カテゴリー「各教科の授業」の記事

協同的な学習を通して、子どもの科学的な概念は深化する

 子どもの科学概念は協同的な学習を通して深化します。
 協同的な学習とは授業における対話である。対話の表現も当然のことながら深化していく。
 対話とは、子ども同士や子どもと教師が、互いの考えを価値づけて、追究することを通して、一つのコンセンサス(合意形成)を捉えていこうとする活動である。
 例えば、小学校4年「水の三つのすがた」の学習において、次のような対話がなされた。
教師
「水蒸気を冷やすと水になることが、実はみなさんの回りで起きているのです」
「ここからどんどん蒸発しているこの水、いちばん身近に出てくるときがあるよね」
「この教室の中では、どこでしょう?」
子ども
「口」
教師
「人間の、あー、それ人間の中でしょ」
「教室の中でよくあるでしょ。どこ?」
子ども「窓」
教師
「窓だよね。窓のところに指で絵を描くことない?」
「あるよね。そのとき水滴は窓の外側と内側どちらにありますか?」
子ども
「内側」
教師
「内側だよね」
「ということは教室の中の水蒸気が何で水になったの?」
子ども
「教室の水蒸気が窓で冷やされた」
教師
「窓が冷たいのか。確かに窓は冷たいよね」
子ども
「窓の方が冷たくて、見えない水蒸気が見えるようになった」
教師
「なるほど。付けたしをどうぞ」
子ども
「教室の中と外の温度が違うから」
教師
「どう違うんですか?」
子ども
「教室の中が暖かくて、外が冷たいから」
「教室の中の暖かい空気にある水蒸気が外の冷たい温度にひ冷やされて、それがだんだんたまって水滴になる」
 ここでの対話は、水蒸気が液化される概念を子どもに定着させる指導と評価といえる。
 子どもは教師による発問を通して、水蒸気が液化される状況を細かく分析し、表現していった。
 対話の中で表現が深化していく様子がうかがえる。
 産婆術にも似た、教師による子どもの表現の背後にある考え方の発掘が、こうした表現を可能にしたのである。
 すなわち、子どもの表現にあるものを教師は徐々に科学の世界へと翻訳していったのである。
 対話を通した表現の深化は、科学概念へ至る子どもの表現である。
 子ども一人ひとりが科学概念の内容について自由なイメージのもとで説明し、表現しようとしている。
 これこそ、今日求められている、理科授業における思考力・判断力・表現力の育成である。
(
森本信也:1952年生まれ、横浜国立大学名誉教授、専門は科学教育)

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国語:ユーモア詩の授業で人と人のつながりの楽しさを味わう

 増田修治はユーモア詩の授業を10年間続けている。週2,3回、詩を作る宿題を出し、その中の何編かを学級通信に載せて、授業で読み合う。みんなの挙手で「花まる」「二重まる」などの評価を決める。1年間で書く詩は、一人100編近い。毎学期、詩集にして父母にも感想を書いてもらう。
 「詩を書いたり読んだりするうち、親子関係も変わってきます。人間ってすてき、と思ってほしい」と増田先生はいう。
 増田先生は教師になってしばらく「いい詩」の作り方を教えていた。でも、荒れた学級を担任し「いい詩はすごいなあで終わって、それぞれの子に響かない」と感じた。
 その後、日常の出来事を題材に、人と人とのつながりの楽しさを味わう「ユーモア詩」に切り替えた。
 しかし、子どもたちに突然「詩を作って」と言っても、なかなか書けません。新しいクラスを受け持つとまず「呼び水」の言葉を使って詩を書かせます。
 たとえば「はずかしいけど、言っちまおう・・・」という言葉。「今のことは書きにくくても、この言葉に続いて幼い頃の失敗談を書いてもいいんだよ」と言うと、おもらしのことなど、わりと素直に表現していきます。
 そのほかにも「覚えているよ 忘れない・・・」と心の記憶を引き出したり、「ぼくは怒ってる・・・」と感情の言葉から始めさせたりした。そのうち、だんだんに、今の生活を見つめ、胸のうちも表現していけるようになっていきます。
 詩の題材になることが多いお父さん、お母さんが心のからを破ることも大切です。
 失敗しても、はずかしくても、人と人とがありのままつながっていることがすばらしい。詩を通して、親子で感じてもらえたら、と思います。
 たとえば、「おおかみさん」という詩を作った男の子が次のように読み上げた。
「お父さんが電話で友だちに『うちのかみさんが・・・・・』とお母さんのことを言っていた。ぼくは『ぎゃあぎゃあうるさいから、おおかみさんだろ』と思った」と。
「みんなのお母さんうるさい? どれくらい? 犬ぐらい」とおどける先生。
「鬼ぐらい!」教室が笑いでいっぱいになる。
 つぎは、いよいよ今日のテーマで詩を作る。「夢を見ている様子」「思わず口ずさむ歌・口ぐせ」・・・などのテーマを書いたプリントが子どもに渡された。
 わずか5分後「できた人は見せにきて」という先生の前に長蛇の列ができた。先生が選者になって、また披露会。先生の失敗談を交え盛り上げる。
(
増田修治:1958年生まれ、埼玉県公立小学校教師(28年間)を経て白梅学園大学教授。「ユーモア詩」を中心に学級づくりを進めた。児童詩教育賞(日本作文の会)を受賞)

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国語科:教材を読むとき一回一回「初心で」読むと発見があり感動が生まれる

 教材を読むとき、その一回一回を「初心で」読むことが望ましい。そうすることによって読む度に新たな発見があり、感動が生まれるからである。
読みを進めながら、私はつぎのようなことをする。
(1)
ほ、ほう、と思った所に線を引く。
(2)
いい表現だなあ、すばらしい言葉だなあと思った所に波線を引く。
(3)
これはキーワードだ、と思った所を四角で囲む。
(4)
ここは大事なところだ、この表現の言葉が分からなくてはいけない、というような所には小さな○を連ねたりする。
(5)
子どもには、この意味は分かるまい、難しいだろうなあ、と思う所には◎を連ねたり、「?」をつけたりする。
 私は、授業をする教材については、どんなに少なくとも二十回は通して読むだろう。苦痛ではない。楽しいのである。そんなことをしながら、授業をする場面や箇所を絞りこんでいく。
 授業で使うところは、私の場合、子どもの「向上的変容」が実現できる可能性が高い所ということになる。それは、要するにつぎのような所である。
(1)
子どもには、とてもこの深い意味は分からないだろうという所。あるいは、そういう所が含まれている表現。
(2)
子どもは、きっとこの所は勘違いをして誤読をするのではあるまいか。私が指導を加えなければ、きっとその誤りに気付かぬままで終わるだろうという場所。
(3)
子どもの力ではきっと浅く、狭く、断片的、羅列的にしか理解できないだろうというような所。
 要するに、子どもの力だけでは、「読み過ごす」「読み流す」「浅くしか読みとれない」「誤った読みとりをする」「偏った読みとりをする」「羅列的に読みとり、構造的には読みとれない」だろう、という所を私は授業場面に選ぶのだ。
 換言すれば「子どもの、不備・不足・不十分」が生ずるであろうという所を、何度も読み返しながら探し当てるのである。というよりも、何度も読んでいると何となくそれらに気付いてくる。それらが見えてくる、のである。
(野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)

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理科:探究のために知識を与えておくことが熱中させるポイント(中学校)

 「探究のために知識を与えておく」ことが、探究活動で生徒を熱中させるポイントになる。
 今回は「化学式」という知識を事前に与えておく。化学式を先に教えることにより、根拠のある予想ができるようになる。
 炭酸水素ナトリウムを加熱して分解する実験がある。教科書には、用意するものとして石灰水と書いてある。これでは実験する前から、発生する気体は二酸化炭素と分かってしまい、おもしろくない。知的興奮とはほど遠い。
これを、つぎのように展開するだけで、生徒は探究的に取り組む。
(1)
物質は原子からできていることを先に教える。
(2)
炭酸水素ナトリウムの化学式(NaHCO3)を教える。
(3)
化学式を根拠に、できる物質を予想させる。
(4)
予想した物質を確かめる方法を考える。
(5)
自分の予想が正しいか実験で確かめる。
(6)
予想外の結果になったら、次の予想を立て、再び実験で確かめる。
 化学式を先に教えることにより、根拠のある予想ができるようになる。
 理科は、根拠・理由を大切にしたい。生徒たちは、水素や酸素、二酸化炭素の他、炭素、ナトリウム、水も予想する。
 発生した気体を集め、わくわくしながらマッチで火をつけてみたり、火のついた線香を入れてみる。教科書にある「石灰水を入れて振りなさい」という指示にしたがっただけの実験とは違う。緊張感がある。
 火が消えてしまうと「あっ」と声があがる。「酸素じゃないんだ」と納得する。その「○○でない」という考察も記録するように指示しておく。それが科学である。
 「火が消えたから、二酸化炭素かもしれない。石灰水で調べよう」と、つぎの探究へと進む。
 何の知識もなしに「調べなさい」といわれても、生徒はとまどうだけだ。
(小森栄治:1956年生まれ、埼玉県公立中学校教師を経て日本理科教育支援センター代表。「理科は感動だ」をモットーにした理科授業でソニー賞最優秀賞を受賞。また埼玉県優秀教員表彰を受ける)

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算数(小学校):どこでハテナをだすか

 算数の授業のどこでハテナをだすか。
 社会や理科などでは「ハテナ」は初っ端から出すことが多いですが、算数はそうとはかぎりません。はじめから出すときもあれば、しばらくしてから出すときもあります。
 「ハテナ」を出すタイミングのパターンをいくつも持っていると、それだけ授業の幅が広がります。
 例えば、ここに1円玉があるとします。さて、この1円玉。まわりの長さは何cmだと思いますか? 授業では、子どもたちにいきなり問いかけます。「何cmだと思う? 直感でいいよ」「直感でいいから」と言うと、子どもたちは安心します。子どもたちは平気で間違えられます。
 ここは全員に自分の想いをもたせたいので、子どもを指名するのではなく、全員に手を挙げさせます。「周りの長さが、1cmだと思う人?」「じゃあ、2cmだと思う人」「3cmだと思う人」「4cmだと思う人」・・・・このように、7cmくらいまで聞いてあげると、子どもたちはどこかで手を挙げます。
教師「1円玉のまわりの長さ。答えは4cmです。見えますか?」
子ども「見えな~い」「やった、当たった」
教師「・・・・というのは、ウソです。本当は10cm」
子ども「え~!」「それもウソだ」
教師「よくウソと見抜いたね、そうです、ほんとうは6cmちょっとでした」
このやり取りだけで、クラスはにわかに活気づいてきます。
 それにしても、私の指でつつまれた1円玉。とても6cmには見えません。
「本当に6cmなのか?」
「もしかしたら、それもウソなのでは?」
・・・・子どもたちの頭の中にも、そんな疑問が浮かんできます。
 ちょっとした私の冗談が、子どもたちをさらに悩ましたわけです。
「1円玉のまわりの長さは、本当は何cmなんだろう?」
 これが「ハテナ」になります。ハテナが生まれたら、子どもたちは動き出します。どうにかして、1円玉のまわりの長さを調べようとします。
 そこで1円玉を配布します。ある子が1円玉を転がしていました。解決への糸口発見です。私は「おっ、なかなかおもしろいことをしているね」と、その子の活動を取り上げました。皆が真似し始めます・・・・。
 あとは、動き出した子どもたちを見守りながら「なるほど」までをうまく舵取りしてあげるだけです。
(
細水保宏:1954年神奈川県生まれ。横浜市立小学校教諭を経て、筑波大学附属小学校副校長)



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仮説実験授業とは

 1963年に板倉聖宣氏によって提唱された。問題にいくつかの予想(仮説)を立て、みんなで討論し、結果(答え)を実験で確かめていくことを繰り返して、科学(自然科学、社会の科学)の基本的な概念や法則を教える授業です。
 一流の科学者がその法則を発見した道筋(問題意識・思考・感動)を追体験する授業であるともいえます。
 仮説実験授業では,たとえそのことが真理であっても子どもに押しつけてはいけない,押しつけないからこそみんなのものになるのだという考えでやってきています。
 板倉さんは授業書を作るとき、一番もとにしているのは,「子どもたちが興味を持つかどうか」「子どもたちが,おもしろく思って,授業に参加してくれるかどうか」ということだけです。
 従来の教科書を使ってする授業とは違います。「授業書」とよばれる印刷した紙を使います。授業のときにわたします。教科書・ノートをかねています。教師にとっては指導書でもあります。
 「授業書」は小学校低学年から大人までけっこうたくさん作成されています。小さい子どもへの仮説実験授業への入門にいいのが〈くうきと水〉。環境問題をあつかった〈食べ物とうんこ〉。力学入門の〈ばねとその力〉は有名な仮説実験授業の代表的な授業書です。
 予想と討論→実験による検証、という定まったパターンで授業をすすめてゆきます。
 現在では理科の授業書に限らず、いろいろな教科や高校での授業プランなども作られています。ホームルームや道徳の教材もあります。
 『仮説実験授業のABC』(仮説社)をご覧ください。授業書やその入手方法、授業の思想・運営法など書かれています。授業をするまえにぜひ読んでいただきたい本です。
 板倉さんは「仮説社」の設立・運営にも参画され、雑誌『楽しい授業』(月刊)などに精力的に教育や学校、授業に関する文章を執筆されています。全国の小・中・高校で実施しているところもあります。
(
板倉聖宣:1930年生まれ、国立教育研究所物理教育研究室長を経て「仮説実験授業」を提唱。仮説実験授業研究会で教師の協力を得て「授業書」(テキスト)を多数執筆、私立板倉研究室室長)


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算数科:学ぶ意味がわかると授業態度が変わり学級崩壊がなくなった

 今泉 博はつぎのような方法で学級崩壊をのりこえていった。
 子どもたちは授業では、一応計算などはできるが、意味がわかっていない子が多いのです。
 そこで、学級が崩壊し「いじめ・暴力」などで荒れている状況をなくしていく取り組みを強めながら、もう一方では、授業を大切にしていくことが学級崩壊をのりこえていく方法だと思いました。
 子どもたちが、学校で学ぶ楽しさや、学ぶ意味がわかるようになれば、授業中の態度も変わっていくにちがいない。そんな気持ちで授業にのぞみました。
 たとえば算数では、5年間の学習の復習に取り組みました。1週間ほどかけました。たしたり、ひいたりできるのは、どういう意味か。かけ算やわり算とはなにか。分数・小数の源はなにか、どこがちがうのかなどを、具体的なこととのつながりを大事に、学習しなおすことから、6年生の算数の学習を始めました。
 分数については、次のようなことを学習しなおしました。
 まず、私たちのまわりには、石やみかんなどのように、1個2個・・・と数えられるものと、水や空気のように、1個2個・・・と数えられないものがあることを、子どもたちとのやりとりの中で押さえました。
 自然を数えられるものと数えられないものに分けてみるというのは、算数はなにを基礎に成り立っているものかを知る上で、きわめて重要です。1個2個と「数えられないもの」を「数える」には、どうすればよいか。子どもたちは、なにか容れ物を使えばよいことに、気づきました。そこで人間は、容れ物の大きさを決めておくことが必要であったこと、それが単位であることなども、子どもたち自身が発見するという形で学習を進めていきました。
 子どもたちは、算数もまた実際の自然・生活から生まれ、人間が矛盾にぶつかりながら、創造してきたものであることを知って、算数に対する見方を変えていきました。抽象的と思われていた算数が、実は具体的なものに根ざしていることに、新鮮な驚きを感じているようでした。
 ある量の水を1リットルマスで測っていくと、往々にして「はんぱの量」が出てきます。それをどう表すかによって、小数と分数に分かれたこと。
 小数は、はんぱの量に関係なく、はんぱが出るたびに容れ物を小さく(10等分)して測っていくのに対して、分数は「はんぱの量」が1リットルにいくつで「しきつまるか」によって表すこと。たとえば1リットルにちょうど3つ分でしきつまるような場合、それを1/3リットルと言うこと。
 すでに習っているはずの少数・分数でしたが、その生みの親は連続量であり、小数と分数は兄弟であることを学んだことは、新たな発見だったのです。
 分数を理解することのなかには、算数の基本になるものが豊富に含まれています。その意味で、分数などについて、深く学んでおくことは、小学校高学年の算数にとっては、不可欠です。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)

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国語科:子どもが楽しく力をつける授業にどうすればできるか

 今の子どもたちは教師の話はおもしろくなければ聞きません。ですから、授業の導入ですべてが決まるのです。
 テレビに出ている芸人は1分で視聴者をつかまないといけないそうです。つかみのネタは最初はウケますが、子どもは飽きてきます。話のおもしろさが大切です。
 最初の1分くらいで笑わせて、おもしろそうだなと思わせます。それと時代がスピード化しているので、テンポの速さが大事です。最初の1分から5分を研究することです。だらだら授業をやっていてはだめです。
 子どもが楽しく力をつける方法として私は「ユニット授業」をあみだしました。
 国語の場合は、「音読」「漢字クイズ」「書く」「考えて発表する」など一つひとつがユニットです。そのユニットを組み合わせていくのが「ユニット授業」です。短ければ10秒、長くても1分、2分、5分と、授業でやる内容を細分化し、それを組み合わせるのです。
 ユニットの連続で、子どもはだらけているヒマがありません。飽きさせないためメリハリをつけたり、リズムやテンポを工夫しています。ですから45分はとても濃密なものになります。ふつう1時間かけるところを5分で教えることもあります。そのかわり徹底した反復学習をします。
 いきなり45分間やるのは難しいですから、最初の5分だけでもやってみませんか。子どもがどんどん変わるのがわかります。
(
杉渕鉄良:1959年東京生まれ、東京都の小学校教師。「教育の鉄人」と呼ばれる実践家、子どもを伸ばす為に命をかける熱血教師。ユニット授業研究会代表。評論家櫻井よし子氏、陰山英男氏らも絶賛、その実践スタイルは全国の教師、保護者から支持を受ける。2003年夏、日経スペシャル「ガイアの夜明け」に出演。PHP「VOICE」や、経済誌「プレジデント」での教育シリーズに取り上げられ、各方面からの注目も高い。ユニット授業、10マス計算、表現読み、指名なし発言など、子どもの可能性を引き出すため、さまざまな工夫を凝らした教育実践を行っている)

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教科指導で心がけていることは落ちこぼれを作らないこと

 私が教科指導で心がけていることは落ちこぼれを作らないということです。
 今知りたい内容を理解するには、特に数学や理科などは、それ以前に分かっていなければならない知識が欠けていると「どこが分からないのか、分からない」「分からないから、つまらない」「つまらないから、やりたくない」という悪循環に陥っていくのです。それは落ちこぼれのときの私と同じです。
 そこで私は「それぞれの生徒の分かるところから始める」という授業に徹することにしました。生徒が分からないと言えば、中学校の内容でも、小学校の内容でも、生徒が分かるところまで戻りながら、何度でも説明を繰り返し、理解しなければいけないポイントを根気よく話します。
 そして、今説明したことをふまえて、もう一度分からなかった問題を考えてもらい、最後の答えは必ず生徒自身に出してもらうようにしています。そうすることで「正解は自分の力で出した」という気持ちが強くなり「やれば出来るかもしれない」という気持ちの芽生えにつながっていきます。つまり、私は「答えを教えない教え方」を心がけているのです。
 そして、生徒が問題を解き終えたならば「最初は何が原因で、この問題が解けなかったのか」を確認させるようにしています。勘違いなのか、知識不足なのか、解き方の経験不足なのか。この検証を何度も行うことで、自分に欠けているのは何かということを、生徒自身が自分で分析できるようになります。
 また、自分の弱点が分かるようになると「何が分からなくて、解けなかったのか」が分かるようになります。「数学でxとかyとか、文字がでてきたときから分からなくなった」とか「三角形の内角の和は180度ということを知らなかった」というような知識不足など、欠点を認識したということが、すでに解決への入り口に立ったことになります。
 その欠陥を認識し補習すれば、さっきまで分からなかった問題が、分かるようになるのです。「そうか、この知識をこう応用すれば、この問題は解けるのだ」そうすると、生徒もすっきりした気持ちになり、理解できる快感を少なからず覚えてくれます。
 このとき、大切なことは、正解した生徒を必ずほめることを忘れない、ということです。人からほめてもらうことがどんなに励みになるか、それは、落ちこぼれでオール1だった私が一番痛切に感じたことです。人からほめてもらうことで、自分に価値を見いだすことができるのです。これが自信へとつながるのです。
 私がもう一つ心がけているのは、質問してくる生徒に対しては、分かるまで何度でも説明するスタイルをつらぬくことです。「この先生は分かるまで教えてくれる。聞いてもいいんだ。じゃあ、やってみようか」という気持ちを引き出すきっかけになればと思って、このスタイルを崩さないようにしているのです。
(宮本延春:1969年生まれ、小学生のときいじめで学校嫌いになり、九九は2の段しか言えず、中学校1年「オール1」の成績をもらう、23歳の時 アインシュタインのビデオを見て感動し、小学校3年のドリルから勉強し24歳で定時制高校入学、27歳で名古屋大学合格し愛知県私学高校教師となる)

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教えたいことを教えない授業

 算数の授業で大切なねらいの一つは計算ができること。そしてもう一つは、計算について考えることのできる子どもを育てるということです。
 例えば、42÷3の計算の授業(4年生)につい考えてみましょう。3年生で12÷3のような九九を1回だけ使って計算するわり算はできるようになっています。しかし、まだ、商が2けたのわり算はできません。
 42÷3は、今の自分にはできない。しかし、その計算方法を誰かが教えてくれるのをじっと待っている子どもたちにはしたくないのです。自分から、42÷3という計算に働きかけて、何かと自分の力でやってみようという子どもたちに育てたいのです。
 だから、「42÷3をするためには、423012に分けて考えましょう」と絶対に言いたくないのです。「それを言っちゃ、おしまいよ」という気持ちです。
 授業では、子どもたちに言葉や動作で親切に教えてはいけないことがあるのです。一方、きちんとおしえこまなければならないことがあることも確かです。授業はこの「教えてはいけないこと」「教えなければならないこと」があることも確かです。の二つの峡間で成り立っています。
 私たちが育てたいのは能動的な子どもたちです。積極的に対象に働きかけていく子どもたちの姿を言います。それを支えているものに知識や技能があります。それを子どもたちのものにするためには、きちんと子どもたちに正確に伝えられていることが必要です。かけ算の九九の不確かな子どもは、算数の問題に働きかけることはできないでしょう。知識を確実に自分のものにしておくことが必要です。
 しかし、知識、技能だけでは、子どもたちの活動力は育たないのです。自ら対象に働きかけていく経験をすることによって、初めて積極的な子どもが育つことになります。
 教えないで教えるというのは、言葉を変えて言えば、自分の教えたいことを子どもたちから引き出すということになります。子どもたちは自分の中から引き出されることを待っています。このことにより、自分の力を自覚し、学ぶことの喜びを知ります。
(正木孝昌:1939年生まれ、高知県公立小学校、筑波大学附属小学校教師を経て、前國學院大學栃木短期大学教授)

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