教育を「注入・受け身」から「支援・自律」に乗り換えることが問われている 福田誠治
教育を「注入・受け身」型から「支援・自律」型に乗り換えることが問われていると福田誠治はつぎのように述べています。
週刊誌「AERA」に子育ての話が載っていた。子育ては「五感を使って親子で楽しむこと」を重視したものだ。
たとえば、童謡の本があれば親子で一緒に歌い、歌に合わせてピアノの鍵盤をたたき、白黒の挿絵にはすべて色を塗った。
スーパーマーケットに買い物に出かけるときには「今日探し」をしながら歩いていく。「昨日と違うもの」を見つけるのだ。
名前を覚えるよりも、名前も知らない雑草などに目を向けて「新しい世界」を大切にしたのだという。
子どもには探求力なり観察力を養っていることになる。
「ただ娘と一緒に遊ぶことが目的でした。私自身が、非常に楽しかったんです」
と、母親は回顧している。
母親は、子どもが二歳になると、近所の図書館で月20冊の貸し出し限度いっぱいの本を借りてきて「読み聞かせ」をした。
文字を追うだけではなく、登場人物になりきって、二人で歌い、体を使って演技し、ことばの意味を体現した。
文字を優先せずに、事物に触れて感動することでイメージをわかせた。
また、子育てを楽しむ大人を見て、子どももまた人生を楽しむように育ったのかもしれない。特別な子育てというわけではない。
私たち多くの親は、逆のことをしていないか。
子どもにはおもちゃを買い与え、子どもの学びの習慣形成に無関心で、学校に期待をかけ、足りないとなれば塾にたよる。
子どもは意欲が少ないまま進学し、いつまでも自立せず、学力不足のまま社会に出ていく。
今の日本人の教育に対する考え方がゆがんできている。
学力は商品に似て金で買うものという考えが普及してきた。
学力は自分のために修業によって自らが学びとるもので、学力は血となり肉となって自分自身を作るものという考えが消えつつある。
日本の子どもたちには、教育は他人から与えてもらうもの。
自分の生活や生き方と関係なく自分の外で、自分とかかわりなく決まっているという感覚が強い。
自分から苦労して学び取るものという積極性がなくなってしまっている。
個性の多様な能力が生かされていない。
学びの実感を持てなくなっているとも言えるだろう。
テストが横行すれば多くの子どもは自尊心を傷つけられるだろう。
だとすると、答えを支援する教育から、子どもの学びを支援する教育へと、日本人の教育観を組み替える必要がある。
人生の扉を開けるのは、子ども本人であって、大人が先に開けてしまってはいけない。
今こそ教育ソフトを「注入型」から「支援型」に、学習ソフトを「受け身型」から「自律型・自立型」に乗り換えることが問われている。
(福田誠治:1950年岐阜県生まれ、都留文科大学教授を経て同大学理事長。専門分野は「近代化と人間形成、とりわけ言語と能力形成」)
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