カテゴリー「教育改革」の記事

大正自由主義教育と綴り方教育とは、どのようなものであったのでしょうか

 大正デモクラシーにより、明治時代の画一的で注入主義の授業に対する批判から、教育方法の改革をさまざまな形で試みられるようになった。
 大正新教育運動は、欧米諸国の人材育成を目的とした教育改革の影響を受けていた。たとえば、子どもの自発性を重視するデューイの児童中心主義などに象徴される新教育運動の影響である。
 日本の教師は、これらを背景にした新教育運動のもとで、子どもの自発性を尊重しようとする自由主義的な教育実践を展開することになった。
 大正新教育運動は、子どもの主体性などの思想を教育実践に組み込もうとしたものであった。
 第一次世界大戦を経て、日本の経済が発展し経済的に安定した中間市民層が創出されて、大正新教育を支えることになった。
 私立学校が相次いで設立された。1917(大正6年)の成城小学校の発足を皮切りに、羽仁もと子の自由学園、明星学園、池袋児童の村小学校などが設立され、教師は様々な実践を展開したのである。
 大正新教育のもうひとつの特徴は、師範学校の附属小学校を中心として、その実践が展開したことである。
 たとえば、明石女子師範附属小学校主事であった及川平治は、経験主義の立場から、児童の生活経験を基盤として自律的な活動である「分団式教授法」で、知識や技能を身につけさせようとした。
 奈良女子高等師範学校附属小学校における木下竹次の「生活即学習」という考えに基づく「合科学習」、千葉師範付属小学校の手塚岸衛の自由教育などの実践が展開された。
 しかし、これらの自由主義的教育運動は、その後、日本が軍国主義へと傾斜していくなかで衰退してゆかざるをえなかった。
 これを象徴する事件が川井訓導事件である。
 松本女子師範附属小学校の訓導であった川井が、修身科の授業改革に取り組み、副読本の文学作品を用いて実践していた時、視学官に国定教科書を使用していないことをとがめられ、休職処分にまで追い込まれたのである。
 彼は、国の教育方針に背くつもりはまったくなく、教育方法の改良を図ろうとしたのにすぎなかったが、教育における国家主義を脅かすものとみなされたのである。
 大正自由主義教育運動は、明治時代に日本に移入されたヘルベルトの5段階教授法に見られる形式主義を批判するものとして、大きな意味をもつものであった。
 しかし、国家主義により教育目的の自由な議論が封じられて、教授方法に限られ、方法主義的にならざるを得なかったのである。
 昭和初期の1920年後半から30年代初頭は、たびかさなる経済恐慌の影響を受けて国民生活は窮迫した状況となった。
 この時期の教育運動として特筆すべきは、生活綴方(せいかつ つづりかた)教育である。
 生活綴方とは、子どもたち自身に、生活上の出来事や、それに関わる思考や感情を作文に素直に綴らせるのである。
 その作品をみんなで検討する作文指導を通じて、生活現実のリアルな認識や文章表現力、自己意識や仲間との連帯感、主体性などを育てることをめざす教育方法である。
 その担い手となったのは、農村部の若い教師たちで、貧困という窮迫した生活を生きる子どもたちを、作文教育を通じて生活指導を進めていったのである。
「綴方生活」や「北方教育」などの雑誌は教師たちの交流の場となった。
 生活綴方の運動は1920年末から30年代に各地で展開されたが、特に東北地方で盛んに行われた。
 しかし、生活綴方の運動は、子どもたちに悲惨な生活の現実を直視させることで反政府的な思想を育てるものとして警戒され、1940年以降、治安維持法により綴方教師は検挙されていった。
 戦後、1951年の無着成恭編「山びこ学校」の刊行などを契機として運動が復興し、その実践は新たな展開をみせながら現在も継続されている。
(
櫻井 歓:1972年生まれ、日本大学准教授。専門は教育学、哲学・倫理学)
(
岩本俊一:法政大学非常勤講師)

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先生の意識を変えると生徒が変わり伸びる、先生や学校を変えるには、どうすればよいか

 学校を変えるためには先生の意識を根本から変えなければいけない。私はシンプルなことから始めました。それは挨拶です。
 先生は教室に入ったとき生徒に挨拶します。学校は思い出や感動を生み出す場所です。それには先生の根底に「元気」が必要てす。元気の素になる最初の行動が「挨拶」です。
 私はいろいろな学校に行くことがあります。その学校の雰囲気は挨拶に一番表れます。先生が挨拶できないと生徒に伝播します。
 挨拶は、それだけでお互いにいい気分になります。人間はいつもちゃんと挨拶してくれる人のほうが好きになってしまうところがあります。
 挨拶は習慣です。単純に勇気も必要です。人としての徳においても大切です。人間関係を築くための最初の一歩が挨拶です。
 私は「先生は経験ではなく、志で決まる」と考えています。「志が高く、先生としてのあり方」が身についた先生は視点をはずしません。年齢にかかわらず、「志が高い先生」がいい教師です。
 志の高い先生は、その生徒のためにしてあげられることを常に考えています。志の高さは意識が高さといってもいいでしょう。「こうしたほうが、もっとよくなるだろう」「ここを変えていったらいいだろう」とすぐ気づきます。そして行動します。
 生徒を注意するときも、生徒がよくなるための注意と、先生の怒りを発散させるだけの注意ではまったく違います。志の低い先生は、その場その場で自分の怒りを発散させるだけの注意になりがちです。
 志の高い先生は生徒のことを考えた結果であり、その子のために必要だから注意をします。そうやって「志の高さをずっと持って、真正面からじっくりと生徒に向き合う」のがいい先生なのです。
 先生の志の高さは、三学期が終わったクラスの状態を見ればわかります。クラスの生徒は担任を映している鏡です。終業式のクラスの状態がその担任の状態を表しているのです。
 そのときに人格が豊かな、志の高い、心の温かい子どもたちに満ちあふれていたら、それは担任がそういう人だからです。
 反対に表面だけを追うような、表層的な部分だけで行動したり、ものごとを考える担任がいたとします。そのクラスは三学期の終業式のときには、そのような表層的な部分でしか生きられない子どもばかりのクラスになってしまいます。
 それは長年の教員生活で見ていて、すぐにわかります。よく「何年かたたないと教育は結果が出ない」と言います。そんなことはありません。たまたま悪いクラスにあたった、ということも先生から聞きます。 クラスがよくなるのも悪くなるのも担任しだいです。
 その結果、担任の志の高さが終業式の生徒に表れるのです。そして、学校の志の高さは卒業式を見ればわかります。卒業式は生徒も先生も涙して、なかなか帰りたがらないとき、それを見て私は、すべての担任のクラスがうまくいっている、と思います。
 私たち先生の仕事は3Kに近いものです。きつくて、汚くて、危険です。教材研究、ふだんの業務、部活動を完璧にこなそうとすると、ほとんど休みはありません。教室がいつもきれいな状態であるためには、泥まみれになって掃除もします。
 しかし、こんなに崇高な仕事はないと思っています。仕事してきて「よかった」「うれしかった」と卒業式に生徒と一緒に泣けるような仕事は他にありません。自分の幸せにも直結します。そんな素敵な卒業式を迎えられるように、先生は生徒と日々向き合っています。
 私は生徒を大事にするとともに、先生を大事にしました。先生を大事にしたら、先生が生徒を大事にしてくれます。
 職員室で、校長が先生の良いところをみつけて「ほめ」スターのようにスポットライトを当てて光輝かせてあげる。先生たちが職員室で輝けば輝くほど、先生は教室で子どもたちをスターにするのです。
 人は認められるとうれしくなります。自分を知ってもらえると安心します。校長である私は、先生のことを全部わかってあげなければいけません。
 新しい学校に赴任したとき、先生と面談して「どんな学校にしたいか」とじっくりと話しを聞いた。「生徒と真剣に向き合い、生徒一人ひとりを伸ばしていくことのできる学校」と先生の答えは皆同じだった。
 そして、学校の進むべき道を明確に決め、「子どもが安心して通えて、私たち先生を信用して、信頼して頼れる学校」とした。
 いばっても人は絶対に動きません。いくらかっこいいことを言っても、実際に態度で大事にしているという気持ちが伝わらなければ動きません。全部わかってあげて、真剣に向き合っていきます。私の志が先生に投影されて、先生が変わっていきます。その先生がそれぞれのクラスを変えていくのです。
 私は先生を大事にしましたが、そのなかでも特に着目したのは学校が好きな先生です。情熱があり、学校が好きな先生というのは、生徒が好きで、そして自分を伸ばしたいという表れでもあります。学校が好きな先生たちを中心に変えていったほうが、すべてうまくいきます。
 では、どうやって学校を変えていったのか。まず、学校が好きな先生に「授業をするから見に来てください」と言いました。授業はこうやるんだということを全部話しました。授業のやり方を覚えてもらい、もう一度、本来の自分を取り戻してほしかったのです。
 その後、学校が好きな先生から一気に広がり、授業を見にくる先生は、ものすごい勢いで増えました。しだいに、先生たちも恥ずかしさを捨てて、もうがむしゃらに学ぶんだ、というふうになっていきました。
 情熱的でない先生も、わかりやすい教え方を知ったとき、目を輝かせていました。やはり、先生になる人はみんな心に熱いものを持っていました。
 先生という職人は、腕のたつ職人の言うことはよく聞くものです。そのためには、校長が圧倒的にうまい授業や生徒指導をして見せる必要があります。そうすれば、職人である先生は、頭領である私についてきます。
 学校を変える主役は先生です。
 先生をまず変えます。生徒を変えるよりもまずは先生を変えます。重要なことは先生にワクワクしてもらうこと。先生が自己改善をし続けること。先生が変われば授業が変わる。授業が変われば間違いなく生徒が変わります。
 先生が一致団結しないと学校は変わらない。学校としてみんなが同じ方向に向かって努力すると、先生が伸び、生徒が伸び、学校が伸び良い結果が生まれます。
 学校の進む方向や道は、幅広く設け、ここで先生に好きなようにやってもらう。
 先生はそれぞれでやり方が違う。進む道が狭いと個々の先生の個性を殺してしまうので許容範囲を広くとる。目指すところが同じなので、共通の目的・哲学を根本的な部分で共有するようにします。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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日本の授業改革(グループ学習や机の配置など)の歴史はどうであったか

 日本人の多くは認識していないが、大正自由教育と戦後新教育の展開で日本の学校は授業改革では世界の最先端を切り開いていた。
 日本の教室の革新は大正自由教育の子ども中心主義の私立実験学校(成城小学校)において創始され、昭和初期に全国の師範学校附属小学校を中心に公立学校にも普及した。
 成城小学校では男女混合4人のグループ学習が行われている。明石師範学校附属小学校の及川平治の分団式動的教育法のように効率性を追求した能力別の編成においては、6人を標準とするグループ学習も実施されていた。公立学校のグループ学習は、男女混合4人のスタイルが多く、昭和初期には相当数、普及していたことが知られている。
 教室の「コの字」型の机の配置も、大正自由教育において創始され、昭和初期に全国の学校に普及した。日本の小中学校において一般化していたグループ学習も「コの字」型の教室の配置も、欧米の一般の学校において普及するのは1970年代以降である。
 戦後の新教育は1947年から1955年ごろまでの間、小中学校の教師の約8割が「学校独自のカリキュラムづくり」を推進し、「単元学習」の実践を展開した。この事実は驚異的と言ってよいだろう。これほど多くの教師が新教育の実践に挑戦した国は日本以外に存在しない。
 しかし、日本の教室は後進性においても特徴的である。高校の一斉授業は100年以上にわたって変化しないまま今日を迎えている。
 日本の教室の後進性は高校だけでなく、小中学校にもみられる。教師が黒板を使い、教科書を中心に説明と発問と指名で子どもの応答を組織する一斉授業の様式は、途上国以外の国では博物館に入っている。
 その事実を参照すると、日本の教室は輝かしい革新性を有しながら、一斉授業という後進性の枠組みに縛られているのが現状である。
(
佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授。学校を訪問(国内外2800)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)

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親と教師が子どもの鏡となる舞台を学校につくろう

 大人は子どもの鏡であると考えています。子どもがモデルとすべき大人、これから生きていって「こうなるべきモデル」となる大人は、親と教師だと言ってよいと思います。他の大人だっているだろうと思うでしょう。でも、今の社会の関わり方を見ると、子どもにとって生きた人間として目の前に立っているのは、親と教師です。
 しかし、子どもと親がどれだけ向き合っているかというと、必ずしもきちんと向き合っていないという実態があります。そのことからも、学校は親の役割まで果たさなければいけない。「親と教師が子どもの鏡となる舞台を学校に」というのが私の考えです。
 学校を地域の大人が集うところにして、英語検定などの勉強会で教師も親も学び続ける人として子どもにみせるのです。私の学校の多くの親は20種類の勉強会のサポータに登録しています。そのうちの一つが「英検サポーター」で、英語が得意な親が英語検定のことを手伝ってくれている。親も学校で自分の子と同世代の子を見ることになる。
 そうやって地域の大人のコミュニティの学びの中心として公立中学校が存在するようにする。それを見て、子どもたちが「親や教師たちって、楽しそうだな」と思ってくれる。
 私は子どもたちに「将来、肩書の人生とプライベートな人生の二つを持とうよ。肩書の人生を持つためには勉強という頑張りも必要だけど、プライベートな人生を生きるための趣味や仲間を大事にしようよ。そうやって生きていきなさい。私は君たちより年上でバンドをやってきたけれども、中学生のころより今の人生のほうがずっと楽しいよ」と、言い切れる大人として、私は子どもの前に立っているつもりです。
 子どもは大人を見て育つと言いますが、教師や親、地域の人が子どもにとってモデルにならなければいけないと思います。「生きていることは楽しいよ」とか「大人になることは素晴らしいことなんだよ」とか、そういうことを子どもに自信を持って言いきれる生き方を、子どもに示すことが大切であると私は思っています。
(
滝澤雅彦:ミュージシャンの道から31歳で教師になり、東京都公立中学校校長、文部科学省中央教育審議会専門委員を経て日本教育会事務局長。「地域の子どもは地域で育てる」ことの大切さを掲げ、保護者・地域との協働を積極的に推進し、地域運営学校(コミュニティ・スクール)として学校経営した。おとなのバンド大賞グランブリ)

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アメリカは教育崩壊からどのようにして学校を立ち直らせたか

 アメリカはヴェトナムとの戦争の影響で、1960年代には、極端な人権主張、反体制・反伝統の風潮がアメリカ社会を覆い、若者の反抗、麻薬の蔓延、離婚の増加、フリーセックスなどが蔓延していった。
 教育界においても学校が崩壊の極みにあった。一部の急進的な学者たちが「教育の人間化」を主張した。「学校でのルールの押しつけはいけない」「子どもへの寛容さが大切」などと、教師の権威や学校の管理体制を攻撃した。その結果、学校の規律は崩壊し、暴力、麻薬、アルコール、タバコ、喧嘩、いじめ、教師への反抗が広がった。学校はまさに「病めるアメリカ」の縮図となっていた。
 こうした状態を国家的危機と捉えて、レーガン政権は1983年 にレポート『危機に立つ国家』で教育改革を訴えた。こうした政府の呼びかけに呼応して、教育現場で立ち上がった人々がいた。ワシントン州タコマ市のフォス高校の教師たちである。1991年フォス高校は暴力問題を早急に解決するという声明を出し、そのために規律の強化を行った。生徒たちには「喧嘩をすれば、除籍される」と宣言した。その結果、1992年には、喧嘩は12件へと激減し、翌年には3件となった。フォス高校は、コミュニティと協力して「ゼロトレランス地域」を宣言し、秩序と安全の確保を謳った。ゼロトレランスとはルール違反を見逃さない厳格な教育ということである。
 フォス高校のゼロトレランス方式の成功は、全米に伝わり、各地に広まっていった。1997年にクリントン大統領は「規則を整備し、ゼロトレランス方式を確立すべきである」と呼びかけた。ゼロトレランス方式が全米に急速に広がるにつれ、暴力や麻薬などの犯罪的な問題行動は急速に沈静化していった。それにつれて、ゼロトレランスの概念は、欠席・遅刻、怠学、授業中の態度など、日常的な規律立て直しにも拡大されていった。
 ごく小さな規律違反にも、教師は直ちに注意を与え、あるいはごく軽い罰を与えて、問題の芽を小さなうちに摘み取ってしまおうとする「段階的しつけ」という考え方である。逆に良い行いをすると、誉められたり、ご褒美を与えられたりする。たとえば、小学校で一般的な指導方法は次のようなものだ。
 子どもが授業中におしゃべりをしたり、宿題をやってこなかったら、教師から注意を受ける。逆にゴミを拾って教室をきれいにしたり、友達に親切にしたら、担任の先生から褒められ、特に良い行いに対しては、全校の朝の放送で表彰され、ご褒美が与えられる。子どもには一人一人行動記録カードを持たせ、褒められたり叱られたりしたら、記録させる。各人毎の善悪の集計が行われ、これが行動評価一覧表として掲示板に貼り出される。誰が「善い子」か「悪い子」か、一目瞭然となる。子ども達は競って「善い子」になろうとする。特に「悪い子」は、教師が保護者を呼び出して、反省を促す。
 破れた窓を放っておくと、また次の窓が破られ、それが徐々に拡大し、ついに街全体が荒廃する、という「破れ窓の理論」があるが、これを教育現場に適用したのが「段階的しつけ」である。
 中学や高校になると、「お仕置き」が多用される。放課後の居残りや土曜日登校による補習、放課後の教室清掃、校長の横での昼食、などの方法がある。かつての日本でも廊下に立たせるというやり方があったが、まさに同様の「お仕置き」である。お仕置き部屋を設ける学校が多い。ブースで仕切られた席があり、遅刻や宿題を忘れた生徒は、教師の監督のもと、孤独な環境の中で、自分の行為について反省させられる。
 こうしたお仕置きでもなかなか立ち直らない問題生徒は、オルタナティブ(代替)・スクールという各教育管区内に設置されている特別指導用の学校に送られる。手のつけられない問題生徒を正規の学校に放置しておくと、大多数の善良な生徒たちの規律正しい教育環境を乱すし、また、こうした問題生徒は、別の環境で立ち直らせる必要がある、という考えからである。また不登校や引きこもりの生徒も、オルタナティブ・スクールに強制的に出校させて、専門家の指導も加えて立ち直らせる。
(
伊勢雅臣:1953年東京都生まれ、製造企業に就職、経営学博士、国民文化研究会理事)


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授業を変えると荒れていた学校も変わった

 授業を変えると荒れていた学校も変わった。
 東京都内のある中学校に二年間、関わったことがある。生徒はひどく荒れていて一年間のガラス代が百万円近くもかかる状況だった。それまで中学校で授業改革に協力していたが、いつも不十分にしか達成できないもどかしさを覚えていた。
 同校の教師たちに提案した方針は次の四つである。
(1)
生徒がいくら荒れていて授業が成立しなかったり、非行が起ころうとも、職員室や学校外で生徒に関する愚痴はけっして口外しないこと。
(2)
授業の改革の具体的な指針として、すべての授業のなかで、たとえ数分であっても、生徒が活動する作業を入れ、生徒たちが小グループで協同して話し合う活動を入れ、生徒がわかったことを互いに表現し交流して吟味する活動をいれること。
(3)
週一回は校内研修の時間を設定して、授業の事例研究と、学年会か教科部会でも事例研究を行なうこと。
(4)
授業づくりを仕事の中心にするために、校務分掌と委員会とを廃止して、すべて週一回の職員会議で話し合うようにすること。
 私の大胆な提案をよく受け入れていただけたと今でも思うが、それほど同校の状況は危機的で、教師たちは何とかしたいという思いが強かった。むしろ、もっとも不安を覚えたのは私のほうであった。職員会議だけで学校は運営できるのだろうか、と。しかし、どうしても授業研究の時間を確保したかったのである。
 授業を変えれば、学校は変わるのである。その成果は三か月もたたないうちに現れた。授業のなかの生徒たちが明るくなっただけでなく、あれほど荒れていた校内暴力がほとんど姿を消し、ガラスなどの器物破損が見られなくなった。
 最初は、生徒たちの変化よりも教師たちの変化のほうが著しかった。ぎこちなく始まった毎週の校内研修における授業研究と隔週の学年・教科ごとの授業研究が、数か月もたつと、笑い声のあふれる楽しい会合として定着した。
 中学校の授業研究では、教科の壁が厚く、他教科の授業について率直に意見を言い合う関係を築くのが困難なのだが、この学校では、最初に私が授業に入れるよう提案した「活動」「協同」「表現」の三つの要素をたえず共通の話題にすることで、この教科の壁を軽々と乗り越えていった。
 そうして三学期の二月、小学校の教師たちを招待して全クラスの公開授業を行うことになった。かつての子どもたちの成長した姿を公開し、批評をあおぐ研究会である。当日は感動的だった。どのクラスも生徒たちが誠実に明るく学び合っており「小学校以上に小学校的な授業」が実現していたからである。
 そして、二年目。提案したなかで変わったのは、教務の分掌など、最小限の分掌は復活した。それは好ましいことだった。二年目には、学校内からいっさいの暴力事件がなくなった。
 私自身も驚く成果だった。それ以上に驚いたのは、どのクラスを訪問しても、生徒たちは誠実に学び合っており、どの生徒も表情は明るく個性的である。これまで20年間、たくさんの中学校で授業の改革に協力してきたが、同校の生徒たちほど、授業のなかですばらしい姿を見せてくれた学校はない。
 この二年目の三学期の二月には、区内の中学校の教師たちを対象として公開研究会を開いた。校内暴力で有名な学校であっただけに、参観者の衝撃と感動は大きかった。私にとっても得がたい体験であった。
(
佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授 学校を訪問(国内外2800)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)

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保護者にも自らを振り返ってもらって、学校と連携する

 京都市では、全小学校・中学校で子どもによる授業等の評価を実施しています。保護者や地域代表にも学校評価をしてもらいます。それらの結果を公開しています。
 このときに大切なポイントは、教師も親も地域も子どもも「自らも振り返る」ということです。
 ですから、子どもたちに授業評価をしてもらう時に、例えば
「先生の話をしっかりと聞いていますか?」
「わからないところは質問していますか?」
「しっかり復習していますか?」
という質問をします。そのうえで「先生の授業はわかりやすいですか?」というように聞いています。
 評価というと、まな板の上に教師や学校の取り組みをのせて、親や地域が「あそこがいい、あそこが悪い」と評価することのように思われ方もおられます。
 しかし、それだけでは教育はよくなりません。やはり親にも自らの行動を振り返っていただきます。そのうえで学校と親や地域が連携していくことが大切です。
 それぞれが自らを振り返り、そして共に高め合う。そんな評価にしていきたいと思っています。これが現状の改善へとつながる評価になると考えています。
(門川大作:1950年京都市生まれ、京都市教育委員会に採用され、2001年~2007年京都市教育長、2003年中央教育審議会委員、2006年教育再生会議委員、2008年京都市長)


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大人たちが子どもや学校の現実を自分の目で見ようとしていないところに問題がある

 大人たちが子どもや学校の現実を自分の目で見ようとしていないところに問題がある。
 私は2000年に教育改革国民会議の委員に任命された。びっくりしたことは、ほとんどの委員が現在の子どもの状態や学校の実情をまったく知らないことだった。21世紀の日本に必要な人材をどう育てるか、という関心は深いのだが、現在の子どもが直面している困難な問題には、ほとんど関心がないようだった。
 会議に参加するなかで、文部科学省の官僚たちが、学校現場や生徒の現実について現場の私とはまったくちがったとらえ方をしていることに気がついた。官僚たちは、自分たちのとらえ方が絶対的な真実であると信じて疑わないようだった。勘違いした現実をもとに政策を立てられたのでは現場は混乱するだけである。いちばん苦しむのは生徒たちである。
 しかし問題は、教育改革国民会議の委員や文部科学省の官僚にあるだけではない。マスコミをはじめとする世の中の識者、評論家、大人たちが、子どもや学校の現実を自分の目で見ようとしていないところにあるのではないか。
 ひ弱でキレやすく社会性のない子どもたちは、好きこのんでそのように育ったわけではない。私は、経済的な豊かさと個人第一の自由な社会が達成されるなかで、必然的に登場した子どもたちだと考えている。
 とすれば、私たち大人の責任は大きい。子どもの社会的自立のための学校の教育力も大きく低下している。大人たちが自分の目で現実をみすえ、問題の解決のために動きはじめることが、いまもっとも必要なことなのである。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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教育改革には情熱的な実践しかない

 教育改革には情熱的な実践しかない。
 その実践は元気な教師から生まれる。元気な教師は明るく風通しのよい学校で育つ。つまり、教師が働きがいのある、生きがいのある職場をつくることだ。
では、そういう学校はどうすればつくれるか。
(1)
明確な学校目標を打ち出すこと
(2)
適材適所の人事で役割分担を明確にすること
(3)
職場の仲間意識(連帯感)をつくること
 先生がいつも元気で、やる気と本気で子どもを指導するような労働条件を創り出し支援するのが教育委員会と管理職の役目である。
(
明石一郎 大阪府公立小学校教師、全国同和教育研究協議会事務局長 大阪府教育委員会指導主事、大阪府公立小学校校長を経て関西外大教授)


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学校改革をするときに配慮すべきこと

 全国の学校を訪ねると決まって「学校の現状を変えたい、学力を上げるにはどうしたらよいか、人材育成をどうしたらよいか」との言葉が返ってきた。なぜ、こうした課題があるのか、私なりに分析すると、学校が時代の変化に合わせていないことに気づいた。従来からの運営方法に固執し変化を求めない学校の姿があった。
 学校改革をするには、まず、校長が度胸をすえることである。うまくいかなかったら職を賭けるような姿勢が欲しい。
 最初は学校の現状をよく分析し、改善策を学校内外に伝え、具体的な方法を示すしかない。
 つぎにワークショップ型の会議方法を生かすことである。校長が方針を決めたら、ワークショップ会議で教師の意見を吸い上げることが大切である。全員の意見を聞いたうえで最後は校長が決断するとよい。
 改革は、何があっても最低2年は続けることである。改革を中途で終わらせてはならない。軌道に乗るまでが大切である。教師は変わりたくないという一面を持っているので、変わったことに慣れてもらうことも大切である。
 なお、学校改革の理解者を増やすことである。来校者に理解してもらうようにするとよい。
 課題は、異動してきた教師への対応である。なかなか学校を理解することはできないので「新赴任者への手引き」を作り、理解させるようにした。
(
西留安雄:東京都東村山市立大岱小学校長を経て、幼稚園長。全国各地の学力向上の指導に当たっている。大岱小在職中、文部科学省学力向上推進事業推進校として学力向上の研究を進め、多くのメディアに取り上げられた)

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