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2021年8月に作成された記事

子どもたちに必要なのは見つめられる存在から見つめる存在への転換   土井隆義

 今の若い人たちの自己肯定感の基盤になっているのは、ルックスが良いとか勉強ができるとかではありません。
 人間関係に恵まれていることです。
 ある企業の調査によれば、女子中高生の84%が日々ストレスを感じていて、ストレスの原因で一番多いのが「同級生との人間関係」です。
 人間関係に不安を抱えています。
 友だち関係の中でお互いに空気を読んで、不安を抱かえながら、相手から受け入れられるようなキャラクターを演じながら人間関係を営んでいます。
 若い人たちは、常に自分を見てもらいたい、受け入れてもらいたい、承認されたい、と不安を抱かえています。
 独りでいることが非常に不安になってきている。
 そういう子どもたちにとって、まず必要なのは、「きちんと見ているよ」という承認を与えることが大切である。
 しかし、「もっと見てよ」という気持ちはどんどん肥大していきます。
 どこかで、まなざしの転換が必要です。
 「見つめる存在」への転換です。
 見つめられる存在から、他者を見つめる存在。
 つまり他者にとって自分が役に立つ、自分が必要とされる存在になることです。
 自分が必要とされる側に回ることができれば、これほど強い自己存在感の基盤はありません。
(
土井隆義:1960年山口県生まれ、筑波大学社会科学系教授。専門は犯罪社会学、法社会学、逸脱行動論、社会問題論)

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道理に則って行動すれば価値のある一生を送ることができる    渋沢栄一

 私は裸一貫から今日に至った。東京に出てからは埼玉県の実家から補助なしで自分の努力でやってきた。
 私は実業家だが、大金持ちになることは悪いと考えている。
 財産という無価値なことに向かって一生を葬ってしまうより、実業家として立とうとするならば自分の知識を活用し、主義に忠実に働いて一生を過ごせば、そのほうがはるかに価値のある生涯である。
「金はたくさん持つな」「仕事は楽しくやれ」という主義だ。

 成功、不成功は人間行為の基準ではなく、忘れてはならないものは行為の善悪である。
 私は行為が道理(物事の正しいすじみち。人として行うべき正しい道)に外れないものにするべく努力してきた。

 人がこの世に生まれて来た以上、自分のためだけではなく、何か世のためになるべきことをやる義務があると私は信じる。
 人は生まれるとともに天の使命をうけているのである。

 仕事をやり遂げる基本は、小事ほどおろそかにしないこと。
「ライオンはウサギを追うにも全力を用いる」との諺のように、小事を軽視せず、心を集中して臨めば、間違いは起こらない。
 私は、どんなことでも軽率にしてはならないと戒めている。

 人は知識を磨き、徳行を修め人道(人として守り行うべき道)を大切にして努力すれば、真の幸福はかならず身辺に集まるだろう。
 武士道の真髄は、
「正義」:人の道にかなっていて正しいこと。
「廉直」:心が清らかで私欲がなく正直なこと。
「義侠」:正義を重んじ、強い者をくじき、弱い者を助けること。
「礼譲」:礼儀正しく、へりくだった態度をとること。
 などを合わせたものである。
 実業者にもまた武士道が必要なのだ。
 不正を行ってまで私利私欲を満たそうとしたり、権勢にこびへつらって栄達を図ろうとしたりするのは、生き方の基準を無視したもので長続きはしない。

 真の成功とは、道理に欠けず、正義に外れず、国・社会を利益するとともに自己も富貴に至るものでなくてはならない。
 現代の人はただ成功とか失敗とかを眼中に置いて、それよりももっと大切な天地間の道理を見ていない。
「天道」:天然自然の道理。
 はいつも正義に味方するものである。

 運命をとらえるのは難しい。
 とにかく、人は誠実に努力して運命を待つのがよい。
 もしそれで失敗したら、自分の知力が及ばないためとあきらめ、また成功したら知恵が活用されたとして、成功失敗にかかわらず天命として受け入れるといい。
 このようにして、敗けてもあくまで努力するならば、いつかはまた好運命に出会うときがかならず来る。

 人生の行路はさまざまであって、同じように論ずることはできない。
 まず自ら誠実に努力するとよい。
 公平な天はかならずその人に幸いして、運命を開拓するようしむけてくれるだろう。

 人は何よりもまず道理を明らかにしなければならない。
 道理は終始はっきりしているから、道理に従って事をなす者はかならず栄え、道理に逆らって事を図る者はかならず滅びる。

 一時の成功とか失敗は、長い人生においては泡沫のようなものである。
 そのようなうわついた考えは一掃し、社会に役立つ実質ある生活をするべきだ。

 成功失敗の外側に立ち、道理に則って行動するならば、はるかに価値のある一生を送ることができる。
 いわんや、成功などは、人間としての務めを全うした後に生じる「酒のかす」のようなものだから、気にかけるに及ばないではないか。

(
渋沢栄一:1840年-1931年、幕臣、官僚、実業家。一橋家に仕え、欧州各地を視察、大蔵省官僚を経て、実業に専念し第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立(500社以上)・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。社会・教育・文化事業にも力を注いだ)

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親が子育てで陥りやすい傾向と気を付けなければならないこと     菅原裕子

1 子どもに依存する親
 子どもに依存している親は人生の喜びを子どもに求めてしまいます。
 親は「子どもに押しつけている」とは気づいていません。
 子どもの生き方や人生を指図する権利は親にはありません。
 成功している親は「こうあるべき」と型にはめようとします。それは間違いです。
 子どもにかなえたい夢があるなら、親はだまって背中を押し「困ったことがあればいつでも相談しなさい」と声をかけるべきでしょう。
「自分の人生は幸せでない」と感じている親は、「この子だけは幸せになってほしい」と言います。
 自分ができなかったことを子どもに託し、子どもを自己実現の道具としようとします。
 子どもには子どもの人生があります。親は環境を整え、その才能が開花するまで見守ればそれでいいのです。
2 自我に執着する親
 思春期の子どもは、親が意見を言うと反抗することはあるでしょう。
「口ごたえするな」「ちゃんと聞きなさい」と血相を変えて叱る親がいます。
「こけんに関わる」「なめられてたまるか」という親の考えかたは、怖れに基づいています。
 子どもをコントロールできなくなることに対して恐れを抱いているのです。
「自分は親としてこうあるべき」という考えに執着している親は、あるべき姿からはずれることを恐れます。
 だから、押さえようのない怒りの感情が湧きあがります。
 自分に自信のある自立した親なら、子どもに反論、無視されても平気です。
「あれっ、言い返し手きたぞ。無視したな」と冷静に受け止め、一歩引いて対処できます。
 自分の考えを伝えるチャンスを待つこともできるのです。
3 被害者意識が強い親
 子育てがうまくいかないとき、責任は自分以外にあると主張します。
 ささいなことを必要以上にとらえ、問題を大きくしてしまいます。
 たとえば、子どもが「学校で叱られた」ことを知らされた被害者意識の強い親は、まるで自分の子育てを否定されたように感じて「うちの子のどこが悪いのかきちんと説明してください」と教師につめよるケースに発展してしまいます。
 このような場合は親の「認知のゆがみ」(ものごとを認識する基準にゆがみがあること)を疑ったほうがいいかもしれません。
「認知のゆがみ」とは
 「認知のゆがみ」は特殊なことではないので私を含め、自分にあてはまる人はたくさんいるでしょう。例をあげると、
(1)
「白か黒か」の二者択一で処理する
 ほとんどの事実は、その間のグレーゾーンに存在するものです。
(2)
過度の一般化
 ひとつ悪いことがあっただけなのに「いつものことだ」と考える傾向。どんなことでも否定的にとらえるようになるので気分は晴れません。
(3)
心にフイルターがかかる
 ひとつのことにこだわって考えるあまり、ほかのことが見えなくなる状態。
(4)
拡大解釈と過小評価
 自分の失敗や欠点を拡大解釈し、成功や長所を過小評価してしまいます。
(5)
感情的決めつけ
 自分の感情で物ごとを判断してしまう。
(6)
マイナス思考
 すべてを「悪いこと」にすり替えてしまう。
(7)
結論の飛躍
 思い込みで、現実とはかけはなれた悲観的な結論を出してしまう。
(8)
「~すべき」思考
 何かをやるとき「~すべき」と考え、その基準に無理に合わせようとすることで、自分を追いつめてしまいます。
(9)
レッテル貼り
 失敗したとき「自分は能力がない」とレッテルを貼ってしまう傾向。冷静な判断ができなくなります。
(10)
自分のせいにしてしまう
 トラブルが発生したとき、責任がない場合でも自分のせいにしてしまう傾向。
「自分がもう少し努力をしていればこんなことにならなかった」と考えます。
 では、どのようにすればよいのでしょうか。
 認知がゆがんでいると、ひとつの考え方にとらわれてしまいます。
 ものごとは負のスパイラルに入りやすく悪いほうへと流れていきます。
 そんなとき、救いようがないように感じられますが、じつはそれはひとつの見方でしかないのです。
 ものの見方が変われば、現実と思っていることが変わってきます。
(
菅原裕子:人材開発コンサルタント。()ワイズコミュニケーション社長、NPOハートフルコミュニケーション代表理事。仕事の現場で学んだ「育成」の考えを子育てに応用して「ハートフルコミュニケーション」を開発し、親の子育てや自己実現を援助する活動をしている)

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子どもとの関係に苦労している親は自立した考えを持っていないのではないか   菅原裕子

 子どもとの関係に苦労している親の話を聞くと、多くは親自身が自立した考えを持てないことから発した問題のように思います。
 あなたは親として自立しているか、つぎの項目に答えてチェックしてみてください。
(1)
子どもの気持ちを無視して自分の気持ちを押しつけることはない
(2)
うまくいかないことがあったとき、人のせいにせず自分で解決策を探れる
(3)
子どもと話をするとき、腹をたてたりしないで自分の気持ちをコントロールできる
(4)
子どもは「自分は親から自立している」と感じている
(5)
親として、子どもの将来について冷静に話し合える
(6)
親は自分が「子どものモデルだ」ということを理解している
(7)
親として「自分は子どもとの葛藤や対立を恐れない」と言いきれる
(8)
子どもとは日頃から、対等な立場で互いに理解し合えるコミュニケーションをとっている
(9)
子どもの未来と親としての自分の夢の実現は別のものであることを知っている
 どうですか? 大人として、親として自立している人ほど「イエス」と即答できたのではないでしょうか。
「ノー」がたくさんあった人にとっては、今がスタートです。

「子育ては親育て」などということをよく言います。
 親子は鏡です。

 子どもを自分という鏡に映して見たとき、子どもの問題と思えたものが自分に映し出されます。
 子どもが引っ込み思案だと嘆く親は、子どもを勇気づけなかったのかもしれません。
 子どもが乱暴だと困る親は、子どもにやさしさを教えなかったのかもしれません。
 子どもの自信のなさに不甲斐なさを感じる親は、子どもが愛されていることを伝えきれなかったのかもしれません。
 子どもが勉強しないと困る親は、子どもに勉強の仕方を教えなかったのかも知れません。
 子どもを何とかしようとする前に、親が自分に気づき、自分のやり方を変えることで、子どもにも変化をもたらすことができます。

 それこそが親の自立ではないでしょうか。
 自分が自立していないことに気づき、自立するための努力をすれば、よりよい親子関係を築くことができるようになります。
 親の自立は、同時に子どもの自立を促します。

 親が自立するとき、子どもは安心して自分の道を始めます。
 今、ほんのちょっと立ち止まって、自分を見つめてみませんか?
(菅原裕子:人材開発コンサルタント。(有)ワイズコミュニケーション社長、NPOハートフルコミュニケーション代表理事。仕事の現場で学んだ「育成」の考えを子育てに応用して「ハートフルコミュニケーション」を開発し、親の子育てや自己実現を援助する活動をしている)




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教師と子どもをつなぐにはどのようにすればよいか 椙田崇晴

 教師と子どもの人間関係をつくるということは、信頼関係を築くということです。
 演出と誠実さがポイントです。
1 演出
 演出はつぎのようなことが考えられます。
(1)
語りの場を設ける
 「語り」とは、教師と子どもとの距離を縮めるために必要なものです。
 子どもを指導するために演出した「語り」が必要になります。
 例えば、朝の会で、教師自身の考えや思いを一つだけ語るようにします。
(2)
場の設定
 教師と子どもをつなぐ場の設定とは、子どもと信頼関係をつくることです。
 子どもたちは、教師から信頼されていると感じたときに、教師に信頼感を抱きます。
 そのために、子どもと話し相談にのる場を設定します。
 子どもと話をすることで、その子にどういう問題があり、どういう思いをもっているのかがわかります。
 そして、教師はその思いに真剣に応えようとします。
(3)
教育的な関係を築く
 教師と子どもは同じ立場ではありません。
 教師は、一種のカリスマ性も必要なのです。
 子どもたちに「さすが、先生だ」と思わせることが信頼につながります。
 教科の指導や趣味でもよいでしょう。
2 誠実さ
 教師の誠実さとは、つぎのように本気で子どもと向き合うことです。
(1)
響き合う対話をする
 子どもの、関心や気持ちの動揺、求めていることをきめ細かに受けとめ、交流が深まるよう、明るく肯定的に話し合う。
(2)
存在感を尊重する
 子どもの学習の小さな成果や、子どもが役割を果たしたときは、見逃さずほめる。
 子どもを信頼して、できそうな仕事や問題をまかせてやらせる。
(3)
子どもへの関心をよせる
 ふだんから、子どもに気軽に励ましの声をかける。
 健康や学習の悩みに気づかって声をかける。
 おもしろい話題や楽しい話題に耳を傾けて喜び合う。
 私は、このような対応を心がけてきました。
 すると、子どもとの距離がぐっと近づいていくのが感じられました。
 教師と子どもをつなぐときに、大切にしたいものがあります。
 それは、教師が「自分を開く」ということです。
 教師が心を開くと、子どもたちも心を開いてくれるようになります。
 私は、
「子どもたちに夢や失敗談を語る」
「いつも笑顔やユーモアをもって接する」
「子どもたちと元気に遊ぶ」
 ことによって、自分を開くようにしてきました。
(
椙田崇晴:1959年福岡県生まれ、山口県公立小学校長。福岡県・山口県で小学校教師、特別活動の実践に取り組む。「学級活動ネットワーク」実行委員、「中国学級活動ネットワーク」・「山口学級活動ネットワーク」を設立)

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よりよい学級づくりのために集団活動に必要な力を育てる   椙田崇晴

 よりよい学級づくりのために集団活動に必要な力を育てることについて椙田崇晴はつぎのように述べています。
 学級は日々成長していくものです。
 そのためには必要な力を育てていくことが大事です。
 よりよい学級をつくっていくためには、集団活動に必要な力を一人ひとりの子どもに育てていかなければなりません。それには
(1)人間関係をつくる力
 相手の考えや方法を受け容れる力。
 仲間との組織を活用していく力。
 楽しい学級生活を送るために、友だちと協力していく力。
(2)話し合いで問題を解決できる力
 目的を達成させる力。
 決められた役割をやり遂げる力。
 考えの比較から自他のよさを知り、考えを修正したり改善したりする力。
(3)進んで学級づくりにかかわる力
 新しい考えを発想する力。
 学級生活の向上のために質の高い考えを生み出す力。
 目的達成のための方法を考え自主的に計画を立てる力。
 身の回りの出来事から学級の問題を見いだし提案する力
が必要です。
 このような力を育てるために、最も有効な方法は「イベント活動を仕組む」ことです。
 そのための活動づくりは
(1)みんなのためになる活動づくりであること
 どうしてそのイベントをやりたいのか提案に隠れている学級の問題点を明らかにして、そこからイベントの思いを引き出すのです。
 提案理由が明確になったら、イベントの名前を「めあてが見える」ものにします。
 計画を話し合うには時間が足りなくならないように、めあてに関連したものだけを話し合うようにします。
 例えば「男女が仲よくなるドッジボール大会」であれば「チーム分け」と「練習期間」を柱にするとよいでしょう。
(2)自分たちでつくる活動づくりであること
 大切なことは、全員がイベントにかかわるようにすることです。
 話し合いをするときは、企画の内容を事前に掲示しておき、全員が意見をだして話し合いに参加できるようにする。
(3)失敗を生かした活動づくりであること
 イベント活動は一回目からうまくいくとは限りません。
 子どもたちに「失敗を生かしていく」力を育てていく必要があります。
 そのためにイベントの「振り返りを行う」ことと、学級の目標をイベントのめあてとして位置づけ「継続化を意識させる」ことに取り組みます。
(椙田崇晴:1959年福岡県生まれ、山口県公立小学校長。福岡県・山口県で小学校教師、特別活動の実践に取り組む。「学級活動ネットワーク」実行委員、「中国学級活動ネットワーク」・「山口学級活動ネットワーク」を設立)

 

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数学科:私にとって数学の授業とは何か   玉置 崇

 私にとって数学の授業とは何か玉置 崇はつぎのように述べています。
 若い教師から「授業とは何でしょうか」という質問を受けました。
 授業とは、その時間で一番大切なこと、学ばなくてはいけないことを、
「生徒が自ら気づき、発言する」
「生徒が教師の指導により気づかされ、発言する」
「生徒が仲間との学び合いにより気づき、発言する」
 のが授業である。
 大切なことを生徒が自ら気づき発言するのは、大変なことだと思われるでしょうが、ほんのささいなことでもよいので、生徒に発言させ話させるのです。
 それを積み重ねるのです。
 例えば「正の数・負の数」の単元で数直線について学びます。
 大切なのは、数直線を0から左の方へ延ばせば、0より小さい数も数直線上に表すことができる点を教師が説明してしまわないで、生徒に気づかせるのです。説明させるのです。
教師「この数直線を0から左に延ばすよ。どんないいことがあると思う」
生徒「負の数が書ける」
生徒「0より小さい数が書ける」
生徒「左へ行くと小さい数になる」
生徒「ものすごく小さい数もある」
 このように、生徒に気づいたことを自由に発言させます。
 そして何人かの生徒の発言を重ねるのです。
 そうすることで、自ずと押さえておきたい大切な事柄が浮き彫りになっていきます。
 こうした過程を積み重ねることで、生徒は発言することに自信をもち、自ら数学を語ることを楽しむようになります。
 それに、私は、ふと数学授業でいつも説明するときにとっている手段を思い出しました。「他と比較しながら説明する」のです。例えば、反比例のグラフだけを見ていては、なかなかその特徴は見えてきません。比例のグラフと比較して特徴をとらえさせた方がよくわかります。
(玉置 崇:1956年生まれ、愛知県公立小中学校教師、教頭、校長、愛知県指導主事、教育事務所長を経て岐阜聖徳学園大学教授)

 

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叱るときに考慮すべきことは何か    大塚賢二

 どの方法が生徒指導で効果的なのかは、やはり、指導される子どもの性格や状態によっても違うし、指導する内容や回数によっても変わってくるだろう。
 子どもの状況をよく観察しながら、ベターだと思われる方法を選んで行わなければならない。
 強く指導しなければならないこと、優しく指導した方がいいこと、強く指導してから時間をかけて見守りながら指導しなければならないことがある。
 また、全体に指導した方がいいこと、個人に指導した方がいいこと、などがある。
 ただし、「強い・厳しい」指導をしてから、「弱い・優しく語りかける」指導にすると子どもの気持ちも落ち着いて、指導される子どもも納得し、指導する教師も心がスーッとする終わり方ができる。
 しかし、その逆になると、指導される側には怒りや反発の感情が芽生える場合が多い。
 また、複数の子どもが関係する問題に対する指導は、まず「個別に指導」してから最後の最後に、まとめとして「全員に講話」のようにまとめるのはよいが、逆は、誰が何を言ったのか他の子どもにもわかるので、子ども同士のいざこざの原因になってしまう。
 注意しなければならないのは、指導する時間だ。短すぎても、長すぎてもダメだ。
 短いと「たいしたことなかったな」という気持ちになるし、長すぎると、最初は反省していた気持ちも、徐々に「しつこいな」という反発の気持ちに変わる。
(
大塚賢二:1964年北海道生まれ、北海道公立中学校教師。平成21年度文部科学大臣優秀教員表彰を受賞、北海道情報と教育ネットワーク事務局長)

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いじめを解決をするには何が重要でどうすればよいか   平塚俊樹

 いじめを解決をするには何が重要でどうすればよいか平塚俊樹はつぎのように述べています。
 いじめが発覚したとき、普通に考えれば、最初に相談に行くべきところは、担任だろう。
 ダメだったら校長、教育委員会、警察、法務局の人権擁護委員へというのが順序としては正しいのかもしれない。
 しかし、学校に相談せずに、教育委員会へ行ったり、それを飛び越えて警察や人権擁護委員へ駈け込めば正しかったという場合もありうる。
 これはもう千差万別で絶対的なルールはない。そのときのいじめの程度と内容による。
 いじめは一気に加害者を仕留めないと事態がさらに悪化する。
 裁判は半年から1年と時間がかかり、弁護士はあてにできない。
 場面によっては限定的に活用するなら弁護士は強い味方になる。
 いじめでやっかいなのは、親に相談できず、発覚しないことにある。
 多くのいじめ事件を見てきて、痛切に感じるのは、親子のコミュニケーションがいかに重要であるかということだ。
 ふだんから親子の関係を密に積み重ねていないと、急に迫られても子どもはドン引きするだけだ。
 私が実際にいじめの相談を受けた中から象徴的ないじめはつぎのようなケースがある。
 結論からいえば、いじめの解決に必要なのは証拠集めである。
 証拠は写真や動画、録音、関係者からの聞き取りの記録などを時系列で集めたものである。
 関係者を動かす原動力になる。
 証拠集めに必要なのは「絶対この子を守る」という意思が何よりも重要なのだ。
 子どもの心を開かせるために必要なのだ。この覚悟がない親が多い。
 中学2年の女生徒Aさんが5年間いじめられていて「死にたい」と親戚のBさんに告げた。
 Bさんは「守ってあげる」「学校に行く必要はない、引っ越して転校していい」と言った。
 担任に相談すると「うちのクラスにいじめはない」という返事だった。
 教育委員会に駆け込むと「学校からは、いじめがないと聞いている」と冷たい反応であった。
 学校を休ませ、AさんをBさんの家に引き取った。1週間すると「学校に行きたい」と言い出したので、再び登校させた。
 ここからAさんに内緒で私たちの証拠集めがはじまった。
 Aさんを尾行し、下校時に暴力行為を受けるところを遠隔操作のビデオカメラで撮影した。
 そのときのアザも写真に撮った。
 お守りだよと Aさんに渡した袋の中に録音機をしのばせ、張り込みをしている人間が無線の電波をキャッチして録音した。
 生徒の溜り場に行って雑談し証言を得た。
 また、神経内科医に診てもらい、自殺寸前まで追い込まれた精神的な原因がいじめであるとの診断書を出してもらった。
 証拠集めが終われば、いじめで最も重要な告発である。
 より復讐されることを恐れ、告発を嫌がるからだ。
 Aさんは大人が本気で守ってくれると知り、心を開き了解してくれた。
 警察に被害届(暴力行為、金銭・持ち物を奪う)を出すという方法がある。
 しかし、証拠不十分で受理してくれない恐れもあり、学校に警察の捜査が入れば、視線が被害者の生徒に集中し、学校に通えるかという問題が残る。
 私たちは、これまで集めた証拠を法務局の人権擁護委員に申告した。
 法務局はただちに学校と教育委員会に聞き取り調査を開始した。
 学校は全生徒への聞き取り調査を行い、いじめグループが特定された。
 学校はクラスごとに厳しい監視体制を敷き、謹慎処分やカウンセリングなどの措置がなされた。
 いじめで大事なのは「絶対に救ってやる」という保護者の決意と証拠をひとつでも多く集めること。
 つまるところ、いじめの解決には、保護者の強い覚悟、愛が何よりも重要だということである。
(
平塚俊樹:1968年生まれ、証拠調査士。武蔵野学院大学客員教授。大手会社で顧客からのクレーム処理担当を経て、危機管理専門コンサルタントとして独立、平塚総合研究所設立した)





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この世の中はまさに不条理で、幸福も不幸も、なぜか訪れるときは群れをなしてくる   瀬戸内寂聴

 私は80年以上生きてきて、たくさんの人の人生を見てきました。
 この世の中はまさに不条理です。
 心優しい人が苦しみを味わい、ひどい目に遭うかと思えば、世間から悪党呼ばわりされる、欲深い人間がこの世の栄華を一身に集めて長生きする。
 そんな理屈に合わないことばかりが起きるのが人の世のならいです。
 私たちは、こうしたことを見聞きするにつけ「神も仏もないものか」と思ってしまいがちです。
 しかし、お釈迦さまは人の世は「無常」であるとおっしゃいました。
 誰からうらやむような幸せな生活を送っていても、その幸福がずっと続くわけではありません。
 人間にはそれぞれ定まった寿命(定命)があって、どんなに幸せでもその日の夕方には死んでいるかもしれません。
 今が不幸のどん底のように思えても、ずっと続くわけではありません。
 人の運命は図りがたいものなのです。
 どうか「しょせん世の中は無常」と、心を強く持って生きつづけてください。
 長く生きてきた私の経験と実感ですが、この世の中は幸福も不幸も、なぜか訪れるときは群れをなしてくるものです。
 つまり、いいことも悪いことも一つずつではなく、いくつも集まって押し寄せてくるものなのです。
 ですから、運命を恨まず、これも人生修業のいい機会だと思って過ごしてください。
 辛抱することです。どうか辛抱する心を忘れずに生きてください。
 私たちに与えられている使命は自分自身を幸せにすることです。
 身の不幸を嘆いたり、愚痴をこぼしたり、我慢したりするのではなく、まず他人に対して微笑むことのできる心のゆとりを持つことです。
 困っている人たちの悩みや苦しみを聞いてあげたり、にっこりと笑顔で周囲の人たちに接すると、人の心はいくらか楽になります。
 ただし、これを行うためには、まずあなた自身が幸せに、心豊かにならなくてはいけません。
 あなたが心のうちに幸せを持っていなければ、周囲の人に幸せを分け与えられません。
(瀬戸内寂聴:1922年生まれ、26歳のときに家族を捨てて出奔、小説家を志す。『夏の終わり』で女流文学賞受賞。73年に得度し、法名・寂聴となる。『花に問え』で谷崎潤一郎賞、『白道』で芸術選奨文部大臣賞。『源氏物語』の現代語訳を完成させる。『場所』で野間 文芸賞。文化勲章受章。現在は執筆活動のかたわら、寂庵(京都市嵯峨野)などで法話を行なっている)

 

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学級経営で大切な、たった一つの秘訣とはなんでしょうか

 退職する先輩が別れのときに、
「いいか。学級経営の秘訣はたった一つだ。子どもを好きになることだ。それだけだ」
という言葉を贈ってくれました。
 その先輩は子どもたちから、たいへん人気がありました。
 いつも子どもたちが群がっていました。子どもたちはうれしそうに先生と話したり、遊んだりしていました。
 その先輩も子どもたちといることを心の底から楽しんでいるようでした。
 この言葉をいただいたときは「そんなのあたりまえのことでしょう」と思っていました。
 あるとき、この言葉の大切さがわかるようになりました。
 私自身、うまくいかなかったクラスがありました。
 そのときは、クラスの子どもたちを好きにはなれませんでした。
 担任として、やるべきことはやっていたけれど、どこか冷めている自分がいました。
「この子たちが好きだ。自分のことも好きになってほしい」というふうには、とても思えませんでした。
「好かれようが、好かれまいが関係ない。教師として、この子たちに必要な教育をするだけだ」と思っていました。
 女子のグループ化、やんちゃな男の子の傍若無人な振る舞い、教師を避ける子どもたち、などの問題に、冷めた態度で接する自分がいました。
 本気で子どもたちに向き合えなかったのです。誰一人泣く子がいなかった卒業式が、その一年を象徴していました。
 その一年を振り返ったとき、何がいけなかったのかを考えました。そのときに「子どものことを好きになること」という先輩の言葉を思い出しました。
 その失敗以来、「子どもを好きになる」ことを大事にしてきました。
 学級にはいろいろな子がいます。自己中心的な子、友だちに意地悪な子、無気力な子、自分の権利ばかりを主張する子、教師に悪態をついてくる子・・・・と、実にいろいろな子がいます。
 個人的には私自身も好きになるのが難しい子もいます。
 しかし、それでもプロの教師として、目の前の子どもを好きになる努力をしてほしいと思います。
 好きになれば、当然、
 相手を喜ばせたい、力をつけてあげたい。
 好きになってもらいたい。
 喜んでもらいたい。
 幸せになってもらいたい。
 楽しく勉強をしてもらいたい。
 と思うようになります。
 好きになるのなら、熱く思えるほど好きになってほしい。
 実践するときの原動力となります。
 子どものことを好きになればなるほど、やる気がわいてきます。
 だから、どうか、子どものことを好きになってください。
(
飯村友和:1977年千葉県生まれ、千葉県公立小学校教師。教育サークル「明日の学級づくりを語る会」代表)

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保護者とうまくつき合うにはどうすればよいか   飯村友和

 私は、個人面談や懇談会が嫌でたまりませんでした。
 しかし、そのような気持ちでうまくいくはずがありません。
 まずは自分が楽しくなることを心がけています。
 そして、保護者の方と仲よくなるように努力しています。

 子育ては本当に大変なんです。
 子育てをがんばっているお母さんをまずは褒め、感謝の気持ちを伝えましょう。
 家では見せないよいところを伝えれば、喜んでもらえるはずです。

 改善点は、伝える必要がありますが、その後でよいのです。
 保護者と担任が仲よくなることが大事です。

 懇談会は楽しい雰囲気でつながる時間と位置づけます。
 緊張をほぐし、話しやすい雰囲気をつくるためにミニゲームをします。
 よくやるのが、1つ前の人と自分の「好きなものと名前」を言う自己紹介です。たとえば、

「猫が好きな飯村さんの隣のKポップが好きな田中です」
「Kポップが好きな田中さんの隣のお茶が好きな吉田です」
 というように続けると楽しい雰囲気で始めることができます。
 そのほかに、子どものノートを見てもらい、鉛筆でコメントを書いてもらう。
 子どもたちからのビデオメッセージを見る。
 クラスのイベントを映像で見る。
 子どもたちのアンケートをもとに話し合う。
 このようなネタを数多く持つことが大切です。

 また、少人数のグループに分かれて話し合う場を設け、保護者の情報交換の場、つながる場になるようにしています。
 学級通信を出して、教師の考え、子どものよいところを伝えます。
 授業のことも書くと自分の実践記録にもなります。
 学級通信は親子の会話の話題にもなります。学級通信を出すことを強く勧めます。

 子どもが何かよいことをしたときに、小さな便箋にそれを書き、連絡帳に貼り付けます。
 短いものでも感謝されることが多いです。
 1日3人などと決めて子ども全員に書くようにします。

 保護者とは小まめに電話や家庭訪問で連絡を取り合うことが大切です。
 保護者からクレームがきたとき、いじめなど深刻なことがあったときは、家庭訪問して顔を見ながらお話をした方がよいでしょう。
 場合によっては、学年主任や管理職といっしょに行ってもらうとよいでしょう。

(
飯村友和:1977年千葉県生まれ、千葉県公立小学校教師。教育サークル「明日の学級づくりを語る会」代表)




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国語科:論理的思考力を育てる授業とは    筑波大学附属小学校国語研究部

 論理的思考力を育てる授業について筑波大学附属小学校国語研究部はつぎのように述べています。
 いまの国語授業の問題点は、文章を読んで
「このときの登場人物はどんな気持ちでしたか」
 などと発問して、イメージをなぞる、確認するだけの授業です。
 中心人物の心情を理解した、ではそれが他の物語の文章にどう生きるのかが、なかなか見えてこない。
 だから読む力がつかないのだと思います。
 いまの授業は、物語だとぶつ切りにして、場面ごとに読んでいく。
 その場面はわかったかもしれないけれども、つながっていない。
 これでは論理的とはいえない。
 読むことにおける「論理的思考力」とは、物事を筋道立ててとらえる力です。
 筋道を因果関係や対比、抽象・具象といったとらえで思考することです。
 論理的というときには、やはり文章の仕組み、構成とかを教えるのが国語の授業。
 こういうところに着目して読むんだよということを教える。
 それらのことが身について駆使して自分で筋道立てて、物語を読み、表現できることが大切です。
 だから文学作品の場合に大事なのが、作品を丸ごととらえて、全体のつながりの中で判断できるという論理的な読み方です。
 論理的な思考力として、因果関係、具体と抽象がある。
 それに、比べるというのがあります。
 相違点を見つける、対比的にとらえる、類比、共通点、似たところは何かというように。
 それからもう一つ国語では、言い換えるというものが大切かなと思っている。
 友だちが言ったことを、
「言い換えるとこういうことじゃないの」
 という話し方ができること。
 つながりも大切です。
 文学作品を授業で扱うときに、つながりのどこの部分を焦点化して授業をするのか。
 語句と語句、文章と文章、場面と場面がどういうつながり方をしているか。
 たとえば「白いぼうし」では場面をおさえるだけで、おもしろいことが見えてくる。
 その物語の変化と人物の変容が見えてくる。
 教材の特徴、教材がもつ論理というものをしっかり見ぬいていくことが大切になってくる。
 何をすることがこの教材で子どもに学ばせることになるのか。
 これまで教えたことを、この教材で活用できるかを考える必要がある。
 思考というのは、そういう学んだ国語の力を子どもが組み合わせて使っていく過程じゃないかと思う。

 

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授業崩壊に陥る原因と、陥らないためにはどのような教師になればよいのでしょうか

 授業崩壊に陥った教師には、私の体験から、つぎのような傾向があるように思われる。
1 教師としての指導力
(1)
指導方法に更新がなく、授業が分かりにくく、退屈である。
(2)
子どもたちの反応や関心に無頓着で、意見の取り上げやまとめ方に温かみや指導技術が感じられない。
(3)
一人ひとりに応じた指導ができず、学級をまとめることができない。
 子どもの実態に応じて、指導の仕方を変えなければならないのに、どの子どもに対しても、いつも、どこでも同じ指導を繰り返している。
 教育とは何か、教師の仕事とは何かが曖昧でプロ意識が希薄である。
 教師の使命である授業を成立させる「水準以上の教育技術」を求めて磨き、更新する研修をほとんどせず、自己向上の努力を怠っている。
(4)
配慮を要する子どもの指導や対応に追われ、学級や他の子どもの指導がおろそかになる。
2 子どもとの関係
(1)
カウンセリング・マインドに欠け、子どもの心を傷つけたりして、子どもとの信頼関係が崩れている。
(2)
力で子どもを押さえつけ、規律を保とうとする。
(3)
子どもへの愛情が不足し、一人ひとりに対する温かいかかわりがあまりみられない。
 子どもとのコミュニケーションを大切にし、かかわりを持つことにこだわってほしい。
 子どもには無条件に愛情を持ってほしい。
 子どもも人間であり幸せを求めている。それを受けとめ、よくありたいと生きれるように援助できる温かい教師でありたい。
 社会が変化すれば、当然子どもも変化する。
 そのことを冷静にとらえ、子どもを肯定的にとらえ、対応できるようにしたいものである。
(4)
「子どもの欠点」を優先して授業をしている
 子どものよさに着目することの多い教師は子どもたちに好かれ、子どもの欠点に目がむきがちな教師は嫌われる。
 例えば、ベネッセ教育研究所の調査では、90%以上子どもから支持されている教師の特徴は
「先生からほめられた。がんばったねと言われた」
「感激するような話をしてくれた」
「授業中、冗談を言って笑わせる。休み時間遊んでくれた」
 逆に、子どもの支持が半数以下の教師は
「遅刻に厳しい。先生の言うことを聞かないと強く叱る。忘れ物をすると厳しく叱る」
 ことをあげている。
「子どもの欠点」を優先して授業をしているといえそうである。
 子どもから支持されない授業は、保護者からも支持されず、反省すべきことを含んでいる授業なのである。
3 教師の個人的な面
(1)
頑固で人の忠告を素直に聞かず、授業や学級運営について他から学びとろうとしない。
(2)
自分の指導に自信がなく、明るさ、活気があまりない。
(3)
判断に時間がかかり、その判断が曖昧で主張が弱い。
 授業崩壊に陥らないようにするには、どのような教師になればよいのでしょうか。
 教師は、人間である子どもを対象としている。
 だから、まず教師は人間として輝いてほしい。
 前向きで、元気で、明るく自分らしく生きつづける存在であってほしい。
 私が尊敬する先輩教師は、子どもに対する愛情と、明るさ、元気さ、プラス志向がこれからの教師には必要だと説いている。
 愛情の溢れる教室、温かい教師と友だちのいる教室は、安定した授業の基盤になる。
 先輩教師のいう教師に求められる教師像とは
(1)
子どもへの愛情
 子どもが好きで好きでたまらない教師だけが、子どもの授業にかかわる資格がある。
(2)
明るい、元気、プラス志向、プラス思考
 生活を楽しみ、物事に創造的にかかわる中から、いろいろなことが分かり、解決し、楽しくなっていく。
(3)
パフォーマンス
 表現力のある教師でありたい。子どもと語り合い、かかわり合い、自由に屈託なくつきあえる教師でありたい。
(4)
レクレーション・遊び・ゲーム
 がき大将にならない程度に子どもと遊べる教師でありたい。
(5)
ユーモア
 子どもの冗談が分かり、ときには子どもに通ずる冗談の一つも言えるようでありたい。
(6)
ゆとり・柔軟性・度量
 原則を承知していて、柔軟な、実際的な、子どもの心にしみ入る判断や対応がとれるようになりたい。
 それを決断し実施する尺度は「子どもへの愛情」と「子どもためになる」という確信であろう。
(7)
カウンセリング・マインド
 子どもを分かり、子どもの心と立場が分かり、そして焦らず、その子の歩みに沿いながら援助してあげられる教師でありたい。
 授業のなかで、遊びや生活のなかで相談的手法を大いに活用したい。
(8)
生涯、学び続ける
 学ぼうとする教師の息づかいに子どもは感化されるのである。
(9)
知恵を伝える
 教師は子どもの人生の先輩である。いろいろな場面で、子どもに知恵を見せる存在でありたい。
(10)
集団を統率・調整する力をもつ
 学級集団をまとめ、子どもたちを居心地のよいものにすることは、きわめて大切なことである。
(11)
実践的指導力
 教師は、なんといっても、子どもに楽しく、分かりやすく、意味あるものとして授業を展開したり、生活指導をしたりする技術が身についていなければならない。
 そういう技術を持っていない教師は、教師としての役割を果していないのである。
(
小島 宏:1942年東京生まれ、東京の国公立小学校教師、指導主事、小学校長を経て多摩教育調査研究所長)

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