カテゴリー「優れた教科授業例」の記事

どうすれば子どもたちが「動く」社会科の歴史授業になるのでしょうか

 子どもが発言し、歴史事実を自分の問題として考えるようになることを、安井俊夫先生は「子どもが動く」と表現する。
 「動く」ことによって、子どもは自分の発言や行動から「何かをつかむ=わかる」ことになる。
 そこで私たち教師が知りたいのは、どうすれば子どもたちが「動く」のか、ということである。
 子どもたちが「動く」ためには、
(1)子どもの発言を引き出す
 安井先生は子どもが感じたままの発言を重視する。そうすれば、子どもが発言しやすい。
 子どもが歴史の事実を自分の問題として考えるようになる。
 子どもたちが感じたまま発言をすることで、授業が活性化する。
 安井先生は「発言を引き出す授業」を「ヤマ場のある授業」とも言う。
 毎時間の授業で展開する必要はなく、4~5時間の内の一度でよい。
 「ヤマ場」をつくるためには、それまでの授業で事実をとらえさせることが必要である。
 そのために、子どもが自分で調べ、探し、発表できる教材プリントを用意しておく。
 そのときに重要なのは「わからせていくのではなく、子どもが自分の力で何かをつかんでいくことでなければならない」と安井先生は言う。
(2)社会科通信
 子どもたちの授業中の発言や感想をB5判に編集したものである。
 「ヤマ場のある授業」のあとに出される。
 授業中に発言できなかった子どもも、自分の考えを主張する機会が保障される。
 子どもたちは社会科通信をみることで、自分の考えを再考することができる。
(安井俊夫:1935年東京都生まれ、千葉県公立中学校教師、愛知大学教授を歴任した。教育学者。専門は社会科教育法。社会科授業づくりには定評がある)

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説明文の一部をいたずらをして消す国語の授業とは

 説明文をいたずらする方法というのは、国語の教材の文章が、一部が消されたり、段落が入れ替えられたりといういたずらをする。
 その文章を元に戻していく過程で、子どもたちに深く考えさせる仕掛けだ。
 この説明文は小学校3年生の教科書から拝借した。福田秀貴先生は授業の狙いにあう教材をいつも探している。
 この日は説明文「めだか」のプリント教材を使っての勉強。
 冒頭に「めだかの学校は 川の中」というおなじみの歌詞があり、それに続く本文で、メダカは危険の多い川の中で身を守るためにどんな行動をとるか、体の仕組みはどうなっているかを解説している。
 子どもたちは本文から、メダカが身を守る方法を抜き出していく。すぐに、
(1)水面近くでくらす
(2)素早く泳ぐ
(3)集まって泳ぐ
 の三つが挙がった。
 ここで先生が、挿絵のコピーを取り出した。
「この文にはこんな挿絵が付いていたんだよ」
 身を守る方法が一つひとつ絵になっているのだが、あれれ……本文には三つしか書いていないのに、絵は4枚ある。
 「あーっ、いたずらだ」「ジョニーが文を消したんだ」
 どうやら元の文にあった、身を守る「第4の方法」を、ジョニーが消してしまったようだ。
 残った絵には、ゲンゴロウに襲われそうなメダカが、濁った川底近くにいる様子が描かれている。
 子どもたちはこの絵から、どんな文が消されたのか考えていった。
 ジョニーは筑波大付属小(東京)の白石範孝先生のニックネーム。
 白石先生は7月末、この6年1組で模範授業を行った。
 そこで使った教材の文章は、一部が消されたり、段落が入れ替えられたりといういたずらがしてあった。
 文章を元に戻していく過程で、子どもたちに深く考えさせる仕掛けだ。
 本家ジョニーは東京に戻ったが、ジョニーのいたずらは福田先生が引き継いだ。
 福田先生は多くの研修会に参加し、そこで学んだ先輩教師たちの「技」を、積極的に授業に採り入れている。
 ジョニーもその一つだが、自分なりの工夫を加えることも多い。
 例えば朝の会・帰りの会。朝の会の学習活動は〈月〉詩の音読、〈火〉暗唱、〈水〉ペア音読……とメニューを日替わりにした。
 帰りの会のスピーチも、曜日ごとに違うテーマで行う。マンネリ化するのを防ぐ狙いだ。
「じゃあ身を守る第4の方法、自分だったら何て書く?」
 半分くらいの手が挙がった。でも先生はなかなか指名しない。
 そのうちに、一人、二人とさらに手が挙がってゆく。
「ぱっと反応できる子は一部だけです。多くの子に挙手のチャンスを与えるため、時間をかけて待つようにしています」
 いったん手を下ろさせ、近い席同士で話し合わせることもある。
 こうすると、全員が誰かに自分の考えを伝える機会を得るという。
 実は、元の文章から先生が消した部分はほかにもあった。
 筆者はそこに何を書いたのだろう? 接続詞や、冒頭の「めだかの学校」の歌詞をヒントに考えていく。
「川の中は危険だから、みんなでおゆうぎしているヒマはない、みたいなことが書いてあると思う」「歌と現実の差を表しているんじゃない?」
 活発に発言は続く。
 筆者の意図を見据えながら、「自分だったらどう書くか」まで考えていく。それが先生の最終目標だ。
(福田秀貴:青森県八戸市立小学校教師を経て指導主事)

 

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どうすれば理科好きの子どもを育てることができるのか、その手立てとは

 ある調査によると、小学校の教師の62%が理科は苦手だということです。
 たとえば、理科の授業で実験はしない。実物も見せない。教科書を読んで学習は終わり。
 というように実験の準備や栽培など、いろいろなことが面倒だというわけです。
 これでは、子どもに理科の感動を伝えることはできません。
 実は、大前暁政先生も大学を出たての新卒のころは、理科の授業のやり方がわからず、途方に暮れていた経験があります。
 新卒の時代は、とにかくがむしゃらに理科の実践を続けました。
 授業のやり方もわからず、ネタももっていないので、同僚に教わったり、先輩の教師にネタを聞きに行ったりして、勉強を続けました。
 そして、子どもが熱中した実践を記録に残していきました。
 そして、1年後、学級で「どの教科が一番好きか」をアンケートしたところ、理科が第一位になりました。
 子どもたちが熱中した事実だけを追い、実践を続けてきた成果が出たのでした。
 理科は、感動を生むことのできる教科です。実物に触れることで感動し、実験から新しいことがわかって感動できます。
 理科好きの子どもを育てるための、教師の手だては、おもしろいネタを準備し、授業のやり方を工夫していると、子どもたちが理科を好きになります。
 最先端の科学を紹介するだけで、子どもたちは理科に興味を持つようになる。たとえば、
「大昔、地球がまるごと全部凍っていたのではないかという仮説があるのです」などと言うと、どんな子でも興味津々で耳を傾けてくれる。
 理科のおもしろさは、ちょっとしたことでも感じることができる。
 野草の名前は、においや形などの特徴を示していることがある。
 キュウリグサは、葉をすりつぶすとキュウリのにおいがする。
 春の野草のホトケノザは「葉の形が、仏様が座っているところに似ているというので『仏の座』という名前がつきました」と言って、子どもたちが気付かないようなところを、教師が気づかせてやると、子どもたちはとても喜びます。
「そうだったのか、先生!」と、子どもたちは感動して喜びます。たとえば、
「密閉したビンの中で、ろうそくを燃やした。ろうそくの火が消えた後、ビンの中に酸素はあるか?」と問うと、子どもたちの意見は分かれる。
 空気中の酸素濃度が少し減っただけで、ろうそくの火が消えるという事実に子どもは驚く。
 あっと驚く事実を示すためには、子どもたちが常識と思っていることと逆のことを授業化すればよい。
 自分で実験をして確かめたり、友だちと討論をしたりしながら、結論を考え出していくことが楽しい、と思えるようになればすばらしいことである。
 基礎学力を身につける指導も大切である。
 ノート指導や、実験までの準備の指導など、教師が教えなくてはならないと思う。
 文章や図・表、観察物や実験などから、気づいたことをいろいろな面からださせる指導や、結果から結論を導く方法、討論の方法など、教師は指導のやり方を知る必要がある。
 私は新卒のころ、理科の授業のやり方がわからず、途方にくれていた。
 授業のネタももっていなかった私は、同僚に教わったり、先輩の教師のネタを聞きに行ったりして、勉強を続けた。
 そして、子どもが熱中した実践を記録に残していった。子どもが熱中した事実だけを追い、実践を続けた結果、一番好きな教科のアンケートで理科が第一位になった。
 理科好きの子どもを育てる教師の手立ては、
(1)おもしろいネタを準備する。
(2)授業のやり方に重点をおく。
 の二つである。
 おもしろいネタを準備し、授業のやり方を工夫していると、子どもたちは理科好きになります。
(大前暁政:1977年岡山県生まれ、岡山市立小学校教師を経て京都文教大学准教授。理科の授業研究が認められ「ソニー科学教育プログラム」入賞。日本初等理科教育研究会会員。日本教育実践方法学会所属。「どの子も可能性をもっており,その可能性を引き出し伸ばすことが教師の仕事」ととらえ,現場と連携し新しい教育を生み出す研究を行っている)

 

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授業名人の玉田泰太郎は、どのような授業を行ったか

 玉田泰太郎は「1時間の授業をどう組織するか」というとき、子どもたちが学習の主体者として、どう授業を創りだすかということが重要だと考えました。
 授業では教師にとって教えるにたる、子どもにとって学ぶにたる内容を明確にし、具体的な学習課題として提出します。
「何を」教えるかを的確に反映し、子どもたちの学習意欲をかきたてる「課題」が用意できるかどうかが、授業が成立するかどうかの鍵になりますと言っています。
 例えば、理科の授業で、アブラナやナズナで花の何が実になったかを追究してから、学習課題「チューリップの花が咲いた後、実や種子ができますか?」を出す。
 討論後、チューリップのめしべの子房や胚珠を観察し、さらに収穫しておいた実や種子を観察します。それで花が繁殖器官であることが、より確かになります。
 玉田の1時間の学習課題方式の授業は原則的につぎのように構成しています。
(1) 教師による学習課題の提示
(2) 子どもが自分の考えをノートに書く
(3) 教師が「異なる意見に対する子どもの意見分布」を挙手で確認
(4) 子どもによる意見の発表・討論
(5) 他の子の意見を聞いて、子どもがノートに考えを書く
(6) 討論後の意見変更・分布を教師が子どもたちの挙手によって確認する
(7) 教師または子どもが実験・観察で確かめる
(8) 子どもは「実験・観察の結果とわかったこと」をノートに書く
(9)「実験の結果とわかったこと」を早く書けた子どもから読ませる
 それぞれの項目について、説明すると、
1 子どもは自分の考えをノートに書く
 課題が本質にせまる子どもたちの学習課題になったとき、子どもたちは主体的に学習課題に立ち向かうようになります。
 授業では、まず、学習課題に対する自分なりの予想や論拠をノートに書くことから始めます。
 自分の持っている生活経験や学習で獲得したこと、頭の中で構築した考え、直観的なひらめきなど、あらゆるものを使って、学習課題に立ち向かうのです。
 もちろん、疑問や問題点もあらいだして、自由に自分自身なりの考えをだいじにしていくのです。
2 討論
 予想を確認したあと、討論にはいります。
 授業では子どもたちが主役であり、主体的に学習課題を解決していくのですから、教師はできるだけ子どもたちにまかせます。
 討論で、わからない、迷っている子どもの考えをまずとりあげ、少数意見をだいじにし、子どもたちが集団で学習課題の持つ本質的な意味をえぐりだし、解決していくことをだいじにします。
 したがって、学習課題そのものが、子どもたちの多様な考えを出し合い、知恵を集めることによって、その本質が明らかになり、深められ、対立点も浮き彫りになるような中身を持っているものでなければならないのです。
3 討論をふまえて、ねりあけた考えを書く
 討論で追究したことを踏まえて、自分の考えを再検討し、再び学習課題に対する自分の考えをノートに書きます。
 多様な考えの中で、自分自身の考えがどうゆさぶられ、ねりあげられ、深められたかを、主体的に再認識することをだいじにします。
4 実験・観察でたしかになったこと
 実験・観察は、討論を通して自分たちが構築した理論の確かめとして意味を持ちます。
 実験・観察の後、子どもたちは確かになったことを、ノートにまとめます。
 ここでも、追究した論理と、実験・観察をどう結びつけてとらえたかが問われます。
 教師が実験・観察の解説をしたり、まとめたりしなければならないということは、子どもたちが学習課題を主体的に追究して、解決できなかったことになります。
 もし、そうであるなら、学習課題を再検討して、新しい学習課題をぶつけることが必要です。
 学習課題は子どもたちが集団で取り組んでも、手の届かないものであれば、子どもたちの思考は止まってしまいます。
 逆に、安易に誰でもすぐに解決するものであれば、やはり思考は働きませんし、子どもたちの認識を深めることもできません。
 子どもたちがその学習課題に挑戦する手だてを持っていて、しかも、より高次の葛藤やジグザグの試行を経て、新しい発見、飛躍の喜びを実感できるような学習課題でなければならないのです。
(玉田泰太郎:1927~2002年、元東京都公立小学校教師。科教協の会員となり、授業づくりの名人として知られ「ばねの両端にはたらく力」は,学習課題方式の授業の典型である)

 

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理科(小学校):「チョウの一生」、学び合いを創造することは教師にとって最も大切な指導力である

 授業で学びと学び合いを創造していくことは教師にとって最も大切な指導力である。
 理科で学ぶ「チョウの一生」は、受験勉強のためだけであれば、教科書を使って、モンシロチョウの卵から成虫になるまでの変化、つまりチョウが完全変態であることを教え、昆虫の体のつくりは、頭・胸・腹と足六本と教えればことたりる。
 しかしそれは、教育ではない。何も育てていない。昆虫という生物体の基礎を獲得させ、それを生きて働く力にするためには、まず、教師と子どもがモンシロチョウを集めることが必要になる。あるいは、キャベツ畑に出かけ、卵を採取してこなくてはならない。それらは、共に学び合おうという集団でなければやりとげることはできない。
 次に、可能なかぎり子どもたちに、小さい卵から幼虫が誕生して羽化するまでのチョウを飼育させる。大量のキャベツを食べながら脱皮を繰り返してさなぎになる様子や、青い幼虫がさなぎの中でチョウに変わり、羽化する場面など、チョウが見せる変化をすべて観察できるように育てさせなければならない。
 教師は、子どもとともに観察し、驚きや感動をともに味わい、疑問を調べていくことになる。子どもたちからは「なぜ脱皮するのか」「なぜキャベツしか食べないのか」「なぜ幼虫からチョウへと姿を変えることができるのか」・・・・・といった疑問が出てくる。
 チョウと人間がさまざまにつながっていることを考える力は、こうした疑問をともに出し合ったうえで得られるものだ。チョウの青虫時代はキャベツを食べ、人間にとっては害虫である。
 しかし、成虫になった蝶は植物の受粉を助け、動物としての人間のために植物の繁殖を助ける。
同じ仲間であるガは、嫌われているが、その一部は、一個の繭から千メートル近い糸を生み出し、絹織物を誕生させ、世界の歴史までをも変えた。
 「生きて働く力」をつけるために必要となるのは、書物を探したり、養蚕農家などに足を運んだり、この目で確かめることを通した子ども集団の学び合いである。子どもの疑問を丁寧に生かそうとすればするほど、指導のための学習が必要になる。
 逆にまた教師の学びの蓄積があってこそ、子どもに疑問を生み出させることができる。かなり広くて深い学習を必要とするし、子どもとともにその学びをつくり上げるのは、大変な苦労を必要とするが、喜び、感動も間違いなく大きい。
(
金森俊朗:1946年生れ、元小学校教師、北陸学院大学教授。「仲間とつながりハッピーになる」教育や人と自然に直に触れ合う命の授業を行う。NHKで日本賞グランプリ受賞)

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「あとかくしの雪」の介入授業から斉藤喜博の個人学習・組織学習・一斉学習を考える

 子ども(小学校四年生)が「あとかくしの雪」(あるところに、なんともかとも貧乏な百姓が~この日に雪がふれば、おこわをたくもんもある)を朗読する。
教師「「なんともかとも貧乏ってどんなこと?」「どんなお百姓?」
子ども「何もない」「貧乏」
斎藤「今のような問題は、個人学習とか組織学習のなかで、問題にし、整理しておかないと」
斎藤「こういうものは一斉学習の問題にはならないですね」
斎藤「昨日の組織学習で、一斉授業はこれとこれを勉強するんだとう課題が子どもの学習の中から出たでしょう。それを黒板に書いてみてください」
教師「どうして大根を一本盗んできたのか」「どうして足あとが消えたのか」と黒板に板書する
斎藤「組織学習でどれが重要で、どの問題からやっていけばよいか、考えておくべきだったのですね」
教師や参観の先生たちと話し合いながら板書をつぎのように書き直す
1
なんともかとも貧乏な百姓
2
どうして旅人は大きな家にとまらなかったのだろうか
3
どうして大根を一本ぬすんできたのか
4
どうして「おら、なんにもいらんぞ」と言ったのか
5
どうして旅人は、うまいうまいとしんからうまそうに食べたのか
6
どうして足あとが消えたのか
斎藤「先生や子どもたちから、もっと問題が出れば、それを書き足したり、同じような問題は一つに集めたりするわけですね」
斎藤「問題というものは、個人学習や組織学習の中から出てくるものであり、教師が意識的に子どもに働きかけ、子どもの中につくり出していくものです。それにも軽重があるわけですね」
斎藤「軽いものから対象にしていき、その課題を突破することによって、つぎの課題が求められるようにしていくわけです」
斎藤「子どもから出た問題を、捨てたり、一つに集めたりしながら、残された問題に二重丸や三重丸をつけたりする。そういう作業をすることによって、一斉学習では、こういう問題を、こういうふうに攻めていくのだということが確認されるわけです。ここまでいかなければ組織学習は終わらないわけですね」
斎藤「この問題の中で、どれを一番重くみているんですか」
教師「どうして足あとが消えたのか」「どうして旅人を何もないのにとめたのか」
斎藤「それでは、それに二重丸をつけてください」
斎藤「こうするのが問題の整理ですね。個人学習なり組織学習のときに、子どもたちがいろいろな問題をノートに書いていく。変更されたりする。教師はそれを見ていて、その中から必要なものを学級の前に出し、ときに説明してしまったり、課題(問題)として重要であることを指摘したりします」
斎藤「一斉学習への整理をするとき、重要なもの、つぶしてしまわなければならないもの、これらを黒板に書いて、これとこれは似ているから一つの問題にするとか、関係があるからそばに並べて書くとか、これは○印、これには◎印をつけようか、子どもたちと話し合いながらやっていきます」
斎藤「そういう整理をしていく中で、だんだんと問題が明確になっていくわけです」
斎藤「そういう作業をするなかで、教えるものは教えてしまうわけです。『なんともかとも』は非常にむずかしいわけです。これは先生が教えてしまってもいいんです」
斎藤「『どうして旅人は大きな家にとまらなかったのだろうか』も組織学習でつぶしておくとよかったですね。非常に通俗的なものが出てきますから」
教師「どうして大根を一本ぬすんできたのだろう?」
子ども「旅人に何もしてやれるものがないから」
斎藤「10本でなく、どうして一本だけ盗んできたの?」
子ども「旅人だけに食べられるだけあればいい」
斎藤「どうして旅人だけ。自分もいっしょに食べればいいじゃない」
子ども「『しかたがない』と書いてあるから。どろぼうをすると悪い」
教師「しかたがないって何を? 何がしかたがないの」
斎藤(教師に)「それはもう、わかってやるほうがいいのですよ。大変いいことを言っているんです。『しかたがない』って書いてあることを根拠にしている。『どろぼうをすると悪い』と言っているんだから、これ以上確かなことはない。そういうことには感動してやるとよい。その発言のなかにあるものをみんなに伝えてやるといいですね。この子はいまこういう大事なことを言ってるんだと、課題をここでつくって考えさせていくといい」
Y先生「○○さんは、『しかたがない』と言ってるね。大根をほんとうは十本も盗んでね、それを食べてもいいんだけれどね、それを食べてもいいんだけれどね、でもこの百姓、そんなことしなかったね。だから旅人に食べさせるだけでいい・・・・」
斎藤「それでは、この子の発言をもとにしての課題をちっとも出してない。この子の言ったことを、その通りくどくど言っているだけですね。この子は核心をぴしゃっと言ってるわけです。それをもとにして、みんなで考える対象になる新しい課題をつくって、子どもの前に提示しなければ」
Y先生「そしたらね、あの百姓はね、大根やきをいっしょに食べたのか」
子ども「いいえ」
Y先生「一本盗んできたね」
子ども「旅人に食わしてやった」
斎藤「これでは授業は前進しませんよ。子どもはこれだけいいことを言ったのに、ここまでしかひろがらない。これだと教師としての作業は何もできないから、授業が平板になってしまう。子どもは言い放しになり、授業が発展していかないですね。もうすこしふくらませてみてください」
Y先生「『一本ぬすんできて』とあるけれども、百姓の気持ちはどうだったろう」
斎藤「そうじゃなくて、この子は『しかたがない』ということを証拠として出しているんです。その証拠を明らかにしてやり、ふくらませてやらないと」
斎藤「この『しかたがない』の背景はどういうことなのか、はっきりさせないと。『しかたがない』というときは、大変な思いなんだよ。大へん重い言葉ですね『しかたがない』」
斎藤「『しかたがない』の前はどうなっています」
子ども「何ひとつ旅びとにもてなしてやるもんがない」
斎藤「そうですね。そのあと、『それで、しかたがない』となっている」
(
井上光洋:19422000年、元大阪大学大学院教授、東京学芸大学名誉教授。斎藤喜博の授業論を研究)
(
北川金秀:1944年生まれ、元神戸大学附属住吉小学校教師)

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理科:探究のために知識を与えておくことが熱中させるポイント(中学校)

 「探究のために知識を与えておく」ことが、探究活動で生徒を熱中させるポイントになる。
 今回は「化学式」という知識を事前に与えておく。化学式を先に教えることにより、根拠のある予想ができるようになる。
 炭酸水素ナトリウムを加熱して分解する実験がある。教科書には、用意するものとして石灰水と書いてある。これでは実験する前から、発生する気体は二酸化炭素と分かってしまい、おもしろくない。知的興奮とはほど遠い。
これを、つぎのように展開するだけで、生徒は探究的に取り組む。
(1)
物質は原子からできていることを先に教える。
(2)
炭酸水素ナトリウムの化学式(NaHCO3)を教える。
(3)
化学式を根拠に、できる物質を予想させる。
(4)
予想した物質を確かめる方法を考える。
(5)
自分の予想が正しいか実験で確かめる。
(6)
予想外の結果になったら、次の予想を立て、再び実験で確かめる。
 化学式を先に教えることにより、根拠のある予想ができるようになる。
 理科は、根拠・理由を大切にしたい。生徒たちは、水素や酸素、二酸化炭素の他、炭素、ナトリウム、水も予想する。
 発生した気体を集め、わくわくしながらマッチで火をつけてみたり、火のついた線香を入れてみる。教科書にある「石灰水を入れて振りなさい」という指示にしたがっただけの実験とは違う。緊張感がある。
 火が消えてしまうと「あっ」と声があがる。「酸素じゃないんだ」と納得する。その「○○でない」という考察も記録するように指示しておく。それが科学である。
 「火が消えたから、二酸化炭素かもしれない。石灰水で調べよう」と、つぎの探究へと進む。
 何の知識もなしに「調べなさい」といわれても、生徒はとまどうだけだ。
(小森栄治:1956年生まれ、埼玉県公立中学校教師を経て日本理科教育支援センター代表。「理科は感動だ」をモットーにした理科授業でソニー賞最優秀賞を受賞。また埼玉県優秀教員表彰を受ける)

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理科:「人の体のつくりと運動」腕はなぜ曲がるのか?」(小学校4年)

 4年理科「人の体のつくりと運動」を学ぶ最初の授業で、「腕がなぜ曲がるのか」を考えさせようと伊勢明子はつぎのようにした。
 「生活体験や学習をもとに予想を立て、問題を解決させる授業を心がけています」と伊勢はいう。
 「今日は、おいしい水を飲みたいと思います」と、水の入ったコップを見せ、一人の男の子を前に呼んで一緒に飲み始めた。
 男の子はどんどん飲むのに、先生の腕はなぜか曲がらず、コップが口まで届かない。
「だれか飲ませて!」と先生のSOSに一人の子が助けに出た。曲げさせようとしても何かがつっかえている。
「そでの中に入っているものを出したらいいと思う」と女の子。
「ジャジャーン」そでからでてきたのは長い棒。これじゃあ腕は曲がらない。
「腕の中の仕組みってどうなっているのかな」
 何度も腕を曲げ伸ばしして見せ、子どもたちにも自分の腕を触ってみるように促した。
「腕の中に何が入っているのかな」
「骨が上下に2本」「筋」「関節」「血管」「筋肉」「脂肪」・・・と子どもたちが答える。
 答えが出尽くしたところで、棒状のベニヤ板2枚とカギ型フック、輪ゴムなどを先生が出した。
「腕がどんな仕組みになっているか、模型を作ろうと思います」
 ベニヤ板を骨、輪ゴムを筋肉に見立て、隣同士で相談しながら腕づくりの作業開始。
「曲がるようにしてね」「板の間をあけないとね」「フックは端? 真ん中?」「輪ゴム、1本でいいかな」と先生。
 みんな、そでをめくり何度も腕を動かしては首をかしげ、悩む。
 10分後、子どもたちは作品を発表しあった。
(
伊勢明子:東京都公立小学校副校長)

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算数:10より大きい数の読み方(1年)

 10をこす数の読み方の問題である。10をこす数を読める子が何人かいると、安心して、ていねいな扱いをしないことが多い。
 ポイントは19の次ぎと、99の次ぎである。10111「じゅういち」ということを知れば19「じゅうく」まではわかる。次ぎに101020「にじゅう」を知れば21「にじゅういち」から「きゅうじゅうきゅう」まではわかる。
(2)
授業のくみたて
 クリップを個別に2030個わたしておく。そして、「用意ドンでいくつクリップをつなげるか」と発問し競争をする。競争となると子どもの目つきは変わる。
 様子を見て、どの子も20をこして30より少し手前になるときに「やめっ」の合図をかけるのである。「さあ、いくつつなげられたでしょう」子どもたちはいっしょうけんめいに数える。
 なかには10以上の数の読み方につまずく子どもがいるかもしれないので、「10より多くなったら、どうかぞえるの」と聞く。「じゅうといちでじゅういち」とこたえてくれる場合がほとんどである。
 黒板にマグネットを並べるなどして、10以上の数の読み方を板書する。そして「じゅうく」までかいて、再び自分のクリップを数えさせる。すると、19でややとまどう子が増えてくる。
 そこでこれを問題にして話し合うのである。101で「じゅういち」・・・とやって、109で「じゅうく」なら、つぎの「1010では何でしょう」を問い、「じゅうじゅうをにじゅうといいます」とやる。
 つまり、2010が2つという意味を印象づけるわけである。20と1はこれまでと同じように「にじゅういち」と、ノートにもひらがなで書かせる
 最後にクリップは、10ずつ切りはなして、1010とを3を並べて「にじゅうさん」というように数えさせるのである。
 10ずつのたばにしていくアイディアの素地と、命名法の基礎的なところをおもしろい印象をもって教えておくのである。
(
坪田耕三:1947年生まれ 東京都公立小学校教師、筑波大学附属学校教育局教授を経て青山学院大学特任教授。子どもたちの創造的な学習活動を具現化することを目的につくられた研究会「ハンズ・オン・マス」代表。子どもの好奇心に培う実践を研究)


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算数(小学校):どこでハテナをだすか

 算数の授業のどこでハテナをだすか。
 社会や理科などでは「ハテナ」は初っ端から出すことが多いですが、算数はそうとはかぎりません。はじめから出すときもあれば、しばらくしてから出すときもあります。
 「ハテナ」を出すタイミングのパターンをいくつも持っていると、それだけ授業の幅が広がります。
 例えば、ここに1円玉があるとします。さて、この1円玉。まわりの長さは何cmだと思いますか? 授業では、子どもたちにいきなり問いかけます。「何cmだと思う? 直感でいいよ」「直感でいいから」と言うと、子どもたちは安心します。子どもたちは平気で間違えられます。
 ここは全員に自分の想いをもたせたいので、子どもを指名するのではなく、全員に手を挙げさせます。「周りの長さが、1cmだと思う人?」「じゃあ、2cmだと思う人」「3cmだと思う人」「4cmだと思う人」・・・・このように、7cmくらいまで聞いてあげると、子どもたちはどこかで手を挙げます。
教師「1円玉のまわりの長さ。答えは4cmです。見えますか?」
子ども「見えな~い」「やった、当たった」
教師「・・・・というのは、ウソです。本当は10cm」
子ども「え~!」「それもウソだ」
教師「よくウソと見抜いたね、そうです、ほんとうは6cmちょっとでした」
このやり取りだけで、クラスはにわかに活気づいてきます。
 それにしても、私の指でつつまれた1円玉。とても6cmには見えません。
「本当に6cmなのか?」
「もしかしたら、それもウソなのでは?」
・・・・子どもたちの頭の中にも、そんな疑問が浮かんできます。
 ちょっとした私の冗談が、子どもたちをさらに悩ましたわけです。
「1円玉のまわりの長さは、本当は何cmなんだろう?」
 これが「ハテナ」になります。ハテナが生まれたら、子どもたちは動き出します。どうにかして、1円玉のまわりの長さを調べようとします。
 そこで1円玉を配布します。ある子が1円玉を転がしていました。解決への糸口発見です。私は「おっ、なかなかおもしろいことをしているね」と、その子の活動を取り上げました。皆が真似し始めます・・・・。
 あとは、動き出した子どもたちを見守りながら「なるほど」までをうまく舵取りしてあげるだけです。
(
細水保宏:1954年神奈川県生まれ。横浜市立小学校教諭を経て、筑波大学附属小学校副校長)



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