カテゴリー「学校経営と組織」の記事

秋田県が全国学力トップクラスである要因は「探求型授業」と「共同研究システム」にある、どのようなものか

 秋田県は2007年以来、全国学力調査で全国トップクラスの成績を残してきた。
 その要因として「子どもたちの授業姿勢のよさ」「家庭学習が充実」「学校・家庭・地域の連携」などがある。
 なかでも重要なのが「探求型授業」と「共同研究システム」である。
1 探求型授業
 探求型授業は、子どもたちの、話し合い、意見交換を重視した授業である。
 例えば、次のような授業スタイルである。
(
)導入(学習課題の設定)
 教師と子どもたちで学習課題を決める。
(
)展開
1.
自力思考
 子どもたち一人ひとりが思考を展開する。
 自力思考がむずかしい子どもには教師が援助を行う。
2.
グループで対話
 すべての子どもが考えを持てた段階で、4人程度のグループで、考えを出し合いながら対話をしていく。
3.
グループの発表
 ある程度グループでの対話が煮詰まったら、各グループの状況を学級全体に発表する。
4.
学級全体で学び合う
 各グループの発表を、教師と子どもで整理し、共通点、相違点、論争点を明確にする。
 そのうえで、学級全体で学び合う。再度グループの検討に戻す場合もある。
 グループの対話や学級全体の学び合いの過程で、教師は必要に応じて
 ・助言をし、発問をする。
 ・「ゆさぶり発問」をする。
 ・重要な点を取り出して、再度全体の課題として返す。 
(
)授業の終末
 授業の終末で、構造的な板書を振り返りつつ、それまでの探求を振り返る。
 そのうえで、子どもたちは自分の学びを振り返り、文章にし、発表し合う。
 そういった探求によって、より高次の試行錯誤、判断・批判、推理・検証、発見・創造が展開される。
2 共同研究システム
 探求型授業は、深く豊かな教材研究、具体的な目標・ねらい・切れ味のある学習課題や指導言、グルーピングなど、通常の授業以上に高度な指導を求められる。
 そのため、教師一人ひとりの準備が必要となる。
 しかし、一人の努力だけでは限界がある。教師同士が共同して探求型授業をつくり出していく必要がある。
 秋田県では優れた共同での授業研究システムがある。
 そのシステムのなかで、若手教師も質の高い探求型授業を展開する力をつけていく。
 共同研究システムは、校内研究会、小中連携研究会等で研究授業を行う場合、
「事前研究」→「研究授業」→「ワークショップ型検討会」→「事後研究」
が基本となる。
 はじめは学年、教科で研究チームをつくる場合が多い。少しずつ学年や教科を越えた合同研究チームをつくっていくと効果的である。
 教科の専門性は重要である。しかし、専門外だからこそコメントできるというよさもある。
(
)事前研究
 研究会前までの事前研究が重要である。これが授業研究の成否を決める。
 事前研究の弱い授業研究では限られた成果しか得られない。秋田県ではていねいに行う。
 そのために研究チームをつくり、次のような項目について、ていねいで厳しい検討を行う。
1.
教材選択
 単元の系統性を意識しながら、教科書等から選ぶ
2.
教材研究
 深く豊かな教材研究が探求型を実質化する。
3.
目標・ねらいの決定
 この具体性が授業設計を緻密にする。
4.
指導計画の作成
 単元全体の指導過程と到達点・各授業の到達点。
5.
本時案の作成
 はじめは本時の大きな流れから始め、次の細案に進む。
6.
本時案を具体化した細案の作成
 学習課題、指導言、板書を含む
7.
細案に基づくプレ研究授業
 研究チームで授業を行う。教師が子ども役になり実際の流れで授業をしてみて検討し合う。
(
)研究授業
 教師全員が参加する。授業を撮影し映像記録をとる。
(
)研究授業後のワークショップ型授業検討会
 もちろん教師全員が参加する。教科や学年が違う教師が授業検討にかかわることが鍵になる。そのために「ワークショップ型」検討会が有効である。
 まず、教師全員が付箋紙に授業についてのコメントを記入する。
 例えば、授業で評価できる点について水色の付箋紙、課題・改善すべき点はピンクの付箋紙を使う。その2種類の付箋を持ってグループごとに集まる。
 グループ編成は、学年や教科、研究メンバーは分散させる。
 各グループには司会役のリーダーを置く。授業の優れた点と課題・改善点を鋭く抽出する役割を担う。
 模造紙に付箋を内容別に分類しながら貼り付けていく。それらをマジックインキ等で囲み、グループで検討を深めていく。
 全体会で各グループが発表する。
 多くのグループから出された課題・改善点が見えてくる。とくに重要な点については、再度グループで検討する時間を取ることが効果的である。かなり多様な代案が出てくる。
(
)事後研究
 授業を撮影した映像記録を使って、授業研究会の少し後に事後研究をすると、授業の成果と課題・改善点が具体的により鮮やかに見えてくる。
 研究チームで映像を再生しながらリフレクションを行う。
 授業のポイントとなる部分で再生をストップし、検討会で指摘された点を再度確認しつつ、新たな優れた点と課題・改善点を発見していく。
 以上のような共同研究によって若手教師を含め多くの教師が高い授業力を獲得していく。
 主体的、対話的で深い学びを有効に授業に生かせるかどうかは、共同研究を実質化できるかどうかにかかっている。
(
阿部 昇:1954年生まれ。秋田大学教授、附属小学校校長も勤める。専門は国語科教育学。全国大学国語教育学会理事。日本NIE学会理事。秋田県内の小中学校を数多く訪れ、全国学力テストの好成績について分析。私学中高校での教師経験もある)

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若手教師がぐんぐん育つ秋田県と福井県は、どのようにしているのか

 どの県でも、優秀な校長の学校では、教師が育っている。
 特に、秋田県と福井県は、若手教師を育てる校長・学校が多い。校長のリーダーシップが高く、目的意識が一致して授業研究に取り組んでいる。
 秋田県と福井県は、学校経営がすぐれていること、教師間のコミュニケーションが活性化し、目的意識が共有され、若手教師が育っている。
 秋田教育は、つぎのような3大要素がある
(1)
授業の開始時における「めあて」の明示
(2)
授業中の協議時間の確保
(3)
授業の終了時における「まとめ」と「振り返り」
 全国学力・学習状況調査では
(1)
授業の冒頭で目標(めあて・ねらい)を示す活動を計画的に取り入れましたか
(2)
学級やグループで話し合う活動を授業などで行いましたか
(3)
授業の最後に、学習したことを振り返る活動を計画的に取り入れましたか
などの項目が学力と有意な相関を示していて、しかも「よく行った」と回答する学校の割合が秋田県がトップクラスとなっている。
 それに対して、福井教育はわかりにくい。「福井らしさを探る会」の探求で明らかになった福井教育の強みは、教え方よりも校内体制にある。
(1)
単元ごとに教えるべきことがらが教科会や学年会で共有されているため、教師みんなが同じ教え方で子どもに接する。
(2)
授業の進度に合わせて宿題が出される。年間計画の元に出される宿題もある。
(3)
宿題のチェック体制が緻密だ
 毎日のチェックと宿題を忘れた子どものフォローが教師たちのチーム体制のなかで実施されている。
(4)
学年会や教科会を機能させるための校長の配慮が深い
(5)
市町の教育長は校長たちの学級担任のような存在である
 校長の資質を引き上げるために、教育長は校長一人ひとりのことをよく理解し、足繁く学校に通っている。 
 秋田県も福井県も教師集団の結びつきが強い。秋田県は校内研修を通じて、福井県は教科会や学年会を通じた結びつきが強い。
 秋田県は授業研究や学力調査を学校全体のPDCAサイクルに組込んでいる。
 年度当初に研究テーマを策定するが、それを具体化するのに年度当初に実施される全国学力調査を活用している。
 調査実施後は、すぐに自校採点し、学校の課題を明らかにして研究構想を具体化する。
 研究構想に従い各教師が研究授業を準備するが、学校全体の研究テーマを深める観点で授業の準備、公開、事後検討のサイクルを流していく。
 教師たちは研究授業の指導案検討と事後協議を通じて学んだものを日々の授業に反映させている。
 福井県の授業研究も秋田県と同様に流れているが、それに加えて学年会や教科会の結びつきも強い。
 学年会や教科会のなかで、教師たちは年間計画の策定、進度の調整だけでなく、指導方法の情報交換も行っている。
 このようにして若手教師は鍛えられ、育っていく。
 秋田県総合教育センターの初任者研修の資料を見ると、板書や授業の進め方に関するマニュアル的なものはなく
「なぜ、ねらいを設定する必要があるのか」「探求型授業とはどのようなものか」などの本質的な内容の解説がある。
 板書はどうやって鍛えているのかと尋ねると「学校で指導されているからセンターでは不要」とのことだった。
(
千々布敏弥:文部省、私立大学教員を経て、国立教育政策研究所総括研究官、調査研究協力者会議など多数の文部科学省関係委員を歴任
)

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多くの教師が求めている校長とは、どのような校長か

 人事考課の導入に伴って、職員室の雰囲気が悪くなっている学校が少なくないと聞きます。
 そんな学校では、管理職と教師の関係が、管理的関係、評価的関係になってしまっているのではないでしょうか。
 その雰囲気をつくっている要因の一つは、管理職の伝え下手にあります。
 管理職として評価するのですから、厳しいことを言わざるをえないときもあるでしょう。例えば、
「あなたの自己評価は高すぎます」「あなたの問題は〇〇ですね」
などと、教師の意欲を低下させる伝え方をしていないでしょうか。
 教師になる人の多くはまじめな優等生です。そのため傷つきやすく、叱られるとやる気を失ってしまう人が多いのです。教師はほめられて育つ人が多いのです。
 教師の評価は、本人の自己評価をもとに、コーチングの技法を生かして、その教師の持ち味を生かして肯定的にかかわっていくことが大切です。例えば、
「あなたは自分のよさをよくわかっておられますね。その資質は私たちの学校に、とても必要なものだと思います」
「私は、その資質をもっと○○に生かしていただきたいと思います」
「その具体的な方法として何か考えられることはありますか」
 まず、教師の持ち味となる点に着目して、ほめ「この学校はあなたを必要としている」
というメッセージを伝えます。
 そのうえで、その資質を学校をよくするためにどのように生かしてほしいか、具体的な方法を本人と一緒に考えていくのです。
 その教師の持ち味を生かし、そこを伸ばして、足りない点を補えるのが、できる管理職、伸びていく学校です。
 リーダーシップとは、モチベーションを高めるような指導性です。
「私はこういう学校にしたいんです。そのためにみなさんの力がどうしても必要です。ぜひ力を貸してください」と言える校長先生。
 個々の教師に対して、「あなたに期待していますよ」「あなたが必要なんですよ」と言える校長。
 校長は「私のことを必要としてくれている」という感情を一人ひとりの教師が抱くことができれば、やる気もわいてくるというものです。
 いっぽうで、「何かあったらいつでも相談してくださいね」と気楽に相談にのってくれるカウンセリングマインドも必要です。「弱音を吐ける職員室」をつくっていく最大の役割をはたすのが校長です。
 ぜひ、教師が弱音を吐けるようなあたたかい雰囲気を、校長自らリードしてつくっていただきたいと思います。
 以前、ある小学校の教師が「私にとって校長先生は、学校における親のような存在です」と私に言ったことがあります。
 小学校教師の管理職に対する依存と期待は、並はずれて大きなものがあります。逆にそれが得られなかったときの教師のダメージは非常に大きくなります。
 保護者から攻撃や学級崩壊で教師が傷つき、私のもとに相談に来られた先生方が嘆きます。「校長先生は私を守ってくれませんでした」と。
 ある教師が不登校になりかけた子どもの父親に刃物を突きつけられ「どうしてくれるんだ」とすごまれたそうです。
 それを校長に相談しにいったら、「あなたも大変だね」と受け流されたそうです。
「次に来たら一緒に会いましょう」と言ってもらえなかった・・・・・・。これがショックで大きなダメージを受けられました。
 いっぽう、いろいろな組織の役員をしている大物校長で、一週間に一度くらいしか学校にこない評判の悪い校長がいました。
 ところが、ある父親が学校に乗り込んで来たときのこと。強面で、「娘が学校に行きたくないと言っているぞ。担任を出せ!」とすごんでいます。
 ここで、たまたま、その時に学校にいた校長が登場して、
「ちょっと待ってください。この担任の先生は、私が信頼をおいてお願いしている先生なんです」
「文句があるなら私がお聞きしましょう。さあ先生、あとは私に任せてください」
 このことで、校長の支持率が急上昇したそうです。
 とても荒れていた小学校に校内研修に伺ったときのことです。確かに惨憺たる状況です。
 授業中に物は飛んでくる。子どもが教師の足を引っかけ「くそじじい」「くそばばあ」と言う。黒板には毎日「死ね」の文字。
 しかし、校内研修は和気あいあいとしています。
「あらら、また『死ね』って書かれたの、一週間連続じゃない?」
「足ひっかけられて、あざできちゃうなんて、なんだかK-1みたいね」
 いちばん荒れているクラスの担任は
「職員室がこんなにいい雰囲気だから、なんとか続けることができているんです」
と。
 この学校の校長が実に脱力しきったいい雰囲気を出しています。
「先生方、ほんとうによくやってくれていますよね。私にできることですか・・・。研究指定校をお断りすることくらいでしょうか(笑い)
 管理職がリードして、お互いに弱音を吐いていいんだよ、支え合っていこうという雰囲気をつくること、これはとても重要なことなんです。
 講演会などで担任の先生方にお聞きすると、およそ6割が「うちの校長は頼りない」「リーダーシップが足りない」と感じているようです。
 また、理想の校長像をお聞きすると、最も多い2つが、
「こちらの話もよく聞いてくれて、フットワークもよく、頼りがいのある校長」
「いざというときに守ってくれる、親分肌の校長」
です。
 先生方は、きまったように、
いざというとき守ってくれる、親分肌の校長がいなくなったと嘆いています。
 保護者の攻撃や学級崩壊で心身ともに疲弊しきったとき、「それでもがんばろう」と教師を続けられる教師と、「もうだめだ、限界だ」と辞められる教師。
 この違いが、管理職の対応一つにかかっていることは少なくないのです。
 多くの担任が求めているのは、「いざというとき」に「必ず守ってくれる」と思える「親分肌の校長」です。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授。専門は臨床心理学、カウンセリング心理学。悩める教師を支える会代表。現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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学校の教頭・校長の醍醐味とつらさ

 東京都内の公立中学校で5年間教頭を務めた後、45歳で校長となった。風貌もかなり若々しい。新任校長ということもあって、教職員とのコミュニケーションに悩む日々が続いている。インタヴューしてみた。
 教頭になれば授業を持つこともありませんし、楽かなと思っていました。ところが、教頭は忙しい。調査など、とにかく事務処理が多いんです。
 例えば、どこかで事件が起きると、すぐに関連の調査依頼がくるし、いじめなどの飛び入り調査がけっこうあります。
 でも教頭の仕事で苦労するのは、いかにして校長の考えていることを教職員に浸透させるかです。校長と教職員の橋渡し役ですね。それが教頭の一番大事な仕事だと思うんです。
 例えば、私が教頭として赴任した学校では研究発表することが決まっていた。前任の校長が強引に引き受けた。ところがそれにものすごい反対がありました。
 赴任してみたら、当の校長も教頭も転任してしまい「えっ、そんなのあり」って感じでしたよ。
 研究発表に賛成する声をうまく引き出すために「あの研究発表どうする?」と飲みに行ったときに声をかけ、水面下でずいぶん動きましたね。
 やっぱりふだんの人間関係が大切なんです。それでなんとか研究発表にこぎつけることができました。そうした役割を果たさない教頭も多いようです。
 校長から「あの先生は遅刻が多いから注意してください」と言われれば、自分より年上の先生でも注意します。
 一方、校長の仕事というのは学校をあずかる立場ですから、ビジョンをしっかり持つことが大切だと思います。
 学校を運営するうえで、決断すべきさまざまな局面が出てくる。そういう意味で、校長は力量がないとできない。
 幅広い知識が必要だし、広い視野に立った見通しも持っていなくちゃいけないと思うんです。
 例えば、以前、妊娠していた先生が具合が悪くなって入院したことがありました。法的な知識があれば「こういう場合は妊娠初期休暇があるんですよ」と教えてあげられる。
 相談を受けたときに、パッと答えられれば、教職員は管理職に対する信頼が持てるんですよね。
 それに自分の学校だけ見ているんじゃダメだと思うんですよ。教育界の流れや、地域の動きなんかも見えていて、そのなかで「さて、うちの学校はなにができるか」と。
 そんなビジョンが語れなければ、先生方もついてこないんじゃないでしょうか。
 私は管理職になろうなんて、全然思ってなかった。「管理職に、もっとしっかりしてほしい」と、生意気に思っていた。
 でも思っているだけじゃなくて、自分でもやらなきゃと思って、学年主任、生活指導主任、教務主任と、ひととおり、役職がつくものはやった。
 あるとき担任から外れて暇になったとき、校長から「研究会に参加しないか」と、声をかけられたんです。これが面白かったんです。
 研究会には、私のような教職員のほか、校長、教頭、指導主事なども参加していました。私は古臭い、保守的なものと思っていましたが、ところが現場よりもはるかに進歩的だっんです。
 それで考え方が変わってきたんですね。それまで、管理職にしっかりしてほしいと思っていましたが、自分でやるべきじゃないかと考えはじめたんです。
 でも、正直言って、管理職になろうと思った本当の動機は、飽きちゃったんですよ。学年主任も生活指導主任もひと通りやって、毎年同じことの繰り返しで、子どもたちを送り出していくことに飽きちゃったんです。
 それと部活動ですね。体力的にきついのと、勝ち負けの世界にはまっていくことへの疑問。とにかく何か新しいものに目先を変えてみたかったんだなぁ。
 管理職の醍醐味ですか、うーん、教頭のときは感じてましたけどね。教頭ってクラス担任と同じで、いろいろな先生をまとめていく面白さがあるんです。
 みんなの気持ちが一つになってウワーッとせり上がっていくときがある。そういうときはやっぱり面白いですね。
 でも、校長の醍醐味というのは、私はまだ感じたことがありません。今は胃の痛いことばかり多くて。なんとか先生方の理解を得たいなとは思っているんですけど。
(
東京都の公立中学校男性校長
)

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教師が連携して学級崩壊を解決していくためには、どのようにすればよいか

 教職員がなんでも話し合える人間関係が大事であるといわれます。しかし、これがなかなかの問題なのです。
 小学校の場合、担任の裁量が大きく、同僚教師にも見えにくいところがあります。お互いの実践を批評し合うのはタブーの雰囲気が生まれてしまうのです。
 したがって、お互いに自分の学級経営の悩みが語れるような人間関係を、学校内に形成することはとても必要です。
 ですが、学級崩壊の問題は、教師間の良好な人間関係だけでは対処はむずかしいと思います。
 つまり、一つの学級の崩壊の問題は、学校経営の問題として位置づけて、管理職を中心に連携のあり方を計画しておくことが必要ではないでしょうか。
それは、
1 全教員で介入しようと判断した時、該当する担任や援助する教師たちの授業時間数や校務分掌の仕事はどうするのか。
2 学校行事や集会の取り組み方はどうするのか。
3 学級崩壊した学級、もしくはその学年の時間割の見直し、PTAの対応をどうするのか。
など広範囲に及ぶと思います。
 特に学級が高学年になるほど、学校全体に対する影響が大きくなります。組織だってやらないと、一部の教師に過重な負担がかかり、いい結果に結びつきません。
 学校運営の問題と位置づけて対応するためには、次の3つが必要です。
1 学級崩壊はどの学級にも起こる可能性があるという共通認識をもつ。
2 学級経営に関する校内研修を行う。例えば
(1)
集団理論
(2)
リーダーシップ
(3)
学級集団の状態を理解するための調査法
(4)
具体的な指示や注意の仕方についての演習
(5)
言葉がけの仕方についての演習
などを、計画的に実施し、教師間の共通認識と技術を高めておく。
3 学級崩壊の問題は不登校の子どもへの対応と同じように、
(1)
原因や責任の追及だけにしない。
(2)
問題解決志向で学校運営に位置づける。
(3)
援助チームのリーダーは管理職が当たる。
(4)
担任や援助する教師たちの具体的な役割や取り組む範囲を明確にする。
 大事なことは、現在よりも少しでもよい方向に向かうように、一歩一歩取り組んでいくことです。
 連携がうまくいけば、担任が精神的に支えられ、計画的に対応する意欲が維持され、対策を講じることも可能になっていくのです。
 学級崩壊の対応について、事前に職員間の連携について取り決めをしておく必要があります。学級崩壊の予防にもなり対応が効果的になります。
 連携の目的は問題解決です。学級崩壊の対応には少なくとも2か月はかかると考えて取り組みます。甘い見通しの連携では、援助する教師が疲れてしまいます。
1 学級崩壊の初期の連携
 学級崩壊の兆しは、ふれあいのある人間関係か学級のルールのどちらかが崩れてくることです。
 この時期に学年会などで、各学級の状況を担任同士が率直に語り合う必要があります。
 学級集団の状態が学級崩壊に向かっていると判断された場合は、すみやかに学年の連携を計画し実行します。
 連携の骨子は、合同授業などの学年活動です。例えば、合同で社会科の資料を作ったり、合同で体育やレクリエーションをするのもいいでしょう。
 大事なことは、学級崩壊している担任が全体の指揮をとり、他の学級の子どもたちがその指示に従っていることを、学級崩壊している学級の子どもたちに見せることです。
 同時に、学年の他の教師が学級崩壊している担任の指示に従っているのを学級崩壊しているクラスの子どもたちが見ることになります。
 学年の他の教師がその担任と親密に連携し、同じ考えややり方でやっていることを見せ、担任の信頼感を回復させるわけです。
2 学級崩壊の中期の連携
 学級はルールが崩れ、人間関係もギスギスしたものになっていますから、子どもたちは物事を悪いほうへ悪いほうへととらえます。いろいろな問題がでてきます。
 子ども同士のまきこみあいを、複数の教師が教室に入って、一つひとつ対応しながら断ち切っていくのです。したがって、学年の同僚教師や専科教師にTTとして入ってもらうことになります。
 このとき、教師は努めて厳しくする必要はありません。子どもの感情にまきこまれないように、ていねいな言葉づかいで距離を少し多めに取りながら、一つひとつ冷静に対処していくのです。感情的になったら教師の負けです。
 この時期の授業は基本的に、他の子どもと関わらない、例えばドリルやプリントを中心としたような授業展開をしますから、教師チームが子ども一人ひとりに対して丁寧に個別に対応していきます。
 さらに、学年で集まる機会を増やします。学年で集まることによって、自分勝手なルールは通用しないことを意識させるのです。集団生活には一定のルールやマナーがあり、特例がないということを、一人ひとりにわからせるのです。
 このような対策をとる場合、大事なことは、学級が崩壊したからそのような対策を取ったんだと、子どもたちにおもわれてしまうと、逆効果になることです。
 担任への不信が固定してしまうからです。したがって、学年当初から、学級間の交流や教師同士のTTの授業展開などをとっていくことが必要です。
3 学級崩壊の末期の連携
 この時期は、まさに全教員の連携が必要となります。教室に複数の教師が入り、それこそマンツーマンに近い形で指導したり、活動を援助するのです。
 例えば、立ち歩いている子どもに対して、ある教師が注意をしたとき、その子が「みんなもそうだろう」と逆にくってかかる場合があります。
 そのようなときには「みんなとは誰と誰かな」と問い、名前が出たらそれぞれの子どもに教師がついて指導するという具合です。
「みんな」という子どもたちが作り出した学級集団像を崩すことが大事なのです。
 必ず、行動の主体となっている子どもを確認し、行動の責任を明確にしてあげることが大事です。
 学級崩壊末期は、学年の合同授業や活動はしないほうがよいでしょう。合同することで他の学級の子どもたちが傷つくことが多くなり、合同することを嫌がってしまいます。
 何よりも問題なのは、他の学級の子どもたちが、その学級の子どもたちを特別視してしまう結果、その学級の子どもたちが新たな非建設的な行動にでてしまう可能性があるからです。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者の理不尽クレームに教師が精神的に追いつめられないためには、どうすればよいか

 すべての問題を学校に持ち込む現代社会。特に社会問題となっている「モンスターペアレント」。精神性疾患で休職した公立学校の教師はこの10年で3倍に上り、半数以上が保護者とのトラブルに起因するという。
 教師を追い詰める、保護者の無理難題クレームに教育界はどう対応すべきなのでしょうか。
 保護者と教師は対立する関係ではなく、ともに手をたずさえ子どもの成長を支援するパートナーであり、両者の信頼関係を構築しなければならない。
 私は10年ほど前(2000年頃から)から東京都の公立中学校の教頭・校長として保護者や近隣住民の苦情対応の窓口を務めていましたが、この問題に関心をもち事例を収集していくうちに、「これは放置できない」と強く思うようになりました。
 医療の世界では、医師や看護師の離職者の増加と、就業者の減少が話題になっていますが、教育の世界でも同様のことが起こっています。
 多くの現役教師が「壊れていく」一方で、教職に魅力を感じなくなった若者の「教師離れ」がいっそう加速されることが予想されています。
 幸い、この問題に多くの人々が関心を寄せ、真摯に取り組もうとしています。
 このわずか半年の間に、多くの方と意見交換をする機会に恵まれ、より広い視野からこの問題を考えられるようになりました。
 また、マスコミ関係の方の取材を受けるなか、クレーム問題の奥に日本の社会が抱える課題を見据えようとする、真剣な取材姿勢に何度となく心を打たれました。
 保護者の訴えがいかに理不尽に感じられても、教師に心にゆとりがあるとよい。
 保護者は「話したいのだろう。ともかく、しっかりと聴いてみよう」という、教師の心のゆとりがあれば「お母さんも、がんばって」という気持ちで話を聴くことができます。
 親の訴えを、教師が心にゆとりを持ち、きちんと受け止め、それを心のなかに蓄えることができる「心の保水力」が必要です。
 ところが、こうした「心の保水力」を持たない教師が増えたと言われています。教師の表現力や人間関係調整力の能力の充実、向上が必要とされています。
 それ以上に期待したいのは管理職としての「心の保水力」の上昇充実です。クレームを受けた教師の前に「壁として立つ」くらいの心意気がなければ、教職員の信頼感は薄れるばかりです。
 クレームを捕える学校体制があれば、一人の教師が追い詰められることを防ぐことができます。組織的対応の要として、管理職の組織マネジメント力が試されています。
 その一つが学校内における生徒指導・教育相談体制の再構築です。
 子どもや保護者からの相談に対して、迅速・適切に対応できる体制が整っていれば、苦情や要求にも迅速に対応できます。
 また、困難な事例に対しては、校内サポートチームを立ち上げ、組織的な取り組みを円滑に実施できます。
 スクールカウンセラーの積極的活用や地域人材の積極的登用も、管理職としての手腕が試されます。
 学校と保護者の「つなぎ役」となる人、両者の関係改善に努めてくださる人はきっといます。
 日ごろから、PTA、学校評議会、地域の健全育成団体などと連携・協働に努め、学校の心の保水力を高めることを期待します。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学教授)

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教師が新たな自分に出会う喜びを得るには、どのようにすればよいか

 教育がむずかしくなったと言われます。「子どもが変わった」「親が変わった」「学級崩壊」と思い当たることは、いくつもあります。
 確かに状況の深刻さは予想以上であると、私も危機感を強めています。しかし、私はこんなときだからこそ教育はやりがいのある仕事だと思いたいのです。
 私は悪戦苦闘という言葉が好きです。子どもは教師にとって、思うようにならない存在です。生きて動いています。泣いたり笑ったり、喜んだり悩んだりしています。日々その連続です。
 そんな中で子どもを人間として自立させていく営みは、まさに悪戦苦闘の日々です。「どんなことが子どもにとってよいのか」と問い続ける教師の姿です。
 それは教師自身が自らの在り方を問い直し「自分を変えようとする営み」を抜きにして語れません。
 そうした実践の中で私たちは、あるときフッと、またあるときは徐々に「教師としての新たな自分にめざめていく」のではないでしょうか。
 それが「教師としてのやりがい」につながっていったときは、教師冥利に尽きます。
 私も校長として三校の小学校に勤務してきました。まさに悪戦苦闘であり、試行錯誤の連続でありました。具体的に取り組んできたことは
(1)
教職員と、学校経営や授業実践、学級経営などを雑談的に語り合っている。
(2)
教室訪問を気軽に行き合ったりして、教師同士が互いにひらかれた実践活動を心がけることのできる職場づくりをする。
(3)
職員室だより「あじさい」を発行し、職員の真摯な実践活動に私自身が学んだことを掲載し、互いに「学び合う教師」として精進する。 
ということです。
 
「明るく元気に実践し、学び合う教師」は、私の憧れです。私はこれまで、そんな教師たちとたくさん出会ってきました。
 厳しさの中で挑戦し、困難から逃げることなく、楽しむかのごとく実践する多くの教師との出会いでした。
 子どもを主人公にした学校づくりに汗を流し、実践してきた何人もの教師の姿を思い浮かべることができます。
 また、自らを変えようと、ひたむきに実践して、教師としての新たな自分に出会い、めざめていった教師もいます。
 学校は零細企業だと私は思います。事務職員を含めた教師一人ひとりが、その学校の子どもたちを育てる当事者なのだという意識こそ大切です。いまこそ、学び合う教師たちでなくてはならいと私は思います。
 教師は、まず同じ学校現場にいる仲間の教師に学びたいものです。仲間と学び合ってこそ、その学校を活性化させ、教師の資質を磨き、めざめさせていくのだと確信するからです。
 しかし、それはキリキリと胃が痛む思いで、実践することではありません。むしろ、明るく元気に「まっ、いいか」と肩の力を抜き、取り組む中で「新たな自分に出会った喜び」「熱中して燃える、やりがい」を得ることができるのだと思うのです。
 私が校長として教師を見ていると苦しく、つらい思いを持った教師が多かった。そんな中で「学び合う教師集団」としての本領が発揮されていたと思う。
 
「信頼される教師になるために」「教師として情熱を燃やすことのできる自分になるために」と、先生方の努力はひたむきであったなと思います。
 そして、徐々に、またはある日突然「新たな自分」に出会い、みずみずしい感性、しなやかな姿勢、ひらかれた大きな度量を感じ取っていく教師たちであったな、と思うのです。
 学校は一枚岩の実践を大切にします。しかし、それ以上に大切なことは、一人ひとりの教師の願い、持ち味が、学校の連帯の中で生かされているかどうかだと、私は思います。 
 学校は校長のリーダーシップによって変わると言われます。
 そのリーダーシップも校長がぐいぐい引っ張っていくような経営ではなく、教職員の知恵や願い、夢やロマンを引き出し、それを学校づくり(子どもを育てる営み)に生かし実現していくものでありたいと私は念じています。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)

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先生の意識を変えると生徒が変わり伸びる、先生や学校を変えるには、どうすればよいか

 学校を変えるためには先生の意識を根本から変えなければいけない。私はシンプルなことから始めました。それは挨拶です。
 先生は教室に入ったとき生徒に挨拶します。学校は思い出や感動を生み出す場所です。それには先生の根底に「元気」が必要てす。元気の素になる最初の行動が「挨拶」です。
 私はいろいろな学校に行くことがあります。その学校の雰囲気は挨拶に一番表れます。先生が挨拶できないと生徒に伝播します。
 挨拶は、それだけでお互いにいい気分になります。人間はいつもちゃんと挨拶してくれる人のほうが好きになってしまうところがあります。
 挨拶は習慣です。単純に勇気も必要です。人としての徳においても大切です。人間関係を築くための最初の一歩が挨拶です。
 私は「先生は経験ではなく、志で決まる」と考えています。「志が高く、先生としてのあり方」が身についた先生は視点をはずしません。年齢にかかわらず、「志が高い先生」がいい教師です。
 志の高い先生は、その生徒のためにしてあげられることを常に考えています。志の高さは意識が高さといってもいいでしょう。「こうしたほうが、もっとよくなるだろう」「ここを変えていったらいいだろう」とすぐ気づきます。そして行動します。
 生徒を注意するときも、生徒がよくなるための注意と、先生の怒りを発散させるだけの注意ではまったく違います。志の低い先生は、その場その場で自分の怒りを発散させるだけの注意になりがちです。
 志の高い先生は生徒のことを考えた結果であり、その子のために必要だから注意をします。そうやって「志の高さをずっと持って、真正面からじっくりと生徒に向き合う」のがいい先生なのです。
 先生の志の高さは、三学期が終わったクラスの状態を見ればわかります。クラスの生徒は担任を映している鏡です。終業式のクラスの状態がその担任の状態を表しているのです。
 そのときに人格が豊かな、志の高い、心の温かい子どもたちに満ちあふれていたら、それは担任がそういう人だからです。
 反対に表面だけを追うような、表層的な部分だけで行動したり、ものごとを考える担任がいたとします。そのクラスは三学期の終業式のときには、そのような表層的な部分でしか生きられない子どもばかりのクラスになってしまいます。
 それは長年の教員生活で見ていて、すぐにわかります。よく「何年かたたないと教育は結果が出ない」と言います。そんなことはありません。たまたま悪いクラスにあたった、ということも先生から聞きます。 クラスがよくなるのも悪くなるのも担任しだいです。
 その結果、担任の志の高さが終業式の生徒に表れるのです。そして、学校の志の高さは卒業式を見ればわかります。卒業式は生徒も先生も涙して、なかなか帰りたがらないとき、それを見て私は、すべての担任のクラスがうまくいっている、と思います。
 私たち先生の仕事は3Kに近いものです。きつくて、汚くて、危険です。教材研究、ふだんの業務、部活動を完璧にこなそうとすると、ほとんど休みはありません。教室がいつもきれいな状態であるためには、泥まみれになって掃除もします。
 しかし、こんなに崇高な仕事はないと思っています。仕事してきて「よかった」「うれしかった」と卒業式に生徒と一緒に泣けるような仕事は他にありません。自分の幸せにも直結します。そんな素敵な卒業式を迎えられるように、先生は生徒と日々向き合っています。
 私は生徒を大事にするとともに、先生を大事にしました。先生を大事にしたら、先生が生徒を大事にしてくれます。
 職員室で、校長が先生の良いところをみつけて「ほめ」スターのようにスポットライトを当てて光輝かせてあげる。先生たちが職員室で輝けば輝くほど、先生は教室で子どもたちをスターにするのです。
 人は認められるとうれしくなります。自分を知ってもらえると安心します。校長である私は、先生のことを全部わかってあげなければいけません。
 新しい学校に赴任したとき、先生と面談して「どんな学校にしたいか」とじっくりと話しを聞いた。「生徒と真剣に向き合い、生徒一人ひとりを伸ばしていくことのできる学校」と先生の答えは皆同じだった。
 そして、学校の進むべき道を明確に決め、「子どもが安心して通えて、私たち先生を信用して、信頼して頼れる学校」とした。
 いばっても人は絶対に動きません。いくらかっこいいことを言っても、実際に態度で大事にしているという気持ちが伝わらなければ動きません。全部わかってあげて、真剣に向き合っていきます。私の志が先生に投影されて、先生が変わっていきます。その先生がそれぞれのクラスを変えていくのです。
 私は先生を大事にしましたが、そのなかでも特に着目したのは学校が好きな先生です。情熱があり、学校が好きな先生というのは、生徒が好きで、そして自分を伸ばしたいという表れでもあります。学校が好きな先生たちを中心に変えていったほうが、すべてうまくいきます。
 では、どうやって学校を変えていったのか。まず、学校が好きな先生に「授業をするから見に来てください」と言いました。授業はこうやるんだということを全部話しました。授業のやり方を覚えてもらい、もう一度、本来の自分を取り戻してほしかったのです。
 その後、学校が好きな先生から一気に広がり、授業を見にくる先生は、ものすごい勢いで増えました。しだいに、先生たちも恥ずかしさを捨てて、もうがむしゃらに学ぶんだ、というふうになっていきました。
 情熱的でない先生も、わかりやすい教え方を知ったとき、目を輝かせていました。やはり、先生になる人はみんな心に熱いものを持っていました。
 先生という職人は、腕のたつ職人の言うことはよく聞くものです。そのためには、校長が圧倒的にうまい授業や生徒指導をして見せる必要があります。そうすれば、職人である先生は、頭領である私についてきます。
 学校を変える主役は先生です。
 先生をまず変えます。生徒を変えるよりもまずは先生を変えます。重要なことは先生にワクワクしてもらうこと。先生が自己改善をし続けること。先生が変われば授業が変わる。授業が変われば間違いなく生徒が変わります。
 先生が一致団結しないと学校は変わらない。学校としてみんなが同じ方向に向かって努力すると、先生が伸び、生徒が伸び、学校が伸び良い結果が生まれます。
 学校の進む方向や道は、幅広く設け、ここで先生に好きなようにやってもらう。
 先生はそれぞれでやり方が違う。進む道が狭いと個々の先生の個性を殺してしまうので許容範囲を広くとる。目指すところが同じなので、共通の目的・哲学を根本的な部分で共有するようにします。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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民間校長の「子どもたちの未来を変える」ために伝えたい言葉とはなにか

 好きなことを、好きなようにやらせてもらってきた、この道30年の放送作家が、52歳で大阪府立高校の校長になりました。いわゆる公募の民間人校長です。
 ネットの時代に、テレビというメディアの限界を感じ、東日本大震災をきっかけに、生き方を考え直そうとしていたのかもしれません。「未来の日本のために、きっと何かお役に立てること、プラスワンできることがあるかもしれない」と、僕の中の使命感が突然目覚めてしまったんです。
 家族から「意外と向いているかもね」と言われました。そうなると、もう自分でも止めることはできません。来る日も来る日も、教育関係の資料を読みあさり、手元に集まった書籍は300冊。母校を訪ね、学校運営に関する数々の助言をいただきました。
 気になる本の著者を訪ね、貴重な話を直接うかがったり、ビジネススクールの教授からマネジメントの特訓を受けたりと、準備をしました。
 根がテレビ屋なので、取り組むテーマが決まると、ガーッと集中的に研究し、取材し、パワーアップして、あたかもそのジャンルの専門家であるように、たちまち変身してしまいます。もうそれは30年染みついた習い性です。
 ということで、めでたく採用され、3カ月の実地研修を受けた後に、校長となったわけです。慣れない仕事ですから、当初は戸惑いもありましたし、少なからず失敗やトラブルもありました。
 放送作家から3年の任期付きの校長になって、子どもたちに伝えたいのは
「人生にたった一つの正解なんてない。すべて正解! 生きているだけで、みっけもん。だから、今、ここをしっかり生きる」
ただそれだけです。
 僕の妹や弟は未熟児で短い命でした。生きたかっただろうな。生きてほしかった。たまたま僕は、生きています。生かされています。生きることが叶わなかった妹や弟に恥ずかしくない生き方をしているだろうか。
 生きていること、生かされていることに感謝をして、1日1日を大切に、しっかり前を向いて歩いているだろうか。せっかくの「命」です。自分の心の声に従って、前を向いて楽しく生きていたい。
「できることは全部やる。失敗や挫折もすべてを力に変えて、自分を変えて、変わり続けて、変化の中で自分自身を進化させて、そして未来を変える」
 僕の日常の支えにもなっていて、子どもたちにも伝えたいのは、未来を変える勇気の呪文「ゼロ・プラス・ワン」です。
 どんな逆境だろうと「ゼロ・プラス・ワン」精神で立ち向かっていさえすれば、自分自信が自分自身の人生の主役となって、前を向いて歩いて行くことができるはず。
 自分の心を満足させる喜びにあふれた毎日を暮らすか、あるいはそうした喜びとは真逆のストレスだらけの苦しみを味わい続けるのか。どちらを選ぶかは自分次第。
 校長着任以来、ありとあらゆる機会を見つけては、子どもたちに、クリエイティブに自分の人生を生き抜いていくためのパスワード「ゼロ・プラス・ワン」を繰り返し訴えています。
 堀江貴文(ホリエモン)やLINE元CEOの森川亮さんをはじめ「ゼロ・プラス・ワン」をまさに身をもって実践している時代の挑戦者たちが、応援に駆けつけてくれてもいます。
 自分を変えて、進化させて、共に未来を変えましょう! 自分が自分らしく、自分の人生を生き抜いていくために。
 子どもたちが、自分の人生の主役は自分なのだと信じて、ワクワクしながら、笑顔で生きていける未来を創るために!
(
和栗隆史:1961年東京生まれ、放送作家から大阪府立高校校長)

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教頭に求められる心構えと実践とはなにか

 教頭は学校に出勤してから退出するまで気が抜ける立場ではない。教職員はもちろん、子どもをはじめ、多くの保護者や様々な来訪者から、教頭の姿、行動や言葉の端々まで注目されている。
 教頭はみんなから頼りにされているのである。人間として、教師として、さらに教頭としての自覚をもって、誠心誠意勤務することである。服装や身だしなみは、常に清潔で、品位を保ってほしいものである。
 外部から電話を受けた時の第一声は非常に大切である。まず「○○学校・教頭の△△です」と、明るくはっきりと名乗ること。電話は学校の声の窓口である。応答は明るく、元気よく、明瞭かつ、丁寧をモットーとしてほしい。事務職員にも指導の必要がある。
 朝は、子どもの欠席や遅刻の届け、教職員からの休暇願いなどの電話が頻繁にかかってくる。担任や校長に確実に伝達する。
 その他、苦情電話や、情報提供の電話がある。その対応によって話がこじれて問題が大きくなってしまうこともある。だからこそ、親切、丁寧に対応しなければならない。すぐに対応する姿勢と誠意が必要であり、必ず校長に報告する。
 学校には様々な人びとが出入りする。気をつけることは、服装や態度で相手を判断したり、扱い方に差別をしてはならない。校長室に案内すべきかの判断も必要となる。湯茶の接待の気配りも必要である。
 事前に予定されている公的な来訪者の場合は、玄関入口には、案内図などを示しておく。役職、名前を調べ、下駄箱に名札を表示する。
 教頭にとって大事な心構えの一つは、教頭が勝手に判断して、教職員に指示してはならないことである。どんな些細なことでも校長の考えと違っては、職場は混乱する。一つひとつ、校長の指導、指示を仰ぐという基本的なことを常に心してほしい。
 ただし、校長不在で連絡がつかない場合は、事態を把握し、決定しなければならないこともある。判断しきれない時は、教育委員会の指導を受ける。
 教頭の中には「教職員が、私に相談しないで、校長に直接行ってしまう」と嘆く例がある。これでは、教頭としては失格である。日頃、この教頭では頼りにならないと思われていたり、最終決定者は校長だから、校長に相談してくれ、と責任逃れをしていて、信頼感が薄いからだと思う。
 教頭が、教職員の日常生活に「心の眼」を向け、気配りをして、時に声をかけ、相談者として意欲的に接していれば、好ましい人間関係が醸し出され、自然と公私にわたり相談に来るようになる。
 また、教頭は校長決裁を求める場合、教頭として、自分自身の見解や意見を必ず持って臨まなければならない。校長から「きみなら、どう考える」と問われて、返事に窮するようでは、校長の補佐役として問題である。
 教頭は教職員と校長との単なるパイプ役であってはならない。教頭としての哲学、見識をもつことである。
 教頭になるために、様々な研修を重ねてきているが、さらに、教頭実務を含め、一層研修を深め、人間として高める努力をしなければならない。私はつぎのような努力をした。
1 日々の記録をつける
 教頭になった日から、私的な日記(記録)をつける習慣を薦める。教頭は多忙な日々だが、その日の出来事、処理方法、改善への感想など、箇条書きでも良い。これが後日、役立つ。
 行事など一年前の事柄の細部までは、なかなか思いだせるものではない。学校評価にも、職務遂行の向上のためにも、大変貴重な資料となる。記録は大切なものである。
2 法規に強くなる
 管理職は、教職員の管理はもちろん、教育活動の円滑な推進のために、法的根拠を理解し、身につけておく。法規、例規集を座右の書とし、疑問に対して「だろう」ではなく「根拠はこうだ」と、明確に答えられるよう、疑問に思ったことは、すぐに調べて確認する習慣をつける。
3 視野を広げ、教養を高める
 教頭の研修は自校の教育課題に対して、どのように改善することが必要か、ということを意識することから始まる。子どもの生活の様子、保護者とのかかわり、PTA活動などからも、世の中の確かな変化と、望まれる教育課題が発見できる。
 さらに、国内外の教育事情はいうに及ばず、様々な社会事象をはじめ、世界の政治、経済、社会、宗教、文化など多方面に視野を広く持ち、学習を深める必要がある。多忙でも、自らの見識を高める努力が大切である。
4 教頭職として自ら高める
 とかく忙しさにまぎれて、校内にとどまりがちではあるが、教頭職に精通するために、地域や全国の教頭会を大いに活用しなければならない。資質を高める積極的な意欲があれば、校長も研修に参加することを応援してくれるはずである。教頭として自ら高めるには
(1)
健康管理と体力の維持、強靭な精神力
(2)
社会的常識と人間的魅力
(3)
教職員やPTAなどに指導助言できる識見
(4)
情報収集能力と組織力、企画力
(5)
実務知識と事務処理能力
(6)
若い教師に研修意欲の喚起と幹部職員を育成する能力
(7)
自らの教育観、学校観、教師観、子ども観などの確立と先見性
おおよそを、あげてみたが、何といっても「健康」が第一である。健康を害して、志なかばで涙をのむ人も少なくない。自分なりに健康維持と増進には心してほしい。特にストレス解消法を持つことである。
 私は、ストレスや疲労感があるような時は、腹式呼吸によって心身の安定を得るようにしている。腹式呼吸を510回繰り返し「気持ちが落ち着いている、大変心地よい、心地よい」と自分に言いきかせると、本当にゆったりとした落ち着いた気持ちになる。
 頭に血がのぼるような時、疲労したと思った時、だまされたと思って、一度ためしてほしい。
(
藤ヶ谷敏明:1929年東京都生まれ、元東京都公立中学校教頭(10年間)・校長(6年間)、教育相談員等)

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