カテゴリー「学校の実態」の記事

保護者に非があり執拗な要求が続く場合は早めに弁護士に相談を

 従来、学校で問題が起こると、ややもすると、我々弁護士も、世間も、学校を責めることしかしてこなかったきらいがあるように思います。
 その理由の一つとしては、現在の学校での実態を知らないため、勢い、先生が権威をもっていた頃の自分との体験を重ね、「先生は一体何やっているの?」「やることやっていないんじゃないの?」と思ってしまうことがあったように思います。
 確かに、学校・教師に問題があることも多いですが、他方で、明らかに保護者側に非がある例も多数認められ、健全な学校教育を確立するためには、学校・教師を責めるだけでは、解決しないように思われます。
 実際、いじめなど悪いことをして叱られた子どもの親が、教師に対して「自分の子どもがそんなことをするはずがない。子どもの心に傷をつけた。子どもに土下座して謝れ」といって土下座させる例も多々見受けられます。
 これでは、子どもを叱った先生の面子も権威も丸つぶれです。以後、先生はこの子どもを含めた子どもたちに対してどのように向き合えば良いのでしょうか。その結果、心を病んで退職するベテラン教師も後を絶ちません。このような実態では、いじめの防止はとても困難ではないでしょうか。
 加えて学校・教師への要望は驚くほど多く、これに全て応えると学校・教師は疲弊するだけでなく、良質な人材が教師への志望をしなくなるという憂うべき事態も招来しかねないことになります。
 現実の教育現場はかなり疲弊しています。学校・教師の物理的・精神的負担を軽減できないだろうかとの思いもあります。
 不当要求に対して、逃避せず正面から対峙することは、我々弁護士も含めて大変な苦労を伴うことです。しかし、ここから逃げずに是は是、非は非としてきちんと対峙することが、子どもの教育を受ける権利を実現する上でも必要ではないでしょうか。
 例えば、学級でいじめや子ども間のトラブルが生じたことを理由として、保護者から担任を変更せよという要求を受けた場合はどうすればよいでしょうか。
 担任を決定する権限が校長にある以上、校長が保護者の要求に応じて担任を変更しなければならない法的義務はありません。
 保護者との信頼関係を損なわないよう、校長は保護者の申し入れや要求を無視することなく、保護者の言い分や要求の根拠となる事実を聴取した上で、担任を変更する必要がないと判断した場合には、担任を変更しないと明確に回答する必要がある。
 それでもなお、執拗な要求が続く場合は、弁護士に相談のうえ、対応方針を検討すべきであろう。
 学校自身が保護者から不当要求を受けているかどうかを判断するのは必ずしも容易ではない。学校としては、異常を察知した段階から弁護士に事案の経緯を伝えて相談し、法的な視点を踏まえたうえで、陰ながら弁護士のアドバイスを受けて学校側で対応するか、弁護士に委任して弁護士に前面に出てもらって対応するか検討すべきである。
(
近畿弁護士連合会 民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会)
(
「事例解説 教育対象暴力 教育現場でのクレーム対応」近畿弁護士連合会 民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会編 ぎょうせい)


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学校崩壊の原因と、学校崩壊に立ち向かうにはどのようにすればよいか

 定年まで数年を残して私は三年間務めた学校から転任した。慣れて緊張感がなくなるのをおそれて、みずから望んでの転任だった。転任校では、学校の枠組みに入れない数名の生徒たちが暴力、器物破損、喫煙、授業妨害などをくり返し、学校を混乱に陥れていた。私は一年目に学年主任として、なんとかしようと必死に取り組んだが、教師の言うことを基本的に聞こうとしない生徒たちに、いかんともしがたい状況がつづいた。数名の生徒たちは他の生徒を引きずりこみ、不安定な状況が拡大していき学校崩壊の最前線で私は生きるようになった。
 悪戦苦闘しているときに、学校現場を代表して教育改革国民会議の委員に任命(2000)された。びっくりしたことは、委員のほとんどが現在の学校の実情をまったく知らないことだった。さらに、会議で文部科学省の官僚たちが、学校現場の現実について現場の私とはまったくちがったとらえ方をしていることに気がついた。官僚たちは自分たちのとらえ方が絶対的な真実であると信じて疑わないようだった。勘違いした現実をもとに政策を立てられたのでは現場は混乱するだけである。いちばん苦しむのは生徒たちである。
 問題はそれだれではなく、マスコミをはじめとする世の識者、評論家、大多数の大人たちが、学校の現実を自分の目で見ようとしていないところにあるのではないか。ひ弱でキレやすく社会性のない新しい子どもたち。子どもの社会的自立のための学校の教育力も大きく低下している。いまもっとも必要なのは大人たちが自分の目で現実を見据え、問題解決のために動きはじめることなのである。
 私は教師である。生徒の社会的自立のために働かねばならない。問題行動をする生徒が私を受け入れないのはしかたないとしても、彼らの行動が学校の秩序を壊し、他の生徒たちの学習を妨げるのはなんとかしなくてはならないと思った。授業の混乱を抑え、暴力や器物破損、喫煙や飲酒などをやめさせようとあらゆることをやってみた。しかし、教師に与えられた武器はほとんどないことが明かになっただけだった。教師も生徒も混乱のなかで生きていくしかなかったのである。
 決定的な問題は、日本の学校システムにある。生徒も将来一人前の大人として日本の社会で生きていかなくてはならないとしたら、いまのままの学校でいいわけがない。彼らに合った教育の場を別につくり、そこでじっくり社会的自立のための学習を積ませることが必要なのではないか。
 さて、もう一方は若い教師たちのことである。私は学年教師の共同性をつくることに失敗した。私が転任一年目であり、影響力を充分に発揮できなかったこともあったろう。しかし、根本的には生き方の問題だったようだ。若い教師たちは、これまで自分で考え、いっしょに行動し、結果の責任を取るというような経験をほとんどしてこなかったのではないかと思う。きわめて個人主義的で学年の共同性をつくるということになじまなかったようだ。
 学校から学年教師の自治的活動がどんどん消えている。それが学校を混乱させている大きな原因の一つであることは明らかだ。そのような学校の変化のなかで登場したのが、管理職が直接、教師をコントロールするやり方である。企業の経営管理の考え方をこの学校で取り入れていた。教頭が一人ひとりの教師と結びつき、教師はことあるごとに教頭に相談に行き、指示を求めるというシステムがこの学校を支配していた。
 しかし、状況がきびしくなったとき、みんなでいっしょに、それぞれがちがった個性を合わせて事態にぶつかっていけば、互いに支え合うこともできるだろう。だが、一人ひとりがばらばらに立ち向かおうとすれば、他人をかまっている余裕などない。耐えられない教師が出てくるもの自然のなりゆきである。いちばん弱い教師が破たんし、それが他の教師へも波及するのは時間の問題だ。
 文部科学省は自由化・個性化の教育改革で学校を変えようとしてきた。私はこの一年自分が体験してきた学校はその成果だと思っている。文部科学省は大きな勘違いをしているのではないかと思っている。生徒も教師もその大多数は自立した個人にはなりえないのではないかと思うからだ。責任に耐えられる人間はきわめて少ないのである。
 自由と強制、個性化と共同性、この二つが必要なのである。それをもとに国民()の一人ひとりがもう一度、教育や学校の役割を根本から考えはじめる必要がある。それが学校崩壊に立ち向かう出発点だ。この一年間は学校崩壊の現実を生き、学校、教育、家庭、子育てについて考えることが多かった。さらに他者とどう生きるのか、という根本的な問題にぶつかることにもなった。悪戦苦闘の一年だったが、感謝すべき一年だった。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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「お客様意識」で暮らす人々から責任を学校に丸投げされている

 「お客様意識」で暮らす人々から責任を学校に丸投げされている。
 現代人は、常に社会のお客であるかのような「お客様意識」に陥っています。
 かつて、地域社会にあった豊かな共同性は自らを束縛するものとして捨て去り、自らが担うべき役割を忘れています。
 こうした「お客様意識」で暮らす人々により、責任をもたない「ご都合主義」の社会となり、学校は家庭からはしつけを丸投げされ、教育委員会からは説明責任を丸投げされ、教育改革は教育行政担当者の昇進競争の道具になったり、政治家のパフォーマンスの道具に使われたりすることでも認めることができます。
 また、最近の学校バッシングなども、社会の矛盾や自らの閉塞感のはけ口として学校に発散するという側面もあるように見受けられます。
 このような社会情勢が、真摯に子どもと向き合い、じみちに教育活動を積み重ねている教師の熱意や学校の教育力を削いでいることに、社会は気づいていないようです。
(
近藤昭一:1951年生まれ、横浜市立中学校教師、校長、教育委員会、教育センター所長を経て玉川大学准教授)


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授業を変えると荒れていた学校も変わった

 授業を変えると荒れていた学校も変わった。
 東京都内のある中学校に二年間、関わったことがある。生徒はひどく荒れていて一年間のガラス代が百万円近くもかかる状況だった。それまで中学校で授業改革に協力していたが、いつも不十分にしか達成できないもどかしさを覚えていた。
 同校の教師たちに提案した方針は次の四つである。
(1)
生徒がいくら荒れていて授業が成立しなかったり、非行が起ころうとも、職員室や学校外で生徒に関する愚痴はけっして口外しないこと。
(2)
授業の改革の具体的な指針として、すべての授業のなかで、たとえ数分であっても、生徒が活動する作業を入れ、生徒たちが小グループで協同して話し合う活動を入れ、生徒がわかったことを互いに表現し交流して吟味する活動をいれること。
(3)
週一回は校内研修の時間を設定して、授業の事例研究と、学年会か教科部会でも事例研究を行なうこと。
(4)
授業づくりを仕事の中心にするために、校務分掌と委員会とを廃止して、すべて週一回の職員会議で話し合うようにすること。
 私の大胆な提案をよく受け入れていただけたと今でも思うが、それほど同校の状況は危機的で、教師たちは何とかしたいという思いが強かった。むしろ、もっとも不安を覚えたのは私のほうであった。職員会議だけで学校は運営できるのだろうか、と。しかし、どうしても授業研究の時間を確保したかったのである。
 授業を変えれば、学校は変わるのである。その成果は三か月もたたないうちに現れた。授業のなかの生徒たちが明るくなっただけでなく、あれほど荒れていた校内暴力がほとんど姿を消し、ガラスなどの器物破損が見られなくなった。
 最初は、生徒たちの変化よりも教師たちの変化のほうが著しかった。ぎこちなく始まった毎週の校内研修における授業研究と隔週の学年・教科ごとの授業研究が、数か月もたつと、笑い声のあふれる楽しい会合として定着した。
 中学校の授業研究では、教科の壁が厚く、他教科の授業について率直に意見を言い合う関係を築くのが困難なのだが、この学校では、最初に私が授業に入れるよう提案した「活動」「協同」「表現」の三つの要素をたえず共通の話題にすることで、この教科の壁を軽々と乗り越えていった。
 そうして三学期の二月、小学校の教師たちを招待して全クラスの公開授業を行うことになった。かつての子どもたちの成長した姿を公開し、批評をあおぐ研究会である。当日は感動的だった。どのクラスも生徒たちが誠実に明るく学び合っており「小学校以上に小学校的な授業」が実現していたからである。
 そして、二年目。提案したなかで変わったのは、教務の分掌など、最小限の分掌は復活した。それは好ましいことだった。二年目には、学校内からいっさいの暴力事件がなくなった。
 私自身も驚く成果だった。それ以上に驚いたのは、どのクラスを訪問しても、生徒たちは誠実に学び合っており、どの生徒も表情は明るく個性的である。これまで20年間、たくさんの中学校で授業の改革に協力してきたが、同校の生徒たちほど、授業のなかですばらしい姿を見せてくれた学校はない。
 この二年目の三学期の二月には、区内の中学校の教師たちを対象として公開研究会を開いた。校内暴力で有名な学校であっただけに、参観者の衝撃と感動は大きかった。私にとっても得がたい体験であった。
(
佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授 学校を訪問(国内外2800)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)

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学校行事は課題を突破することによって、明るく新鮮でしなやかな強じんな子どもが生まれてくる

 学校での行事は、いつでも課題を持って行われ、課題を突破することによって、さらにつぎの課題が生まれてくるものである。
 行事は形式的に惰性的に行われるものではなく、必然性を持ち連続性を持って行われるものである。
 だからこそ教師も子どももきおってとりくむのであり、行事が終わったときには、それまでとはまたちがった高みへと上がっているのである。
 教師や子どもの明るさとか新鮮さとか、しなやかさとか美しさとかは、そういう仕事から生まれてくる。強じんな教師や子どももそういう仕事のなかから生まれてくる。
 事実によって仕事をやりつづけている人間の明るさがここにある。仕事を突破した経験を持ちつづけないかぎり明るくなるものではない。
(斎藤喜博:1911年-1981年、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い人々が参観した。子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。昭和を代表する教育実践者)

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生徒の不満を教師が聞かなければならないのか

 生徒が学校生活に不満がある場合には、生徒の不満をよく聞いて、納得するまで説明したり、学校を生徒に合うように変えなければいけないという人がいる。
 しかし、これは基本的にちがうと思う。もちろん、学校生活のなかで、生徒の言うことを聞かなければならない場合だっていっぱいあるが、まず、学校そのものが生徒の自由になる場ではないということをわからせることが先決だ。
 最近のいろいろな議論がそうなのだが、学校というのは社会や生徒にとってどういう場なのかということを、もう少し整理して考えないと、混乱するだけである。
 また、学校は子どもに大きなストレスになっており、それが問題だと言う人もいる。しかしまず、ストレスとは何かということを考えてみなくてはならない。
 人間は生まれてからずっと、家庭もふくめて社会の中で生きていかなければならず、外部からの強制力がいっぱいはたらく。それに対して、いやだなと思ったり、ストレスが生じるのは、ある意味ではあたりまえのことだ。生きていくにはさまざまなストレスに直面せざるをえない。
 だから、現実的な問題としては、いろいろなストレスに対して、それをくぐり抜けたり、耐えたり、はねとばしたりする力を身につけなければならない、というように考えなくてはいけないと思う。
 ところが、生徒がストレスで悩んでいると、ストレスを取り除いてやろうというような発想が主流なのである。しかし、それでは子どもは社会に出て一人で生きていくことはできない。
 子育てをするときに、ストレスをはねとばせるような子どもに育てていくことが肝心なのだ。そうでないと、外部からのいろいろな圧力-他人からのはたらきかけにうまく対応できず、自分のなかに引きこもってしまうとか、外部からの刺激にものすごく敏感になって、相手に対してひどく攻撃的になったりするようになるのである。
 また、子どもの意見をよく聞いて理解しなければいけないと言い方をする人が多い。しかし、ほんとうにそうだろうか。近ごろの子どもたちの意見というのは、マスコミをふくめて大人たちが言ったことのたんなる口うつしである場合が多いのではないか。
 子どもの意見をやたらありがたがる人たちには、私は、大人の責任で子どもの状況を判断しろ、と言いたい。
 私は、生徒と対するときに、生徒の心を理解しなくては、などと大それた考えはもっていない。問題にするのは、その生徒が何をしたかということだけである。
 私はそのときその生徒がどのようなことを思っていたか、感じていたかというようなことを聞こうとしない。外面的な行為だけを問題にするのである。だから、私は、生徒の内面に立ち入って悩みを聞いたりすることは基本的にやらないようにしている。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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教師がお互いに支え合うチームワークが崩れてきている

 学級が荒れてきたり、保護者対応に困っていても、職員室は殺伐とした雰囲気で、相談したり、弱音を吐ける相手がいません。頼みの綱であるはずの職員室の雰囲気は、冷えきってしまっています。
 こうして孤軍奮闘した教師が、うつになって休職したり、敗北感を抱かえながら教職をあとにする。そんな教師がたくさんいます。
 いっぽうで、「うつの先生が大変なのもわかりますが、残された私たちも仕事が増えて大変なのです」とおっしゃる教師がいます。
 うつになった教師も、残された教師も大変なのです。
 私はこういう先生を責める気持ちはありません。仲間がうつになっても思いやる余裕がないのは、本人の責任ではなく、学校のシステムに余裕がなさすぎるせいです。 
 最近、学校の教師のチームワークが崩れてきました。
 「親分肌の校長が減ってきた」と多くの教師が嘆いています。昔の校長は学校行事の前には、「みんな、自分の信念で好きにやってくれ。責任は私がとる」などと言ってくれ、教師もやる気が起きました。
 しかし、最近では、「みなさん、ご自分の思いでやられるのは結構ですが、責任はどうぞご自分でとってくださいね」といった校長が増えています。
 こうした校長や教師に対する評価システムの導入などで、教師のチームワークが崩れてきたのです。教師同士でお互いに支え合えれば、たいていのことはどうにかなるものです。
 教師のチームワークが崩れてきたことに、私は大変な危機感を覚えています。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)
(
教師の悩みとメンタルヘルス 諸富祥彦著 図書文化 2009年)

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打たれ強さと自在の精神を

 授業中、私が教科書を読み始めたとたん「センセー、何ページ」その声に戸惑いがありません。私は「さっき言っただろう、60ページだよ」再び私が読み始めます。1,2分もたたないうちに「センセー、何ページ」と明るい声。思わずキレそうになります。
 要するに、私が生徒に向かって指示したりすることは、自分に向かってのものではなく、ほかの多くの級友に向かって言っていることであると、彼らは思っているのです。自分の名前が呼ばれた時に初めて自分に向けられていると察知するのです。
 かつての学校は、困窮から、はいあがるための場所でした。学校でどう生きるかが、社会でどう自己実現できるかに直結していたのです。学校には見えない「権威」が確かにあったのです。
 今は貧しさが生きるバネになった時代とはまったく違うのです。ベテラン教師であっても、授業をしっかりと成立させるのは至難の業と言わざるをえません。際限のない私語や立ち歩きなど、そんな現象に苦慮している学校がたくさんあるのです。
 授業技術の錬磨と創意工夫によって、克服できるのでしょうか。私は無理だと思います。年間すべての授業を生徒が興味の持てるものにしようなど、しょせん無理な話なのです。懸命に教材研究をし、創意工夫を授業に生かそうとした教師ほど、その限界をよく知っているのではないでしょうか。能力のそれぞれ違った40人の生徒を前にして、彼らが等しく興味を持ち、理解を深められるような授業などありえないということに現場の教師は気づいています。
 技術や工夫は必要ないなどと言っているわけではありません。むしろ最大限の努力はしてしかるべきでしょう。ただ「一生懸命やれば必ず子どもは変わる。変わらないのは技術と工夫が足りないからだ」という精神主義が教師を追いつめてしまうのです。「教師は授業で勝負」だからと自分を追いつめることはありません。
 私は、授業に限らず学校のさまざまな場に、かつての古き良き時代の学校幻想を追い求めるのではなく、今を前提にした、新しい大人と子どもの秩序を生み出すことが大切だと思っています。
 私たち教師が忘れてならないのは、こうした限界を抱かえているという学校というところに身を置いているという時代感覚です。打たれ強さと、精神の自在さが必要だと思います。そこから、旧来の学校観、教育観、子ども観にとらわれない、新しい現実を読み解く方法をつくり出さなければならないと思うのです。
(
赤田佳亮:1953年生まれ、横浜市立中学校教師、組合執行委員)


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子どもが反抗的や無気力になるのは

 どの子どもも、成長していくことに喜びを感じる。
 しかし、子どもたちは、自分一人の力で成長していくことはできない。大人なり教師なりの助けを受け、力を借りることによって、はじめて自分の内部にあるものを、よりよく表に引き出すことができ、心をひらいて成長していくことができるのである。
 自分を成長させたいと強くねがっている子どもたちが、自分が成長できないような不幸な状態におかれたとき、子どもたちは、不満を持ち、反抗的になったり、乱暴になったりする。また劣等感を持ち、無気力になったり怠惰になったりする。
 大人や教師はそう考えなければならない。もともと無気力な子どもとか、怠惰な子どもとかが固定的にあるものではない。学校の授業についていけない子どもとか、おちこぼれなどという子どもがあるものではない。そうねがっている子どもなど一人もいるはずがない。
 そういう子どもをつくっている大人とか社会とか学校とか教師とかに問題があると考えなくてはならないのである。
 学校は、子どもたちが成長していくのを、子どもの学習をとおして手助けするところである。学習の主体者である子どもたちは、教師の適切な助けを借りることによって、自分を生き生きと成長させ変化させていくことができるのである。
 子どもたちは、学校での授業や行事のなかで、教師や他の子どもの人間の力を借りながら、自分の全心身をつかって、喜び勇んでよじのぼっていくようになるのである。
(
斎藤喜博:1911年~1981年、元小学校校長。島小学校などに優れた実践を残した昭和の代表的な実践者)

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学校が荒れたり学級崩壊にならないようにするにはどうすればよいか

 最近は世の中どこでも、子どもへの接し方が母性的になっているようだ。しかし学校の場合は父性的な要素が必要である。
 いやなことでも我慢してやりなさいとか、自分のことだけ考えてはいけないというように、子どもに拒否したり、強制するような姿勢が教師の側に必要なのである。もちろん、その一方で、場合に応じて子どもたちの状況をそのまま受け入れるという母性的な要素も必要だが。
 父性的なものがなければ、学校という集団を維持することは不可能なのではないかと思う。
 いま小学校はほとんど母性的になってしまった。いま、小学校がいちばん考えなければならないことは、教師-子どもの関係をどうするか、学校の役割は何かということだろう。
 どんなに騒いでも、子どものそのときの状況を受け入れ、言葉で説得しようとしているようだが、それが学級崩壊を生み出しているのではないか。
 クラスという集団を安定させるためには、守るべき原理を無理やりにでも押しつけなければいけないと思う。そして、あの教師は怖いと思わせるような、ある種の力がなければクラスを維持していくのは無理だろう。
 子どもは言葉で言うことを聞くわけではない。欲望にしたがって体が勝手に動いてしまうのだから、それは力で抑えてやらなくてはいけないのである。
 たとえば、どうしても言うことを聞かなかったら、いまはゲンコツをふるうわけにはいかないから、とりあえずは、烈火のごとく怒鳴りつけるしかないだろう。それでもくり返すようだったら、親に来てもらうから、いまやっていることを、そのままやってみせなさい。それでお父さん、お母さんに判断してもらうからと言う方法もあるかもしれない。
 大切なのは、教師の生徒に向かう姿勢である。あっ、この先生は怖いというふうに思わせることなのだ。怖いからとりあえずは黙っていなくてはいけないとか、座っていなくてはいけないということをくり返すなかで、自分を抑える力を少しずつつけるようにしなくてはいけないのだ。
 小学校の教師たちが父性的な面をほとんど出さなくなっては、クラスを維持していくのは無理だろう。
 中学校でも、この先生は怖いと生徒が思うような教師がいないと、学校そのものが成り立たない。仮にやさしい教師がばかにされて、生徒が言うことを聞かなくなっても、これ以上やると、怖い教師が出てくるかもしれないからこの辺にしておこうというような、そういう教師の共同性をつくっておかなくてはならないのだ。
 それをしないで、一人でやろうと思っても無理である。問題なのは、教師たちも事態がよくわかっていないということである。社会が変わり生徒が変わってきているのだから、これまでと同じようなやり方は通用しなくなっているのだ。教師のほうに力量がないということだけではすまないわけである。
 一般的に、校長は、教師個人の力の問題だと考えているようだが、事はそんなに簡単ではないのだ。私も偉そうにいろいろ言ったりしているが、現場では、私の個人的な力量だけでなんとかなることなどほとんどない。実際は、その学校の教師の共同性と、それを支える親たちの力に支えられて、なんとか教育力を発揮できるのだ。
 安定している学校の場合には、教師のなかに父性的な要素を持った何人かいて、あるときは生徒を怒鳴りとばし、全校集会で大きい声で号令をかけ、おしゃべりをしている生徒を全体の場で叱りつけるというように、陰で基本的なところを押さえているということがあるのだ。
 ところが、このことがよくわからず、自分の力でやっているんだと思い込んでいる教師も多いから、そういういやな役割を引き受けている教師が転勤していなくなったとき、あっというまに荒れてしまうということがありうるのだ。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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