カテゴリー「カウンセリング」の記事

今の子どもたちは、どのような問題を抱える子どもが多いのでしょうか、どうすればよいか

 子どもが思春期に入るというのは、人のこころの影の部分に気がつくということでもあります。
 鬱屈した葛藤を抱かえるようになることは、子どもが思春期に入ったということです。
 無邪気だった子が、親に否定的な目を向けるようになったりするのは、親にとってもきついことです。
 でもそれは、子どもが自分について考えるようになるために必要な道のりなのです。
 「本当は思い切り本人に向かって言ってやりたいことがあるけど、我慢しよう」というように、自分の衝動をどこかで自覚しつつ、それを止める自分もいるという両極の気持ちを抱かえることができるのが、葛藤の基本である。
 それがあるがゆえに、未来に起きるであろう自分と他者の不利益を予想して、自分の行動を社会化させていくことができるようになります。
 もちろん、ついつい言い過ぎたり、行動に出てしまって、トラブルになることもある。
 そういうことをした後で、自己嫌悪にさいなまれたりする。
 これが今までの「ふつうの」思春期のありようだったのです。
 ところが、他人のことをまったく考えられず、自分の衝動や欲望だけに忠実で、罪悪感もない中学生や高校生が増えてきたという話が学校の先生方と話しているとよく出てくるようになりました。
 カウンセラーとして学校現場にいても、悩みがあって相談をする子どもが以前よりも減ってきている。
 カウンセラーのところに話しに行こうとする子は、自分のことや人間関係で葛藤や悩みをもっている。なので、治療もできて、変化していくという経過をとることができるのである。
 ところが、人間関係でトラブルや問題行動の多い子が先生に勧められて面接室にやってきても、何度面接しても表層的な「フツー」の話しかしないか、周囲の人たちへの悪口で終始するというようなことも珍しくない。
 そして、以前ならば中学生の相談で私が聞いていたような人間関係の悩みに、二十歳を過ぎてから、どうかすると、30~40歳代になってから初めてぶつかる人の話を聴く機会も増えてきた。
 さまざまなことで悩み、葛藤するのが思春期だったが、目の前の「フツー」の子の思春期には、当てはまらないケースが増えてきています。
 どのような問題を抱える子どもが多いでしょうか
 学齢期の子どもに関しては、最近は発達障がいではないかと心配して、親に連れて来られる子どもが増えています。
 またネットの問題、特にLINEやtwitterのトラブルで心の問題を抱えることになった思春期の子どもや、子どものスマホ使用が長すぎることで不安になった親御さんの相談も増えています。
 LINEやTwitterなどの短文でやり取りをするコミュニケーションは、まだ書き文字での交流が訓練途上の子どもたちにとって、実は難易度が高いツールです。
 どう読み取っていいのかわからないような表現のやりとりは、疑心暗鬼を呼びやすいのです。
 顔を合わせて話していれば誤解が生じることなどないことでも、言葉のニュアンスがうまく伝わらず人が怖くなったり、その不安を払拭しようとして逆に攻撃的になったりしてしまうこともあり、それが深刻なトラブルの原因の一つになっていると感じます。
 それらを解決するための糸口は、とにかく実際に顔を見て会うというオフラインの付き合いを増やすことが大事だと思います。
 コミュニケーションというのは、言葉が占める割合よりも、その時のその人の表情や、声のトーンによって伝わる部分が圧倒的に多いものです。
 LINEやメールだと、何か怒りを向けられているように感じていたけど、会ってみたらそんなニュアンスは全然なかったということは大人でもあるように思います。
 実際に会ったときの感覚を大事にすることが重要だと思います。
 また親や学校の先生だけでなく、それ以外の大人と話す機会を敢えて作っていくことも大事かなと思います。
 そうすると、世界が少し広く見えて、息がしやすくなる子もいると思います。
 そのような安心して会える大人として、この相談センターのスタッフや大学院生を求めている子もなかにはいます。
 また今は「スマホ子守」と言って、子どもが泣いたりぐずったりするとスマホやタブレットを持たせることも一般的になってきました。
 手伝ってくれる人がいないなかでの子育てはほんとうに大変なので、これも仕方がない部分があります。
 しかしいつでもスマホに任せてしまって二次元の刺激に興味がいく環境に慣れてしまうと、二次元の中で気持ちを抑える癖がついてしまいます。
 そうすると本当に困った時に生身の人にどうSOSを出したらいいかがわからなくなるという危険性もありますね。
 プレイセラピー(※)で、今までいろんな理由で表現できなかったことを表現する機会を与えると、子どもはそれだけで変わる可能性があります。
 もちろん、そういうことが起こるためには一緒に遊ぶセラピストには専門的な知識が必要になってきます。
※プレイセラピー(子どもの心理療法)
 子どもは、大人のように自分の行為や気持を言葉にしてうまく伝えることはできません。そのため、言葉に頼らない遊び、描画、ゲームの方法で、子どもの困っている問題、症状にアプローチしていきます。
 治療者との遊びや会話の中での、相互交流を通して、子どもが安心感をもって自分の気持ちを表現できるように手助けをします。
 遊びの表現の中に、子どもが困っていることが表現されていきますので、治療者がそのことを理解し、子どもとの相互交流の中で、問題が解決していくことが促進されます。
(岩宮恵子:1960年鳥取県生まれ、臨床心理士、臨床心理相談室を個人開業 、島根大学教授)

 

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教師はカウンセリングを学ぶと自分が好きになってくる

 カウンセリングを学ぶと、問題から少し距離をとる感性が育ってきます。
 家族や子どもたちの焦りに巻き込まれず、全体の場の雰囲気を理解しながら対応する力が生まれてくるのです。
 カウンセリングを勉強すると、教師自身の心の中での葛藤も生じます。
 しかし、それは自分自身を見つめ直すトレーニングなのです。
 たとえば、子どもたちとの関わりの中で、過去の自分が経験した「つらい思い」や「心残り」を体験したり、自分の子どもに対して抱いていた「自分の思いや心残り」の気持ちを子どもに押しつけたりします。
 過去の思いから生まれる感情を子どもたちにぶつけたりもします。
 自分の感情を関係のない子どもに映し出してしまうのです。
 しかし、カウンセリングを勉強していると、そのような感情がどのようにして起きてくるのかが自分にも明らかになり、その感情をどう処理したらよいかがわかります。
 また、教師自身が一人の人間として、どのように周りの人々に影響を与え、周囲と関わっているかも見えてきます。
 それは、自分の正直な姿であり、その姿が一人の人間として愛しくなり、自分を認めることができるようになっていきます。
 このような経験が人間として自らを大きく成長させてくれるのです。
 カウンセリングを学ぶことで、自分が成長できたと感じるのは「自分が好きになってくる」からです。
 いろいろな事態や状況に対して、自分を肯定的に見ることができるようになるのです。
 この見方は、教育の現場では重要なことです。
 教師は子どもを指導するときに、注意や禁止といった指導をしがちになります。
 子どもたちと肯定的な関わりが少なくなってくるのです。
 子どもたちと向かい合うためには、教師自身が自分を肯定的に受けとれるようになる必要があります。
 そうなることによって、子どもたちとも肯定的な関わりができるようになるのです。
 それができてこそ、教育の喜びをより感じとることができるのです。
(上野和久 1953年生まれ 高野山大学准教授、臨床心理士カウンセラー。和歌山県公立高校副校長、和歌山心療オフィス所長を経て現職)

 

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相手の身になることができる子どもを育成するにはどうすればよいか

 國分康孝先生が、なぜ相手の身になることをそんなに強調するのか。
 國分先生は諸悪の根元は相手の身になることの欠如にあると思っているからです。
 國分先生は教育大学を出た後、いい職がなくって「ただでもいいから仕事くれませんか」と言って探していましたら、刑務所がただでよかったら使ってあげるからといってくれました。
 國分先生の滑り出しは刑務所のカウンセラーから始まったんですよ。
 今から考えたらすごくいい勉強したんですけど。
 そのときの受刑者の一人が、この刑務所に来る事の起こりを次のように話しました。
「自分が久しぶりに学校に行ったときに先生が『おまえ今頃何しに帰ってきたんだ』と言った」
「それで僕は本格的にぐれだしたんですよ」と。
 先生が「いやあ、久しぶりだね」とか「よく戻ってきたね」とか言って久しぶりに来た彼の気持ちに触れるようなことをその先生が言えばよかったんですが。
「そこ、おまえの席だから、そこに座れと一言、言ってくれたらそれで済んだような気がする」というんですね。
「今頃何しに帰ってきた」それが非常にこたえたらしいんですよ。
 それで、私がそのときに得たものは、いいアドバイスなんかいらないから要するにわかってもらうだけでも人間は生きる力が出てくる。
 教師とは目の前に座っている生徒さんとか目の前の集団全体が今どんな心理状態かを考えることです。
 たとえば、自分が生徒だったら、たぶん疲れているのだろうと思って「おいみんな疲れたか」となってくるんですよ。
 そうしますとですね、心理学で博士号を取った人よりは義務教育の学校しか出てない人の中でも、人の気持ちのよくわかる人がいるということになってきますよね。
 ですから学問だけではいい教師になれない。
 一番いいのは、自分自身が生徒と似たような感情体験のある人、これは生徒の身になりやすい人だと思うんですよ。
 私は、学生時代、女房に食わせてもらったんですよ。学生結婚だったので。
 そういう体験があるもんだから学生結婚の子が私の所へ相談にきた場合、話がよくわかるわけだ。相手の身になりやすいから。
「そりゃそうだよなあ」と相槌も、調子いいんですよ。そうすると学生さんは國分先生としゃべるだけで元気が出てきたといいますよね。
 ところが私は独身時代にガールフレンドに振られて死にたくなるという経験はないんですよ。
 一回目の恋愛ですぐ結婚したもんだから。そうすると振られて死にたいという学生が来ても、いまいちぴんとこないんですよ。
 なぜ振られたくらいで死にたいのかとこう思うもんだから。
 そうすると学生さんは部屋を出るときに「先生、ちょっと割り切りすぎてますね」って捨てぜりふを言って出ていきますね。
 それで結論として人の身になれる人というのは、豊かな感情体験を持っている人と考える。
 ところが、金の苦労とか愛情の苦労とか全くしたことのない教師もいると思う。
 ですからそういう人は、愛情の苦労をした人の話を普段から聞く、金の苦労をした人の話を普段から聞く。
 せめて間接体験ぐらい豊富にしておいたら、ちっとは人の気持ちの分かる人間になる。
 構成的グループ・エンカウンター(SGE:注)の良さは、いろんな人が自己開示してくれるので、なるほどそんな感情の人もいるんだと知って、今まで感情Aしか知らなかった人が感情B、Cを知っていくところに良さがあると思うんです。
 私がそのことを知ったのは、ある時私の講義を聴いてる五十過ぎの女の先生が泣き出したときのことです。
 私が「どうされたんですか」って聞いたところ「先生の話を聞いてるうちに自分で自分のことがかわいそうになってきて泣いているんだと」言うんですね。
「自分の何がかわいそうなんですか」と聞いたら甘えたくても甘えられない自分に気づいて、それで泣いているんだと、言うんですね。
 それで私はですね「甘えたいけど甘えられない事情でもあったんでしょうねっ」と応じたのです。
 そしたら私は継母に育てられたもんだからって言うんですよ。
 それで、私は継母に育てられた体験がないものだから、とっさにそのとき、
「この中で継母に育てられた人、挙手」ってやったら、ある若い人がハイって手を挙げてくれたんでその若い先生に
「すまないけどちょっとこの先生の面倒をみてほしいんだけど」と頼んだのです。
 で、二人で廊下に出ていったんです。
 休憩時間に泣いていた先生が私のところに来まして、國分先生の処置は非常に適切だったということを言いに来たんですよ。
 それで、あとで若い先生を呼んで「どんなことをしてあげたの」と聞いたら、要するに廊下に出て「私が最初の言った言葉がよかったらしいですよ」と。
「どんなこといったの」と聞いたら「ごはんのときが一番つらかったでしょう」と若い先生が言いましたところ「私の気持ちをわかってくれたと言ってその人は泣きやんだんですよ」と。
 それでも、私は「ご飯のときが一番つらかったでしょう」ということばの意味がわからなかったんですよ。
 その程度にしか私は、人の身になる能力がなかったわけなんです。
 私は、わからなかったからその意味を聞いた。
 そうしたら、継母の産んだ子は平気で、おかわりと茶碗を出す。
 けれども継母に育てられた子どもは、その都度おかわりと言っていいものやら悪いものやら考え込んでしまう。
 つまり食べものというのは愛の象徴ですので愛をくださいという意味なんです。
 愛をくださいってことは、つまり甘えていいか悪いかその都度迷っていたと。
 そういう自分を思い出して不憫になって泣いていた。
 そういう意味らしいんです。
 その話を聞いたときに私自身は、継母に育てられていないけれど、たまたまそういう人が私に自己開示してくれたので、なるほど世の中にはそういう人もいるってことを知ったわけです。
 それゆえ、将来もしもそういう人が私のところに来た場合、少しは響きのある応答ができると思うのです。
 ですから、SGEで子ども同士でも、会話しているうちに少しずつ他人の気持ちが分かるようになるという良さがある。
 しかし、まず教師自身が生徒よりは感度がよくなければいけない。
 まず教師自身が普段から体験を少しでも豊富にし、それでも足りないところは他人様から耳学問しておくとよい。
 第二に、人の身になれない人っていうのは、自分の価値観に固執する人です。
 たとえば、生徒は教師に口答えすべきでないとか、そういう特定の価値観があると相手の身になれませんよね。すぐ腹が立って怒りたくなるから。
 カウンセリングも、価値観を捨てて相手の世界を理解するということを強調しますね。それから、処方箋出していくわけですね。
 ですからよく私が、引用しているのが、道元の言葉です。
 道元が中国から帰ってきたときに弟子が先生は中国で何を得ましたかと聞いた。
 そしたら道元が「空手に郷に還る」と答えたと。私は「手ぶらで帰ってきた」と。
 つまり、つかもうと思ったら何でもつかめる自由を得てきたという意味なんですよ。
 私は精神分析者ですとか、特定のものをつかんでしまったら、それ以外のものはつかめなくなる。そういう不自由な境涯から私は解脱してきた。
 この道元の心境をカウンセリングの言葉で翻訳したら、生徒や保護者と接触するときは「自分の価値観を一時的に捨てて、手ぶらで相手の世界に入っていかなきゃいかん」となります。
 人の話を聞くためには、価値観をどけろということ。
 自分の「ねばならない」を捨てて、手ぶらで相手の世界に入っていくという訓練をやっているわけですね。
 ところで、教師とかは価値観を打ち出して飯を食っているわけですけど、しかし、人を助けるには、その価値観を捨てた方がよい場合がある。
 いくら教師でもですね、自分の子どもが不登校で困っているときに、よその親が相談に来た場合、お宅も不登校ですか、私も子どもが不登校で困ってるんですよと言いたくなりますよね。
 つまり、自分自身の問題を抱えすぎていると、人どころではない、君どうしたのと応ずるゆとりがない、すぐ自分のことを言いたくなる。
 そこで、教師というのはですね、人が半年ほど悶々とすることを一週間ぐらいで乗り越えていくように自分をしつけていかないとですね、なかなか、「あなた、どうしたの」というせりふはでてこないような気がする。
 短時間に、ぱっぱと自分の問題を解く方法をみんな考案すればいいんですけど、私はそこのところを、論理療法を借用しているんですよ。
 打ち破れない悩みの壁、「ねばならぬ」の思い込み(ビリーフ)が自分自身を呪縛する。ビリーフを探り出すこと、そして合理性の定規を当てること。
 落とし穴の非合理性に気づくことがブレイク・スルーのはじまり。
 論理療法とは「非合理的な思考をみつけて取り出し、それに有効な反論を加えて、次第に考え方を変えさせ、人を自滅の方向から救い出すもの」です。
 自分を束縛するビリーフを検討することは、すなわち自己の省察だからである。
 その省察を通して、みずから不幸を招いているかもしれない自分を見出すことが大切なのだ。
 誤った人間とは、正しく認識することをしない者のことだとプラトンも言った。
 そして「汝自身をしれ」と師のソクラテスは神託を受けたではないか。すなわち、自己を発見せよと。
「ねばならない」の思い込みが自分自身を呪縛する。
 ビリーフを探り出すこと、そして合理性の定規をあてること。
 落とし穴の非合理に気づくことがブレイク・スルーのはじまり。
 私のいちばん言いたいことは、考え方次第で悩みは消える、ということである。
 私の専攻するカウンセリング心理学の立場からいうと、悩みとは欲求不満のことである。
 つまり、人生が思うとおりにならなくて、気持ちが落ち込んだり、自信がなくなったり、世も末だと思ったりするのが悩みである。
 ということは悩みのない人間はいないということである。欲求不満がつきまとうのが人生である。
 そのためにノイローゼになったり、落ち込んだり、浮かぬ顔をしているのはなぜか。
 頭の使い方が上手でない場合に落ち込むのである。
 考え方がツボからはずれているということである。
 つまり人生哲学の検討がたりないということである。
 今の世の中では頭を使わないと幸福にはなれない。
 それで、結論。
 生徒を扱う私たち教師は、生徒の身になる心が必要である。それがカウンセリングマインドの第一ヶ条である。
 そのためには、なるべく生徒と似たような感情体験がある方がいい。特定の価値観に固執しない方がいい。
 それから、自分の問題を素早く解決する方法を身につけた方がいい。
 そういう風な相手の身になるような生徒を育成するにはどうしたらよいか。ここで、SGEが登場して来るんですよ。私の図式ではですね。
 人の身にならなければおれないようなSGEを、小学生向き、中学生向き、高校生向きといろいろみんなが開発すればいいわけですね。
(注) 構成的グループ・エンカウンター(SGE)とは、グループ体験を教師が意図的に組織し、ホンネとホンネのふれあいによる人間関係を通して、今まで知らなかった自分や他者に出会うための教育技法。目的は、ホンネのふれあいと自己発見を促すこと、集団内にリレーションをつくること。
(國分康孝:1930-2018年大阪府生まれ、東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任した。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長、日本教育カウンセラー協会会長なども歴任した。構成的グループエンカウンターを開発した)

 

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教師は情熱が第一条件だが、そこに技がなければいけない、エンカウンターを採り入れて生徒同士の関係を深め、荒れの克服をめざした

 鹿嶋真弓先生は、「エンカウンター」という手法を使って、生徒同士にコミュニケーションをとってもらい、クラスの絆を深めていくという教育で、有名な先生です。
 鹿嶋先生は、今では、いじめのない理想のクラス作りの第一人者ですが、やはりここまでの道のりは壮絶なものでした。
 鹿嶋先生が40歳のとき、異動して受け持ったクラスは、いわゆる学級崩壊状態。
 鹿嶋先生が教室に入ると「ウザイ」「ババア」「帰れ」と言われた。
 何かしゃべると「聞いてねえよ」と返ってきたそうです。
 授業中に机の上を走りまわる生徒、理科の実験中、火のついたマッチが飛んできたこともあったそうです。
 鹿嶋先生は、胃潰瘍になり、学校の校門をくぐるのが怖くて、帰ってしまったこともある。
 「人間やめますか?それとも、教師やめますか?」というような状況だったそうです。
 鹿嶋先生は、20年近く教師をやってきて、はじめて「教師を辞めたい」と思った。そして、友達に「教師を辞めたい」と相談したそうです。
 友達から帰ってきた言葉は、「鹿嶋さんらしくないね」でした。
 そこで、鹿嶋先生は、ハッとします。自分が20歳代の頃、ガムシャラに教師をやっていた時のことを思い出します。
 「今の私は、自分の苦しみから逃れるために、昔のように本氣で生徒に向き合っていない」
 「本当に一番苦しいのは、子どもたちじゃないだろうか?」
 「子どもたちに、何かしてあげられないだろうか?」
 と鹿嶋先生は考えました。
 子どもたちが担任を無視したのは、前学年の担任6人のうち5人が勤務継続年限のため他校へ異動となり、生徒たちは「見捨てられた」と感じ、教師を信頼できなくなっていたからだった。
 同じ学年の担任は皆、夜遅くまで学校に残り対策を話し合った。
 6月初旬の2泊3日の移動教室で、小さいころに親から「してもらったこと」「してあげたこと」「迷惑をかけたこと」を思い出す「内観」をやろうということになった。
 担任がまず自分の思い出を話した後、内証で親から預かっていた手紙を生徒たちに渡し、生徒たちが壁に向かって読んだ。
 生徒たちが感動している様子が背中から伝わってきた。すすり泣く生徒もいた。
 そして、その手紙を、生徒同士で見せ合い、コミュニケーションを取り始めたそうです。
 一人の生徒が鹿嶋先生のところにやって来て「先生読んで」と手紙を差し出した。それまで「ババア」と罵っていた生徒だった。
 鹿嶋先生だけでなく参加した教師みんなが変化の兆しを感じた。
 ここで鹿嶋先生は気づきます、
 「そうか、先生と生徒ではなく、生徒同士がコミュニケーションを取れる方法を考えればいいんだ」
 そこから「エンカウンター」を使って、生徒同士がコミュニケーションをとれる方法を作っていったそうです。
 「思っていることは言う、書く」を継続することで関係性を深めていくことが大切だと考え、何かをしてくれた友だちにお礼のメッセージをあげるエクササイズ「あなたに感謝」を席替えの度に行った。
 次第にクラスの雰囲気がまとまっていくのを感じた。
 担任による日ごろの観察と合わせて「気になる子」をピックアップし、学年会やスクールカウンセラーなども交えた検討会で対応を話し合う。
 また、年2回の「ハートフルウィーク」では、自分の話したい先生を選んで相談ができるようにもなった。
 「エンカウンターの授業が生きるのは、仲間の教師の存在と学校全体での取り組みがあってこそ」と鹿嶋先生は強調する。
 受験への対応でしばらくエンカウンターの授業をできずにいると、給食の最中に一部の生徒たちが「勝手にエンカウンター」と称して、友人への感謝の気持ちを伝え合い、拍手をしていた。
 「自分のした行動が人から感謝される」→「自分の行動は人を喜ばせると自覚する」→「他の人にも同じ行動をしてみたい」→「他の人からも感謝される」と言う思考や行動が強化された成果だと、鹿嶋先生は感じた。
 「エンカウンターですぐに生徒が変容し、自己成長していくわけではありません。日々揺れ動く思春期の心に寄り添い、そうした揺れに対して臨機応変に展開していくことこそ、いまの中学で求められているのだと思います」
 生徒同士にコミュニケーションのきっかけを与える「エンカウンター」(構成的グループエンカウンター)は、アメリカで開発された考え方を、日本の教育心理学者・國分康孝氏が持ち込んだ。鹿嶋先生はそれを現場で実践した先駆者の一人だ。
 例えば、「愛し、愛される権利」「きれいな空気を吸う権利」「遊べる・休養できる時間を持つ権利」など鹿嶋が提示した10の権利のうち、何が一番大事かを生徒達に話し合わせる。
 6人ほどのグループに分かれ、それまで話をする機会の少なかった生徒同士も意見を交わす。
 大事にする権利も、その理由もそれぞれ違う。話し合うことで、互いの価値観を知り、関係が深まっていく。
 鹿嶋先生がこうした授業を取り入れる背景には、自身の教師生活の中で感じている「生徒の変化」がある。
 最近の生徒達は、コミュニケーションの力が落ちているというのだ。
 人付き合いが苦手で、ほっておくと、なかなかクラスメートと関わろうとしない生徒もいる。
 核家族化が進み、地域社会の結びつきが薄れている昨今、他人と関わる場として、学校の役割はますます大きくなっていると、鹿嶋先生は考えている。
 鹿嶋先生は、さまざまなエンカウンターのプログラムを駆使し、生徒同士を関わらせる。生徒一人一人が絆(きずな)の糸でつながっていれば、いじめや学級崩壊は起こりえない。
 生徒同士のネットワークが張り巡ったクラスを鹿嶋先生は常に目指している。
 鹿嶋先生は、
 「自分は独りよがりだった。私ばっかり、なんで私ばっかりこんな辛い目にあうの、と考えていた。けど、見方を変えた瞬間に、周りの人を支えたいと思った」
 「視点を変えれば、光は必ず見えるんだ」
 「教師は情熱が、まず第一条件」
 「情熱だけではダメだなっていうことを体験したので、そこにワザがなくちゃいけない」
 「立ち止まることなく、いつも研究をし続けながら、現在進行形で実践する人でなければいけない」
 と語る。
(鹿嶋真弓:広島県生まれ、東京都公立中学校教師(30年間)、神奈川県逗子市教育研究所長を経て高知大学教授を経て立正大学特任教授。文部科学大臣優秀教員表彰。日本カウンセリング学会賞受賞。専門は学級経営、人間関係づくり、カウンセリング科学。構成的グループエンカウンターなど教育現場に活かせるワークショップを展開。『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)出演)

 

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カウンセリングを学ぶと、あなたの人生が変わります

 カウンセリングを学ぶと、あなたの人生が変わります。
 深く自分を見つめて本当の自分を見つけ、自分らしい生き方ができるようになっていくのです。
 人間として教師として成長すれば、もう怖いものはありません。
 管理職の評価は気にならず、同僚教師に足を引っ張られてもへっちゃらです。保護者にバッシングを受けても耐えていけます。
 カウンセリングを学ぶことによって、最初に起こる表面的な変化は、相手の気持ちに寄り添いながら話をていねいに聴けるようになることです。
 すると「あの先生は、お説教が多かったのに、私の話を親身に聴いてくれるようになった」と感じるようになるでしょう。
 カウンセリング学習で最も重要なポイントは
1 本気で人生を生きる
2 深く自分を見つめること
3 深く交流し合うこと
です。
 これができなければ、他の人と深い心の交流を行うことはできません。
 不登校やいじめなどの問題の予防や解決のためにカウンセリングを学ぶ人も多いと思います。
 カウンセリングの技法を学ぶことによって、背景にある哲学を学んで、自分自身の哲学にしていくことです。
 カウンセリング学習の核になるのは、エンカウンターやワークショップなどで、自分を深く見つめて、仲間で深く交流し合う体験を積んでいくことです。
 自己成長するためには、カウンセラーになる者自身が自己を深く見つめること、深く交流し合うことが何よりも大事なトレーニングで、そこに最も多くの時間とエネルギーをさきます。
 教育は人格形成の営みです。そうであれば、まず教師自身が、自らの自己形成、自己成長に取り組んでいかなくてはなりません。
 教師自身が人間として成長していく。自分を高めていく。より深みのある人格をめざしていくのです。
 私がこれまで出会った多くの先生方のなかには「これは、ほんものの教師だ」と思える方がいました。
 そんな本物の教師には共通する要素があります。それは、教科の教え方や生徒指導のスキルにとどまらず、自己成長に真剣に取り組んでおられるということです。
 自分自身を深く見つめ、人間的に成長することに真剣に取り組んでいるのです。
「よい教師の条件」は、二つあると思います。
1 生き方のモデルになっている
 子どもや保護者、同僚の教師から見ても「こんな人間になれたらいいな」という生き方のモデルになっていること。
2 人間的な魅力や深みがある
 人生の苦難にぶつかったとき「あの先生に相談したい」と思ってもらえるような人間的な魅力や深みがあることです。
「この人だったら、本気で受けとめてくれる」という希望を持たせることができる人です。
私は、教師のカウンセリングを専門にしています。
 先生方の悩みはさまざまです。学級経営がうまくいかない。落ち着かない子どもたちが増えた。保護者からクレームがくる。これに先生方自身の人生の悩みも加わります。
 このように深い悩みを抱かえた同僚教師が「この先生ならきっとわかってくれる。相談してみよう」と思える人間としての深み、温かみ、人格の器を感じることができる人にあなたはなれているかどうか。
 同僚教師に胸を開いて相談してもらえる教師になれているか否かが、問われるのです。
(諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。悩める教師を支える会代表)

 

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プロの教師となるために,身につけるべき知識や技能にはどのようなものがあるでしょうか

 教師は「教育のプロフェッショナルな職人」です。高度の専門的な知識と技能がなくては務まらない専門職です。現実はともかく,少なくとも,そうあるべきだと私は思います。
 
「プロ教師」などという言葉がありますが,教師は本来「プロフェッショナルな知識と技能,人格を持ち合わせた教育の職人」であるはずです。
 そして実際,自分の仕事に自信と誇りを抱いてきた教師たちは,誰から強いられることもなく「プロフェッショナルな教育の職人」として恥ずかしくないだけの知識と技能を身につけようと,日々努めてきたはずです。
 私のまわりには,つぎのようなすばらしい教師の方々がたくさんいます。
「子どもからも保護者からも厚い信頼を寄せられる教師」
「感動的な授業をつくることのできる教師」
「学級をうまく育てていくことのできる教師」
「問題児からの攻撃も,保護者からのクレームも,自分のエネルギーに変えていくかのように,日々成長し続けていく教師」
といった教師たちがいます。私には,とても真似のできないことです。
 そして,このような教師たちは人知れず,日々,教師としてのスキルアップのための努力を重ねています。休日を返上し,自費で高額な研修会に参加し,自分の技を磨き続けている方もけっして少なくありません。
 そんな教師を支えているのは「プロフェッショナルとして胸を張ることのできる技術を磨いておきたい」というプライドです。「クラスの子どもたちに,少しでも役に立ちたい」という気持ちからかもしれません。
 そんな先生方は「教師としての技(スキル)を極めよう」と日々努力を重ねておられるのです。このような動きも「教師はプロフェッショナルな教育の職人」たるべきだという考えにもとづいてのものでしょう。
 では,あなたが「プロフェッショナルな教育の職人」となるために,身につけるべき知識や技能には,どのようなものがあるでしょうか。
 私がおすすめしたいのが,カウンセリングテクニックです。
 カウンセリングの分野には,さまざまな心の問題や人間関係,集団や組織の問題に対処するために蓄積されてきた,たくさんの有益な知識や技能,具体的な方法論があります。
 これを学ぶことが,あなたが教師としての技を極め「教育の達人」になるために不可欠のものだと私は思うのです。なぜでしょうか。
 昨今,教育現場で生じているさまざまな問題は,その大半が何らかの人間関係やそれに起因する心理的な側面にかかわったものだからです。
 例えば、指導のむずかしい子どもとの関係。次々とクレームをつけてきてあたかも教師が困惑するのを見て楽しんでいるかのような保護者との関係。 
 そんな保護者に刺激されたかのようにしてますます混乱の度を増してくる子ども集団との関係。自分の考えを一方的に押しつけてくるばかりの同僚や管理職との関係。
 こうした,さまざまな次元の「関係のねじれ」が,教師という仕事をむずかしくしているのです。したがって,私はこう思います。
 この時代,教師は特定教科を教えるプロである以前に「人間関係のプロ」でなくてはならない。人間関係をうまく処理できる技能なくしては,プロフェッショナルな教師は務まらない,と。
 カウンセリングの技をいかすと,授業で子どもたちがイキイキとしてきます。
 カウンセリングの技を使うと,クレームをつけてくる保護者ともうまくつきあえるようになります。
 カウンセリングの技を学ぶと,学級がうまく育っていきます。
 カウンセリングの技を体得すると,同僚や管理職ともうまくつながり,協力的な関係が築けるようになってきます。
 そして何より,カウンセリングを学んだ教師は,幸福感と生きがい感,仕事のやりがい感が増して,心がポカポカと暖かくなります。そしてそのポカポカ感がクラスの子どもたちに伝わって,子どもたちの心をもポカポカと暖かくしていくのです。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授。カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリング、教師のサポート、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、悩める教師を支える会代表)


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カウンセリング・マインドを持ち、子どもを包み込むと子どもは激変する

 私は、教師や親がカウンセリング・マインドを持って子どもに接してほしいと思っています。カウンセリングの究極は、「子どもの心に寄り添う」ことと「傾聴」だと思います。子どもの話を、全身を耳にして聴き入ることが、信頼回復にはとても重要であると思います。
 子どもが「この人は、本当に自分のことを知りたがっている」と思うと、子どもの感性というものはピクッと動くのです。その子どもの感性をピクッと動かすことができれば、子どもの問題の大半は解決できるのではないてしょうか。
 そして、その子どもの感性をピクッと動かすことこそが、カウンセリング・マインドの基本であると思います。しかし、今の日本のカウンセリング・マインドは、誤ったものになっているのです。子どもに無限に迎合することなく、きちんとけじめをつける必要があります。
 私は、子どもを無限に甘やかすことだけはしません。無限の愛と慈しみと受容は注ぎますが、そのかわり、どんなに厳しくても、子どもに言わなければならないことは、必ず言います。ただし、時間をかけて、子どもに無理のないように表現していきます。
 なぜ、子どもを受容し、傾聴するのか。それは、子どもの内面にあるものを吐き出させるためです。子どもの心の中に眠っている感性を動かすためなのです。たった一度でも心がピクッと動いたならば、もうそれでいいのです。
 私は、日本中のすべてのお父さん、お母さん、教師に、目の前にいる子どもたちに対して、カウンセリング・マインドを持ってほしいと願ってやみません。
 子ども包み込むと子どもは激変します。
 私はカウンセリングを学生時代から始め、二十年ほどの教師生活と、約十年間のニッポン放送での人生相談などを経て、何万人という子どもたちとその親たちに関わり、貴重な経験をさせてもらってきた。
 覚醒剤をやめられない子、自宅に引きこもって暴れる子、売春に走る女子中学生、みんなそれぞれに悩み、心を病み、あきらめから、ひらきなおって荒れてしまっているように見えた。
 暴力団に引き込まれた子どもを、私は帰してもらいに行った。家庭内暴力でナイフを振りかざす子どもに、私が「わかった、私を刺してくれ」と体をあずけたりして、「これで私の命もおしまいか」と腹をくくったことも百回ではおさまらない。
 これまでの数々の経験から得たものは、はかり知れないが、中でも世の大人たちにぜひとも知っておいてほしいことがある。それは、「子どもを愛をこめて包み込むこと」が、荒れる子どもたちの心を揺さぶり、胸の奥にしみ入る魔法の薬、つまり起死回生の特効薬になり得るということである。
 生きる喜びを知らない子どもたちには、一人ひとりと真剣に向き合わないと、効果は絶対に表れない。ある子どもは、延々十時間、手を握って話し込んだ。「いつでもきみの味方になってあげたい。応援しているから、何かあったら相談に来てほしい」と。
 私は、人間というものはさまざまな不本意な思いを心に抱かえながら生きていかねばならぬこと。その中でよりよい生き方を、最後の死の瞬間まで求め抜いていくことの価値を訴えた。
 するとようやく、「先生はとっても優しいんだね。わかった、もう明日からやめるよ」と約束してくれた。やはり子どもはいつも「ぬくもり」を求めているのだということが身にしみた。
 触れ合いたがっている子どもを拒絶すると、とんでもない方向へ曲がってしまうこともわかった。子どもにとって、自分が必要とされているという気持ちは、善悪を問わず、何ものにも代えられないものである。
 どれほどすさんだ心も、温かい「包み込み」さえあれば、必ず癒されて立ち直れると断言する。「子どもを認める温かい言葉」を投げかけることです。たとえば、相手の存在を認める「ほめ言葉」は、かたくなに閉じられた心をほぐす万能薬でもあるのだ。
 子どもの心に響くためには、子どもの視線に合わせて、一対一でほめ言葉で接するようにする。上から目線に構えて説教しないこと。
 手をしっかり握って、子どもの目を見つめて、「きみのことが心配だから言わせてほしい」と真剣に語りかけることも「包み込み」である。
 ふだんから、「いつでも何かあったら協力する。あなたを守ってあげたい。一人で悩まないで頼ってほしい」と言い続けることも「包み込み」である。
 このように、子どもは自分が愛情を受けている、必要とされているという認識を持っていれば、けっして道を踏みはずすことはない。一時期、道からはずれたとしても、それまでに受けた「包み込み」の蓄積があれば、必ず自分の力で立ち直ることができる。
(濤(なみ)川栄太:19432009年、小学校教師(20年間)、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者(10年間)、教育相談(40年間)。悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

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学級崩壊で教師を辞めたいと思ったが、いかにして克服していったか

 転勤した中学校で初めて担任となった。教室の扉を開けると、給食当番の白衣が飛び交い、傍らで男子生徒が泣いていた。白衣はその生徒に向けて投げられていた。「やめなさい、何でそんなことをするの」と、状況が十分につかめないまま、ただ声を荒げるしかなかった。
 泣いていた生徒との交換日記で少しずついじめの状況を把握するとともに、いじめている生徒からも事情を聞いた。すると、うまく説明できずにイライラしている様子が伝わってきた。言葉が出ないから手が出てしまっていたのである。
 コミュニケーション能力が弱いうえに社会的スキルも違う。異なる言語を持つ子たちが集められたようなもので、それが荒れやいじめとなって表出してしまう。
 自分だけの手には負えないと感じ、多くの保護者が出席しやすいように夜の懇談会を開き、当事者名を出さずに学級の状況を説明して助けを求めた。とにかくやれることは何でもやろうと必死だった。
 そんな悪戦苦闘の中で、教師のセンスやキャラクターによって場当たり的に解決していくことの限界を感じた。何かが起きる前に打てる手はないのか。社会性を身につけ、ルールを定着させる手立てを多くの教師が共有できる術はないのか。思い悩んでいたときに出会ったのが、「エンカウンター」だった。
 東京都立教育研究所で教育相談専修コースを修了し、渋谷区の中学校に赴任。エンカウンターを研究していた教師2人と同じ学年の担任となった。生活指導上の問題が少ない中学校だったこともあり、対応に追われることなく、17個のエクササイズを中心とした年間プログラムを作り、その3クラスが同時に進めた。
 生徒同士のつながりだけでなく、教師と生徒、教師と教師のつながりが深まった。「これでいじめなどの問題が予防できる」そう自信を持ち始めた矢先、次の中学に異動となった。
 始業式当日、受け持つクラスの教室に入ると、生徒があちこちで好き勝手におしゃべりし、歩き回っていた。いわゆる学級崩壊状態です。たまらず注意すると罵声が返ってきた。「ウザイ」「ババア」「帰れ」と言われ、何かしゃべると、「聞いてねえよ」と返ってきた。
 授業中に机の上を走りまわる生徒、以前の生徒よりも手強く、教師を半ば“無視”をした。前年の担任6人のうち5人が他校へ異動となり、「見捨てられた」と感じた生徒たちは教師を信頼できなくなっていた。
 鹿嶋先生が何度熱く語りかけても、生徒達はなかなか変わってくれない。それまで築き上げてきた教師としての自信を完全に失った。朝、出勤前に布団で泣き、休み時間にトイレに駆け込んで泣いた。このまま教師を続ければ、自分が壊れると。
 鹿嶋先生は、胃潰瘍になり、学校の校門をくぐるのが怖くて、帰ってしまったこともあった。「人間やめますか?それとも、教師やめますか?」というような状況だった。20年近く教師をやってきて、はじめて「教師を辞めたい」と思った。
 そして、友だちに「教師を辞めたい」と相談した。友だちから帰ってきた言葉は、「鹿嶋さんらしくないね」と。そこで、鹿嶋先生は、ハッとします。自分が20代の頃、ガムシャラに教師をやっていた時のことを思い出した。
 
「今の私は、昔のように本氣で生徒に向き合っていない。自分の苦しみから逃れることだけだ」「自分は独りよがりだった。私ばっかり、なんで私ばっかりこんな辛い目にあうの」と考えていた。
 
「本当に一番苦しいのは、子どもたちじゃないだろうか?」「子どもたちに、何かしてあげられないだろうか?」と見方を変えた瞬間に、「周りの人を支えたい」と思った。「視点を変えれば、光は必ず見えるんだ」と鹿嶋先生は考えた。
 エンカウンターをやろうにも取り付くしまもない。同じ学年の担任は皆、夜遅くまで学校に残り対策を話し合った。6月初旬の2泊3日の移動教室で「小さいころに、親から、してもらったこと、してあげたこと、迷惑をかけたこと」を思い出す「内観」をやろうということになった。
 教師がまず自分の思い出を話した後、内証で親から預かっていた手紙を生徒たちに渡した。生徒たちは壁に向かって読んだ。感動している様子が背中から伝わってきた。すすり泣く生徒もいた。そして、その手紙を、生徒同士で見せ合い、コミュニケーションを取り始めた。
 一人の生徒が鹿嶋先生のところにやって来て、「先生読んで」と手紙を差し出した。それまで「ババア」と罵っていた生徒だった。鹿嶋先生だけでなく参加した教師みんなが変化の兆しを感じた。
 ここで鹿嶋先生は気づきます。「そうか、先生と生徒ではなく、生徒同士がコミュニケーションを取れる方法を考えればいいんだ」と。そこから、「エンカウンター」を使って、生徒同士がコミュニケーションをとれる方法を作っていった。
 移動教室から帰った後、鹿嶋先生はクラスでエンカウンターを始めた。他の教師には耳慣れない言葉なので、あえて「エンカウンター」という名前は使わなかった。ところが、1学期も終わりに近づいたころ、学年主任から「できることは何でもやりたい。鹿嶋先生のやっていること、学年でやりましょう」と言われた。
 そんな言葉に後押しされて、2学期からは道徳の時間などを使って学年単位で取り組んだ。クラスごとの経験を教師同士がシェアし、反省点を反映することもできるようになった。
 何度かのエクササイズをへた10月の運動会の予行演習で鹿嶋先生を真ん中に3839脚をやった。転んでゴールをした時、隣で肩を組んでいた生徒が顔を覗き込んで「先生、うれしい?」聞いてきた。何度も聞き返す姿に、確かな信頼関係を感じると同時に、「この子たちは人の喜びを自分の喜びにできるまでに成長した」と実感した。
 学校・学級生活における意欲や充実感を測定する尺度調査票(Q-U)を使って、「友人との関係」や「教師との関係」などについてチェックをした。調査票から「学級との関係」や「友人との関係」について課題が浮かび上がった。
 
「思っていることは言う、書く」を継続することで関係性を深めていくことが大切だと考え、何かをしてくれた友だちにお礼のメッセージをあげるエクササイズ「あなたに感謝」を席替えの度に行った。次第にクラスの雰囲気がまとまっていくのを感じた。
 担任による日ごろの観察と合わせて「気になる子」をピックアップし、学年会やスクールカウンセラーなども交えた検討会で対応を話し合う。また、年2回の「ハートフルウィーク」では、自分の話したい先生を選んで相談ができるようにもなった。
 
「エンカウンターの授業が生きるのは、仲間の教師の存在と学校全体での取り組みがあってこそ」と鹿嶋先生は強調する。
 12月、受験への対応でしばらくエンカウンターの授業をできずにいると、給食の最中に一部の生徒たちが「勝手にエンカウンター」と称して、友人への感謝の気持ちを伝え合い、拍手をしていた。
 
「自分のした行動が人から感謝される」→「自分の行動は人を喜ばせると自覚する」→「他の人にも同じ行動をしてみたい」→「他の人からも感謝される」と言う思考や行動が強化された成果だと、鹿嶋先生は感じた。
 
「エンカウンターですぐに生徒が変容し、自己成長していくわけではありません。日々揺れ動く思春期の心に寄り添い、そうした揺れに対して臨機応変に展開していくことこそ、いまの中学で求められているのだと思います」
 
「教師は情熱がまず第一条件。情熱だけではダメだなっていうことを体験したので、そこにワザがなくちゃいけない。立ち止まることなく、いつもいつも研究をし続けながら現在進行形で実践する人です」と鹿嶋先生は語る。
(
鹿嶋真弓:広島県生まれ、東京都公立中学校で30年間勤務、神奈川県逗子市教育研究所長を経て高知大学准教授。TILA教育研究所代表。文部科学大臣優秀教員表彰。日本カウンセリング学会賞受賞。専門は学級経営、人間関係づくり、カウンセリング科学。構成的グループエンカウンターなど教育現場に活かせるワークショップを展開。 『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)出演)


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傷ついた心をカウンセリングで治すにはどのようにすればよいか

 私たちが行っているカウンセリングについて簡単に説明しておきたいと思います。カウンセリングと相談の本質的な違いがわかっていない人が多いからです。
 相談はアドバイスをもらうことが主になります。ところが、カウンセリングでは基本的にアドバイスはしません。相手の言ったことを、鏡に映すように繰り返していくことが基本になります。
 そして、同情ではなくて、共感を使います。たとえば、電話でのこんなやり取りを創造してください。
A「私、こんなことがあったの。どうしよう」
B「そう、そんなことがあったの」
A「そうなのよ、そういうことがあって、困っているのよ」
B「そういうことがあったのでは、困るわよね」
そうやっているうちに、Aの頭に解決法がひらめいて、「ああ、わかったわ。じゃあね」と言って電話を切ってしまう。Bは何もアドバイスしていません。Aの話を繰り返しているだけです。そうしているうちに、Aが自分で解決法を見い出していきます。これがカウンセリングです。
 相手の気持ちを聞き、それを共感的に返していると、相手は何を言いたかったのか自ら気づき、また何とはなしに気持ちが通ずるような気がしてきます。このように心理的な安全感が得られると、何かがひらめきやすくなるのです。そういう効果を高めるのがカウンセラーの仕事です。人は自分の問題を自分で解決する力を本来的に持っているという確信があるから、カウンセリングが成り立つのです。
 誰でも自分のカウンセリング、自分の子どものカウンセリングができるようになってもらいたいと思います。
 中学三年生から高校生にかけては心が成長しやすい時期です。その成長期に間違った関わり方をしている親が非常に多い。たとえば、不登校というのがあって、子どもが「今日は気分が悪いから学校を休みたい」と言ったとき、母親はよく「先生と何かあったの。友だちとけんかでもしたの。いじめにでもあっているの」などというように、イエスかノーを迫るような閉じた質問ばかりします。こういう閉じた問い方をすると「そんなことはない」と答えたりしやすく、本音を出しづらいのです。
 カウンセリングには「開いた質問」というのがあります。例えば「いま、どういう気持ちですか」というように、イエスかノーを迫るのではなく、意見や気持ちを言えるような質問のしかたをしなければいけない。不登校で悩んでいる子どもには、どういう気持ちなのかを聞くことが大事です。
 次に、相手の話を聞くには「沈黙」を使います。カウンセリングでは、相手の話を聞くときに、沈黙することが大事です。沈黙しないと相手はしゃべってくれません。心をまっ白にして、相手の気持ちを聞こうとします。相手の気持ちの強いところで「ああ、なるほど、そうか」と、うなずく、タイミングが大事です。相手の気持ちに合った表情をとらなければいけない。
 不登校になって、誰かに会うのがむかつくなら、学校に行くのはいやでしょうが、ほんとうの原因が自己嫌悪なら、自分に原因があるわけですから、家にいようが学校にいようが同じです。自己嫌悪があるからこそ、そんな弱い自分を理解してくれない人にむかつくのです。そこに甘えがあるのです。同時にだからこそ自分を変えて成長したいと思っているのです。
 人間の性格は、ほうっておいたら、何年たってもかわりません。自己嫌悪がほんとうに強くならないと、人間の行動パターンは変わらない、成長しないということです。ノイローゼ的な状態になると、すごく変わりやすい。これは、お産の状況に似ていると思います。陣痛という痛みがあって、その周期がだんだん短くなって、最後に新しい生命を産む。だからカウンセラーは産婆さんのようなもので、いてもいなくてもいいけれども、いたほうがスムーズに産めて安心というわけです。その意味では、ノイローゼ的な状態になったら、むしろ赤飯を炊かなければいけない。
 自分の魂の痛みが強まったときは、自分を成長させようという気持ちが高まっている証拠です。そういうときに癒される場面というものが非常に大事になってきます。癒される場面にいると、気づきのひらめきも起こりやすいし、自分の本当の問題が自然に出てきます。
 自然の中にいたり、人と楽しい話をしているときは、心理的に安定感が出てほっとします。カウンセリングをされているときに似た癒しの場にいるとき、気づきが生まれるのです。そして、癒しにはとくに、共感ということが重要になってきます。
 共感というのは、同情や同感ではなく、相手が感じている感情をイメージの共有、セリフでの表現を通じて自分も体験することです。
 たとえば、病棟のベットで苦しんでいる子どもがいて「お母さん、つらいよう」と言ってるときに、それをお母さんが看護婦に伝える場合、お母さんが看護婦さんに「子どもが『お母さん、つらいよう』って言うのです。なんとかなりませんでしょうか」と言えば、看護婦も、子どもの気持ちがじか伝わり共感しやすくなり、いても立ってもいられない気持ちになります。つまり、相手の心によく響く。これがともに感じる共感です。
 それを「子どもがかわいそうだから、なんとかしてください」と言ったら、それは母親がかわいそうだと感じていることであって、看護婦に母親の気持ちは伝わっても、苦しんでいる子どもの気持ちはじかに伝わりません。
 したがって、カウンセラーは相手の気持ちをきちんと聞き、相手のイメージをきちんと持って、共感し、癒しのためにそれをセリフとして用い再現しなければならない。
 この痛みの中で子どもは新しい自分を誕生させるわけですから。これに気がつけば元気になれるのです。
 ところが、一般の親たちは、子どもが不登校を起こすとあわてふためいて、むしろ引き下がって口をださないようになる。とくに父親にはそういう傾向が強い。「おまえにまかせる」と言って、母親に押しつけてしまう。母親もどうしようもなくて、カウンセラーなどにまかせて退去してしまうことが多い。
 こうして、子どもは自分の問題から逃げる。それは成長の問題だから、それほどむずかしいことではないのに、父親も逃げるし、母親も逃げてしまう。むしろ、親のほうが成長する必要があります。
 このあたりのところを、みなさんの子育てのために参考にしていただければ幸いです。
(
宗像恒次:1948年大阪府生まれ、心理学者。筑波大学名誉教授。SDSを設立し、セミナーの開催や心理カウンセラーや健康心理療法士の養成を行っている)


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怒鳴り込まれたら勝ちと思え

 私はよく、「カウンセラーをしていて怒鳴り込まれたら勝ちと思え」と言っています。怒鳴り込みに来られたら、じつはこっちの勝ちなのです。
 どうしたらいいと思いますか。そういうときは、一生懸命、話を聞いたらいいのです。なかでも一番大事なのは「腰をすえて聞く」ということです。相手は怒りに来ているのですから、どうしても話が堂々巡りになる。
 ところが、相手の言い分をじっくりしっかり聞くということをこちらがやると、相手はもともとこころの底のほうでは自分はおかしいと思っているわけですから、ワーッと言っているうちに、だんだんわかってくる。そういう人は多いのではないでしょうか。
 相手がいかに怒っていても、どういう状態であっても、そこにちゃんとした土台をもった関係ができるということが、すごく大事なことなのです。カウンセラーというのは、人間関係や、関係性というものについての専門家であるといっていいのではないかと私は思っています。
 ある教育長さんから聞いて私はびっくりしたのですが、ある高校で援助交際をしている子がいることがわかりました。その子は担任の先生からすごく叱られて、泣いて家に帰りました。
 すると、その子の母親が校長室に怒鳴り込んできて「うちの子が入学したときに、校長先生は、一人ひとりが自分の個性を大事にしてくださいと言われたでしょ。うちの子はその通りにやっているのです。頭のよい子は学力で勝負しているでしょうが、うちの子は美貌で勝負しているのです。どこが悪いのですか」と言われた。
 その校長先生は素晴らしい人で、そのお母さんに「ああ、そこまで個人というものを大事して、子どもさんのことを考えておられるのですね」と言ってお母さんの言うことを聞いておられた。
 カンカンになって怒っていたお母さんが、そのうちに「校長先生、ほんとにうちの子を躾けるにはどうしらいいのでしょうか?」と、ころっと変わってきたそうです。本当はそのお母さんも、どうしたらいいのかと困っていたのです。困っているのだけれど、よくわからないから腹が立つのですね。
 自分の言っていることがおかしいというのは、こころの底ではわかっているのです。そこでじっくり話を聞いてみたら、そこに関係ができる。これがわれわれカウンセラーにとって非常に大事なことではないかと思います。
 日本人はこれまで、物がないためにみんなで分け合って生活してきた。寒くても暖かい場所は一つしかないので、そこに集まって生活せざるをえないとか、なんとなく、みんなが一体感のある関係をもって生きていくようなシステムがありました。日本的な人間関係を意識してみんながなんとなくつながっていました。
 ところが、今、そのシステムが急に変化して、日本人の生き方が根本的に変わってきたのです。家のしがらみが嫌になった。みんなが関係を切るほうに一生懸命になり、個人主義が利己主義になってしまった。「これからどう生きていくのか」というものすごく難しい問題を、今の日本人が背負っているのです。
 人間関係が急にギスギスしてきて、関係性がどこにもなくなってしまい、ぽんと孤独になるような人が出てきます。そういう苦労をしている一人なのだから、わけのわからない人とかいうのではなく、「絶対に役にたつのだ。私の前に来たこの人の人生に、意味のある役に立つことをする。そのために自分はここにいるのだ」という強い信念をもち、この人にどういう援助ができるのか、ということをじっくり考えていくと、最後には「ああ、やっぱり自分の家をなんとかしなければ」というふうに思ってくれると思うのです。
 意識して家族関係を維持しようという自覚や意識が足りなくて、本当は家庭教育でやるべきことを学校までもちこんできていることが多いのではないでしょうか。今の学校でたいへんなのは、家庭教育でやるべきことを学校でもやらねばならないということです。
(
河合隼雄:1928- 2007年、臨床心理学者。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。日本における分析心理学の普及・実践に貢献し、箱庭療法を日本へ初めて導入した)

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