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音楽を聴きに来る人は、指揮者や楽員の幅や高さや深みなどの人間性を見にきている

 小澤征爾は音楽、指揮について、つぎのように述べています。
 音楽を聴きに来るお客さんにとって大事なのは、楽員が弾いているバイオリンの曲や書いた作曲家をどう解釈して弾いているのか。解釈した人間性が出てこなきゃいけない。
 弟子を教育していて考えるのだけれど、一番悪い弟子はね、僕の真似やカラヤンの真似をしたりする人。
 カラヤンはカラヤンの育ちがある。ピアノがうまく才能もすごい。
 そうじゃない人が真似をしたってダメだろうと思う。
 表面的なことは真似ができても、人間の中身は真似ができませんから。
 指揮者は楽員の7割ぐらいが納得してくれれば相当うまくいく。
 指揮者の考えに3割の楽員が賛成じゃなくても、
「まあ、しょうがない小澤征爾だから」
 と、信頼して弾いてくれる。
 信頼してついてくるようになるためには、こうやれというのではなくて、
「あなたはどう演奏したいの?」と。
 で、ちょっとその楽員の向きや方向を指揮者がつくってあげて、それにその楽員を乗っけてあげる。
 そうするとその楽員も自然にやりたいように演奏する。
 ほかの人たちも指揮者をみて、
「なるほど、ああいうふうにいくんだな」
 と、なるわけね。
 楽員は指揮者にコントロールされているかはわからないが、
「演奏したいように演奏しているようになっていくのが一番いい流れ」
 だと思うんです。
 悲しみや喜びは人から教われないから、自分が見たり、悲しんだりした経験が大事です。
 特に、ずっとまじめに音楽の技術を勉強してきた人ほどわかっていないことがある。
 音楽での悲しみや喜びの表現は奥深いんです。
 一人ひとりの経験の中からじわじわっと出てくる。
 結局、お客さんは音楽を聴きに来て、幅や高さや深みがあったりすることで満足してくれるわけです。
 楽譜に書いてある通り几帳面にやって、
「はい、これで終わり」
 の演奏をされたら、みんなバカバカしくなって音楽を聴きにこなくなっちゃいますよ。
 音楽を聴きに来るお客さんは楽員や指揮者の人間性を見にきているんだと思うんです。
(小澤征爾:1935年生まれ、指揮者。2002~2010年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。日本人音楽家として最も世界的に成功した音楽家)

 

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