カテゴリー「学校経営と組織」の記事

教師が新たな自分に出会う喜びを得るには、どのようにすればよいか

 教育がむずかしくなったと言われます。「子どもが変わった」「親が変わった」「学級崩壊」と思い当たることは、いくつもあります。
 確かに状況の深刻さは予想以上であると、私も危機感を強めています。しかし、私はこんなときだからこそ教育はやりがいのある仕事だと思いたいのです。
 私は悪戦苦闘という言葉が好きです。子どもは教師にとって、思うようにならない存在です。生きて動いています。泣いたり笑ったり、喜んだり悩んだりしています。日々その連続です。
 そんな中で子どもを人間として自立させていく営みは、まさに悪戦苦闘の日々です。「どんなことが子どもにとってよいのか」と問い続ける教師の姿です。
 それは教師自身が自らの在り方を問い直し「自分を変えようとする営み」を抜きにして語れません。
 そうした実践の中で私たちは、あるときフッと、またあるときは徐々に「教師としての新たな自分にめざめていく」のではないでしょうか。
 それが「教師としてのやりがい」につながっていったときは、教師冥利に尽きます。
 私も校長として三校の小学校に勤務してきました。まさに悪戦苦闘であり、試行錯誤の連続でありました。具体的に取り組んできたことは
(1)
教職員と、学校経営や授業実践、学級経営などを雑談的に語り合っている。
(2)
教室訪問を気軽に行き合ったりして、教師同士が互いにひらかれた実践活動を心がけることのできる職場づくりをする。
(3)
職員室だより「あじさい」を発行し、職員の真摯な実践活動に私自身が学んだことを掲載し、互いに「学び合う教師」として精進する。 
ということです。
 
「明るく元気に実践し、学び合う教師」は、私の憧れです。私はこれまで、そんな教師たちとたくさん出会ってきました。
 厳しさの中で挑戦し、困難から逃げることなく、楽しむかのごとく実践する多くの教師との出会いでした。
 子どもを主人公にした学校づくりに汗を流し、実践してきた何人もの教師の姿を思い浮かべることができます。
 また、自らを変えようと、ひたむきに実践して、教師としての新たな自分に出会い、めざめていった教師もいます。
 学校は零細企業だと私は思います。事務職員を含めた教師一人ひとりが、その学校の子どもたちを育てる当事者なのだという意識こそ大切です。いまこそ、学び合う教師たちでなくてはならいと私は思います。
 教師は、まず同じ学校現場にいる仲間の教師に学びたいものです。仲間と学び合ってこそ、その学校を活性化させ、教師の資質を磨き、めざめさせていくのだと確信するからです。
 しかし、それはキリキリと胃が痛む思いで、実践することではありません。むしろ、明るく元気に「まっ、いいか」と肩の力を抜き、取り組む中で「新たな自分に出会った喜び」「熱中して燃える、やりがい」を得ることができるのだと思うのです。
 私が校長として教師を見ていると苦しく、つらい思いを持った教師が多かった。そんな中で「学び合う教師集団」としての本領が発揮されていたと思う。
 
「信頼される教師になるために」「教師として情熱を燃やすことのできる自分になるために」と、先生方の努力はひたむきであったなと思います。
 そして、徐々に、またはある日突然「新たな自分」に出会い、みずみずしい感性、しなやかな姿勢、ひらかれた大きな度量を感じ取っていく教師たちであったな、と思うのです。
 学校は一枚岩の実践を大切にします。しかし、それ以上に大切なことは、一人ひとりの教師の願い、持ち味が、学校の連帯の中で生かされているかどうかだと、私は思います。 
 学校は校長のリーダーシップによって変わると言われます。
 そのリーダーシップも校長がぐいぐい引っ張っていくような経営ではなく、教職員の知恵や願い、夢やロマンを引き出し、それを学校づくり(子どもを育てる営み)に生かし実現していくものでありたいと私は念じています。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)

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先生の意識を変えると生徒が変わり伸びる、先生や学校を変えるには、どうすればよいか

 学校を変えるためには先生の意識を根本から変えなければいけない。私はシンプルなことから始めました。それは挨拶です。
 先生は教室に入ったとき生徒に挨拶します。学校は思い出や感動を生み出す場所です。それには先生の根底に「元気」が必要てす。元気の素になる最初の行動が「挨拶」です。
 私はいろいろな学校に行くことがあります。その学校の雰囲気は挨拶に一番表れます。先生が挨拶できないと生徒に伝播します。
 挨拶は、それだけでお互いにいい気分になります。人間はいつもちゃんと挨拶してくれる人のほうが好きになってしまうところがあります。
 挨拶は習慣です。単純に勇気も必要です。人としての徳においても大切です。人間関係を築くための最初の一歩が挨拶です。
 私は「先生は経験ではなく、志で決まる」と考えています。「志が高く、先生としてのあり方」が身についた先生は視点をはずしません。年齢にかかわらず、「志が高い先生」がいい教師です。
 志の高い先生は、その生徒のためにしてあげられることを常に考えています。志の高さは意識が高さといってもいいでしょう。「こうしたほうが、もっとよくなるだろう」「ここを変えていったらいいだろう」とすぐ気づきます。そして行動します。
 生徒を注意するときも、生徒がよくなるための注意と、先生の怒りを発散させるだけの注意ではまったく違います。志の低い先生は、その場その場で自分の怒りを発散させるだけの注意になりがちです。
 志の高い先生は生徒のことを考えた結果であり、その子のために必要だから注意をします。そうやって「志の高さをずっと持って、真正面からじっくりと生徒に向き合う」のがいい先生なのです。
 先生の志の高さは、三学期が終わったクラスの状態を見ればわかります。クラスの生徒は担任を映している鏡です。終業式のクラスの状態がその担任の状態を表しているのです。
 そのときに人格が豊かな、志の高い、心の温かい子どもたちに満ちあふれていたら、それは担任がそういう人だからです。
 反対に表面だけを追うような、表層的な部分だけで行動したり、ものごとを考える担任がいたとします。そのクラスは三学期の終業式のときには、そのような表層的な部分でしか生きられない子どもばかりのクラスになってしまいます。
 それは長年の教員生活で見ていて、すぐにわかります。よく「何年かたたないと教育は結果が出ない」と言います。そんなことはありません。たまたま悪いクラスにあたった、ということも先生から聞きます。 クラスがよくなるのも悪くなるのも担任しだいです。
 その結果、担任の志の高さが終業式の生徒に表れるのです。そして、学校の志の高さは卒業式を見ればわかります。卒業式は生徒も先生も涙して、なかなか帰りたがらないとき、それを見て私は、すべての担任のクラスがうまくいっている、と思います。
 私たち先生の仕事は3Kに近いものです。きつくて、汚くて、危険です。教材研究、ふだんの業務、部活動を完璧にこなそうとすると、ほとんど休みはありません。教室がいつもきれいな状態であるためには、泥まみれになって掃除もします。
 しかし、こんなに崇高な仕事はないと思っています。仕事してきて「よかった」「うれしかった」と卒業式に生徒と一緒に泣けるような仕事は他にありません。自分の幸せにも直結します。そんな素敵な卒業式を迎えられるように、先生は生徒と日々向き合っています。
 私は生徒を大事にするとともに、先生を大事にしました。先生を大事にしたら、先生が生徒を大事にしてくれます。
 職員室で、校長が先生の良いところをみつけて「ほめ」スターのようにスポットライトを当てて光輝かせてあげる。先生たちが職員室で輝けば輝くほど、先生は教室で子どもたちをスターにするのです。
 人は認められるとうれしくなります。自分を知ってもらえると安心します。校長である私は、先生のことを全部わかってあげなければいけません。
 新しい学校に赴任したとき、先生と面談して「どんな学校にしたいか」とじっくりと話しを聞いた。「生徒と真剣に向き合い、生徒一人ひとりを伸ばしていくことのできる学校」と先生の答えは皆同じだった。
 そして、学校の進むべき道を明確に決め、「子どもが安心して通えて、私たち先生を信用して、信頼して頼れる学校」とした。
 いばっても人は絶対に動きません。いくらかっこいいことを言っても、実際に態度で大事にしているという気持ちが伝わらなければ動きません。全部わかってあげて、真剣に向き合っていきます。私の志が先生に投影されて、先生が変わっていきます。その先生がそれぞれのクラスを変えていくのです。
 私は先生を大事にしましたが、そのなかでも特に着目したのは学校が好きな先生です。情熱があり、学校が好きな先生というのは、生徒が好きで、そして自分を伸ばしたいという表れでもあります。学校が好きな先生たちを中心に変えていったほうが、すべてうまくいきます。
 では、どうやって学校を変えていったのか。まず、学校が好きな先生に「授業をするから見に来てください」と言いました。授業はこうやるんだということを全部話しました。授業のやり方を覚えてもらい、もう一度、本来の自分を取り戻してほしかったのです。
 その後、学校が好きな先生から一気に広がり、授業を見にくる先生は、ものすごい勢いで増えました。しだいに、先生たちも恥ずかしさを捨てて、もうがむしゃらに学ぶんだ、というふうになっていきました。
 情熱的でない先生も、わかりやすい教え方を知ったとき、目を輝かせていました。やはり、先生になる人はみんな心に熱いものを持っていました。
 先生という職人は、腕のたつ職人の言うことはよく聞くものです。そのためには、校長が圧倒的にうまい授業や生徒指導をして見せる必要があります。そうすれば、職人である先生は、頭領である私についてきます。
 学校を変える主役は先生です。
 先生をまず変えます。生徒を変えるよりもまずは先生を変えます。重要なことは先生にワクワクしてもらうこと。先生が自己改善をし続けること。先生が変われば授業が変わる。授業が変われば間違いなく生徒が変わります。
 先生が一致団結しないと学校は変わらない。学校としてみんなが同じ方向に向かって努力すると、先生が伸び、生徒が伸び、学校が伸び良い結果が生まれます。
 学校の進む方向や道は、幅広く設け、ここで先生に好きなようにやってもらう。
 先生はそれぞれでやり方が違う。進む道が狭いと個々の先生の個性を殺してしまうので許容範囲を広くとる。目指すところが同じなので、共通の目的・哲学を根本的な部分で共有するようにします。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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民間校長の「子どもたちの未来を変える」ために伝えたい言葉とはなにか

 好きなことを、好きなようにやらせてもらってきた、この道30年の放送作家が、52歳で大阪府立高校の校長になりました。いわゆる公募の民間人校長です。
 ネットの時代に、テレビというメディアの限界を感じ、東日本大震災をきっかけに、生き方を考え直そうとしていたのかもしれません。「未来の日本のために、きっと何かお役に立てること、プラスワンできることがあるかもしれない」と、僕の中の使命感が突然目覚めてしまったんです。
 家族から「意外と向いているかもね」と言われました。そうなると、もう自分でも止めることはできません。来る日も来る日も、教育関係の資料を読みあさり、手元に集まった書籍は300冊。母校を訪ね、学校運営に関する数々の助言をいただきました。
 気になる本の著者を訪ね、貴重な話を直接うかがったり、ビジネススクールの教授からマネジメントの特訓を受けたりと、準備をしました。
 根がテレビ屋なので、取り組むテーマが決まると、ガーッと集中的に研究し、取材し、パワーアップして、あたかもそのジャンルの専門家であるように、たちまち変身してしまいます。もうそれは30年染みついた習い性です。
 ということで、めでたく採用され、3カ月の実地研修を受けた後に、校長となったわけです。慣れない仕事ですから、当初は戸惑いもありましたし、少なからず失敗やトラブルもありました。
 放送作家から3年の任期付きの校長になって、子どもたちに伝えたいのは
「人生にたった一つの正解なんてない。すべて正解! 生きているだけで、みっけもん。だから、今、ここをしっかり生きる」
ただそれだけです。
 僕の妹や弟は未熟児で短い命でした。生きたかっただろうな。生きてほしかった。たまたま僕は、生きています。生かされています。生きることが叶わなかった妹や弟に恥ずかしくない生き方をしているだろうか。
 生きていること、生かされていることに感謝をして、1日1日を大切に、しっかり前を向いて歩いているだろうか。せっかくの「命」です。自分の心の声に従って、前を向いて楽しく生きていたい。
「できることは全部やる。失敗や挫折もすべてを力に変えて、自分を変えて、変わり続けて、変化の中で自分自身を進化させて、そして未来を変える」
 僕の日常の支えにもなっていて、子どもたちにも伝えたいのは、未来を変える勇気の呪文「ゼロ・プラス・ワン」です。
 どんな逆境だろうと「ゼロ・プラス・ワン」精神で立ち向かっていさえすれば、自分自信が自分自身の人生の主役となって、前を向いて歩いて行くことができるはず。
 自分の心を満足させる喜びにあふれた毎日を暮らすか、あるいはそうした喜びとは真逆のストレスだらけの苦しみを味わい続けるのか。どちらを選ぶかは自分次第。
 校長着任以来、ありとあらゆる機会を見つけては、子どもたちに、クリエイティブに自分の人生を生き抜いていくためのパスワード「ゼロ・プラス・ワン」を繰り返し訴えています。
 堀江貴文(ホリエモン)やLINE元CEOの森川亮さんをはじめ「ゼロ・プラス・ワン」をまさに身をもって実践している時代の挑戦者たちが、応援に駆けつけてくれてもいます。
 自分を変えて、進化させて、共に未来を変えましょう! 自分が自分らしく、自分の人生を生き抜いていくために。
 子どもたちが、自分の人生の主役は自分なのだと信じて、ワクワクしながら、笑顔で生きていける未来を創るために!
(
和栗隆史:1961年東京生まれ、放送作家から大阪府立高校校長)

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教頭に求められる心構えと実践とはなにか

 教頭は学校に出勤してから退出するまで気が抜ける立場ではない。教職員はもちろん、子どもをはじめ、多くの保護者や様々な来訪者から、教頭の姿、行動や言葉の端々まで注目されている。
 教頭はみんなから頼りにされているのである。人間として、教師として、さらに教頭としての自覚をもって、誠心誠意勤務することである。服装や身だしなみは、常に清潔で、品位を保ってほしいものである。
 外部から電話を受けた時の第一声は非常に大切である。まず「○○学校・教頭の△△です」と、明るくはっきりと名乗ること。電話は学校の声の窓口である。応答は明るく、元気よく、明瞭かつ、丁寧をモットーとしてほしい。事務職員にも指導の必要がある。
 朝は、子どもの欠席や遅刻の届け、教職員からの休暇願いなどの電話が頻繁にかかってくる。担任や校長に確実に伝達する。
 その他、苦情電話や、情報提供の電話がある。その対応によって話がこじれて問題が大きくなってしまうこともある。だからこそ、親切、丁寧に対応しなければならない。すぐに対応する姿勢と誠意が必要であり、必ず校長に報告する。
 学校には様々な人びとが出入りする。気をつけることは、服装や態度で相手を判断したり、扱い方に差別をしてはならない。校長室に案内すべきかの判断も必要となる。湯茶の接待の気配りも必要である。
 事前に予定されている公的な来訪者の場合は、玄関入口には、案内図などを示しておく。役職、名前を調べ、下駄箱に名札を表示する。
 教頭にとって大事な心構えの一つは、教頭が勝手に判断して、教職員に指示してはならないことである。どんな些細なことでも校長の考えと違っては、職場は混乱する。一つひとつ、校長の指導、指示を仰ぐという基本的なことを常に心してほしい。
 ただし、校長不在で連絡がつかない場合は、事態を把握し、決定しなければならないこともある。判断しきれない時は、教育委員会の指導を受ける。
 教頭の中には「教職員が、私に相談しないで、校長に直接行ってしまう」と嘆く例がある。これでは、教頭としては失格である。日頃、この教頭では頼りにならないと思われていたり、最終決定者は校長だから、校長に相談してくれ、と責任逃れをしていて、信頼感が薄いからだと思う。
 教頭が、教職員の日常生活に「心の眼」を向け、気配りをして、時に声をかけ、相談者として意欲的に接していれば、好ましい人間関係が醸し出され、自然と公私にわたり相談に来るようになる。
 また、教頭は校長決裁を求める場合、教頭として、自分自身の見解や意見を必ず持って臨まなければならない。校長から「きみなら、どう考える」と問われて、返事に窮するようでは、校長の補佐役として問題である。
 教頭は教職員と校長との単なるパイプ役であってはならない。教頭としての哲学、見識をもつことである。
 教頭になるために、様々な研修を重ねてきているが、さらに、教頭実務を含め、一層研修を深め、人間として高める努力をしなければならない。私はつぎのような努力をした。
1 日々の記録をつける
 教頭になった日から、私的な日記(記録)をつける習慣を薦める。教頭は多忙な日々だが、その日の出来事、処理方法、改善への感想など、箇条書きでも良い。これが後日、役立つ。
 行事など一年前の事柄の細部までは、なかなか思いだせるものではない。学校評価にも、職務遂行の向上のためにも、大変貴重な資料となる。記録は大切なものである。
2 法規に強くなる
 管理職は、教職員の管理はもちろん、教育活動の円滑な推進のために、法的根拠を理解し、身につけておく。法規、例規集を座右の書とし、疑問に対して「だろう」ではなく「根拠はこうだ」と、明確に答えられるよう、疑問に思ったことは、すぐに調べて確認する習慣をつける。
3 視野を広げ、教養を高める
 教頭の研修は自校の教育課題に対して、どのように改善することが必要か、ということを意識することから始まる。子どもの生活の様子、保護者とのかかわり、PTA活動などからも、世の中の確かな変化と、望まれる教育課題が発見できる。
 さらに、国内外の教育事情はいうに及ばず、様々な社会事象をはじめ、世界の政治、経済、社会、宗教、文化など多方面に視野を広く持ち、学習を深める必要がある。多忙でも、自らの見識を高める努力が大切である。
4 教頭職として自ら高める
 とかく忙しさにまぎれて、校内にとどまりがちではあるが、教頭職に精通するために、地域や全国の教頭会を大いに活用しなければならない。資質を高める積極的な意欲があれば、校長も研修に参加することを応援してくれるはずである。教頭として自ら高めるには
(1)
健康管理と体力の維持、強靭な精神力
(2)
社会的常識と人間的魅力
(3)
教職員やPTAなどに指導助言できる識見
(4)
情報収集能力と組織力、企画力
(5)
実務知識と事務処理能力
(6)
若い教師に研修意欲の喚起と幹部職員を育成する能力
(7)
自らの教育観、学校観、教師観、子ども観などの確立と先見性
おおよそを、あげてみたが、何といっても「健康」が第一である。健康を害して、志なかばで涙をのむ人も少なくない。自分なりに健康維持と増進には心してほしい。特にストレス解消法を持つことである。
 私は、ストレスや疲労感があるような時は、腹式呼吸によって心身の安定を得るようにしている。腹式呼吸を510回繰り返し「気持ちが落ち着いている、大変心地よい、心地よい」と自分に言いきかせると、本当にゆったりとした落ち着いた気持ちになる。
 頭に血がのぼるような時、疲労したと思った時、だまされたと思って、一度ためしてほしい。
(
藤ヶ谷敏明:1929年東京都生まれ、元東京都公立中学校教頭(10年間)・校長(6年間)、教育相談員等)

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学校崩壊に尻込みせず真っ向勝負、教育は熱気、そこにドラマが生まれる

 学級崩壊、学校崩壊に教育界が尻込みしている現状に私は我慢がならなかった。現状と真っ向勝負するのが教育ではないか。私たち教師の使命ではないか、と思うのである。
 私は子どもたちの現実と真っ正面から向き合い、変革の着手点を明示し、子どもたちとの感動体験を共有したいと念じている。深い慈愛をもって、全力を懸けて、子どもたちに飛び込んでいくと、子どもたちは必ず全力で応えてくれるという確信を持っている。
 私の今までの体験がその事実を如実に明示している。振り返って、私はこの20年間、教師時代から管理職としても、いずれも教育困難校といわれる中学校に勤務してきた。 
 それぞれの学校で、態勢を整え、腹をくくり覚悟を決め、実践する中で、学校の様相が活性化し、子どもたちに大きな変容を見ることができた。学校が一本にまとまり、子どもたちと真っ向勝負し、教師の熱い思いと子どもたちの心がつながる時、見事に学校が蘇生するという体験をたくさんさせて頂いた。まだまだ学校は、力を持っている証であると考えている。
 今、私たち教師は子どもたちが身に着けていなかったものを、一生懸命に取り戻させています。子どもたちの躾の一番は「おはようございます」という「挨拶」です。これは絶対に必要です。私は学校に来たら
私:「おはようございます」と子どもたちに挨拶します。
生徒:「はあ」
私:「今度、新しく来た校長先生。よろしくね。せっかくだから、挨拶しようよ」
生徒:「なんで、挨拶せなあかんの」
 その子には毎朝、私は挨拶をしました。半年、言い続けました。そうしたら、ちゃんと返してきます。指導には長時間かかることもあり、めちゃくちゃ苦労するのですよ。
 次は「履き物をそろえる」こと。今の学校に来て、下駄箱を見てびっくりした。靴を下駄箱に入れずに、辺りに脱ぎ散らしてある。これを見たら、ふつうは校長が学年の教師に「指導しなさい」と言いませんか。校長に言われて指導できるのだったら、すでに出来ているはず。
 それでは何をするのか。私が、ひたすら靴を揃えていくのです。しかも黙って、毎時間。なんとこの改善にどれだけ掛ったか。11カ月です。つまり、卒業式の前の二月に、初めて生徒に言ったのです。
私:「おい、もう卒業も近くなったねえ。もうそろそろ、靴、入れていいんではないかい。毎回、揃えてあったの、きみ知っているだろ」
生徒:「うん。先生、お世話になりました」
とペコンと頭を下げました。面白いでしょう。子どもというのはそんなものです。
 私は、いつも下駄箱に行って、溜まっている土を掃除もしていました。そのころです。やんちゃな生徒が私の前を通りがかって
生徒:「お、校長先生が掃除している」
私:「おい、おまえも手伝え」
生徒:「あのな、おれ、この中学校にきて、何も良いことしてない」
私:「いいから手伝え」
生徒:「おう」
 私と、やんちゃな生徒とで掃除しました。通りかかる子が、みんなポカーンとしていました。こんなケースがよくあるのです。これも、結局、11カ月ひたすらしているから通じるのです。
 中学生ぐらいになって、口でやいやい言ってもダメなんです。それくらいの忍耐力がいるということを知ってください。私は朝に学校へ行くと、生徒に「おはようございます」と言って、下駄箱の靴をきれいに揃えるのです。最近、生徒が「校長先生、ご苦労さまです」と、言ってくれます。
 私は、20年間、荒れたと言われている学校を五つ勤務しているのですよ。それ以外は行ったことがないんです。最初の「てこ入れ」は全部これです。挨拶と掃除と履き物を揃えることです。ものすごく大切なことなのです。
 子どもを指導するうえで、柔軟性と頑固さは相いれないものではない。教師が子どもに迎合したり、子どもが大人をのんでしまっていては、子どもが育つはずがない。
 大人が壁となり「乗り越えてみよ」と指導しなければ、子どもたちが育っていく道筋を獲得するチャンスを失ってしまうということを肝に銘ずるべきである。物事の本質を見極めたうえでの計らいとして、柔軟性を併せ持つのである。
 東井義雄の「子どもは星」という詩があります。「どの子どもも、それぞれ光りを放って輝いている。子どもは自分の光を見てもらいたがっている。光を見てもらえないと、子どもはまばたきをやめる」といった詩です。
 
「この子はこんな良いところがある」という目で、子どもたちを見るということです。そうすると子どもたちの輝きが増していくのです。私はこの詩が大好きです。
 子どもが非行から脱出するためには、援護する大人が時には泥をかぶってでも愛情を注ぎ続けることが必要です。非行少年たちに決定的に良い思いを体験させなければ、素質も芽生えてこないのです。
 非行は育つ力でもあります。その力を正しく育てるには、人格を愛しながら、リハビリ訓練が大切です。問題行動と人格とをはっきりと区別して考えないと、生かすことができません。
 子どもたちへの深い敬愛の念、成長に「ときめき」を感ずる私たち教師の念に、教育の原点がある。
 私たち教育に携わる者の使命は「子どもたちの心の発火」の手伝いを全力ですることである。
 我々学校現場の教師は思う。「情熱を失った者が、エネルギーあふれる子どもたちに、相対することができるはずがない」と。指導する私たち教師の熱気、本気が試されているのである。
 自信と活力を失いがちな学校に、子どもたちは「魂を懸けた格闘」をしてくれる人の出現を待っていると、私は信じている。私のこうした体験が、出口が見えないといわれる現代教育界への一つの手がかりになればこれほど嬉しいことはない。
(
中村 諭:19482003年、兵庫県生まれ、大阪府高槻市立小学校・中学校教師、兵庫県公立中学校教師、兵庫県教育委員会指導主事、兵庫県宝塚市立中学校校長歴任した読売教育賞優秀賞受賞)

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学校の日常を包み隠さず世の中に知ってもらうと信頼関係が生まれる、クレーマー対策にも有効である

 学校現場にかかわっている人と、いない人との間の情報の落差がはなはだしい。この情報の落差が日本の教育のあらゆる問題の根源にあるのです。
 学校が困難な状況にあること、先生方が懸命に教育活動に取り組んでおられることを、私はよく承知しています。しかし、世の中は学校や教師の日常を知りません。
 でも、ひとたびいじめや体罰のような事件が起きたとき偏った報道がいっせいに流されます。世の中は学校を知らないだけに、それら偏った情報だけで学校のすべてを知った気になります。結果、学校を見る目がますます厳しくなっていきます。
 一般社会は学校のことが見えていません。すべての学校でひどいいじめ事件があるかのように錯覚しています。各種調査では、圧倒的に多くの子どもたちは「学校を楽しい」と感じ、友だちと一緒に過ごすことを楽しみにしているのです。
 ところが、学校にとってきわめて珍しいことが事件として大きく報道される。例えば大津市で起きた「いじめ」がすべての学校であるかのような報道が多い。日本人は心配性です。メディアも不安を煽るような報道が多い。そして、AかBかと考えさせ、結論を急がせ、思考停止に陥らせてしまう。
 その結果、今の社会は勝手に子どもの状況を深刻に描き、私は非常に危うい状況であると感じています。子どものことを心配すればするほど、教師に対する社会からの期待と不審が強まっています。
 いじめ事件では学校の閉鎖性が明るみに出ました。うまくいっていないところを隠ぺいしようとして失敗し、かえって世の中の信頼を失い、たいへん大きなつけを払わされることになりました。閉鎖的な対応をしていて、世の中の信頼を得られるわけがないことを学校教育関係者は理解しなければなりません。
 このような情報落差をそのままにしていれば、学校に事件が起きたとき、学校は麻痺状態に陥ってしまいます。本来認められてよいはずの個人情報の保護でさえ、隠ぺいと見なされ、悪意ある記事になることもあります。
 では、実際にどうすればよいか。必要なことは、まず、学校の日常を包み隠さず世の中に知ってもらうことです。いいことばかりでなく、うまくいかなかったことも、すべて正直に発信するのです。情報があれば、世の中は学校現場の日常を理解してくれます。それが学校への信頼につながります。何も情報がないところでは、信頼関係は生まれっこないのです。
 日常から報道機関に情報を提供し、人間関係を築いておくことです。新聞の地方記事はときどきネタがなくなることがあります。そんなときに学校のネタは地域の人に喜ばれ、記者にとっても好都合なのです。
 掲載されなくても、日常から真摯に教育活動に取り組んでいることが伝われば、印象がよくなり、変な報道はなくなってきます。
 私も校長のとき、できる限り情報を公開していました。学校ですから、細かいところでは問題も発生します。そんなときも問題のない範囲で説明します。閉鎖的な体質をつくらないことです。「情報を隠さない」「地域と一緒に考える」日常からこうした行動をしておくべでしょう。
 保護者のクレーマー対策としても、実はこのどんどん情報を公開するという取り組みが有効です。これまでは、このような保護者が学校に押しかけてきたとき、学校は隠していました。相手に恥をかかせたくないし、学校も恥をかきたくなかったためです。クレーマーはそこにつけこんできます。
 そうではなく、クレーマーについての情報も、どんどん出していくのです。その存在を社会で共有する仕組みにしてしまう。公開しておけば、クレームをつけてこられたとしても「あの人はクレーマーだからね」と認識されることになり、社会的にはそれで収まるわけです。
 クレームは、あらゆる手段で解決を図るという、気構えが必要だと思います。そうすれば、クレームをつけてきた人も、助言者に変化していくのです。無理が通れば道理が引っ込みます。道理を通すには無理を抑える必要があるのです。
 クレームが変にこじれてしまうのは、初動に問題がある場合がほとんどです。学校内で情報を出し合い共有し、議論して組織的に対応することです。最終段階で校長が毅然と立ち向かう腹を据えていれば多くの場合は解決します。「教育委員会に言うぞ」と脅されれば「どうぞ」と言えばよいのです。そして、教育委員会とともに解決する。
 こうした当たり前のことを当たり前にやる気構えを最初から持っておけばよいのです。「自分は正しい」「自分の間違いは認めたくない」などと思っていると問題はどんどんこじれてしまうでしょう。
(
陰山英男:1958年兵庫県生まれ、兵庫県公立小学校教師、広島県尾道市立小学校長(公募)、立命館小学校副校長、国の教育再生会議委員、大阪府教育委員長を歴任した。立命館大学教授、日本教育再興連盟代表理事、徹底反復研究会代表。兵庫県の朝来市立山口小学校で保護者を巻き込んで、基礎学力向上のための岸本裕史が提唱した百ます計算や日常の生活を見直すチェックシートの活用などで成果を上げた)

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ダメなことはダメと毅然と指導をしなければ、子どもは健全な発達ができない

 生徒の問題行動に対して「ダメなことはどんな理由があってもダメ」とする指導をしなければ子どもは健全な発達ができるはずがない。
 荒れた学校を再生しようとするとき、日常の教育活動を充実するとともに、毅然とした指導の考え方をしっかりと認識したうえで実践にあたっていただきたい。他校の実践を形だけまねてもうまくいかないからである。
毅然とした指導をするための考え方とは
1 毅然とした指導こそが生徒と学校を変容させるという強い信念を持つ
 校長として赴任した中学校は荒れていた。職員会議で「最優先課題は学校秩序の回復である。今後は問題行動に対しては妥協のない対応をする」と宣言した。それまでの生徒の言い分を聞きながらじっくりと説諭する指導からの転換だった。
 生徒の反発を危惧した教師からは「そんなことしたら本校はもっと大変なことになる」と反対意見が出された。しかし不退転の覚悟を決めていた私は「長年の膿を出し切ったその先に学校の正常化ができる」と説得した。その結果、次第に生徒たちは落ち着いて授業を受けるようになり、学力も向上した。学校自由選択制度のもとで人気校になったのである。
 劇的な成果を生んだ理由は、本来子どもは失敗をくり返しながら成長するものだ。子どもが失敗したとき、怖い役割を果す大人がしっかりと叱ることによって、子どもは自分の過ちに気づき、規範意識や自制心を形成することができる。大人にはそのような大事な役割があるのである。
 子育てにおける大人の真の愛情とは、そのような姿勢のなかに存在すると言ってよい。この子育ての原則が見失われたとき、学校や社会は荒廃するのだ。
2 生徒の暴力に負けない強固な意志をもつ教員集団を組織する
 「暴力行為に及ぶ児童生徒に対して、教職員は正当防衛としての行為をするなどの対応も有り得る」との文部科学省の通知がある。教師は体罰が禁止されているが、殴りかかる生徒の腕をつかんで押さえつけることは、体罰であるはずがない。
 教師の力を発揮するには、生徒の暴力に立ち向かえるだけの体制を学校内につくるとよい。体力と気迫のありそうな数人の教師を呼んで、生徒の暴力行為に体を張って阻止してくれるように私は頼んだ。依頼に応じた教師は四人いた。
 私は「たとえ授業中でもなんでも、私が緊急招集の放送をかけたら、すぐ集合して生徒指導にあたってほしい。それでも生徒たちの暴力がやまない場合には、即座に私が警察の支援を要請する」と話した。
 これで生徒集団の暴力には負けないと確信した。実際に召集をかけた場面が二回あったが、これまでと異なるただならぬ雰囲気に強い決意を察知した生徒たちは身を引いた。
 一人の教師が単独で指導した場合には、生徒たちはその一人の教師を標的にする。だから、指導力のある教師を孤立させない対策を講じることは非常に重要なことなのである。
 念のために断っておくが、生徒指導においては「優しい母性的な姿勢の指導」と「厳しい父性的な姿勢の指導」のバランスがとれていることが大切である。もし悪役の教師が一人もいなかったら、だらしのない校風がすぐにできてしまうに違いない。
3 犯罪的な問題行動は躊躇せず警察と連携する
 対教師暴力、校内での放火、対生徒致傷事件、大量の器物破損等の重大な犯罪的問題行動が発生し、学校の指導が十分に及ばないと判断されたときは、すみやかに警察に支援を求めるべきである。
 被害を拡大させないことがもっとも緊急な課題だからである。警察への通報、被害届の提出、取り調べの立ち合い、保護者への説明等はすべて管理職が先頭に立って行う。そして、すみやかに臨時朝礼と保護者会を開催し「責任の取り方を学ばせる指導が大切」という学校の姿勢への理解を求めた。
 警察との連携を円滑に進めるためには、日常的に管理職と生活指導主任が警察署に出向いて、少年係と情報交換を行うことが有効である。学校と警察が日常的に連携を取っていることを、生徒や保護者に周知することが生徒の問題行動へのブレーキとなって働くのである。
4 PTAや地域の関係機関と積極的に連携する
 問題行動が拡大し、通常の指導では手に負えない状況になったときは、PTAや地域や行政などの外部の関係機関との連携を強化することが有効な対策となる。 
 私はPTAの役員と連絡を頻繁に取り、生徒指導について包み隠さず説明して理解と協力を要請した。PTA役員の耳に届く保護者からの学校批判の声には謙虚に耳を傾け、要望については即座に対応していった。
 地域が団結して健全育成に取り組むべきと考えた私は、「非行防止対策協議会」を設置した。PTA会長、指導主事、教育センター相談員、警察署少年係、民生委員、児童相談所職員がメンバーである。月一回開催し、情報連携から行動連携へ発展するようにした。
5 校長の迅速な決断と行動力
 問題行動に対して、教師集団が勇気と自信をもって生徒指導にあたるためには、「決断と実行と責任」のすべてにわたって、管理職が積極的にかかわることが必要である。
 実は、学校秩序が破壊され、状況が悪化しているときこそ、管理職が一段と踏み込んだ対応策を実行するチャンスである。大きな事件が起きた時には反対意見は出にくい。
 失敗や批判を恐れずに管理職が教師の先頭に立ったとき、教師集団の指導エネルギーは確実に増大し、学校は変容の一歩を踏み出すのである。そのときの校長の迅速な決断と行動が非常に大きな働きをするである。
6 教育行政に学校支援を要請する
 荒れた学校に必要なのは、学校秩序を回復するための戦力である。この状況把握を的確に行い、人材を派遣するのは教育委員会の仕事である。その対応にあたることも校長の重要な役割である。校長は積極的に教育委員会へ支援を要請すべきである。
(
山本修司:1950年生まれ、東京都公立中学校教師、指導主事、指導室長、校長を歴任し、荒れた学校を立て直した。2005年度読売教育児童生徒指導部門最優秀賞受賞、編著書『実践に基づく毅然とした指導』は、生徒指導に悩む教師たちのバイブル)

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校長になって楽しい学校経営を進めよう

 校長職はとても楽しくやりがいのあるものです。一校をあずかり、全教職員とともに理想とする教育を実現することができる校長職は魅力的な立場です。
 管理職をめざす教師は、その気持ちになった時点から、いっそう周囲の目を意識して、なによりも学級経営や子どもの指導にみがきをかけていくことがとても大切です。
 担任時代からその指導力や人間性、協調性、責任感、公平さなどについて、多くの同僚が認める教師であるならば、その力量はいつまでも評判になり、部下を指導するときにも説得力があります。
 校長は学校を運営するにあたって自分以外で唯一の管理職である教頭と打ち合わせをしながら組織を動かしていきますが、法的責任は校長が100%です。その意味からも校長職は孤独で、だからこそ決断のため、ひとり静かに瞑想するための校長室が用意されているという人もいます。
 教頭職は、組織のなかでだれよりも早く出勤し、だれよりも遅く帰る職務内容ですし、そのくらいの気構えがないと勤まらない立場だと自覚して管理職の試験にのぞんだはずです。教頭職を三年以上経験した者が校長試験にのぞみ校長職に就いています。しかし校長になれば勤務時間は定刻であるべきだと私は考えます。校長がいつまでも学校に残っていたら、心ある教頭や職員は退勤できません。
 校長は経営者として演じるステージが用意されています。全体の上に立ちながら、一生懸命にその役を演じなければいけません。
 たとえば、ひとたび学校の方向性を決めなければならないときには、教頭は教職員の多くの声を聞き、校長にそれぞれ解説し、状況判断をした自分の考えを入れて進言します。その際、教頭は状況に応じて意見を変えたり、複数の意見を具申してもよいと考えます。
 そして、校長が決断するとき「一発で決めなければいけない」という意思が必要です。決断したらぶれない、だからこそ多くの情報と参考意見が必要なのです。
 校長には人事に関する権限がありません。人事はほとんど校長の思うとおりにはいきません。校長が人事にかかわる点は、職員をヒヤリングして、意向にできるかぎり沿うよう教育委員会に伝えることです。
 校長も転勤族です。数年の在勤期間で、保護者や地域が望む教育をどれだけ実現できるのか、そもそも難しい条件です。
 私は、着任した校長がまず地域に出向き、どのような子ども像を描いているのかをリサーチし、その目標を把握したうえで、校長としての教育理念やビジョンを短期間目標として立てていくことが望ましいと考えます。校長が替わって学校も変わってしまったということになるのではなく、校長が替わっても地域とともに立てた教育目標は変わらないということが地域立学校のあるべき姿と思います。
 学校の「地域」教育目標を「学校と地域がめざす教育」と「明るくあいさつのできる子、思いやりのある子」、「地域を大切にする子」と立てたあと、つぎに、私は校長として就任するにあたり、学校経営方針を、「子どもたちと保護者に対して:三つの保障(安全・学習・人権)」、「教職員に対して:二つの指導(プロ意識を持つ・サービス精神を発揮しよう)」、「地域住民:徹底した情報公開に努める」と設定しました。
 例えば、小学生の発達段階には遊びが大切と考え、二時間目と三時間目の休み時間を30分としました。地域の多くの方が「遊びの玉手箱協育隊」として、週一回たくさんの種類の遊びを教えていただくことで、子どもたちとなかよくなり、遊びの種類を増やしていくことができました。
 「どらえもんルーム」は個別指導を重点においた、子どもの可能性を追求する学習の機会を与えるものです。子どもたちは夢がたくさんあります。30分の休み時間や放課後などで、その実現に手助けします。また、軽度発達障害の子どもたちが場面によって学級から飛び出したとき、どらえもんルームで、その子のペースを尊重して時間をかけながら必要に応ずる教育をすることも重要な目的です。
 たのしく働きやすい職場にするために、会議に出す前に「まだ全体に言えないが、いまこんなことを考えているが、どう思うか」と、ほどんどの職員に個人的に話していきます。また、つねに全職員に声をかけたかを、教頭とともに欠かさずチェックしました。
 担任の指導力で重要なのは集団をまとめる力だと思います。いかに子どもたち集団を落ち着いて聞く姿勢にさせ、発表させるときにその子をもち上げながら、周囲の子どもたちをそこに注目させられるか、などルールを教室に醸し出さなければなりません。この集団指導力がなければ保護者は安心してわが子を学校にあずけられないでしょう。
 そこで「金八塾」なる校内教師塾を開設しました。隔週の金曜日の退勤後、授業に役立つ技術力・実践力を先輩教師から学ぶものです。
 保護者からの苦情も、わが子が通う学校教育について心配されているのだと受容的態度傾聴し、教師のつぎのステップの糧、つぎなる策を思い浮かべるための道と考えるのもまた楽しいものです。
 校長は、子どもや保護者、教職員、地域住民などから注目されています。よって、つねに相手に的確に伝わるようなメッセージを発信しなければなりません。校長はあいさつが商売だともいわれていますが、いま一度、話術に磨きをかけていくための修錬が必要だと考えます。私が主宰して勉強会をつくりスピーチ向上の研鑽に励んでいます。
 トップリーダーたる校長に求められ力量は
「先見性を持つ」(多くの子どもをあずかっていますから、いつも最悪の事態が起きることを念頭に置いた監督・管理の姿勢と実践)
「大局達観力(地域住民や保護者の多数と交わりながら腕をふるう)と果断決断力(教職員を指導しながら、明日の教育を見つめる目をもって果断に決断する力)
「後進()を育てる」(自ら得た、先輩から教えられた知恵・知識・技術を後進に伝えていくことは当然の責務)
の三つをあけたいと思います。
(
金山康博:元埼玉県公立小学校長、共栄大学教育学部教授。教育行政時代に全国に先駆けて、少人数学級編制の実現(25人程度学級)、不登校児在宅学習支援策(ホームスタディー制度)、中学3年生放課後自主学習応援(中3チューター制度)。小学校長時代に、総合型地域スポーツクラブ小学校拠点(「遊びの玉手箱」)、児童の可能性追求の場「どらえもんルーム設置」、若手教員育成の「金八塾」「プラスワン塾」の創設、学級経営研究自主研修会「ワンポイントアドバイス研修会」など設立)

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崩壊した学年が再建請負人の教師が入って、アッという間に立て直されてしまった

 崩壊した二学年をどう立て直すのか。これが年度当初の校内人事の最大のテーマであった。三学期がはじまった頃から校長は手を打ち、転任する時期であった生徒指導主任のS先生を新学年の担任・生徒指導・生徒会・学年行事の担当にした。つまり、新三学年四クラスの生徒たちを一人でとりしきることになったわけである。
 三年生の変わりようは目をみはるものがあった。新年度の最初の一週間で生徒の顔つきがひきしまってきたのがわかった。険のある顔つきの生徒がまったくいなくなり、動さもキビキビし、明るくなった。
 二年のとき疲れきった顔をしていた教師たちが生きかえった。みんなS先生を軸に一つにかたまりはじめたのである。これまで、生徒一人ひとりを大切にする、自由を大事にするという考え方で教師がバラバラに動いていたのが、それだけではどうにもならないことがわかったということなのだろう。個性の強い、リーダーシップがとれるS先生が入って一つの方向に向かって動きだしたのである。
 S先生が担任に入ったことで、アッという間に立ち直った。彼はどこが違うのだろうか。決定的な点は、生徒たちがS先生の言うことを聞く「権威がある」ということである。だから、他の教師たちも、S先生を先頭に押し立てて進んでいけば、生徒たちからバカにされないということがあるのだ。生徒たちはなぜ、S先生の言うことをきくのかというと、
(1)
生徒との距離がハッキリしている。生徒に対してクールな関係をとることができる。他の教師のように物わかりがよく、ベタベタつきあうことをしない。
(2)
それでいて、時と場合によって、とっても生徒にやさしく対応できる。言葉づかいや、顔つきが、その時、その時で変えられるのである。
(3)
生徒に対して誠実である。約束したことは必ず守るし、生徒のために一生懸命やるから、生徒からとても頼りにされる。生徒たちはS先生のことを信用し、信頼している。
(4)
集団を指導できる。行事の指導などで、S先生の指導に従ってがんばるといい結果がでるのである。生徒たちの絶大な信頼をかちえている。
(5)
生徒を差別しない。
(6)
生徒を全身で怒ることができる。ただ叱るというのではなく、体中で相手に怒りをぶつけることができ、生徒はその怒りに恐れを感じることがあるようだ。
(7)
生徒を一人前の人間として扱い、生徒に自分で決め、自分で責任をとらせるようにしている。
(8)
最大の点は、不気味なところがあることである。これが他の教師と決定的に違う点である。何をするかわからない、何を考えているかわからない、という怖さがある。生徒たちは、ここに畏敬の念をいだいているのである。
 他の教師たちは行動の予測が立つからこわくないのである。大人にはなりきれない教師が多いなかで、子どもにはわからない大人の世界があるということでもある。子どもとはまったく違う何かをもつ、ということなのである。
 S先生のような教師は、もうほとんどいなくなってしまったが、このような教師が一人いれば、学年の教師たちは一つにかたまり、生徒たちもピリッとするのである。つまり学年の大わくをつくることができるということである。
 崩壊した学年が、S先生の加入で、アッという間に立て直されてしまうというのは見事であった。S先生はプロ教師と言っていいと思うが、このような教師がいないと、学校が維持できなくなっていることは確かである。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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親と教師が子どもの鏡となる舞台を学校につくろう

 大人は子どもの鏡であると考えています。子どもがモデルとすべき大人、これから生きていって「こうなるべきモデル」となる大人は、親と教師だと言ってよいと思います。他の大人だっているだろうと思うでしょう。でも、今の社会の関わり方を見ると、子どもにとって生きた人間として目の前に立っているのは、親と教師です。
 しかし、子どもと親がどれだけ向き合っているかというと、必ずしもきちんと向き合っていないという実態があります。そのことからも、学校は親の役割まで果たさなければいけない。「親と教師が子どもの鏡となる舞台を学校に」というのが私の考えです。
 学校を地域の大人が集うところにして、英語検定などの勉強会で教師も親も学び続ける人として子どもにみせるのです。私の学校の多くの親は20種類の勉強会のサポータに登録しています。そのうちの一つが「英検サポーター」で、英語が得意な親が英語検定のことを手伝ってくれている。親も学校で自分の子と同世代の子を見ることになる。
 そうやって地域の大人のコミュニティの学びの中心として公立中学校が存在するようにする。それを見て、子どもたちが「親や教師たちって、楽しそうだな」と思ってくれる。
 私は子どもたちに「将来、肩書の人生とプライベートな人生の二つを持とうよ。肩書の人生を持つためには勉強という頑張りも必要だけど、プライベートな人生を生きるための趣味や仲間を大事にしようよ。そうやって生きていきなさい。私は君たちより年上でバンドをやってきたけれども、中学生のころより今の人生のほうがずっと楽しいよ」と、言い切れる大人として、私は子どもの前に立っているつもりです。
 子どもは大人を見て育つと言いますが、教師や親、地域の人が子どもにとってモデルにならなければいけないと思います。「生きていることは楽しいよ」とか「大人になることは素晴らしいことなんだよ」とか、そういうことを子どもに自信を持って言いきれる生き方を、子どもに示すことが大切であると私は思っています。
(
滝澤雅彦:ミュージシャンの道から31歳で教師になり、東京都公立中学校校長、文部科学省中央教育審議会専門委員を経て日本教育会事務局長。「地域の子どもは地域で育てる」ことの大切さを掲げ、保護者・地域との協働を積極的に推進し、地域運営学校(コミュニティ・スクール)として学校経営した。おとなのバンド大賞グランブリ)

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