いつか芽がでて成長する日を夢見て種を植え続けるのが小学校の教育だ 寶迫芳人
いつか芽がでて成長する日を夢見て種を植え続けるのが小学校の教育だと寶迫芳人(注)はつぎのように述べています。
先生という仕事は、誰にでもできる仕事ではありません。
少なくとも教育に対する情熱や問題意識を持ち、先生としてどのような子どもたちに育てたいのか、というビジョンを持って、遂行していく意志と力を兼ね備えていなければ先生としては通用しません。
教師の仕事は増加し、授業について研究する時間さえ、満足に確保することができないのが現状です。
しかし、このような状況にも屈することなく、自分を磨き続け、雑務の波にのみ込まれることなく、自分に挑戦し続けることができるかが重要なのです。
教師の仕事をしていて心の底から楽しいと思えることはそう多くはありません。
どれだけ努力を重ねても、もどかしい思いで終わることもしばしばです。
子どもたちに誠意をもって接しても気持ちが通じないこともあります。
どうしたらよいか悩むことが多く、行き詰まってしまって苦しい思いをすることもあります。
私が子どもたちの前に立つときにいつも意識していることは「教育は種まき」であるということです。
教室には様々な子どもたちがいます。
その子にとって大切なことを一人ひとりていねいに教えていきます。
もしかするとその種は、その子には合っていなかったということも考えられます。
その子の本当の実態は、外部に表出された言葉や行動などから推しはかるしかなく、本当の実態は見ることはできないからです。
それでも、今どの種を植えたらよいか考え、決断し、間違えていないことを信じて種を植え続けなければなりません。
誰かがよい種を植え続けなければ、よい芽がでることはないのです。
子どもたち一人ひとりが大きく成長するその日を夢見て、いつか芽が出ることを信じ、ただひたすら丹精を込めて種を植え続けるのが小学校の教育だと私は思っています。
(注) 寶迫芳人:1970年生まれ、埼玉県公立小学校教師。
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