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2021年4月に作成された記事

聞き上手な親になるにはどうすればよいか   福田 健

 聞き上手な親になるにはどうすればよいか福田 健はつぎのように述べています。
 話しを聞くという活動は相手への働きかけである。
 親が待っているだけでは子どもからの発信は期待できない。
 ものが言いやすい雰囲気づくりをしないと待っていてもだめである。
 聞いているということを話し手に伝えるのが、聞き手の役目なのだ。
 いい方を換えれば「聞くのも表現」なのである。
「聞く」ことを表現ととらえると、ポイントが三つある。
(1)目を見て聞く
 子どもが話しかけてきたときは、目で受け止める。
(2)明るい表情で聞く
 笑顔は歓迎の合図である。
(3)相づちを打つ
 子どもに対して大人はどうしても、先入観や思い入れを持って話を聞いてしまう。
 話を聞いて先入観を改められる人は一流の聞き手なのです。
 そこで、相手の表情、動作などをよく見ながら、子どものいまの気持ちを聞いて理解をするようにする。
 子どもは自分を理解してくれたと思うとき、心が動くのである。
 無口な子どもも「言いたいこと」「聞いてほしいこと」はあるはずである。
 それを察知するには、無口な子どもに強い関心を持ち、表情などにいつもと違う変化がないか注意する。
 声をかけた際、気持ちの変化があらわれることがあるので反応を見逃さないことである。
 いそがしいときでも、できるかぎり話はさえぎらないで、最後まで聞くようにする。
 最後まで聞いてもらえないと、子どもは欲求不満になり、相手に不信感をいだくことになる。
 子どもが親に言われてうれしかったひとことは、
「いつも、最後まであなたの味方だから」
「信じているからね」
 というアンケート結果がある。
 子どもにしてみれば、親が子どもを「信じている」のはわかっていても、ことばに出して言われるとうれしいものなのだ。
(福田 健:大和運輸入社、言論科学振興協会の話し方運動に参加し理事を経て、話し方研究所を設立し会長。話し方、聞き方の指導・研究・啓蒙にあたり、コミュニケーション・リーダーシップ、人間関係などをテーマに各企業・官公庁で講演・講座活動を行っている)

 

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人生の成功者に必ず共通していることとは何か   浅田次郎

 人生の成功者に必ず共通していることとは何かを浅田次郎はつぎのように述べています。
 競馬をやるからには、まず運を支配してやろうという気概を持たねばならない。
 運を支配するとは、何もむずかしいことではない。
 ツイてないと感じたらピタリとやめ、ツイてるぞと思ったらブンブン行くのである。
 この判断力にかけている人間は競馬で身を滅ぼす。
 自分がいま、勝負の女神に捨てられているのか拾われているのか、それを冷静に判断することこそ、運を支配することなのである。
 ツキには時々刻々と変化する短期の波と、長い人生からみた長期の波がある。
 このいずれの波にも逆らってはならない。
 運と不運とは、表裏一体である場合がしばしばある。
 幸運が不運の始まりであったり、逆に不運がたまさか人生に幸いしたりする。
 バクチ打ちに向いている性格は、セコイくらいの金銭感覚、冷静沈着でカッとならない、考え方がこうだと決めつけない柔軟性がある、粘りがあり熟慮できるかどうかということです。
 私は性格がポジティブで、ぐちは言わない、ウソはつかない、見栄は張らない。
 こうやっていると世の中が楽しいから。
 人間の不幸は、見栄を張る、ウソをつく、グチを言う者から来ます。
 人生の成功者の経験談を見聞きしていると、必ず共通しているのが、冬の時代に決してジタバタしない。
 この時期に観察の努力をおこたらない者だけが、最後に笑うのである。
 運を天に任せていたのでは、とうてい勝利は望めない。
 いかに運をつかみ、それを手の内に少しでも長く留め置くか。
 そのためには、一に努力、二に才能、三に忍耐が運を支配する唯一の方法なのである。
 勝った馬の勝因を冷静に分析していれば「この前こういうレースだから勝てた」というのがわかっているから、次走がそのパターンにあてはまらなければ買わなくてすむんです。
 その馬の勝ちパターン、負けパターンまで覚えていくと、しめたものですよ。
 まあ、これは人生にも通ずるところがあります。
(浅田次郎:1951年生まれ、小説家。2011年 - 2017年日本ペンクラブ会長。自衛隊、アパレル業界など様々な職につき、『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞を受賞。映画化、テレビ化された作品も多い。競馬の達人)

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僕らは「自分さえよかったらええ時代」にいる。そこに気がつかないと

 僕は学校に講演に行っても、暴れている子はすぐわかります。
「おい、レモン、かぶり物脱げ()」なんて言うから「ありがとう、暑かってん」と言って脱ぐ。
 で、控え室に戻ると、その子らが絶対に集まってきます。「おお、入れ入れ」と呼ぶんです。
「君は根性ある顔してるな。夢は何やねん?」

「野球選手や」
「うん、君ならなれる。根性あるから絶対になれる」
「おい、体のでっかい君、君は笑顔が優しいなあ」
「よし、ええか、この学校は君らふたりが引っ張れ。君らが守れ」

「みんながこの学校に通って良かった、楽しかったって思える場所をつくれるのは君らしかおらん」
「よし、君と俺はもう親戚やぞ。学校で何か問題があったら俺に言え」
 こんなとき、でかい図体した子が照れて下向いて、なんか目をおさえている。
 何してるんやろと思ったら、ぽとぽと涙を流している。それを見て、PTAのお母さんたちも泣きよったんです。
「何で泣いてるの?」と聞いたら「六年間、大暴れしてきたこの子を見てきて、こんな顔や涙をはじめて見ました」って。
 その子は六年間ずっと自分の存在を認めてくれる、その言葉をほしがってたんです。
 僕ら全員、時代のうずに巻き込まれて「自分さえよかったらええ」という時代にいるんよね。
 まず、それに気がつかなあかんと思う。
 僕が気づいてほしいと思っていることは、暴れている子どもらにはみんな理由があるということです。
 その理由は家庭の中にあることが多い。
 ところが、みんな個人情報がどうやとか、そこまで踏み込まれへんと言う。
 そんなんやったらいつまでも変わらへん。
 いまは他人の子になんて声をかけないでしょう?
 いま、子どもたちも孤独だし、若いお母さんたちも孤独な子育てをしています。
 それを何とかしたいわけです。
「親やないけど、関心だけは持ってるんやで」と出会う子どもたちにだしていこうやないかと。
「ウィー・アー・シンセキ! キャンペーン」(みんな親戚や、と思え)
 もう、これしかないと僕は思っているです。
 自分の周りの人から愛して、どんどん親戚を増やしていく。
 もう、この旗をパンと立てて、そこに向かってみんなで行かないと。
 僕がいいたいのは、感動が人を動かすってことです。
 心が動くから人は動くんです。
 たとえば先生に何でなりましたかと聞けば、絶対に感動話がでてくるんです。
 人のためにすることは、ぜんぶ自分のところに返ってくるというのが、僕の育った長屋の文化です。
()黄色い帽子のようなかぶり物をしている。理由は学校現場にビタミンが足りないから。
(山本修嗣:1964年生まれ、大阪府出身のラジオDJTBSラジオの『全国こども電話相談室・リアル!』、NHK Eテレの『きらっといきる』、ニコニコ動画の『ミュージックボンバー』などの番組に出演している。自らの子どもが通う小学校でPTA会長を5年間務めた。その後もPTA顧問を続けている)

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叱っても人がついてくる、叱り方の極意とは     福田 健

 叱っても人がついてくる、叱り方の極意について福田 健はつぎのように述べている。
 叱るべきとき、自信がないと人を叱るのは気が重い。
 どう叱ったらよいか方法がわからないと叱る自信が持てない。
 どう叱ったらよいか、叱り方のポイントを考えてみると、
 怒るのではなく叱る。
 それには相手を育てようという思いを、しっかりと持つことから始めなくてはならない。
 何を叱るか事前にわからせておく。
 一貫した叱る方針を立てて、事前にみんなにわからせておく必要がある。
 何を叱り、何を叱らないかを日頃から自分の考えを伝えておく。
 感情に左右されることなく、日ごろの方針にしたがって叱るようにする。
 同じ目線で叱る。
 上から目線でえらそうな態度や言い方で叱るのではなく、問題を自分の中に入れて、同じ立ち位置で叱る。
 その上で、どうすればミスを繰り返さないですむかについて、一緒に話し合う。
 考えが違えば基準が異なる。
 相手にわからせ納得させるには、短気を起こさず、相手にも理解を示し、ねばり強さが求められる。
 叱るタイミングを外さない。
 叱るとき、言いにくいと思うと考えすぎて、つい先送りしてしまい、結局タイミングを逸して、叱れなくなってしまう。
 叱り方が「強いことばで責めとがめる」だけでは、相手の反発をまねく。
「諭す」「注意する」「気づかせる」など、範囲を広げるべきだろう。
 そうすれば、気負わないで叱れるし、タイミングを外さずに叱ることができる。
 また、シッョクがさめやらぬ内に、厳しく叱責するのは考えものだ。
 反感をかったり、余計に落ち込ませてしまう恐れがある。
 気持ちが落ち着いて、話が聞ける状態になるのを待ったほうがよい。
 一度にあれもこれも叱らない。
 叱ろうと思いながら、我慢していると、その思いが蓄積されて抑えきれずに、あれもこれもといっぺんに叱ってしまう。
 気になったら、その都度、口に出して注意し、ため込まないことだ。
 原則は一対一で叱ること。
 みんなが見ている前で叱られるのは辛いことである。
 恥をかかされたと、恨みに思ったりする。
 よく考えたうえで、ここは人前で叱ったほうがよいと判断したときに限るのがよい。
 感情的になったら、一呼吸おく。
 人間に感情はつきものである。カッとなると自分を見失う。
 一呼吸おくとは、自分を取りもどす間合いのことだ。
 怒りがこみ上げてきた瞬間、深呼吸するなり一呼吸おいて、気を静める。
 間合いの取り方は、各自工夫してみるとよい。
 相手の人格を否定しない。
「だからお前はダメなんだ」と言うのはタブーである。
 強く叱ったあとはフォローを忘れない。
 不機嫌なまま、お互い、わだかまりを持ち越すことのないようにしたい。
 叱った後は、カラッとできるようでありたい。
 翌朝「おはよう、昨日は言いすぎた。でも、わかってくれたと思う。よろしく」と、明るい口調で、さらっとひと言、言っておく。
(福田 健:ヤマト運輸入社、言論科学振興協会の話し方運動に参加し理事を経て、話し方研究所を設立し会長。話し方、聞き方の指導・研究・啓蒙にあたり、コミュニケーション・リーダーシップ、人間関係などをテーマに各企業・官公庁で講演・講座活動を行っている)

 

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仕事は自分を表現し、自分を成長させる場所

 飯田 亮は、あるときから食うには困らなくなった。すると、なぜオレは働いているのか、と考えるようになりましたと次のように述べています。
 そして「やはり自分を表現するのは、この場以外にはない」と改めて実感しました。
 だから働き続けているわけです。
 私の場合、今の仕事を通して以外の自己表現、自己実現というのはできない。
 ある程度はできるかもしれないが、今ほどの喜びは得られない。
 だから、今の仕事に喜びを感じながら働いているのです。
 さて、自分を表現する、と言うと、一見楽しいことのように思えます。
 しかし実際は、決して簡単なことではありません。
 自分を表現できるためには、まず第一にプロと評されるにふさわしいだけの実力を身につける必要がある。
 したがって、仕事は自分自身を成長させる場所でもあります。
 私自身、特に若い頃は、自分を成長させるということについて、ずいぶん考えたものです。
 仕事以外に自分を鍛える場所はありませんでした。
 だから、仕事を通じて自分を鍛えたかったのです。
 やがて気づいたことは、自分を成長させるということは、単に仕事を成功させるとか、技術を身につけるだけではありません。
 もっと大きな意味で、人間としての己を成長させなければならない。
 キザな言い方かもしれないが、高い人格ということです。
 特に肩書きが上がり、率いる人の数が増えれば増えるほど、高い人格を身に備えなければ下の人たちが迷惑してしまいます。
 そういう意味では、仕事というのは修練の場であり、会社は道場です。
 そして、そこで経験し身につけるものは、決して気ままな生活だけでは得られないものです。
 お金の勘定さえ合えば、仕事をしないで気ままに暮らせばいいのだろうか。
 私はそう思えません。気ままな暮らしだけでは、決して到達できないものがあるのです。
(飯田 亮:1933年東京都生まれ、日本警備保障株式会社を創業し社長に就任。セコムに社名を変更し取締役最高顧問。45期連続増収を実現、日本に一大産業を育て上げたベンチャー経営者の元祖)

 

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子どもを叱ったとき、保護者からクレームがこないようにするにはどうすればよいか

 教師として保護者に望むことのひとつは、「親は自分の子どもことだけではなく、他の子どものことも考えてほしい」である。
 こう思うことが教師にとってしばしばある。
 しかし、親は自分の子どもが一番かわいい。
 どの保護者でも関心は常に自分の子どもにあるということを教師は常に頭に置いておくことが大切である。
 子どもが叱られて帰ってくると連絡帳にクレームを書いたり、すぐに電話をかけてきたりする保護者がいる。
 このような保護者とは、信頼関係をできる限り早くつくるようにしなければならない。
 こういった保護者の子どもを叱る場合、特に気をつけておきたいことは、「子どもに納得させる」ことである。
 子どもが少しでも納得いかなければ、必ず保護者から連絡があると思って間違いない。
 叱り方には注意して、決して大きな声で怒鳴ったりしてはいけない。
 そのような叱り方をすれば、子どもは冷静に教師の話しを聞くことができなくなり、叱られたことに納得することはできない。
 したがって、できる限り穏やかに叱り、最後に必ず「何が悪かったか、なぜ叱られたのか」を本人の口から言わせる。
 そして、子どもが元気に笑顔で下校することができるように配慮することが大事である。
 保護者が担任の人柄が分かり、指導方針に賛同し、担任を信頼するようになれば、熱心な保護者ほど頼りになるものはない。
 私も何かあるとすぐに電話をかけてくる保護者がいた。
 大方は私の指導に対する不満であった。
 しかし、何度も話をしたり、連絡帳でやりとりしているうちに親しくなり、信頼関係ができてからは、子どもに対して効果的な指導ができるようになった。
 子どもを叱っても、保護者の理解が得られなければ、いくら叱っても効果が少ない。
 効果的に指導できるようにするためには
(1)
子どもを叱った日には保護者に電話する。
(2)
子どもが暗い顔をして下校した日には学校の様子を連絡する。
(3)
子どもの良い行いが目にとまったら、連絡帳で伝える
(4)
保護者のクレームは可能なかぎり、学校に来てもらうか、家庭訪問して直接聞くようにする。
 まずは、保護者の言い分を聞くことに徹する。
 親しみのある態度で話をする。
 話の中で子どもの良さを言い、向上の期待を伝えるようにする。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長)

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人生とは心の反映である

 輝くような大成功を収めて人々の羨望を集めていた人が、いつのまにか没落を遂げていく。そのようなことに接することが数多くあります。
 人は往々にして、たくさんの人々の支援を得て成功したにもかかわらず、その原因を自分に能力があるからだと考え、自分でも気づかないうちに、少しずつ傲慢になっていくことで、次第に周囲の協力が得られなくなります。
 生きていくうえで最も大切な「足るを知る」ということや謙虚さを忘れてしまうことから、その成功が長続きしないのです。
 私は、この宇宙には、善き方向に活かそうとする「宇宙の意志」が流れていると考えています。その善き方向に心を向けて、ただひたむきに努力を重ねていけば、必ず素晴らしい未来へと導かれていくようになっていると思うのです。
 足ることを忘れ、謙虚さを失い「自分だけよければいい」という利己的な思いを抱き行動するなら、宇宙の意志に逆行し、成功しても長続きしないのです。
 そうであるなら、他に善かれと願う「利他」の思いが少しでも多く湧き出るようにいていかなればなりません。他人の悲しみを自分のことにように嘆き、励ましてあげる。さらには他人への憎しみや怒りを抑え、優しい思いやりの心で接する、というように「心を整える」ことに努めるのです。自分自身に繰り返し言い聞かせるようにします。
 人間の心は庭のようなものです。もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭にもたげる悪しき思いの雑草を取り除き、善き思いという種をまき、大切に育みつづけることが大切です。
 この「心を整える」ことは、仕事や人生とは関係ないことであるかのように思いがちですが、決してそうではありません。仕事の成果も、人生の業績もすべて、その人の心のまま現われてくるものです。
 成功を収めても、謙虚さを忘れず、足ることを知り、すべてのことに感謝し続けること。一方、不運にであっても、それを素直に受け入れ、前向きな生き方を続けること。
 そのようにして素晴らしい人格を身につけるよう、常に心を整え、心を高める努力を重ねていけばいいのです。人生とは心の反映なのです。
 私は、そのような一人ひとりの不断の努力こそが、よい社会を実現する唯一の方法であると信じています。
(
稲盛和夫:1932年生まれ、実業家。京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長として国際賞「京都賞」を創設し人類社会の進歩発展に功績のあった人を顕彰、日本航空を再建し取締役名誉会長、若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長
)



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生徒と信頼関係をつくるうえで大事なことはなにか  杉田雄二

 生徒と信頼関係をつくるうえで大事なことはなにか杉田雄二はつぎのように述べています。
 小学校も中学校も教師として生きていくことが今ほどしんどいときはない。
 現場で教師一人ひとりが孤立し、悩んでいる人がいっぱいいます。
 そして、その苦しみを率直に表すことができず、途中で辞めていく教師もいる。
 生徒の立場に立とうとすればするほど学校現場で浮いたり、孤立したりというきつい状況に追い詰められていく。
 ツッパリの生徒たちは、群れてはいるが集団にはなれない。
 みんな仲がいいように見えてバラバラなんです。
 かれらが共通して求めているのは、自分のことを見てほしい、知ってほしい、聞いてほしいということなんです。
 そういう生徒たちと向き合ううえで大事なことは、生徒の話を聞くことと、教師が生徒に言ったことは実行することです。
 それが信頼関係をつくるうえでいちばん大事なことではないかと思っています。
 教師は生徒に対して「そんなことをすると親に言うぞ」といった脅しが非常に多いと思うんです。
 でも、実際は言わない。だから教師の言うことはどうせ脅しだと取ってしまう。
 生徒たちというのは、力で押さえつけるなどということをしなくても、きちんと対話を重ねる。
 生徒の言い分を聞き、そこで合意したことは、教師がきちんとやり抜く。
 ということをすれば、生徒はそれを守るし、生徒にまかせても少しもおかしいことにはならないんです。
(杉田雄二:元公立中学校教師・全国生活指導研究協議会の会員)

 

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事故が起こったとき保護者に対してどのように対応すればよいか

 困ったなと考えず、保護者と信頼関係を築くよい機会と前向きに受け止めることである。
 親は人それぞれ異なるものさし(基準)を持っている。
 これを理解することが、相手の立場に立ったスタートなのである。
 親を変えることができる。教師に子どもがほめられるとうれしいのが親心である。
 日ごろ、子どもに対する愛情と情熱を持って接していれば、教師のその誠実さは、子どもを介して必ず親に伝わるものである。
 人間は攻めに強く、守りに入ると弱いという習性を持っているものである。
 どのような場合でも、攻める気持ちを忘れないことだ。絶対にひるまないこと。
 事案が発生した場合、より早く校長に報告が届き、校長が事実を正確に把握して、正しい判断をすることが大切である。
 これを誤ると打つ手がすべて後手となり、学校の対応のまずさに外部から大きな非難をあびることになる。
 詫びると決めたら説明責任を果たし、徹底して親が感心するくらい頭を下げることが大切。
「校長先生にそこまで頭を下げられたらどうしょうもないな」と言わしめるまで。中途半端だと「しっかり謝れ、なんだその頭の下げ方は」となる。
 また、詫びないと決めたら最後までひるむことなく、毅然とした態度をとること。
 校長の方針がブレると、もっと傷口を大きくする。
 つぎに、教職員全員に「何が起きたのか」緊急事態の発生を周知徹底し、子どもの安全を確保する手だてを組織的に迅速に講ずることである。
 そのために、職員室の黒板に新しい情報や判明したことを誰でも書き加えていくことである。
 さらに、教育委員会、警察など関係機関に連絡し、指導を受けると共に、連携を図ることが大切である。
 事案によっては親に緊急事態の発生を知らせ、子どもの引き取りや安全な下校の措置をとらなければならない。
 親からの問い合わせに説明が異ならないよう、電話受理体制を確立する。
 もし、負傷者が出た場合は、親にかかりつけの病院があるか確認し、速やかに医師の診断を受けさせる。
 親への第一報は極めて大切で、今後の話し合いの成否を左右するといっても過言ではない。
 何よりも大事なのはスピード。
 誠意ある素早い対応が、その後の責任追及を緩和した例は極めて多い。
 緊急事態が発生したときは、正確さより早さを優先すべきである。
 正確さは後で補正できるが、早さはカバーできない。
 悪い状況というものは、時間が経過すればするほど拡大し、手がつけられなくなるものだ。そうなると解決の選択肢も限られてしまう。
 事案が発生したらならば、今の時代、必ず訴訟を起こされるとの心構えで事に当たらなければならない。
 法廷に立ったとき、親からの苦情を受けたとき、自分を守ってくれるのは、経過を記したメモである。
 客観的事実のみを箇条書きにするとよい。
 記録がなければ誰もその事実を証明してくれない。
 公式に認められるのは言葉ではなく文字。そのメモが後日、免責の契機となることもあるのだ。
(
星 幸広:元千葉県警察署長等を歴任し、子育て・しつけや学校危機管理に関する講演を全国的に展開している)

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保護者と教師が共に気持ちをよせて取り組むことができることは何か   佐藤友子

 保護者と教師が共に気持ちをよせて取り組むことができることは何か佐藤友子はつぎのように述べています。
 私の子どもがまだ五歳のころ、不登校の高校生の親からの相談で突然、
「先生に親の気持ちがわかりますか」
 と言われた。
 「偉そうな態度で、あんた、まだ親でもないのに」という思いがその親の態度にあらわれていた。
 どう返事をしたらよいのか、私も親だと伝えるべきか、親であることと子どもの不登校の相談と関係があるのか。
 ここで下手な返事をしたらもう話をされないだろうなあと思ったが覚悟を決めて、
「私の子どもはまだ保育園なで、高校生の親のお気持ちはわかってないんでしょうね」
「私の子どもが高校生の頃になったら少しはわかるようになるかもしれませんが・・・」
「今日はできるだけ子どもさんの側に立ってお話をしようと思います」
 と言った。
 すると、その親は、
「ありがとうございます。子どものことを大事に思っていただいているんですね」
 と言われた。
 私はその親の思いほどその生徒のことを大事に思っていたかといえば自信がない。
 でも、学校で教育活動に関わる大人が一番に気持ちをよせて「どうしたらよいか」を考えるのは「生徒」のことである。
 その基準さえぶれなかったら誰とでも共に取り組むことができるということを、理屈だけでなく実感させていただいた体験であった。
 親から不登校の相談があったときどのように対応しているか佐藤友子はつぎのように述べています。
 原因がどこにあろうが子どもが学校へ行かないということは、多くの親にとってはつらいことである。
 親として自信をなくし日常の会話さえも神経を張り巡らしておられ、それがまた子どもの神経を苛立たせるという悪循環もあります。
 不登校の親から相談があったときは、私は
「学校のことは、子どもさんから話されない限り話題にしないでください」
「それ以外のことは今まで通り、叱ることは叱って、ほめることはほめてください」
「学校のことを子どもさんから話され、返事のいるときは、お母さんはこう思うと、思っていることを伝えてください」
「わからないことはわからないと。返事のいらないことであれば、否定せずに聞いてください」
「あせらずに一緒にどうしたらよいか考えていきましょう」
 と話します。
 親は、親の気持ちに寄り添って、話を聞いてくれる人を求めておられるのではないか?
 話の中で一つでもいいから、よい対応がないか見つけようと耳をこらし、
「お母さん、その対応はよいと思います。すごい!」
 と共に喜べる感覚が大事だと思う。
 親には「あせらないで」と言いながら、教師が「よい結果」と思えるものを出そうということにばかり気持ちが傾いたとき、ときには親を「責めている」ように映ってしまうこともあるだろう。
 冷静な判断と共感する気持ちを併せ持つことの難しさをいつも感じている。
(佐藤友子:元京都府公立高校養護教諭)

 

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担任が保護者に最も好かれることとは何か

 保護者に好かれる担任についてのアンケートで不動の1位は、
「うちの子をよく見てくれている」
 ということです。
「この先生は、うちの子をよく見てくれている」
 これが保護者から信頼される担任の最大の特徴です。
「最近、うちの子はどうでしょうか?」
 と、保護者から聞かれて
「ええ、うまくやっていますよ」
 という返事だけではもの足りません。
「うちの子をよく見てくれている」とは、細かな点までよく情報をもっているという意味です。
 具体的なエピソードを思い出せなければ意味がありません。
 そうならないためには、気づいたことはメモしておくクセをつけておくことです。
 具体的な情報がたくさん得られます。
 まめに保護者に連絡することも心がけましょう。まめさが重要です。
「よく見ている」「連絡する」という姿勢を伝えるのが重要です。
(諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。「教師を支える会」代表)

 

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子どもたちに結果を求めすぎない   新牧賢三郎

 若かりし教師のころ、新牧賢三郎は、
「このクラスを学校でいちばんいいクラスにしてやろう」
 と教材や問題を工夫し、プリントを作って、というようにものすごくがんばりました。
 ところが、私はこれだけやっているのに、なぜ子どもたちは応えてくれないのだろうと思うようになりました。
 隣のクラスと比べても、いろいろな点で負けているように感じていました。
 そして、だんだん子どもたちにつらくあたるようになりました。
 お説教の時間が長くなり、感情的な言葉を口にするようになりました。
 その結果、だんだん子どもたちは私の言うことを聞かなくなりました。
 おどしや罰で子どもたちに言うことを聞かせる方法しかなくなり、子どもたちとの信頼関係は崩れていきました。
 とてもつらい時期でした。
 このときの経験が私に多くのことを教えてくれました。
 一言で言うと、私は結果を求めすぎていたのです。
 結果を求めるとき「子どもに対する要求」という形になってしまうのです。
 教育で結果を求めるとき、それは子どもがどれだけ伸びたかということを問われるのです。
 主役は子どもなのです。
 教師がどれほどがんばっても、子どもが伸びていなければ意味がないということになるのです。
 私はつらいなかで、考えました。
 私は自分がいいと思う方へ、その子どもが向かうように働きかける。
 でも、変わるか変わらないかは、その子どもの在りようがあり、私の思うように変えることはできない。
 結果は自分の手の中にはない。
 自分にできることを精いっぱいやり、結果は天に任せる。51%の結果でよしとする。
 と私は考えました。
 すると、とても気持ちが楽になりました。
 そして、その苦しい一年が終わり、私は別の学校に転勤しました。
 新しい学校で心機一転、一から自分の仕事のやり方を見つめ直しました。
 このときが、私の教師としての仕切り直しでした。
(新牧賢三郎:1953年生まれ、元東京都公立小学校教師・月刊「教育トークライン」編集長)

 

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家庭で父親と母親はどのような役割をはたせばよいか   内田玲子

 家庭で父親と母親はどのような役割をはたせばよいか内田玲子はつぎのように述べています。
1 父親の役割
 お父さんの役割は、間違っているときは、ビシッと言う必要があります。
 善悪のけじめや、大局的にものを見て間違いを正すことが大事です。
 しかし、それをやらない父親が多くなりました。
 父親に求めても答えない。ただ怒るだけ怒って「お母さんに聞け」と言って役割を果たしません。
 一方的に言っていては会話になりません。
 家の中は練習場です。
 それでは学校や社会でコミュニケーションがとれなくなるのは当然のことです。
 お父さんを立てない家庭というのは基本的によくありません。
 母親の顔色だけを見る子どもが多くなっています。
 父親を悪い見本にして「お父さんのようになっちゃだめだよ」と言う母親があります。
 そうすると、自分もあんなになるんじゃないかと、マイナスの力が働き、子どもの心が育たなくなります。
 そして、学校の先生も信頼しなくなります。
 先生の言うことを聞かない自分勝手な子どもになりがちです。
 家庭内の問題は、社会的な問題へと発展していくのです。
 問題児童をかかえる家の共通点は、父親ががんこか無関心というケースがめだちます。
「仕事で忙しい」と子どもとかかわろうとしない父親では、尊敬するようにはならないでしょう。
 家庭で尊敬する人がいること自体が、生きる希望であり、大きな勇気をもらえます。
 目標があり、中心があると安定します。
 子どもにさまざまな問題が起きても、親が直接指示を出すのではなく、ヒントや示唆を与えて、本人が気づいたり、本当に納得できるまで待ってあげると、子どもに生きる力がつきます。
2 母親の役割
 お母さん、しっかりわが子を叱っていますか

 善悪のけじめをつけるのは、お母さんです。
 3歳の幼い子どもでも、叱られるようなことをしたときは、悪いことをしたという意識が働くのです。
 そんなとき、お母さんはしっかりと叱ってあげてほしいのです。
 抑えきれない感情の爆発ではなく、イライラやストレスの発散でもなくて、しっかりと子どもの目を見て叱ることで、子どもの体が善悪の味を覚えていくのです。
 本当に愛情があれば、中途半端な叱り方はしません。
 そして、そうした愛情は「お母さんは僕が悪いことをしたときに、本当に叱るんだ」と、そのときは反発したとしても、あとで気がつくものです。
 それを黙って見過ごしたり、自分の都合で簡単に許したりすると、子どもの心を不安定にします。
 同じ悪いことしたとき、叱ったり叱らなかったりする気分屋的な対応では、けじめのない、たががゆるんだ子どもに育ってしまいます。
(内田玲子:1936年生まれ、家庭教育カウンセラー。地方からはたらきに来ている若者のために「働く青少年の家」として自宅を開放した。全国の教育委員会、PTA等で講演活動を行う。著書は世界179ヶ国で読まれている)

 

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子どもの「やる気を引き出す」にはどのようにすればよいか  新牧賢三郎

 子どものやる気を引き出すにはどのようにすればよいか新牧賢三郎はつぎのように述べています。
 子どもは楽しかったり、満足したりするとやる気がでます。
 つまり、「わかるようにする」「できるようになる」ことがやる気を起こさせます。
 子どものやる気を引き出す教師の授業はとても楽しくなります。
 子どものやる気を引き出す原則は
1 ほめる
 ほめることは教育の鉄則である。
 悪い面もほめて直すことができる。
 例えば姿勢を直したいとき、
「あれ、○○さんの姿勢はいいね。背中が真っ直ぐになっています」
 と、
ほめる方法で姿勢を正された子どもの表情は笑顔になる。
 教師の顔を見て「私だって姿勢がいいでしょ」とクラスの子どもたちは訴える。
 笑顔が絶えないクラスにしたいのだったらほめること。
 子どもの成長を信じて疑わないのが教師である。
 信じて、ほめ続けることが教師の役目である。
 ほめるにはコツがある。
 笑顔で子どもの目を見て全身でほめよう。
 邪心があれば子どもに見透かされる。心からほめよう。
 子どもの変化をほめるようにします。
 ちょっとした良い変化を見逃さないでほめます。
 やってはいけないのは、
「よくやったな。今度は100点を取ろうな」とつけたすこと。
 つけたすことで、子どもは天国から地獄に突き落とされます。
2 目標を達成する
 子どもはできないからやる気が起きない。
 できるようになればやる気が起きるのだ。
 クラスの中には跳び箱ができない子がいます。
 私は四月の一週間以内に跳び箱の指導をします。
「やればできる」と子どもたち全員に示すためです。
 目標を達成するための秘訣は、子どもの能力に応じたスモールステップと飽きないよう少しずつ変化のある繰り返しです。
3 選択の自由
 自由という言葉は解放感があり、やる気を起こさせる魅力がある。
 たとえば、理科室での実験で「理科室にある物ならば、何でも自由に使ってもいいです」と言うと「やったあ」と子どもたちは大喜びする。やる気を起こさせる魔力だ。
4 子どもに共感する
 人間は共感されないとつらい。
 話をしているとき、顔を見てうなずいて聞いてくれると安心する。
 教師は子どもの話をうなずきながら聞き、子どもの気持ちに共感しよう。
(新牧賢三郎:1953年生まれ、元東京都公立小学校教師・月刊「教育トークライン」編集長)

 

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子どもは育てたように育つ

 学級崩壊、いじめ、不登校など子どもたちが崩れています。
 その根本的な原因は親の育て方、つまり親自身の心のあり方や、暮らしぶりが子どもに反映されているといっていいでしょう。
 私の生まれは四国で小さいころから、お遍路さんのお世話をしていました。
 蒸した芋をあげると「まあ、ありがとう」と言って感謝されるのが、本当にうれしかった。
 与えて奉仕する喜びは、何ものにも替えがたいものです。
 友だちからは貧乏人の子どもとして仲間はずれにされることもありました。
 しかし「ありがとう」の一言は、挫折しかかった私の心に蘇生する力が与えられ、生きる勇気を与えてくれました。
 急にキレたりあばれだす子どもが増えています。
 子どもが生まれた時は純白な心を持っています。
 しかし、親の生活のクセや親との関わり方によって、子どもの心の中に満たされない心をいろいろな形で訴えているのです。
 子どもたちが崩れるのは、家庭の中にしかその根はないのです。
 親が自分の心の中にあるクセを認めない限り、子どもはキレルのです。
 だから、カウンセリングを受けても、親が自分を認めない限りまず解決しないでしょう。
 例えばつぎのような例があります。
 朝、子どもがグズグズすると母親がイライラして「早くしなさい! お母さんが会社に遅れるでしょう。どうして朝からイライラさせるの!」と、お母さんは全部子どものせいにします。
 親が朝早く起きれば解決することです。
 子どもを幸せにしたいと思えば気づくことです。
 我が強い人は、心の中で分かっていても、自分をごまかすために正当化しようとします。
 ちょっとしたことで、子どもは変わります。
 親が自分の生活のクセを認めるか、認めないかです。 
 親が素直に認め、心のスイッチが入れば、子どもは落ち着くのです。
 子どもは親の表現者です。
 たとえばこのような例があります。
 親が遊びに行きたいがために、子どもを園に連れてくることがありました。
 今日、親が休みなのに園に預けられたことが子どもには分かるのです。
 いつもニコニコしてよく遊ぶ子が、その日は一日中泣いていました。
 母親が子どもを産み、育てていくわけですから、家の中での関わり方によって、それぞれの性格が形作られていくことになります。
 気の弱い子、ヒステリックな子、わがままで自分の意志だけを押し通す子、自分の意見をはっきり言えない子など、子どもは親の育てた通りに育っているのです。
 要は育て方なのです。
 子どもは「しっかり、愛してよ」と気づかせようとします。
 このときに気づかなければ、思春期になって親の心の程度に合わせて、いろいろな問題行動となって戻ってきます。
 人生はブーメランのようです。
(
内田玲子:1936年生まれ、家庭教育カウンセラー。地方からはたらきに来ている若者のために「働く青少年の家」として自宅を開放した。全国の教育委員会、PTA等で講演活動を行う。著書は世界179ヶ国で読まれている)

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大変な学級を受け持つときは、目に見える形で、短期間で子どもたちを変えていかなければ認められない  中野やす子

 前任校の経験から、大変な学級を受け持つときは、目に見える形で、短期間で子どもたちを変えていかなければ認められないのだということを自分の胸にしっかりと刻みつけていた。
 転勤した学校で担任した二年生の学級は、一人ひとりがばらばらな状態だった。
 まず問題を起こしている一部の子どもたちを変えなければ、他の子どもの成長もありえないと私は思った。
 そのために、次のことを考えた。
(1)全ての子どもが安心して過ごせる学級をつくること
(2)担任が一人ひとりとしっかりつながること
(3)勉強やその他の活動で「やればできる」という自信をつけてやること
(4)学級全体で楽しくすごす時間を毎日少しでもつくり、子どもたちがお互いを認め合える関係にしていくこと
 そのために、毎日いろいろな取り組みをした。
 いいと思うことは何でもやってみようという気持ちだった。たとえば、
「きのう遊んだこと」などを題材に一言スピーチ。
 月末にお誕生日会。
 遊びは、班遊び(4人)での遊びが楽しめるようになると全員遊びもできるようになった。
 学習の中では、短期間でも自分で成果がわかり、自信につながる国語の音読、視写、漢字、算数の計算などを継続していった。
 列や班で発表する発表リレーや音読リレー、鍵盤リレー、歌リレー、子どもどうしをつないでいく学習も多く取り入れた。
 また、落ち着かない月曜日の朝には必ず絵本の読み聞かせをした。みんなで笑って楽しめるような昔話を選んだ。
 子どもたちが動き始めたと感じたのは、生活科で全員がザリガニを飼い、廊下にケースを並べて世話をするようになってからです。
 一人で責任をもって生き物を飼う経験にとまどいなからも一生懸命だった。
 ザリガニ観察に向けクイズをつくり、七月の授業参観日に発表を行った。
 私も親と一緒に喜び合うことができた。
 授業はもちろん、授業以外の取り組みも含めた日常的な土台づくりの重要さを軽視してはならない。
 それにもまして大事なことは、
(1)授業の中で、一人ひとりの思考や表現を尊重し、交流し合う
(2)課題に向かって子どもたちが共に追求し学び合う満足感
 こそが、一人ひとりを、そして学級全体を高めていくのだということを私は実感として、子どもたちからあらためて教えられたのだった。
(中野やす子:小学校教師)

 

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理科ならではの強みを使って楽しい授業を  八嶋真理子

 理科ならではの強みを使って楽しい授業をと八嶋真理子はつぎのように述べています。  学校では、子どもは教師の話を聞くのは当たり前だと思っていては、授業はできないと思ったほうがよい。  子どもの日常は、面白いものが溢れているし、我慢することは、大人も含めてできない時代になってきている。  では、面白い人にしか教師はできないのだろうか。  子どもにとっての面白いことは、一つではない。  しゃべりがじょうずな教師もいれば、パフォーマンスがじょうずな教師もいる。  教師が人間として面白ければ、それだけでも強力なアイテムだが、それについて自信のある教師はそうないだろう。  その点については、徐々に力をつけることとして、理科の場合は、強い味方がある。  本物の事象があり、見るだけでなく観察・実験を通して実物に触れるといった体験ができるという理科ならではの強みがある。  授業のつかみの部分で、理科ならではの勝負ネタを使う。  どのように魅力的に事象を提示できるかは、教師の工夫しだいである。  自分には、面白いことを言って人を笑わす才能がないから教師には向かないと悩む必要はない。  理科で扱う内容は、実際どれも面白いのだから、その内容の面白さを前面に出して子どもに見せていくのである。  そのためには、教師自身が教材の面白さを理解していなければならない。  教材研究によって子どもと教材の魅力的な出会いの演出を工夫することが、理解にとって、最高のつかみとなるだろう。  教師が「これは、すごい」「面白い」と思うもので授業を行うと、教師の表情や声に現れて、子どもに伝わるものも大きい。  指導内容だけをおさえて、それだけを伝えようとする授業は魅力に欠けることが多い。  しかし、教師の一人よがりになり空回りしないよう、子どもの興味の距離感を把握して、それをつなぐ出会いを用意することが必要である。  教師が子どもに見てもらいたいと思うものがあるとき、教師はその物や現象のもつ、不思議さや美しい規則性を感じている。  子どもにもこの感動を共有してもらいたいと思う。  「すごいね」「不思議だね「」どうして?」と問題解決への筋道をどのように編んでいくのか。  これこそ教師の力の見せ所であり、醍醐味といえるだろう。 (八嶋真理子:元神奈川県横浜市立小学校校長・理科教育学会・理科の教育編集委員)

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理科好きな子どもを育てる授業とは  山口晃弘

 理科好きな子どもを育てる授業について山口晃弘はつぎのように述べている。
 中学校1年の生徒に理科の授業に望んでいることを書いてもらうと
(1) 観察や実験をもっとやりたい
(2) 実験が終わるまで時間をとってほしい
(3) 実験には器具をたくさん用意して、一人ひとりが自由にできるようにしてほしい
(4) 先生の説明だけの授業は少なくしてほしい
(5) 驚くような実験が見たい
(6) 意味がわかるように解説してほしい
 ということであった。
 これらのことから、生徒が望む授業は、講義は少なくして、実験器具が十分にある状態で実験の機会を多くして、教師がわかりやすい説明をしてくれることである。
 理科の授業は、生徒が自然の事物・現象について理解を深め、科学的な見方や考え方が獲得できて、生徒はわかったとなる。
 わかる授業を展開するには、生徒に観察や実験などの活動をさせることである。
 そして、生徒のその活動を認め、ほめることである。
 日々の授業で、小さなことがらを「できましたね」「よく気づきました」「わかりましたね」と、一つひとつの活動を認め、ほめていく。
 活動させてできたことを認め、ほめる授業にするようにする。
 日常の授業で生徒が興味・関心をなくさないよう、1時間の授業のねらいを明確にする。
 1時間の授業で生徒にどんな活動をさせたいかという視点で教える内容を考える。
 (1)導入で行わせる活動は何か。
 (2)展開の実験は個別かグループか。
 (3)まとめはどのような結果を考察させるのか。
 (4)ノートやワークシートに記入させるのはどのような内容か。
 (5)発表はどのような形態で行うのか
 など、すべて生徒の活動をイメージする。
 グループは男女2人ずつの班にすると落ち着いた雰囲気になる。3~4人にすると話し合いが進みやすいという利点がある。
 理科室では、体ごと教師の方を向いて座らせる。
 教師の話を聞くときは手に何も持たせない。
 観察・実験は役割分担させ、人まかせにさせない。
 終了すれば教師を呼ばせ、結果を確認し、その後の授業で何をすべきか指示をする。
(山口晃弘:1961年福岡県生まれ、東京都内の公立学校理科教師、都立教育研究所教員研究生、中央教育審議会理科専門部会の専門委員、東京都中学校理科教育研究会事務局長等を経て東京都公立品川区立学校校長)

 

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教師は困った時には、すぐ援助を求める習慣が極めて重要

 教師は何か困っているときにはすぐに周囲に援助を求める習慣をつけていただきたいと諸富祥彦はつぎのようにのべています。
 困ったときに助けを求めるのは「ダメ教師と思われてしまう」と考えて相談しないようにしている教師も少なくありません。
 そんな心配は杞憂です。
 困ったときに助けを求めるのは、決して恥ずかしいことではありません。
 たとえば、保護者からクレームがきたとき、自分だけでなんとかしなくてはと、抱え込んでしまいがちです。
 クレームがきたということが周囲の先生に知られたら、自分の評価が下がってしまうと危惧する人がいます。
 でも、実態はどうでしょう。ひとりで抱かえ込んで問題が大きくなってから、管理職に連絡がいくと、事態はすでに深刻になっています。
「なぜもっと早く言ってくれなかったのですか」となり、実は評価が下がるのはこの時点です。
 評価はクレームがきたことではなく、クレームを抱かえ込んで対応が遅れたことに対して評価が下がるのです。
 クレームがきた時点ですぐに周囲に伝え、助けを求めるのは、できる教師の「能力」のひとつなのです。
 必要なときに、援助を求めることができる相手を探しておきましょう。
 具体的には、まず同じ学年担当の教師の中で親身に相談に乗ってくれる人を探しましょう。
 同じ学年の教師の中に支えてくれる人がいると働きやすさがまるで違ってきます。
 次に、管理職や教務主任、スクールカウンセラーや養護教諭にも力になってくれる人を見つけておきのしょう。
 さらに、勤務校以外にも広く目を向けて、力になってくれる人や組織を見つけましょう。
 たとえば、かつての同僚、初任者研修のときの仲間や研究会の仲間、私が主宰する「教師を支える会」などのサポートグループです。
 教師の抱かえる悩みが、最初は子どもとの関係、保護者との関係などから生まれるものであったとしても、それだけで退職や休職に追い込まれるケースは多くありません。
 退職や休職の直接のきっかけとなるのは、同僚お管理職との関係の悪化と、それによる教師集団での孤立なのです。
(諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。「教師を支える会」代表)

 

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学校でソーシャルスキル教育を行い、子どもの社会性向上を   藤枝静暁

 学校でソーシャルスキル教育を行い、子どもの社会性向上をと藤枝静暁はつぎのように述べています。
 多くの先生が子どもの社会性が低下していることを指摘し、危惧している。
 たとえば、遊びに入れてもらいたいが、入れてと言えない子ども。
 けんかしても、仲直りができない子ども。
 こうした子どもは小学校では見られなかったという。
 幼児期において必要な基本的生活技能を獲得していないために児童期、思春期において不適応を起こしやすいのである。
 私は大学でソーシャルスキル教育と出会った。
 ソーシャルスキルには「あいさつの仕方」「相手を思いやる」「謝り方」「仲間の誘い方」などが紹介されていた。
 たとえば「あいさつ」はソーシャルスキルでは、
 「相手を見て、様子を把握する」
 「相手に聞こえるような声を出す」
 「笑顔で話しかける」
 から構成されていると考える。
 わが国はこれまでソーシャルスキル教育は、学校でわざわざ教えるようなものではないとして取りあげてこなかった。
 ソーシャルスキル教育の素晴らしい点は、たとえば「思いやりのある子ども」を言葉で教えるだけでなく、教師がモデルとしてやってみせ、その後リハーサルとして子ども同士にやらせるところにある。
 教師は子どもがリハーサルしている様子を見て、どこがよかったか、どこを直したらより良くなるのかを具体的に指導する。
 ここまで具体的かつ実践的に教えてこそ「思いやりのある子ども」として成長できるといえる。
 ソーシャルスキル教育は欧米では、クラス、学校全体で実施している。
 わが国は、障害のある幼児に対して個別にソーシャルスキルを教えることは行われているものの、学校教育への普及はほとんど進んでいない状況である。
(藤枝静暁:1972年生まれ、東京都スクールカウンセラーなどを経て、川口短期大学こども学科准教授を経て埼玉学園大学教授。臨床心理士、学校心理士)

 

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生徒指導のマニュアルはなく力量は教師自らの人間性をもとに培うもの   近藤昭一

 生徒指導のマニュアルはないと近藤昭一はつぎのように述べています。
 教師や学校が未熟な子どもに対して「授けてやる」「与えてやる」という教師を高所に置いて子どもを指導するのではない。
 教師の人間性をもとに子どもとかかわり、子どもと人としての関係性の質を高めることによって、子どもを変容に導いていくというのが、人間性育成の基盤です。
 つまり、教師が向き合う子どもがどんな状況にあったとしても、教師の指導や支援に子どもが心から心服して、子どもが自らよりよく変容しようとする。
 そのような相互関係を築くことが教師としての要件なのです。
 こうした働きかけができなければ、教師としての存在意義が低減してしまいます。
 本来、生徒指導にはハウ・ツーやマニュアルは成立しません。
 生徒指導の力量は、教師自らの現場体験と研鑽のなかで確信やひらめきを得て、教師自らの人間性をもとに培うものなのです。
(近藤昭一:1951年生まれ、横浜市立中学校教師、校長、教育委員会、教育センター所長、玉川大学教授を経て神奈川大学特任教授)

 

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学校の職場や同僚、子どもたちとの関わり方に悩む教師はどうすればよいか   土井一博

 学校の職場や同僚、子どもたちとの関わり方に悩む教師はどうすればよいか土井一博はつぎのように述べています。
 学校の同僚や子どもたちとの関係づくりがじょうずな教師を観察すると、授業中や休み時間に、意識して自分からアクションを起こし、周囲の人間と積極的に関わろうとしています。
 その関わり方は、
1 印象
 例「顔色が悪いけど、具合がよくないのか」
2 伝聞
 例「先生の授業のことを誉めてたよ」
3 依頼
 例「悪いけど私の手伝いをしてくれないか?」
4 賞賛
 例「最近、漢字学習、頑張っているなぁ」
 などです。
 このように日頃から話しかけていると、いざというときに、自分の思いが伝わるようになるからです。
 実は人とかかわる力というのは、相手のことを思いやる、共感する力のことです。
 自分に共感してもらうところから始まるのです。
 相手にものごとを依頼するとき、留意することがあります。
1 思い込みと願望を混同しない
 相手に対して「やるのが当然だ」ではなく「やってくれればいいなあ」というレベルで接触するようにします。
 もし、相手とうまく関われなかった場合でも「しょうがない」と思うことができ、病的なレベルまで落ち込むことはありません。
2 お互いに利益を受け取れる関係(ウインウインの関係)をつくっておく
 ふだんから同僚や職場に貢献するようにして、
「自分も誰かの役に立っている」
「職場に貢献している」
 という実感があると、気がねなく周りの同僚にも依頼することができます。
 その実感がないと、相手に負担をかけたくないと気にしすぎて、自分が困ったときに助けてほしいと言いだせないのです。
(土井一博:公立中学校教師を経て退職後、筑波大学大学院で健康教育学を学び、関東各地でスクールカウンセラーやアドバイザーを歴任し、順天堂大学客員教授。専門は教職員のメンタルヘルス予防、現職教育、教師教育)

 

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学級担任と子どもの信頼関係づくりはどのようにすればよいか

 担任と子どもとの信頼関係をつくるとは、担任に対する安心感づくりと言いかえてもいいでしょう。
 人間はニーズが満たされているときに快を感じ、肯定的感情がわくと考えられます。
 子どもの教師に対するニーズとはなんでしょうか。
 神奈川県の教育委員会(平成17年、小中高5000人)の「教わりたい先生」の調査からわかることは、
「わかりやすい授業をし、子どもをよく理解して、ほめたり、叱ったりしながら、やる気を出させてくれる教師」
 です。
 子どもにどのようにかかわったら信頼関係ができるのでしょうか。
 子どもは自分のことを理解してくれる教師を望んでいます。
 そのため、できれば子どもと毎日話すようにします。
 おしゃべりは人間関係の始まりであり、土台である。
 最初は数人を相手に話すことから始め、一対一で日常会話をします。
 大事なことは、子どもをかけがえのない、尊敬する人という感覚で話しかけます。
 コミュニケーションでは非言語的要素がより影響力があり、
「自分から近づく。笑顔で、穏やかに、楽しんで話す。アイコンタクトをする」
 といったことを意識して子どもと話をします。
 これらをコントロールするには訓練が必要でしょう。
 全員と一対一でおしゃべりのレベルまで話をするとなると難しい。
 確実に全員と話す方法があります。子どもと個別懇談会を行うとよい。
 実施方法は、昼休みや放課後に一人5分程度で一日5人程度、学期に最低一回実施するようにします。
 子どもの話が主で、教師の話は子どもの話を引き出すきっかけくらいに考えておいた方がいいでしょう。
 実際にやってみると、子どもとの距離がぐっと近づき、教室の雰囲気が変わります。
 子どもとの一対一の関係ができると、子どもとしっくりいくことが実感できると思います。
(赤坂真二:1965年生まれ、新潟県公立小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。日本学級経営学会共同代表理事)

 

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学級づくりの目的は、子どもたちが群れからチームになること   赤坂真二

 学級づくりの目的は群れからチームになることと赤坂真二はつぎのように述べています。
 子どもたちは、一日に5人くらいの子どもとしか会話していなことが調査でわかっています。
 学級は放っておくとバラバラで学級がその体を為さなくなっています。
 学級づくりの目的は子どもたちを群れから集団つまりチームに育てることです。
 チームになるためには、課題が必要です。
 学級全員で力を合わせて課題を解決する集団がチームです。
 学級がチームになるためには、質の良いチーム体験が必要です。
 それまで学級の雰囲気がよくなかったけど、合唱コンクールで金賞をとったことで、みんな仲がよくなって学級の雰囲気がよくなったという経験を持つ教師もあるでしょう。
 学級のチームづくりは、4月の最初の7日以内に学級の生活や学習ルールを一通り指導し、30日間で定着するよう繰り返し指導するようにします。
 30日間で一斉指導の体制を定着させたら、そこから、徐々に子どもの自由度を増やしていきます。2か月くらいかかります。
 自分たちで考え行動できるように教え育てる例として体育館の整列指導を私は次のようにします。
「みなさんは、先生が前に立って指示をしないと並べないクラスと並べるクラス、どちらになりたいですか?」
 と問いかけます。
 普通のクラスは後者を選びます。
「今日は、残念ながら並ぶことができませんでした。次回、自分たちの力で並べるようになりたい人?」
 と問いかけます。
 おそらく子どもたちは賛成します。
「では、作戦をたてましょう。どうやったら自分たちだけで並びますか?」と考えさせます。
 子どもは様々な作戦を発案するでしょう。
 例えば「先頭の人が声をかける」「全員で声をかける」など、結論はどれもいいと思います。
 達成したら大いに認めます。
 失敗したら、どうしたらいいか考えさせます。
 大切なことは、自分たちで考え行動できるようにすることです。
 荒れて授業が成立しない学級の場合は、日常的に突発的なことが起こりますから、トラブル対応に時間が取られます。
 私の経験では、最初の1か月は事件の連続で自分がやりたいと思っていたことはできませんでした。
 それでも、夏休みまでに学級の問題を自分たちで解決する活動を数回経験しておくと、2学期がスムーズに迎えられると思います。
 これは教師の力量の判断基準ではありません。
 私は力がないと思う必要はまったくありません。
 大切なことは、学級づくりのストーリーを描くことであり、見通しを持って取り組むことです。
 そして、その取り組みを楽しむことです。
(赤坂真二:1965年生まれ、新潟県公立小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。日本学級経営学会共同代表理事)

 

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いつもは優しいが怒るとこわい先生が子どもにとって頼もしい存在である  池野正晴

「怒るときは、怒れ」それが教師であると池野正晴はつぎのように述べています。
 あるクラスで一人の子に対する嫌がらせがありました。
 ごみ箱の中に上履きが隠されていました。
 その子の机の引き出しが床に落とされ、ノートが破かれていました。
 このような嫌がらせが何回か続きました。
 そこで、深刻ないじめにならないために、緊急の学年集会を開きました。
 集会で、これは学年全体で解決していかなければならない問題であることを確認し、これまで起きた事実を子どもたちに伝えました。
 そして、私はつぎのような話をしました。
「人の持ち物を隠すこと、人の持ち物を壊すことは犯罪です」
「人の持ち物を隠すのは、人の物を黙って持ち出すのだから、盗みと同じです。大人の世界では窃盗といいます」
「人の持ち物を壊すのは、器物破損といいます」
「どちらも犯罪ですから、見つかれば逮捕され、罰せられます。これは、子どもだからといって許されることではありません」
「今度また、こういうことがあったら、先生は絶対に許しません。これは犯罪なので、警察の力を借りることもあるかもしれません」
「いま、ものすごくつらくて悲しい思いをしている人がいるのです」
「そして、その嫌がらせをしている人が、残念ながらこの中にいるのです」
「その人は反省しなさい。心から反省しなさい」
「そして、二度とこんな情けないことをしないと自分の心に誓いなさい」
 子どもたちは、真剣に話を聞いていました。
 そして、この学年集会を機に、嫌がらせはピタッとなくなったのでした。
 子どもは、ほめて育てる。これが基本です。
 けれども、許してはならないときがあります。
 教師が怒るべきときがあります。
 先生はいつもは優しい。でも怒るとこわい。
 いざとなったらこわい先生が、子どもにとって頼もしい存在なのです。
(池野正晴:国公立学校の13年の教師経験を経て,高崎経済大学名誉教授、和光大学教授。専門は教育人間学、授業論、算数科教育学等)

 

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学級づくりの基本は「ルールが守られ、あたたかい触れ合いのある学級」、どうすればよいか

 学級づくりの基本原理は「ルールとふれあい」の二つです。
 ルールが守られていて落ち着きがある上に、あたたかい触れ合いがあり、子どもたち一人ひとりが力を発揮できる学級です。
 これだけは守ってほしい学級の基本的なルールは、次のようなルールです。
1 人を傷つけることを言わない、しない
 このルールが守られているだけでも、だいぶ落ち着きのある学級ができるはずです。
「きもい、うざい、死ね、殺す」などの暴力的な言葉を放置していると、どんどん増殖していきます。
 もし、こうした言動があれば即座にその場で介入すべきです。
「その言葉を使うべきでない」と、その都度、いちいちこまめに指導していくべきです。
2 人が話している間は、その人の話を最後まで聞く
 荒れていく学級では、誰かが自分の考えを話している最中にそれにかぶせるように話し始める子どもたちが少なくありません。
 そうなる子どもたちの間に「私の話はちゃんと聞いてもらえない」という不満がくすぶります。
 いつも誰かが私語をしているという状況が当たり前になってしまうと危険です。
 いつもザワザワと騒然としたクラスになっていきかねません。
 この2つの要素「ルールとふれあい」があって、初めていい学級であるといいえるのです。
 どの子どもも安心でき、なおかつ、一人ひとりの子どもが能力を伸ばしていくことができるのはたいへんなことです。
 子どもを厳しく管理しようとする指導では、学級の秩序は保たれるかもしれませんが、
「自分は抑えられている」「気持ちを認めてもらえない」という不満が募りがちになります。
 逆に、和気あいあいとしているけれど、なれあっている学級では、子どもたちにビシッとルールを守らせることができなかったりします。
 教師に求められるのは、瞬時に相手と心と心のふれあいをつくっていくことができる「関係づくり」の能力が最も大切な基本スキルです。
 一人ひとりの子どもが「先生は私のことをわかってくれている」と感じているからこそ、教師からの期待に応えようとするのです。
(諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。「教師を支える会」代表)

 

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子どもを勇気づける、とっておきの言葉    佐藤幸司

 子どもを勇気づける、とっておきの言葉について佐藤幸司はつぎのように述べています。
 子どもを勇気づける、とっておきの言葉があります。
 それは「あなたなら、大丈夫」という言葉です。
 悩みごとを抱えている子どもがいたら、
 「○○さんなら、大丈夫。必ず乗り越えられるよ」
 と、静かに真剣に話してください。
 教師の心からの言葉であれば、子どもの心に届きます。
 逆にお世辞や誇張であっては、子どもの心には響きません。
 心のこもっていない言葉は、すぐに見透かされてします。
 「あなたなら、大丈夫」という言葉の中には、自分を全面的に肯定してくれるメッセージがこめられています。
 子どもはこの言葉を聞いて「この先生は、自分のことを信じてくれている」と感じます。
 そして、この言葉に勇気づけられて、つぎの目標に向かって前に進んでいけるようになります。
(
佐藤幸司: 1962年生まれ、山形県公立小学校教師、教育サークル「道徳のチカラ」代表。道徳授業の教材を開発し提案している)

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退屈な授業からの脱出方法   佐藤幸司

 退屈な授業からの脱出方法について佐藤幸司はつぎのように述べています。
 子どもが退屈だなと感じるのは、教師の説明を聞いているだけの授業です。
 残念なことに、説明ばかりしている教師の授業は、わかりにくく退屈である場合がほとんどなのです。
 わかりにくい説明を毎時間聞かされ続けると、しだいに子どもたちはいらいらしてきます。
 そのストレスを、おしゃべりなどの望ましくない行動によって発散しようとします。
 すぐにでもできる、退屈な授業からの脱出法があります。
 それは、子どもにたくさん語らせることです。
 例えば、
「教科書の30ページを開きましょう」と教師が言うかわりに、子どもに
「今日、勉強するのは、教科書の何ページですか」とたずねます。
 そして、子どもが答えた後には、
「前時間の授業のことをちゃんと覚えていたね」と、さらりとほめてあげます。
 これだけでも、授業にめりはりができます。
 さらに、ほんの短い会話ですが、発言した子と教師の間にコミュニケーションが成り立ちます。
 授業の展開は、教師からの説明は最小限にして、できるだけ子どもの口から説明させます。
 また、授業中、子どもたちに小さな問いかけをたくさん行い、教師の声よりも、子どもたちの声が響く授業をめざします。
 教師の発言が減ることに反比例して、子どもの発言が増えてきます。
 すると、授業が活気を帯びてきます。
 子どもの顔にも輝きがもどることでしょう。
(佐藤幸司: 1962年生まれ、山形県公立小学校教師、教育サークル「道徳のチカラ」代表。道徳授業の教材を開発し提案している)

 

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一人ひとりの子どもと心つなぐために、その子のがんばりを書いたはがきを家に届ける  佐藤幸司

 一人ひとりの子どもと心つなぐ方法について佐藤幸司はつぎのように述べています。
 その子のよさを見つけたときや、その子の努力をほめてあげたいときに、一筆はがきに書いてポストに投函します。
 担任からクラスの子ども全員に送られます。
 郵便受けに、自分宛てのはがきが届く。
 それが担任からのメッセージだと、子どもはうれしいものです。
 はがきが配達されると、家族も読んでみんな喜んでくれます。
 夕食に明るい話題が広がります。
 はがきはクラスの子どもの人数分を購入します。
 郵便局に行くとイラスト入りのはがきが手に入ることがあります。
 クラス名簿のデータをもとに、はがき作成ソフトを活用して住所と宛名を印刷します。
 時期は5月から11月末をめどにします。
 最初に全員分を印刷しておけば、出し忘れがなく安心です。
 はがきに書く内容は、シンプルで構いません。
 行事で活躍したこと、授業中の発言、漢字や計算テストでの努力など、その子のがんばりを具体的にほめてあげます。
 情報化が進む時代だからこそ、はがきに味があります。
 文字にこめられた担任の思いが子どもに届きます。
(佐藤幸司: 1962年生まれ、山形県公立小学校教師、教育サークル「道徳のチカラ」代表。道徳授業の教材を開発し提案している)

 

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子どもの表現をいかに読み取るか   アルフレッド・アドラー

 子どもの表現についてアルフレッド・アドラーはつぎのように述べている。
 人々は個人的な見解に従って自分をつくりあげる。
 この見解は健全なものもあるが、そうでない場合もある。
 そこで、成長するさい、幼い頃になされた誤りや解釈に対しても対処しなければならない。
 なぜなら、誤った解釈がその後の人生を支配することになるからである。
 たとえば、具体的につぎのようなケースがある。
 52歳の女性は、いつも自分より年上の女性のことをけなしていた。
 この女性は小さな子どもだったときに、注目されていた姉のために、いつも恥をかかされ、過小評価されていると感じていた。
 大人になった現在でも、過小評価されることを怖れ、他の人が自分よりも好まれているのを見ると、怒り、いらだつのである。
 どの子どもも生まれついての劣等感を持っている。
 状況を改善することによって、劣等感は減少する。
 劣等感を解消しようとして誤りを犯す可能性がある。
 例えば、真っ直ぐに立つことができず、何かに寄りかかる子どもがいる。
 そのとき、大人は「いつも何かに寄りかかることはやめなさい」と言う。
 しかし、ここで問題なのは、子どもが寄りかかることではなく、いつも支えていなければならないと子どもが感じているということである。
 何かに寄りかかることが必要だと思い込んでいる子どもの場合は、不安や依存という性格であることがわかる。
 叱ることによって、この弱さの表現を断念させることはできる。
 しかし、子ども気持ちは満たされない。
 優れた教育者だけが、子どもの表現を読み取り、共感と理解をもって、根底にある病気を除去することができるのである。
(アルフレッド・アドラー:1870-1937年、オーストリア出身の精神科医、心理学者。個人心理学(アドラー心理学)を創始した)

 

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保護者からの苦情をこじらせないようにするにはどのようにすればよいか

 大阪大学(小野田正利教授)の調査(2005)によれば、保護者対応のむずかしさを日頃から感じると答えた教師は全体の九割に達した。
 「担任を替えろ」といった保護者の申し入れに「聞くことすら嫌だ」と思う教師は多い。
 事なかれ主義の教師など、申し入れへの対応力が乏しい教師は、
 保護者の言っていることが嫌だ、
 どう対応すればよいか判断ができない、
 他の教師や管理職に相談するのは恥ずかしい、
 などと考え、保護者を態度や言葉による圧力で一方的に押し返そうとしてしまう。
 こうした教師の初期対応は、保護者に対する思いやりがなく、保護者の逆鱗に触れ、自ら問題をこじらせてしまう。
 保護者からの苦情によるトラブルを未然に防ぐためには、まず教師の姿勢を変えなければならない。
 それによって多くの問題の解決が図れる。
 トラブルを引き起こす原因のひとつに教師の高いプライドがある。
 そのプライドのため、保護者から強い口調や強硬な態度に出られると、教師は形勢をばん回しようと、日ごろ子どもを相手にしている癖で、無意識のうちに保護者に教えたり叱ったりする立場に立ってしまい、それが態度と言葉に出てしまうのだ。
 その結果、保護者は教師にバカにされたように感じ、さらに怒ってしまうことも多い。
 せめて、保護者の申し入れを聴くときぐらいは、プライドという重い鎧を脱いだらいかがだろうか。対等の立場で話を聴いても窮地に陥ることはない。
 保護者の申し入れがイチャモンなのかその判断がむつかしいこともある。
 しかし、ひとまずすべて「苦情」として受けとめることができれば、対応の失敗は最小限となる。
 保護者の申し入れは、その多くは簡単に採用できる内容ではないだろう。
 その場での対応としては、即決せず「学校の検討課題としてご意見をいただく」と伝えるだけでよい。
 ただ、その時に「きっとこの提案は実現できないだろう」とわかっていると、どうしても困惑が顔や会話に出てしまうだろう。
 しかし、申し入れを「苦情」として対応すれば、そうはならない。
 なぜなら、提案を採用するか、しないかよりも、言わずにいられない保護者の気持ちの「落としどころ」が見つかるかどうかがポイントになるからである。
 管理職としては、保護者からの申し入れを最初に受ける担任に、対応の仕方を教えておくべきだ。
 つまり、保護者の話が無理な相談だとわかっていても黙って聴くこと。
 自分で判断せず「ご提案はお預かりして、校長や副校長に相談してみます」と、その場で伝えるようにする。
 もちろん、実現は困難だとわかっているのだから、軽い予防線を張らせることも忘れてはならない。
 たとえば、
「たいへん貴重なご提案をいただきありがとうございます」
「さっそく会議に諮れるよう提案してみます。少しお時間をください」
「しかし、その会議で検討しても実現できるかどうかという問題もあります。その点だけはご承知ください」
「でも貴重なご意見です。ありがとうございました」
 というふうに。
 一方、保護者の申し入れ内容が学校に非がある場合は学校が謝罪することになる。
 謝罪しているのに許さないと、我を張る保護者がいる。
 そのときは我を張らせない話術が必要となる。
 謝罪しながらも、保護者に「仕方がない」と思わせる会話力が大事である。
 会話で保護者の心を和ませようとするのだから、保護者の心理を読む冷静さと会話の間のよさが求められる。
 苦情対応の世界では、一度提案してもお客から拒否されることはいくらでもある。
 当然、つぎの手を考えて準備をしておく。
 それが拒否されたとしても、さらに次の手まで考えておけばよいだけのことだ。
(
関根眞一:1950年埼玉県生まれ、苦情・クレーム対応アドバイザー。百貨店に34年間在職し、お客様相談室長を経て、メデュケーション()代表取締役) 

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