他人と過去は変えることができない 安次嶺敏雄
他人と過去は変えることができないと安次嶺敏雄はつぎのように述べています。
学級担任として、目の前にいる子どもたちが学習や遊びに取り組むようにするには、どこから、どのように手をつけていいのか苦悩の連続であった。
しかし、早く何とかしなければと焦れば焦るほど、問題は一層泥沼化し、小言や叱責が多くなり、子どもたちは私から一人、二人と離れていき、孤立無援の状態になることが度々あった。
そんなとき、経験豊富な生徒指導主任は、私の一部始終を見ていたかのように、たった一言、
「『他人と過去は変えることはできない』という言葉があるよ」
と、何気なくつぶやいた。
初めのうちは、その言葉の意味がよくわからなかったが、生徒指導の本を貸してもらったり、雑談を交わすうちに、少しずつ理解できるようになった。
子どもに対する私の要求や思いがあまりに強く前面に出て、一人相撲となり、子どもを追い詰め、自分自身をも窮地に落とし入れたのではないかと気づいたのである。
子どもの問題行動が起きたとき、担任として一気に解決を図りたいという思いが強い。
私はこの思いを長年胸に抱きつつ、注意・説教・約束など、あらゆる方法で解決に取り組んできた。
ところが、結果的に問題解決につながったものは、なかったように思う。
人は脅しや約束、説教で変わるものではない。
子どもにすれば教師との約束は一時しのぎに過ぎない。
その後の子どもたちの行動を見れば火を見るより明らかである。
つまり、外からの圧力や指示よりも、自尊心や人間性など内面への働きかけが、いかに有効であるか、身を持って痛感させられた。
人間は、指示や命令で変わるものではなく、子どもといえども、人格と人格、魂と魂のふれあいによるものでなければ、人は変わるものではないことを、失敗や苦悩する中から、やっと気づき始めた。
教師としての思い上がりが、ときとして子どもへの指導という名の一方的な強制であったり、押しつけであったりしていないか、反省している。
子どものあるがままを受け入れ、内面を理解して自己変容を図るという、教育相談的な手法について、気づかせてもらった。
いい先輩教師とのめぐり合わは、教師としてラッキーだったと感謝している。
(安次嶺敏雄:元沖縄県公立小学校校長)
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