カテゴリー「教師と子どもの関係づくり」の記事

子どもたちとうまく対応している教師の共通点とはなにか

 教師の感覚と、今の時代に育った子どもたちの感覚がずれていても、それはごく自然なことです。子どもたちの心情を察することが難しくなったのもうなずけることです。
 大事なことは、かかわろうとする教師のほうで、自分たちの感覚とはずれているという事実をまず受け入れることです。
 今の子どもの特徴を前提とするのです。前提と考えておけば、必要以上に腹を立てることも、少なくなります。そして、そういう状態の子どもに見合った対応を、そのレベルからしていこうとするのです。
 私の調査したなかで、子どもたちとうまく対応している教師たちがいます。その先生方に面接した結果、大きな共通点があったのです。それは、
ささいなかかわりの中でも
「小さな言葉がけのレベルで、最近の子どもたちの実態をとりあえずそのまま受け入れ」
そのうえで
「それに対する対応を具体的に実施していた」
ということです。
 特に印象に残った中学校の男性教師がいました。一見厳しそうな先生でしたが、通りかかった生徒たちが、気さくに先生に声をかけていました。彼は
「叱れば、子どもたちがよくなろうと努力するなら、しつこく叱る」
「でも、今の子どもたちは頭から叱ると、へそを曲げて、叱った内容について努力しないばかりか、余計やらなくなる」
「子どもをよくしてあげたいと思ったら、子どもが自分から努力する方向に心を向けてあげないといけない」
「その方法を工夫しないといけないと思う。自分はそのことを、十年前に痛感した」
と言っていた。
 ただし、強調しておきたい点が一つあります。それは、子どもたちとの対応がうまい教師と、そうでない教師とには、能力的に大きな違いはない、という点です。
 子どもたちの実態を受け入れ、それに応じて、一つ一つ具体的な対策を取り入れているかどうかの差なのです。
 事前にそういう心構えをし、具体的な対策を立てておけば、子どもを叱りたくなる場面が少なくなり、自然とほめることが多くなります。
 このようななかで、教師と子どもたちとの人間関係が、だんだんと良好になっていくのでしょう。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

若い教師が子どもとよい関係になり、魅力のある教師になるにはどうればよいか

 私は若いころ、毎日昼休みに子どもたちとバスケットボールに興じていました。サッカーをすることもありました。年齢を重ね、子どもたちとバスケットボールに興じながら築いた子どもたちとのつながりは、もう経験できません。若いからこそ、できる教育というのが確かにあるのです。
 フットワークが軽いということは教師に必要な資質です。何か生徒指導する場面が起こったら、すぐに現場に直行する。そして、とにかく子どもの横に寄り添う。その姿勢が必要なのです。
 常に現場にいると、先輩教師がどういう対応をするのか、自分の目で見ることができます。その空気を肌で感じることができます。この肌で感じるということが大切なのです。あとで話を聞いたとしても、その空気までは決してわからないものです。
 子どもたちと接する感覚を肌感覚で身につけられるか否かは、先輩教師の指導場面にいかに立ち会ったかで決まります。
 現場に立ち会っていれば、年齢が近いからこそできるフォローがあります。とにもかくにも、その子とじっくり話をしてみる。その姿勢が大切です。
 現場に直行するときは、どこからでも応援を呼べるよう携帯電話を持つ。筆記用具とメモ用紙は必ず携帯する。靴はかかとのあるもの。怪我用ハンカチやティッシュを持つ。子どもと格闘することもあるので尖ったものを身につけないようにする。
 子どもたちと人間関係を築くには、まずは一緒に大笑いする機会を日常的にもつことが大切です。人は一緒に笑い合った分だけ、仲よくなるものです。
 常に子どもたちと一緒にいて、バカ話をしたり、ゲームに興じたり、運動したり、遊び型コミュニケーションをとり続けることが大切です。
 子どもたちが悩みなど相談しやすいのは、やはり若い教師です。自分たちと感覚の近い人じゃないとわかってもらえないと感じるからです。相談に乗っても、教師が解決してあげようなどと思ってはなりません。
 子どもたちから相談をもちかけられたとき、大人として振る舞ったり、子どもに迎合したりするのではなく、教師自身が「中学生くらいのときに、感じていたことが感じるようになってきた」「まだ結論が出ていない」といったスタンスの話し方が最も子どもたちの心に響きます。
 相談に乗り始めたら、最後まで見捨てないという覚悟が必要です。途中でやめると、相手を傷つけることがあります。まれに、相談依存症の子どもがいます。距離をおいて一線をこえさせないことが大切で、常に周りの教師と情報交換しておくことが重要です。
 子どもたちから聞いた話は決して他の子に漏らしてはいけません。子どもとの人間関係が決定的に破綻します。
 教師も人間です。合う子、合わない子がいるのは当然です。「やんちゃな子を指導できなければ教師じゃない」といった思い込みは捨てましょう。
 自分にできる生徒指導、自分が得意な生徒指導の領域を増やしていく、そういう意識を持つのです。やんちゃな子の指導につきっきりになって、他の子どもたちが放っておかれると、普通の子どもたちがおかしくなってきます。普通の子どもたちを対象に目配り、気配りをすることも大切です。
 ウマが合う子であろうとなかろうと、楽しませることが大切なのです。あなたと接していて楽しさが説教を上回っていれば、子どもとの関係が壊れることはまずありません。
 若いうちは失敗して当たり前です。それを糧にして成長すれば良いのです。同じ失敗をくり返さないことに意識をむけましょう。失敗を経験すると周りの人たちの優しさが見えてきます。そんな経験も必要なのです。
 失敗をしたとき、隠すのが一番いけません。管理職や周りの教師の信頼を徹底的に失います。落ち込んでいる暇などありません。まずは解決に全力投球です。反省はあとでもできるのです。
 若い教師は可愛がられる人間になろう。
 若い頃に先輩教師に可愛がられた教師は、間違いなく、後輩を可愛がる教師になっていきます。子どもたちを可愛がる教師になっていきます。保護者ともコミュニケーションをとれる教師になっていきます。可愛がられることは教師にとって必要な能力なのです。
 将来、仕事ができると言われる教師は「なんでも楽しめる」という資質をもっています。壁をつくらず、まずは何にでも挑戦し、その楽しさを味わってみることです。
 人間的魅力とは「いろんなことを楽しめること」「それを独占せずにみんなで楽しもうとすること」のかけ算で測られます。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもとの関係がこじれ気味のとき、改善するには、どうすればよいでしょうか

 いまの子どもの中には、教師であろうと「先生、もっと勉強した方がいいよ」など、けっこうなことをいう子がいます。ここで「失礼だな、まったく!」といちいち腹を立てていては、教師の仕事はやっていられません。
 教師が何か話をしても、反応が薄くシラッとしていたりするときは要注意です。教師と子どもとの関係がこじれてきていると考えていいでしょう。
 早急に、子どもとの関係を改善するようにしなければ取り返しのつかないことが起こる可能性があります。
 
「注意や叱責」以外の言葉かけを増やすのが大事なポイントです。では、どのように対応すればよいのでしょうか。
1 厳しいタイプの教師 「子どもに要望を書いてもらい、再出発する」
 多くの子どもが教師に対して不満を感じているようだったら
「みんなの中に、私に対してこうしてほしいという要望や願いをもっている人がいるようです。私は、みんなといい関係を築いていきたいと思っています」
「いまのままでは、やりずらいと思うので、みんなの要望や願いを教えてもらいたいと思います」
「口では言いにくいこともあるでしょうから」と、ハガキの大きさくらいの紙を配って、書かせるといいでしょう。そのときに必ず名前を書かせます。匿名だと不満が暴走しかねません。
 書き終わったら、読み上げて(名前は読みません)、メッセージを受けとめたことを示します。
 明らかな誤解があったら言い分けにならないように意図を説明します。子どもが不快な思いをしたことについては、謝ります。終わりに、教師が反省し、今日から新たに再出発することを誓います。
 教師と子どもとの人間関係づくりは、常に子どもとコミュニケーションをとることが大切です。円滑にコミュニケーションがとれていれば、子どもは多少の失敗をしても許してくれますよ。
2 優しいタイプの教師 「子どもと遊んで過ごす」
 子どもがよそよそしいと、優しいタイプの教師は、とても悲しい気持ちになります。そういう教師にお勧めは「子どもと遊ぶ」ことです。子どもに受け入れられていないなあと思ったら、まず、遊びます。
 私は、かつて反抗的な子どもたちを担任したとき、とにかく遊びました。朝と放課後はおしゃべり。休み時間は遊びでくたくたになりました。つらい時期をどれくらい我慢して遊べるかがポイントではないかなと思います。
3 楽しい・しっとり・じっくりタイプの教師 「特技を見せる」
 感受性の豊かな子どもたちには、教師の特技を子どもに披露することが、子どもとの関係をつくる最高の方法になります。
4 元気なタイプの教師 「子どもとの楽しいコミュニケーションを増やす」
 これといって特技がないけれど、明るい雰囲気が好きな教師にお勧めです。
 子どもが反抗的なときは、注意や叱責が多くなっています。そこで、子どもとの楽しいコミュニケーションを増やします。例えば
(1)
怖い話
 多少「斜めに構えた」子どもにも、けっこう喜んで聞いてくれます。本屋に怖い話の本はたくさんあります。
(2)
家族の話・子どもの頃の話
 それも失敗したときの話がいいです。子どもがほっとします。人間臭さを感じるエピソードを話すことにより、教師の魅力がアップします。
(3)
誕生日を祝う
 私のクラスには、発泡スチロールで作った模造ケーキがあります。子どもの誕生日になるとケーキの上に、ろうそくの火を灯して、ギターを弾いて「ハッピー・バースデー」を歌います。
 教師が子どもを「好きだ」というメッセージが伝わると、それなりに喜んでくれました。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。アドラー心理学アプローチの学級経営を研究。現場の教師を勇気づけたいと願い、研究会の助言や講演を実施して全国行脚している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今の子どもたちとの人間関係づくりに必要な五つとはなにか

 私の調査では、子どもたちが教師をとらえるのは、ほぼ1~2か月です。これくらいの期間で、子どもたちは「あの教師は、・・・・という教師だ」というレッテルを、それぞれの教師にはってしまうのです。
 この時期に「教師の人間的魅力」と「教師の指導力の魅力」を感じさせるようなかかわりや対応ができることが、その後の子どもたちとの人間関係に大きな影響を与えます。一度形成されてしまった教師のイメージの修正には、長い時間と多くのかかわりを必要とします。
 つぎの五つのことを心にとめて、教師が具体的に言葉や態度で子どもたちにメッセージを送り続けることが、現代の子どもたちとの人間関係づくりには必要なのです。
 教師からの「先生はあなたを見守っているよ、今のままのあなたを受け入れるよ、一緒に学んでいこう、一緒に学校生活を楽しもう」というメッセージを子どもたちが受けとったとき、子どもたちは教師とかかわりたいと思い、行動に移します。
1 子どもの存在を尊重する
(1)
問題行動は注意するが、人間性を否定するよう言動はしない。
(2)
子どもへの注意を、他の子どもの前でしない。
(3)
子どもの批判を、その子のいないところで、他の子どもたちにしない。
2 自分から子どもに話しかける
(1)
自分から名前を呼んで、あいさつする。
(2)
子ども情報をメモし、あいさつのとき、ひとこと添える。
(3)
子どもの変化に気づき、言葉にして相手に伝える。
(4)
自分の苦手な子どもや評価の低い子どもにこそ、言葉がけをする。いい面を言葉にして伝える。
3 子どもが話しかけやすい雰囲気を意識して作る
(1)
休み時間や放課後など、くつろいで子どもとおしゃべりできる時間を設定する。
(2)
自己開示して、役割を越えた交流を楽しむ。
4 プラス志向のフィードバックをする
(1)
感動したこと、おもしろかったことなどの感情を率直に表現する。
(2)
子どもの頑張りや、取り組んだ熱意に対して、小さいことでも言葉にしてほめる。
 
目立たないこと、いつもと同じように継続していること、結果は今一つだけれどもその子なりに頑張ったこと。
5 ユーモアと遊び心を持つ
(1)
子どもとも共有でき、自分も楽しい話題、趣味を持ち、一緒に楽しむ。
(2)
子どもたちとよく冗談を言う。
 おやじギャグは、受けなくとも、自分も楽しんで、あなたを攻撃していませんというメッセージの役割を果たします。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもに信頼され安心感を与えるには、教師は子どもとどのように接すればよいか

 教師は時代が変わったことに気づかなければならない。子どもとの接し方を変えるしかない。
 これまでの日本の学校では、教師と子どもとの間に一定の距離を置くことが常識的な方法となっていた。あまり近づきすぎると、教師の畏怖感を維持させることができないからだ。畏怖感を持たせることで子どもをコントロールしてきた。しかし、今はそういうわけにはいかない。
 畏怖感を与えるために子どもと距離を置くのではなく、子どもを理解するために「子どもが見える距離」まで近づくべきだ。子どもとの距離を縮めるには、なるべく多くの時間を子どもと過ごさなければ子どものことは見えないし、話しをすることもできない。
 教育の原点とは何だろうか。あえてひと言で言うなら、それは「子どもたちを理解する」ということだ。
 子どもの考え方や行動を認めるにせよ、それではダメだと否定するにせよ、子どもたちを正しく導くためには、子どものことを理解していなければならない。それが教育の大前提だと言えるだろう。
 問題ない子どもなんて一人もいない。どの子どもも、それぞれ人とは違う悩みや問題を抱かえている。そこを見ようとしなければ、その子の成長を助けることはできない。
 教師は、子どもとの距離をできるだけ縮めるよう努力し、彼らの心のドアをノックし続けなければならない。近寄れば近寄るほど、子どものちょっとした変化が見えてくるようになるだろう。
 たとえば昨日元気だった子どもがため息でもついていたら、「何かあった?」と声をかけてやればいい。声をかけても、その大半は取り越し苦労だ。
 でも、仮に取り越し苦労だったとしても、100回に一回は重大な問題に気づくことができる。「そんな効率の悪いことはやっていられない」と思うような人間は、教育に携わるべきではないと思う。
 担任を持っているとき、子どもの様子を見るうえで、私がもっとも大切にしていたのが、休み時間や朝の会と帰りの会だった。授業以外で子どもとふれ合う時間こそ、学校の存在意義があると言える。
 とくに登校後の朝の会は、子どものすべてが見える。前日に何かあった子どもは、そこで必ず何らかのサインを発している。机に伏せて寝ている子どももいる。窓の外をボーッと眺めている子どもいる。
 それはどれも、無意識のうちに発している「自分を見てほしい」「ノックしてほしい」というサインだ。そんなときは、休みの時間にすかさずノックだ。
 だから、ホームルームを大切にしない教師は子どもたちの問題を解決することができない。ホームルームは子どもが発している情報を読み取る場所、つまり子どもたちの日常を「見る」ための場所なのだ。
 現場の教師がホームルームに対する意識を改めるたけで、学校教育は今よりずいぶん良くなるのではないだろうか。
 だからといって、私は授業時間をおろそかにしていいと言っているわけではない。教師にとって教科指導と生活指導は別の仕事だと思っているかもしれないが、決してそんなことはない。
 どちらも、子どもたちの気持ちを引きつけて信頼を得ないとうまくいかない点では同じことだ。したがって「授業がへたでつまらないけど、生活指導はうまい」という教師はまずいない。
 授業中に子どもを引きつけられない人間にどうして生活指導ができるだろうか。日常生活で子どもに言うことを聞かせられるはずがない。
 だから教師は、子どもに信頼される生活指導を行うためにも、子どもの興味をかきたて、勉強の楽しさを味わえるような授業ができるよう、自らの能力を高めないといけない。
 いやいや学校に来ている子どもでも、自分の腕で授業を面白いと感じさせるのが、プロの教師としての仕事だろう。
 私は塾でナンバーワン講師になるぐらいでなければ母校の教師になる資格はないと思っていたので、必死になって授業のやり方を研究したものだ。
 きれいな字で板書できるよう練習をし、人気の高い講師たちの授業を聞きに行った。授業が面白く、子どもたちを引きつける魅力があった。
 他人の良いところはどんどん盗んだほうがいい。人気のある講師はみんな導入がうまい。無駄話から入るのだが、気がつくとそれが授業の本筋とつながっている。間を取り、息抜き時間も用意している。
 授業の技術ばかりに走らず、私が心から授業を楽しむようになってから、評価がどんどん上がっていった。
 教師が授業を楽しんでいると「先生がこんなに楽しそうに教えているんだから、きっと何か面白いことがあるに違いない」と、子どもたちが感じて意欲が上がるはずだ。
 今の教師が子どもに与えるのは、「畏怖感」ではなく「安心感」だと思う。そのためには、まず教師が子どもに近づいて「注目」してやることだ。
 まじめに勉強して良い会社に入れば幸せな未来が待っているという「神話」が生きていた時代なら、子どもたちもそれを信じることで当面は安心感を得ることができた。しかし、今は、そういう将来への安心感が持てない。だからこそ、大人たちが彼らに安心感を保証してやることが大事なのだ。
 誰にも注目されていない状態ほど、人間を不安にさせるものはない。だから子どもたちは、いつも誰かに自分のことを見てほしがっている。
 子どもというのは、将来の定まっていない存在だ。したがって、多かれ少なかれ不安を持って日々の生活を送っている。そんな子どもと距離を置き、なおかつ大人に対する畏怖感を与えてはいけない。
 教師は、子どもと一人の人間として本気で関わらなければ仕事にならない。全身から情熱を発して子どもたちに接するのが、教師の仕事だと思う。自分の持ち味を生かしながらやっていけばいいと思う。
 要は、子どもたちを心底「かわいい」と思えるかどうかだ。子どもがかわいいから「ダメなものはダメ」と熱くなって怒ることができるし、かわいいからこそ熱を持って抱きしめてやることもできる。一緒に遊んで、心から楽しむこともできる。それが教育本来の営みのはずだ。
(
義家弘介: 1971年生まれ、高校で退学処分となったが、北星学園余市高校を卒業し、母校の教師となり活躍する。後に横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新学期、教師は学級の子どもとたちと関係性をつくるために、どのように出あうようにすればよいか

 学級のスタートでまず大切なのは、教師が子どもたちに「安心」をあたえるということです。「安心」とは、ホッとした気分になれること、心配なく任せられる気持ちがもてるようになることです。
 その「安心」でつつみながら、子ども同士のなかに「一人ひとりが主人公」「力を合わせて自分たちでやれる関係性」をつくっていくのです。
 子どもはこの「安心」がなければ、教師を信頼しません。指示しても言うことを聞かないでしょう。その理由は、二つです。
(1)
学級の子どもたちを指導するのですから、生活まるごとを対象にした取り組みになります。子どもと教師との人間対人間の取り組みで、いわば全人格にかかわる取り組みです。
 それゆえ、「安心」から「信頼」へ、という基盤がつくられなければ、そもそも出発が成りたちません。
(2)
すべての子どもがどうにもならないほどの、ストレスを溜めています。したがって、教師が子どもに安心を与えてあげなければ、子どもは暗い淵に沈んでしまうことになるでしょう。
 では、具体的に何をすればよいか。まず、教師の投げかける言葉や行動が大事です。
1 ひいきをしない
 教師の「先生は子どもが大好きなの。だから誰もひいきにしないで大事にするからね」という言葉。これが一番歓迎されます。子どもたちをホッとさせます。
2 人間にクズはない
 教師が子どもたちに「人間にクズはないという言葉を知ってるかい。誰だってよい点をもっている。だからお互いのよい点をみつけ合い、暴力やいじめでなく、話し合いで解決できる学級をつくっていこう」と話す。
3 子どもたちといっしょに楽しむ
 安心をあたえるには行動が大事です。言葉だけでは、子どもは安心しません。教師の行動をみつめ、その事実で安心をつかんでいくのです。キーポイントは
(1)
遊んだり、楽しませてくれる
 教師が子どもたちといっしょに楽しむことです。手あそび、歌あそび、集団ゲーム、長縄とびなど、ふれ合いの実感が伝わるものがよいでしょう。
 子ども同士の関係性を深めるのに役立ちます。教師にも理屈抜きで安心感をいだくようになるのです。
(2)
話をよく聞いてくれる
 話を聞くときは、顔や眼を見ながら聞くこと。また共感・納得できることには、うなずきながら聞いてあげることが大切です。
 よく聞いてあげれば、子どもは安心(信頼)してたくさん話すようになります。そうなれば教師の方も、効果的な話ができるようになるわけです。
(3)
できない子、へたな子にもやさしい
 年を追うごとに問題性の深い子どもが増えているため、ともすると叱責や注意が多くなりがちです。しかし、誰だって怒鳴られたり叱られたりするのは、好きではありません。「やさしくしてほしい」という子どもの声は、当然のことと言ってよいでしょう。
(4)
気がかりな子どもへの対応
 気がかりな子どもが増えました。いわゆる手のかかる子、問題性をふくむ子どもたちです。そうした子の生育歴をみると、ほとんどが淋しさをかかえています。温かく対応してあげることが必要です。対応の観点は
1
ざわつき動きまわる子
 教師の用事を頼んだり役割をもたせたりして活躍させ、長所をみつけて励ます。
2
乱暴する子、すぐムカツキ、キレル子
 パニック状態のときは、危害防止に努め、落ち着くまで待って説諭する。
 平静な時に、手・足・体にふれてやさしさを伝え、対話の相手になる。
3
黙っている子
 意見を言うことを急がず「どうしたの」「何をしたいの」と、じっくり聞いてあげることに努める。自分の気持ちを書いて、それをもとに対話するのもよい。
4
成績にこだわり、落ちこみやすい子
 係の仕事や役割をもたせ活躍することで、長所をみつけて励ます。勉強以外で頑張ったことを大きくほめてあげる。
5
不登校の子
 登校させることを主目的とせず、生活の力をつけるよう「自分にできること」を増やす。また「友だち」ができるよう支援してあげることが大切。
 いずれの子の場合も、保護者との共通理解と共同の努力が欠かせない。保護者に問題点の指摘だけではいけない。「どうしたらよいか」を具体的に提言し「いっしょに努力しましょう」と励ましあうことが大切。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教育の善し悪しは、子どもと教師の人間関係の善し悪しではないか

 私が新採教師の時、初めて担任したのは小学校二年生でした。子どもたちと仲良くなり、自分なりには大体満足していたのですが、やることなすこと私に反対をして、てこずらす子が一人いました。
 一年後、その子と別れたときは心底ほっとしました。三年生になり新担任がいつその子に、ねをあげるか心配していました。
 ところが、その子はいい子になっていたのです。不思議に思って、物静かな女性の担任に聞くと、
「最初は、何も言うことを聞かず暴れていたわよ。ある時『あなたが私の言うこと聞かないなら、私もあなたの言うこと聞く必要ないね』と言ってあげたのよ」
「それから、その子の言うことは全く聞かなかったのよ。そしたら、いつの間にかそばに来てね、言うことを聞くようになったのよ」
と言うのです。
 情熱を込めて、怒ったり叱ったりすることがよいことだと考えていた自分の単純さを深く反省しました。その子の内面を見ないで、ただ怒っていては、子どもはかんしゃくを爆発させますよね。「人を見て法を説け」ということですね。
 
「言うは易く行うは難し」です。じっと見守って、内面まで考え、その子に合った方法を見つけていかなくてはいけませんね。
 この担任に教えてもらった「あなたが私の言うこと聞かないなら、私もあなたの言うこと聞く必要ないね」という言葉は、わがままな子には効果的に作用しました。そのつど、言われた子どもは、みな一様にはっとして、話を聞くようになりました。
 ある先輩の教師から聞いた話です。自分の気分が悪いときやむしゃくしゃしているときは、家から出がけに指に絆創膏をしていったそうです。子どもをすぐ叱ったり、怒ったり、当たったりしないように、その絆創膏を見て戒めたそうです。
 私は、家庭での嫌なことを学校に持ち込んでしまったこともたくさんありました。子どものために怒っているはずが、実は自分のむしゃくしゃを発散していることも、たくさんあったように思います。
 かっとなりやすい人は特に、自分の心に問いかけ、自分を落ち着かせる方法を自分で編み出して実行していくようにしたらよいと思います。
 子どもたちは何といっても、おだやかな教師が好きです。理不尽に叱られたりするような教師は嫌います。当たり前のことですね。
 教育の善し悪しは、つまるところ、子どもと教師の人間関係の善し悪しです。よい関係を築くには、まず教師がおだやかになることです。
 それから、叱るべきところは叱る。ほめるときはほめる。教師という仕事は、人間修養になりますね。でも、難しいですね。
 ある新採教師に、保護者が「あの先生は目配り、気配り、手配りが足りないのよ」と陰口を言ったそうです。この言葉は重いです。私たち教師に求められていることだと思います。
 問題が起きたときに、その子をじっと見守って、そのつどよかれと思うことをしていくことが、目配り、気配り、手配りをしていくことだと思うのです。
 全身全霊をかけて、誠意を持って明るく対応していくと、おのずから道は開けてくるのではないかと思っています。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたっている)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもに「よりそう」教師が崩壊し始めている、どうすればよいか

 今日の荒れは、荒れる現象そのものが「白い闇」につつまれたままであることも少なくありません。
 なぜ、あの子が突然荒れはじめたのか、なかなか見当がつかない。荒れる背景にある「くらやみ」が見えにくい。
 
「よくがんばったね」「よくわかったね」「やればできるじゃないか」などの指導的評価が、荒れた子や、まわりの子どもたちの心にかからない。しらじらとした雰囲気のなかで、子どもたちのもとにとどかない。
 子どもが些細な出来事を契機にパニックになることがあります。教師は、その子どもの思いを受けとめ、一生懸命に理解しようとします。
 すると、それを見ていた他の子どもが「あの子ばかり大事にされてずるい。自分もあんなふうにしてほしい」とばかりにパニックになります。
 こうしたパニックの連鎖が、学級の秩序を崩壊させ、ついには、授業をも崩壊させてしまうこともあります。
 荒れる子ども一人ひとりの思いによりそい、荒れる行動の裏側に隠された人間的な願いに共感することが必要です。理由もなく荒れ、バニックになる子どもは一人もいないからです。
 しかし、いま「授業崩壊」に苦悩している教師の多くは、この「よりそい」を柱に実践している心優しい教師たちである場合も多いのです。
 これは、つらい現実です。子どもに「よりそう」感覚を持った教師の実践が崩壊しはじめている。この矛盾に満ちた現実をどう理解したらよいのでしょうか。
 前進を励ます評価が空転し、一人ひとりによりそえば、教室にパニックの連鎖がはじまってしまう。こうした「白い闇」のなかで授業が崩壊していく。
 子どもの成長を励ましたいと願ったから教師になったのだ。子どもの抱かえる悲しみや苦しみによりそい、共感できる人間になりたいと願って教師になったのだ。
 それなのに、子どものためにと願えば願うほど、子どもとすれ違い、子どもが突然パニックを起こしてしまう。
 ここに、今日の荒れと向かいあう教師の深い「悲しみ」があるように思えてなりません。
 いま「白い闇」のなかで授業崩壊の危機にひんしている子どもたちのためにできることは何なのでしょうか。
 それは、何よりもまず、わからない自分、できない自分、まちがえる自分は見捨てられるかもしれない、という強迫観念から、子どもたちを解放してやることではないでしょうか。
 いま、授業の「日常」が問われているのだと思います。わからないことがほめられ、できないことがほめられ、まちがえることがほめられるような授業。
 そこで、おずおずとも、ごもごもと自分を語る身体と仲間の身体とが響きあうことができるような授業。
 そのような授業への挑戦こそが、子どものすなおな感情のうねりを解放し、子どもの表情にうるおいと彩りをとりもどしてくれる。
 授業崩壊への挑戦はそこからはじまるのではないでしょうか。
(
庄井良信:1960年北海道生まれ、北海道教育大学大学院教授。専門は臨床教育学)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変わったのは子どもではなく指導者のほうだ、子どもを変え成長させるにはどうすればよいか

 よく「いまの子どもは……」って言われるだろう。でも、ぼくは違うと思うね。子どもは変わっていないと思う。むしろ変わったのは大人、指導者のほうだ。
 
「子どもが変わった」とか、「最近の子どもはしんどいことをいやがる」というのは、みんな指導者の言い訳。ぼくはそう思う。
 
「ここで、こういうことに耐えておけば、こんな素晴らしい自分が待っているんだ」というような、子どもがドキドキするようなイメージを与えてやれば、絶対に反応は返ってくるんだよ。
 子どもの反応が返ってこないというのは、教師の伝える力が弱いからだ。それを知るのは簡単なんだ。「子どもたちに何をしてやったんだろう」と、自分に矢印を向ければもう、いっぺんでわかる。
 子どもの結果から学ぶことは、われわれ指導者にとっては非常に大きいんだよ。結果から学ぶというスタンスを、指導者やリーダーはしっかり持たないといけないと思うんだ。
 われわれ教師は前年と同じことをやっているわけにはいかないのだよ。つねに結果をフィードバックさせて、反省し、次に活かす。子どもを見て「ああ、いまの子たちにはこんなことが必要だ」ということを経験的にわからないといけないんだ。
 そういう気持ちでいれば、どんな子が入ってきても、つねに子どもの状況に対応できるはずなんだよ。「こうすべき」とか「こうあるべし」っていうことを押しつけてはいけない。それがわからないから、ついつい子どものせいにしてしまうんだ。
 だから、高校ラグビーの試合で伏見が花園に大敗したときにぼくが気づいたように「言ってわからん子はあかん」と言って、それで切ってしまうのではなくて、「どうしたらわかるようになるのだろうか」とか「どうやったら勉強するようになるのだろう」と矢印を自分に向けて、「じゃあ言い方を変えてみよう」というふうに考えてみる。
 いいか悪いか、できるかできないかで選別してしまうんじゃなくて「どうしたらできるようになるんだろう」ということにウェイトを置かなければいけないんだ。
 ちょっとしたきっかけを与えるだけで、子どもは本当に変わるんだよ。そんな指導者や教師を子どもたちは求めているんだ。そのためには、矢印を子どもに向けてしまってはダメ。
 
「おれは子どもたちに何をしてやったんだろう」といつも自分に問いかけて「どうしたらいいんだろう」と考える。そういう気持ちがいちばん大切だし、そうしないかぎりは、子どもを変えてやることはできないと思うね。
 何もわからない子どもには、強制を必要とする時期は絶対にある。なんでもかんでも好き勝手にするというのが自由ではないだろう。
 自由や個性というものには、自己責任が伴わなければいけないんだ。いま、それが実に少ない。そういうことに気づかせるためには、教育において強制される時期があって当然だし、それなくして自由にさせて、本当に社会に必要な人間になれるのかなっていう気はするね。
 何をしていいかわからない子にはきちんと目的を与えてやらせる。目的がはっきりしていれば「これさえやれば、こうなるんだ」とう意識につながっていくんだ。
 逆に、自分の目的に向かって自主的に取り組んでいけるような子は、そのまま見守ってやればいい。そういう子は、何かのときにちょっと手をさしのべてやるだけでグーンと伸びるからね、後からポンと押してやるだけで。
 その意味でも、イメージを与えてやることが大切なんだ。「おまえ、こうなったらいいな」とか「がんばったら絶対日本代表になれるぞ」というように、夢を語ってやったり、目標を語ってやる。
 そういうイメージをその子のなかにぼやっとわからせてやるわけ。それも、一人ひとりの子どもに全然違うイメージをね。そう言いつづけていくと、本人もだんだんそう思っていくんだよ。
 そのなかで、徐々にイメージが鮮明になっていく。そうなれば、どんどん自分からそのイメージに近づこうとするようになるんだ。何が必要か自分で考えるようになるんだよ。
 「やらされてる」のか、それとも「自分でやっている」のか、子どもにどう思わせるのかは、非常に大事なことなんだ。
 教育に限らず、どんなことでもそうだけど、やっぱり「こういう人になってほしい」とか「こういうチームをつくりたい」というイメージやビジョンを描けない指導者やリーダーは、人を育てることができないんじゃないかなと思うけどね。
 学習能力がない子は絶対に一流にはなれない。同じ失敗を平気で繰り返すからだ。努力をしない天才はいない。努力なしに素晴らしい勝利や感動は絶対に得られない。
 そういうことに気づかせてやれるかどうかが指導者は非常に大事なんだけど、言葉で言って、それがそのまま子どもの力になるのなら苦労しない。
 そこで大切なのがイメージなんだ。「どうしてやったらその本人にとってベストなのか、同時に周りの人間にも喜んでもらえる存在になれるのか」という青写真を指導者がきちっと自分のなかに焼き付けないと、現実からかけはなれた指導をしてしまうことになる。
 本当に「この子にこうなってほしい」というイメージがあれば、おのずとわかるはずなんだ。わからないのは指導者の愛情が足りないんだよ。
 何でも子どもにやってやるのが愛情なのではない。子どもを信じて、任せる。自分で気づくことができるまで、追い込んでやる。そういう気持ちが、本当の愛だと思うよ
 
「気づかせてやる」ことが一番重要だ。人から言われて気づくかということじゃなくて、「自分から気づく」ようにしてやらなければならないんだ。そういう場面や出会いをどれだけ用意してやれるかということが、指導者には大切だと思うね。
 もうひとつ大切なのが、それぞれの段階段階で「よし、いいぞ」って、きちんとほめてやること。評価してやることだ。そういう達成感の喜びがなかったら絶対ダメだね。もちろん、怒ったあとには、ちゃんとアフターケアーをしてやることは言うまでもない。
(
山口良治:1943年福井県生まれ、ラグビー指導者で元日本代表。高校教師として京都の無名の公立高校をラグビーで全国制覇させた。ラグビー部生徒への体当たりの指導が多くの反響を呼び、TVドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公のモデルとなった)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもとよい関係をつくるためには、教師はどうすればよいか

 いまの子どもたちとつきあうのは、本当に疲れる。いいかげんにしてくれよと言いたくなる。とにかく子どもたちは我慢ができない。トラブルは日替わりメニューのように起きる。教室にはトラブルメーカーの子どももいる。こうした子どもたちを相手に教師はどうすればいいのだろうか。
 子どもの荒れが広がり始めたころ、私は子どもの言動を許せず苛立っていた。教室にザラついて空気が流れ、不信は不信を呼び、子どもたちは私の言うことを聞かなくなった。
 現実を変えることができないと悟ったとき、子どもへのまなざしを変えなければと考えた。腹立たしい子どもを嫌わないためには子どもの見方を変えるほかない。
 私の家庭での子育ての経験がヒントになった。家で小学生の姉が失敗した。私は思わず激しく怒ったのに、幼い弟が同じ過ちをしても、幼児は「できなくて当たり前」と思うから腹は立たなかった。
 一人ひとりの子どもの細部を丁寧に見れば、どんな子どもにも健気な気持ちや成長したいという願いと小さながんばりがあり愛おしくなる。肯定的に子どもを見て、よさを発見することが教師と子どもとの関係を変える。
 そう考えると、教育は恋愛に似ていると思い始めました。人は恋すると好意を寄せ、よさを見出してくれる。好きな人のために、自分を向上させようとするエネルギーが生まれる。片思いでさえも好意が伝わる。
 教師の子どもへのあたたかい感情なしに教育は成り立たない。苦手な子、なかなか好きになれない子でも、関心や期待を寄せることならできる。
 どんな子どもも、愛されたいと願っている、誇りがある、心の奥で自分を成長させたいと願っていることを胸に刻んでおきたい。
 子どもへの対応にはマニュアルはない。教師は学校現場で学び、幅広い読書や文化のなかからできるだけ人間的な直観を養うほかない。「子どもだった自分なら、こうは言われたくない、こう接してほしい」と思う対応ができれば、子どもの心に届くものがあるはずだ。
 子どもたちは私たちがかつてそうであったように、大人になる過程でいつか変わり、成長する。根っこから悪い子も、いつまでも悪い子もめったにいない。
 そうだとすれば、目の前の悪い子を嫌わず、いつか「変わりゆく子」のために、何かを心に残すことが教師の仕事だと考えるようになった。それは「悪かったが、信頼してくれた先生がいた」という思いであり、すぐに成果が出るかどうかより、教師が何を願い、何を試みていたかが子どもの人生に残ればいいと思う。
(
佐藤 博:1948年香川県生まれ、元東京都公立中学校教師。千葉大学・法政大学非常勤講師。教育科学研究会常任委員、「学びをつくる会」世話人)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いじめの指導 | さまざまな子どもの指導 | ものの見方・考え方 | カウンセリング | 不登校 | 人間の生きかた | 保護者との協力関係をつくる | 保護者にどう対応するか | 保護者の実態 | 優れた先生に学ぶ | 優れた授業とは | 優れた教科授業例 | 先生の実態 | 危機管理 | 叱る・ほめる・しつける | 各国の教育 | 各教科の授業 | 問題行動の指導 | 国語科の授業 | 地域 | 子どもから学ぶ | 子どもたちに対する思い | 子どもたちの関係づくり | 子どもと向き合う | 子どもの失敗 | 子どもの実態 | 子どもの成長をはかる | 子どもの指導の方法 | 子どもの見かた | 子どもへの話し方 | 子育て・家庭教育 | 学び合う学び | 学校の実態 | 学校経営と組織 | 学級づくり | 学級の組織と活動 | 学級の荒れ | 学級崩壊 | 学級通信 | 学習指導・学力 | 学習指導案 | 実践のための資料 | 家庭 | 掃除 | 授業づくり | 授業のさまざまな方法 | 授業の展開・演出 | 授業の技術 | 授業中の生活指導 | 教師との関係 | 教師と子どもの関係づくり | 教師に必要とされる能力 | 教師の人間としての生きかた・考えかた | 教師の仕事 | 教師の心の安定 | 教師の成長・研修 | 教師の話しかた | 教師の身体表現力 | 教材・指導案 | 教材研究 | 教育の技術 | 教育の方法 | 教育の理念や思い | 教育史(教育の歴史と変化) | 教育改革 | 教育法規 | 教育行政(国・地方の教育委員会) | 新学級づくり | 理科の授業 | 社会環境(社会・マスコミ・地域) | 社会科の授業 | 算数・数学科の授業 | 経営とは | 英語科の授業 | 評価 | 話の聞きかた