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2021年6月に作成された記事

首の骨を折る転倒事故を体験した教師が、命と感謝の学びで、生きているだけでも幸せであることを心から感じるようになった   腰塚勇人

 腰塚勇人は中学校の体育教師になり、学級担任、バスケット部顧問として「熱血指導」の日々を送っていた。
 しかし、スキーで転倒し、首の骨を折り、奇跡的に命は取り止めたものの、首から下がまったく動かなくなった。
 当時、医師からは「一生、寝たきりか、よくて車イス」の宣告を受けた。
 あまりの絶望に「自殺未遂」をした。
 その後、妻、両親、主治医、看護師、生徒たち、職場の同僚などの応援と励ましを受け、「自分の命があらゆるものに助けられ、生かされていること」に気づき、
「笑顔」と「感謝」と「周りの人々の幸せを願う」ことにより、奇跡的な回復力を発揮する。
 そして、「下半身と右半身の麻痺」など、身体に障がいを残しながらも、4ヵ月で現場に復帰し、中学3年生の担任を務めた。
 主治医からは、
「首の骨を折って、ここまで回復した人は、治療した中では、腰塚さんだけだ」
 と言われるほどの「奇跡の復活」を遂げた。
 その体験を「命の授業」として6分ほどの動画にして公開したところ、30万人を超える人々の目にふれることとなる。
「命の授業」の活動に専念するため、22年間務めた教員を辞職し、講演家として、自らの経験を元に、命の尊さ、生きていることの素晴らしさを、全国の小・中・高校、そして一般の方々に伝える活動をしている。
 首の骨を折る転倒事故で体験した命と感謝の学びについて腰塚勇人はつぎのように述べています。
 私はかつてスキーでひどい転倒事故を起こして首の骨を折ってしまい、医師から「一生、寝たきりか、よくて車いす」の宣告を受けました。
 首から下がまったく動かない状態に陥りました。
 手術を受けたあとも指一本動かせなくなっていると気づいたとき、本当に「これで私の人生は終わった」と思いました。
 手足が動かなくなると、それまであたりまえだと思っていたことをするたびに、頭を下げ、人の手を借り、お世話にならなければならないのです。
 私はそれまで人に頼るのは弱い人間と考えて生きてきました。
 でも、自分では何もできないのに、人に頼る気持ちにもなれないジレンマで心がぐちゃぐちゃになり、自殺こそ思いとどまったものの、やりきれない気持ちで眠れない夜を過ごしていました。
 そのとき、担当の看護師さんは、私の顔を見て私の考えていることを察し、つぎのようなことを言ってくれました。
「私には腰塚さんの気持ちは、本当はわかってあげられないけど、本当によくなってもらいたいと思っているの」
「だから、お願いだから私に何かさせてください。少しでも力になりたいんです」
 そう話しながら、眼からは涙がこぼれていました。
 俺の気持ちをそのまま受け止めて、わかろうとしてくれた。
 この苦しい気持ちに寄り添おうとしてくれていると思えて、泣いても、泣いても涙があふれ、私は一晩中泣きました。
 やがてリハビリが始まりました。リハビリの先生が
「腰塚さん、今なにを考えていますか?」
 と言ったので、不思議に思って
「どうしてそんなことを聞くんですか?」と尋ねたら、
「だって、腰塚さんのことが本当にわからなかったら、リハビリのメニューが腰塚さんにとって一番いいのかどうか、わからないですからね」
「腰塚さんにホンネを言ってもらえるかどうかは、僕が腰塚さんに信頼してもらえているかどうかにかかっていますよね」
「だから僕は腰塚さんの話を最後まで聴くことを約束します」
 と話してくれました。
 さらに、一歩進んで、退院後の夢を考えるように勧めてくれました。
 自分の想いを素直に言える優れた先生がいる大切さと安心感で、私はこの先生をすぐに信頼することができました。
 リハビリによって、足の指がほんの少し動いたのを皮切りに、少しずつですが動かせる範囲が広がりました。
 三週間すぎると首で頭の重さを支えられるようになり、車いすに乗ることをゆるされました。
 やがて、医師など多くの支援を受け奇跡的に回復し、下半身と右半身の麻痺など障がいを残しながらも、現場に復帰し担任を務めることができるようになりました。
 スキーで首の骨を折って、一度は身体がまったく動かない状態になったことで、手が使えることのありがたさ、歩けることのありがたさを痛感しました。
 そして、生きていること自体それだけで、ものすごく幸せであることを心から感じたのです。
 また、私の命を助け、人生を励まし支えてくれた人たちの温かさや優しさ、真剣に治療しようとしてくれた人たちの情熱と本気の姿に対して、心から感謝の念が湧いてきたのです。
 そう気づいたとき、私自身の心の持ち方がかわりました。
 心から「ありがとう」と言え、笑顔が出るようになると、周りの人たちの私に対する接し方も変化したように思います。
 知らないうちに、応援者も増えていきました。
 笑顔で「ありがとう」と言うことは、誰もが幸せになれる魔法の言葉だと私は思っています。
(腰塚勇人:1965年生まれ、元中学校体育教師。スキーで転倒し首の骨を折り、首から下が動かなくなる。その後、障がいを残しながらも、現場に復帰し担任を務める。その体験の動画(命の授業)を公開すると30万人が視聴した。「命の授業」の講演活動に専念するため、22年間務めた教職を辞職した)

 

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先生という仕事は力を付ければ付けるほど楽しくなる   俵原正仁

 私の新任教員1年目は、センスで生きていました。
 自分では、授業も学級経営もなんとなくうまくいっていると思っていたんですね。
 けれども先輩から見たら、かなり危なっかしかったのでしょう。
 あるとき先輩の先生から、向山洋一先生の「授業の腕を上げる法則」を貸してもらいました。「これ、読んでみるといいよ」といって。
 読んでみると「ああっ!」という衝撃が走りました。
 それまでは、読むものと言えば「週刊プロレス」くらいだった私ですが、以後は、向山先生、有田和正先生の本を読むようになりました。
 読み出すと、それらの本が非常に面白いのです。
 兵庫県は、3年後に異動希望が出せます。出したら幸運にも芦屋市に帰ってくることができました。
 新任時代の佐用郡の小学校とは親の雰囲気が違うということはあったものの、大きな違いはあまり感じません。
 それよりも、学んだことがどんどん使えるうれしさがありました。
 ただ、それまで学んでいた佐用郡のサークルには参加できなくなってしまいました。
 そこで、同じ学校の先生たちと新たにサークルを作りました。さらに、サークル以外からも学ぶようになりました。
 そうした充実した教師生活を送っているとき、阪神淡路大震災が起こりました。1995年のことです。
 学校現場は大変なことになりました。もちろんサークル活動どころではありません。
 勉強会が再開できたのは、震災後2~3年後くらいのことだったと思います。
 幸いにして、教師を辞めたいと思ったことはありません。
 しかし壁を感じたことはあります。
 それは40歳前後の頃。私は、全国各地から参観者が来られる朝日ヶ丘小に勤務していました。公開授業には、1000人以上の先生が集まるような学校です。
 このときの私は、子供たちをぐいぐい引っ張っていくタイプの授業に憧れて、実際かなりできるようになってきていました。
 担任した6年生が中学校に入学してから遊びに来て「先生、中学校つまらん。先生の授業がいい」などと言って来ます。
 それを聞いて、私は、正直誇らしい気持ちになっていました。
 けれどもあるとき、隣のごく一般的な先生が受け持った子供たちの方が、中学に入ってから伸びていることに気づきました。
 これを見て私は、「小学校6年が人生のピーク」みたいな子を育てていたのではないか、という疑問が湧いてきたのです。
 決して無理強いをしていたつもりはありません。
 しかし、私が受け持ったことの反動を起こさせているのは間違いないようでした。
 これではいかんのやな、と思いはしたものの、どうすればいいかというのは、簡単には思いつきません。
 そこで、それまで以上に授業の楽しさを考えるようになりました。
 同時に、子供たち同士をつなげるようなクラス作りを志向するようにもなりました。
「勉強」をしていると、同じ学校の先生が頼りなく見えることがあるはず。
 しかしそれは間違いです。あなたが気づいていないだけで、すごい実践をしている人は学校に必ずいます。
 何しろ同じ学校の先生なら、見ている子供は同じだし地域も同じです。
 だから同僚の意見は、非常に参考になるはず。
 自分の実践を見てもらえるメリットもあります。
 つまり、自分の学校ほど優れた勉強の環境はないのです。
 そしてお勧めの勉強法は、まず自分の授業のイメージを作ること。
 たとえば「指名無し討論の授業がしたい」と思ったら、その授業を実際に見てイメージするのです。
 縄跳びの指導でも、上手に跳んでいる様子を実際に、あるいは映像を見せたらできるようになるでしょう。
 それと同じです。私と同じ学年を組んだ若い先生も、私のクラスを実際に見て、指名無し討論の授業をやっていました。
 公開授業の見学も同じです。
 同じ学校の若い先生と、立命館小学校岩下修先生の授業を見学しにいったとき、横ですべて解説してあげたことがあります。
 これは非常に効果的でした。
 その先生の音読指導が大きく変わり、自分の学校で公開授業をしたとき、音読は参加者から絶賛されていました。
 同じ学校の先生とすぐれた授業を実際に見ることと、それを解説してもらうことが大事。
 同じ土俵で語れるのですから。
 繰り返しますが、最良の勉強法は、同じ学校の先生と学ぶことです。
 先生という仕事は力を付ければ付けるほど楽しくなる仕事です。私自身、年々楽しくなっていますから。
 若いときは力量が無いから子供が動かないし、反発を食らったりします。
 しかし力が上がれば、子供はみんな喜ぶし、保護者は信頼を寄せてくれるようになります。
 さらに、学校で最もしんどいクラスを受け持てば、学校内でも無敵の状態になることでしょう。
 自由裁量の幅が広がり、自分のやりたことができる状況になるはずです。
 勉強を頑張りましょう。
 いま悩んでいたとしても、勉強を頑張ったらきっと楽しくなります。
 あと少し頑張れるかどうかは、あなたにしか分かりません。
 ただ、確実に言えることは、頑張れば必ず報われるということです。
(俵原正仁:兵庫県公立小学校教師、教材・授業開発研究所「笑育部」代表、兵庫県公立小学校校長)

 

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教師の熱意や想いを子どもに伝え、子どものやる気を引き出すには、どのようにすればよいか   大矢 純

 教師の熱意や想いを子どもに伝え、子どものやる気を引き出すには、どのようにすればよいか大矢 純はつぎのように述べています。
 教師がどんなにいい授業を行ったとしても、子どもたちが寝ていたり、おしゃべりしていれば、伝わりません。
 子どもたちがそれを受け取るような準備を教師がしていなければいけません。
 そうした準備をどのようにすればよいのでしょうか。
 基本は簡単です。
 一つの指示を出して、全員が指示どおりに行動するまで根気強く繰り返し徹底し、習慣化させます。
 体育の授業を考えてください。「集合」と言えば、皆が集まります。
 そして最も上位にくるのが、教師の熱意や想いをフルに活用して
「子どもへの教師のやる気を表現」
 することです。
 そのためには、自分に一番合った表現力を磨きましょう。
 それに磨きをかけて、自分の売りで勝負するのがプロです。
 自分が得意なことを前面に出しているときは、自分が楽しいはずです。
 自分が楽しくなければ、子どもたちも楽しくありません。
 そこが最も大切な点です。
 自分は今、楽しんでいるか。
 楽しくなるためにはどうしたらいいのか。
 そのうえで、この子どもたちの20年後、30年後のために何を伝えたいのかを常に考えて授業にあたっていきたいものです。
 特に新任の教師などは、まだ経験も知識もないのですから、熱意で戦えなかったら、勝てません。
 何のために、自分の熱意を伝えるのか。
 それは、子どもたちのやる気を最大限に引き出すためです。
 授業学を身につけるためには、まずは、実際にやってみることです。
 また、他の教師がやっているときに、座席にすわって、子どもたちの目線でそれを見て、感じてみることも大切です。
 できるだけ、子どもたちになりきって観察することで、いかにコミュニケーションというものが難しいものなのか知ることが重要なのです。
 自分ではうまく伝えたと思っても、実際には子どもたちには伝わっていないものです。
 教師という職業は「話す仕事」だと言ってよいにもかかわらず、効果的なトレーニングがほとんど行われていないのが現状です。
 発声練習は、「あいうえおあ」「いうえおあい」と、一文字ずつずらしながら、大きな声で発声する方法が効果的です。
 ポイントは、「あ」ならば「あ」の口の形をして発声することです。これで聞き取りやすい、滑舌のいい話し方ができます。
 それで遠くへ飛ばすように声を出します。
 自信なさげな話し方は厳禁です。
 自信ありげに聞こえるようにしなければいけません。
 教室に入ってすぐに、自ら大きな声で挨拶をします。
 教室の雰囲気をリードするのは、教師自身なのです。
 自分が授業をしている姿を録画して、観ると気づきますが、かなり極端にやらないと想いは届かないということがわかります。
 ふだんの三倍は大げさにしないと伝わらないと実感できます。
(大矢 純:1966年生まれ、授業学研究所所長。数学の授業や教員育成などの経験をもとに、授業学の確立と普及を行っている。各地の学校で研修や講演、コンサルティングを行っている)

 

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授業で大切な表現力を教師はどのようにして身につければよいか   大矢 純

 授業で大切な表現力を教師はどのようにして身につければよいか大矢 純はつぎのように述べています。
 教師の表現力は非常に大切です。
 なぜなら、授業で伝える内容が申し分なくても、表現力が乏しいと、伝わらないからです。
 必要なことを効果的に印象付ける力が表現力です。
 授業者である教師の見え方、聞こえ方すべてが表現力を構成する要素です。
 教師が嫌いだから勉強したくないということもあるでしょう。
 授業における教師の表現がへただからわからなくなってその教科が嫌いになるということもあります。
 研修ではお辞儀と挨拶を徹底的にスマートに行います。
 そして発声練習。
 明るくはっきり、大きな声が基本です。
 教師の熱意や頑張りを子どもたちに伝えるためのものです。
 教師は、子どもたちの心を揺さぶり、動かしていかなければいけません。
 そのためのエネルギーを常に発散させなければならないのです。
 表情の練習も加えていきます。
 教師が一生懸命頑張っているという表情です。
 そして、教師自らが楽しんでいる表情です。
 苦しそうではダメです。つまなさそうでもダメです。
 教師が楽しんでいなければ、子どもたちも楽しめません。
 頑張っていることが楽しいという姿勢です。
 ただし、メリハリは大切ですから、真顔の練習もします。
 そうした表情のメリハリだけでも、子どもたちが「あ、まずいな」と、コントロールすることができるようになります。
 大事なのは目の動きです。
 教室では、せかせかせず、いかもまんべんなく見ていくことが重要です。
 しかも、目だけで追ってはいけません。
 体ごと、一人ひとりの子どもと正対するようにします。肩から向かなければダメです。
 かなりゆっくりとしたスピードでないと、伝わりません。
 子ども役をやってみると、見ているつもりでも、見ていないことが多いということがわかります。
 それがわかって初めて、自分の行動が改善できるようになるのです。
 早口が悪いのは、聞き取れないほかに、間がないからなのです。
 間が重要です。子どもが受け取って頭に定着させるための間です。
 教師は「一生懸命に教えたのだから、伝わったはず」という錯覚を起こしやすい。
 教えたことが伝わっていないとしたら「私の伝え方が悪い」と理解してほしい。
 今の時代は、授業研究や教材研究だけでは準備は整わないのです。
 その内容をどうやって効果的に子どもたちに伝えるかということのほうが大切なのです。
 人から発せられる情報の伝達力は、話の内容よりも、声の表情、身振りや顔の表情など見え方にあると言われています。
 自分に似合わないテクニックに走ってもうまくいきません。
 苦手なことを底上げすることも大切ですが、むしろ、得意なことでどう勝負するかが大事だと私は思っています。
 いいものがあるのであれば、それを売って商売にするのがプロです。
 だから、自分の売りは何なのか、それに磨きをかける必要があるのです。
 性格も含めて、自分をどう使って表現するかなのです。
 もし、自分が子どもたちに好かれていないと感じたら、
「表現力を磨き」「自分をうまく印象付けられる」
 ようにすれば、子どもたちとの関係はプラスになります。
 やぼでも子どもたちが「自分たちのために考えて、やってくれている」と気づいてくれれば、子どもたちも変わるはずです。
(大矢 純:1966年生まれ、授業学研究所所長。数学の授業や教員育成などの経験をもとに、授業学の確立と普及を行っている。各地の学校で研修や講演、コンサルティングを行っている)

 

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教室のムードを教師がコントロールするにはどうすればよいか  大矢 純

 教室のムードを教師がコントロールするにはどうすればよいか、大矢 純はつぎのように述べています。
 教師が明るい顔で教室に入り、大きな声であいさつをします。
 演劇とある意味では同じなのです。
 その日の第一印象が勝負です。
 教室に入って、最初の五分間が勝負を決めると言っても過言ではありません。
 大事なのはその時点から、子どもたちの視線を自分に集めること。
 指示は短く単純であること。メリハリをつけることなどが重要になるのです。
 子どもを成長させている教師の授業は、子どもたちの興味を引く方法を多用しています。
 例えば、
「今日、こんなことがあってね。これってちょっとおもしろいよね」
「でね、実はこの話は、今日お話しするテーマと関係があるんだ」
 など、子どもたちが関心を抱いて、自然と全員のベクトルが合うような導入(まくら話)をしたりします。
 授業がおもしろくなり、子どもたちが「自分は成長している」という実感を持つことができれば、授業中の私語が減り、集中した授業ができます。
 塾や予備校では、授業に魅力がなければ生徒が辞めてしまうかもしれません。
 だから、少しでも早く子どもにやる気を出させる授業を行えるようにならなければいけ ないのです。
 いやおうなく、講師は自分の授業力を磨いていきます。
 そのためには形から入ることもいといません。
 だから、しゃべり方や挨拶の仕方、しっかりと前を向いてしゃべるといった型を昔から重視していたのです。
 講師はそれに慣れていくうちに、後から魂を入れていってもいいわけです。
 例えば、小学生であれば、
「では、鉛筆を置いてごらん。手は膝の上に置いて」
「はい、こっちを向いてごらん。うん、いい顔だ」
 というふうにしていくと、必然的にみんなが話を聞く姿勢になるわけです。
 段取りです。
 ここで重要なのが単指示の繰り返しです。
 単指示の基本は、一つの指示をして全員に徹底してから次の指示をする。
 指示は明確で簡単なものでなければいけません。
 それを丁寧に根気強く繰り返して、習慣化していくとことが目的です。
 子どもたちの集中力も増します。
 あるいは、子どもに話しかけるときに、話す文章の句読点で子どもを見ることで、対話ができるようになります。例えば、
「いよいよ、来週は、遠足ですね」
 と、文章の途中で溜めをつくりながら、子どもたちの顔を見回す。
 そうすれば、子どもたちは声に出さずとも、その間に子どもは心で返事ができるのです。
 コミュニケーションが取れるわけです。
 それを、
「いよいよ来週は遠足ですね」と切らずに早口でしゃべると、単なる独り言にすぎません。
 教室に一体感が醸成されることはありません。
(大矢 純:1966年生まれ、授業学研究所所長。数学の授業や教員育成などの経験をもとに、授業学の確立と普及を行っている。各地の学校で研修や講演、コンサルティングを行っている)

 

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いじめ解決を子どもの学びにするにはどのようにすればよいか   宮下 聡

 いじめ解決を子どもの学びにするにはどのようにすればよいか、実践をもとに宮下 聡はつぎのように述べています。
 発展途上の子どもが共同生活を送る学校は、対人トラブルが起きるのは自然なことで、だれかが苦痛を感じるようなことが生じる。
 それはむしろ対人関係を学ぶ生きた学習教材でもあります。
 だから、いじめは当然起きるものと考え、それを解決する体験を通して人とかかわる力を子どもたちが獲得する学習の機会ととらえることが必要だと思うのです。
 いじめを深刻ないじめに深化させないよう、子どもを主体者としていじめと向き合い、解決する活動を通して子どもたちに学びを体験させるようにします。
 いじめが発覚したとき、被害者の苦痛を軽くすることが急務です。
 まず、なすべきことは、いじめの標的になって子どもをクラスの中で孤立させないような支援体制をつくることです。
 いじめを止めなくてもいい。支えたり、いじめの状況を担任に訴えたりできる仲間を被害者と話し合って数名つくります。
 被害者は共感し支援する仲間がいることを実感して表情は少しずつ明るくなっていきます。
「やめろと注意できなくてもいい。同調しないことが大切。そして苦しんでいる人を精神的に支えて」
 私はそう子どもたちに呼びかけました。
 次に、多くの子どもが感じている「いじめノー」の思いを解決の力にしようと考えました。
 これまでクラスで起きていたことをどう感じているか、クラスがどうなっていくことを願っているのか、みんなの意見を書いて全員で読み合うことにしました。
 個人が特定できないようにしました。
 安心して本音が言えるようにするための配慮です。
 そして読み終わったあと、さらに賛同や反対の意見を書き、読み合いました。
 意見集は、クラスのみんなの意識を傍観者でなく当事者に変え、解決に向かう流れをつくります。
 さらに家庭でも読んでもらい、保護者からの意見も求め、それを掲載しました。
 保護者の意見は、子どもたちにとって、大人たちがいまクラスで起きていることをどう見ているかを知るいい機会になりました。
 保護者も一緒に考えていくことがいま必要になっていると思います。
 みんなの意見は、解決に向けた明るい希望があふれていました。
 明るいクラスにするためには目に見える行動を起こして思いを形にすることが必要です。
 行事はその希望に向けて舵を切るチャンスとなります。
 クラスの雰囲気を変え、前に進ませる挑戦となります。
 いじめと向き合う実践は、トラブル解決の活動を子どもたちと共にすすめることを通して、思いやりと活力のある学級をめざす攻めの実践なのです。
(宮下 聡:都留文科大学教職支援センター特任教授、元公立中学校教師)

 

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教師と親がつながり共に育つにはどうすればよいか   宮下 聡

 教師と親がつながり共に育つにはどうすればよいか宮下 聡はつぎのように述べています。
 教師生活を続けていると、どんな教育実践も親とのかかわりを抜きに考えることはできない。
 若い教師は「子どもだけでも大変なのに、さらに親の相手なんて」と考えている人は意外と多い。
 実際、教育現場で起きる子どもの問題は、家庭と切り離して考えることはできない。
 そこには学校外での子どもの生活が大きな要因として横たわっているからである。
 まず、大切なことは、教師が学校側の目線ではなく、ときには親の立場から実践をとらえ直してみることである。
 思いがけない解決策に気づくことがあるからだ。
 目線を変えてものごとをとらえ直す姿勢が求められているのは教師なのである。
 教師の思いをわかってくれない親が、実は親の思いをわかってくれない教師と感じていたと気づくことだってあるかもしれない。
 教師がおちいりがちな失敗として、あれやこれやと指示を出しすぎてしまうという問題がある。
 子育ての主体は親である。
 その子の発達上の課題を教師が把握していても、どうするかという問題の解決の主体は子どもであり親である。
 教師が決定権を横取りして指示を出してしまっていることはないだろうか。
 子どもの問題は子どもに返し、家庭の問題は家庭に返しながら知恵と力をともに出しあって解決の道を探っていくという「共同」のスタンスが教師に求められている。
 例えば、つぎの実践は私が親と一緒に考えだしたものだ。
 親と話しあって毎月開いた「学級懇談会」。
 学級懇談会では、子育てにかかわる親の思い疑問・不安がいくつも出され、それが若い担任であった私にとっては、大きな学びとなった。
 子育ての思いを親どうしが語りあった「親の回覧ノート」。
 子どもが家で班ノートを書いているのを見た親が「親もやりたい」と言って「親の回覧ノート」は始まった。
 受け渡し役の子どもは、親どうしの「会話」を読むことによって親の愛を感じることができた。
 土曜日を利用して親子で開いた「料理の鉄人大会」
 取り組みを通して教師としての視野を広げ成長させてくれた貴重な体験だった。
 どれも、クラスが指導困難な状況だったときに企画され取り組まれたものばかりだ。
(宮下 聡:都留文科大学教職支援センター特任教授、元公立中学校教師)

 

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子どもたちが授業に飽きていることに気づけますか、どうすれば授業のマンネリを防げるか

 ワンパターンの授業が続き、授業がマンネリ化すると、子どもたちは授業に集中できなくなり、違うことに面白さを求めるようになる。
 時には、それが問題行動であったり、他者へのいじめであったりもする。
 あなたは、子どもたちが授業に飽きていることに気づけますか。
 授業をしながら、常に子どもを観察し、子どもの表情や動作などから、授業を子どもたちがどう感じているかを読むことができますか。
 授業がワンパターンになっていると、子どもたちはストレスをためる。
 常に「教え込み一辺倒」や常に「子どもの考え主体の授業」だと、嫌気がさしたり、手遊びを始めたりする。
 また「教え込み」と「練習」を繰り返す授業では、子どもは飽きてくる。
 子どもたちが授業に集中できずに、落書きを始めたり、足を動かしたり、勝手におしゃべりを始めたりする状況になると、もう子どもたちはあき始めていることになる。
 これを無視して教師本位の授業をしていくと、子どもたちは教師の話を聞かなくなり、学級崩壊のきっかけとなる可能性がある。
 常に子どもは変化のある授業を望んでいる。
 ある時は「教え込みの授業」と「練習」、またある時は「子どもの考え主体の授業」というように、さまざまに組み合わさっている授業だと、子どもは授業に引き込まれ興味を示す。
 このことがわかっていないと「私は子どもたちの考えを生かして授業をしているのに・・・・・」と言いながら、だんだん学級が荒れてくることがある。
 それは、子どもがマンネリを嫌っていることに気づいていない教師だからだ。
 だからこそ、子どもの動きに気を配れる教師である必要がある。そのためには、
(1)子どもの視線を読めること
(2)子どもの手の動きを読めること
(3)子どもが今、何をするべきかをわかっているかを読めること
 学級全員の考えを集結して「できた!」と実感できる授業。
 友だちの考えを聞いて「わかった」と言える授業。
 「できた!」という喜びを学級で実感できる授業をときおり行うようにする。
 この学びが成立する学級の子どもたちは、学習することが好きで、考えることが好きになる。
 子どもたち一人ひとりのよさを引き出し、よさを語ってあげることも大切だ。
 学級の子どもの反応のよかった授業はどんな授業であったかを分析する。
 子どもたち一人ひとりを逃がさずに、しっかりと「ねらい」にもっていく手だてを常に考える教師でありたい。
 授業のマンネリを防ぐ努力は、教師が子どもたちから信頼されるために必須のことである。
「子どもってすばらしい、面白い!」と思わない教師は、授業のマンネリ化の危険がある。
(成瀬 仁:新潟県公立小学校教師。国立大学教育学部非常勤講師、オーストラリア公立小学校での勤務経験がある。また、幼稚園の経験もあり、多彩な教職経験を生かし、子どもと環境、教師の雰囲気を考えている)

 

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「聞いてまとめる力」を鍛えていかないと子どもの学力は伸びない    成瀬 仁

 「聞いてまとめる力」を鍛えていかないと学力は伸びないと成瀬 仁はつぎのように述べています。
 聞くことは大切です。
 しかし、静かに聞いているのに質問すると答えられない子どもがいる。
 人の話を聞き取って、相手の言いたいことを感知できないのである。
 この「聞いてまとめる力」は学力の基本で、これを鍛えていかないと、学力は伸びない。
 鍛えるためには、子どもに語り、子どもに質問して聞くことが重要なのだ。
 例えば、学校では月に一度くらい全校朝会で校長講和がある。私は講和が終わった後、「今日の校長先生の話で、3つ大事なことは何でしょう?」「校長先生が、みんなに言いたかったことは何でしょう?」と子どもたちに聞く。
 さらに、毎日の朝の会で私が話した後、「さて、先生は、どんなことを話したのでしょう?」と聞くことを私はときどきやる。
 私は国語の「話すこと、聞くこと」に関する授業の終わりの5分間を使い、話を2分間します。
 話の後「この話では3つの大切なことがあると言っていました。
「さてその大切なことは何でしょう?」
「ここで先生が言いたかったことは、何でしょう?」
 と子どもたちに問います。
 この取り組みを続けるうちに、子どもたちはいつの間にかメモをとって聞くようになった。
 自分で覚えられないときにはメモが必要であるということを意識させるためにも、重要な学びとなる。
 このように、授業中のちょっとした時間でも、子どもたちの「聞いてまとめる力」をつける取り組みができるのである。
(成瀬 仁:公立小学校教師。オーストラリア公立小学校での勤務経験がある。また、幼稚園の経験もあり、多彩な教職経験を生かし、子どもと環境、教師の雰囲気について考えながら、現役で教壇に立っている)

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充実した素晴らしい教師人生を送るにはどうすればよいか   古川光弘

 充実した素晴らしい教師人生を送るにはどうすればよいか、古川光弘はつぎのように述べています。
 せっかく教職というすばらしい職業を選んだのですから、素晴らしい教師人生を送ろうではありませんか。
 充実した教師人生を送るために、私からつぎの5つのメッセージを送ります。
(1)追い求める目標を持つ
 目標とする教師を持つことが大切です。
 この人と思ったら、とことん追い続けてみることです。
 それが自分自身の確立に役立ちます。
 自己流では壁にぶつかると伸びません。
(2)同じ志を持つ仲間をつくる
 ホンネでものが言い合える仲間を持つということは、何事にも変えがたい価値があります。
 私は22年前に教育サークルを結成し、月に2回ほど集まって、わいわいと教育のことを話しています。
 一人ではできない研究も、仲間となら続けることができます。
 ぜひ、そのような素晴らしい仲間を見つけて、サークルをつくってください。
(3)身銭を切る
 学ぶことにお金を惜しんではいけません。
 本、研究会参加費などに身銭を切りましょう。
 お金はプロとしての自己を確立するための投資です。
(4)本を読む
 教師は教育のプロなのですから、常に教育雑誌の2,3冊に目を通して、最新の情報を取り入れることはしてほしいと願っています。
 それから、教育書も月に2,3冊は購入して指導技術を学んでほしいと思っています。
(5)頼まれたら断らない
 頼まれるということは、あてにされているということです。
 研究授業など、どんなことでも、自分のためにならない仕事はありません。
 すべて血となり肉となっていきます。
 積極的にチャレンジしてほしいと願っています。
 忙しい人に仕事を頼めと言われます。
 忙しい人の方がいい仕事をするからです。
(古川光弘:1962年生まれ、兵庫県公立小学校教頭、「教材・授業開発研究所」事務局長。「子どもの心をどうつかむか」を生涯のテーマとし、日々の実践にあたる)

 

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国語科:10分間パーツ教材で授業を組み立てる   古川光弘

 10分間パーツ教材で授業を組み立てると古川光弘はつぎのように述べています。
 以前、大変落ち着きのない学級を担任したとき、様々な個性の子どもたちがいて、45分間、とにかく席に着かせ、集中させることに苦労した。学級崩壊の危機を感じたほどである。

 ただ、その心配は最初の数週間で消えた。10分間のパーツにこだわる授業を始めたからである。
 1年生と6年生が同じ45分授業であるというのもおかしな話で、発達段階に応じて、パーツに分けてはどうかというのが、10分間パーツ教材の発想である。

 効果的に配列し、確認しながら授業を進行することにより、子どもたちは驚くほど授業に集中するようになる。
 10分間パーツ教材には次の4条件が必要である。
(1)10
分前後で完結・区切りをつけることのできる教材
(2)
シンプルかつ単純明快な教材
(3)
必ず全員が取り組むことのできる教材
(4)
授業のねらいに沿う教材
 何も難しいことはない。誰にでもできる普通の授業である。

 子どもたちを引きつけ、子どもたちの集中力を飛躍的に高めることができるのである。
 例えば、国語「ふきのとう」(2)10分間パーツ教材の授業は7教材である。
(1)
既習漢字の復習(約5分間)
 全員起立させ、漢字を5つほど「イチ、ニイ、サン・・・・」と筆順を唱えながら空書きさせる。
(2)
新出漢字の学習(約5分間)
 毎時間2~3文字ずつ進めていく。指導書き、なぞり書き、うつし書きのステップで。
(3)
教材文の視写(10分間)
 教科書の「ふきのとう」を丁寧に写し取る学習である。
(4)
口の体操(約2分間)
 「あいうえお」の口形指導、発声指導を簡単なリズムに乗せて行う。子どもたちは大喜びで取り組む。
(5)
教材文の音読(約5分間)
 「ふきのとう」を「声のメガホン」という声の大きさの指標を駆使しながら、抑揚を付けた音読。
(6)
発展学習:詩文の暗唱(10分間)
 黒板に書いている短い詩を、一文ずつ消していきながら、何度も暗唱させる。

 一文を消すごとに子どもたちの意欲が高まるので教室の雰囲気は最高潮に達する。
(7)
国語クイズ(約8分間)
 国語クイズで楽しんで学習を終える。

「もっとやりたい」と乗ってきたところでやめるのがコツである。
 このように10分間パーツ教材をねらいに沿って配置する。リズムのよさが分かると思う。

(古川光弘:1962年生まれ、兵庫県公立小学校教頭、「教材・授業開発研究所」事務局長。「子どもの心をどうつかむか」を生涯のテーマとし、日々の実践にあたる)

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人生の幸・不幸を決めているのは出来事や出逢いではない   軌保博光

 人生の幸・不幸を決めているのは出来事や出逢いではない。
 学びの心をもっていれば、そこから気づきに変えて、未来を拓くと、人生は劇的に変わると軌保博光はつぎのように述べています。
 僕は講演会などで、幸、不幸を決めているのは出来事や出逢いではないってことを伝えています。
 僕が山口県の萩に行ったとき、あるおばあちゃんがつぎのようなことを教えてくれた。
「すべての出来事を良いとか、悪いとか決めるのは自分の心」
「もしあなたが幸せな人生を過ごしたいのであれば、いつも学ぼうとする心を持っていなさい」
「嫌なことが起こったとき、なんで自分だけこんな目に遭わないといけないんだと、心に傷が残るでしょう」
「でもね、学びの心を持っていれば、どんな出来事が起こっても、そこから学びの『気づき』が残るの」
 学ばず、「傷」としてへこみ、ひきずって生きるのか、学び、「気づき」に変えて未来を拓くのかで人生は劇的に変わる。
 幸せになる人は、自分がコントロール出来るものに時間を注ぐ。
 幸せになりにくい人は、自分がコントロールで出来ないものに時間を使って苦しんでいる。
 なにかトラブルが起こったときに、とっさに出る感情はなかなかコントロールできない。
 でも、その起こった出来事に対しての意味づけはできる。
 例えば「ガン」になって、
「なんで私がガンにならないといけないのよ、私はなんてついていないの」
 と嘆き腹を立てる人と、
「ガンは自分に正直になりなさいというメッセージだ」
 と意味付けし、自分に正直にいきいきとやりたいことをやった人ではその後の人生はまったく変わる。
 僕の知り合いで末期ガンを克服した人が三人いるけど、三人とも後者です。
 出来事が幸、不幸を決めているんじゃないってこと。
 僕は今から十三年前にうつ病になり、
「自分が嫌でしょうがない」から「自分であることが楽しくてしょうがない」変わった。
 その大きな理由は、
「すべての出逢いは良き出会い、すべての出来事は良き出来事」と決めてからだ。
 路上に座って、目を見てその人に向けて言葉を書いていたとき、突然パンチパーマのおばあちゃんがやってきて、
「お前、書道やったことねえだろ。無茶苦茶じゃねえかよ」
「人に売ってんじゃないよ、バカ野郎」
「書道は細く太く書いたらうまく見えるだよ、バーカ!」
 とボロクソに言われた。
 そのとき、僕は腹が立った。
 でも、この出逢いは良き出逢いなんやと思って、細く太く書いたら字が変わって、一日の売り上げが千円から五万円まで上がっていった。
 出逢いが最悪と決めていたら、今の幸せは絶対にないと思う。
 幸、不幸を創るのは出逢いや出来事じゃなく、それに対しての意味付けだということ。
 人生は意味付け一つで変えられる。
(軌保博光:1968年兵庫県生まれ、吉本興業退社後、「貴方の目を見て詩を書きます」という即興スタイルと呼ばれる路上詩人の先掛け的な存在。映画製作や植林、災害支援など幅広く活動)

 

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国語科:いきなり核心にせまる音読    花生典幸

 いきなり核心にせまる音読について花生典幸はつぎのように述べています。
 国語はできれば毎時間、授業の最初に音読を取り入れたいと思う。発声の練習になるし、授業も活性化する。
 しかし時間がない。このジレンマを解消するためのひとつが「いきなり核心にせまる音読」である。
 例えば、「大造じいさんとガン」で、
「ここまで、大造じいさんの気持ちや考え方を中心にして、物語を読んできました」
「いよいよ三の場面ですが、さて、大造じいさんの気持ちは変わっていますか?」(発問)
 こう問いかけると、子どもたちのほとんど全員が「変わっている」と答える。それを受けて、
「みなさん、変わっていると考えるのですね」
「では、ここから変わっている、というところを見つけて、そこから先を音読してもらいます」
「確認する時間は1分。音読の時間は5分です」(指示)
 1分後、子どもたちの読み声が、教室中に響きわたる。
 三の場面はクライマックスにあたる場面である。
 授業の導入で音読を始めたいが、少なくとも10分以上かかってしまう。
 そこで、本時の解決すべき課題である、大造じいさんの気持ちが変わったポイントにいきなりせまって、そこから音読させるのである。
「いきなり核心にせまる音読」を行うと、子どもたちの集中力が変わってくる。
 自分の読解(理解)を、そこに反映して読まねばならないので、真剣度がアップするようになる。
 そして、この方法の一番のメリットは、音読という表現活動が、自然な形でその前後の読解とリンクするという点にある。
「考えた結果を音読に表してみる」
「自分の考えと友だちの考えを比較するために音読して比べてみる」等、
 授業のねらいによって、その取りいれ方や方法は少しずつ変わってくるが、できるだけ本時の課題(核心)に近い場面で設定するのが、授業の効果を上げるポイントである。
 短い時間で効果が上がる「いきなり核心にせまる音読」を一度試してみてはいかがでしょう。
(
花生典幸:1963年生まれ、青森県八戸市公立小学校教師、八戸市教育委員会指導主事を経て八戸市公立小学校校長。全国国語授業研究会理事、国語授業ICT研究会理事)

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教師が親にクレームをつけられないためにはどうすればよいか

 親にクレームをつけられないようにするにはどうすればよいか、多賀幹子はつぎのように述べています。
 クレームの集中砲火を浴びせるモンスターペアレントと呼ばれる親がいる。

 東京都内の小学校のある教師は、かすり傷を負った子どもの親から「絆創膏をはるほどのケガなのに、なぜ親にしらせないのか」と電話でどなりつけられた。
 親はさらに学校を訪れ、教師を数時間にわたり叱責した。
 教師はその夜から眠れなくなり、うつ病と診断された。

 教師の真摯な取り組みや地道な努力を踏みにじるモンスターペアレントには心から憤りを感じる。
 誠実な教師ほど苦しんでしまうのだろう。

 小・中学校で親の対応が増えて神経を痛め、休職や退職に追い込まれる教師が増えている。
 授業の準備時間が足りないという教師も7割を上回る。

 クレームで最も多いのは、「うちの子をいじめた子を転校させて」といった、自分の子どもを最優先させるタイプである。
 こうした親に共通しているのは、孤立と孤独だろうと思う。
 楽しく充実した毎日とはほど遠い生活を送り、欲求不満を募らせている。
 善意の集団である学校は、苦情を持ちこむにはうってつけの場所なのだ。

 これに対して、各教育委員会などが、支援制度や支援チームを組んで、対応に乗り出し、ある程度の抑止力になっている。
「しっかりした制度」は親のモンスター化を防止するかもしれない。忙しい教師にとって願ってもないことだ。

 岩手県の苦情対応マニュアルでは、身構えることなく、事実をもとに冷静に対処する。
 言い分を十分聞いたうえで正しい情報を伝える。
 プライドの高い親には、発言を無視されると攻撃的になるので丁重なあいさつなどに留意する。
 愉快犯型の親は、苦情などにとまどう様子を見て快感を得ようとするので、決して一人では対応しない。
 金品を要求してくる親に対しては、毅然とした姿勢を貫き、警察と連携を密にとる。
 といった対応が示されている。

 かつては、「子どもが好き」で教師の仕事を選んだ人が多いが、クレーム社会となった今は、子どものことをやっていればよい時代ではなくなった。
「子どもや親と関わることが好き」でなくてはいけない時代になっている。
 教師は、子どもにとってプラスになることを親とともに考える、という姿勢を持つことが大切になってきた。

 教師と親の対立でもっとも損害を被るのは子どもたちである。
 子どもたちのためなら教師と親は協働できるはず。
 教師は親からのクレームにたじろがないでほしい。

 むしろ、ふだんから親とのコミュニケーションを積極的に取ってほしい。
 子どものプラス情報を、ここぞというときに親に伝えてほしい。
「先生はちゃんと見ていてくれたんだ」
「気がついていてくれるんだ」
 と感じることほど、親に信頼感を持たせることはない。

「うちの子は大事にされている」と感じ取れば、クレームをつける親などいないだろう。
(
多賀幹子:広告会社の編集者を経て、フリージャーナリスト。女性・教育・異文化を取り上げる)




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学級が荒れないようにするポイントとは

 学級が「荒れる」までには、必ず「小さな問題」が発生する。
 この時、その日のうちに解決する、特別な場合を除きクラス全員で解決するようにする。
 なぜ、その日のうちに解決するのかと言うと、時間がたつと忘れてしまう。また、感情のもつれがひどくなることがあるから。
 クラス全員で解決するのは、子どもたちは事件からさまざまなことを学ぶからである。
 小さな問題ひとつひとつにいて、教師は見逃さず、いい加減な対応をしないことが肝心である。
 これをいい加減に行ったり、怠ったりすると、子どもと教師の「人間関係」、つまり「信頼関係」が崩れることになるからである。
 そのためには、まず「事実確認を怠らない」ことである。
 まず、当事者の子どもを呼ぶ。そして、ひとりずつ、何をしたのか、何を言ったのかを言わせるのである。
「どうしたの?」「何と言ったの? 言ってごらん」と優しく、そして静かにきけばよいのである。
 高圧的に、詰問するように行う必要は全くない。
 いたずらに感情的になって「事実確認」をすると、事実が確認できないということにもなりかねない。
 ひとりの子が言い終わった後に、次の子というようにするのである。
 これによって、子ども同士の「言い分」に矛盾が生じてくることがある。
 それについて、どうなのかきいていけばよいのである。
「どんな状況だったのか」をクラスの子どもたちに理解させ、そのあと、「どのような言動をすべきだったのか」について考えさせる。
 無理やり一つにまとめる必要はない。
 最後に「先生はこう思う」と言って、終わる。
 ざわついて教師や友だちの発言が聞けないときがある。
 人の話に集中させるには、きっぱりと「全員、起立!」と言って立たせる。
「話を聞くときの約束を思い出した人は、音をたてないように座りなさい」これで、集中して聞くことができるようになる。
 もちろん、「口を結んで、最後まで聞く」「話し手の目を見る」などの約束事は事前指導しておく。
 この方法のよいところは、行動を責めたりしない。
「約束を思い出した人」と行動の主体性を残している点である。
 学級が荒れる原因のひとつに、教師が子どもたちに対して、教師の尺度で要求し、一人ひとりの子どもたちの違いを考慮することがない場合が考えられる。
 子どもたちに対する要求は、一概にまずいといえるものでもないが、時として、教師と子どもたちの人間関係・信頼関係を損ねることにもなりかねない。
 つまり「ああしなさい」「こうしなさい」式の「指示と命令と禁止だけの要求」であっては、子どもたちは動かない。
 学級の雰囲気をこわさないで忘れ物を少なくするには、忘れた子を起立させる。
 忘れた理由を言わせる。
「明日から気をつけなさい」と毅然とした態度で注意する。
 これだけである。あとは何もいわない。忘れ物をした子は「しまった」と思っているものである。
 これで十分反省の指導になっている。
 感情的な説教や文句は、必ずといっていいほど学級の雰囲気をこわし、忘れものの数は減らない。
 そればかりか、学級の人間関係もこわしかねない。
 教室の整理整頓を自覚させるのに録画を活用するとよい。
 子どもたちが音楽室などに移動した後、教室の机や椅子が乱れ、ごみが落ちていたりすることがある。
 注意するだけでは、その場限りの効果しか望めない。どうすればよいか。
 乱れている机や椅子の様子を録画し、子どもたちに見せるとよい。
「きみたちが教室を出たあとの様子を見せます。気づいたことを頭の中にメモしましょう」と言って、録画をテレビで見せ終わった後、子どもたちに「机が曲がっている」「紙くずが落ちている」など発表させる。
「これから、教室を出る時に、しようと思ったことを言いましょう」と全員に言ってもらう。
 効果を確かめるため、次に教室が移動した後も録画して、前の映像と比べるようにして見せる。
 たったこれだけのことで、整理整頓を意識し始める。その効果には継続性がある。
 集団で何らかの活動をやっている時、自分の思いどおりにならないことに腹を立てて「すねる」ことがある。
 この時、なぐさめたり、叱ったり、つれもどそうとしたりすると一時的に気分がおさまるかもしれない。
 しかし、まわりがなんとかしてくれるという甘えを助長させることになる。
「すねた」子どもには、こう対処するとよい。
「すねる」その子をほっておく。
 すぐに楽しい活動をする。すねている子は気になって何度も見る。少し声をかけてやる。活動に参加したことを後でほめる。
(
戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教頭。全国学級づくり研究会・学級づくり中央研究所代表。子どもたちの集団自治力を高め、生き生きと活動する「学級づくり」を目指して実践を重ねています)

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問題行動が起きたとき、どう指導すればよいか   戸田正敏

 問題が起きたときほど教師は「しめた!」と思うべきである。
 問題が起きたときは、指導のチャンスであり、子どもたちを変えられるチャンスである。
 それが、子どもたちの心の成長や、学級集団の成熟につながる。
 問題が起こったときほど教師は「心の余裕」を持ちつづける必要がある。
 事実の確認を怠らず、素早く、しかし、じっくりと指導にあたる。
 一回の指導ですべてを解決しようと無理をせず、じっくりと指導にあたるようにする。
 学級内で問題が生じたときは、話し合って、学級のルールをつくるチャンスである。
 しかし、必要以上にルールの数は増やさないようにする。
 最終的には、ルールがなくても子どもたちがよりよく行動できるようにすることである。
 学級で問題が起こったとき、教師の「落差のある言動」によって、子どもたちへの指導が入りやすくなる。
 つまり、いつもの「明るく、楽しい雰囲気」から一変して、「これはヤバイぞ、いつもと違うぞ」と思わせるような言動によって指導が入りやすくなるのである。
 落差のある言動とは、「声のトーンを落とす」「毅然とした態度をとる」ことである。
 声のトーンを落とすことによって、子どもたちに「おや、いつもとは違うぞ」と暗黙のサインを送ることができる。
 その暗黙のサインによって、教師の指導に耳を傾ける雰囲気づくりができます。
 「声のトーンを落とす」ことにより、教師が感情的にならなくなり、必要以上のことも言わなくなる。
 教師が大きな声を出せば出すほど、子どもたちは反省するのではなく、教師の声が頭の上を通り過ぎていくのをがまんして待っているだけである。
「声のトーンを落とす」のは、問題行動の指導の基本的な技術である。
 指導を行うとき、子どもたちがざわついて話を聞いていなかったりした場合は、あえて何もしゃべらず、しばらくの間、黙っているようにする。
 注意する子が現われてクラス全体が静かになった段階で声のトーンを落として指導を行うと、さらに効果的になる。
 この「静かになるまで教師が黙り、その後で声のトーンを落として指導する」という方法を何回が続けることにより、暗黙の指導となり、問題行動に対する指導の習慣化が図れる。
 このような指導は、ふだんの「明るく、楽しい雰囲気」があってこそ得られるものであり、いつも大きな声でガミガミと指導を行っているようでは、効果がない。その点を理解し、心に留めておく必要がある。
 問題行動に対する指導は「短く、ズバリと行う」ことが鉄則である。
 問題行動が生じたときの指導は「何が問題か」、「これからどうすればよいか」という二点をズバリひと言で子どもたちに伝えるだけでよい。
 お説教は、長くなりやすく、子どもの悪さを指摘し「だから、ダメなんだ」という精神論的訓話になりやすい。
 教師の声のトーンが高くなりがちで、このような状態になると、子どもたちは教師の話を聞く耳を持たなくなる。
 これが続くと、どんなことについても教師の指導が入らなくなり、学級は確実に荒れてくる。
 そして学級崩壊への道を歩むこととなる。
 問題児を指導する場合は、問題行動の事実確認を最優先に行う。
 問題行動を起こした子が複数いる場合は、一人ひとり個別に呼んで事情を聞く。
 事実確認を終えたら、一つ一つの事実の矛盾や違いを追求する。これができれば八割は成功。
 その後、一人ひとり呼んで穏やかな調子で「なぜ、そのようなことをしたのか」理由を言わせる。
 教師は子どもに、その問題行動の「悪さの意味」をズバリひと言で指摘する。
 これが最も重要なポイントで声のトーンを落としながら、毅然とした態度で指摘する。
 指導する場合は、子どもの表情や態度をよく見ながら、子どもとの応答式の指導を繰り返していく。
 このとき、穏やかな中にも毅然とした教師の態度が必要である。
 きつく叱る場面と、情に訴えるような場面、両方を入れるようにする。
 どちらかだけの指導では効果は薄い。
(
戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教頭)

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教師が授業や学級づくりの腕をあげるためにはどうすればよいか  戸田正敏

 教師の腕をあげるためにはどうすればよいか、戸田正敏はつぎのように述べています。
 どの職業でもプロ意識を持っている人間は「いかに手をかけるか」「いかに自らの腕を上げるか」ということを常に考えている。
 教師として腕を上げようとするとき、サークルは欠かせない。
 自分の実践を記録や論文にまとめ、それをメンバーに検討してもらうことにより、教師の腕が向上していく。
 教師としての腕を上げたいと思ったら、すぐにサークルをつくり、活動を始めるべきである。まさに「鉄は熱いうちに打て」である。
 教師が授業を義務感で仕事を進めていると苦痛になる。
 まず、もっと教師が授業や学級づくりを楽しもうとする意識をもつこと、そこからすべてが始まる。
 教師が授業を楽しみ、学級を創っていくことを楽しいと感じられるとき、子どもたちもまた、授業が楽しくなり、「このクラスにいてよかった」と感じるようになるのである。
 しかし、教師が授業や学級づくりを楽しもうと思っただけで、授業や学級づくりがうまくいくのであれば、こんな楽なことはない。
 教師はそれだけの努力をしなければならない。
 他の教師よりも勉強し、研究し、自分の実践に対して厳しくなくてはならない。
 そのために常に自分の実践を振り返り、愚直なまでに実践を追い求めなければならない。
 そこには、子どもたちの目線まで下がって学級の子どもたちをみつめ、今の子どもたちから出発する実践が重要である。
 辛いことや苦手なことに対して逃げるのではなく、自らを向上させる絶好のチャンスととらえ、挑戦するのである。
 それこそが教師としての腕を向上させ、実践を楽しむ源となるのである。
 教師としての自分に厳しくならない限り、授業や学級づくりを楽しむことはできない。
(戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教頭。全国学級づくり研究会・学級づくり中央研究所代表。子どもたちの集団自治力を高め、生き生きと活動する「学級づくり」を目指して実践を重ねています)

 

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なめられる教師となめられない教師はどこが違うか、教師が心がけたいこととは    桶谷 守

 なめられる教師となめられない教師はどこが違うか、桶谷 守はつぎのように述べています。
 教師は子どもになめられたら、指導が入らないし、授業も好きかってな子どもの言動が横行し、崩壊状態になるという話をよく聞く。
 私が学生に「なめられる教師って、どんな人?」と聞くと
「指導力がない。毅然とした態度で叱らない」
「叱ったとしても、あまり怒っている感じがしない」
「説得力がない」
「悪いことをしてもあまり叱らない」
「自分本位で授業を進める」
「間違いを指摘されても自分の非をなかなか認めない」
「シャイでオドオドしている」
「威厳がない」
「堂々と発言できない」
「子どもに優しくしすぎる」
 つまり、なめられる教師は、信頼されない教師と考えたほうがいいと思います。
 よくあることですが、子どもから嫌われることを恐れて、子どもに迎合し、かえって信頼を失うことがあります。
 そこで、再び私は学生に「信頼できる教師って、どんな人?」と聞くと、
「問題が起きたとき、頭から否定せず、言い分を聞いてくれる」
「子どもが悪いときには、厳しく叱ってくれる」
「相談したとき、親身に熱心に真剣に話を聞いてくれる」
「わかりやすい授業をしてくれる」
「落ちこぼれや、やんちゃな子どもも切り捨てず、公平に扱ってくれる」
「権力を振りかざさず、知ったかぶりをしない」
「子どもと共に、泣いたり、笑ったりできる人間性が豊かである」
 子どもは教師が自分たちのことを本気で考えてくれているかは、すぐに見ぬきます。
 だから、子どもから良く見られたいと思ってやさしくしている教師や、子どもたちに対する恐怖の裏返しとして厳しく振る舞っている教師も、ともに支持されることはないのです。
 それでは、子どもたちから信頼され、人間関係をよくするために教師が心がけたいことは
1 朝は早めに教室に行き、笑顔で子どもを迎える。
2 朝の会や帰りの会、給食や休み時間に、子どもたちと話し遊ぶことを大切にする。
3 掃除は必ず子どもたちと一緒にする。
4 絶えず集団と個人とを考えながら指導する。
5 ダメなことはダメと毅然と指導する姿勢を示す。
6 教えることに最大の喜びと情熱を持つ。
(桶谷 守:中学校教師、京都市教育委員会生徒指導課長、教育相談総合センター所長、京都教育大学教授を経て京都教育大学名誉教授、大津市教育委員会教育長)

 

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親の要望・苦情に対して、教育委員会の手引をもとにした対応のポイント

 親の要望・苦情に対しては、大阪市教育委員会の手引(大阪大学の小田野教授が協力)をもとにした法的な対応も前提にした対応のポイントは
1 適切な初期対応
(1)
相手の主張をまずは最後まで丁寧に聞く
(2)
その時点での事実をつかむ(事実と、思い込みや推測、感情との区別)
(3)
相手の要望・苦情の趣旨をつかむ(誰に対して、何について不満を持っているか、何を求めているのか)
(4)
加害者や被害者といった関係者のある場合は、双方の言い分を聞く(一方だけで判断しない)
(5)
その日のうちに動く(場合によっては即刻の対応が求められる)
(6)
管理職に報告・相談する
(7)
詳細に記録を残す
(8)
即答できないことは後日返事をする。(迷うときは即答を避ける。明らかに謝罪すべきことは、その場で謝罪する)
2 事実の確認
(1)
時系列で事実を正確に整理する
(2)
複数で対応する
(3)
記録を残す
3 組織的な対応
 管理職は正確な事実確認とそれに基づいた判断をすること。
 教職員を孤立させず、心情を理解しながら支えること。
 親の訴えに真摯に向き合うこと。
 そして組織的な対応をリードすることである。
(1)
当該の教職員だけで対応させないようにする(時間的、精神的にかなりの労力になるため)
(2)
対応内容と課題を整理・分析し、対応策を共有する
(3)
対応窓口を明確にする
(4)
適切に情報を管理する(外部に漏れないようにする配慮が必要)
4 関係機関との連携
 管理職を通じて、教育委員会に報告・相談をする。
 内容により、教育センター・児童相談所・保健福祉センター・警察などとともに解決に向けて動く必要がでてくる。
(
渋井哲也:1969年生まれ、ライター、ジャーナリスト、ノンフィクション作家)




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子どもたちに印象に残るような話し方とは    大内善一

 知らず知らずのうちに話をしている人の人柄も聞いている子どもたちに伝わってしまっていると大内善一はつぎのように述べています。
 私は茨城大学附属中学校の教師だったとき、三人の校長に仕えました。
 毎週、月曜日の全校集会の校長先生のお話を興味深く聞いていました。
 そして、生徒たちはその話をどのように聞き取ったのか、教室に戻ってきた生徒たちに聞きただしてみることを、ひそかにやっておりました。
 私は生徒たちに、
「今日の校長先生のお話の中で、大事なお話が三つ話されていたよね、はい、三つ言える人」
 と生徒たちに発表させていたのです。
 生徒は意外と話を聞いていないのですね。
 それは、生徒の責任というよりは、やはり本当に印象に残るような話であったのか、ということもあると思います。
 この三人の校長先生のうち、ある校長先生の話に関しては、生徒は本当に熱心に聞き浸っていたように思います。
 私も校長になったので、この校長先生のような話をしてみたいなと思って、努めているのですけれども、こればかりはなかなか難しいものです。
 この校長先生は、決して理路整然とお話しするわけでもないし、情熱的な話ぶりで生徒たちを圧倒するといったわけでもなかったのです。
 むしろ、後ろの生徒たちには聞こえるかどうか心配になるぐらいの、ボソボソとした静かな語り口で話されていたのです。
 おそらく生徒たちには、そのような話しぶりまで心に刻み込まれていたのではないかなと思われます。
 私たちが子どもたちの前で話をする時、あまりに理路整然とした理詰めのお話しをするのは、子どもたちの思考のサイクルには合わないようです。
 また、情熱的な雄弁な話し方も、子どもたちにはどこか押しつけがましさが伝わってしまうのですね。
 ですから、子どもたちの心を素通りしているのですね。
 最近は、論理的思考ということが盛んに叫ばれています。
 確かに論理的な思考は大切なのですが、論理的思考一辺倒だけでもうまくいかないと思います。
 やはりパランスが大事なのではないでしょうか。
 ですから、話し言葉の教育の場合は
「情理を尽くして説く」
 という姿勢を、子どもたちにも教えていくべきだと思います。
 内容だけをうまく伝えようとしても、うまくいかない。
 聞き手も頭では分かっていても、心のどこかで
「そんなことを言ったって」
 と反発しているということがあると思うのです。
 知らず知らずのうちに話をしている人の人柄も聞いている人には伝わってしまっているのですね。
 そういうことも子どもたちには自覚させながら、話をしていくことができるような能力を身に付けさせてあげたいと常々思っております。
(大内善一:1947年生まれ、国公立小学校・中学校教師、秋田大学・茨城大学教授・附属校長を経て茨城大学名誉教授)

 

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従来型の競争的な学習から協同学習の時代に変わった  江利川春雄

 従来型の競争的な学習から協同学習の時代に変わったと江利川春雄はつぎのように述べています。
 従来型の競争的な学習では、子どもたちを勝ち組・負け組に分裂させます。
 勝つ可能性がないと思った子どもたちは、あきらめて学びから逃走します。
 多くの子どもにとって学校は親よりも低い学歴と社会的地位へと転落する挫折の場所になっています。
 学びが競争である限り勉強からの逃走は当然の現象なのです。
 ですから、強制的な勉強や試験では、多くの子どもは動きませんし、教師が知識を切り売りするような講義型の一斉授業はもはや通用しなくなっています。
 これまでの競争的な学習ではなく、「協同と平等」の学習、つまり仲間と学び合い・教え合い、安心して失敗でき挑戦できる教室で、学びの楽しさを実感することにより、自律的に学ぶ子どもに育てることができます。
 教室内に「認め合う関係」が築かれていく中で、子どもたちに自尊感情が育ちます。
 そのような21世紀型の新しい学びとして、小人数グループでの学び合いによる協同学習を取り入れた授業改革が急速に広まっています。
 学力や学習意欲の向上、いじめなどの問題行動、不登校や退学の減少など、各地でめざましい成果を上げています。
 協同学習を核とした学校改革である「学びの共同体」づくりを進める学校は2012年現在、小学校で約1500校、中学校で約2000校に達しています。部分的に協同学習を取り入れている学校はその数倍はあるでしょう。
 「学びの共同体」づくりを進めている、静岡県の岳陽中学校では、不登校が38名から6名に減少し、 学力を富士市内14校の最底辺からトップレベルに向上させました。
 文部科学省も2011年4月に発表した「教育の情報化ビジョン」で、一斉学習や個別学習に加えて「21世紀にふさわしい学び」として「子どもたち同士が教え合い学び合う協働的な学びを推進すること」を明記しました。
 このように、協同(協働)学習は21世紀型の学びのスタイルとして着実に定着しつつあるのです。
(江利川春雄:1956年生まれ、和歌山大学教授。専門は近現代日本教育史特に英語教育史、英語教育学)

 

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子どもたちは、なぜ教師に反抗するモンスターチルドレンとなるのでしょうか

 子どもたちはなぜモンスターチルドレンとなるのでしょうか。
 モンスターチルドレンとは、学校や教師に対して、狡猾に反抗する子どものことです。
 子どもたちがモンスターチルドレンとなる原因は、子どもを「小さな大人」として扱い、私たち大人と対等な存在と見なしてしまうことにあります。
 そうすることによって、子どもはかえって絶えず過大な要求をするようになってしまいます。
 私の知っている幼稚園のほとんどは、子どもを大人と対等なパートナーとして教育活動をしています。
 子どもたちは2~6歳という、人格がほとんどできていない年齢で、もう独自の人格として扱われ、それを伸ばしてやるべきだというのです。
 もし、このような神経医学上の重要な認識に反した考え方が教育の基盤になってしまうと、子どもたちはわがまま放題のモンスターチルドレンになってしまいます。
 ドイツのテレビ番組で、崩壊した家庭で、手のつけられない子どもたちに、金切り声をあげて叫ぶ親の様子が放映されています。
 こうした番組が高い視聴率を上げているのは、社会にひそむ感情を表現し、家庭崩壊が身近なことととらえられているからです。
 私は診療所で児童精神科医として毎日、子どもや青少年を見ています。
 問題をおこしている大部分の青少年は精神の成長が6歳以下の精神年齢で止まってしまっています。
 そのため彼らは、自分たちの周囲の人たちとスムーズな関係を築くことができません。
 子どもたちが精神的に成長するには、けじめある親や教師に囲まれて生活し、社会で生きていくために不可欠な精神の働きが最もよく育つように、基本的なふるまい方をたえず訓練し、誤った行動があれば反省させる指導をしなければなりません。
 子どもの精神を成長させる見込みは、学校の方が大きいということになります。
 崩壊した家庭では親と子どもとの関係が混乱してしまっているからです。
 したがって、小学校の教師にとって、学ぶことができるようになるための土台を子どもの中に育てる責任があります。
 学校で子どもの精神を育てることが重要だということです。
(
ミヒャエル・ヴィンターホフ:1955年ドイツ生まれ、医学博士、1988年から児童精神科と精神療法(心理療法)の診療所を開く)

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行き詰まりを感じるときは、体から心の型をつくり生活にメリハリをつけるとよい  齋藤 孝

 人が行き詰まりを感じるときの解決法は、環境を変える努力をするか、精神面を整えてしまうかです。
 あまり無理をせず、少しずつ問題に取り組むことで、意外と事態が好転するかもしれません。
 スポーツでも何でも、実力が急についたわけでもないのに、方法や考え方をちょっとアレンジするだけで、結果が出るようになることがありますよね。それと同じです。
 私自身、実際に肩の力を抜くという練習をずっとやっています。
 首や肩を回したり、上体をゆらしたりしてほぐしてみたり。
 ふっと息を吐くことで「それほど力む必要ないか」と気づくことがあります。
 体と気分は連動していますし、気分と心もまた連動しています。
 ひと息つくのは本当に大切なのです。
 身体感覚とは心の基盤です。
 その意味で心を体から整えようとするのは合理的と言えるでしょう。
 昔の日本人が安定した情緒を持っていたのは、体の「型」ができていたことと無関係ではありません。
 たとえば正しい姿勢で座ること。きちんと座ると心も落ち着きます。
 学校で子どもたちに「ちゃんと座りなさい」と教えるのも、落ち着く心を育てることに通じます。
 自分が何をしたときに気分が和らぐのか、いくつか知っておくのは重要でしょう。
 悩みを抱いているときに、自分よりも経験のある人に相談するのも有効な手段です。
 ただし、それは解決策を教えてもらおうというのではなく、自分の思考の整理を目的とするべきです。
 また、何事もメリハリは大切なことです。
 年中、頑張っているのでは疲れてしまいます。
 割り切って力を抜く日を設定してもいいと思いますよ。
 ジョギングにたとえるとわかりやすいのですが、意図的に力を抜いて走ってみても、意外とタイムは大きく落ちなかったなんてことは往々にしてありますからね。
 あれもこれもと欲張らずに、自分の生活サイクルに上手に緩急をつけることで、やるべきことが何かしぼり込めるはずです。
(
齋藤 孝:1960年生まれ、明治大学教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論)





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子どもや親とのコミュニケーションのポイントはメンツや自尊心をつぶさない  田中和美

 子どもや親とのコミュニケーションについて田中和美はつぎのように述べています。
 経験が浅い教師にとって、十人十色の子どもたちやその親ときちんとコミュニケーションをとることは容易なことではありません。
 これまで、うまくいったコミュニケーションの経験を自分のひとつの「型」にして、相手の反応が予想と違ったら、軌道修正していくことが考えられます。「型」を意識してみるのです。
 ここでポイントにしたいのは相手のメンツや自尊心をつぶさないということです。
 たとえば、親への電話で、つぎのようなサンドイッチの型にしてコミュニケーションをとります。
「お伺いしたいことがあります」+「要件」+「お伺いしてよかったです」と、肯定的にコミュニケーションすることを意識します。
 子どもの指導は、まず、子どものいいところをしっかりと認める。これがとても大切です。
 たとえば、机間巡視でつぎのように声かけします。
「ここまでは、出来ているよ」+「指導」+「こうやってごらん。あと少し」
 体育の時間は体操服に着替えるのがルールなのに、着替えないで出て、サッカーをしていたとします。
「こら、ルール違反だぞ!」と言っても、ルール違反をわかっていてやっているのでだめです。そこで、
「おっ、サッカーやる気あるな。でも、ルールがある。着替えて来い!」と言えばどうでしょう。
 指導するときに、認めるなど一言を入れるようにします。
 コミュニケーションする順番は、まず、いいことを言ってから、課題を続けると相手は聞きやすくなるものです。
 相手の自尊感情に敏感であれば、教師の思いは通じるものです。
(
田中和美:元大阪府公立中学校教師、教育委員会相談員)

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教師の遊び心が子どもとの距離を縮める   斎藤 修・篠崎純子

 教師の遊び心が子どもとの距離を縮めると斎藤 修・篠崎純子はつぎのように述べています。
 子どもたちは、いろんなことで傷ついています。
 だからリハビリ期間が必要なんだと思うんです。
 そして、こんなに傷ついていたんだというのが分かれば、教師にも余裕が出てきて、遊べます。
 例えば「タイムぴたり賞」などと名前をつけて、どのグループが決められた時間にピッタリ来るか、作戦を立てて競わせる。あるいは、何歩で歩いて来るか、誰が一番少ない歩数で来るかとか。
 あるいは三分で終わるゲームを用意する。
 早く終わってしまうので、遅れて来た子には「ああ、惜しかったね、三分で終わっちゃった!」
 そういうふうに、ありとあらゆる方法を試す。
 ピッタリうまくいくのは少ないのですが、だけど何かは出てくる。
 掃除が早く終わったら「五分で読める怖い話」を読んであげたり。
 教師というのは、日々子どもと接しているので、遊び心をどれだけ持っているかというのもすごく大事だと思います。
 例えば教室に入るのもどうやって入るとか。
 でもその遊びって、自分が楽しいことをやる。
 なんといっても、相手は子どもだから、言葉だってボケてくれる。
 そこに突っ込む楽しさだとか、教師の遊び心が子どもとの距離を縮めてくれるんですよね。
 また管理的な学校に風穴を開けることにもなるんですね。
(斎藤 修:千葉県公立小学校教師、篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 ともに全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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いじめをする子どもの指導をどうすればよいか

 いじめをする子どもは、最初は遊び半分で相手をからかうようなことから始めることがある。
 日常が何となく面白くなく不満をもっている場合は、エスカレートしていく。
 仲間を誘い、複数でいじめをするようになると気が大きくなり、集団でいじめをするようになる。
 いじめをする子どもの多くは、学業不振のはけ口として、弱い者をいじめる。
 そのうえ、基本的な倫理観を身につけていないことが多いため、無理難題を押し付け、金品を要求し、恐喝まがいのことも行うようになる。
 いじめをする子どもには、みんなの前ではなく、個別に話をする方がよい。
 いじめをする子どもは取り繕ったり、自分の正当性を述べることが多い。
 そのときは、相手の子どもの心の痛みについて、丁寧に話をする必要がある。
 叱る調子ではなく、いじめをする子どもの心に寄り添いながら指導することも必要になる。
 しかし、いじめが悪質で反抗的な態度をとり続けるときには、「社会の規範に外れること」であると、毅然と真剣な気持ちで語ってやらなければならない。
 いじめをする子どもは、自信をなくしていることが多い。
 そのため、その子どものよい面をとらえ、期待していることを話すなどして、自尊感情を高める必要がある。
「先生は自分の味方だ」と感じるようにし、自信を持たせ、プラス思考に方向づけていきたい。
「先生は本気で気にかけてくれている」
「自分を信じてくれている」
 といった気持ちが子どもに芽生えるよう、教師は真剣にその子どもの気持ちを分かろうと努めなければならない。
 そのためには、子どもの心に響くように語って聞かせる力がなければならないし、子どもが心から信頼する温かい人間性を持ちあわせた教師でなければならない。
(
伊藤三平:元西宮市立小学校長)




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