« 2021年6月 | トップページ | 2021年8月 »

2021年7月に作成された記事

校長からみた授業崩壊の原因と対応策

 授業崩壊の主な原因は教師の授業力の不足にあると思います。つぎのようなことが考えられます。
(1)
一方的な教え込みで、子どもの学習意欲や興味・関心を無視している。
 教え込み授業は子どもを飽きさせ、私語を誘発する。
(2)
子どもをまとめる力、授業規律、学び合わせる指導技術が不足している。
 いけないことはいけないと毅然とした指導ができていない。遊びと学習のけじめがつかなくなっている。
(3)
授業展開・きめ細かい指導・指導と評価と支援の一体化が不十分である。
 あいまいな授業で、わからない・学習意欲のない子どもがいる。
 話し方があいまいで、長く、繰り返しがあり、子どもにそっぽを向かれている。
(4)
教材の研究や準備・発問や板書・ノートの点検などが不十分である。
(5)
校長や先輩教師の指導助言に耳を貸さず、向上心に乏しい。
(6)
学校としての授業改善の取り組みが不十分で学習形態や指導体制が整備されていない。
 授業崩壊が起きないように予防するには
(1)
研修をする。教師一人ひとりの理解を整理する意味で研修内容を報告させる。
(2)
授業観察を通して管理職やベテラン教師が指導助言する。
 授業力を向上させるため「よいところや進歩したところ」見つけ、ほめて自尊心をくすぐり、意欲づけをして「もっと授業がうまくなるための注文」をつけて自ら研鑽するようにする。
(3)
課題のある教師に示範授業を参観させる。
(4)
課題のある教師に対しては手厚く、ぬくもりのある対応が必要である。
 疑問や悩み事、わからないことの相談に応じる雰囲気づくりが大切である。
 授業崩壊が起きた場合の対応は
(1)
指導によって回復する見込みがあるときは、校長や教頭、ベテラン教師が課題を指摘し、指導する。
 授業の計画と展開、学習評価など基本的なことを必要に応じて指導する。
 授業そのものを点検して具体的に改善し、授業規律について指導する。
 体験的活動、問題解決学習、発問や板書、学び合い、学習のまとめを工夫させるようにする。
(2)
一部支援をすれば回復する段階では、教頭や空き時間の教師が、TT体制でかかわり、授業規律や学習活動の進め方などの回復を図る。
(3)
軽減や補助をつければなんとかなる場合は、校務や授業の一部を軽減し、他の教師に肩代わりさせ、授業の立て直しをする。並行して研修させる。
(4)
交代させる段階では、一時的に交代させ、授業規律や学び方について子どもに再指導するとともに、遅れを取り戻す。
(5)
校長・教頭・学年のすること
 管理職として、授業崩壊がどの段階にあるか見極め、必要な対策を迅速にとる。
 シナリオをつくり、学校を挙げて回復に取り組むようにする。
 当該の教師は成果がでない毎日に疲労困憊している。
 孤立させないよう、学年として可能なかぎり支援することが重要である。
(
小島 宏:1942年東京生まれ、東京の国公立小学校教師、指導主事、小学校長を経て多摩教育調査研究所長)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

算数:解き方を友だち同士で説明し筋道を立てて考える力をつける    間嶋 哲

 解き方を友だち同士で説明し筋道を立てて考える力をつけると間嶋 哲はつぎのように述べています。
 一部の子どもの型通りの解き方を説明させるのではなく、子どもたち同士で説明しあい「なるほど」と納得する体験を積んでほしい。
 鶴亀算など「○○算」と呼ばれる文章題がありますが、こうした問題は習った知識やスキルを活用していろいろな方法で解くことができ、思考力を高めることができます。6年生のまとめにはふさわしい問題です。
 鶴亀算には、大きく分けて二つの解法があります。
 表で数値の変化を調べる方法と、「仮に7匹全部亀だとすると・・・・・」などと仮定する方法です。
 6年生のクラスで「鶴と亀が合わせて7匹います。頭の数は7個ですが、脚の数は22本。それぞれ何匹いるでしょうか」と問うた。
 問題を加工して、抽象化して考えられるようにした。7匹の鶴と亀の頭を同じ丸形にし、脚も同じ形にそろえ、胴体をつい立で隠した。
 子どもたちは思い思いの方法で挑戦した。絵を描いて脚の本数を数える子。
「鶴1羽、亀6匹」など、計7匹になる組み合わせを何通りも考えて計算した子。
 解けた子どもは前に出て、長い筒を通して答えを私に耳打ちする。
「惜しい。合わせると7匹にならないよ」と考えるヒントを加えて返事をする。
 次に、わかった子が周りの友だちに解き方を説明する。
 納得できれば「!」を相手の子にプリントに書く決まりにしている。
 「カンで解けても、うまく説明できません。友だちと説明しあえば、筋道を立てて考える力がつきます」
 最後に「!」をたくさんもらった子3人が、自分の解法を説明した。
 子どもたちの素朴で地道な発想も大切にしたい。
(間嶋 哲:1965年生まれ、新潟県公立小学校教師、文部科学省で1年間研修、新潟市指導主事を経て新潟市立小学校校長)

 

| | コメント (0)

授業中、子どもが居眠りしているときどうすればよいか    川端成實

「授業中に何を居眠りしている!」とみんなの前でいきなり叱責することは避けたい。
 子どもは、自分が悪いと思っていても、みんなの前で恥をかかされたととらえ、素直に謝罪しないことが多いからである。
 居眠りにも理由がある。
(1)
体育の授業後
(2)
午後の授業時間で眠気がさす
(3)
体調が悪い
(4)
寝不足
(5)
教師への挑戦・反抗
 など様々である。
 個々の状況を踏まえて指導することが必要である。
 授業中に居眠りしている子どもに
「夜更かしをしたのか」
「何か私に訴えたいのか」
 などと予想を立てながら、近くにいって小声で
「どうした? 体調がわるいのか?」
 と声をかける。
 本当に居眠りをしていた場合でも、こう聞かれれば居眠りを攻撃されている感情は生まれにくい。
 体育の授業の後で、数名が居眠りをしている。
「みんな疲れているようだけど、よくがんばっているね」と声をかける。
 一人寝たままの子どもがいた。
 同じ班の子どもと視線が合ったので、目で合図を送ると肩を軽く叩いて起こしてくれた。
 これをきっかけに
「近くの人が居眠りしていたら、肩を揺すって起こしてあげよう」
 と、全員が授業に参加する約束をつくった。
「授業のじゃまをしなければ居眠りはいい」という言い方は避ける。
 居眠りの同調者が増え、授業不成立の原因になりかねないからである。
(
川端成實:元鹿児島県公立中学校教師)









| | コメント (0) | トラックバック (0)

教育を「注入・受け身」から「支援・自律」に乗り換えることが問われている   福田誠治

 教育を「注入・受け身」型から「支援・自律」型に乗り換えることが問われていると福田誠治はつぎのように述べています。
 週刊誌「AERA」に子育ての話が載っていた。子育ては「五感を使って親子で楽しむこと」を重視したものだ。
 たとえば、童謡の本があれば親子で一緒に歌い、歌に合わせてピアノの鍵盤をたたき、白黒の挿絵にはすべて色を塗った。
 スーパーマーケットに買い物に出かけるときには「今日探し」をしながら歩いていく。「昨日と違うもの」を見つけるのだ。
 名前を覚えるよりも、名前も知らない雑草などに目を向けて「新しい世界」を大切にしたのだという。
 子どもには探求力なり観察力を養っていることになる。
「ただ娘と一緒に遊ぶことが目的でした。私自身が、非常に楽しかったんです」
 と、母親は回顧している。
 母親は、子どもが二歳になると、近所の図書館で月20冊の貸し出し限度いっぱいの本を借りてきて「読み聞かせ」をした。
 文字を追うだけではなく、登場人物になりきって、二人で歌い、体を使って演技し、ことばの意味を体現した。
 文字を優先せずに、事物に触れて感動することでイメージをわかせた。
 また、子育てを楽しむ大人を見て、子どももまた人生を楽しむように育ったのかもしれない。特別な子育てというわけではない。
 私たち多くの親は、逆のことをしていないか。
 子どもにはおもちゃを買い与え、子どもの学びの習慣形成に無関心で、学校に期待をかけ、足りないとなれば塾にたよる。
 子どもは意欲が少ないまま進学し、いつまでも自立せず、学力不足のまま社会に出ていく。
 今の日本人の教育に対する考え方がゆがんできている。
 学力は商品に似て金で買うものという考えが普及してきた。
 学力は自分のために修業によって自らが学びとるもので、学力は血となり肉となって自分自身を作るものという考えが消えつつある。
 日本の子どもたちには、教育は他人から与えてもらうもの。
 自分の生活や生き方と関係なく自分の外で、自分とかかわりなく決まっているという感覚が強い。
 自分から苦労して学び取るものという積極性がなくなってしまっている。
 個性の多様な能力が生かされていない。
 学びの実感を持てなくなっているとも言えるだろう。
 テストが横行すれば多くの子どもは自尊心を傷つけられるだろう。
 だとすると、答えを支援する教育から、子どもの学びを支援する教育へと、日本人の教育観を組み替える必要がある。
 人生の扉を開けるのは、子ども本人であって、大人が先に開けてしまってはいけない。
 今こそ教育ソフトを「注入型」から「支援型」に、学習ソフトを「受け身型」から「自律型・自立型」に乗り換えることが問われている。
(福田誠治:1950年岐阜県生まれ、都留文科大学教授を経て同大学理事長。専門分野は「近代化と人間形成、とりわけ言語と能力形成」)

 

| | コメント (0)

創造的な学びで、社会に求められている自立型人間を育成する  伊藤邦人

 創造的な学びで社会に求められている自立型人間を育成すると伊藤邦人はつぎのように述べています。
 いくら上手な授業をしたところで、教師の作った道筋の上でしか子どもたちが学べない授業(マニュアル授業)であれば、指示されたことしかできない指示待ち人間しか育てられません。
 これに対して、「授業のめあて」(これだけは子どもたちに理解させたいポイント)までの道筋をかくした授業(クリエイティブ授業)は、子どもが自ら考え、判断し、行動できるような創造的な学びにつながり、自ら新たなことを創り出そうとする自立型人間が育成されます。
 マニュアル授業とクリエイティブ授業とでは、子どもたちの目の輝きが全く違ってきます。人は本来、創造的に学ぶことを好む生き物だからです。
 クリエイティブ授業をつくるためには「仕掛けと演出」が不可欠だと私は考えています。
 常に「仕掛けと演出」を念頭に置いて授業を組み立てれば、常にクリエイティブ授業ができます。
 クリエイティブ授業をつくる上で、大前提となるのが「かくす」という仕掛けです。
 授業づくりは、「めあて」をかくすところから始まります。
「めあて」をかくし、子どもたちが創造的に考えていく中で、その「めあて」を発見していく流れを考えるわけです。
 イメージとしては、授業のゴール「めあて」から、スタートへ逆算して授業をつくるような感じです。
 大枠の流れをつくった後、子どもたちの意見を整理したり、子どもたちを惹きつける工夫をしたり、いろいろな方法で指名をしたりと、細部の演出を組み込んで授業づくりは完成です。
 それは、推理小説に似ています。
 犯人がわからず、先が読めないからこそ、どのような展開になるのかわくわくするのです。
 例えば、算数の「四角形の性質」を学ぶ授業を考えます。
 マニュアル授業では、初めから「辺に関する四角形の性質」を見せてしまっているので、後はそれに沿って答えを出すだけです。
 子どもたちは、教師から尋ねられたことに答えるだけなので、思考が揺さぶられることはありません。
 それに対して、クリエイティブ授業の場合「四角形の性質」をかくしているので、子どもたちは、角・辺・対角線など、さまざまな観点から図形を見ようとするわけです。学びが多角的になります。
 例えば「次の四角形(グループ1:長方形・台形・平行四辺形、グループ2:ひし形・正方形)は、どのように仲間分けされていますか?」
子どもは
「角の大きさは関係ないのかなあ?」
「2グループのひし形と正方形は、全ての辺の長さが等しいです」
「ひし形と正方形は、対角線が垂直に交わることも共通しています」
「なるほど!」
 社会で求められている自立型人間を育成するためには、子どもたちの発想があふれ出し、創造的な学びにつながるクリエイティブ授業が必要とされています。
(伊藤邦人:1980年大阪府生まれ、学習塾勤務を経て、立命館小学校教師。学習塾にて、The Teachers of the Year大賞を受賞。学習塾のよさと小学校のよさを融合させた新しい教育システムを構築。「クリエイティブ」を教育の柱とし、子どもを最大限伸ばす学級づくり・授業づくりの研究を進めている)

 

| | コメント (0)

授業中におしゃべりをやめない子どもがいるときどうすればよいか   富永裕一

 授業中におしゃべりをやめない子どもがいるときどうすればよいか富永裕一はつぎのように述べています。
 授業中におしゃべりするのは、勉強に対して投げやりになっていたり、授業そのものに魅力を感じていないことが多い。
 授業を子どもたちの世界が広がるように工夫したりする必要がある。
 授業後、おしゃべりのやまない子どもたちの思いには配慮せず、職員室などに呼び、
「どんなに周りに迷惑をかけているか」
 と、一方的に説教すると、おしゃべりがなくなることもある。
 その代わり、授業中に最初から最後まで寝るようになったり、騒ぎやすい授業では、逆に発散するように騒ぐようになったりする。
 子どもたちの話にも耳を傾け不安や悩みに共感するようにすることが大切である。
(富永裕一:札幌市公立中学校教師)

 

| | コメント (0)

他人と過去は変えることができない   安次嶺敏雄

 他人と過去は変えることができないと安次嶺敏雄はつぎのように述べています。
 学級担任として、目の前にいる子どもたちが学習や遊びに取り組むようにするには、どこから、どのように手をつけていいのか苦悩の連続であった。
 しかし、早く何とかしなければと焦れば焦るほど、問題は一層泥沼化し、小言や叱責が多くなり、子どもたちは私から一人、二人と離れていき、孤立無援の状態になることが度々あった。
 そんなとき、経験豊富な生徒指導主任は、私の一部始終を見ていたかのように、たった一言、
「『他人と過去は変えることはできない』という言葉があるよ」
 と、何気なくつぶやいた。
 初めのうちは、その言葉の意味がよくわからなかったが、生徒指導の本を貸してもらったり、雑談を交わすうちに、少しずつ理解できるようになった。
 子どもに対する私の要求や思いがあまりに強く前面に出て、一人相撲となり、子どもを追い詰め、自分自身をも窮地に落とし入れたのではないかと気づいたのである。
 子どもの問題行動が起きたとき、担任として一気に解決を図りたいという思いが強い。
 私はこの思いを長年胸に抱きつつ、注意・説教・約束など、あらゆる方法で解決に取り組んできた。
 ところが、結果的に問題解決につながったものは、なかったように思う。
 人は脅しや約束、説教で変わるものではない。
 子どもにすれば教師との約束は一時しのぎに過ぎない。
 その後の子どもたちの行動を見れば火を見るより明らかである。
 つまり、外からの圧力や指示よりも、自尊心や人間性など内面への働きかけが、いかに有効であるか、身を持って痛感させられた。
 人間は、指示や命令で変わるものではなく、子どもといえども、人格と人格、魂と魂のふれあいによるものでなければ、人は変わるものではないことを、失敗や苦悩する中から、やっと気づき始めた。
 教師としての思い上がりが、ときとして子どもへの指導という名の一方的な強制であったり、押しつけであったりしていないか、反省している。
 子どものあるがままを受け入れ、内面を理解して自己変容を図るという、教育相談的な手法について、気づかせてもらった。
 いい先輩教師とのめぐり合わは、教師としてラッキーだったと感謝している。
(安次嶺敏雄:元沖縄県公立小学校校長)

 

| | コメント (0)

いくら忙しくても頑張れるのは子どもたちの笑顔を見たいから  栗原 剛

 いくら忙しくても頑張れるのは子どもたちの笑顔を見たいからと栗原 剛はつぎのように述べています。
 教師になって十数年になりますが、最初の年はいま考えると自分でも恥ずかしい。
 大学で勉強したことは実践向きではないことを実感しました。
 先輩の先生に相談したり、勉強会などに参加して何でも吸収しようと無我夢中の一年でした。
 勉強し、自分なりに工夫した国語の授業(一読総合法:最初から精読も味読もする)で、子どもたちから「先生、国語って楽しいね」と言われたときは、本当にうれしかったですね。
 高学年の担任を受け持って痛感したことは、いくらかっこいいことを言っても子どもたちの心には響かないんです。
 体当たりで飾らずに話さないといけない。
「先生はこう思っているんだ」という本音の価値観をぶつけて、そこから子どもたちなりの考えを導き、個性のある価値観をつくる手助けになれば、素晴らしいことだと考えています。
 小学校の低学年は幼稚園の先生と同じで体力勝負みたいなところがあります。
 高学年は心が疲れます。教師と対等に話をする子も出てきます。一筋縄ではいかない微妙な年ごろですね。
 毎日いろいろと悩んでいます。
 教師の仕事って、こだわればこだわるほど増えていくんです。
 子どもたちのために「これもやろう、あれもさせてみたい」と思うと、どんどん増えていきます。
 職員室で冗談で「適当にやろうと思えば、いくらでもできるんだけと」と仲間の教師と話しています。
 でもいくら忙しくても頑張れるのは、やっぱり子どもたちの笑顔を見たいからですね。
「あっ、わかった」というときの満面の笑みを見ると疲れも吹き飛んでいきます。
 いまの子どもたちは変わったと、よくいわれますけど、そんなに変わったとは思えません。
 社会環境が変わり、それを子どもたちが受け止めて、周囲に返信しているのだと思います。
 精神的に幼くて授業がやりにくいといった声もありますが、それがいまの子どもの特徴で、子どもが悪いわけではないと思います。
 むしろ、そういった子どもがいるのに、じっくりと向き合って話をする時間が取れないほど忙しい自分を反省しています。
 とにかく、少しでも時間がほしいと思う毎日です。
(
栗原 剛:東京都公立小学校教師)




| | コメント (0) | トラックバック (0)

朝の会や帰りの会で集中しないときどうすればよいか   重水健介

 朝の会や帰りの会で集中しないときどうすればよいか重水健介はつぎのように述べています。
 私語やよそ見をする子どもが多く、集中して話を聞いていないときは、担任の指導や子ども同士の働きかけによって集中を取り戻し、規律ある状態の定着をめざします。
 私は司会者の子に発言を求め、
「司会の人は時間がかかってたいへんだと思うが、全員が静かに聞くまで会を進行しないでください」
 と言った。
 多くの子は、はっとしたように姿勢を正し、私の方を見た。
「3班はすぐに全員静かになった」
 と言うと、子ども同士で「シーっ」と私語を制する姿が見られた。
 その後は、静かに進行できた。
 係が教科の連絡をしていたときは、私は会を一時中止するように告げ、全員に
「明日の数学の持参品は?」
 と聞いた。
 半数近くの子はわからず、気まずそうにしていた。
「聞いていないからそうなる」
 と言い、正面を向く、必要事項はメモをすることなどを再確認した。
 私は会の終わりに、
「聞いていない人がいるなかで帰りの会をすることは、司会や係を無視していることなんだ」
「『みんなで支え合う』という学級目標に近づいているといえるだろうか」
「騒がしくなったら、お互いに注意しあって会を進めよう」
 と話した。
 私語している子どもを個別に注意するのは、時間がかかるうえに、その間、周りは騒がしい状態になるので効果的ではない。
 ときには、きつく叱る場面があってもよいと思うが、それが続くと、子どもは「またか」とマンネリ化して、聞こうとしなくなる。
(重水健介:1958年長崎県生まれ、長崎県内の公立中学校で数学担当として約30年間務めたあと、著述、講演活動に入る。日本群読教育の会事務局長)

 

| | コメント (0)

協同的な学びをつくるためにはどのようにすればよいか    和井田節子

 協同的な学びは、生徒たちを授業の中でつなぐことによって、生徒同志で補い合い高め合う学びを生み出そうとするものである。
 すべての生徒が励まし合って学び、高いレベルの挑戦を行うことを可能にする。
 協同的な学びの良さは、学びが主体的・能動的になる。
 理解したことを他者に説明する場面が多いために、学んだことが定着しやすいし、応用がきく。
 考える力、問題解決の力が育つ。
 仲間から必要とされるため授業中に居場所ができる。
 学び合う仲間ができる。
 欠点は、協同的な学びは一斉授業よりも教師の準備が大変ということだろう。
「何を教え、どう考えさせるか」
「そのためには、どのような問いをつくるか」
「どのような資料を用意すれば学びが深まるか」
 まで考えなければならない。
 しかし、それがうまくいったときは生徒と教師が幸せな気分になる。
 次のステップを参考にして考えると「協同的な学び」の授業を組み立てやすい。
(1)
授業の目的、流れ、課題の説明(教師)
(2)
生徒が課題に取り組む(4人のグループ)
(3)
課題について全体で交流し、深め合う(互いの顔が見える、コの字型の座席で)
(4)
ジャンプ(高いレベルの)課題の提示(教師)
(5)
ジャンプ課題に取り組む(生徒)
(6)
ジャンプ課題について全体で交流し、深め合う
(7)
まとめ(教師による解説、生徒による振り返りなど)
 効果をあげている学校は、月に一回程度校内で授業公開している。
 全ての教師が年に一度は提案授業を行うと効果がうまれやすい。
 授業公開で授業を見る際は、生徒がどのように学んでいたか注目し、その様子を観察し、検討会(学年単位)で授業者に伝えるようにする。
 ビデオで授業を教室前方から記録すると、あとで振り返るときに役に立つ。
 協同的な学びの授業検討会は、授業を見た教師全員から、生徒がどのように学んでいたかということを中心に意見や感想を話してもらう。
 そのあと、授業者から話をしてもらい、さらによいものにしていくために協議をする。
 教師がどう教えたかではなく「生徒が学びに集中したとき、どのような工夫がなされていたか」など、生徒がどう学んだかに着目して話し合うようにする。
 全校で授業検討会ができるようになると生徒の変化は早く、よい方に変わってくる。
 とはいえ、協同的な学びは、教師も生徒も、探求する中で深まっていくものである。
 教師が授業内容の吟味や、やり方の工夫を怠ると、だんだん崩れてくる。
 だから、教師は常に学び続ける必要がある。
 協同的な学びの研究会が全国にできつつある。
「学びの共同体研究会」では、ホームページをつくっている。
 研究会や公開授業検討会の情報が得られるし、助言者を派遣してもらいたいときは相談できる。
(
和井田節子:1958年生まれ、25年間千葉県公立高校教師、スクールカウンセラー、名古屋女子大学准教授を経て共栄大学教授。若い教師をサポートする会代表、専門は学校臨床学)




| | コメント (0) | トラックバック (0)

社会人を経験して教師になった人は話題も豊富で、人間性も豊かで魅力的な人が多いように思う  岡部芳明

 社会人を経験して教師になった人は話題も豊富で、人間性も豊かで魅力的な人が多いように思うと岡部芳明はつぎのように述べています。
 僕は福祉事務所の職員から静岡市の小学校の教師になった。
 その頃は、社会人を経験してから教師になる人は、まだ珍しかった。
 しかし、最近は社会人を経験してから教師になる人も増えてきた。
 そういう人たちは、教育に夢と情熱をもち、あきらめずに回り道をして教師になった人がたくさんいる。
 回り道した分、話題も豊富で、人間性も豊かで魅力的な人が多いように思う。
 教師には、民間会社同様に専門知識だけでなく、創造性や協調性、コミュニケーション力等も問われていると思うが、教師にとって大事なことは、教育に夢を抱き、情熱を持ち、子どもとともに自分を高めていこうとする姿勢ではないかと思う。
 私は心豊かで、たくましく、思いやりのある人間を一人でも多く育てたい。
 以前から書きためていた話を本にしました。
 これからも、子どもたちの心を揺さぶる話をしたり、心ときめく体験をさせたりしていく中で、ともに心豊かに成長していきたいと思っています。
 日々の授業は、目の前の子どもに思い寄り添いながら、教科の本質を押さえ、「教えるべきことはきちんと教える」そのうえで「考えさせる」そのような単元展開を構想していきたいと思います。
 今後、年を重ねても、新しいことを学んでいく謙虚さと、子どもたちの豊かな発想に負けない柔軟性、そして、教育に情熱と夢をもち続けていこうと思います。
(岡部芳明:1965年生まれ、福祉事務所を経て、静岡県公立小学校教師)

 

| | コメント (0)

学級崩壊を手助けしても最後は担任が自分で自分を変えていくしかない    塚田 亮 

 経験の豊かな小学校の教師でも子どもが話を聞かず、授業が成立しないことがある。
 今まで学級経営ができていたのに、なぜ急に学級がまとまらなくなってしまうことがあるのだろうか。

 いくつかの学級崩壊の事例を見たとき共通性があるように思う。
 それは教師の指導力の不足であるが、その中でも、教師の特に発言や態度に関することが大きいとみている。

 たとえば、
 子どもの悪口
(欠点)を言う。
 めりはりがなく「YESとNO」を徹底させない。
 子どもの言い分を十分聞かない。
 熱心さ、一生懸命さが伝わってこない。
 といったことが考えられる。

 子どもたちの不満を調べてみると、
「先生が話をよく聞いてくれない」
「一方的にぼくたちだけを注意する」
「いけないことをもっとはっきり言ってほしい」
 といった点に絞ることができる。
 担任に対する不信感が子どもの心の根底にあるようだ。

 この感情を子どもたちの心から拭い去るには、まず子どもと一緒に遊んだり、子どものよい面を見つけてほめてやることから始めてみるとよい。
 次に、子どもの不満や言い分を十分聴く場を持つようにする。
 私は担任と一緒に話を聴いてあげ、励ましたり、自覚を促したりした。
 このための時間を放課後に取った。
 そして、YESとNOをはっきり言うように担任に働きかけた。

 担任と子どものボタンのかけ違いを修正するには、心して一つひとつ基本的な事項を積み重ねていかないと、子どもや保護者の不信感は拭い去れない。
 感情的な対立の溝は、そう簡単には埋まらない。
 自分一人で悩んでいるのではなく、周りの教師や校長・教頭に相談して、早く手を打つことが必要だ。

 学校全体としての支援体制づくりをする。
 子どもと教師との信頼関係の確立と意見表明できる学級づくり。
 正義感や判断能力の育成など、実践すべきことはたくさんある。

 しかし、どんなに周りが手助けしてもできないところがある。
 それは、子どもや保護者、仲間の教師に自分をさらけ出して、自己変革しようとする意志と実践力である。

(
塚田 亮:元東京都公立小学校長)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国語科:読解力を高める読み方とは   中島克治

 読解力を高める読み方について中島克治はつぎのように述べています。
 国語で求められている読解力とは、筆者や登場人物の言っていることや伝えようとしていることに対して、「こういうことを言っている」とか「こういうことを伝えようとしているのだと思う」と、自分なりの言葉で表現できる力です。
 そういう力をつけるには、文章を読みながら「要するに作者は・・・・・と、考えているんだな」と、心の中で言いかえてみるのが効果的です。
 書き手の意図を意識して読むことで、しだいに行間にこめられたものまでも感じられるようになっていくのです。
 この意識的な読書で一番大切なことは、書き手の思いや伝えたいことを「自分なりの言葉で言いかえる」ということ。
 ただ書き連ねてある言葉を抜き出してつなげただけでは、書き手の意図を自分なりに理解したことにはなりません。
 そのためには、文章の具体的な表現や展開にだけとらわれるのではなく、ときにはそこから離れて作品全体を見渡すような行為もまた必要になってきます。
 国語ができるようになりたいのなら、本を読もう。
 これはよく言われることですし、私もそう指導しています。
 しかし、本をよく読んでいるのに国語の成績がよくない子どもがいるのはなぜなのでしょうか。
 たとえば、シリーズものばかり読むなど、読書傾向が偏っていると、それ以外の文章はしっかり読みこめないことがあります。
 また、精読できてない場合も読解力は高まりません。
 受験の読解問題ともなると細かいところが問われます。
 読解問題に出題される文章は、人情の機微や細かい場面設定などが描かれており、そういうところが問われます。
 読解力を育てるためには、できれば名作を中心に、人の心の動きに向かわせてくれるような作品を読んでほしい。
 音読は文章の内容を読み取る練習にもなります。
 読解力を高める方法の一つとして、ぜひ音読も取り入れてみてください。
 作品を精読できているかどうかを確認できるのが音読です。
 発音やイントネーションによって、どこが理解できていないかが、すぐにわかります。
 正しく読む習慣づけが精読できるカギだといえましょう。
 大切なことは、書かれている文字の意味を一つ一つ理解し、正確に読めているかということです。
 書き手の主張にのみこまれてしまうと、客観的な視点が持てず、正確な読解がしにくくなってしまいます。
 適度な距離感(自分なりの考えや視点)を持てるかどうかが、読解力を高めるカギとなります。
(中島克治:1962年生まれ、麻布中学校・高等学校国語科教師。膨大な読書体験と本に対する深い造詣を持って、人間性を育て、深めるための読書の重要性を提唱し、読書への関心を高める指導を実践している)

 

| | コメント (0)

国語科:よい発問を作るにはどうすればよいか   熊谷直樹

 よい発問を作るにはどうすればよいか熊谷直樹はつぎのように述べています。
 国語の授業が苦手な私は、教科書の物語をいくら分析しても授業のイメージはつかめなかった。
 毎日、時間に追われる生活で、明日の授業の準備をする時間も十分に取れない現実がある。それでも、よい授業がしたい。
 発問づくりについて、学んでいくとつぎのようなことが述べられている。
「発問は、教材解釈の後の作業である。教材解釈をすれば、自然に発問が出てくるものでもない」
「教師は、有名教材の発問をいくつも知っておくべきだ」
「授業をするときは、自分の考えた発問と比較してみるとよい」
「すると、今までの授業とは違った展開が見られるはずである」
「力のない教師は追試をして記録を取るとよい」
「発問づくりのトレーニングとして、百回音読すること」
「すべての言葉を辞書で調べること」
「見開きで百問の発問と答えを作ること」
「考えぬかなければ、知的な授業はできない」
「活動でごまかすな、授業は思考によって作られる」
 力のない私には、なかなか発問を作ることはできないが、トレーニングすることで、追試をするときにも新しい見方や考え方ができるようになるだろうと考えている。
(熊谷直樹:岡山県公立小学校教頭)

 

| | コメント (0)

保護者との対応で教師が燃え尽きないためには、どのようにすればよいか

 教師が燃え尽きないためには、日ごろから教師と保護者との信頼関係の形成を図ることが重要なポイントになります。信頼関係とは「この人なら自分の思いや悩みを話しても大丈夫」という関係である。そのためには保護者の関心に寄り添って誠実に傾聴することが何より大切となる。さらに
1 保護者への連絡はていねいに、こまめにする。
2 問題があったとき
 (1)
初期対応が肝心である。迅速かつ誠意ある対応をする。
 (2)
すばやく事実確認をして、説明責任を果たす。
 (3)
問題が広がりを見せる場合には複数の教師で対応する。
 (4)
問題が深刻な場合は、電話や連絡帳は避け、直接会う。
 (5)
具体的な対応策を示さず「様子をみましょう」と言うことはやめる。
3 子どもを育てるために、教師と保護者が「協力し合うパートナーとしての関係」を築く。
4 教師と保護者との「目標を一致させる」ように努める
  
子どもの問題をめぐって、教師と保護者との目標が一致しないと混乱をまねくことがよくある。保護者の訴えを「何が問題なのか」を明確にする。訴えの根底にあるものが、子どもの課題なのか、それとも保護者自身の課題なのかを見きわめる。保護者に病理性の疑いがある場合には、教師が「保護者と関わる距離を定める」ことが、教師の燃え尽きを防ぐうえで重要となる。
5 保護者の訴えの「背後にある思いや願い」に気づく
 常識を超えた要求や攻撃的な訴えの根底に、保護者自身の不安や悲しみが潜んでいることも少なくない。表面的な言葉だけでなく、言葉の背後にあるものに思いを向ける必要がある。保護者の訴えが理解できず消耗感や無意味感が教師に増幅されると燃え尽きることがよくあるので、理解をどう深めるかが重要である。
 教師としての役割から離れ、一人の人間として自己開示して語ることで保護者の気持ちを引き出すことができることもある。
6 教師自身の自己理解を深める
 燃え尽きやすい性格として、
(1)
手を抜けない、責任感が強い、一人でがんばる
(2)
理想に燃え「こうでなくては」という「べき思考」に駆り立てられる
(3)
他者の期待に応えようとするあまり、必要な自己主張を我慢してしまう
(4)
妥協することが苦手
 
ということがあげられる。
 自分が縛られている固定的な見方を点検し、視点を少しずらすことで気持ちが楽になったり周りが見えるようになると、燃え尽き防止につながる。
7 組織的に対応する
 解決できないように見える問題を解決するには、教師集団の知恵を集めることが必要になる。学校で対応できる範囲を超えた問題は、関係機関との連携を検討する。
 カウンセリング的な受容・共感の対応と現実原則に基づく指導的・法律的による対応のバランスをとることが求められる。
 難しい問題には、キーパーソンを明確にし、一人で抱かえ込まずに役割分担して組織として対応していくことが燃え尽き防止の観点からも重要である。 
(
古川 治:1948年生まれ、大阪府公立小学校教師・指導主事・校長、東大阪大学教授を経て、甲南大学特任教授
)



| | コメント (0) | トラックバック (0)

伸びる教師になるためにどうすればよいか   松崎 力

 伸びる教師になるためにどうすればよいか松崎 力はつぎのように述べています。
「さすがにすごい!」と思わせる教師は、何もしないでそうなったのではありません。努力を重ねてきたのです。
 伸びる教師の条件は
(1)全員の子どもを何とかしようと考えている。
 見栄やほめられたいからするのではなく、本当に子どもたちをなんとかしたいという、あたたかさから出ているのです。
 そのために、まず教室の子どもたちの実態を正確に理解することからすべてが始まります。
 実態をつかむと、問題点が見えてきます。それに優先順位をつけて解決をしていきます。
 解決するためには、問題点を身近な信頼できる教師に教わります。
 あるいは、本を読んだり、研究会に参加します。
 そのようにして、子どもへの接し方や授業の原理原則などを学んでいきます。
(2)仕事の責任を回避しない、謙虚である。
 子どもが言うことを聞かない、騒ぐといった原因を、親や前の担任が悪いなどと考えず、できない原因を自分のこととして考えます。
 いさぎよさ、責任感、謙虚さを持っています。
(3)素直な人である。
 素直な人には、他人がいろいろと言ってくれます。他人が経験したことを語ってくれます。いつの間にか成長します。
(4)知的で本をよく読む人である。
 教師の仕事で伸びていこうとする人は、教育雑誌や教育書の単行本を月に何冊も購入して学びます。
 だめな教師は、身銭をきって専門技量を身につけることがありません。教育の情報が狭いのです。
 学ばない教師は伸びません。
 だから50歳になっても新卒程度の腕の教師がいます。
 教師の自分なりのやり方は、だいたい、よくない方法であることが多いのです。
 いかに努力しても、正しく学ばなければ何にもなりません。
(松崎 力:1961年生まれ、栃木県公立小学校教師、新採用時に教育技術法則化運動(TOSS)と出会い、教育技術の開発と教育技能の向上を研究)

 

| | コメント (0)

学級崩壊はどのようにして起きるか、その実態と解決に役立つものとは   大塚美和子

 大塚美和子は学級崩壊を経験した小学校教師5人を調査し分析した結果をつぎのように述べています。
 学級崩壊は、普通の困難なクラスを経験するよりも数倍、精神的・肉体的なしんどさがある。
 クラスの崩れはあっという間に生じる。よほどでない限り、誰にでも起こる現象である。
 多くの教師は明日はわが身と思うほど、学級崩壊は身近な問題となっている。
1 クラスが荒れていくプロセス
 学級崩壊が生じるときには、クラスの子どもがお互いに心が開けない、グループ間の足の引っ張り合いがあるといった希薄な人間関係と担任に対する不信感が前提として存在している。
 そして学級崩壊の引き金になるのは、いじめなどの問題が生じたときである。
 親の離婚・家庭崩壊・厳しい躾・過酷な受験などといった家庭の問題を抱えた、安らぎや行き場のない気持ちを持った子どもが、他の子どもたちにストレスの矛先を向け、問題行動が広がり、やがて学級崩壊へと進んでいく。
 担任が制止しようとするときに、子どもと担任との間の気持ちのズレやボタンのかけちがいが学級崩壊のきっかけになる。
 子どもたちの反発が重なり、やがて担任の力では抑えることができなくなり、問題が多発し、どんどんクラスが崩れ、学級崩壊になる。
2 担任が荒れに対処していくプロセス
 クラスに問題が生じたとき、担任がクラスの規律を守ろうと子どもたちを指導するときがきっかけになり、学級が崩壊へと向かう。
 安らぎや行き場のない気持ちを持った子どもは、担任に反抗しながらも受け止めてほしいという気持ちがある。
 反発と甘えの気持ちを担任にぶっつけてくる。
 手こずらせている子どもほど、本当は、気持ちを受けとめてくれる手ごたえのある担任を求めているのである。
 しかし、「子どもはこうでなくてはいけない」、「子どもを枠のなかにはめないといけない」といった「ねばならない」という教師特有の思いが強くでてしまうと、担任の指導に子どもはますます反発する。
 担任は、クラスを立て直すために問題を起こす子どもを受容する努力を試みるが、その際に重要なポイントになるのが、同僚の教師のサポートである。
 同僚の教師のサポートは、学級崩壊を乗り越えていけるかどうかを左右する。
 やがて、担任のエネルギーが枯渇し弱っていくと、子どもたちを受容したりコントロールすることに限界を感じるようになってしまう。
3 学級崩壊と向き合うときに受けるダメージ
 学級崩壊を経験した多くの教師がどん底の体験し自信を喪失する。
 教師失格どころか人間失格とまで思ってしまう。
 身体の異常やうつ状態など心身の崩壊へと追い込まれる。
 そして、学級崩壊の記憶が頭から離れずトラウマとなる。
4 価値観の変化
 学級崩壊の経験は、一人の教師として、人間として、自分の生き方、教育観をも見つめなおす、自分と向き合う機会となる。
 子どもの行為には思いがあり、そこの裏にある思いをつかむこと。
 逆に、子どもは、これだけわけのわからない人間にもなれるということなど、子ども観の変容が生じる。
5 担任を支えるシステムが必要
 学級崩壊を担任個人の力量の問題だけにするのではなく、担任を支える協働の働きを行うシステムが必要である。
 学級の荒れは多くの担任が直面している問題である。担任を精神的にも心理的にも、実際的にも支えるようにやっていかないと、学級崩壊はなくならないだろう。
 学級崩壊の解決に役立つものは
1 スクールソーシャルワーカーの支援を得る。
 校内の教師だけでは煮詰まってしまうことがある。スクールソーシャルワーカーなど外部の人に入ってもらうことで、新しい視点で状況を打開することができる。
 クラスの人間関係マップの作成、Q-U調査などをスクールソーシャルワーカーなどの協力を得て実施して分析する。
2 学校が組織的に取り組む。
 クラスの壁をなくして学年教師全体でかかわるようにする。
 担任、学年教師、管理職が一致団結して組織的に取り組む。
3 保護者に協力をお願いする。
 学校(担任)と保護者の信頼関係は最も重要である。
 保護者に理解を得るように努めながら協力をお願いする。例えば、
 子どもは本来、ほめてほしいと思っているものだ。
 子どもの良いところを親に書いてもらって、クラスに掲示する。
 学校行事の準備を親にも手伝ってもらう。
 親に学級を自由参観してもらって、良かったことを書いてもらう。
 教室に花を飾るなど美化に自主的に協力してくれる親をさがす。
4 保護者会を開催して親の理解と協力を得るようにする。
 保護者会を開催して親の理解と協力を得るために、スクールソーシャルワーカーに客観的な立場で参加してもらい、学校と保護者がボタンのかけちがえが生じないように仲介してもらう。例えば、つぎのような話をしてもらう。
(1) 親は問題点ばかり目を向けないで、学級が落ち着かないなかで学年の教師が遅くまで対応を協議し努力していることに注目してほしいこと。
(2) 学校の対応だけでなく、子どもたちの人間関係や、家庭で重たい生活をしている子どもが学級崩壊の背景となっていることを客観的な情報として話してもらう。
 子どもにとって家庭で居心地のよい場所である必要性を考えてもらう。
5 小さな変化にも目を向ける。
 問題点だけでなく、小さな変化にも目を向けていくと、見落としていた変化に気がつき、新たな問題解決の発見につながることがある。
6 子どもに協力をしてもらう。
 クラスの問題解決に役立ちそうな子どもをさがして協力してもらう。
7 学生などのボランティアの協力を得る
 教室に入ってもらうと、子どもたちは学生ボランティアと遊べることを楽しみにすることがある。
(大塚美和子:大阪府教育委員会スクールスーパーバイザー、神戸学院大学総合リハビリテーション学部准教授)

 

| | コメント (0)

教師は子どもたちと信頼感のある人間関係を築き自己変革を求め続ける生き方を   近藤昭一

 子どもの変容を図るには、まずもって教師は自ら子どもとの関係を、深い相互理解に支えられた互いに認め合う信頼感に満ちたものにしていく必要があります。
 教師と子どもとの間に信頼関係ができると、子どもに自信を与え、友人関係など他の人間関係に対しても有益な作用力をもたらします。
 こうした信頼感のある人間関係を教師と子どもの間に少しずつつくりあげ、積み重ねることによって、子どもは自己の尊さを再認識して、自分づくりを始める力を得ていくのです。
 まさに、この自分づくりこそ、生徒指導の目的なのです。
 しかし、教師と子どもの間の深い相互理解に支えられた信頼関係は、そう簡単に築けるものではないことはよくおわかりのことと思います。
 教師はそのためには、どうあるべきなのか。
 そのためには教師は人格の完成を求めて、常に自己変革をし続ける必要があります。
 問題行動を起こす子どもたちを内心で嫌い避け、良くない子どもと評価することは教育ではありません。
 子どもたちの問題行動が発生して学級が混乱に陥るような場面こそ、大きな教育チャンスのはずです。
 これまで教師が子どもたちと築いてきた人間関係を試され、その人間性が問われることにほかなりません。
 教師という職業は、自己の不適応を自覚できず、他人の状況が理解できず、他人の気持ちや考えを受け入れられない傾向が見られます。
 そして、自分の得意な範囲に子どもを合わせさせて、自己の有能感を感じようとする傾向が見られます。
 こうした傾向は、自分で殻をつくり、その殻を固くして閉じこもり、狭い範囲を完全と思い込んでしまう、いびつな姿といえます。
 このような姿は、教師が人格の完成を求め、常に自己変革をし続ける存在からかけ離れてしまっています。
 教師は、子どもたちの葛藤や悩みをむしろ歓迎する姿勢が必要です。それを貴重な教育機会として生かすことが重要です。
 今の時代は、関係性の希薄さ、コミュニケーションの乏しさ、客観的な自己認識が形成されにくい状況が広く見られます。
 教師は子どもたちとの関係性が子どもの人格の形成を支えていることを自覚して、日々、子どもとの関係性や社会とのかかわりにおいて、自己の人間性を鍛え、自己変革を求め続ける生き方を貫いてほしいと私は考えています。
(近藤昭一:1951年生まれ、22年間横浜市立中学校教師、同校長、教育委員会部長、横浜市教育センター所長、玉川大学客員教授を経て神奈川大学特任教授)





| | コメント (0) | トラックバック (0)

学校の危機管理をどのような心構えで解決すればよいか    近藤昭一

 学校の危機管理をどのような心構えで解決すればよいか近藤昭一はつぎのように述べています。
 学校の危機が起きたとき、逃げずにリスクを覚悟する責任感がまず必要である。
 危機管理の行動の出発点は、情報の収集である。
 そこから導き出す、事実の把握(情報や事実からから見えてくる問題点)である。
 この初動の二つの段階は重要で、この段階の失敗は取り返しのつかない事態を招き、学校が社会的信頼を一気に失ってしまいます。
 この段階で、学校はいかに多くの情報を集め、迅速に事実を把握するかが、まさに勝負である。
 これを乗り切る組織行動力と校長の先を見通すセンスが明暗を分けることになります。
 事実把握によって問題点が見えてきた段階で、子どもを第一とする対応目標の設定を行います。
 重要度や緊急度を判断して優先順位を指定していきます。
 この対応目標に応じて、対応計画を立てます。
 プライバシーの管理や警察判断優先など、対応の原則を確認し、本部が具体的な行動を指令して組織行動が行われます。
 ここで重要なことは、相手の反応や状況の変化、新しい情報の取得などによって、対応目標の検証と修正が柔軟に行われなければならないことです。
 組織行動を継続して、事態の収拾、問題解決を実現するようにします。
 問題が解決したあと、なぜ、このような危機が発生したのか、その要因は何か、これまでの不備は何か、などを振り返ります。組織や対応、教育活動の見直しを行って、再発防止策を打ち立てます。
 学校の危機が発生したとき適切な本部判断が成り立てば、
「当該の子どもや家族へのケアや対応」
「他の関係する子どもや保護者への対応」
「教育委員会への報告や相談」
「マスコミへの対応」
「関係機関や地域社会との連携・協働」
 など、必要な対応は円滑に進行していきます。
 こうした場面で校長に求められることは、
「適材適所の職員配置」
「問題の核心を見ぬく力量」
「学校が負うべき責任は自ら進んで負うという覚悟」
「当該の子どもをはじめ、すべての関係者に対する誠実な対応姿勢」
 です。
 ことなかれ主義で逃げることは社会的な信頼失墜に直結するものであり、なによりも誠実な対応が求められます。
 どのような危機場面であっても、子どものために最善を尽くし、子どもの幸福につながる行動をとり続ける。
「子どもを第一とする判断」に学校の存在意義がある。
 このことを信念とすることができている教師の人間性が、多くの人々の理解と問題解決を獲得する切り札になるのではないでしょうか。
(近藤昭一:1951年生まれ、22年間横浜市立中学校教師、同校長、教育委員会部長、横浜市教育センター所長、玉川大学客員教授を経て神奈川大学特任教授)

 

| | コメント (0)

読書指導で子どもは変わる   杉本直美

 今までの読書指導の多くは国語科の教材の読み、特に文学作品の読みに偏重し、自立した読み手をいかに育てるかという視点に欠けていた。
 読解指導のあと、主人公の気持ちを考えたり、主題を考えたりすれば読書指導であるという授業がいまだに見受けられる。
 読解力が向上すれば、読書行為に転移するものではない。
 何のために読むのか、それが自己形成にどのようにかかわるのか、そのことを子どもたち自身が実感しない限り、主体的に読むという行為は生まれない。
 そこで重要になるのが読書生活である。
 読書生活というのは、本や新聞、雑誌などを始めとした実生活における多様な媒体から情報を得て、必要に応じて選択し、組み替え、創り出し、将来へとつなげていく日々の生活である。
 読書という行為や読書生活そのものを取り上げて教材化し、子どもたちと共に考え、創り出していく。
 そうすることでこれまでとは違う読書指導の姿が見えてくるだろう。
 例えば、国語の授業のとき、教科書の物語を読み合うことの面白さは、互いの考えの交流による新たな発見や考えの交流にある。
 読書指導で、「クライマックスはどこか」という明確な課題意識をもって物語を読む。
 その上で、今までの読書生活の中で読んだ本の中から一冊を選び、クライマックスを中心に作品を紹介し合う。
 過去に読んだ作品を、授業で取り上げた作品と比較しながら紹介するという学習は、過去に読んだ本を再読することになる。
 目的をもって読むという活動が展開される。
 自分の読書生活の現状を意識させるとともに、今後の読書生活の広がりへの期待を込めての学習活動でもある。
 家で読書をしなかった中学生の子どもが読書指導をきっかけに、変化した感想を次のように述べています。
「読書をしてから、やっぱり生活は変わってきたと思います」
「テレビを見る時間は本を読む時間にかわりました」
「本屋に行っても新刊はチェクするようになりました」
「好きな作家も見つけ、本を読む時間と考える時間が増えたと思います」
「何か細かいことに目がいくようになりました」
「前はボーッと眺めていただけのものを『なんで?』『どうして?』と考えるようになりました」
「なぜかは分かりませんが、本を読み始めてから私の生活は変わりました」
 子どもたちは自ら自立した読み手として、自信をもって、これからの社会を力強く生きていくことができだろう。
(杉本直美:1966年生まれ、川崎市立中学校教師を経て、国立教育政策研究所 学力調査官・教育課程調査官)

 

| | コメント (0)

« 2021年6月 | トップページ | 2021年8月 »