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国語科:野口芳宏の授業は見える授業である    山田洋一

 野口芳宏(1)が5年生122名の子どもたちに体育館で「大造じいさんとがん」の授業を行った。
 その様子を山田洋一(2)はつぎのように述べている。
 まっすぐ子どもたちを凝視したまま、両腕を肩の高さまで上げて大きく広げ「では、よろしく」と子どもたち全体に声をかけた。

 鋭い視線から「真剣に学ぶんだぞ」、「さあ、懐に飛び込んでおいで、何でも教えてあげよう」というメッセージをこのポーズから感じる。
 野口先生の授業では、言葉によるメッセージの他に身体からのメッセージも、子どもたちに発せられることが多い。

 教師の発問・説明・指示とその身体からのメッセージが、うまく合致しているのが野口流授業の真骨頂なのだ。
「大造じいさんとがん」の教師による音読が始まる。

 しばらく読んだところで、厳しく追い込むような表情で「敵の正体は何だ?」と最前列の子どもを野口先生は指名した。
 子どもは「がん」と答えた。
 これに対して「それでいいと思う人?」「違うと思う人」と即座に全員に挙手を促した。

 誤答であった。
 誤答を言った子どもに野口先生は最高の笑顔でその子の肩に軽く触れるようにした。
 子どもははにかみながら笑っていた。
「間違えたことは仕方がない。つぎに頑張ればいいさ」と子どもは思うだろう。
 私のような並の教師は、これを逆にする。

 つまり、緊張しないようにというお節介から指名するときには笑顔をつくり、子どもが誤答すれば苦虫をかみつぶす。
 子どもは「言わなければよかった」と思うだろう。 
 どちらが子どもに対して優しく、力を伸ばす教師であるか? 

 野口先生と比較すれば明白だ。
 つまり、野口流の授業は「緊張から緩和」になっているのに対して、私のような教師は「緩和から緊張」となっているのだ。

 そしてそのことが野口先生の表情という身体からのメッセージとなって、子どもたちに伝えられているのだ。
 野口先生は必ず子どもたちに手の挙げ方を「手を耳にあてるんじゃない。ビューと手を曲げずに挙げるんだ」と見せ、実演して指導する。「まっすぐ挙げなさい」と言うだけでは子どもたちにはわかりづらい。
 野口先生は、語りの名人であり、どちらかというと言語による指示がうまい。

 しかし、実際の授業は身体を介しての指示が多用されている。
 野口先生の授業は見える授業なのだ。
 野口先生は「わかる人?」とは尋ねない。

「わからない子」に手を挙げさせる。
「わからない子」が授業から脱落しない全員参加の授業にするためである。
 しかも、わからないことが教師に知られているので、ぼんやりはできない。

 わからないことを本人に強く自覚させ、わかるようになったときの喜びを強調することができる。
 子どもが向上し変容するための強化になっている。
 教師から子どもについた学力が見えていなければならない。

 見える学力が野口流授業のキャッチフレーズの一つである。
「『ぐっと長い首を持ち上げた』というこのとき、残雪は目を開けていたか、つぶっていたか」と発問した。

 野口流授業では発問がすばらしい。
 その本質は子どもたちに見えていないものを、見えるようにするということである。
 読み過ごしてしまうような叙述を指し示し、考えさせるということである。
(
1) 野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学教授、授業道場野口塾等主宰  
(
2) 山田洋一:1969年生まれ、北海道北広島市立小学校教師。教育研修サークル・北の教育文化フェスティバル代表。




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