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2021年3月に作成された記事

親にとってよい先生とはどのような先生か   小野田正利

 親にとってよい先生とはどのような先生か小野田正利はつぎのように述べています。
 親にとって「よい先生」というのは、「子どものことをちゃんと見てくれている先生」のことである。
 ただし、この場合「本当に見てくれているかどうか」の問題ではなく、親にとって「見てくれていると感じられるかどうか」という、要するに印象の問題に帰着すると捉えることが可能だ。
 「いい先生」「よくない先生」の親の評価は多様にあるが、その教師の実像よりも、うわさ話でも一定の印象が形作られる。
 親の関心は「わが子のことをちゃんと見てくれているかどうか」であり、分かりやすく言えば、日常での細かいことの積み重ねがモノを言うことが多い。
 例えば、連絡帳のちょっとしたひとこと、クラスのささいな決め事(例:席替え、係の決定)とその理由、授業のために家から持って行かなければいけない教材などで、安心したり不安になったりする。
 日常の学校生活は、要するに「細かいこと」の積み重ねであり、だからこそ同一の発言や行動が、時には正反対に解釈される余地が生まれる。
 ここに子どもからの一方的な話や、親同士のネットワークがマイナスに作用すると、そのイメージがレッテル貼りされてしまうことも多い。
 悪いイメージを持たれると、教室での実践や親との関係がうまくいかなくなり自信を失ってしまう。
 教室の実践を人に言いたくなくなり秘密主義なる。
 ふだんなら気にならないようなことに過剰に反応し、攻撃的にふるまうと最悪で、支持する親や同僚は激減する。
 そうならないためには、子どもの顔が見える形で親とコミュニケーションを積み重ねることによって、情報不足による疑心暗鬼(ぎしんあんき)を防ぐことができるだろう。
 例:連絡帳の一言や学級通信、保護者面談、家庭訪問など。
 それでも悪循環から抜け出ることができないときは転勤して、いったん悪循環を断ち切り恢復を待つようにする。
(小野田正利:1955年生まれ、大阪大学名誉教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

 

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クラスづくりで、子どもどうしの関係をここちよいものに  菊次哲也

 クラスづくりについて菊次哲也はつぎのように述べています。
 クラスを人間関係としてとらえ、人間関係を育てていくという視点は担任として欠かせないものである。
 どのような人間関係かというと、教師と子どもの関係を縦糸とし、子どもと子どもの関係を横糸として編み上げる織物のような関係である。
 縦糸と横糸があってクラスという織物ができあがるのです。
 学級崩壊は、クラスの人間関係という織物が編み込まれることなくばらばらの状態になってしまった状態のことだ。
 また、いじめは、クラスの集団としての不健全な人間関係のひずみがいじめという現象としてあらわれていると、とらえたほうがよい。
 いじめられた子が転校しても、第二のいじめられる子が集団のなかでつくりあげられていくことが多い。
 新しいクラスの始業式の日、私は必ず子どもたちに話し、一緒に考えてもらうことがある。
 クラスとは何だろうということだ。
 まず、子どもたちに「クラスって何だろう」という質問をぶつけてみる。

 最後に、クラスの子どもたちにこう話す。
「教室はあるけれど、クラスというのはまだできあがっていない」
「今日からみんなで織あげていくんだよ」
「友だちどうしのつながりの糸と、先生とみんなの信頼の糸をたて糸と横糸にして織りあげていく」
「素敵なクラスを織りあげよう。一年間をかけてね」
「今日はその第一日です」
 子どもの関係づくりでまず意識するのは子どもたちの言葉づかいである。
 四月の最初に指導しなければ、それ以降は入っていかない。
 たとえば、六年生の子どもたちには「呼びつけ」をやめるように話し、おたがい気持ちよく呼び合える名前や愛称を決めた。
 朝の健康観察をその愛称で私は子どもたちを呼び、子どもたちどうしもリレー式で同様に健康観察をしたりしている。
 ときには、全員立ってもらって友だちに呼ばれたら次の子を愛称で呼んで座るということをゲーム的に行ったりする。
「ムカツク」という言葉についても、クラスでは使わないようにした。
 自分にとって不快だという、他者を意識しない自己中心的な言葉であるからだ。
(菊次哲也:埼玉県公立小学校教師)

 

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子どもは笑顔で下校させよ   安次嶺隆幸

 子どもは笑顔で下校させよと安次嶺隆幸はつぎのように述べています。
 小学校低学年でつまらなさそうに、学校から帰っていく子が一人でもいたら、もう担任の負けです。
 その日、叱られてばかりいた子でも、必ずばん回の場面をその日のうちに設定してやり、ほめて笑顔で帰してあげたいといつも思っています。
 帰りの時間、教室の出口で一人ひとりと握手し、ひと言声をかけて笑顔で帰す。
 このときこそ、担任に対する子どもたちの見えない通知表なのです。
 「今日の学校、楽しかったな」
 「先生、明日もお話の続き聞かせてね」
 そう言って、子どもたちが下校していく姿を見送るときが教師としての幸せな一瞬です。
(安次嶺隆幸:1962年生まれ、東京都私立小学校教師、日本将棋連盟学校教育アドバイザー)

 

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いい授業の秘訣は空気を感じること   安次嶺隆幸

 いい授業の秘訣は空気を感じることであると安次嶺隆幸はつぎのように述べています。
 いい授業は、子どもたちが活発に活動をしていること。授業の終わりに子どもたちの変容がある。
 教師の教材研究がしっかりとなされ、子どもたちがそれにそっている。
 など様々な見方があるでしょう。
 私は、それに加えて、空気を感じることが教師の資質としてとても大切に思うのです。
 授業は子どもたちに任せて見守るのではなく、教師が教室の空気を感じ、ひとつの方向へ導いていくことです。とても大変なことですが。
 たとえば、音読指導のとき、子どもをどの観点でみるかが大切です。
 ただ読ませるのと、目的をもって読ませるのでは雲泥の差があります。
 テーマを持って読ませることで子どもが自らテーマを考えて読むようになれば、さらにそのクラスのレベルは上がります。
 少しずつ頂上へ上がっていくような感じです。
 また、音読をさせた後の教師の位置でその教師の力量がよくわかります。
 音読をさせているとき、子どもの背後にまわるのが基本です。
 どの子どもがどのページを開いているのか一目でわかるからです。
 そんな、ちょっとしたことでクラス全体が変わるのです。
 小さなことを大切にする本物の教師に早く私もなりたいと思います。
(安次嶺隆幸:1962年生まれ、東京都私立小学校教師、日本将棋連盟学校教育アドバイザー)

 

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国語科:作文でクラスを育てる  大原雅樹

 作文でクラスを育てる実践を大原雅樹はつぎのように述べています。
 私は、長年、綴り方教育に取り組んできた。
 子どもたちに大変つらいとか、そんなことばかりを書かせているうち、「これでいいのか」と悩んだ。
「いまの子どもはつらいことが多い」
「だから、私は明るい綴り方をします」
「明るく書いて、子どもたちを育てる」
 これが、私の授業です。
 クラスの子どもが書いた詩を授業で紹介し、みんなでその詩を音読した後、「これ、どう?」と大原は子どもたちにたずねた。
 そのあとみんなで意見をだしあった。
 大原は、どの子も肯定的にみることを、作文や詩で教えています。
 また、書いていないことや削っていい言葉を探す。
 そして、その子らしさを見つめるのが大原のやり方です。
 表現方法をいろいろ変えつつ、人間関係を育てます。
 作文や日記、詩でクラスを作りあげる実践を続けています。
(大原雅樹:札幌市立小学校教師、綴り方教育に力をいれ「札幌作文の会」で研究を続けている)

 

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ワークシートは、どのような特徴があるか    岩﨑 淳

 ワークシートの特徴について岩﨑 淳はつぎのように述べています。
 ワークシートを授業に常に使うのは有効ではないし、まったく使わないのも得策ではない。教材や学習内容に応じて適宜取り入れればよい。
 口頭で説明していると前に説明したことを子どもが忘れるおそれがある。
 板書は子どもたちが書くことだけで精いっぱいとなるおそれがある。
 また、多くの内容を口頭で説明したり、板書したりするには時間がかかる。
 ワークシートを利用すれば、教師も子どもたちも授業時の負担が少ない。
 そのほかにワークシートのよい点は
(1)効率的に理解や知識の共有化を図りやすい。
(2)方向性が明確になり、学習しやすい。
(3)授業内容が明確となり、復習しやすい。
(4)点検もノート点検よりも容易である。
 しかし、マイナス面は
(1)自由度が少なく、教師の発想の枠にはめることになりやすい。
(2)子どもが自分でまとめる力や最初から考える習慣が育たない。
(3) ワークシートが中心になると、教師の話を聞かなくなる。
 ワークシートはつぎのようにいくつかに分類できる。同じシートに複数の要素を入れて作成してもよい。
(1)マニュアル型
 解説や学習活動の手順を説明する。
 発展的な学習やグループ別の課題などの説明に適している。
(2)理解型
 指示にしたがって、子どもたちが記入し、学習内容を理解したり確認したりしていく。
 学習内容の整理に適している。
(3)ドリル型
 設問があり、それに対する解答を記入する。基礎的な知識の定着や、既習事項の確認に適している。
 ワークシートを作成するとき、授業で説明の時間が十分とれるときは、大要だけを記し、時間があまりとれないときは細かいところまで記しておくなどを念頭におくとよい。
(岩崎 淳:1961年生まれ、学習院中等科教師。学習院大学・学習院女子大学・早稲田大学で講師として国語教育及び言語表現に関する科目を担当。小学校・中学校国語教科書編集委員(教育出版))

 

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教師が子どもたちと仲良くなるためにはどうすればよいか

 子どもと教師がよい関係を築くには、まず教師がおだやかになることです。
 それと、叱るべきところは叱り、ほめるときはほめる。
 子どもは天使でも悪魔でもありません。教師は子どもの善なるものを導き出し、悪い心を浄化してあげなければなりません。
 難しいことですが、教師は愛の精神を持って、やっていかねばなりません。
 人間修養になりますね。少しずつ教師が変わらなければ、子どもは変わりません。
 子どもたちと仲良くなるポイントは、
1 にこやかに挨拶してから始めよう
 挨拶は人間関係をよくする魔法の言葉です。「おはようございます」「さようなら」など明るく、さりげなく言いましょう。
 子どもに強要してはいけません。間違っていたら「ごめんなさい」と謝りましょう。
2 一緒に遊ぼう
 子どもたちは一緒に遊んでくれる先生が大好きです。
3 子ども一人ひとりに、一日三回くらいは声をかけよう
 子どもは先生と話したいのです。
 いつも問題を起こしがちな子にかまけてばかりではいけません。
 よい学級の雰囲気を作りたいのなら、おとなしい子ほど、気軽に明るく声をかけていきましょう。
 先生を拒否している子どもにも顔をひきつらせないで、挨拶くらいは明るくしましょう。
 誰かが何かよいことをしたら、すぐ「ありがとう」と言いましょう。
 子ども一人ひとりをよく見ていれば、子どもから「えこひきしている」なんていう言葉は全く言われなくなりますよ。
4 気分で子どもを叱らないようにしよう
 嫌な思いを教室に持ち込まないようにしましょう。
 私は家庭で嫌なことがあったとき、学校で子どもたちと遊んだり、勉強していると忘れることがたくさんありました。
 家庭と学校の生活を切り替えていきましょう。
5 子どもと話すときは、その子の目を見ましょう
 教室で、子どもたちが先生の周りに集まって話し出すときがありますが、そういうときは一人ずつ、顔を見て聞きましょう。
 話すときもその子の目をやさしく見て、その子だけと話している瞬間を作りましょう。
 「先生はわたしを大事にしてくれた」という思いが、先生への信頼感を生むのです。
 信頼感は毎日の地道な誠実な対応から生まれるのです。
6 おだやかな言葉つかいで丁寧に話そう。なるべく呼び捨てにしないようにしよう
 高学年の子には特に、親しくなろうと思ってタメ口のような話し方をしてはいけません。
 教師なのですから、一線を崩さないようにしましょう。
7 子ども理解はゆっくりと。断定しないで別の面からもみよう
 「あの子は乱暴ばかりしてしょうがない」とか「この子はいい子だから大丈夫」なんて、一方的に思い込むほど怖いことはありません。
 人間は一筋縄で理解できると思わない方がいいですよ。
 教師の見る目と友だちの見る目が全く違うなんてことはたくさんあります。
 思い込まないでいろいろな面から見ていきましょう。
8 その日の行動や子どもの様子は、メモにつけておこう
 私は放課後のちょっとした時間に、何をどのように教えて、どんな反応があったとか、目立った子どもの様子とかなど、メモ書きしておきます。
 そうすると、後で読み返すと不思議なくらいその時の光景が浮かんできます。
9 子どもを楽しませよう
 ある男の先生は手品を見せていました。子どもは大喜び。ある女の先生は本の読み聞かせを毎日していました。
 自分の得意なこと、できることで子どもを楽しませましょう。
 楽しいことは幸せなことです。子どもが幸せと感じていると親に伝わります。
 いい先生に受け持たれてよかったと思われますよ。
 子どもが騒がしいときも、静かにさせるにはちょっとしたゲームやいい話をするといいですよ。
 「うるさい、静かにしろ」と怒鳴るよりよっぽどいい効果があります。
 短時間だと集中してきますよ。
 「続きはまた明日。静かになったらね」などと言っておけば、子どもはまたやりたくて静かになることを覚えていきます。 
10
掃除は子どもといっしょにテキパキとやろう。教室はいつもきれいに
 教室が汚い学級は、荒れていると考えて間違いありません。
 いつも整理整頓を心がけましょう。子どもの掃除は行き届かないところがたくさんあります。
 先生もいっしょにしてみましょう。きれいになり、子どもは喜んでくれます。
11
給食はなごやかな雰囲気で食べよう
 子どもの誕生日とか、ちょっとしたいいことを見つけて、牛乳で乾杯して食事をすると、不思議なことに和やかなよい雰囲気になります。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたっている)




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人は互いに応援しあって生きている     松岡修造

 人は互いに応援しあって生きていると松岡修造はつぎのように述べています。
 一つの目標に向かって進んでいる人、つまずいて落ち込んでいる人。
 そういう人たちに向かって僕は「大丈夫だ、きみならできる!」と叫んだりして鼓舞したりしています。
 そんな僕の姿を見て「面白い人だな。いつも元気で熱い人だな」と感じることでしょう。
 冷静に語ってしまえば、単なる説教になる恐れがあります。
 特に若い人たちは説教が大嫌いです。
 元気づけるためには、面白さから入るほうが入りやすい。
 僕のオーバーなアクションは応援のメッセージを伝えるための手段だと考えているのです。
 ジュニア時代の僕は、才能があると言われたことはなかった。
 それでも試合に勝ち進みました。
 おそらく、人の気持ちを読む力と、練習をひたすら続けることができる才能があったからだと思います。
 僕は指導する選手たちに対して、得意・不得意や性格を書くように言います。
 そうすることで、自分というものがよく見えてきます。
 プラス面をしっかりみすえることで、それをいかに伸ばせばいいかが分かってくる。
 マイナス面を客観視することで、具体的な克服方法が見えてくる。
 本気で努力すれば、必ず成功の確率は上がっていきます。
 思いを強く持てば、必ず道はひらけてくる。
 ただし、その確率が100%になることなどあり得ません。
 それもまた人生なのです。自分自身の限界まで本気でやってほしいと思う。
 これはテニスだけのことではありません。生きていくうえでさまざまなことに応用できることだと考えています。
 自分はダメな人間だと、何事もすぐあきらめてしまう人がいます。
 努力するのがしんどいから、ダメな自分を認めて楽になりたいだけなのです。
 しかし、そのような人でも応援してくれる人がいます。
 ただ目の前のやるべきことを一生懸命にやることが応援に応えるということなのです。
 人は互いに応援しあって生きている。
 だからこそ私はいつも誰かを応援しながら生きていたいと思うのです。
(松岡修造:1967年生まれ、元プロテニスプレーヤー。スポーツキャスター・タレント。ウィンブルドン選手権で62年ぶりにベスト8入りを果した)

 

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理科:理科授業の五本の柱   鷲見辰美

 理科授業について鷲見辰美はつぎのように述べている。
 いま、表面的ではない、知識の豊富さだけではない、意欲に基づいた自らを創造的に成長させる確かな学力が求められている。
 理科の授業は、実に奥深い。
 同じ教材を使い、同じ発問をしても、子どもたちによって大きく反応が変わる。
 また、同じ自然に触れても、そこから生まれる問題意識は子どもによって多種多様であたりもする。
 それゆえに、マニュアル的な考えで理科授業を構成することは限界があるのではないだろうか。
 したがって、つぎの理科授業の柱を五本の軸にして確かな学力をめざした授業を創造していただきたい。
1 不思議さや感動に出会う授業
 子どもたちは自然と友だちと対話しながら、自然特有の質感を感じ、新しい世界に出会い、考えが揺れ動き、新しい自分を創っていく。
 子どものわかり方の様相を理解して、子どもの思いや願いを育てていきたい。
2 問題意識を高める導入
 問題をそのままにしておけない、解決してみたいという、子どもたちの知的好奇心が高まることが重要になる。
 そのとき、子どもたちが見通しをもてるようにすることが大切になってくる。
 そのためには、子どもたちの疑問を意味づけ・関連づけし、常に事象に立ち返り、見直し、考え直しを繰り返しおこない、現象に対する認識を深めるようにしていくようにしたい。
3 実験・観察とまとめ活動
 あいまいな言葉による表現ではなく、科学的な用語によって科学的な理論を事実に当てはめ、現象を説明しようとする活動がある授業にしたい。
 そのためには、自分の考えの過程を大事にする。ノートに書いて、間違っても消しゴムで消さないようにする。
 現象を読み解く力を高めるために、科学的思考に基づく科学的な表現を大切にしたい。
4 理解を深め科学的な読解力を深める説明活動
 理科の学習では、実験結果をたんに記憶するのではなく、実験で生じた現象の意味を説明することが必要である。
 説明活動をすることによって、科学的な読解ができているか吟味でき、読解力の育成にもつながる。
5 発展的な活動
 それまでの学習を生かした発展的な活動を構成するようにする。
 学習が理解できている子どもは、問題を解決できる楽しさや、自分の成長を実感することができる。
 理解不十分な子どもは、これまでの学びを振り返ることになりメリットがある。
 もうひとつは、子どもの自主性を伸ばす活動である。意欲を高め、授業後にも関心をもつようになる期待がふくらむ活動である。
(鷲見辰美:1964年生まれ、NTT、岡崎市立小学校などを経て、筑波大学附属小学校教師。日本初等理科教育研究会副理事長、文部科学省教育映像等の審査学識経験者委員)

 

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教師の研修はどうあるべきか  佐藤 隆

 教師の研修はついて佐藤 隆はつぎのように述べている。
 教師自身の自主性・主体性が研修には大切である。
 しかし、学級崩壊が社会的に問題になって世論は「学校はどうなっている」「教師の力量不足のせいだ」と、学校や教師が批判された。
 この批判から、教育改革は行政による研修の強化と、学校で教師が仕事をしていることを内外に示し、夏期休業中の民間教育研究団体の研修も認めない事例が各地で生じている。
 初任者研修は、教師の主体的な意思で参加するものではない。
 マニュアルや対処法を覚え込ませることに重きが置かれた研修が多く、実際に教室で起きているできごととは切り離されていて、求めているものになっていないのが現実である。
 しかし、この研修がきっかけで同期の教師との交流が生まれ、サークルに発展する場合もある。
 また、大学時代の友人や、人間的魅力のあるベテラン教師のもとに集まるなど、若い教師たちのサークルが、いま全国各地で広がっている。
 こういったサークルは、まるごと自分を受けとめてもらえる安心感が得られる。
 参加者のニーズにあった研修となっていて主体的に参加しようとする意欲を引き出すことに成功している。
 これらのサークルの多くは、参加者が自ら実践上の苦悩をもち寄って語り、聴き取るというスタイルを重視している。
 他の教師の実践が自分自身の心の中に刻まれ、学びの質の高まりを実感することができる。
 癒しと学び直しの機会をサークルは提供しているといえる。

 ただ、これらのサークルの組織は脆弱で、活動内容が系統性をもたず一定していないので、系統的に蓄積がある民間教育研究団体の水準からいえば十分なものとはいえない。
(佐藤 隆:1957年生まれ、都留文科大学教授。教育科学研究会副委員長、『教育』編集長。教育学、教育実践学、教師教育論を主な研究領域としている)

 

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グループ学習の代表的な手法   町田守弘

 グループ学習のいろいろな手法について町田守弘はつぎのように紹介している。
1 アイスブレーキング
 班のメンバーのコミュニケーションを図り、活発な討議の雰囲気を作りだすために行う。
 グループ全員が参加できる課題を与える。年度初めに有効である。
2 バズセッション
 6名程度のグループに分けて、6分程度、自由に討議させる。結論を出す必要はない。
 そこで語られた内容を代表者が発表し、クラス全体で討議を進める。
 新しい課題に取り組む事前作業や、新メンバーで話し合うときに有効である。
3 ブレインストーミング
 与えられた課題に対して思いつくままに自由にアイディアを出す。
 他者の考えを否定したりせず、数多くのアイディアを出すようにする。
 アイディアは簡潔にし、グループ内で順番に出し、カードに書くのもよいが、あらかじめ各自に書かせてから出し合ってもよい。
4 KJ法
 ブレインストーミングで思いついたアイディアをカードに書いて、それを模造紙に貼る。
 アイディアの似たものをグルーピングして島をつくる。
 これで整理したり、問題の構造を把握したりできる。
 持ち運びもでき、他のグループと共有しやすい。
5 ジグソー学習
 学習課題をいくつかに分ける。
 学習グループから1・2名ずつ、ジグソーグループへとメンバーを送る。そこに与えられた学習課題に取り組ませる。
 課題が終わったら、メンバーは学習グループに戻って、それぞれのジグソーグループで学んできたことを報告し合い、学習課題全体の解決を図る。
 メリットは、学習グループの代表となることで責任感と解決する意識を強く持てること。
6 ディベート
 「賛成・反対・判定」グループ(G)に分かれ、与えられたテーマについて議論を展開する。
手順は、
(1) 賛成G主張 
(2) 反対G主張 
(3) 作戦タイム 
(4) 賛成G質問 
(5) 反対G質問 
(6) 作戦タイム 
(7) 賛成G最終弁論 
(8) 反対G最終弁論 
(9) 判定
 論理的に思考する能力や、相手の話を聞き、根拠に基づく説得力を持つ表現力が身につく。
7 カルタ
 紙の真ん中に考えるテーマを○でくくって、その周囲に「それは何?」「それは何をするの?」「それはどんなもの?」という観点で発想したものを、枝葉を伸ばすように放射状に書いていく。
 フィンランドの教育に用いられている。グループ学習にも使用できる。
(町田守弘:1951年生まれ、早稲田実業学校中・高等部教諭・教頭を経て、早稲田大学教授。専門は国語教育)

 

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私のプロ野球人生

 歩んできたプロ野球人生について野村克己はつぎのように述べている。
 私の少年時代は、戦争で食糧難だった。三歳のとき父を病気で失い、病気がちな母の手ひとつで育てられた。小学校三年生の頃から家計を助けるために新聞配達をした。
 無口な母に言われたひと言を私は、生涯忘れない。「男は黙って、文句を言わず仕事をするものんだ」という言葉である。
 プロ野球新人時代の解雇通告にも、体験した者にしかわからないテスト入団生の辛酸と苦悩、その後の幾多の試練にも耐えられたのは、私の体の中に懸命に働く母の姿と、この言葉が宿っているからである。
 プロの世界は厳しい。Aという選手が故障で使えなければB、BがダメならCというような激しい競争社会である。それゆえに、プロは自立心・自主性が非常に大事だ。誰もうまくなるまで待っていてはくれない。監督・コーチが見てくれるだろうという依頼心は敵である。この世界は自分で己の道をきりひらいていくしかない。
 私はなんとかプロ野球の入団テストに合格したが、二軍には悪い先輩がいて「今までテスト生で一軍に上がったヤツは一人もいないんだ。三年たったらお前らもクビだ」と言われた。
 そこで考えた。入団すればあとは実力の世界だ。チャンスはゼロということは絶対にない。人の三倍も四倍も努力しようと覚悟を決めた。
 グラウンドではみんな平等に練習するから、差をつけるとしたらそのあとの合宿所だ。手がマメだらけになってもマメを削ってバットを振り続けた。手首と腕力を鍛えるために砂を一升瓶に入れて振り回した。遠投は全身を使うから強くて正確な送球ができると聞き、練習を重ねると距離が伸びた。スター選手の練習を食い入るように見て取り入れたり、自分なりに工夫した練習を重ねて試合に出ることができるようになった。
 私はプロ野球の監督として選手を育ててきた。監督は時代の流れを読み、指導者として自分自身を革新していかなければ時代から取り残されてしまう。
 私は監督として選手を育てるとき「無視」「賞賛」「非難」という段階を踏むようにしてきた。
 見どころがありそうな選手でも、最初から手をさし伸べるようなことはしない。自分で目立つように努力した選手は、つぎの段階としてほめるようにしている。ここで満足してしまえば、そこまでの選手だ。
 しかし、中にはほめられても満足せず、さらに高いレベルをめざそうとする選手もいる。そういう選手にはあえてきびしい言葉を投げかける。真に一流といえるような選手はそうした非難を受けとめて、反省し、また向上しようとするからだ。王や長嶋、イチローがそうだ。
 監督は「気づかせ屋」である。つまり、監督とは原理原則を説き、選手自身が無駄な努力をしていないか、本人が気づいていない点を具体的に指摘してやるのがたいせつな役目なのだ。
 しかし、それは、たんなる技術的指導を意味しているのではない。しょせん、技術力には限界がある。技術力を補うのが知恵である。
 大きな試合で負けることで得られるものがある。人間、負けた方が真剣に反省する。たりないものを選手自身が痛感し、選手たちの人間的、技術的成長の場にこれ以上の舞台はない。
 最終的に選手たちに人間的成長を促すことが最も重要な監督の使命である。格言・名言とともに、私の人生観・野球哲学を選手たちに注入し続けた。
 「人間的成長なくして技術的進歩なし」24年間におよぶプロ野球監督生活のなかで、私は選手たちにそのことを問い続けた。
(
野村克己:1935-2020年。元プロ野球選手(本塁打王9回、三冠王等)・監督(日本一3回)・野球解説者・野球評論家)




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教師も授業にコーチングを取り入れ成長しよう

 私のまわりを見ても、コーチング(注)という言葉は知っているけれど、実際にコーチングを意識して授業をしている教師にほとんど出会ったことがありません。
 私は、これまで学校の仕事が大変だったとき、先輩や同僚の励ましが一番役立ちました。コーチングを学ぶきっかけになったのも同僚の教師からの励ましがあったからです。
 コーチングはコーチが相手に尽くして、受けた人だけが伸びていくのではなく、コーチ自身も人間的な成長を遂げていくことができます。
 自分の授業を改善したいと、英語教育セミナーに参加した教師でも、学んだことを早速、行ってみたという人は案外少ないのです。
 授業を変えるということは、自分の癖と直面するので、嫌なものなのです。
 習慣を変えるという嫌な行為をするには、それなりの仕組み、つまり
コーチングフローとは
(1)
現状の明確化
(2)
なりたい状態
(3)
到達するために必要なこと
(4)
計画立案
(5)
フォローと振り返り
が必要です。
 コーチングノートをつけ、自分の授業を録音して聞いてみて、成果を確認することが必要になってくると思います。
 私の授業はひどいものでした。
 私も自分の声を録音したものを聞きたくないですし、恥ずかしくて、本当は嫌なのですが、録音を聞くことで「あ、この私の発言が生徒の力を伸ばしたな」などといったことがよく見えてきます。
 私が使っているihoneは良質な音で簡単に録音できます。
 プロのコーチと呼ばれる人は必ず自分にコーチをつけています。
 教師であれば、学校内にいる自分の尊敬する教師にコーチしてもらう、というのも一つの方法かもしれません。
 しかし、私個人の意見としては、考え方が同じ人の意見を聞くより、突拍子もないような話をしてくれる人をコーチにしたほうが、自分に見えなかった答えを引き出してくれる気がします。
 私はコーチングを勉強するのに、英語を話す外国の人をつけました。英語教師として英語力も上がり、一挙両得でした。
 あなたには、コーチがいますか?
 コーチングをするためには、Yes…,butをYesにしてくれるコーチが必要です。それは他人でなくても、自分でもよいのです。
 自分自身で、いま、Yes,butになってないか考えてみてください。自分の生き方によい示唆を与えてくれるコーチをつけることで、可能性がグーンと広がっていきます。
(
日野奈津子:横浜市立中学校教師、英語授業にコーチングを用いた実践発表をおこなっている)
(
コーチング:目標の達成やパフォーマンスの向上をめざして、勇気付け、やる気を引き出し、自発的な行動を促そうとするコミュニケーションのスキルです)

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理科:見えない磁力を意識する授業展開     白岩 等

 磁石の極をとらえる学習を白岩 等はつぎのように展開した。
 磁石で大切にしたいことは「目に見えない磁石の力」をイメージし実感することである。
(1)
子どもがやってみたい状況をつくる
 3年生くらいの子どもには、授業の導入で「あれっ」「どうしてかな」と思わせることも大切であるが「自分もやってみたい」と思わせることがもっとも大切である。
 授業の導入で2本の磁力の強い長方形の磁石を使い、磁石倒しをおこなった。1本の磁石を机の上に立てる。残りの磁石を教師の指で隠して持つ。
教師「先生の指をこの磁石に近づけていきます」
 と言って立てた磁石に近づけていく。
 すると、次の瞬間、パタッと磁石が倒れる。子どもたちから歓声があがる。しばらくして、
子ども「先生の手の中、見せて」
 という声があがれば、
教師「そうです。実は先生の手の中に磁石が隠れていたのです」
 子どもたち「ぼくもやってみたい」「先生、はやく磁石ちょうだいよ」
 この時点で、子どもたちは自分もやってみたいという気持ちが最高潮に達する。
 子どもたちに磁石を二本ずつ配る。
 そのとき、磁石の倒れ方について、気づいたことを記録するように助言する。
(2)
対象とかかわる中でいろいろな不思議を見つける
 子どもたちは、しばらくすると、磁石の近づけかたを工夫し始めた。
 初めは同極を近づけていたのを、極を反対にして近づけたり、長方形の磁石の上の方、真ん中、下の方に近づけたりしながら磁石の倒れる様子を調べていた。
(3)
磁石の倒れ方から、極の性質を考える(問題意識の高まり)
 一通りの活動を終えたところで、磁石の倒れ方で気づいたことを発表させた。
 話し合いの結果、子どもたちは極というものを強く意識していった。
(4)
磁石の極の性質調べ(問題意識から問題解決へ)
 そこで、今度は、二本の磁石を手に持ってまっすぐに近づけていった。
 そうして、反発する感じや引きつけられる感じを体感としてとらえ「同極は反発し、異極は引き合う」ということをとらえていった。
 3年生の子どもたちにとっては、自分がやってみたいという場を設定することが、問題意識を引き出し、高めていくことにつながっていくということを改めて感じた。
(
白岩 等:1960年生まれ、1995年より筑波大学附属小学校教師)





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国語科:読みの力をつける教材研究はどのようにすればよいか    渡邉 徹

 読みの力をつける教材研究について渡邉 徹はつぎのように述べている。
 教材をどう読むか。
 ここに、子ども一人ひとりに読みの力をつけるか否かのポイントがある。
 教材に書かれている事実から、いかに書いていない書き手の思いにせまっていくことができるか。
 言葉に内包されているものをいかに読み取っていくかの力量が求められるのである。
 その方法として、教材文を書き写して言葉一語一語に寄り添ってみることである。
 そうして、自分なりに思いついたこと、感じたこと、調べてみたことなどを書き込んでみる。
 関係がありそうな言葉と言葉を線で結んでみる。
 すると、思わぬことを発見する。
 主人公の行動を追っていくと、心の屈折が見えてくることもある。
 はじめは、指導書を参考にすることもよい。
 少しずつ、書き手の息遣いが聞こえてくるだろう。
 書き手は、この言葉にこんな思いを託しているに違いないと推察できてくる。
 また、書き写さないまでも、コピーしてそれに書き込んで考えてみるとおもしろい。
 この繰り返しで、教師に教材研究の力がついてくるのである。
 こうして、分析したのちに、どの言葉を通して、どんな力を一人ひとりの子どもにつけてやるのかを明確にしていくことがどうしても必要なことである。
 読みの力をつけるには、より精密な教材研究が欠かせない。
 同じ作者の作品を読むこともいい。
 パソコンから資料を引き出すこともいい。
 それよりも教材文に寄り添って読む、書くことを勧めたい。
 すると、そこにその言葉がおかれている意味がわかってくる。
 書いてあるものから、書いてないものが見えてくるのである。
(渡邉 徹:静岡市立小学校長、幼稚園長を歴任。「日本国語教師の会」に所属)

 

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国語科:「丸ごと読み」と「おもしろ見つけ」の指導   田中智生

 「おもしろ見つけ」は、「丸ごと読み」と対になる指導である。
 「丸ごと読み」は、すでに子どもたち一人ひとりが持っている反応の仕方を教師の仲立ちで、子どもたちの間で交流し、作品の内容を中心にした読みを深めるものである。
 「おもしろ見つけ」は、子どもたちの反応の仕方を意識的に取り上げていく指導法である。
 冒頭部分で反応の仕方を意識化させ、それを使って読みを進めていく。
 作品全体を繰り返し読むことになる「丸ごと読み」では、作品の構成や仕掛けに目が向きやすいのに対して、場面ごとに反応していくことが多い。
「おもしろ見つけ」は、描写などの表現に目が向きやすいという違いがある。
 年間指導で考えると、「丸ごと読み」の授業を基本に、発達段階として新たに獲得させたい反応を「おもしろ見つけ」で取り上げていくという組み合わせが考えられる。
(田中智生:1956 年生まれ。岡山大学大学院教授、専門は国語教育学、教育現場の教師研究会を開催)

 

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子どもが言うことを聴いてくれる対話の方法とは

 子どものふさいだ気持ちをただ認めてやるだけで、その子を慰めることができます。
 気持ちを受け入れられ、尊重された子どもは、自分の感情と問題を十分に処理することができるのです。
 例えば「どうして泣いているの? 泣くほどのことではないでしょう」などと言うかわりに、「涙が出るほど、ひどく悲しい気持ちなのね」と、子どもの気持ちを認めればいいのです。
 ただし「きみの気持ちはわかるよ」と言うのは問題点があり、その言葉を信じない子は、「いいや、わかってないよ」と答えるでしょう。
 そのときは、子どもの悩みを具体的に言ってやれば、あなたが本当にわかっているのだということが、子どもにもわかるはずです。
 たとえ、それが間違っていても、子どもの気持ちを理解しようとする努力は子どもに評価してもらえるものです。
 子どもの気持ちを受け入れてやると、子どもは自分の行動を制限することができるようなります。
 それが、自己鍛錬の第一歩です。
 子どもが問題を抱えているときに、すぐにアドバイスしてはいけません。
 安易に教えてやったりすると、自分で問題と格闘するという経験を奪ってしまうことになります。
 すぐにアドバイスを与えてしまうと、子どもは「どうして思いつかなかったんだろう?」と自分が愚かだと感じるか、「私のことなんだから、指図しないでよ!」と怒るか、「私だってそんなことぐらいわかってるわよ」といらいらするかのどれかでしょう。
 どうしたいのかを自分で考えだしたとき、子どもは確実に成長します。
 また、自分の決断に責任を持とうとするのです。
 問題を抱えている子どもに、考えや気持ちが混乱している点を、はっきりさせるのを助けてあげることや、問題を質問の形で言い表してあげること、また、情報源を教えてあげることもできます。
 子どもが自分の考えや気持ちについて時間をかけて探り、つかめた後でなら、あなたの考えを冷静に聴くことができるでしょう。
 そのようなときは「・・・・・というのはどう思う?」といった表現を使って提案するといいでしょう。
 ただし「それはあなたの問題でしょう。自分でなんとかしなさい」と、問題を親に無視されると、傷つき、見捨てられたような気持になります。
(
アデル・フェイバ&エレイン・マズリッシュ:大人と子どものコミュニケーションに関するラジオ及びテレビの出演や全米で公演を行う人気作家でそれぞれ3児の母)




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子どもに話をするときのコツ 大村はま

1 魅力的に話す練習をする
 子どもに話す話し方を、もう少し魅力的にじょうずに話す練習をやってほしい。
 録音して自分の話を聞くといいんですよ。
 録音して、自分で聞いてみれば、悪いところがよくわかります。力がないのがすぐわかります。自分でびしびしと鍛えます。
 私は退職するまでこっそりと練習していた。
 話しをすることは特に難しいものですから、短い話しでも、教材の話でも、子どもに聞かせる話は事前の練習が必要です。
 子どもに二分とか三分、話をするのはむずかしいから練習しました。そういうとみんな呆れたような顔をしますけどね。
 先生方は「そんな時間はかけられない。忙しくて」とおっしゃるけれど、忙しくてもそれが本職ならしかたないでしょう。
 録音したものを少しでも聞いてみれば、なおすべきところがわかる。
 自分ほどきびしい先生はいないと思うくらい自分で自分を批評しても大丈夫。
 ほかの人に聞くからめんどうくさくなる。
 聞いてみて、あっと思うことを直してみたり、ほかのことばに言いかえてみたり。
 ここはこう言い方もあったとか。そうやってことばを増やすことを考える。
 やろうと思っても時間がないなんて言わず、それをやらなくては。本職だから。
2 豊かな話を多く持っている
 教師の運命を決するのは豊かな話を多く持っていることではないでしょうか。
 先生のそばへ行くと、お小言とか、ためになる話とか、そういうのは聞けるかもしれませんが、何か心のそうっとあたたまるような話はあまり聞けないというような状態が多いのではないでしょうか。
 いわゆる「ためになる話」というと、だいだい子どもの嫌いな話が多いですね。そうじゃない豊かな話を子どもに何気なく話していく。
 そういうことをもう少し考えないと・・・。学級が崩壊するとか言われていますけれども、そういう場がないからではないでしょうか。
 幸せな家庭にいるのと同じようなふんわりした暖かなものが、子どもには必要だと思うんです。
 でも、そんな話をたくさん胸に持っていない教師がいるということに、私は最近、気がつきました。
 どのような話ですか、と改まって聞かれると困るけれども、子どもが何気なく気楽に聞き流しながら、何かを受け取っていくというような、つまり話の力ですね。
 話にはそういう、何がためになるかならないか、上手か下手か、そんなことに関係のない、話し言葉の作る雰囲気というものがあるんです。
 30人なり40人なりの子どもを並べて「これからお話をしますから、よく聞いているんですよ」なんていうのは、教師として本当につまらないことです。
 「よく聞いてください」と言わなければ聞けないような話しかできないんでしょうか。
 教師の話し言葉は、じかに意志を伝えていくものです。
 ですから、これを豊かに持っているか持っていないか、持つことを志したか志さないか、それが教師の運命を決すると私は思います。
 私はそういうふうに思って、たくさんのお話を胸に持っている先生を尊敬しています。
 子どもの数だけいつでも胸に話があったら、どんなにいいかなと思います。
3 教師が「子どもが興味を持つように」と願う方向に向けていく
 子どものなかに教師が身をおくことが、教える技術の一つだと思います。子どもの中には入って、子どものことばで話すわけです。
 そういう言葉が、どんなに子どもの心を柔らかにし、開いてくるか、わからないと思うのです。子どもの興味のうえに立って、子どもの関心の深い点で、本気で子どもの生活のなかで考えさせます。
 それは、教師がただ子どもの興味と関心に従っていくことではないと思います。それは教育にならない。
 教師は「この方向に子どもが興味を持つように」と願うところに、静かにゆっくりと向けていく、工夫と努力をしなければならない。興味や関心を育てることは、先生の仕事なのです。
 話し合いが堂々巡りのとき、一つの転機を画すように、ぱっと目が覚めて、抜けだしていい話しができるように、曲がり角を作る人でなければならない。先生自身が目の覚めるような発言をして、みんなを感動させることです。
4 子どもの腰を見る
 子どもが教師の話を聞いているかどうかは、目をみるのもいいけれど腰を見なさい、と芦田恵之助先生から教えられました。
 腰がピンと立っていないときはあなたの話を聞いていない。お義理にこっちを向いているだけ、心は眠っているのだと、よく聞かされました。
5 話の長さは3分がよい
 話しはできるだけ短くしたほうがよいと思われます。
 いい話しでも長すぎるといい話しではなくなります。
 話は5分以上話すべきでないと思います。
 3分がいいのですけれども、それ以上は涙をのんでとにかく、いったんやめるべきだと思います。
 一年間教えておりますので、話す機会はいくらでもあります。ですから、惜しくてもやめないと、何の感動を与えないものになってしまいます。
6 子どもへの話は「題材」、「話しだし」「組み立て」「結び」にかかっている
(1)「題材」
 話の材料というのは、ほんとうに一生懸命に捜しています。
 先生の体験談など生きた話しがいちばん効果的です。
 話しの内容は、自分の生活のなかから拾った話しが一番です。
 自分の生活のなかで自分でとらえて、自分で感激していて、みんなに話したい話が一番生きていると思います。
 そのような話しをすると、話しやすい雰囲気、ふんわかとした、あたたかい空気ができるのです。
 先生自身の生活の幅が狭くて、話したいことなんかないということは、子どもの話しを聞けない、引き出せないと考えてもよいと思います。
 読書の幅を広くして読んで心に残った話しとか、いろいろの話題で自分の胸にいつも感動のネタがいっぱいあるようにしていかないといけません。
 私自身が、心から話したいと思わない話は、どうもだめです。新しい発見がない話、受け売りだけの話は、だれもあまり興味が乗りません。
 教師の話し方は、一度でわかるような話をするということが、教えるときの教材準備のいちばん大事なところだと思います。
(2)「組み立て」
 言葉をいかにやさしくしても、「組み立て」の悪い話というのは、子どもにはわかりません。
 ですから「話し出しのくふう」と、「組み立て」「おしまい」、そういうことは気をつけて、案を立てて練習して話をします。
 「話しだし」が同じ形をくり返していますと、マンネリになってきますから、だめなのですね。
 「組み立て」はよくよく考えてから。それをガラッとひっくり返したほうが大体はいいようです。
 「結び」はほとんどないにするのがコツのようです。パッとやめる。ていねいに結びますと、大体だめになるようです。
7 本心が心から声になって出る
 西尾実先生に、二人で対話するというのが大事で、本心がすらすらと出てこなければならないんだと教えてくださった。
 だいたい日本の先生は問答のことを対話だと思っている。
 本心が声になって出る習慣というか力というのを持たないと、話しことばというのは成立しないとおっしゃっていたんです。
8 話しのテンポ
 テンポはマンガのテンポがいいです。
 ていねいでなくて、ちょっとおそまつなぐらいのテンポです。
 有名なマンガ家の場面の移し方にテンポを学べると思うのです。
9 上手に話ができる教師は、相手の心をよく受け取れる教師
 上手に話ができる人は、相手の心をよく受け取れる人だけです。
 相手の心を受け取れない人がしている話は、子どもの心にはしみ込んでいかない。
 とにかく、子どもの心をとらえる以外に上手に話をすることはできない。
 子どもの心を本当にとらえているということが、教師にとって大切なことです。
 それがつかめていない間柄では、どういう工夫をしても話はうまくいかないと思います。
(大村はま:1906-2005年 長野県で高等女学校、東京都公立中学校で73歳まで教え、新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒の実力と課題に応じた「単元学習法」を確立した。ペスタロッチー賞、日本教育連合会賞を受賞。退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語科教育の向上に勤めた)

 

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子どもを注意できない教師が、注意できるようにするにはどうすればよいか

 子どもを注意することが難しくなり、できない教師も増えている。
 その場で注意できない教師、注意しても徹底できない教師、注意しても生徒に反抗される教師は、教師としての自らの適格性に疑問を抱いて苦しみ、悩み、心身症におちいる例も増えている。
 だが「できません」と言っているだけでは、けじめはつけられない。
 それぞれの教師が「その場で注意」できる教師に成長することが必要だ。
 そのためには、職場の教師が組織的に援助するようにする。それぞれの教師が個性に応じた指導法を発見できるように研修するとよい。
 生徒に怖がられている教師とそうでない教師とが、同じ言葉と態度で注意することはできない。
 それでは、どのようにすれば注意できるようになるのでしょうか。
1「その場で注意」できない教師は
(1)後で子どもを呼んで注意する。なるべく人目のないところに呼んで注意する。
(2)職員室へ戻ってきて、関係教師に通報する。
(3)一般的注意や掲示などによる注意など工夫する。
2 注意することについて学習会を開く
(1)「注意」について学習する。
(2)「その場での注意」の仕方を学習する。
(3)「注意の指導方法を出し合い」自分に適した指導方法を発見する
 ワークショップで「私ならこう注意する」といった指導方法を出し合い、実演しあって学習する。
 他の教師の指導を見ながら、それぞれの教師が自分に適した指導法を発見する。
 具体的に例をあげると、例えば、
 教師が、私語をする子どもに「何しゃべっているんですか。おしゃべりやめなさい」と注意したら、その子どもに「うっせーな」と反抗された。
 この場合、どう指導すればよかったのでしょうか。
 教師がそれぞれ自分の考えた方法をつぎのように演じて見せ合った。
1 新卒の教師は「すみません。おしゃべり、やめてくれますか」
2 ベテランの家庭科の教師は「楽しそうだね、その話、あとで先生に教えてね」
3 社会科の教師は「仲良くていいね。さて、話の続きは休み時間にしたら」
4 国語の教師は「そこ」と注目させ、ニコッと笑って唇に指を立て「しーっ」という静粛の合図を送った。
5 怖そうな体育の教師は「うるさい。おしゃべりやめろ」と怒鳴った。
6 理科の教師は「なに話し合っている。大事なことらしいな。みんなにレポートしてもらおうかな」
7 音楽の教師は、近づいて行って「どうしたの。緊急事態発生したのかな」と聞いた。
8 保健の教師は「何か先生の授業がおもしろくないのかな。おもしろくなかったら要求してください。どうぞ発表して。ここでいやなら、あとで教えてね。保健室で待っているからね」
 と、いろいろな指導方法のあることがわかる。どれも正しいと家本芳郎はいう。
 こういう指導の研究で大切なことは、一つの方法に統一しないことだ。
 みんながみんな体育の教師のように、みるからに怖そうな教師でないからだ。
 指導方法は「各自の自由」である。
 このように、それぞれの指導方法をだしあって、つぎの順序で自分流の指導方法を編みだせばよい。
1 いろいろな教師のいろんな指導方法を学ぶ。
2 そのなかから、自分にもっともふさわしい指導方法をさぐり、発見する。
3 発見した指導方法をそっくり真似してみる。
4 真似した指導方法を自分に適するように修正してみる。
5 さらに、発展させ、自分流の指導方法を編みだす。
 指導方法は自分流を編みだせれば、いうことはない。そこにいたるまでは、先人に学ぶことである。
 もう一つ例をあげる。
 教師の「やめろ」のひと声で子どもたちをやめさせるにはどうすればよいでしょうか。
 教師である以上、注意することからは逃げられない。教師は「やめろ」と注意したとき、その一声で制止できたら言うことはない。
 やめないのは、教師が子どもになめられていて、こわくないからだという説がある。そう思っている教師が多い。
 だが、そんなことはない。もし、それが事実なら、教師全員がこわい教師になる必要がある。
 おっかない教師が見ているところではやらないが、見ていないところではやるかもしれない。
 どうせ「やめろ」と言うなら「それから後もずっとやめる」ようにしたいものである。
 子どもが教師の「やめろ」の一声で、その行為をやめるには、つぎの条件を満たせば、こわくない教師も、やめさせることができる。
1 子どもを追い詰めて、逃げ場を失ったネズミにしない
 どんな場面で叱られるかが子どもにとっては大問題である。
 子どもにもメンツがある。みんなの前、好きな女の子前で「やめろ」と言われたりすると、すなおにやめない。
 したがって、やめさせる場合、その子どもの立場も考えながら注意し、その後で、きっちり指導する。
2 教師の言葉の力
 教師の「やめろ」と言う声に、すぐにその行為をやめさせる強い響きがあることだ。
「これはよくないことなんだ。すぐにやめなくては」と思わせる響きがある場合、子どもはハッとわれに返ってやめる。
 教師は「やめなさい」を13通りに表現できなくてはならないという人がいる。
 いろんなニュアンスで「やめなさい」が言えなくてはならないという意味だろう。
 ところが、教師はそういう訓練をほとんどしていないから、「断固として叱りなさい」と言うと、威嚇的な大声でしか発声できない。
 昔はそれでよかったが、今日では、その中にやさしい響きと、怒りや悲しみや、嘆きや痛ましさの表情をともなわなくては、強い抑止力を発揮できなくなった。
 制止や禁止の言語能力を高めることが求められている。
3 モラルに反する行為
 やめさせる行為がモラルに反している場合である。
 例えば「人を殺傷する」「人のものを盗む」「人の権利をふみにじる」「弱い者をいじめる」といったことなどである。
 「きまり」は日頃から取り上げ、子どもたちにもよく理解させておかなければならない。
 教師の「やめろ」に呼応するモラルを子どもの内部に育てておくためでもある。
 この「きまり」に反する行為にたいしては、即座の有無を言わせぬ禁止を求める。
 ところが「髪の毛を染めてはいけない」という校則は「規則」であって、人類普遍のモラルではないから「有無を言わせぬ禁止」項目にはならない。
 ここをよく間違えるので区別をしなければならない。
 これを同じレベルで指導しようとするから、無理がおこり、破綻する。
4 教師が好かれている
 「やめろ」と言った教師が好かれている場合である。
 好かれている教師が言うと子どもはやめる。嫌いな教師はなかなかやめない。
 教師は子どもに好かれ、信頼され、尊敬されるようにつとめなくてはならない。
5 納得できる指導を受けた経験がある
 今までに子どもが納得できる指導を受けた経験があるということである。
 「先生が『やめろ』と言ったので、自分はやめた。その後、先生は自分の気持ちも聞いてくれるし、慰めてくれて、納得のいくように説明してくれた」という信頼感である。
 そういう姿勢をもった教師であれば、子どもはやめる。
 学校現場では、指導に苦手な教師のレベルからものごとを発想していくべきである。
 注意できない教師の発言を大切にとりあげることで、そこから教育の思想や技術を深めていくことができる。
 たてまえで動く職場はかならず破綻するものである。
(家本芳郎、1930-2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

 

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教師として必要な資質(1)

 実力ある教師は、授業をすれば子どもを魅了し、話をすれば多くの人を引きつける。子どもの力は伸び、保護者の信頼も厚い。
 生まれつきなのだろうか? そんなはずはない。実力ある教師は、どこがちがうのか。
1 実力ある教師になりたいと思うその願いの強さにある
 実力ある教師になりたいと願わなければ実力ある教師にはなれない。
 焦がれるほど熱く願わなければ、達成はできない。
 高校野球で一度甲子園の土をふみたいと願うチームしか、甲子園へはいけない。
 願望や実力は、それを強く願わなくては手にすることはできない。
 教師は、自分も学び続けてこそ人に教えるということが許される仕事なのである。
 平凡な教師でいいと思っている教師に教えられる子どもがかわいそうである。
2 子どもを組織力し構成力する力
 教師の仕事は、学級の子どもたちを授業という事実によって組織し構成し、相互に交流し影響させ合わせることによって成立する。
 したがって教師に組織力・構成力があるかないかによって、授業や行事の質は一変したものになってしまう。
 組織力があり構成力のある教師は、すべての子どもを生かしながら授業や行事を発展させ、そのなかで一人ひとりの子どもが育つのを見守り助けていく。
 教師の仕事は、さまざまな異質のものを持ち、そのときどきに変化していく何十人かの子どもを対象にして、子どもの相互の関連をもみながら対処していかなければならない複雑な仕事である。
 同時に何十人かを対象にし、組織し構成し、そのなかで一人ひとりに対処していかなければならない。
 組織力や構成力を持ち、知識や感覚や表現力を持ったうえに、直接に働きかけ手入れをするための、指導の技術や技能を持っていなければできない仕事である。
 組織力・構成力のない教師は、授業や行事が平板になり、むしろ逆に、子どもの成長を抑えつけたり、押しつぶしてしまったりすることが多い。
3 すぐれた働きかけや手入れをする力
 授業や行事は、教師の働きかけや手入れによって出発し成立していくものである。
 教師のすぐれた働きかけや手入れがないかぎり、子どもたちは、どの子どもも、それまでの日常的な世界にとどまっているのであり、それまでの自分を捨てて、別の世界へと入り込み、自分を別の人間にしていくことなどできないのである。
 教師の働きや手入れとかは、ほとんど教師の言語や身体での表現によってされていくものである。
 そういう教師の表現によって、触発されたり、深く考えたり、自分を変えていったりすることができるのである。
 教師の表現活動の背後にあり、また表現活動の内容となり力となっているものは、教師の豊かな知識とか経験とかであり、また教師の持っているすぐれた感覚である。
 教師が豊かな知識とか経験とかを持っているとき、教師の表現は豊かで明確になり、子どもを豊かに楽しくしたり、子どもの内部にあるものを触発し、生き生きと表に出させるような力となる。
 また、教師がすぐれた感覚を持っていることによって、子どもの表現のなかにあるものを見わけたり、他とつなげたり、さらに子どもの内部にあるものまで掘り出したりすることができるようになる。
4 教師の技術や技能に人間的なものを持つ
 教師の技術や技能は、背後に教師の人間性とか教育観とか、子ども観とか、教材に対する考え方とかがあり、それを内容としての技術や技能である。
 教師の技術や技能がそういう人間的なものを持ち、内容を持ったとき、教師の技術や技能は生きて働くものとなり、子どものなかに豊かにはいっていくものとなる。
 そういう技術や技能がないことには、事実が豊かに確実に動くなどということはない。
5 子どもに対する誠実さ、子どもをいとおしいと思う心、自分を省みる謙虚さ
 これは疑いもなく、すぐれた教師に共通する資質である。
6 3つの指導力を使い分ける
 指導力は、
(1)悪いことは悪いと子どもにしっかりと伝える「父性型」
(2)悩んでいる子どもを包み込む「母性型」
(3)子どもと一緒に楽しむことができる「友人型」
 に分けられます。
 この型を時と場合によって使い分ける能力が必要です。
 批判の多くも、この部分に集中している感じがします。

 

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国語科:「銀の匙(さじ)の授業」   橋本 武

 「銀の匙(さじ)の授業」について橋本 武はつぎのように述べています。
 「銀の匙」は作者である中勘助の自伝的小説で、たくましく成長していくさまを描いています。中学で三年かけて読み解きます。
 「銀の匙」の授業では、学習の手引「銀の匙研究ノート」を使います。
 このノートは楽しみながら学べるよう、読み込みのポイントが書かれた、書き込み式の副教材です。
 ここに語句の意味や、内容の要約を書き込んでいきます。
 ノートには、各章の終わりに参考として、本文で触れられていた風俗・習慣や、特別な言葉の解説をしいます。
 この解説を参考に寄り道をします。中学では国語を好きになってほしかったので、寄り道を大切にしました。
 寄り道で興味と好奇心を持って見聞したことは一生忘れることがありません。
 「銀の匙」前篇二の章を取り上げます。全文をつぎに掲げます。
「私の生まれる時には母は殊のほかの難産で、そのころ名うてのとりあげ婆さんにもみはなされて東桂さんという漢方の先生にきてもらったが、私は東桂さんの煎薬ぐらいではいっかな生まれるけしきがなかったのみか気の短い父が癇癪をおこして噛みつくようにいうもので、東桂さんはほとほと当惑して漢方の本をあっちこっち読んできかせては調剤のまちがいのないことを弁じながらひたすら潮時をまっていた。」
 本文中の難しそうな語句には一重傍線がついています。意味がわからなかった人は、語句の説明を読みます。(例:名うて=高名であること。評判がよいこと。癇癪=少しのことで怒りだすこと。潮時=ちょうどよい時期)
 「銀の匙」では、各章の冒頭には、四などと数字がふってあるだけです。
 まず、私は各章のタイトルを生徒たちに考えさせます。
 それを授業の中で発表していって、クラスでひとつの題を決めるのです。
 クラスで決めた題が正解というわけではありません。大事なのは自分で考えることです。
 本文中の二重傍線がついた言葉に関連する寄り道をしていきます。
(1)
「難産」の寄り道
 自分が生まれたときの様子を、聞いて文章にまとめてみましょう。母のこと。父のこと。できるだけ詳しく聞いてください。
(2)
「漢方」の寄り道
 漢方医学の歴史と、特徴の説明。大阪市の薬問屋街にある「神農さん」(少彦名神社)の「張り子の虎」由来やお祭り、それにともなう「コレラ」の話など。
 章の授業を終えると、その章の内容を正確に200字に要約します。文字数を限定することによって語彙力が向上します。
 この「銀の匙の授業」を通して身につけられる力は
(1)
語彙が増える(一つの言葉に注目して、似た言葉を集める「寄り道」で語彙が増える)
(2)
自分で考える力がつく(各章に題をつけるなど、随所に考える課題がある)
(3)
文章力が向上する(各章の内容を200字に要約することで、文章を綴る能力が高まる)
(4)
記憶力がアップする(知的な遊びを取り入れ、脳を活性化させる)
(5)
調べる力がつく(寿司屋の湯飲みなどを収集して魚偏の漢字を調べるなど)
(6)
言葉に敏感になる(思いがけない言葉から寄り道することで、言葉の意味に敏感になる)
(7)
読み解く力が強くなる(主人公の行動を追体験することで、物語の世界に没入できる)
(8)
好奇心が刺激され、学ぶことが楽しくなる(寄り道や追体験を通して学ぶことの楽しさを知るのが「銀の匙」授業のもっとも大きな効果だろう)
(
橋本 武:1912年-2013年、元灘高等学校教頭。旧制灘中学校に国語教師として赴任後同校で50年間教えた。伝説の灘校国語教師として2009NHKで放送され、本が2010年にベストセラーとなる)

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子どもは成長していくことに喜びを感じ、成長できない状態におかれたときに不満を持つ、斎藤喜博はどような教育を行ったのか

 人間は無限の可能性を持っているものであり、自分をより豊かに成長させ拡大し変革していきたいという願いをもっている。
 教育とは、子どもの持っている可能性を引き出し、拡大していくことである。
 人間の美しさ、人間の連帯の美しさを知り、それぞれの人間の持っている無限の可能性を引き出し拡大することこそ教育の仕事である。
 どの子どもも、成長していくことに喜びを感じる。
 しかし子どもたちは、自分一人の力で成長していくことはできない。
 大人なり教師なりの助けを受け、力を借りることによって、はじめて自分の内部にあるものを、よりよく引き出すことができ、心をひらいて成長していくことができるのである。
 これは幼児や小学校の子どもばかりでなく、中学校や高等学校の生徒においても同じである。
 自分を成長させたいと強くねがっている子どもたちが、自分が成長させることができないような不幸な状態におかれたとき、子どもたちは、不満を持ち、反抗的になったり乱暴になったりする。また劣等感を持ち、無気力になったり怠惰になったりする。
 大人や教師はそう考えなければならないことである。
 もともと無気力な子どもとか反抗的な子どもとか、怠惰な子どもとかが固定的にあるものではない。
 学校の授業についていけない子どもとか、「おちこぼれ」などという子どもがあるものではない。
 そうなることをねがっている子どもなども一人もいるはずがない。
 そういう子どもをつくっている大人とか社会とか学校とか教師とかに問題があると考えなくてはならないことである。
 学校は子どもたちが成長していくのを、子どもの学習をとおして手助けするところである。
 学習の主体者は子どもたちであるが、学習の主体者である子どもたちは、教師の適切な助けを借りることによって、確かに創造的に学ぶことができ、自分を生き生きと成長させ変化させていくことができるのである。
 教師は固定した物を固定的に教えていてはだめである。教科を正確に獲得し、拡大し、深化し、再創造させていかなければならない。
 教育という仕事は、子どもたちの具体に応じて、こまかい手入れをしていかなければならないものである。
 子どもたちに、言葉や、身体で表現させたら、その事実のなかにあるよいものとか、悪いものとかをとらえ、その場ですぐに具体的に指摘していかなければならない。
 その事実のなかにあるよいものは拡大し、悪いものは否定して他のものをつくり出させることによって、子どもたちの持っている可能性は、はじめて引き出され形となっていくものである。
 一時間の授業で、子どもや教師が対決し、火花を散らし、つぎつぎと真理を追及し、子どもたちがへとへとになって、満足しきる。
 このような授業をしていれば、子どもたちは自分を出しきり、つかみとった満足がそこにはある。
 専門家である教師がやる授業は、子どもたちが自分の力を出しきり、正確な知識を獲得し、新しい認識とか創造とかをし、それを翌日の授業に持ち込むようなものでなければならない。
 そうなるような必然性とか法則とかを、授業はもったものでなければならない。
 例えば、合唱の指導もそのようにしていったとき、どの子どももが自分を出し、歌をうたうことによって、自分を豊かにふくらませ、自分を新しくし、自分を成長させていくことができるようになる。
 そういう指導をするためには教師は、子どもの事実をみぬく力を持ち、表現の方法を指導する教師としての技術を持っていなければならない。
 またそれらのもとになる、教材への解釈とかイメージとかを持っていなければならない。
 指導を終わって子どもたちが帰ったあと、どのように解釈し、どのような方法で指導したらよいかを教師たちと考える。
 教育という仕事においては、子どもの事実にふれるごとに、問題が生まれ、新しい解釈とかイメージとか、それに即した新しい指導の方法とか技術とかが生まれる。
 子どもの事実にふれるごとに新しい指導の方法や技術が生まれるのである。
 私の方法や技術は教師としての仕事をしながら何百種類を持つようになった。
 まず、自分の方法では子どもができない事実にぶつかる。
 そこで、考え工夫しながら、新しい方法を考えだし試してみる。子どもができるようになって子どもの事実を動かしたことで、新たに自分の方法や技術を獲得したことになる。
 だから教育という仕事は面白いのである。
 子どもの事実を動かすような仕事をしていったとき、子どもたちは無限に教えてくれるのである。
 教師は、絶えず追究し、創造し、新しいものを子どもたちのなかにつくり出していかなければならない仕事である。
 一つのものをつくり出したときには、つぎのより高いものをめざして、追究をはじめ、新しい創造をしていかなければならないものである。そういう仕事を休みなく続けていかなければならないものである。
 対象である子どもたちの事実によって、そのとき必要な形式をつくり出し、形式によって内容をつくり、そこに生まれた内容によって、またつぎの必要な形式をつくり出していかなければならないものである。
 形式は内容をつくるためにあるのであり、内容によって形式はつくり出されていくものである。
 そのときどきに全力をつくして典型をつくり出すが、それは決して目的ではなく、固定した既成のものがあり、それにあてはめていくものではない。
 つねに目の前にある事実と対決しながら、事実のなかから、つぎつぎと新しいものをつくり出していく仕事である。
 そのようにしてつくり出された典型に数多くふれることによって、子どもたちはいよいよ新鮮になり自分を新しくしていくのである。
 教師もまたそういう典型に数多くふれることによって新鮮な人間になっていくのである。
 そういう作業のすじみちのなかで、子どもたちは自分の可能性を引き出し、自分を成長させていくのである。
 そういうところに、教育の仕事の意味があり、特長がある。
 そう決意し、そういう仕事をしつづけようとしないかぎり、典型としての子どもの姿は生まれないし、教育という創造的な仕事をしつづけていくことなどもできない。
 子どもたちは、学校でのそういう授業や行事のなかで、教師や他の人間の力を借りながら、自分のなかに新しいものをつくり出していくのである。
 そのために学校を組織体としての機能を持ったものにし、授業の質を高めることを中心としたのである。
 また、すぐれた教材を集めたり、つくり出したりすることに努力し、専門家としての教師の技術とか技能とかを高いものにしようとする努力をしたのである。
 そうすることによって、子どもたちは自分一人だけでは到達できないような高みにまで、自分の全心身をつかって、喜び勇んでよじのぼっていくようになるのである。
 他の創造的な仕事においてもそうなのであうが、教育の実践はいつでも連山を越えていくようなものである。
 見えている一つの山を越えてほっとしたときは、つぎのより厳しい高い山が見えてくる。
 創造的な仕事であるということが、教育という厳しい、しかもいやな仕事に、堪えることができたし、やり甲斐のある仕事だとも思ったのである。
 実践者である教師は、そういう仕事のなかで人間を変革していくのである。
 また、人間を変革することによって、そのときどきの子どもと対決する実践も創り出せるわけである。
 教育の実践は、現実のなかでの、絶えざる追究と創造のある仕事であるから、またそれをしないかぎり、教師をも子どもをも変革することなどできない仕事である。
(斎藤喜博:1911年-1981年、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い人々が参観した。子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。昭和を代表する教育実践者)

 

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全員が熱心に掃除をして、あっという間に掃除が終わる方法とは

 教室の掃除を効率よくおこなう方法について福井 慎はつぎのように述べている。
 小学校で掃除のやり方は指導済だとして、中学校では掃除の指導をほとんどしていない。
 しかし、箒の使い方も知らない生徒もいるので、教室の掃除をするやり方を教えていく必要がある。
 全員が熱心に掃除にとりくむために重要なことは、
1 生徒一人ひとりの役割を明確にする。
2「床を掃く・雑巾がけをする・机を運ぶ」を同時進行でおこなう。
3 教師も生徒と一緒に掃除をして、ふだん目立たない生徒などをほめる機会にする。
 ことである。一人ひとりの役割を明確にすることで遊ぶ生徒がなくなる。
 自分の仕事が終わったらどうするか決めておくことも大切である。
 私のクラスでは、机の整理整頓をする。配り物をすることになっている。
 教室の掃除はつぎの順序で行うとすばやく終わることができる。
1 まず、机を全部、教室の前方に運び、教室の後ろを空け、後ろ半分を掃除する。
2 教室の後ろ半分の掃除
(1) 縦一列の机の後ろのスペースごとに縦方向に掃除をおこなう。
(2) 教室の後ろの壁から机のところまでを、箒で掃き、雑巾がけをする。
(3) 少し横にずらして机のところから教室の後ろの壁までを掃き、雑巾がけをする。
 ポイントは箒と雑巾が同じ道順をたどるようにすること。雑巾がけは3cmほど重なるように教室の縦方向に拭くと時間がかからない。
(4) 掃除が済んだスペースに、教室前方にある縦一列の机を教室の後ろ半分へ運ぶ。
(5) (1)~(4)を繰り返す。
3 教室の前半分の掃除
 2と同じ要領でおこなう。
4 机を元の配置にもどす。
5 黒板やロッカーなどの掃除をする。
 このやり方だと、全員が同時に一生懸命掃除をし、あっという間終わる。だから生徒に評判がよい。教育実習に来た学生も、この方法に驚く。
 この方法はTOSS三重の先生から教えていただいたものです。
(福井 慎:1978年生まれ 三重大学教育学部附属中学校教師 TOSS会員)

 

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気づかなかった自分に出会い発見することが何よりも面白い

 演劇についての思いを世界的に有名な演出家である蜷川幸雄はつぎのように述べています。
 いまの若い世代は、テレビや映像の感覚で育っているため、ものごとを論理的な構造に置き換えてみるということをしません。
 セリフも、平板な言い方でなく、言葉の頭の部分と語尾が明確に相手に届き、人間として自己主張するような表現をしてほしい。
 俳優の仕事は、人間を表現するから面白いのです。
 若い俳優が、うれしいことや悲しい出来事について人生でいろいろな体験を積み、老いたり体が衰えたりすれば、深い喜びや悲しみの経験と認識が体に宿り、俳優の演技に反映されます。
 その俳優の人生の軌跡が、演技に表われる演劇を組織するのが、僕の演出でありたい。
 何か新しいことをするときは自分を追い込んでいきます。
 家で何日か寝ないで本を読んだり、遊んだり、うろうろしていると、新しい感覚が生まれイメージが湧いて出てくる。
 また、稽古中に胃腸薬をポリポリ噛みながら、稽古をしていると目の前を虫が飛ぶんです。
 幻覚ですが、そういうふうに自分を追いつめていくと、確かに頭やイメージが動き出しますが、体を痛め続けているから、胃潰瘍とか、体はズタズタになります。
 総合芸術である演劇では、人間関係が大事で、コミュニケーションが難しいんです。
 演出家という仕事は、嫌なことも人に言わなければならない。
 演出家は観客の目を代表しています。俳優に対して演技をジャッジして、指図したり、否定したりする立場です。
 僕も昔のようにがむしゃらでなく、声高に主張しなくても、みんなに対して説得力を持つ人であたい。
 もっと多義的な解釈ができるようになりたいと思う。
 自意識過剰な僕は、そういうことが苦手だった。
 だけど、納得さえできれば、相手を受け入れて付き合うことが、素直にできるようになってきた気がする。
 演劇は、人と人との出会いに尽きると思うんです。
 演出のイメージも必ずしも絶対的なものではない。
 失敗したり、やり直したいと思ったり、もっと違う選択があり得たとか、自分が見落としていたものがあるなとか。
 人生でも演劇でも、気づかなかった自分に出会い発見することが、何よりも面白いんです。
 そしてチームワークこそ、演劇で最も大事なものなんですね。
 僕は、日本的なものわかりのいい、物静かな老人にはなりたくないですね。
 自己主張が強くて、自分の仕事を容認しないで否定しながら、最後まで、創造的な仕事に対して冒険家でありたい。
 そう、僕はあのピカソのような人になりたい。
(蜷川幸雄:1935-2016年、世界的に有名な演出家。元桐朋学園大学短期大学部学長。「王女メディア」「NINAGAWAマクベス」などの斬新な演出が話題となる。ベルリンでオペラ演出をおこなうなど国際的に活躍。歌舞伎座公演「NINAGAWA十二夜」の演出で菊池寛賞。朝日舞台芸術賞特別大賞,読売演劇大賞・最優秀演出家賞。22年文化勲章)

 

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新任教師や若い教師に知っておいてもらいたいこと

 新任教師は、教室の中ではもっとも年上で、目の前にいる子どもたちは、全員、自分よりも物を知らないと感じてしまう。
 つまり学校というところは、新任教師でも王様になれてしまう職場である。
 そのため、何の実績もない若い教師でも、自分が一人前の社会人だと錯覚しやすい。これから頑張って成長しなければという謙虚さを失いがちな世界です。
 新任教師は教える側として経験する教室の風景に戸惑います。
 さまざまな学びの要求が渦巻く教室で、すべての学び手に配慮し、各々の学びを高めていくということは、決してたやすいことではありません。
 若い教師の多くは実際に一生懸命に働くが、不幸なことに、一生懸命に働いたからといって、必ずしも有能な教師になるとは限らない。
 ざっくばらんな言い方をするなら、よい教師になるためには、かなり賢くなければならない。
 小学校のレベルでは、よい教師は文学や算数を知っているだけでなく、基礎科学、歴史、芸術にも精通し、さらにソーシャルワーカー(注)や心理学者にもなれる準備をしていなければならない。しかし、若い教師の多くは、そのようなレベルに達していない。
 初めて働く新任教師にとって、同僚や管理職をもつという経験はこれまでになかったことです。
 うまくやっていくためには、同僚の教師や管理職と適切な関係を築くすべが必要となります。
 職場での人と人とのつながりを大切にしてほしいのです。
 あいさつをして、同僚教師や管理職と話し合えるようになること。
 ちょっとした手伝いは快くやってあげることなど、ちっとも損にはならないことです。
 失敗がある程度許される若いうちは、何でも引き受けてやってみることも大切です。
 担当者があいまいな仕事がまわってきても、たくさんの仕事にかかわるおかげで、しだいに自分にできることと、できないことの区別が分かります。
 自分が自信を持ってできることが分かってくると、反対にできないことは迷惑をかけることもあり、いさぎよく断ることができるようになります。
 そのかわり、自分にできることにできる限りの時間と手間をかけ、最高に質のよい仕事をするようにするとよいでしょう。
 人ととけ合う能力を培っていくことが、やがて職場全体のまとまりを築き上げていく力量の土台ともなっていきます。
 学校を組織として見ることが重要になってきます。
 上から決めつけられることが嫌いな人や、民主的な決定過程を忍耐強く持つことができない人は、問題を抱かえることになります。
 管理職は、教師がよい学校をつくるための条件と環境を整備してくれています。
 教師は、管理職が物事を決めるという事態を容認しなければなりませんし、管理職はいつも誰からも好かれるわけではないという事態に耐えなければならないのです。
 学校での仕事がはじまったら、あなたは教育の議論と、日常の問題との間を行き来しなければならないと感じるでしょう。これは当然のことです。
 学校の日常は、実際、葛藤がおきます。管理職はあなたを助ける役割を担っているのです。
 管理職に質問することをおそれないでください。新任教師から、よい質問やするどい質問が出るのはうれしいものです。
 あなたのもっているかぎりの知識と熱意を示しましょう。管理職の仕事というのは、あなたのために仕事の環境と条件整備をすることなのですから。
 学校というところは、新しい考え方や創造力、そしてアイデアを歓迎するところであると同時に、伝統やルールに対して敬意を表すことも要求されるところです。
 あなたは、新しい考え方と伝統の狭間でバランスを見つけていかなければなりません。
 しかも、その葛藤のなかでやる気や喜びを失ってはなりません。忍耐力と勇気が必要となります。
 教師という職業はエキサイティングで挑戦しがいのある職業です。
 よいサポートがあればたくさんのことができます。そして、成功するために一番大切なのは、十分な訓練と心の準備です。
 これからの人生には二つの状況があると考えてください。
 一つは、あなたから力を吸い取っていく事態、そしてもう一つは、あなたにエネギーを与えてくれるという事態です。
 あなたが向かい風のなかにいるときは、楽しくない人や足を引っ張る人といっしょにいるのではなく、あなたが前に進んでいけるようサポートしてくれる人を見つけましょう。
 幸いにも、教師という仕事はさまざまなことを自分で決められます。あなたに、仕事への意欲と喜びを生み出してくれるような教材や活動を見つけてください。
(注)ソーシャルワーカー:社会の中で生活する上で実際に困っている人々や生活に不安を抱えている人々、社会的に疎外されている人々と関係を構築して様々な課題にともに取り組む援助を提供する対人援助専門職)

 

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子どもや保護者が満足する、プロの教師をめざすにはどのようにすればよいか

 子どもを学校に通わせている親のいちばんの関心事は何でしょうか? 
 成績を別にすれば、「子どもが教わる先生はどんな人か」という、教師の人格と実力に一番の興味と関心を持っています。
 子どもを、易しく伸びやかで、公平に扱ってくれるような教師を求めています。親から見れば、授業の実力もさることながら、わが子を大事に扱ってくれるかどうかが重大な関心事となります。したがって、教師はこの親の気持ちを理解することから、始めなければいけません。
 どのように、やるべきことをやるかという方法に教師の個性と実力が表れ、そこにプロとしての力量が問われるのです。
 自分なりのやり方が確立していない試行錯誤の状態であれば、同僚や先輩の教師の技を盗むことも必要です。他の教師の教室内の指導の実態はわかりにくいので、盗めなければ教わるより仕方がないのです。
 私の経験からいうと、生徒指導はやり方の問題です。子どもと保護者を大切にするという気持ちを根底におき、生徒指導の具体的なやり方にどのように反映するかです。
 おかれた状況により違うので、画一的に「このようにするというノウハウ」は必要ありません。むしろ、有害無益です。
 ただ、どのような場合でも、保護者にしっかりと説明する必要があります。明確な説明をしてくれないと保護者は不安になり、教師に文句を言うのは当然です。
 しかし、小学校も高学年になるにつれ、教師の「人柄」だけではダメです。教師としての「指導力」と「学力」が問題となってきます。
 教師が指導力を発揮して、子どもたちが安全で安心して過ごすことができるかを親は気にしています。
 さらに、学校は学ぶための場所です。教師が教える内容と技術について豊富な知識と経験があるかどうかが大切です。
 特に小学校では算数と国語が主要教科であるから、この二教科とりわけ算数は教え方によって上達度が違います。好き嫌いにも影響します。
 教師には親ではできないことをやる使命と役割が与えられているのです。愛情があればあるほど親子間では距離が取りにくい。
 アカの他人であればこそ、ある種の冷淡さが子どもたちから甘えを取り去り、自立心や独立心を育む作用をするのです。つまり教師は他人としての適度の冷たさが必要だということです。
 学校で一番大事な授業は情熱だけではできません。必要なのは知性と教養です。問題解決の方法を考え出す経験や専門的な知識に支えられた知性のほうが、役立つことは言うまでもないことです。
 学校教育は、言うことと行うことを、なるべく一致させることが望ましい。異なると不信感を保護者が持ちます。
 教師に「忙しい」が口癖みたいな人がいます。しかし、プロといわれる教師は、子どもが担任ところへ行っても「今、忙しいから後で」とは言いません。教師にとって最大の仕事は子どもとその親を相手にすることだということがわかっているからです。
 教師はプロとしてやるべきことを粛々とやり、何ごとについても言い分けせずに結果を見てくれという姿勢を持って臨んで欲しいものです。
 学校の教師は自分流でいける職業です。しかし、プロ意識が欠如していると、問題が生じるのです。教師は教育のプロです。プロとは自分の知識や技能を売って給料をもらっているのです。
 学校教育のプロとしての基本の仕事である「授業」と「生徒指導」がきちんとできないのなら、給料ドロボーと言われても仕方がありません。大事なことは問題解決から逃げないことです。
 授業が成立しない、学級経営がうまくいかない、そういう場合は、本人が同僚に相談するにしろ、最後は自分で解決するしか方法はないから、何がなんでも解決のすじ道を見つけなければなりません。
 一番のカギは授業です。良い授業をしている教師に「学級崩壊」などということはあり得ません。ダメな教師の授業は子どもが相手にしないから、授業が成り立たないで「学級崩壊」するのは、昔も今も変わりがないことがよくわかります。
 よい授業とは、子どもたちに「素晴らしい授業」と評価される授業が「よい授業」なのです。
 授業を改善するには、子どもたちから率直な意見をきく、同僚の授業を見せてもらい参考にするなど、あらゆる方法で、日々、授業の改善工夫を凝らす以外に道はないのです。これが教師の仕事のキーポイントです。
 学級経営では子どもが安心して勉強に専念できる雰囲気をつくることが肝要です。学級をワルのボスに仕切られたのでは、子どもは学校へ行くのが嫌になります。いじめを防止することも最重要課題です。
 それでは子どもに理解され、受け入れられる「よい授業」と何でしょうか。
 まずは、子どもの「興味を引く」、「おもしろい」という要素が大事です。さらに、子どもにとって「役に立つ」「ためになる」という要素も大事です。
 教える内容をいかにわかりやすく、興味深く教えるためには、教師自身にかなりの学識がないとできません。
 日々、自分自身に投資して、せめて最低、年間100冊を超える本を読まなければ、子どもたちを満足させる授業を行うことは難しいのではないかと思います。
 また、塾が子どもたちに評価されているのだから、教師もその技を盗むような努力をしてもらいたい。
 塾は子どものニーズに即して、授業内容をどんどん改変します。飽きさせないように、さまざまな工夫を凝らします。
 塾は授業者自身のキャラクターも商品なので、おもしろ系、ハッタリ系、アカデミー系のキャラを作り、子どもの方に顔を向け、必死に自分の授業をアピールします。根本に成果主義があるから、結果を出すためのパフォーマンスが必要なのです。
 教師が、いつまでも「先生」という権威に安住していると、自分の能力は劣化してしまいます。だからこそ、塾の切実感を学校の教師も学んでほしいのです。
(
戸田忠雄:1937年生まれ、長野県の私立、公立学校の教師、公立高校長、信学会長野予備学校長などを歴任し、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。XYサタデースクールネットワーク代表。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた)

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学級崩壊を防ぐには何が大切か?

 「小中学校の学級崩壊を防ぐには何が大切か」という秦政春(大阪大学)のアンケート調査があります。
 小学校5,6年と中学生の合計722名が回答しています。
 「授業が楽しかったら学級崩壊は起こらない」について「とてもそう思う」「ややそう思う」の合計が約73%も占めている。
 子どもたちが面白くて引きつけられるような授業をすることが学級崩壊を防ぐ決め手であることが、授業の受け手である子どものアンケートからもよくかる。
 他方、教師サイドの回答の第一位は「教師と子どもたちとの関係がよければ崩壊は起こらない」であり、これが合計して約88%をしめているという。
 子どもの側は授業の内容が問題であると言い、教師側は子どもに問題があると言わんとしている。
 授業を聞かないのは聞かない子ども側が悪いというのは、たいてい教師の言い分です。
 子どもは集中力が持続しない、根気がない、席にじっと座っていることができない。
 ある教師が書いた本(「学校崩壊」河上亮一著)によれば、子どもが変わった、家庭のしつけがなってない、地域の教育力が低下した、この三点を学校崩壊の主な原因としてあげています。
(戸田忠雄 1937年生まれ、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた。私立,公立学校の教師,公立高校長,予備校・塾統括校長などを歴任)

 

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