« 2021年8月 | トップページ | 2021年10月 »

2021年9月に作成された記事

まず子どもとの信頼関係を築くことが大切   岡崎 勲

 まず子どもとの信頼関係を築くことが大切と岡崎 勲はつぎのように述べています。
 私は警察署の少年補導員をしています。
 当然のことですが、子どもにとって、私は何者か、一切わからないわけです。
 その中で子どもと何度も話をしながら、その子にとって多少私が役に立つというか、相談に乗ってもらえそうな大人だなという人間関係をまずつくります。
 そこから、その子の中で何が問題なのか、その子の問題点を見抜くよう子どもと接しています。
 ふとした一言から原因が分かったり、親との接触の中で分かったりすることがあります。
 ただ、子どもは問題点を指摘されても、なかなか自分のことは気がつきませんし、直しません。
 毎日の具体的な行動の中で、その子にとって今すぐできるやさしい問題から
「これをやってごらん。そうすると先生も、親もびっくりするよ」
 と提案するわけです。
 それについては、先生や親に連絡を取っておきます。
 私が関わっている子どもたちは、小さいときからほめられた経験はあまりありません。
 些細なことで、ほめられると非常に喜びます。
 次のステップとして、
「きみは今中学生だ。これからの人生はきみ自身がつくるものなんだよ。ああいう大人になりたくないと思ったら、ならなきゃいい」
「きみはどういう人間になりたいんだ?」
 と、具体的に夢を持たせるようにして、実現に向けて努力をさせるようにします。
 子どもに自分が伝えたいことを話したときに、子どもがその場で理解できないというのは、自分の子どもに対する話し方が悪い。
 いろいろな言葉で子どもの心に伝わる話し方をする必要があると思っています。
 それによって、子どもは少しずつ正面を向いて話ができるようになり、自分の悩みも訴える。
 そういう人間関係をつくっていくのが一つだと思います。
 もちろん親にも、
「これは親の大変な問題ですよ。子どもを育ててないんですよ」
 ということもはっきり指摘します。
 親にとっては、うるさい人だと思われるかも分かりませんが、その子どもに何か問題があったとき、
「これは大変」ではなく「今がチャンス」と、その問題を通して規範意識を植え付ける。
 そういうことが大切なのではないかと思います。
(
岡崎 勲:神奈川県の警察署の少年補導員として約30年にわたり家業のかたわら少年の非行防止のボランテイア活動)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いつか芽がでて成長する日を夢見て種を植え続けるのが小学校の教育だ   寶迫芳人

 いつか芽がでて成長する日を夢見て種を植え続けるのが小学校の教育だと寶迫芳人()はつぎのように述べています。
 先生という仕事は、誰にでもできる仕事ではありません。
 少なくとも教育に対する情熱や問題意識を持ち、先生としてどのような子どもたちに育てたいのか、というビジョンを持って、遂行していく意志と力を兼ね備えていなければ先生としては通用しません。
 教師の仕事は増加し、授業について研究する時間さえ、満足に確保することができないのが現状です。
 しかし、このような状況にも屈することなく、自分を磨き続け、雑務の波にのみ込まれることなく、自分に挑戦し続けることができるかが重要なのです。
 教師の仕事をしていて心の底から楽しいと思えることはそう多くはありません。
 どれだけ努力を重ねても、もどかしい思いで終わることもしばしばです。
 子どもたちに誠意をもって接しても気持ちが通じないこともあります。
 どうしたらよいか悩むことが多く、行き詰まってしまって苦しい思いをすることもあります。
 私が子どもたちの前に立つときにいつも意識していることは「教育は種まき」であるということです。
 教室には様々な子どもたちがいます。
 その子にとって大切なことを一人ひとりていねいに教えていきます。
 もしかするとその種は、その子には合っていなかったということも考えられます。
 その子の本当の実態は、外部に表出された言葉や行動などから推しはかるしかなく、本当の実態は見ることはできないからです。
 それでも、今どの種を植えたらよいか考え、決断し、間違えていないことを信じて種を植え続けなければなりません。
 誰かがよい種を植え続けなければ、よい芽がでることはないのです。
 子どもたち一人ひとりが大きく成長するその日を夢見て、いつか芽が出ることを信じ、ただひたすら丹精を込めて種を植え続けるのが小学校の教育だと私は思っています。
(
) 寶迫芳人:1970年生まれ、埼玉県公立小学校教師。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国語科:「わにのおじいさんのたからもの」を先輩教師から学ぶ   松崎正治

 私()は小学校の校内研修の講師として長年通い、そこでA教師がB先輩教師の授業(小学2年「わにのおじいさんのたからもの」鬼の子が、わにのおじいさんに聞いた宝物のありかを訪ねていく話)からつぎのように学び成長していく過程に立ち会うことができた。
 A教師はB教師に授業の構想を尋ねたときに、その内容に圧倒された。
1 
周到に教材研究をし、構造図を作っていた。

 全文を「人物を表す語句」と「叙述する語句」に分けて、指導すべき語句が抽出されていた。
2 
他の教科と関連させ、興味関心を盛り上げた。

 生活科で節分(鬼は外の意味を考える)などの冬の行事を取り上げる。
 図工科で鬼の面を作る。
 読書活動で鬼に関する本を読む。
 朝の会で「私の宝物」のスピーチをする。
3 
子どもの最初の感想をもとに、読みの実態を把握して授業を進める。

 そこから生まれた問いを
「なぜ、おにの子は帽子をかぶっているのか」
「なぜ、そんなすごい宝物をおにの子にあげたのか」
 等のようにまとめた。
 A教師は子どもの感想に基づいて授業を構想していく方法をB教師から学んでいった。
 子どもたち自身がどんどん授業を進めていく学習の仕方を学ぶためにA教師は、子どもたちの話し合いの輪の中に入れてもらった。

 子どもたちは発言を譲り合ったり促したり、まるでそこに教師がいるような感じで進めていた。
 実際に授業を子どもの立場で体験して、B教師に教えてもらっていた。
 さらに、放課後にA教師がB教師に尋ねる「反省会」もやった。

 話し合いの練習のためのグループの作り方とか、リーダーを育てる話が語られた。
 B教師は、話し合う子どもの様子を表情や仕草、何気ないつぶやきから読み取り、授業の進行や、次の単元でさらに深化させるべき話し合い課題などについて考えている。

 その子どもの様子の読み取りの時に、A教師は子どもの中に入り子どもの側から、どのように見え感じられるか、授業を見てみたのである。
「B教師の授業の技法はB教師の人間性が絡まって、初めて成り立つと思う」

「だから、真似をしても自分のものにはできない」
「そこに自分なりの切り込みとかを何回か試行錯誤したら、ちょっと自分なりのものができたりっていう感じですね」と、
 A教師は語っている。
(
) 松崎正治:1958年生まれ、同志社女子大学教授。専門は国語教育における授業研究。教師の人生体験が授業にどう影響を与えるのか。学習記録の分析や実際の授業の参与観察を通した授業研究。教育現場で実践に携わる教育者や、研究者による共同研究。




| | コメント (0) | トラックバック (0)

授業のどんな場面でも対応できるよう指導技術の持ち駒を増やすコツとは   高見仁志

 授業をしているとき「今、どのような一手を打てばよいか」とまどう状況に追い込まれることがあります。
 このような状況を回避するには、数多くの授業の技術・ネタを身につけておくことが重要になってきます。
 そのコツは
1 
他人の実践をまねる(追試する)
 他人の実践に学ぶことを通して、技術が身につくことは誰もが経験しています。
 ただし、追試さえすれば、自分の力量が高まっていくという考えは排除したいものです。
 追試した結果、失敗(成功)した原因を追究することが大切です。
「なぜ失敗したのか、その原因はどこにあるのか」等、詳細に省察を繰り返すことが重要です。
 この省察を大切にすることが、教師の力量を高めます。
2 
自分で独自の指導技術をひねり出す
 授業中どのような手を打とうか迷ったとき「今、この場面で、効果的な働きかけとは何か?」全能力を結集して考えぬくことが大切です。
 考えぬいたすえ、生み出した独自の方法を持つことによって、教師は自らの力量を向上させることができる。
 斎藤喜博は、合唱の指導中、思うように子どもが声を出さないので、どうすればよいか迷っているとき、つぎのように述べています。
「そんなとき、私は苦しまぎれに、むちゃくちゃに腕を振りまくっているわけです。子どもも骨折ってさまざまにやっている」
「その結果、新しいものが出たときを振り返ってみると、こういう指導をしたな、子どもは身体をこういうふうに使って、こういうイメージをつくって歌ったなと分かるわけです。すると私のなかに新しい合唱の指導技術というのが出来たわけです」
 この言葉から、教師がどうすればよいか迷ったときにこそ、独自の指導技術が生み出されてくることが理解できるでしょう。
3 録画
中断法を用いて指導技術の選択肢を広げる
 録画された授業で、重要な内容を学習するときに、教師にとって予期しない子どもの行為が見られた場面で、録画を中断させ、「もし、あなたなら、どのような手だてを次にとるか」を問う方法です。
 このときに出される手だては、熟考した後よりも瞬間的に行われた方が、より効果的と言えるでしょう。
 なぜなら、授業中、教師は常に瞬間的な思考を要求されているからです。
 以上のようなトレーニングを重ねることにより、教師は指導技術の持ち駒を増やすことができるでしょう。
(
高見仁志:1964年兵庫県生まれ、兵庫県公立小学校教諭(18年間)、湊川短期大学、畿央大学を経て、佛教大学教授)




| | コメント (0) | トラックバック (0)

国語科:野口芳宏の授業は見える授業である    山田洋一

 野口芳宏(1)が5年生122名の子どもたちに体育館で「大造じいさんとがん」の授業を行った。
 その様子を山田洋一(2)はつぎのように述べている。
 まっすぐ子どもたちを凝視したまま、両腕を肩の高さまで上げて大きく広げ「では、よろしく」と子どもたち全体に声をかけた。

 鋭い視線から「真剣に学ぶんだぞ」、「さあ、懐に飛び込んでおいで、何でも教えてあげよう」というメッセージをこのポーズから感じる。
 野口先生の授業では、言葉によるメッセージの他に身体からのメッセージも、子どもたちに発せられることが多い。

 教師の発問・説明・指示とその身体からのメッセージが、うまく合致しているのが野口流授業の真骨頂なのだ。
「大造じいさんとがん」の教師による音読が始まる。

 しばらく読んだところで、厳しく追い込むような表情で「敵の正体は何だ?」と最前列の子どもを野口先生は指名した。
 子どもは「がん」と答えた。
 これに対して「それでいいと思う人?」「違うと思う人」と即座に全員に挙手を促した。

 誤答であった。
 誤答を言った子どもに野口先生は最高の笑顔でその子の肩に軽く触れるようにした。
 子どもははにかみながら笑っていた。
「間違えたことは仕方がない。つぎに頑張ればいいさ」と子どもは思うだろう。
 私のような並の教師は、これを逆にする。

 つまり、緊張しないようにというお節介から指名するときには笑顔をつくり、子どもが誤答すれば苦虫をかみつぶす。
 子どもは「言わなければよかった」と思うだろう。 
 どちらが子どもに対して優しく、力を伸ばす教師であるか? 

 野口先生と比較すれば明白だ。
 つまり、野口流の授業は「緊張から緩和」になっているのに対して、私のような教師は「緩和から緊張」となっているのだ。

 そしてそのことが野口先生の表情という身体からのメッセージとなって、子どもたちに伝えられているのだ。
 野口先生は必ず子どもたちに手の挙げ方を「手を耳にあてるんじゃない。ビューと手を曲げずに挙げるんだ」と見せ、実演して指導する。「まっすぐ挙げなさい」と言うだけでは子どもたちにはわかりづらい。
 野口先生は、語りの名人であり、どちらかというと言語による指示がうまい。

 しかし、実際の授業は身体を介しての指示が多用されている。
 野口先生の授業は見える授業なのだ。
 野口先生は「わかる人?」とは尋ねない。

「わからない子」に手を挙げさせる。
「わからない子」が授業から脱落しない全員参加の授業にするためである。
 しかも、わからないことが教師に知られているので、ぼんやりはできない。

 わからないことを本人に強く自覚させ、わかるようになったときの喜びを強調することができる。
 子どもが向上し変容するための強化になっている。
 教師から子どもについた学力が見えていなければならない。

 見える学力が野口流授業のキャッチフレーズの一つである。
「『ぐっと長い首を持ち上げた』というこのとき、残雪は目を開けていたか、つぶっていたか」と発問した。

 野口流授業では発問がすばらしい。
 その本質は子どもたちに見えていないものを、見えるようにするということである。
 読み過ごしてしまうような叙述を指し示し、考えさせるということである。
(
1) 野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学教授、授業道場野口塾等主宰  
(
2) 山田洋一:1969年生まれ、北海道北広島市立小学校教師。教育研修サークル・北の教育文化フェスティバル代表。




| | コメント (0) | トラックバック (0)

周囲の教師から「なんとかしてあげたい」と愛される教師になるにはどうすればよいか   山田洋一

 職員室はみんなでチームとなって仕事をする場です。
 ちょっとした気遣いを同僚教師のためにふだんから、さりげなくすることがとても大事なのです。
 悩んでいても、実際に助けてもらえる教師とそうでない教師がいます。
 周囲の教師から助けられて本来の力を出しきれる人もいれば、本当は力があるのに人間関係につまずいて、力を出し切れない人もいます。 
 周囲の教師から見て「なんとかしてあげたい」と感じさせる、愛される教師になりたいものです。
 そのためには、愛されることを望む前に、まずは自分が誠実に努力して相手を大切にすることによって愛される資格のある自分になるというのが最も重要な職員室のルールです。どうすればよいのでしょうか。
 同僚から自分がどのように見えるのかを意識することが大切です。
 あなたの机回りにあるゴミ箱があふれていることから、あなたのイメージがつくられるのは残念です。
 退勤前には必ずゴミを処理してから帰るというようにルール化しておくと良いでしょう。
 その際に隣の教師のゴミもついでに処理してあげるようにしましょう。
 挨拶は相手に心を開き、人間関係を円滑にしようとする行為が挨拶です。
 まず、自分から明るく笑顔で挨拶しましょう。
 子どもから明るく、笑顔で挨拶されると、気持ちがいいものです。
 自分からみんなに元気を送る、そんな気持ちで挨拶します。
 挨拶が返ってきたら、笑顔で「今日も一日よろしくお願いします」など、ひと言をつけ加えてみましょう。
 電話は相手を待たせないよう「3コール以内」に電話に出ましょう。
 進んで電話を取る人は積極性があると評価され信頼が集まります。
 電話対応の最低限のポイントは「名乗る、先方の名前を確認する、用件を確実に聞く」の3つです。
 相手にものを渡すときには、目を合わして微笑み、ひと言「よろしくお願いします」と両手で渡すようにしましょう。これで相手への敬意が伝えられます。
 人から愛されるには、こちらから相手を愛して、大切にすることが大事です。習慣になると教室の子どもたちも変わります。数名の子どもたちが真似をして両手で教師にものを渡すようになります。
 話し手を見て話を聞くことは、意識しなければ案外できないことです。
 誰かが話し始めたら、そちらに注意を向けるようにふだんから気を配りましょう。
 話に合わせてうなずいたり、軽くほほ笑んだりすると、話し手はグッと話しやすくなります。
 笑顔を忘れず、よい聴き手になることを心がけましょう。
 問題が起きたら、まずは学年団の教師に相談します。
 自分が知らない情報や今後起きそうな事態や対処法まで教えてもらうことができます。
 このときに気をつけたいのが、アドバイスを「それは考えました」「これまでにもやっています」と、すぐに否定しないということです。話し合いをストップさせてしまうことになりかねません。
 いざというときに相談しやすいように、日ごろから些細なことでも聞いてもらうことも、お互いの心の距離を縮めます。
 悩みをオープンにすることで、アドバイスをもらいやすい関係を築くことができます。
(山田洋一:1969年北海道札幌生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。教育研究サークル「北の教育文化フェスティバル」代表)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師が実力をつけるためにはどのようにすればよいか   山田洋一

 教師が実力をつけるためにはどのようにすればよいか。
 山田洋一はつぎのように述べています。
 私は教育大学に入学して驚いた。
 一般教養の講義がほとんどで教育に関する講義は僅かであった。
「こんなはずではなかった、もっと教育について学びたい」と大学に絶望し、学習塾でアルバイトを始めた。
 塾ではどの講師も仕事に熱心で、子どもとたくさんおしゃべりして関係を強固にするということを優先して、楽しそうに談笑していた。
 塾に採用されると、すぐに研修が私に課せられた。
 まず、M講師の授業を見せていただいた。
 国語の問題文を情感豊かに読み上げ、問題をテンポよく解説していく。
 子どもたちを飽きさせず、受けているだけで気分がよくなる授業であった。
 二時間目は、違ったタイプの授業で、子どもたちの発言を徹底的に引き出し、世間話のような調子で授業が進んでいく。
 進度も、時間もぴったり、そしてなにより、教室の空気を支配していた。
 一人残らず学習に参加させる気迫と技術を備えていた。
 私は圧倒された。
 これがお金をもらっている人の授業なんだと胸に深く刻んだ。
 その後、私は放課後、M講師の前で模擬授業が課せられた。
 指摘された内容は私の胸を射貫いた。
 三か月後、アルバイト講師が塾に入ってきた。
 今度は、M講師は私にそのアルバイト講師の授業を批評し、代案を示すことを求められた。
 私は、こうした過程を経て、お金がもらえる講師になっていった。
 このM講師がしてくれた、
「優秀な実践者の授業を見る」
「模擬授業をし、指導を受ける」
「実際に授業をする」
「他人の授業を批評し、改善策を示す」
の研修課程は、非常に意義深いものであったと、いまでも思う。
「見る」
「試す」
「実施する」
「違う角度から見る」
「試す」
 という過程は、実践者が最も力をつけることのできる研修過程であると、学校現場にきてからも強く思う。
 しかし、実際には学校現場で若い教師はこうした丁寧な研修課程を経て教壇に立っているわけではない。
 それは、大変不幸なことだと言わざるをえない。
 しかし、実力をつけるためには、若い教師は自分で研鑽を積むしかないと私は考えている。
 困難な状況になったとき、私は基本的には相手に働きかけて状況を変えることを考えず、自己変革を念頭に置いた。
 なぜなら、自分はすぐに変えられるが、相手はなかなか変えられないからだ。
 相手を変えることは解決不能の袋小路に迷い込んでしまうと考えてきた。
 思うように変わらない相手を何とか変えようとすることほど、苦しいことはない。
 自己変革を考えた方が結果的に自分を成長させることにもなる。
 また教師は、子どもによりよく変わることを望むのだから、まずは自己変革を自分に課すのは、私にとっては当然と考えられることでもある。
(山田洋一:1969年北海道札幌市生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。教育研究サークル「北の教育文化フェスティバル」代表)

 

| | コメント (0)

中堅教師が飛躍するにはどのようなことが考えられるか   森脇建夫

 中堅教師が飛躍するにはどのようなことが考えられるか森脇建夫はつぎのように述べています。
 中堅教師とは、教師になって十年を過ぎた時期である。
 中堅教師は、確立した教師としての「教育観」と「授業スタイル」の問い直しを求められる時期なのである。
 教師の教育観が具体的に技術や方法となって姿を現したのが授業スタイルである。
 指導力不足教員と認定された教師の約八割が40~50歳代である。
 中堅教師の危機は教育実践の硬直化(化石化)と一般にとらえられている。
 たとえ力量のある教師でも教育実践の不確実性によって危機に陥る危険性がある。
 その危機を乗り越える契機について、学校や研究サークルなどの教師のコミュニティの重要性が指摘されている。
 例として、三重県のある公立中学校を考えてみる。
 この中学校では佐藤学が提唱した「学びの共同体」を研究テーマとして授業改革を行ってきた。
 佐藤は「学校を子ども・教師・親たちが学び合う場所とする」授業改革を核とした学校改革を推進している。
 元岳陽中学校長に来てもらったり、「学びの共同体」の研究会に教師を派遣したりして、ペア学習やグループ学習(男女4人)、コの字型机配置の学習を授業の中に取り入れ、各教師が年に二回は授業を公開してきた。
 しかし、個々の教師にとっては、「学びの共同体」との出会いは単純ではない。
A教師(数学)は、
「一斉授業では中ぐらいの生徒に焦点を当てると、上・下の子にとっては満足できない。どうしていいかわからなかった」
 そこで、自分で授業にコの字とグループ学習を取り入れると、生徒たちに受けがいいことがアンケートで明らかになった。
 それを契機に、授業展開は課題をグループ中心で解決することが主となり、生徒どうしを「つなぐ」役割に徹するようになった。
 B教師(国語)は、一斉授業に問題を感じていなかった。しかし、
「コの字とかグループにすると、ちょっとわからないことを、グループで聞きあう場面が出てきました。子どもどうしの授業中の関係がよくなったなあと思いました」
 C教師(英語)は、自ら英語研究者の講演にたびたび出かけ研修している。
 C教師は英語を基本的にはパターンプラクティスと考えている。
 授業はリズミカル進み次々と場面を転換していく。
 C教師は、「学びの共同体」には批判的である。
 しっとりと聴き合うことやグループ学習とはそぐわないと考えている。
 彼の教育観が揺らぐ経験をしたとき、「学びの共同体」との再会があるかもしれない。
 中堅教師にとって学校という場は、自らの「教育観」の問い直しから、新たな飛躍への契機を与える可能性を持っている。
 そのために重要なことは研究コミュニティとして学校が存在することである。
 それには、生徒の成長や発達をうながすために集団的な探究や協働的な活動が学校でおこなわれなければならない。
 教師たちが授業実践について本音を語ることができ、納得できるまで時間的な余裕をもつことである。
 授業実践の改革は教育観を変革し自らを再構築することなのである。
 教育観の変革に大きな力を持っているのが生徒の変容である。
 もうひとつは、教師の疑問や問題を「ほんものを理解している人」に投げかけられるような学校にしておくことである。
(森脇建夫:1956年生まれ、三重大学教育学部教授。専門は教育方法学・授業論)

 

| | コメント (0)

今の学校に求められていることは何か    石井卓之

 保護者対応など厳しい状況におかれている学校で、今一番大事なのは、学校として一つの方針でまとまることだと私は思っています。
 うちの学校はこういう方針でやっていくよというものを出していかないと、保護者に理解されません。
 うちの学校はこういう方針でやります。
 ですから保護者や地域の方にはここをぜひとも協力してください。
 という形で発信をしていく必要性が出てきたと感じています。
 子どもたちに規範意識を身につけさせるには、教師がルールブックにならなければいけない。
 教師が示す態度、言葉、行動が基になるようにしなければいけない。
 環境というのも非常に大きいと思います。
 私が指導主事をしているとき、大変な中学校がありました。
 そこの校長が行ったのは、学校のごみをなくす。朝会ったら必ずあいさつする。
 この二つで間違いなく一年で学校が変わりました。
 教師がこの二つをやり遂げ、子どもたちを変えるぞ、とアピールしたこと。
 これが保護者や地域に伝わったと思います。
 教師がていねいな言葉を使うことが大事だと思います。
 叱るときは語気を強くしても言葉はていねいに、というのが今のスタイルになっています。
「子ども自ら」というのもキーワードだと思います。
 決まりを最低限にして、その代わり学校の決まりは絶対に守らせる。
 なぜ、この決まりを守らなければいけないかを説明し、教える。
 今、キレる子どもたちは増えています。
 教師たちはその子を別の部屋に置いて、冷静になるまで待ちます。
 落ち着いたら、なぜそれがいけなかったかということを話さないと、子どもたちの指導は進みません。
 私の小学校では六年生に職場体験をしています。
 あの商店の人に、この間お世話になったからあいさつしようかなとか、叱られたら「ごめんなさい」を言おうかなとか、そういう温かい地域の目をつくりたいということで職場体験に出しています。
(
石井卓之:東京都公立小学校教師、指導主事、公立小学校校長を経て帝京大学准教授)



| | コメント (0) | トラックバック (0)

新任教師が感じている困難や負担と校長からみた初任者教員の評価   窪田眞二

 新任教師が感じている困難や負担と校長からみた初任者教員の評価について窪田眞二(監修、学校教育課題研究会編)はつぎのような調査結果を示しています。
 初任者教員のつまずきや育成上の課題を把握することは初任者教員育成の指導体制を整えることになります。
 東京都が新任教師の意識調査(平成19年3月)をした結果はつぎの通りです。
1 新任教師が授業で困難や負担を感じた(とても・少し感じている)のは、
(1)小学校
 基本的な指導技術、学習状況の把握と対応、指導計画・学習指導案、授業規律の保持や徹底・・・(80%以上)
 教材・教具・ワークシート、授業の進度、課題等の事後指導、特定の教科の指導・・・(70%以上)
(2)中学校
 授業規律の保持や徹底、学習状況の把握と対応、指導計画・学習指導案、教材・教具・ワークシート・・・(70%以上)
 授業の進度・・・(60%以上)
 課題等の事後指導・・・(50%以上)
2 新任教師が学級経営で困難や負担を感じた(とても・少し感じている)のは、
(1)小学校
 学級集団の把握や指導の仕方、個々の子どもの理解や指導・・・(80%以上)
 年度当初の学級づくり・・・(70%以上)
 学校行事での指導・・・(60%以上)
 休み時間の指導・・・(30%以上)
(2)中学校
 学級集団の把握や指導の仕方、個々の子どもの理解や指導・・・(70%以上)
 年度当初の学級づくり、学校行事での指導・・・(50%以上)
 休み時間の指導・・・(30%以上)
3 新任教師が保護者・地域の対応で困難や負担を感じた(とても・少し感じている)のは、
(1)小学校
 保護者会や個人面談等の計画・実施・・・(70%以上)
 保護者への連絡や苦情への対応・・・(60%以上)
 PTA・地域の行事・・・(30%以上)
(2)中学校
 保護者会や個人面談等の計画・実施、保護者への連絡や苦情への対応・・・(70%以上)
 PTA・地域の行事・・・(20%以上)
4 校長からみた初任者教員の評価(やや不足・とても不足しているのは
 集団指導の力・・・(70%以上)
 学級づくりの力、子どもを指導する力、学習指導・授業づくりの力、教材解釈の力・・・(50%以上)
 子ども理解力・・・(60%以上)
 豊かな人間性や社会性、常識と教養、対人関係能力・コミュニケーション能力・・・(40%以上)
 同僚と協力していくこと・・・(20%以上)
(窪田眞二:1953年東京都生まれ、筑波大学名誉教授を経て常葉大学特任教授・副学長。専門は教育行政学)

 

| | コメント (0)

親と教師が子どもの鏡となる舞台を学校につくろう   滝澤雅彦

 大人は子どもの鏡であると考えています。
 子どもがモデルとすべき大人、これから生きていって「こうなるべきモデル」となる大人は、親と教師だと言ってよいと思います。
 他の大人だっているだろうと思うでしょう。
 でも、今の社会の関わり方を見ると、子どもにとって生きた人間として目の前に立っているのは、親と教師です。
 しかし、子どもと親がどれだけ向き合っているかというと、必ずしもきちんと向き合っていないという実態があります。
 そのことからも、学校は親の役割まで果たさなければいけない。
「親と教師が子どもの鏡となる舞台を学校に」というのが私の考えです。
 学校を地域の大人が集うところにして、英語検定などの勉強会で教師も親も学び続ける人として子どもにみせるのです。
 私の学校の多くの親は20種類の勉強会のサポータに登録しています。
 そのうちの一つが「英検サポーター」で、英語が得意な親が英語検定のことを手伝ってくれている。
 親も学校で自分の子と同世代の子を見ることになる。
 そうやって地域の大人のコミュニティの学びの中心として公立中学校が存在するようにする。
 それを見て、子どもたちが「親や教師たちって、楽しそうだな」と思ってくれる。
 私は子どもたちに
「将来、肩書の人生とプライベートな人生の二つを持とうよ」
「肩書の人生を持つためには勉強という頑張りも必要だけど、プライベートな人生を生きるための趣味や仲間を大事にしようよ」
「そうやって生きていきなさい」
「私は君たちより年上でバンドをやってきたけれども、中学生のころより今の人生のほうがずっと楽しいよ」
 と、言い切れる大人として、私は子どもの前に立っているつもりです。
 子どもは大人を見て育つと言いますが、教師や親、地域の人が子どもにとってモデルにならなければいけないと思います。
「生きていることは楽しいよ」とか「大人になることは素晴らしいことなんだよ」とか、そういうことを子どもに自信を持って言いきれる生き方を、子どもに示すことが大切であると私は思っています。
(
滝澤雅彦:ミュージシャンの道から31歳で教師になり、東京都公立中学校校長、文部科学省中央教育審議会専門委員、日本教育会事務局長を経て日本大学教授。「地域の子どもは地域で育てる」ことの大切さを掲げ、保護者・地域との協働を積極的に推進し、地域運営学校(コミュニティ・スクール)として学校経営した。おとなのバンド大賞グランブリ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもを別のクラスに替えてほしいと要求する親にどう対応すればよいか   諏訪耕一

 事実を認めようとしなかったり、無理な要求をしたりする親に出会うことがあります。
 そのような親は、問題を抱かえていて余裕がなかったり、困って助けをもとめているのではないかと私は思っています。
 モンスターになる背景を考えながら対応する必要があります。
 例えば、子どもを別のクラスに替えてほしいといった要求には、本人のみクラスを替わったらどうなるか、どんな長所・短所があるのかを、親と一緒に考えてみるとよいと思います。
 子どもがよけい苦しい立場に立たされることに気づけば、親もよりよい解決方法を一緒に考えられるようになるでしょう。
 人々の考え方、生き方が多様化しています。
 自己中心的な、利己的な考え方は道理が抑制されそうで私は心配しています。
 いろいろな考え方や生き方を受け入れることができる基礎条件の一つは、他者の意見を聞くことができることです。
 他者の意見も聞き、自他の併立を図れることが必要なのです。
 私は、モンスターペアレントの要求に対して、何とか現実の学校のしくみと教育の基本を親に理解してもらうべく努力している教師の姿が見られて、意を強くしています。
 このような教師たちの存在でもって、世間を動かしてほしいと思います。
 教師が「みんなのことを思いやる」子どもの育成に邁進する学校がこれからも続くことを期待しています。
(
諏訪耕一:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの塾」その後「浪合こころの相談室」を開設した)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

声が変われば自信が生まれ人生が変わる    白石謙二

 声が変われば自分に自信が生まれ、その結果、人生さえも劇的に変えることだってできると白石謙二はつぎのように述べています。
 日本には、話すための声のトレーニングを指導する専門家はほとんどいません。
 しかし、欧米では、政治家、企業のトップなど、人前で話す機会が多い人は、ヴォイスティーチャーがついて「声トレ」をするのが常識です。
 声はトレーニング次第で悪い声とされている声でも、トレーニング次第で「よい声」に変えることができるのです。
 話を聞くとき、話の内容に影響を受ける人は7%しかなく、じつに93%の人が「声や態度」に影響されるといわれます。
 私は、これまで多くの人に声のトレーニングを指導してきました。
 その指導の基本は、その人が持っている内面のすばらしさに、その人の声をどうやって近づけるか、ということにあります。
 大半の人は、表現しきれていません。
 その最大の原因は、声のパワー不足にあります。
 パワーがない声は、相手の心に届かないのです。
 よい声を出すためには日頃からの訓練が大切です。
 大切なのはまず発声、それから滑舌と表現力です。
 発声を鍛えることで、声にパワーが生まれ、説得力のある話し方ができるようになります。
 具体的には、相手に「しっかり伝わる声」、相手の心をつかむ「よく通る声」を訓練します。
 滑舌が悪く、何をいっているのか聞き取りにくい声は、相手に話を聞いてもらえなくなります。
 滑舌を改善すれば言葉がはっきりし、ハキハキとした印象を与えることができます。
 人は誰でも「あ行」~「わ行」までの間で、いいにくい言葉があるものです。苦手な行や言葉を克服するための訓練をしていきます。
 表現力は、自分が伝えたいことを相手に伝わりやすくするための技術です。
 感情の込め方、間のとり方、身ぶり手ぶりなどです。
 私の経験からいうと、あまり表現力にとらわれすぎると、肝心の声の力がおざなりになる傾向が強いようです。
 自分の声を知る一番よい方法は、レコーダーなどに自分がしゃべっている声を録音することです。
 さらに、新聞や本を朗読することをお勧めします。
 長い文章を朗読することで「声量のあるなし」「発音や滑舌のよし悪し」「間のとり方」など自分の弱点が明らかになるからです。
 ひと口に悪い声といっても、つぎのようにさまざまなタイプがあります。
 自分の声がどのタイプに該当するのか、しっかり把握することが大切です。
(1)小さい声
 消極的で引っ込み思案と見られがちです。→「腹式呼吸で発声する」
(2)か細い声
 弱々しい印象を与える。→「声のトーンを下げ、下アゴを動かし響く声に」
(3)暗い声・こもる声
 陰気な印象を与える。→「鼻腔を共鳴させ、抜ける声に」
(4)うるさい声
 耳障りで不快感を与える。→「小さい声でも聞き取れる声に」
(5)ダミ声
 高圧的な印象を与え、反発を買う危険がある。→「ふあっとした声でトーンを上る」
(6)甲高い声
 高すぎて相手のカンにさわる恐れがある。→「声のトーンを下げる」
(7)かたい声
 冷たくて頑固な印象を与える。→「身体をほぐし感情を込めやわらかい声に」
(8)老け声
 声量・声のハリがなく、元気のない声。頼りなさそうな印象を与える。
(9)鼻声
 鼻にかかった甘えた声です。相手に甘えた幼稚な印象を与えます。
 弱点がわかったら「声トレ」に入りますが、ただ漠然と行ってはいけません。
 大切なのは「声を大きくして、元気なイメージを持たれたい」など、目的意識をしっかり持つことです。
 そして、もうひとつ重要なことは、意識を変えることです。
 いくら明るい声を出すための技術をマスターしても、暗く沈んだ気持ちのままでは、明るい声は出ません。
「技術」と「意識」は、車の両輪のようなもので、両方をしっかりと学ぶよう心がけてください。
(白石謙二:これまでなかった、話すため専門のヴォイストレーニング&ティーチングを行う「青山ヴォイスメイクアップアカデミー」を開校。ヴォイスティーチャーとして活躍。パワフルヴォイスヴォーカルスクール代表でもある)

 

| | コメント (0)

非行少年の心の中や立ち直りのために必要なこと   紀 恵理子

 私は少年鑑別所でさまざまな問題を抱かえてきた少年たちと関わってきました。
 非行という行動は社会から見れば被害者を出す、人に迷惑をかける不適応な行動です。
 彼らの心の中から社会を見ると、彼らは非行行動を取ることで自分の心を守っていると言えます。
 彼らは気弱さ、孤独、自信の乏しさという弱さを抱かえていて、そんな自分と向き合えず悩むことをやめ、非行によって自分を守っていると言えます。ですから、少年一人ひとりが取る非行行動にはそれぞれ意味があります。
 例えば、16歳の男の子がコンビニで大量の整髪料とかを盗み、仲間に配っていました。彼は家庭に居場所がなく、唯一一緒に過ごしてくれるのが数人の遊び仲間だった。友だちの関心を物で買おうとしていました。
 同じく、16歳の女の子が、コンビニで大量の化粧品を盗んで、素顔が分からないほど化粧していました。「お化粧を落とすと、自分が消えてなくなってしまう気がする」と言いました。彼女は自己イメージが非常に悪く、厚化粧して素顔を隠すことは、自分自身を守るよろいを身に着けることで、生きるためには必要なことだったのです。
 このように同じ盗みでも、非行の意味は違い、それによって働きかけのポイントも違ってきます。こうしたことから、立ち直りの支援というのは、少年一人ひとりの心に焦点を当て、能力や性格、非行の意味など、少年を理解するところから始まるのではないかと思います。
 少年と鑑別のために面接していると、ときどき、少年が親の悪口を言うことがあります。子どもが親の悪口を言っても、「本当だね、あなたのお父さんって最低ね」と同意してはいけません。彼らは他人から親の悪口を言われることは大嫌いです。子どもの前で親への批判を口にすることは禁句です。
 少年鑑別所に親が面会に来てくれると、多くの少年が日記に親が来てくれたことの喜びと感謝の気持ちを記します。親とろくに口も利かず、家出をしたりしていた少年たちですが、みんな親が面会に来てくれることを心待ちにしています。彼らにとって家庭がとても大事なものだという、考えてみればごく当たり前のことに気づかされることが多いです。
 また、職員に対して「自分だけを見てほしい」という一対一の関わりを求める様子もよく見られます。少年鑑別所を退所するときに、多くの少年が「自分の話をよく聞いてくれた」「困ったときには相談に乗って一緒に考えてくれた」「頑張ったらほめてくれた」と感想を書きます。
 職員は決して甘やかしたりはしません。規律違反をすれば厳しく説諭します。でも、それは一人ひとりの様子をきめ細かく見たうえでのことです。彼らは大人から自分に目を向けてもらうことを非常に強く求めていると感じます。職員が自分をよく見ていてくれると分かれば、叱られても、納得して従うことができるのです。
 無関心と無視が何より怖いのです。彼らが求めている居場所は社会的な絆であり、身近でサポートしてくれる大人ではないかと思います。
 問題を起こしたその子の行動には何か意味があるのではないかという視点を持って一人ひとりを見て、毅然としつつも愛情と優しさを持って、その子の性格や能力に適した丁寧な働きかけを行うことが大切だと思います。
 親も迷い苦悩していることはよく分かりますので、保護者ヘのサポートはとても大事だと思います。親にもプライドがあります。よかれと思って「こうなさったほうがよろしいんじゃないですか」と言うと、親は自分の子育ての能力、ひいては自分の人間性まで否定されたと受け取ることが私の経験上、多いのです。
 私は最初に「大変でしたね。ご苦労されましたね。おつらかったですね」という、ねぎらいの言葉をかけるように心がけています。責める言葉には絶対ならないように気をつけています。
(
紀 恵理子:長野少年鑑別所長。専門は犯罪・非行の臨床心理学)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2021年8月 | トップページ | 2021年10月 »