私のプロ野球人生
歩んできたプロ野球人生について野村克己はつぎのように述べている。
私の少年時代は、戦争で食糧難だった。三歳のとき父を病気で失い、病気がちな母の手ひとつで育てられた。小学校三年生の頃から家計を助けるために新聞配達をした。
無口な母に言われたひと言を私は、生涯忘れない。「男は黙って、文句を言わず仕事をするものんだ」という言葉である。
プロ野球新人時代の解雇通告にも、体験した者にしかわからないテスト入団生の辛酸と苦悩、その後の幾多の試練にも耐えられたのは、私の体の中に懸命に働く母の姿と、この言葉が宿っているからである。
プロの世界は厳しい。Aという選手が故障で使えなければB、BがダメならCというような激しい競争社会である。それゆえに、プロは自立心・自主性が非常に大事だ。誰もうまくなるまで待っていてはくれない。監督・コーチが見てくれるだろうという依頼心は敵である。この世界は自分で己の道をきりひらいていくしかない。
私はなんとかプロ野球の入団テストに合格したが、二軍には悪い先輩がいて「今までテスト生で一軍に上がったヤツは一人もいないんだ。三年たったらお前らもクビだ」と言われた。
そこで考えた。入団すればあとは実力の世界だ。チャンスはゼロということは絶対にない。人の三倍も四倍も努力しようと覚悟を決めた。
グラウンドではみんな平等に練習するから、差をつけるとしたらそのあとの合宿所だ。手がマメだらけになってもマメを削ってバットを振り続けた。手首と腕力を鍛えるために砂を一升瓶に入れて振り回した。遠投は全身を使うから強くて正確な送球ができると聞き、練習を重ねると距離が伸びた。スター選手の練習を食い入るように見て取り入れたり、自分なりに工夫した練習を重ねて試合に出ることができるようになった。
私はプロ野球の監督として選手を育ててきた。監督は時代の流れを読み、指導者として自分自身を革新していかなければ時代から取り残されてしまう。
私は監督として選手を育てるとき「無視」「賞賛」「非難」という段階を踏むようにしてきた。
見どころがありそうな選手でも、最初から手をさし伸べるようなことはしない。自分で目立つように努力した選手は、つぎの段階としてほめるようにしている。ここで満足してしまえば、そこまでの選手だ。
しかし、中にはほめられても満足せず、さらに高いレベルをめざそうとする選手もいる。そういう選手にはあえてきびしい言葉を投げかける。真に一流といえるような選手はそうした非難を受けとめて、反省し、また向上しようとするからだ。王や長嶋、イチローがそうだ。
監督は「気づかせ屋」である。つまり、監督とは原理原則を説き、選手自身が無駄な努力をしていないか、本人が気づいていない点を具体的に指摘してやるのがたいせつな役目なのだ。
しかし、それは、たんなる技術的指導を意味しているのではない。しょせん、技術力には限界がある。技術力を補うのが知恵である。
大きな試合で負けることで得られるものがある。人間、負けた方が真剣に反省する。たりないものを選手自身が痛感し、選手たちの人間的、技術的成長の場にこれ以上の舞台はない。
最終的に選手たちに人間的成長を促すことが最も重要な監督の使命である。格言・名言とともに、私の人生観・野球哲学を選手たちに注入し続けた。
「人間的成長なくして技術的進歩なし」24年間におよぶプロ野球監督生活のなかで、私は選手たちにそのことを問い続けた。
(野村克己:1935-2020年。元プロ野球選手(本塁打王9回、三冠王等)・監督(日本一3回)・野球解説者・野球評論家)
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