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つらいときほど運がたまる   萩本健一

 つらいときほど運がたまると萩本健一はつぎのように述べています。
 実はぼく、30歳のころ自殺しようとしたことがあるんです。
 週刊誌にボコボコに叩かれたことがあってね。
「萩本健一は血も涙もない男」だとか「どこそこの記者を殴った」とか。
 もちろん殴ってなんかいないのに、ひどいね。
 さすがに落ち込んで、熱海の崖から飛び降りて死のうかなと思ったら、当時のディレクターの常田さんや母親の顔が浮かんできた。
 あっ、常田さん、泣いちゃうよ。母ちゃん、泣いちゃうよ。
 そう思ったら、死ねなくなった。だから死なないことにした。
 これ、優柔不断な性格も幸いしたね。
 仕事でもそうだけど、自分のためだけじゃなくて、誰かのためにやっていると、途中で投げ出さないよね。
 自分のためだけだと、つらくなると、やめてしまうでしょ。
 でも、たとえばお世話になった人にお返しをしたいと思ったら、途中で投げ出せないよ。
 ぼくなんか、まさにそうだった。
 コメディアンの才能がないってわかったけど、ぼくが子どものころ、借金取りに土下座して、泣いていた母親のことを思うと、途中でやめるわけにはいかなかった。
 極度のあがり症などでうまくセリフが言えず、演出家から「君は才能がないからやめたほうがいい」と言われて落ち込んだ。
 先輩芸人が演出家を説得し「大丈夫、演出の先生に言ってきた。ずっといていいよ」とぼくを引き止めた。
 その後、演出家から、
「萩本は才能がない。しかし、これほどいい返事をする若者はいない。あいつの“はい”は気持ちがいい。“はい”だけで置いてやってくれ」
 と、先輩芸人が説得したことを知らされた。
「芸能界はどんなに才能がなくても、たった1人でも応援する人がいたら必ず成功する」
「もしかしたら、お前を止めさせないでくれという応援者がいる。お前は成功するから頑張れ」
 と、言われ奮起した。
 誰も居ない劇場で早朝に大声を出す練習をしたり、先輩芸人の真似を何度も繰り返した。
 お金持ちになって、母親の家を建ててやりたとい思ったからね。
 伝記やイソップ物語にもずいぶん助けられました。
 偉くなった人や名を残した人って、子どものころや若いころに貧乏したり、ひどい目に遭っている人が多いでしょ。
 つらいことがあっても、これは運が育っていて、将来は運が開くんだと思えた。
 人生、つらいことや大変なことはあるけれど、見方や視点を変えることで、運を呼び込めることもある。
 ぼくが貧乏しているとき「今は運がたまっているときなんだ」と思ったようにね。
 人生、考え方一つ、行動一つで、楽しくなるんじゃないかな。
(萩本健一:1941年東京都生まれ、コメディアン。コント55号で人気を集めた。その後、テレビの司会・舞台などの演出などで活躍した。社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督として人気球団に育てた)

 

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