出ないかです。
 これを応用したものとして、
 ひらがなマッキーノ・カタカナマッキーノ・ローマ字マッキーノ・都道府県マッキーノ・地名マッキーノなどがあります。いろいろ工夫してやってみましょう!
(牧野英一 愛知県の中学教諭)
(上條晴夫:小学校教師(10年)の後、jrノンフィクション作家、教育ライターを経て、東北福祉大学准教授。NPO法人「授業づくりネットワーク」理事長。お笑い教師同盟代表。専門は教育方法学・表現教育)

 

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教師は笑顔になると成長できる

 教師が笑えない状況に陥ったとき、笑顔でいることのむずかしさを痛感することがあります。
 教師が笑顔にできる状況にするには、教師自身や環境を肯定的に変容させることです。
 イライラし、笑顔になれない生活を笑顔あふれる生活に変えることが、教師としてステップアップになります。
 そのために、笑顔でいることができるように、自分の生活を見直してみることはとても大切なことであり、それが教師としての成長につながっていくと考えます。
 新任教師のころ、本当に仕事がつらく、辞めようかと思ったことが少なくありませんでした。
 そこで、何がつらいか考えてみました。一つひとつ生活を見直していくと、通勤時間が長いことに気づきました。
 そこで、椅子に座ることのできるバスに変えました。
 バスで読書をするようにしました。読書を通して、私は様々な人に出会い、教室での子どもたちと私の表情は笑顔になり、今の私につながりました。
 笑顔になるために毎日の生活を見直し、それを続けていくだけで実は大きな変化があります。
 教師は笑顔を続けるべきだと思います。
 少し笑ってみてください。
 子どもたちも笑顔の教師が好きです。
 子どもたちが自然と集まってくるはずです。
 笑顔がある生活にすることは、実は教師を変え、子どもを変える第一歩になるのです。
(長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、 横浜市公立小学校教師を経て岐阜県公立中学校教師。授業づくりネットワーク理事、教育サークル「未来の扉」代表代行、クラス・マネジメント研究会代表)

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子どもとともにつくる授業をするために必要なこととその例

 よく聴き合いながら、みんなで追求していけば大丈夫といった安心感のもてる学級づくりを基盤として、東京学芸大学附属小学校は子どもとともにつぎのような授業をつくろうとしている。
 子どもたちのもつ疑問や問いを大切にして学習課題として取りあげる。
 そして子どもたちみんなで課題を追求し、発言やつぶやきをつないで連続性のある学びにして課題を解決していく。
 そうすることによって、クラスの仲間との関係の中で学びが進化し深まり、子どもたち自身が成長することを実感しながら学ぶようになる。
 例えば、東京学芸大学附属小学校が授業の終わりに書かせている学習感想文を見てみると、
「Aさんの言っていることを聞いて自分の考え方が変わってきた」
「Bさんの考えと自分はここまで同じだが、ここからは違う」
「Cさんの意見で自分の考えが固まった」
 と書いているように、授業で仲間から影響を受けて、子どもたちの学びが深まり成長していることを示している。
 今の若者たちは「数人の仲間以外はみな風景」といった他者意識が希薄な社会である。
 そのような風潮があるため、クラスの仲間は自分の学びを深めていくために大切な存在であることを子どもたちに気付かせ、聴き合い学び合える集団に育てていくことが大切である。
 子どもとともにつくる授業は、学びの連続性をもたせるため、子どもたちをよく見つめなければならない。
 子どもたちは何を考え、どんな思いをもっているのかといった子ども解釈力や、子どもにゆさぶりをかけたり、子どもの発言や思いをつないだり、授業の進行を子どもたちに委ねたりする授業の構成力が教師に求められる。
 そのためのツールとして、東京学芸大学附属小学校では「座席表型指導案」を作成している。その座席表に書き込む内容は、
・学びの姿(前時までの姿・教師が期待する姿・予想される姿)
・授業の中での対立・葛藤する場面、合意形成の過程を予想する
・子どもたちが持っている意見の相互関係を矢印で示す
・どのような子どもを指名するか(例として挙手しない子ども)
・どのようなときに子どもに委ねて待つか
(東京学芸大学附属小学校)

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一流の教師とは、どのような教師か

 一流教師の仕事だなあと感じるのは、気配りのこまやかさや、あらゆる観点から検討を加えた働きかけであったりするからだと思います。
 一流教師について福原 忠はつぎのように述べています。一流教師は、
1 空気のような存在であることを旨としますから、子どもを主人公にして自由に活動をさせます。
2 子どもたちは学習に集中して、学び合いの楽しさの中で学力を向上させていきます。
3 物事の微妙な機微を感じ取るセンスのよさを持っています。
 子どもとコミュニケーションをよくとり信頼関係を常に大事にしています。
 子どもとともにいつも行動していますから、子ども一人ひとりの気持ちや考え方をよく知っています。
4 人間的に魅力があり、共感や受容が自然にできる豊かな人間性を身につけています。
 本気になって子どもや親の心の中を思い描く、優しさを持っています。
5 学ぶ喜びを味わわせてくれる授業実践力があります。
「○○さんの意見はすばらしいですね」など、子どもの成長の芽を発見し、心から喜ぶ姿を見せます。
 子どもは教師に認められ自信をもつことができ、教師に親しみと信頼を醸成していきます。
 子ども一人ひとりのつまずきを発見し、どの学年の単元で生じたか把握し、指導資料を豊かにもち補充学習を実施できます。
6 常に学級の人間関係を理解しようと細かな動きを見つめ、全体を掌握し学級が規律正しく行動できるよう、お手本を見せ指示、誘導ができます。
7 常に学び続けようとする強い意志を持っています。
8 ものごとの処理はできだけ早く、誠実に処理しようと考えています。
9 子どもの問題行動の背景についていろんな観点から考える力を持ち、立ち直りのための具体的な筋道を、子どもにも親にも示し、指導することができます。
10 社会の動きに興味関心を持ち情報を収集し、社会的な常識があり、子どもや親からの質問に正確な知識で答えることができます。
(福原 忠:1949年千葉県生まれ、元埼玉県公立小学校校長・一流教師を目指す会代表)

 

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マンネリにならないよう授業のやり方を定期的に変える

 何年も授業をしていると、授業の型ができる。
 現状に安住しているとマンネリになり授業の魅力が失われていく。
 新鮮で楽しい授業を子どもたちとつくるにはこれまでの授業の型を壊し、新たな型を創造する取り組みが必要になってくる。
 これまで行ってきた授業の型を壊すのは教師にとって苦しく勇気がいる。
 しかし、植西浩一は惰性で授業を行っていると、現状に合わない取り組みに陥ると考え、授業を基本から見直す授業改革を6年ごとに行う。
 そして、大きくは変えないが、部分的な授業の見直しを毎年行っている。
 授業の型を変えるために、植西は子どもの現状と声、子どもたちにいま求められている力をふまえ、見直しを図っている。
 植西はつぎのような点を見直し改善を図っている。
 年間指導目標は、子ども一人ひとりの目標を配慮して、学級の到達目標を決める。
 重点的な指導項目は、子どもの実態を考慮するが、いまの子どもたちが最も必要としている力は何かを考えて決定する。
 これは新たな授業の型の鍵となるものである。
 たとえば、聴き合うことの大切さを身につけるために、子どもたちの授業中の発言を授業ノートに記録させるようにする。
 発言の仕方など学習のルールは子どもたちとの話し合いで決める。
 子どもたちの座席配置は学習形態とかかわり、教師の話を聴く・討論する・グループ学習・個別学習にそれぞれ適したものにする。
 教材や学習用具の見直しも改善をはかるうえで大切である。
 その他、年間指導と評価計画・自主学習課題・学習係の活動も対象としている。
(植西浩一:1955年大阪府生まれ、奈良県生駒市立中学校を経て、奈良教育大学附属中学校教師)

 

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教師の話を聞く子どもにするよう、ふだんの授業でこころがけていることとは

 長瀬拓也は「おもしろい授業を」と考え、教師になったが、うまくいかなかった。子どもたちは大きな声で叱っても話を聞いてくれなかった。
 教師が話せば子どもは話を聞くだろうと思うのは甘い。話しを聞く子どもに育てなければなりません。
 そのためには、しっかり相手の目を見る子ども、見る姿勢がよい子どもや、じっくりと耳をすませて話をきく子どもを、どんどんほめていくようにします。
 話を聞いている子どもをほめることで、子どもたちに聞くことは大切であるという意識を高め、子どもたちの体を聞くことができる体に育てていきます。
 ふだんの授業がスムーズにできるようにするために、長瀬はつぎのように実践しています。
 授業は子どもたちが聞いてくれないと進めることができません。聞いてくれるために、「しっかり相手の目を見ている子ども」
「姿勢がよい子ども」
「耳をすませて静かに話を聴いている子ども」
 をほめます。
 つぎに、みんなで協力することを徹底させます。
 自分だけでなく、班やクラス全体のことを思って助け合って学習する意識をもたせようとします。
 また、教科書の読み方、ノートの書き方、話し合いの時の言葉使いなど具体的なルールを徹底します。
 細かな学習のルールを守ることが、自分や仲間の学習にプラスとなるということをしっかりと意識させます。
 このような指導をするときに大切なことは、怖い顔でなく、守るまで笑顔で言い続けることです。
 そしてこれを継続していくことが重要です。継続して守らせる厳しい教師になろうと長瀬は努力しています。
 さらに、子どもたちに授業の見通しをもたせるようにします。次に何をするのか分かれば子どもは安心して授業に入りやすくなります。
 長瀬は教室に授業の流れを掲示します。
 学習課題に取り組むときは、活動ごとに番号をつけ、視覚的に分かるようにします。
 指示・発問・説明は分かりやすくはっきり伝えるようにこころがけています。
 立ち歩いてもよい時間をつくり、あと何分座っていれば立ってよい時間になるかをクッキングタイマーで知らせます。
 立ってよい時間帯には自分が調べたことを仲間と交流したり、ノートを写してもよいことにしています。
 また、子どもと人間関係をつくることが大切です。
 まず、笑顔です。
 毎日、にこやかな表情で子どもを迎え入れるようにします。
 笑いがあれば楽しい授業になり、好意や信頼感を子どもたちからえられます。
 また、ちょっとした声かけを意識して行います。
 叱るときは、どんなことをしたら叱られるか、基準を明確にしておくようにしています。
(長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、横浜市立小学校、岐阜県公立中学校・小学校を経て同志社小学校教師。専門は、学級組織論、教育方法学、社会科教育。授業づくりネットワーク理事)

 

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子どもが言うことを聞かないときは、どうすればよいのでしょうか

 どうして私の言うことを聞いてくれないのだろう、と思うことはありませんか。
 そんなときは、あなたが頼んだことについてどう思うか子どもに聞いてみましょう。
 というのは、自分が子どもだったときのことを忘れ、大人は子どもに無理な要求をしてしまうからです。
 そして、何をすればいいのか、どのようにやればいいのか、頼んだことを子どもがきちんと理解しているかどうかを確かめてください。
 子どもと話せば、心がつながるだけでなく、どうすればよいかヒントをさずけることにもなります。
 穏やかに話しかけてください。大声や駄目と子どもを非難することはやめてください。
 子どもに命令や説教するよりも、子どもと話しあうときが一番うまくいくのです。
 子どもと話すことは、学校や遊び仲間、友だちなどの間で何が起きているかを知って、いっしょになって考えることです。
 よい聞き手になって、子どもの本当の気持ちに気づいてあげてください。
 言葉の裏に潜む本当の思いをしっかりと受けとめてあげてください。
(ドロシー・ロー・ノルト:1924~2005年、米国ロサンゼルス出身。親子の問題をあたたかく見つめるまなざしや長年の経験に裏打ちされた子育てに対するあたたかい言葉は国境を越え、世界中で愛されている)

 

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子どもたちに漢字をどのように指導して、定着させればよいか

 漢字をどう定着させればよいか福嶋隆史はつぎのように述べています。
 漢字は極力、授業で定着させるようにする。
 授業中に定着させるには、漢字学習に様々なルールをつくり、システム化することが大切である。
 ルールの定着が、漢字の定着に結びつく。
 教師が筆順を唱えながら黒板に大きくゆっくり漢字を書く。
 次に、教師は再度、同じ動作を見せる。
 同時に子どもは黒板を見ながら、机の上に筆順を唱えながら指書きをする。
 その後は、子どもたち一人ひとりで、同様に指書きをさせる。
 各自が覚えたと自信を持てるまで続けさせた後、鉛筆を持たせ、ドリルの漢字を、なぞり書き、写し書きさせる。
 慣れれば短時間で終えられる。
 漢字は文字単独で使われることは少ないので、漢字の練習は、文字単位ではなく、単語単位で書かせる。
 また、練習の際は、同じ単語の漢字ばかりを繰り返し書かせず、縦向きに複数の単語を書かせると思い出す作業が入り定着率が高まる。
 思い出す練習は、漢字を隠して、漢字の読みだけを見みながら思い出せるかどうかを試させる。
 漢字は日常で使ってこそ定着する。様々な場で、ひらがなで済まそうとする怠け心を戒める必要がある。
(福嶋隆史:1972年横浜市生まれ、公立小学校教師を経て、ふくしま国語塾を創設した。小学校教師時代は、「異動しないでこの学校に残ってほしい」と願う保護者たちが書名を集めて校長に提出しにいくほどの人気。また、県規模の小学校教師向けの教師向けセミナーでは、国語・算数・体育の指導法の講師を務め、好評を得た)

 

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子どもたちの意欲を高める理科の授業とは

 子どもが望むのは、説明だけの理科の授業は少なくし、観察や実験などの活動の機会を多くして、意味がわかりやすい解説をすることだ。
 また理科意欲を高める子どもを育てるための理科の授業の工夫をつぎのように述べている。
 教師の話しを聞き、ノートをとるだけの授業では、理科に対する子どもの興味・関心は薄れていく。
 理科の授業を通して、自然の事物・現象について理解を深め、科学的な見方や考え方を獲得するため、日々の授業の活動で小さなことがらでも「よく気がつきましたね」「できましたね」とできたことを認め、ほめていくようにする。
 学習の意欲や、わかる授業につながるのである。
 学習意欲を高めるには、たとえば理科室でガスバーナーの操作を指導するとき、やりたい子どもにみんなの前で操作をさせ、実技が少々できなくてもほめる。
 次に一人ずつガスバーナーの操作の練習をさせながら、グループごとに互いに評価(ワークシートで評価する観点を明確にしておく)をさせる。
 そのとき火の調整にとまどった子どもがいると自然発生的な教え合いがうまれ、学び合う学習集団ができる。
 相互評価と自己評価と組み合わせると学習意欲が高まる。
 習熟度の高い子どもと低い子どもを組み合わせてグループを編成すると学び合うようになる。
(山口晃弘:1961年福岡県生まれ、東京都内の公立学校理科教師、都立教育研究所教員研究生、中央教育審議会理科専門部会の専門委員、東京都中学校理科教育研究会事務局長等を経て東京都公立品川区立学校校長)

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子どもたちが自分を探し確かめるのが芸術表現である

 芸術教育は表現教育である。絵画も歌も表現する。
 だからよりよく表現させることが芸術教育なのだと教師たちは考える。
 その表現の評価は外に現れたものだけで良否を決めてしまっていいものだろうか。
 教育の観点からみれば「なぜ」が大事なのではないか。
 絵画では絵を描きたいという心が形に現れる。この心への洞察こそ教育の原点だ。
 表現教育の視点は、まず表現を生みだす子どもたちに向けなければならない。
 子どもたちの日常は本人すら気づかない事件や物語がひしめくように起きている。
 一人ひとりの子どもの心の内外でそれらはつながり、にじみ合っている。
 その水脈のなかから、授業で歌いたい理由や歌いたくない理由が紡ぎ出されるのだろう。
 そこにその子どもの表現への重要な手掛かりがある。
 しり込みし、ためらい、いやいやながら授業につきあう子どもたち。ときには、反抗することもあろう。そのどれもが、それぞれの「なぜ」を潜在させている。
 音楽コンクールは、今やただ達者であるだけの演奏はだれも評価しない。
 なぜその演奏者がその音楽をそのように演奏するのか、音が語ってくれない演奏は表現とはいえない。
 芸術表現は負や悪をふくめた生命との緊張関係から多くの芸術作品が生み出されている。
 むしろ苦境に立った絶望や屈折のなかから、最後に紡ぎ出された希求や祈りや愛であったりする。
 表現とは自己表現である。だが、自己とは明白なものではない。
 どこにどのようにして在るのかわからないからこそ、人はなにかの手掛かりを求め、それを探し、確かめようとするのではないか。
 その「探す」ことと「確かめる」ことこそが、なにかを創り出す営みにつながるのではないか。
 しかも、そうしてやっと探し出されたものは、絶えず変貌する。変動しわからなくなってしまう。
 だから、私たちは今日歌っても、明日は別な「わけ」で歌を探すことになるだろうし、歌えない自分に出会うかもしれない。それが生きるということではないか。
 芸術とは、わからないことから、わからないことへと架けられた「生きようとする力の現れ」の軌跡であると言えるかもしれない。
 それは鑑賞にもかかわることだろう。
 芸術を理解するとは、作品の背景や成り立ちを知り意味を学ぶことである。
 だが芸術とは本来、他者の言葉だ。
 わが身を語り手に移して根ざしている考えを、語り手の実在を通して感得できなければ芸術はわかったとはいえない。
 しかしそれは、感動することとは違う。感動とは、芸術に接して自分が変化することだ。
 その意味では「鑑賞も表現」であり、主体的な営みだと言える。
 芸術に触れ、ドキドキして、そして「わからない」自分に戻ってくる。それが芸術との出会いというものではないか。
 わからない自分もまた、絶えず変動し続ける自己のありのままの姿であり、人間を常に行動へと向ける無意識の衝動のかたちである。
(三善 晃:1933年生まれ、作曲家。パリ国立高等音楽院に留学、桐朋学園大学の学長を務めた。国内・海外を問わず受賞多数)

 

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理科教育で大切なことは何か

 理科教育は、自然界のなかにある真理を一つひとつ発見し、自然についての理解の様式や、そのよって立つ根拠や、それに基づく理解と解釈の方法を教え込むことにあります。
 それとともに、その規範を疑い、それとは異なった規範・価値観・理解や解釈があり得ることを子どもたちに悟ってもらう側面もあるはずです。
 科学の知識が核兵器の開発などに利用され、DNAの研究が社会的に問題となる可能性が生まれています。
 そうした状況のなかでは、理科教育が理科の自然の真理を善として教えるだけでなく、科学と社会との関係を十分に考慮に入れるだけの知識と感性を身につけることが、非常に大切になってきています。
(村上陽一郎1936年生まれ、科学史家・科学哲学者、東京大学・国際基督教大学名誉教授、豊田工業大学次世代文明センター長)

 

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優れた国語教育の実践例に共通していることとは

 小学校は子どもの発言を多様な方法で組織したり、教材を理解する過程についての工夫がいろいろと開発されていますから、面白いのです。
 しかし、中学校以降になりますと、段落分けと主題・構成・叙述の把握が要求されるワンパターンの授業になっていくのです。
 生きいきとした国語の授業を創り出しているすぐれた実践例に共通しているのは、言葉そのものについて教師と子どもが学び合うことです。
 日本語とはどういう言葉か、その特質をあらためて問う必要があります。
 そのためには、日本語と英語をはじめとする他言語の差異を明らかにしていく必要があります。
 たとえば翻訳文がなぜそのような日本語になるのかを示しうるようにならなければならない。
(小森陽一1953年東京都生まれ、日本文学者。東京大学名誉教授。全国「九条の会」事務局長。専攻は、近代日本文学)

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教育は出来事を踏まえ、何度でも出直すもの

 教育を研究するといえば、何を教えるか、どう教えるかが柱になってきた。
 しかし、子どもが、どうとらえているか、どう生きようとしているかの視点は心理学におまかせで、配慮の外に置かれてきた。
 学びながら教え、教えながら学ぶという人間のいとなみをうかびあがらせることが教育ということである。
 教師と子どもがたがいに学び、教え合う。
 そこで多様な出来事が生まれ、予想もしていなかった発見や事態に陥る。
 教育はキレイごとではなく、汗と涙と手あかのどろどろしたものにまみれる。
 教育は、
「うーん、なるほど、これは私の思い通りではなかった、これで一つ教えられた」
 といって、何度でも出直すものである。
(佐伯 胖 1939年岐阜県生まれ、認知心理学者、東京大学・青山学院大学名誉教授。認知心理学の知見に基づく「学び」の過程の分析は画期的)

 

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教師が力をつけるには、どうすればよいか

 教師は変化する子どもや職場、社会に対応しながら、直面した課題を克服し、力量を獲得していくものである。
 教師が力をつけるために最も効果があるのは子どもとの交流である。
 教師が一人の人間として子どもと正面から向き合い、ぶつかりあい、つながりの中で成長していくものである。
 教科の指導では、わかる楽しい授業や、子どもが主体的に。
 教師の仕事は「もうこれでよし」ということがなく指導に限りがない。
 それゆえに、教師は限りなく多忙になり、うまくいかない場合は、力のない教師だと思ってしまう。
 まじめで誠実な教師ほどそのようになりがちである。
(山崎準二:1953年山梨県生まれ、静岡大学教授、東京学芸大学教授、東洋大学教授を経て学習院大学教授。専門は教育方法論・教師教育論)

 

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叱ることで、子どもに安心感を与えることができる

 教職二年目の学級づくりがスタートした。
 私は小学校三年生の担任になった。
 その始業式で私は面食らった。
 ほかのクラスはピシッと体育座りをしているのに、自分が受け持つクラスは寝そべっている子、ずっと隣としゃべっている子、なかには隣の子とケンカをして泣き出す子もいた。
 私は「こりゃ、すごいクラスだな」と思った。
 四月、五月は殴り合いのけんかは起きる、物はなくなる、授業を始めても数人が教室に帰ってきていない、毎日だれか一人は泣く、そうした状態であった。
 一つ問題が起きるたびに、子どもたちの話をよく聞き、そして、ときには大声でしかることもあった。
 学年主任からは「今年は、よく怒鳴り声が聞こえるね」と、言われた。
 だが、私は決してやたらと怒鳴っていたわけではない。
 私自身、去年より怒鳴ることが多いのは気になっていた。
 だから、子どもの表情や行動を見て、怒鳴るようにしていたのである。
 あまり怒鳴りすぎると、子どもたちは私の顔色ばかりをうかがうようになる。
 また、怒鳴られることに慣れてしまい、怒鳴っても言うことを聞かなくなる。
 そうなるのが一番怖かったので、怒鳴っても後には決して引きずらない、怒鳴る回数よりもほめることを増やすなど、クラスの雰囲気が悪くならないように努めていた。
 そうして学級経営をしている中で、子どもたちからは「先生は、悪いことしたとき怒鳴ってくれるから好き」という声も出てきた。
 そのことについて考えてみると、クラスでの集団生活の中で、何か悪いことをしたとき、それを毅然とした態度で指導してくれないと安心して生活できないのだと思う。
 怒鳴ることが必ずしもいいこととは思わないが、怒鳴ることが必要なときもあることを感じている。
 今では、ほとんど問題は起こらないようになったし、それでいて、元気に授業中に発言したり、外で走り回ったりしている。
 四月、五月の状態を思い返すと「この子たちも、すごく成長したなあ。私もがんばろう」という思いがこみ上げてきて、私もやる気が出てくる。
 こうしたとき、子どもからエネルギーをもらっていると感じる。
(山崎準二編:1953年山梨県生まれ、静岡大学教授、東京学芸大学教授、東洋大学教授を経て学習院大学教授。専門は教育方法論・教師教育論)

 

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教師になって感じ、悩むこととは何か

 山崎準二教授は20年間にわたり静岡大学教育学部の卒業生を対象に追跡調査に取り組みました。
 その調査により若い教師が感じ悩んでいることはつぎのようだと述べています。
 実際に教師になってみると、想像以上に多忙でさまざまな仕事をしなければいけない。
 教師は子どもと触れ合い、いっしょに活動することに何よりの喜びを感じるものです。
 ところが、現実には書類作成や校務分掌といった雑務が多く、そちらに取られる時間が増えています。若い教師は特にそのことを強く感じています。
 もう一つ感じることは、子どもの能力差、学力差が想像以上に大きいこと。
 きちんと教えればどの子どもも分かるし、伸びると思って教師になる。
 ところが現実には、小学校中学年くらいから学力格差が開き出し、中学生になるとかなり大きくなる。どう対応したらよいのか、戸惑っています。
 授業一つにしても、どの子どもに焦点を合わせてよいのか分からないし、きちんと教えていけばどの子どもも分かるというような甘い状況ではありません。
 軽度の障害のある子どもへの対処の仕方も含めて、生徒指導の面でも子どもの扱い方が多様化して難しい。
 子どもというのは想像していたほど単純な存在ではないというショックが新任教師にとっては大きくなってきているのです。
 そうした中でも懸命に子どもに向き合おうとエネルギーを注ぐのですが、さらに追い撃ちをかけるのは、保護者から厳しい批判にさらされることです。
 一生懸命にやっている自分を保護者は応援してくれるに違いない、という意識が粉々に打ち砕かれてしまうようなことがおきます。
 教師になって、こうした現状に対応するためには、授業方法や子どもとの接し方といった教育技術だけではないことに気付きます。
 それよりもむしろ、幅広い人生体験や教養から培われる人間性や人間力の方が問われていると感じます。
 それはすぐには身につかないことは十分承知していながらも、原点はそこにあると気付いているのです。
 教師が専門的な力を付けていく最大の要因は何かというと、子どもとの日常的な関わりの中での試行錯誤からの学びと、先輩教師からの助言、指導です。学校現場で鍛えられ、成長していくのです。
 相談相手は初任者研修で知り合った同期の教師や、女性教師の場合は友人や家族が多い。相談して助言を得るというよりも、悩みを打ち明けて聞いてもらえる相手なのです。
 職員室には、空き時間や放課後などでもなかなか気軽に話しかけられない雰囲気があります。
 みんなパソコンに向かって作業をしているからです。学校の中で日常的な教師同士の交流が薄れていく中、校内研修でしか相談できない状況は大きな問題です。
 しかも、研修では子どもの目線に立った指導をしましょう、などときれいにまとめられてしまう。
 研修で学びたいのは、現実に今悩んでいるこの子に対してはどうすればよいのかといったことなのに。それはやはり先輩教師に相談するしかありません。
 現実に実践するには、それなりの経験と力量がいるものなのです。
(山崎準二:1953年山梨県生まれ、静岡大学教授、東京学芸大学教授、東洋大学教授を経て学習院大学教授。専門は教育方法論・教師教育論)

 

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教育はよりよき変化を模索する中にしか存在しえない

 学校という世界に入ること、それは子どもの目からみれば「勉強」が中心の場に入ることを意味する。
「教え-教えられ」の力関係、「教師-子ども」の関係、「子ども同士」の関係に変容される。
 社会の子どもたちへの期待に適応していくことが求められている。
 こうした変容を長年にわたりもたらしていきた学校制度に対して、子どもたちの叫びやあえぎの声が現われてきている。
 それが、さまざまな出来事を通して問題として認識される。
 そして、その問題への解決としての対応と制度改革をつくり出している。
 その改革を推し進めるべく、教師が対処するのに、すぐに役だつノウハウとそのマニュアルが数多く流通してきている。
 こうした改革の動きの根底で常に問いつづけなければならないのは、私たち自身が自明のうちに志向する、知や学習観と学びのあり方、そしてそれを支えるものとして具体的な学習活動や学習環境のあり方の見直しである。
 制度的文化が暗黙に形作ってきた学校知の枠組みに問いをむけてみる必要があるのではないだろうか。
 その問いへの答えは、新たな知のあり方を模索する教師一人ひとりが独自の形で、実践の場でつねに現在進行形で動き変化する「小さな物語り」の中に見いだすことができるだろう。
 一つの理想モデルへの転換をめざすものとしての教育の「いま」をとらえるのではなく、教育は、よりよき変化を模索する中にしか本来存在しえない。
 変化しつづける中に可能性をみとっていく営みなのであるという認識が求められる。
 よりよい育みを教師各自が模索しつづける中にこそ、新たな学校作りへの方向性があると考える。
 往々にして現代社会の問題や病理を映し出す鏡として学校の問題が語られる。
 しかし映された像をみて単に学校批判をするにとどまるのではなく、今、あらためて「学校ならではの学び」の模索を始めなければならない。
 地域の中で公教育の中核としての学校が担うことを期待される役割やあり方を考えることともいえる。
(秋田喜代美:1957年大阪府生まれ、東京大学教授。教育学者、心理学者。世界授業研究学会副会長。内閣府子ども子育て会議会長。専門は、発達心理学、教育心理学、保育学、学校教育学)

 

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教師の力はどのようにして高めればよいか

 求められている教師像は教え方がうまいという教育技術者としての教師だけでない。
 子ども一人ひとりとのつながりをきずき、子どもを育み、自分の授業を内省しながら創りだし、学びあえる教師である。
 多くの教師の授業を数多くみることを勧めたい。
 教室の出来事の生の姿にふれ、そこで自分が感じた驚きや感動、ナイーブな感覚を大事にする。
 同じ教材でも、教師によって子どもの教材へのかかわり方や理解がまったく異なってくる。
 同じ教師でも担当する教室によって授業が変わってくることをぜひ自分の目で確かめてもらいたい。
 その際、教師の教え方の上手、下手といった見方で授業を見るのではなく、教室で起きているさまざまな出来事に目を向け、その意味を読みとってもらいたい。
 発言する子どもと教師のみでなく、聴いている子どもたちのからだの動きやつぶやきに耳を傾けると、授業のおもしろさ複雑さ、奥深さがみえてくる。
 そして時には、授業を録画して文字記録化するのもよい。
 あるいは、授業をみせてもらった教師や他の参観者と話してみる。
 すると、その場では自分で気づかなかったものが見えてくる。
 それから、最新の教育関係の本を読み、新たな教育研究の流れの息吹を感じること。
 また、古典と呼ばれる本を読むこと。そこでは、古くて新しい問題が提起されているはずである。
 教えるといういとなみに多くの教師や研究者がどのように格闘してきたかをみることによって、そのおもしろさが伝わるはずである。
 安易な技術のノウハウものに走らず、じっくり向き合って教育の本質を考えてもらいたい。
(秋田喜代美:1957年大阪府生まれ、東京大学教授。教育学者、心理学者。世界授業研究学会副会長。内閣府子ども子育て会議会長。専門は、発達心理学、教育心理学、保育学、学校教育学)

 

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子どもの潜在能力を引き出すモンテッソーリ教育で学ぶ楽しさを知る

 人間は生まれたときから、生得的に学ぼうとする働きがあります。
 子どもは興味・関心を持ったものに集中し何度もくり返します。
 集中すると充実感、生きる喜びが生まれます。
 モンテッソーリ教育は子どもが興味・関心をもつことから活動を始め、学ぶ楽しさを体験し、なおかつ子どもに心の傷がある場合は癒え、最後にはきちんと力がつくような教育方法です。
 日本でもモンテッソーリ教育を取り入れている幼児教育施設では、興味・関心のあることを毎日同じことをくり返す姿が見られます。
 ある程度の能力がつくと別の興味に引き継がれていきます。
 日本ではモンテッソーリ教育を自由に小学校に導入できませんが、欧米では小学校から大学まであります。
 モンテッソーリ学級では、発達段階に合った幅広い教具や教材が準備され、教師によってその使い方を子どもに示し、子ども一人ひとりの興味・関心に応じて子どもが教具を選び、子どもが納得のいくまで活動し学んでいきます。
 そのとき達成感や満足感が子どもに生まれます。
 教師が子どもの行動をよく観察して、興味・関心を瞬間的に察知して、援助をすることがモンテッソーリ教育をおこなう教師にとってはとても重要な役割となります。
 人間の能力がよく育つ時期があり、6歳までがその時期です。
 その時期が過ぎると、よい成果は得られません。
 たとえば3歳までは話し言葉に敏感になり日本語を話す能力を獲得します。
 幼児は親の家庭生活のまねをします。
 まねをすることによって幼児の身体の動きが発達し全身をコントロールする力がついてきます。
 注ぐ・つまむ・はるなどの家庭生活のまねができるよう、モンテッソーリ教育では子どもの身体のサイズにあった教具を準備します。
 幼児期に学ぶことの楽しさを知り成長した子どもは、小学校に入学すると、わくわくした気持ちで意欲を持って授業に取り組むようになります。
「○〇しなさい」と押し付けるのではなく、子どもの興味・関心により主体的に選ぶ。
 好きなことを気が済むまで繰り返すと、満足感・達成感(生の躍動感)が得られる。
 結果的に様々な能力が見につく。
 主体性・意欲・自己選択力・自信・自己肯定感・挑戦力などが育まれる。
 これらの基本となるものは「愛着」(最も基本的な非認知能力)である。
 愛着は生得的な力である。まず、これを育てることが重要。
 育て方は、愛着の敏感期である1歳半くらいまでは、出来るだけ抱いてあげる。ありのままを受け止める。一貫性を持つ。
 そして、親から離れたりくっついたりし、応答的に接していると、愛着が発達し、3歳になると、内在化され、もう母親が側にいなくても「心の安全基地」が出来上がる。
 ここで気を付けなければいけないことは「自由」が絶対に必要だという事です。
 選択の自由を与え、その子の興味・関心をくみ取ること(待つこと)。
 子どもに教具・教材の提示をし、やり方を伝える事。
 もしこれがうまくいかない場合、子どもは反抗したりする。又、いい子になり、自分を捨てる場合がある。
 子どもが必要としていることは、教えることが必要。その後、子どもの中で熟成するのを待つこと。
 また選択・時間・場所・質問の自由など。自由の保障がないと自由の裏の「規律」は育たない。
 他人を怒らせたり、傷つけたりする行動を全て止める。無作法で粗野な行動も止める。
 その積み重ねで「受動的規律」が育つ。
 次に、自由の中で、自分の考えや行動を選択する。それに対しての責任を持つ、ことで「能動的規律」が育つ。
 国によって自由のとらえ方が異なるので、子どもと向き合って考えなさい。
(佐々木 信一郎 :1958年福島県生まれ、ドイツでモンテッソーリ教育の免状を取得。こじか「子どもの家」発達支援センター園長)

 

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キレやすい子どもは、脳からみてどのようなのでしょうか

 衝動性が高く、我慢や切替えが難しい子どものことをいいます。
 私たちが何かを我慢する時、こめかみの4センチくらい上にある前頭葉背外側部という場所からGABA(ギャバ)という化学物質が分泌され、動きや考えを止めることができるのですが、キレやすい人はここの動きが悪いんです。
 さらに、突然暴れだしたり、過剰におびえたりする人は、「怒り」「おびえ」をもたらすノルアドレナリンの分泌が高く、「幸せ」「癒し」のセロトニンの分泌が低いことがいろいろな実験で証明されています。
 セロトニンはノルアドレナリンやドーパミンを調整する役割を持っていますから、この分泌が少ないとなるとキレたりするのは当然の結果といえるでしょう。
 どうして、そのような脳構造になってしまうのかというと、原因としては、遺伝子、育ち方、環境ホルモンの3つが考えられます。
1 遺伝子が原因
 「キレやすい」ものだけではありません。
 例えば、「内向的」「はまりやすい」「優柔不断」「やたらと元気」…といった特性がありますが、これはいってみれば『脳の癖』です。
 私たちの脳には、もともとこうした癖を持った遺伝子が存在しているんです。
 もちろん、人によって持っている遺伝子は違いますけれども。
 このいくつかの遺伝子群が環境や周囲の人、さらには自分自身との関係に刺激されながら互いに作用し合って、はまりやすい脳やキレやすい脳を作り上げていくのです。
 脳の癖の何割が遺伝子によるものかとういと、約6割です。
 ですから、脳の問題は、まずは遺伝子の問題として捉えて、その後で人間関係や社会に原因を探っていくべきものなのです。
 もっとも、脳は刺激に対して非常に敏感ですから、環境によってある癖が強まったり、癖の性質そのものが変化したりということはあります。
2 育ち方が原因
 セロトニンは「幸せ」や「癒し」の物質といいましたが、子どもの頃に十分な愛情をもらえずに育つと、このセロトニンの分泌機能が発達しないといわれています。
 特に赤ちゃんは、母親と一緒に過ごし、愛情を注いでもらうことによってセロトニン系を育んでいきます。
 しかし、日本は核家族化や地域社会の崩壊が進み、時間をかけて子育てをすることが困難になっています。
 結果、セロトニン分泌機能が充分でない子どもが増えたのではないかと考えられます。
 それに、子どもの遊び方の変化も、要因の1つです。
 少子化やテレビやゲームなどの普及によって、「内遊び」「1人遊び」の傾向は加速される一方です。
 しかし、体を動かすことは「集中」のノルアドレナリンや「やる気」のドーパミンの分泌を増し、脳の発達には非常に重要なことなんです。
 また、大勢で遊ぶことは、コミュニケーション能力や人間関係から生じるストレスの対処法などを学ぶことにもなり、セロトニン系を育てることになるんです。
 親はできるだけ子どもと接し、さらに外で友達と遊ばせることが、健全な脳の発達に欠かせないということです。
3 環境ホルモンの影響
 環境ホルモンとは、人間が本来持つホルモンによく似た化学物質のことです。これが体内に入ると、脳に深刻な影響をもたらします。
 知能指数の低下、注意力・集中力の低下、衝動性・暴力性の高まり…。特に胎児にとってはごく少量でもかなりの影響力があります。
 注意力が散漫で、やたらと動き回ったりする症状を、ADHD(注意欠陥・多動性症候群)といいますが、このADHDの原因の一つに環境ホルモンがあると指摘している学者もいます。
 実際に、アメリカの子どもの約5%がこのADHDで、今も数は増えているという調査結果が出ており、日本でもキレる子どもや学級崩壊には、これが影響しているのではないかといわれています。
 子どもというのは落ち着きがないのが当り前で、よく動き回っている時は「やる気」のドーパミンが過剰に出ている状態でもあるので、うまく作用すれば、自発的でやる気のある「大物」ということになります。
 けれども、バランスの悪い出方が続くと、反社会的人格障害に発展する可能性もあります
(篠原菊紀:1960年長野県生まれ、脳科学者。公立諏訪東京理科大学教授。専門は脳神経科学、応用健康科学。「学習しているとき」「運動しているとき」「遊んでいるとき」など日常的な場面での脳活動を調べている)

 

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子どもの脳を成長させるには、どのようにすればよいか

 脳を鍛える基本は「ワーキングメモリー(脳へのメモ)を使う」ことです。そのためには子どものワーキングメモリーを鍛えることだ。
 たとえば、「28+36」の繰り上がりのある計算は、一桁目の8+6=14の繰り上がりされた数字1を脳にメモ(ワーキングメモリーを使う)して二桁目の2+3+1=6を計算して、64となります。
 この計算は教師が教えたからできるのではなく、子どものワーキングメモリーが発達したからできるのです。
 このような計算は反復練習をしないとワーキングメモリーは伸びません。
 国語でも同じことが言えます。
 読みの授業では、少なくともその前に書いてあったことが脳にメモ(ワーキングメモリー)されていないと、文章を深く読み取れるはずはありません。
「これ、それ」が何を指しているのかという問題も脳にメモされていないと答えることができません。
 漢字を書けるようにするのもワーキングメモリーのトレーニングです。
 子どもたちが学習しているときには、さかんに脳のメモを使っています。
 そのメモ帳をある程度のあいだ頭の中に置けるようにしておくことが大切です。
 躾けができるかどうかも関係してきます。
 また、ワーキングメモリーが弱いと、人とコミュニケーションしているときに、
「この人、今どう思っているのだろう」
 といった人の気持ちを考えにくくなります。
 わがままで自己中心的になってしまうおそれがあります。
 脳のトレーニングは、できないことができるようになることです。
 できるようになると、脳を育てる物質の分泌が増加します。
 できるようになったら次に進むという学校のシステムはよくできていると思います。
 脳を育てるための学習以外の習慣は、まず運動することです。
 手を使った作業も前頭葉を活性化します。
 人と関わることも脳を鍛えることにつながります。
 笑いも前頭葉を活性化します。
 バランスのよい食事も脳にとって大切です。
 脳の半分は脂肪なので肉・魚の脂肪は重要です。
 同時に緑黄色野菜を食べて酸化を防ぐようにします。
 ぶどう糖(炭水化物)は脳の唯一のエネルギー源で、蓄えはできません。だから朝昼晩と規則正しく食べる必要があります。
 タンパク質は神経細胞の材料になります。
(篠原菊紀:1960年長野県生まれ、脳科学者。公立諏訪東京理科大学教授。専門は脳神経科学、応用健康科学。「学習しているとき」「運動しているとき」「遊んでいるとき」など日常的な場面での脳活動を調べている)

 

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子どもが「きまりを守らないとき」「同じ失敗をくりかえすとき」の叱り方とは

 きまりは学校生活を楽しく円滑に送ることができるように決められている。
 子どもに「何でこれをしてはいけないのですか」と聞かれたときに「こうだからです」と明確に答えられるようにしておく必要がある。
1 子どもが「きまりを守らない」とき
(1)気づいたときにすぐ対応する
(2)本人だけでなく、学級全員の子どもに考えさせ確認する
(3)自分のしたことを自分の口で言わせる
(4)きまりがあることがわかっているのに、守らなかったことを認めさせる
(5)今後の行動について考えさせる
(6)つぎに同じ過ちをしたときの責任の取り方を言わせる
2 子どもが「同じ失敗をくりかえす」とき
「またか、いいかげんにしなさい。反省してるのか」
 といような叱り方をしていると、子どもは自信をなくす。
「どうせ私なんか」と思うようになり、失敗しないでおこうという気持ちをなくしてしまう恐れがある。
注意したあと、
「この次は忘れないように。きみならだいじょうぶ。期待している」
 と信じて、見放さないように叱る。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

 

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教師に反発し挑発する子どもは、どのように指導すればよいか

 叱れば叱るほど挑発してくる子どもがいる。
 ほうっておくと仲間を増やし、教師と子どもが対立し学級が崩壊するおそれがでてくる。
 挑発してきたら、教師は挑発に乗らずあくまで冷静に笑みをうかべるぐらいの余裕を見せて話をする。
 挑発する子どもに興奮して、教師が同じレベルにおちいらないようにする。
 挑発する子を叱るときは、その子一人だけを特別に叱るのではなく、他の子どもと一緒に叱るようにする。
 周りの子どもへの注意は、その子どもへの注意である。
 周りの子どもが反省すれば反抗しにくくなる。
 教師に敵対心を抱く子どもは学級から浮くことをとても恐れるからである。
 教師と敵対的な子どもがいる学級は、学級の子どもたちと教師との関係をとくに親密に保って信頼関係を築くようにすることが大切である。
 そして、学級の子どもたちが叱られたときに反省して向上しようとする学級集団に育てるように工夫をかさねるようにする。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

 

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乱暴な子ども、キレる子どもは、どのように叱ればよいか

 子どもの直観はするどい。教師のことばや表情から教師の心を感じ取る。
 子どもが好きで成長を願うから叱るという思いがないと教師が叱っても子どもには伝わらない。
 子どもを信用し、子どもの人間性ではなく子どもの行いを叱るようにする。
 叱ったあと、教師は笑顔になり、なにごともなかったように子どもに接するようにする。
 叱ったあとのフォローも大切である。
 叱ったあとも子どもに声をかけ、子どもを見守るようにする。叱ったあとにほめられたりすると子どもは成長したと感じる。
 子どもを叱るとき不公平を感じさせないように、日ごろから全ての子どものよさを見つめるように心がける。
 なぜ叱るのか、その理由を子どもに説明し理解させて、子どもとの信頼関係をつくることが必要である。
 どのようなときに叱るかを子どもに伝えておき、叱る基準を設けて叱る指導に一貫性をもたせる。
 人間は失敗したときに叱られ、反省することによって、よりよき人間に成長していくものだということを子どもに説明しておくことが大切である。
 叱るときは、毅然として、感情的にならず、真剣に、ゆとりをもって冷静に叱る。くどくどと長い説教は、子どもをうんざりとさせ、やる気をなくさせる。
 叱ったあと、どのようなおこないをしたか確認する。
 今後どのようにすればよいか、また同じことをしたとき、どう責任を取るかを考えさせるようにする。
1 乱暴な子ども
 すぐに暴力をふるう子どもは、言葉で言い表すことができないから、手がでてしまうことが多い。
 言葉で言い表すことができるよう、なぜ腹をたてたか子どもから気持ちをきくことが大切である。
 そして、どうすれば暴力をふるわずにすんだかを考えさせる。
 乱暴な子どもを見るときは、ふだんから良いところを見つけることが大切である。
2 キレる子ども
 キレて暴れている子どもにとってはまわりの人間はすべて敵として暴力をふるう。
 暴れ感情が高まっている状態を落ち着かせるため、名前を呼び、体をそっとなでてあける。
 少し落ち着いたら椅子に座らしてさすってあげる。
 気分が落ち着くまで、しばらく一人にしておく。
 落ち着いたあと、どのようことをしていたか教え、自分を振り返らせる必要がある。
 キレやすい子どもをふだんからよく観察し、けんかや言い合いのときに、そろそろあぶないなと感じたら声をかけ、その場を離れさせるように訓練しておく。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

 

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