教師として必要な資質(1)
実力ある教師は、授業をすれば子どもを魅了し、話をすれば多くの人を引きつける。子どもの力は伸び、保護者の信頼も厚い。
生まれつきなのだろうか? そんなはずはない。実力ある教師は、どこがちがうのか。
1 実力ある教師になりたいと思うその願いの強さにある
実力ある教師になりたいと願わなければ実力ある教師にはなれない。
焦がれるほど熱く願わなければ、達成はできない。
高校野球で一度甲子園の土をふみたいと願うチームしか、甲子園へはいけない。
願望や実力は、それを強く願わなくては手にすることはできない。
教師は、自分も学び続けてこそ人に教えるということが許される仕事なのである。
平凡な教師でいいと思っている教師に教えられる子どもがかわいそうである。
2 子どもを組織力し構成力する力
教師の仕事は、学級の子どもたちを授業という事実によって組織し構成し、相互に交流し影響させ合わせることによって成立する。
したがって教師に組織力・構成力があるかないかによって、授業や行事の質は一変したものになってしまう。
組織力があり構成力のある教師は、すべての子どもを生かしながら授業や行事を発展させ、そのなかで一人ひとりの子どもが育つのを見守り助けていく。
教師の仕事は、さまざまな異質のものを持ち、そのときどきに変化していく何十人かの子どもを対象にして、子どもの相互の関連をもみながら対処していかなければならない複雑な仕事である。
同時に何十人かを対象にし、組織し構成し、そのなかで一人ひとりに対処していかなければならない。
組織力や構成力を持ち、知識や感覚や表現力を持ったうえに、直接に働きかけ手入れをするための、指導の技術や技能を持っていなければできない仕事である。
組織力・構成力のない教師は、授業や行事が平板になり、むしろ逆に、子どもの成長を抑えつけたり、押しつぶしてしまったりすることが多い。
3 すぐれた働きかけや手入れをする力
授業や行事は、教師の働きかけや手入れによって出発し成立していくものである。
教師のすぐれた働きかけや手入れがないかぎり、子どもたちは、どの子どもも、それまでの日常的な世界にとどまっているのであり、それまでの自分を捨てて、別の世界へと入り込み、自分を別の人間にしていくことなどできないのである。
教師の働きや手入れとかは、ほとんど教師の言語や身体での表現によってされていくものである。
そういう教師の表現によって、触発されたり、深く考えたり、自分を変えていったりすることができるのである。
教師の表現活動の背後にあり、また表現活動の内容となり力となっているものは、教師の豊かな知識とか経験とかであり、また教師の持っているすぐれた感覚である。
教師が豊かな知識とか経験とかを持っているとき、教師の表現は豊かで明確になり、子どもを豊かに楽しくしたり、子どもの内部にあるものを触発し、生き生きと表に出させるような力となる。
また、教師がすぐれた感覚を持っていることによって、子どもの表現のなかにあるものを見わけたり、他とつなげたり、さらに子どもの内部にあるものまで掘り出したりすることができるようになる。
4 教師の技術や技能に人間的なものを持つ
教師の技術や技能は、背後に教師の人間性とか教育観とか、子ども観とか、教材に対する考え方とかがあり、それを内容としての技術や技能である。
教師の技術や技能がそういう人間的なものを持ち、内容を持ったとき、教師の技術や技能は生きて働くものとなり、子どものなかに豊かにはいっていくものとなる。
そういう技術や技能がないことには、事実が豊かに確実に動くなどということはない。
5 子どもに対する誠実さ、子どもをいとおしいと思う心、自分を省みる謙虚さ
これは疑いもなく、すぐれた教師に共通する資質である。
6 3つの指導力を使い分ける
指導力は、
(1)悪いことは悪いと子どもにしっかりと伝える「父性型」
(2)悩んでいる子どもを包み込む「母性型」
(3)子どもと一緒に楽しむことができる「友人型」
に分けられます。
この型を時と場合によって使い分ける能力が必要です。
批判の多くも、この部分に集中している感じがします。
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