先生という仕事は力を付ければ付けるほど楽しくなる 俵原正仁
私の新任教員1年目は、センスで生きていました。
自分では、授業も学級経営もなんとなくうまくいっていると思っていたんですね。
けれども先輩から見たら、かなり危なっかしかったのでしょう。
あるとき先輩の先生から、向山洋一先生の「授業の腕を上げる法則」を貸してもらいました。「これ、読んでみるといいよ」といって。
読んでみると「ああっ!」という衝撃が走りました。
それまでは、読むものと言えば「週刊プロレス」くらいだった私ですが、以後は、向山先生、有田和正先生の本を読むようになりました。
読み出すと、それらの本が非常に面白いのです。
兵庫県は、3年後に異動希望が出せます。出したら幸運にも芦屋市に帰ってくることができました。
新任時代の佐用郡の小学校とは親の雰囲気が違うということはあったものの、大きな違いはあまり感じません。
それよりも、学んだことがどんどん使えるうれしさがありました。
ただ、それまで学んでいた佐用郡のサークルには参加できなくなってしまいました。
そこで、同じ学校の先生たちと新たにサークルを作りました。さらに、サークル以外からも学ぶようになりました。
そうした充実した教師生活を送っているとき、阪神淡路大震災が起こりました。1995年のことです。
学校現場は大変なことになりました。もちろんサークル活動どころではありません。
勉強会が再開できたのは、震災後2~3年後くらいのことだったと思います。
幸いにして、教師を辞めたいと思ったことはありません。
しかし壁を感じたことはあります。
それは40歳前後の頃。私は、全国各地から参観者が来られる朝日ヶ丘小に勤務していました。公開授業には、1000人以上の先生が集まるような学校です。
このときの私は、子供たちをぐいぐい引っ張っていくタイプの授業に憧れて、実際かなりできるようになってきていました。
担任した6年生が中学校に入学してから遊びに来て「先生、中学校つまらん。先生の授業がいい」などと言って来ます。
それを聞いて、私は、正直誇らしい気持ちになっていました。
けれどもあるとき、隣のごく一般的な先生が受け持った子供たちの方が、中学に入ってから伸びていることに気づきました。
これを見て私は、「小学校6年が人生のピーク」みたいな子を育てていたのではないか、という疑問が湧いてきたのです。
決して無理強いをしていたつもりはありません。
しかし、私が受け持ったことの反動を起こさせているのは間違いないようでした。
これではいかんのやな、と思いはしたものの、どうすればいいかというのは、簡単には思いつきません。
そこで、それまで以上に授業の楽しさを考えるようになりました。
同時に、子供たち同士をつなげるようなクラス作りを志向するようにもなりました。
「勉強」をしていると、同じ学校の先生が頼りなく見えることがあるはず。
しかしそれは間違いです。あなたが気づいていないだけで、すごい実践をしている人は学校に必ずいます。
何しろ同じ学校の先生なら、見ている子供は同じだし地域も同じです。
だから同僚の意見は、非常に参考になるはず。
自分の実践を見てもらえるメリットもあります。
つまり、自分の学校ほど優れた勉強の環境はないのです。
そしてお勧めの勉強法は、まず自分の授業のイメージを作ること。
たとえば「指名無し討論の授業がしたい」と思ったら、その授業を実際に見てイメージするのです。
縄跳びの指導でも、上手に跳んでいる様子を実際に、あるいは映像を見せたらできるようになるでしょう。
それと同じです。私と同じ学年を組んだ若い先生も、私のクラスを実際に見て、指名無し討論の授業をやっていました。
公開授業の見学も同じです。
同じ学校の若い先生と、立命館小学校岩下修先生の授業を見学しにいったとき、横ですべて解説してあげたことがあります。
これは非常に効果的でした。
その先生の音読指導が大きく変わり、自分の学校で公開授業をしたとき、音読は参加者から絶賛されていました。
同じ学校の先生とすぐれた授業を実際に見ることと、それを解説してもらうことが大事。
同じ土俵で語れるのですから。
繰り返しますが、最良の勉強法は、同じ学校の先生と学ぶことです。
先生という仕事は力を付ければ付けるほど楽しくなる仕事です。私自身、年々楽しくなっていますから。
若いときは力量が無いから子供が動かないし、反発を食らったりします。
しかし力が上がれば、子供はみんな喜ぶし、保護者は信頼を寄せてくれるようになります。
さらに、学校で最もしんどいクラスを受け持てば、学校内でも無敵の状態になることでしょう。
自由裁量の幅が広がり、自分のやりたことができる状況になるはずです。
勉強を頑張りましょう。
いま悩んでいたとしても、勉強を頑張ったらきっと楽しくなります。
あと少し頑張れるかどうかは、あなたにしか分かりません。
ただ、確実に言えることは、頑張れば必ず報われるということです。
(俵原正仁:兵庫県公立小学校教師、教材・授業開発研究所「笑育部」代表、兵庫県公立小学校校長)
| 固定リンク
« 教師の熱意や想いを子どもに伝え、子どものやる気を引き出すには、どのようにすればよいか 大矢 純 | トップページ | 首の骨を折る転倒事故を体験した教師が、命と感謝の学びで、生きているだけでも幸せであることを心から感じるようになった 腰塚勇人 »
「教師の人間としての生きかた・考えかた」カテゴリの記事
- 首の骨を折る転倒事故を体験した教師が、命と感謝の学びで、生きているだけでも幸せであることを心から感じるようになった 腰塚勇人(2021.06.30)
- 先生という仕事は力を付ければ付けるほど楽しくなる 俵原正仁(2021.06.29)
- 充実した素晴らしい教師人生を送るにはどうすればよいか 古川光弘(2021.06.20)
- 教師は人間好きであることが肝要、自分に不都合なものをも包みこみ愛せよ(2020.08.20)
- 大正自由主義教育運動で中心的な役割を果たした澤柳政太郎とはどのような人物であったか(2020.08.17)
コメント