カテゴリー「教育の理念や思い」の記事

教育に最も不足し必要とされているのが「笑いやユーモア」である、子どもと一緒に笑える教師は、子どもと一緒に歩める教師である

 子どもを教えるのに笑いは不要であると考える教師は、子どもたちが笑うことによって緊張感や集中力がそがれてしまうのを恐れているようです。
 笑わせると「教室の空気が緩んでしまう」「子どもになめられてしまう」と、恐れているのです。
 子どもに「やる気」を醸成するのは、教える教師のしかつめらしい、もったいぶった態度ではありません。楽しく明るい、フランクな姿勢です。
 ユーモアや笑いは「場の空気をやわらかく、明るく、楽しく」し、学びの敵どころか、大いなる援軍なのです。
 教師がユーモラスな話をすれば、子どもは身を乗りだして聞くはずです。そのとき、集中力が増し、学ぼうというエネルギーが生まれているのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメで、次の瞬間には、笑いのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要があります。
 私は、授業の導入にユーモアをいつも心がけていました。例えば、ユーモア集などの本の話を自分なりにアレンジしたり、日常生活で起きたちょっとおかしなことを小話にして、授業の導入で子どもたちにしょっちゅう聞かせたりしていました。
 私が心がけている、子どもを楽しませ、明るくさせるユーモラスな言動の秘訣は
(1)
自分を笑うこと
 自分の失敗やとんちんかんな言動を笑いのネタにするのです。自分を笑っているかぎりは、だれかを傷つけることもありません。
 例えば、授業中、わざと間違えて、子どもの注意を喚起することもありました。
 子どもの気持ちがダレているときや、集中力を欠いているなと思えたときに、数字の6を8と間違えて書き、子どもたちに「先生、数字が違っているよ」などと指摘させることで、子どもたちの注意力を再喚起させるような方法です。
(2)
自分が笑うこと
 子どもたちを笑わせようとしたら、まず自分から笑うことが大事です。それだけで場の空気はなごむのです。
 例えば、子どもが何かおもしろいことを言ったとき、いのいちばんに教師である自分が大いに笑うようにつとめていました。
 そういう場合、私は子どもたち相手に、お笑い芸人のようなつもりでした。そうすることで教室にオープンでくだけた空気を醸しだし、授業を少しでも楽しく、おもしろく感じさせる工夫をしていたのです。
 子どもと一緒に笑える教師は、子どもと一緒に歩める教師であり、子どもとともに進める教師だという信念があったのです。
 このようなユーモア、明るさや楽しさというものは、教えるという行為のかなり重要な部分を占めるものだと思います。
 笑いは教わる子どもたちを学習好きにするための潤滑剤であり添加物でもあるのです。「授業が楽しい」「勉強するのがおもしろい」と感じられれば、子どもの学力は自然に伸びていくからです。
 逆に、一時間の授業のうちに、一度も笑いがない、ユーモアの要素がない教室は子どもにとっては牢獄に等しいものでしょう。
 日本の教育現場にもっとも不足していて、もっとも必要とされているのが、笑いでありユーモアなのです。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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教育で大切なことは、子どもの実態を知ること、笑いのある面白い授業である、どうすればできるか

 教育の原点は「子どもを見る」ことです。常に子どもの実態をつかみ、その実態を良い方向に変えることこそが教育です。その前提として、教師が子どもに興味や好奇心を持ち、大好きになる。そのうえで、減点主義で見ず、育てる目で見ることです。
 私は特別な用事がないかぎり教室にいて、子どもたちと過ごしてきました。毎朝20分間は必ず子どもと汗まみれになって遊んできました。子どもがいちばん本音を出すのは遊びのときだからです。
 いじめられていたり、何か不満があると途端に笑顔が消えてしまいます。ふだんは元気な子がひとり教室にぽつんと残っている。みんなでドッジボールしていてもその子にだけボールが回ってこない。こうしたことはすべて異常なのです。こうしたサインを見落とさないことが大切です。
 より深く子どもを知るには、その考えを積極的に引き出さねばなりません。日頃の発言から考えを知ることはできますが、それだけでは弱い。
 そこで「書かせる」ことが重要になります。書かせるために、私は子どもたちに「はてな?帳」を活用していました。「はてな?帳」には、子どもたちが疑問に思ったことを何でも自由に書き込みます。身の回りの疑問のほかに、自分自身や家族のこともよく書いてきます。
 この「はてな?」の目のつけどころや掘り下げ方で、子どもたちの学習の意欲やレベル、心の状態までもがわかるようになります。提出されたら、私は良かったところにアンダーラインを引いたり「すばらしい」と一言だけ書く程度にし、子どもの発想力を奪わないようにしました。
 もう一つ、有田学級で大事なツールが、学級通信です。私が保護者に伝えたいことや、明日の予定、時事問題や季節の変化などを板書し、それを子どもたちが書き写します。飽きないよう語尾を「ございます」や「でR」にするなど工夫をしていました。
 効果は、書く力がすごく身に付くこと。また、保護者との信頼関係を築き、共通認識を持つのにも役立ちます。私は、子どものことでわからないことがあれば、保護者に「教えてください」と素直に言えるくらいでないといけないと考えています。保護者との信頼関係なくして子どもを評価し指導することはできません。
 子どもたちを笑いの多い子どもに育てなければいけません。笑いはゆとりです。ゆとりがあれば少々のことは笑い飛ばせるもの。ですから私は「1時間に一度も笑いのない授業をした教師は直ちに逮捕する」と言っているのです。笑いの多い授業を心掛けてください。
 今の子どもたちを相手にするには「ボケとツッコミ」の技術が役立ちます。子どもがまともにきたときには、少しボケてかわしてみたり「えっ、そうかなぁ?」と、とぼけてみたり。そして、ここぞというときに突っこむのです。子どもたちは乗ってきますし、授業が盛り上がりますよ。
 笑いは雰囲気をつくらないと、いきなりは出ません。そこで、私は新しいクラスを持つと、いちばん大切なのは笑うことだと説いて、初日から笑う練習をさせていました。
 もちろん、叱ることも必要です。八つほめて、二つ注意する。まずはほめて、最後に叱ります。
 子どもの考えを引き出すためには、面白い教材を使った面白い授業をすることも大切です。子どもが身を乗り出してくるようなネタを用意して、その考えを引き出し、討論したり、ほめたりしながら鍛えていく。
 教材とともに大切なのは、教師が「教えすぎないこと」だと、私は考えています。子どもが自分でなしとげることが大事です。教師に子どもたちを「見守る忍耐力」が必要です。待つことが子どもを大きく成長させるのだと思います。
 授業の最後には、板書の大事なところを消しながら、毎時間その場で復習するようにしていました。その時間にあまり集中していなかった子を指名し、消した部分を答えさせるのです。この子がわかっていれば、クラス全員がわかっているだろうと評価できるからです。
 このように、授業は一瞬一瞬が評価であり、指導です。休み時間や掃除、給食など、子どもたちが学校で過ごすすべてが評価と指導に結びつきます。評価と指導は常に一体なのです。
 評価とはテストすることだと思わないでほしい。今まで発言が少なかったのが、少し増えた。笑いが少なかったのが、みんなと同じように笑えるようになった。こうしたちょっとした成長を、教師が小きざみな目当てを設定しつつ評価する。その評価を教師が頭の中に記憶するようにします。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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人間は教育により人間となる

 「人間は教育によってはじめて人間になることができる」と人間は教育されなければならないと述べている。
 未開の状態で生まれてくる人間は、教育をとおしてこそ人間のなかに備わっているさまざまな素質を発展させ、それによってはじめて人間になることができるのである。
 したがって、われわれがなさねばならないことは、その使命を達成するために必要な強制をともなった教育なのである。
(カント:17241804年 ドイツの哲学者、思想家、大学教授。「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」を発表し、批判哲学を提唱。ドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖。後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼした)

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生命を輝かせて生きるという教育を施していくべきだ

 生命を輝かせて生きるという教育を施していくべきだと野々村直道はつぎのように述べています。
 島根県にある海星高校野球部の監督時代、私は広島県江田島で合宿した。旧日本海軍の兵学校の特攻隊の遺品を展示した資料館に生徒たちを連れていって死を直視させてきた。資料館で、同じ年齢の少年の遺書を読み、国や家族のために、自ら進んで死地に赴き若い命を奉じた事実を知らせたのだ。
 命を自分のために使うことしか知らなかった生徒たちは、少年たちに衝撃を受けた。死と向き合うことで、本当の生命の輝きを自覚できたのだ。
 生徒たちは、祖国愛や家族愛の深さに心を打たれ、死を覚悟した少年たちの心に触れ、魂がゆさぶられ、感謝と真心をもって野球の練習に取り組み始めた。
 命をかけた行為を知ったことで、今まで辛いと思っていた練習への見方が変わり、怠け心は恥ずかしいことだと気づいたのだ。言い訳をしたり、弱音を吐かなくなったのです。明らかに生き様を変え、腹一杯食べられるいまの社会に感謝しだしたのだ。
 生徒たちは好きな野球ができ、甲子園をめざせる平和な社会は当たり前だと思っていたが、それが実はすごいことだと気づいた。すべてが感謝から始まった。
 驚いたことに、チームは江田島合宿を始めてから10年間で九回、甲子園に出場できた。この結果は、若くして命を散華した少年たちの心に触れたことと無縁ではない。
 誰にも等しく訪れる死というものを自覚し、その時までは与えられた生命に感謝して強く生き、人生を全うすることが大切なのである。死という終焉に向けて、どう生命を輝かせて生きるか。そういう教育を施していくべきだと思う。
(
野々村直道:1951年島根県生まれ、甲子園に9度も出場した元高校野球部監督、教育評価家)


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生徒の不満を教師が聞かなければならないのか

 生徒が学校生活に不満がある場合には、生徒の不満をよく聞いて、納得するまで説明したり、学校を生徒に合うように変えなければいけないという人がいる。
 しかし、これは基本的にちがうと思う。もちろん、学校生活のなかで、生徒の言うことを聞かなければならない場合だっていっぱいあるが、まず、学校そのものが生徒の自由になる場ではないということをわからせることが先決だ。
 最近のいろいろな議論がそうなのだが、学校というのは社会や生徒にとってどういう場なのかということを、もう少し整理して考えないと、混乱するだけである。
 また、学校は子どもに大きなストレスになっており、それが問題だと言う人もいる。しかしまず、ストレスとは何かということを考えてみなくてはならない。
 人間は生まれてからずっと、家庭もふくめて社会の中で生きていかなければならず、外部からの強制力がいっぱいはたらく。それに対して、いやだなと思ったり、ストレスが生じるのは、ある意味ではあたりまえのことだ。生きていくにはさまざまなストレスに直面せざるをえない。
 だから、現実的な問題としては、いろいろなストレスに対して、それをくぐり抜けたり、耐えたり、はねとばしたりする力を身につけなければならない、というように考えなくてはいけないと思う。
 ところが、生徒がストレスで悩んでいると、ストレスを取り除いてやろうというような発想が主流なのである。しかし、それでは子どもは社会に出て一人で生きていくことはできない。
 子育てをするときに、ストレスをはねとばせるような子どもに育てていくことが肝心なのだ。そうでないと、外部からのいろいろな圧力-他人からのはたらきかけにうまく対応できず、自分のなかに引きこもってしまうとか、外部からの刺激にものすごく敏感になって、相手に対してひどく攻撃的になったりするようになるのである。
 また、子どもの意見をよく聞いて理解しなければいけないと言い方をする人が多い。しかし、ほんとうにそうだろうか。近ごろの子どもたちの意見というのは、マスコミをふくめて大人たちが言ったことのたんなる口うつしである場合が多いのではないか。
 子どもの意見をやたらありがたがる人たちには、私は、大人の責任で子どもの状況を判断しろ、と言いたい。
 私は、生徒と対するときに、生徒の心を理解しなくては、などと大それた考えはもっていない。問題にするのは、その生徒が何をしたかということだけである。
 私はそのときその生徒がどのようなことを思っていたか、感じていたかというようなことを聞こうとしない。外面的な行為だけを問題にするのである。だから、私は、生徒の内面に立ち入って悩みを聞いたりすることは基本的にやらないようにしている。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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教育への思いや考え方

1 学校は学ぶ喜びと楽しさを教えるところ
 学校は学ぶ喜びと楽しさを教えるところだ。学校教育の中で、私たち教師が一番子どもに教えなければならない根本はここである。
 漢字を教えることも必要である。計算ができるようになることも大切である。しかし、その根底に学ぶ喜び、楽しさを体験させることがなければならない。
 学ぶ喜び、楽しさを体験した子どもは自立していく。自分で考えるようになる。問題にぶつかったときに、自分で解決していける子どもに育つ。
 小学校時代に体験できるように教師は努力していかなければならない。それには、教師自らが学ぶ喜び、楽しさを体験していなければできない。教師が知的好奇心を持って、学ぶ喜びと楽しさを体験していることである。
2 教育とは人格形成
 指導技術も大切ですが、やはり「この先生に教わって良かった」というような人間としての魅力や人格形成に影響を与えることが大切であると思っています。
3 教育を語るときに
 子どもが変わる事実を基にして、教育をかたることが大切です。
4 学校教育の使命
 集団教育が学校教育の使命だと思っています。
5 人間関係を学ぶところが学校だ
 他から支えられた人間は他を支えていく。そういう人間関係を学ぶところが学校だ。人との信頼関係を作ること。人との約束を果たすことの大切さ、人との信頼関係を作ることが教育では大切であることを知った。
6 長い目で子どもを見つめる
 教育は長い目で見る必要がある。長い目で子どもを見つめていくことが大切である。
7 教育は芸だ
 教師は役者となり、子どもであるお客さんに満足のいく芸を披露する。その芸の善し悪しは子どもが決める。
8 コミュニケーション能力の育成
 これからの子どもに必要な能力は自分の考えを持ち,相手に伝えていく力の育成です。つまり,豊かなコミュニケーション能力の育成です。
9 尊厳を持って、どの子どもにも接していく
 人間としての尊厳を持って、どの子どもにも接していくことが教育の原点です。
(根本正雄:1949年茨城県生まれ、元千葉市公立小学校校長。TOSS体育授業研究会代表としての経歴を生かし「根本ワクワク体操教室」を開催している)

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子どもたちは夢が持てないと言う、どうやって夢を持てばいいのだろう

 今の子どもたちは、みんな「夢が持てない」と言う。一方、大人たちは「夢は大切だ」「夢を持ちなさい」などと、むやみやたらと語る。
 夢があるから、混沌とした未来に向かって立ち向かう勇気も持てる。たしかに、今こそ子どもたちに夢は必要だ。どうやって夢を持てばいいのだろう。そもそも大人たちは持っているのだろうか。
 私が、高校の恩師、安達先生から伝えていただいたいちばん重要なことが「夢」だった。高校を卒業して4年もたっているのに、私がバイク事故で重傷を負ったとき、病院に駆けつけ私に「あなたは私の夢だから死なないで」と言ってくれたのだ。高校時代は安達先生に迷惑をかけ続けていたのに「私の夢だ」と。
 その意味を教師になってもずっと探し続けた。卒業生を出すことで、私は、はっきりとわかった。生徒は卒業して、これからどんな花を咲かせてくれるのか、自分の育てた教え子たちこそ、まさしく私の夢だったのだ。私は卒業式で心から溢れ出る思いで「おまえらは俺の夢だ」と呼びかけた。
「夢」とは、今できることの精一杯の積み重ねの先で初めて見えてくるもの。だから、子どもに夢を持たせようとするなら「今できる精一杯」を、まず大人が実践することだ。
 たとえば家庭においては、妻や子どもと会話する。妻と共通認識を持つ。そして、わが子への愛や希望は無限だろう。そこには大志があってしかるべきだ。子どもにとっては、自分が将来に大志を抱く以前の、絶対的な存在が親なのだから。
(義家弘介:1971年生まれ、中学生で不良と呼ばれ高校中退し家から絶縁される。里親の元で大学を卒業し、塾講師、高校教師になりドラマ化され評判となる。横浜市教育委員を経て国会議員)


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子どもが学ぶということは、覚え込むこととは全くちがったことだ

 私が授業をして衝撃を受けた一つは、子どもの学びたいきもちの切なさと、ふかく学ぶ能力である。
 宮城県北にある小規模校の六年生は私に授業を受けた感想をこう記している。
「ぼくは、林先生に、勉強を教えられていて、はじめて、人間はいったいなんなのかという疑問を感じた。この一年間、人間のことを教わりたかった」
「私は、きのう林先生におそわって、とてもたのしいと思った。こんなにたのしいと思ったことは、はじめてです」
 子どもたちの感想を読んでいると、いまの学校教育は、小学校においてさえ、楽しさを欠いたものになっていて、ひいては学ぶことの喜びを、育てるよりも奪う結果をまねいているのではないかと気になる。
 学ぶということは、覚え込むこととは全くちがったことだ。学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終わることのない過程に一歩ふみこむことである。一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないのか。学んだことの証はただ一つで、何かが変わることである。
 私が宮城教育大学の附属小学校で、はじめて人間についての授業をしたときの子どもの感想は、子どもにとって学ぶということが何であるのかを明らかに示していた。子どもたちは、一時間の授業の経過のなかで、はじめに自分が立っていた立場がゆらいでいるのを感じ、しかもそこから学ぶことがはじまりつつあると感じとっている。
 はじめ、ある事をわかりきっていると思っていた子は、それが実はすこしもわかっていなかったことを、また逆にその問題を到底近づきがたいと思っていた子は、一つひとつ考えてゆくと、次第にそれが解けてゆくことを発見して「これからも、こんな授業をうけたいなあ」(五年)と書いている。
 子どもの可能性は無限なのだから、子どもの身にも心にも形をとって外に出ることを求めてひしめきあっている。おとなが勝手にそれを限ることは許されていない。
 これらの多様な可能性を確かに、深く、豊かに受けとめて、それを引き出すことが、教師の仕事である。それには学問と共に方法と技術が要る。
 私が、三年たらずの授業の経験から、子どもたちが書いてくれた感想のおくりものが私に教えてくれたものは無限であった。その最大のものの一つは、本当に授業が成立していれば子どもはいわゆる成績などと関係なく、その個性に応じてまともに深い追究をするということであった。しかも子どもはそこに純粋な喜びを感じとっている。
 このような授業に通ずる大道が学校教育のなかにひらけるとき教育は豊かになり、学校はすべての子どもが喜んで学ぶ場所になるのではなかろうか。
(林 竹二:1906年-1985年、教育哲学者、元宮城教育大学学長。斎藤喜博の影響を受け、全国各地の小学校を回って、対話的な授業実践を試みるなど、教育の現実にかかわる姿勢が関係者の共感を呼んだ。小学生を対象に行った授業で野生児アマラとカマラの絵を教材として提示し、「人間とは何か」と子どもに問うた)

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子どもは先生の人格に感化される

 学級の子どもたちは、学級担任の先生の影響を受けて、やがて1年たつとクラスの子どもたちが学級担任の先生に似てくるといわれます。
 吉田松陰の松下村塾から立派な人がたくさんでました。松陰の人格から発せられるエネルギーが、塾生を刺激したと思われます。
 加藤末吉は「教師の影は、やがて子どもたちに移るものである。子どもの取り扱い方とは、教師が自分の身の持ち方と同じである」と言いました。
 人間は言葉にならない雰囲気から深い影響を受けます。感化ともいわれますが、影響を受けて考えや情緒が変化していきます。教師の日常の立ち居振る舞いを通して、子どもたちが自然に影響を受けています。
 したがって教師の持っている人柄や人格によって子どもを知らず知らずのうちに、良きにも悪しきにも感化していることにもなります。
 教師の気品のあるすぐれた人柄こそは、教育を支配する力であり、教育の生命である。
(
加藤末吉:明治時代の東京高等師範学校付属小学校の訓導)

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子どもの心に食い込む教育がたりない

 講演したときに先生から教えを請われるのは、どのように子どもを教えたらよいかということばかりです。先生が修養して自分を改善するのではなく、他者改善の方法について教えてください、という要請がほとんどです。
 つまり、先生自身をかえりみることなく、子どもをどう育てるかということばかり先生は考えている。
 教える者の哲学や修養された人格なくして教え方だけを求めることをいくら繰り返していっても本物の教育にはならないと思います。
 これまで先生の研修は、修養の面をないがしろにしてきたのではないかと思います。教育というのは、先生自身がまず良き人生観をつくること。
 教育の根本目標は先生による子どもへの「感化と影響」なのですが、今は「教育は伝達だ」という錯覚がまかり通っています。
 「感化と影響」によって個々の子どもの心に食い込む教育がたりない。先生方にはそこに気付いてもらいたい。先生の感化によって子どもが高まり、品性が深まる。そして子どもに感動を与える。
 「感動」という言葉は「感じて動く」ということだが、人は感じてのみこそ動くもので、理解したから動くというものではないと思います。
(
野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)

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