カテゴリー「優れた授業とは」の記事

国語科:野口芳宏の授業は見える授業である    山田洋一

 野口芳宏(1)が5年生122名の子どもたちに体育館で「大造じいさんとがん」の授業を行った。
 その様子を山田洋一(2)はつぎのように述べている。
 まっすぐ子どもたちを凝視したまま、両腕を肩の高さまで上げて大きく広げ「では、よろしく」と子どもたち全体に声をかけた。

 鋭い視線から「真剣に学ぶんだぞ」、「さあ、懐に飛び込んでおいで、何でも教えてあげよう」というメッセージをこのポーズから感じる。
 野口先生の授業では、言葉によるメッセージの他に身体からのメッセージも、子どもたちに発せられることが多い。

 教師の発問・説明・指示とその身体からのメッセージが、うまく合致しているのが野口流授業の真骨頂なのだ。
「大造じいさんとがん」の教師による音読が始まる。

 しばらく読んだところで、厳しく追い込むような表情で「敵の正体は何だ?」と最前列の子どもを野口先生は指名した。
 子どもは「がん」と答えた。
 これに対して「それでいいと思う人?」「違うと思う人」と即座に全員に挙手を促した。

 誤答であった。
 誤答を言った子どもに野口先生は最高の笑顔でその子の肩に軽く触れるようにした。
 子どもははにかみながら笑っていた。
「間違えたことは仕方がない。つぎに頑張ればいいさ」と子どもは思うだろう。
 私のような並の教師は、これを逆にする。

 つまり、緊張しないようにというお節介から指名するときには笑顔をつくり、子どもが誤答すれば苦虫をかみつぶす。
 子どもは「言わなければよかった」と思うだろう。 
 どちらが子どもに対して優しく、力を伸ばす教師であるか? 

 野口先生と比較すれば明白だ。
 つまり、野口流の授業は「緊張から緩和」になっているのに対して、私のような教師は「緩和から緊張」となっているのだ。

 そしてそのことが野口先生の表情という身体からのメッセージとなって、子どもたちに伝えられているのだ。
 野口先生は必ず子どもたちに手の挙げ方を「手を耳にあてるんじゃない。ビューと手を曲げずに挙げるんだ」と見せ、実演して指導する。「まっすぐ挙げなさい」と言うだけでは子どもたちにはわかりづらい。
 野口先生は、語りの名人であり、どちらかというと言語による指示がうまい。

 しかし、実際の授業は身体を介しての指示が多用されている。
 野口先生の授業は見える授業なのだ。
 野口先生は「わかる人?」とは尋ねない。

「わからない子」に手を挙げさせる。
「わからない子」が授業から脱落しない全員参加の授業にするためである。
 しかも、わからないことが教師に知られているので、ぼんやりはできない。

 わからないことを本人に強く自覚させ、わかるようになったときの喜びを強調することができる。
 子どもが向上し変容するための強化になっている。
 教師から子どもについた学力が見えていなければならない。

 見える学力が野口流授業のキャッチフレーズの一つである。
「『ぐっと長い首を持ち上げた』というこのとき、残雪は目を開けていたか、つぶっていたか」と発問した。

 野口流授業では発問がすばらしい。
 その本質は子どもたちに見えていないものを、見えるようにするということである。
 読み過ごしてしまうような叙述を指し示し、考えさせるということである。
(
1) 野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学教授、授業道場野口塾等主宰  
(
2) 山田洋一:1969年生まれ、北海道北広島市立小学校教師。教育研修サークル・北の教育文化フェスティバル代表。




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いい授業の秘訣は空気を感じること   安次嶺隆幸

 いい授業の秘訣は空気を感じることであると安次嶺隆幸はつぎのように述べています。
 いい授業は、子どもたちが活発に活動をしていること。授業の終わりに子どもたちの変容がある。
 教師の教材研究がしっかりとなされ、子どもたちがそれにそっている。
 など様々な見方があるでしょう。
 私は、それに加えて、空気を感じることが教師の資質としてとても大切に思うのです。
 授業は子どもたちに任せて見守るのではなく、教師が教室の空気を感じ、ひとつの方向へ導いていくことです。とても大変なことですが。
 たとえば、音読指導のとき、子どもをどの観点でみるかが大切です。
 ただ読ませるのと、目的をもって読ませるのでは雲泥の差があります。
 テーマを持って読ませることで子どもが自らテーマを考えて読むようになれば、さらにそのクラスのレベルは上がります。
 少しずつ頂上へ上がっていくような感じです。
 また、音読をさせた後の教師の位置でその教師の力量がよくわかります。
 音読をさせているとき、子どもの背後にまわるのが基本です。
 どの子どもがどのページを開いているのか一目でわかるからです。
 そんな、ちょっとしたことでクラス全体が変わるのです。
 小さなことを大切にする本物の教師に早く私もなりたいと思います。
(安次嶺隆幸:1962年生まれ、東京都私立小学校教師、日本将棋連盟学校教育アドバイザー)

 

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優れた理科授業にするには、どのようにすればよいか

 優れた理科の授業は「ネタ」「授業の組み立て」「授業技術」が優れている。
 授業を料理にたとえると、おいしい料理には新鮮なネタが必要だ。
 ネタをどう料理するかレシピ(組み立て)がいる。
 レシピを実行できるだけの腕(技術)がいる。
 授業の技術には、発問・指示・板書などがある。料理の腕がなければ、ネタをだいなしにすることもある。
 理科授業の基本的な進め方は、疑問を持たせ、仮説を立てさせる。実験・観察で確かめ、結果をまとめさせる。
 子どもたちは、自分で問題を解決することで、科学的な知識や技能を身につけていくことになる。
 授業の導入で問題意識をもたせるために、疑問を生じさせることが大切だ。
 例えば6月の三日月の形を描かせると、右左どちらに曲がっているか意見が分かれ、疑問が生じ調べてみたいという思いがわいてくる。
「月はどの順番で満ちていきますか」と、左右の三日月から満月までと新月の絵から並べさせる。一番正しいと思える順を自分で決めさせることが仮説となる。
 実際に月の満ちる順番を2日おきぐらいに観察させる。その観察結果を発表させる。結果から言えることが結論である。
 このように子どもたちは疑問から問題意識をもち、仮説を立て、実験・観察で検証し、結果を結論としてまとめるという活動が理科授業の基本的な進め方になる。
 授業づくりの手順は、まず、教えたい知識と技能をはっきりさせる。学習指導要領に載っている内容の部分を抜き出せばよいのでたやすい。
 次に単元の計画を次の手順で考える。
 各社の教科書を読んで、どう教えることになっているか展開をだいたいつかむ。読んではっきりさせたいところが出てくれば、参考書や専門書で調べる。
 資料はインターネットでキーワード検索する。たくさんの本が掲載されているのでリストアップしておく。
 大きな書店でそれらの本を斜め読みする。特に重要だと思える本を購入する。インターネット情報でよいと思われるものは印刷する。
 購入した本や集めた資料を読んで、子どもが驚くだろうなという情報をメモしていく。
 それら情報の内から骨格になるものは何かを考える。教えたい内容をすべて列挙していく。
 子どもの実態を知るために、子どもに聞いたり、アンケートをとる。
 この段階で、実践例を調べる。すこしでも実践例を超える実践をしていくためである。
 次に大ざっぱでよいが、だいたいの展開を考える。展開が決まったら教材を考える。できるだけインパクトのあるネタがよいし、実物を用意することが大切である。
 つぎに、1時間ごとの授業案を考えていく。発問・指示・説明を考えることが大切である。
 授業の組み立てを考えるとき、授業は二転三転させて変化をつけたほうが、子どもたちが熱中し盛り上がるので、相矛盾する情報を紹介する。
 矛盾した情報を示すと子どもたちは、なぜだろうと考え授業が知的に展開するようになる。
 そして教師が授業で実際に発問しようとする発問言葉をノートにメモしていく。
 書いたら口に出して言ってみる。くどいと感じたらできるだけ言葉を短くしていく。
 発問・指示・説明を何度も修正していくと、よい授業になっていく。
 最後に授業に使えそうな映像資料や実験をインターネットで探す。実験は大切なので、実験ができない場合は実物を見せて観察させてもよい。
 読み直してダメなところは修正すればよい。
 授業が終わったら必ず授業の記録をとるようにするとよい。理由は、今後の授業改善に生かせるからである。
 教師の発問・指示・説明と子どもの反応を必ず記録するようにしている。教師が言った通りの言葉を思い出して書いていく。
 言い方が異なると子どもの反応が違ってくるので、できるだけ正確に記録するため、録音することが多い。
 子どものつぶやき・表情・発言内容も記録しておく。
 子どものノートをみることで、子どもの理解の程度・疑問・思考内容を知ることができるので写真をとっておく。
 板書も写真に収めておく。写真に収めておけば記録するのに時間がかからない。
 テストが終わったら、子どもの理解度を調べるようにする。
 一人でも勘違いしていたら、その勘違いはなぜ起きたのか、それを防ぐためにどんな授業展開がありえたか、などを考えるようにしている。
 授業の記録は、再び同じ内容の授業を今後するとき、授業記録と反省の記録が生かされることになる。
(大前暁政:1977年岡山県生まれ、岡山県公立小学校教師を経て京都文教大学准教授。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

 

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どの授業がよいかは生徒が決める、一つの授業方式に固執しないで子どもの反応を見てダメなら方針を変える

 自分の経験を振り返ってみると、ある特定の授業方式に徹底的にこだわることは必要なことである。
 特に、自分自身の経験がない若い時期は、大いに真似をすべきである。
 ただ、注意しなくてはならないことは、世の中には今、実践しているものと違う方法もあるということを認めることである。
 ときには、他の方法を試してみたり、本や雑誌を読んで勉強してみるべきである。
 そして、自分の前にいる子どもたちの実態、学校の自然環境や物的環境をよく把握し、どのような展開が最も適しているかを判断し、独自の方法をつくりあげていくべきである。
 授業を柔軟なものにするには、教師の価値観がガチガチではダメである。
「授業は整然としているべきである」という価値観をもった教師には、課題選択学習などで一人ひとりの生徒が違った取り組みをワイワイやっている授業には耐えられないだろう。
 生徒がどんどん発言するような活発な討論の授業もできないだろう。
 また、ときには教師がよしとする授業と生徒たちが求めている授業との食い違いもあるだろう。そんなときに「今までやったことなかったけど、ちょっと違う方法でやってみようか」という気になれる教師でありたい。
 子どものための授業であるべきだ。子どもの反応を見てダメなら、とっさに方針を変更していかねばならない。瞬時に違う対応を選択しなくてはならないのである。
 教師は授業において、常に瞬間的な判断を生徒に求められているようなものである。
 そこで、いつでもうまく対応できれば「授業の達人」といわれるようになる。
 対応に失敗すると、ギクシャクした授業になり、へたをすると「教師のひとり芝居」になりかねない。
 瞬間的な判断を的確に行うためには、当然ながら複数の対応を知っていなくてはならない。
 しかも「これが絶対」というものはない。ここでファジーな選択が必要となってくる。
「ある程度よさそうな対応」の中から、一番マシそうなのを瞬時に選ぶのである。
 それでダメだったら、その次にマシなものをと。何しろ、本を取り出して調べるヒマはないのだから。
 いろいろな授業方式、指示や発問の中で、どれがよいかは生徒が決めることである。
 教師が「○○式でいい授業ができた」と自己満足していても、生徒が授業に満足できていなくてはダメである。
 教師が生徒の反応を丹念に記録し、いくつかの方式のどちらの方が生徒がよい反応をしたかで、改善・選択を加えていくのである。
 このことは、教師が授業について論じるときにもあてはまる。
 教師がある授業方式の是非を主張するときには、常に生徒の反応や変容、アンケートや感想を基礎データとして明示すべきである。
 それなしに「この方式はよかった」といくら教師が強調しても、説得力はない。
 小森栄治先生は「理科は感動だ!」を合い言葉に理科に対する興味関心を高める授業や理科室経営に力を入れてきた。
 やり方しだいで、中学生はどんどん理科好きになるし、好きになれば学力も高くなるということを実感している。
 生徒が熱中する授業を求めるとき、忘れてはならないことがある。それは、教えている教師自身が、その授業に熱中できるかという点である。
 教師自身が熱中し、納得した教材には、子どもたちも熱中するということである。
 小森先生の授業の感想に「先生自身が楽しそうにやっていた」「先生が、楽しそうですね」と書いてあることが多い。
 理科の実験で、試験管の中に集めた水素の中で、ろうそくは燃えるかという定番の実験をやっているとき、いつもわくわくする。
 なぜかというと、いつも逆転現象が起こり、「えっー」という歓声があがるからだ。その歓声が、うれしくてしょうがない。
 変化ある繰り返しの中で、ぼそりと「酸素がないからだ」というつぶやきが出てくる。小森先生が言葉で教えるのではなく、実験の結果から、生徒自身が納得した瞬間である。
 そういう生徒の変容に喜びを感じられる授業を追究していきたい。
(小森栄治:1956年埼玉県生まれ、埼玉県公立中学校教師を経て日本理科教育支援センター 代表。
89年および03年に、ソニー賞(ソニー子ども科学教育プログラム)最優秀賞を受賞。埼玉県優秀教員表彰,文部科学大臣表彰,辰野千壽教育賞(上越教育大学)を受ける)

 

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子どもにとって学びあいがあり、教師にとって教えがいのある授業とは

 左巻健男先生の小中学生の頃は友だちもいない、人間関係がへた、勉強はしない、野性的に過ごしていた。
 授業中、ノートの余白にマンガをかいていた。しかし理科は好きであった。
 高校に入学したが、自分の実力よりレベルの高い高校に入ったため、落ちこぼれた。
 高校1年の1年間で背が20cm伸びて、180cmになった。
 人間関係がへたでも、できる仕事は何であるかと考えた。
 将来は科学者になろうと高校2年生のとき一年間集中して勉強し、中学校からの復習と高3の内容を独学した。
 高校3年生の一学期の中間テストの時期に、クラスの生徒に数学の解き方のコツをプリントして伝えた。
 すると「左巻の作ったプリントわかりやすいぞ」という友だちの声があった。
 自分の学んだことがみんなのためになり、そのことが自分の喜びになった。
 担任の先生が「このクラスに自分の力を出してくれた生徒がいる。それがうれしい」と言われた。
 それで、千葉大学教育学部に入学し、教師になろうと思った。
 教師になって「これはおもしろい」と思うような授業を考えた。たとえば、
 カルメ焼き、ドラム缶を大気圧でつぶす、ポリ袋の熱気球、液体窒素の実験などである。
 教師になって最初の授業は大事。
 授業の展開を頭の中でシミュレーションしていた。
「未知への探求」という言葉に表されるような授業というのは、教師でさえも、いったいどうなるんだろうなというワクワク感がなければいけない。
 若さと意欲は生徒に伝わる。一つの授業を毎回変えた。
 一つの単元でいくつかの方式、たとえぱ、コミュニケーションを取り入れた理科教授法の「仮説実験授業」と「極地方式」などを行った。
 同じようなことをしていたら自分はだめになる。理科教師の10か条の10番目は、
「自己満足とマンネリを常に自戒し、何か新しいことにいつもチャレンジすることができる」である。年を取ってもこうあり続けたい。
 12日間かけて東海道を歩いた。これも「未知の探求」。
 本を書くのも「未知の探求」。
 新しいものを取り入れると授業の展開が変わってくる。たとえば、
 新任教師の頃、5万円で買った青銅鏡を見せた。
 江戸時代には鏡みがきの職人がいたんだよという話をする。
「今の鏡はどうなっているのかな」今の鏡を調べさせる。
 学んだことが生活に結びついてくる。
 電気を通す金属かを調べてみる。金属元素は元素全体の8割。金属の実物を見せる授業。
 熱膨張の授業で、
「五円玉を熱すると、五円玉の穴は大きくなるか、小さくなるか、変わらないか」
 問う。
 どの答えが多数派となるか(状況判断)。自分はどう思うか。
 自分の考えに自信があるか(自信度)。
 どういう点に自信がないかを聞く。
 球を熱すると膨張する、10円玉も熱すると膨張する。
 五円玉も同じ事なんだと認識できることが大事。
 答えは大きくなる。
 自然界というのは原子と真空から成り立っている。温度があがると原子が激しく運動する。なわばりが大きくなる。
 授業とは、
「学びは共同体学習、集団でするものである」
「教師の責任はいい授業をすることではなく、子ども全員に学びを保障すること」
「やわらかい口調で子どもたちに語りかければいいんだよ」
「一時間が終わったら『おもしろかった』といえるような授業にしたい」
「教師にとってやりがいがあり、子どもにとって学びがいがある授業は、少しでもチャレンジする授業である」
「小出しせずに最初にぶつける」
「その場でおもしろい内容を。学び終わったら、高度な疑問がわいてくるような授業」
「授業の評価は、教えたことがわかっただけでなく、疑問を湧き起こしたかどうかが大事」
(左巻健男:1949年栃木県生まれ、埼玉県大宮市立中学校教師、東京大学附属中・高等学校教師、京都工芸繊維大学教授、同志社女子大学教授。法政大学教授を歴任した。専門分野は理科教育、科学・技術教育、環境教育)

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子どもたちは「勉強は役に立つ」と分かれば、勉強を好きと感じ、子どもたちは自ら勉強するようになる

 授業が楽しければクラスは荒れません。
 増田修治先生は「先生の授業が分からない」という理由が一因となって、学級崩壊するケースもあると指摘。
 授業の構成というのは、本当に難しいものです。たとえ部分的に面白くても、全体として何が導き出せるのか、という全体構成力がないとダメ。
 そうじゃないと本当の意味で授業は面白くはなりません。
 なにより、子どもたち自身が勉強を「面白い」と感じるためには、勉強が自分の役に立っているという実感を子どもたちに持たせることが必要だと増田先生は言います。
「勉強は自分の役に立つ」と分かれば、子どもは勉強を「好き」と感じられると思います。
 学ぶことが楽しくなる仕組みを作ってあげることが大切と増田先生は言います。
 たとえば、1年生で植物の種を植える授業では、増田先生はこんなユニークな試みをしました。
 ヒマワリの種を土に植えますよね。子どもたちに「どうなると思う?」と聞くと、子どもたちは「大きくなる」「増える」などと答えます。
「じゃあ…」と増田先生は言います。
「先生はお金を増やしたいから、100円玉を植えるね」と、
 子どもたちは毎朝、どうなるのか気になって、100円玉を植えたところに集まってきます。
 本物の種からは芽が出てきました。でも、当然のことながら、水をあげても、肥料をあげても、お金から芽は出ません。
「なぜ出ないんだろう」と増田先生が聞くと、子どもたちは「お金を植えて増えるなら、みんなお金持ちになっちゃう」「種とお金は違うんだよ」などと言い出します。
 ある子どもが「きっと種には秘密があるんだよ」と言いました。
「どんな秘密?」と聞くと、「種の中に、芽が出る秘密があるはず」と言ったから、芽が少し出ている種をナイフで切ってみました。
 観察して「この白い部分が芽の力になるものなのかなあ」「よく出来てるね~」などと話し合います。
 そこで、「じゃあ、種だけあればいいのかな? それだったら水栽培をしてみよう」と問題提起します。
 やってみても、水栽培では、ある程度のところまでしか育たない。
 すると子どもたちは「土にも秘密があるんじゃない?」「種の中のものを使い切っちゃって、土からもらうんだよ」と言い出します。
 みんなで話し合うことで、様々な可能性に気づいていきます。
 自分たちで考えながら、だんだん分かってくるから「勉強って面白い」となります。
「自分たちで考えさせて、一段一段登らせることが大切」と増田先生。
 ただ、膨大なカリキュラムをこなすためには、それぞれのテーマにそれほどの時間を割けないのではないでしょうか。
 小学校で教えなくてはいけない内容は、本当にたくさんあって、時間が足りないのは事実です。
 増田先生の場合は、軽重をつけていました。全部同じに扱っても子どもに力はつきません。
 特に子どもの「興味が強く、広がりのあるテーマ」はしっかり取り組みました。
 例えば、3年生で習う「磁石」も、その一つ。みんながよく遊んでいる、砂場での砂鉄集めから考えます。
 親が言葉がけを工夫すれば、知的好奇心を育てることは可能です。
 教師にはセンスも必要です。センスが良ければ3年目ぐらいで10年目の先生の力を追い抜くこともあります。しかもセンスは磨き続けないといけません。
 自分の持ち味を生かしてセンスを磨くのはなかなか大変ですけれどもね。
 授業の質はとても重要ですが、家庭でも親が言葉がけを工夫することによって、子どもの知的好奇心を育てることはできます。
 学校で習ってきたことについて「どうだった?」と聞いて、授業についての会話を引き出してください。
 子どもの説明が拙いものであったとしても、親が一生懸命聞き「へー、すごいね、そんなの知らなかったな、また一つ賢くなったね」と褒めてあげれば、子どもは「明日も授業をまた一生懸命聞いて、賢くなろう!」と思えるようになると思います。
(増田修治:1958年生まれ、28年間の小学校教師を経て白梅学園大学教授。NHK「あさイチ」に出演するほか、ニュース番組のコメンテーターとしても活躍)

 

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よい授業づくりをするには、どのように考えて授業をするようにすればよいか

 どんな教師になりたいか、どんな授業を目指すのかが明確でないとよい授業はできません。
 よい授業には、リズムとテンポがあり、子どもの動きは集中し、緊張感がみなぎっている。
 よい授業は、教師が全員の子どもに目を配り、動きを観察し、授業に張りがある。
 よい授業には、浄化作用がある。
 理想は、自分もやっていて楽しい授業。
 授業者に余裕がなければ、よい授業は生まれません。
 楽しい授業づくりを行うには、教師自らが学ぶ楽しさを知らなければならない。
 教材や方法を熟知し、それがあふれ出るようでなければ、子どもの動きを変えることはできません。
 子どもを主体にした授業作りを目指していきたいです。
 授業で大切なのは、子どもから学ぶことです。子どもの本音を引き出し、その本音から授業を作り上げていくことが教師の役割です。
 一流の授業ができるには、相手の気持ちを理解することが出来ること。そういう授業づくりを目指していって下さい。
 その場に応じた指導が出きるようになってはじめて、一体感のある授業ができます。
 板書しているときでも、教師は背中で子どもの空気を感じ、それに対応していく力が必要です。
 机間指導をしているときに、全体の雰囲気を感じながら、進め方を修正していくのです。
 子どもたち全員が出きるようになった喜びは大きいです。子ども同士の一体感、子どもと教師との一体感が生まれます。
 優れた演劇と同じような、感動のある授業づくりがしたいというのが私の長年の夢です。
 運動会のリレーで、声援をあげて応援する時には、子ども、選手、保護者が一体になります。
 勝敗は別にして会場全体が一つになります。そういうことを意識して演出していくことが、教育では大切なのです。
 授業で文句をいったり不平をいったりする子どもがいると、一体感を損ないます。きちんと指導していくことが大事です。
 教師の願いや思いをどのように教材化していくのかが、ネタ作りです。
 子どもに、生きる元気がでるというのは、最高の教材です。
 子どもに「元気」をもたらすことのできる教材づくり、授業づくりをしたいと思っています。
 到達目標がはっきりしていることが大事です。
 人間には得手不得手がある。
 勉強の得意な子ども、掃除の得意な子ども、作業の得意な子どもといろいろいる。
 一律に勉強だけを押しつけるのではなく、作業の好きな子どもはその面を伸ばしていけばよい。
 無理をして詰め込むのではなく、やさしい基礎・基本を指導して得意な面を伸ばしていくようにすればよい。
 大切なのは、子どもが楽しくできることである。
 みんなでワイワイしながら学習している中で、自然にできるようになっていくであろう。
 一人一人の子どもの、出来ない原因を分析していくことが大切です。
 子どものためを思って一生懸命に指導するのだが、効果はさほどあがらないのは、子どもが意欲を持っていないらである。
 授業で失敗しても失敗とは捉えない。やっているときは、私が一番と思うこと。反省は終わってからでいい。
 ネタを重視したシナリオが決まっている授業で、いつも私が思うのは、授業で発表できない子ども、意見を出せない子どもをどうするのかということです。
 そういう子どもが、何か意見を出せるような手立てを考えないといけない。
 自分が一番よかったという授業をモデルにして精進してください。必ず上達します。追試をして確かめていってください。
(根本正雄:1949年、茨城県に生まれ、元千葉県公立小学校校長。「根本体育」を提唱し,全国各地で体育研究会・セミナーにて優れた体育指導法の普及に力を注いでいる)

 

 

 

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「もう終わり?」という声がでる授業をするには、どうすればよいか

 筑波大学附属小学校の研究授業を見ることができた。
 久しぶりにすごい授業を見た。特に算数の田中博史先生の授業。
 田中先生と目の前にいる子どもたちは毎日こんな授業を行っているのだろうか。いわゆる名人芸。とにかくすごい。
 授業スタイルは昔ながらの教師一人と子ども全員との一斉授業だ。
 ワークショップ型だなんだと、そんなことを考える必要もない。
 教師の圧倒的な力は、授業の雰囲気を動かしてしまう。
 子どもの発言をそのまま受け取り、それを子どもに返す。
 気づくといつの間にか本時の学習問題になり、知らぬうちに解決場面へと導いてしまう。
 60分もやっていたのに「もう終わり?」「まだ話したいことがあったのに」という声が聞かれたのが何よりもスーパーな授業だった証拠だろう。
 田中先生は「先生のための夏休み充電スペシャル」と題し、お笑い芸人とのトークイベントを毎年開催している。その目的は、
「これは、お笑い芸人が、ライブで観客の心をつかむためにしている工夫や技術を授業の中で応用してもらうために始めたことです」
 実は学校や家庭で子どもに教える時も、お笑いの人たちの技術は使える。
 彼らは、観客の反応を見ながら「今日の客はこの話だとノリがよくないな」と思うとネタを変えている。
 学校の先生、そして家庭学習でのご両親は、その工夫をしないことが多い。
 本来は、今自分が説明しているここで、子どもがつまずいているなと思ったら、そこで立ち止まって軌道修正をしなければならないんです。
 しかし、多くの先生や保護者は、とにかく「ここまでやらせなければ、わからせなければ」で突き進んでしまう。
 せっかく子どもの顔が見られるのに、もったいない。台本通りやるのはつまらないです。
 とくに中川家の礼二さんの相方が兄弟ということもあって、台本をまったく書かず、その場の雰囲気でシナリオを決めることが多い。アドリブの達人です。
 礼二さんは、学校の先生も、目の前の子どもが眠そうにしていたら「これじゃ面白くない、問題変えようか、と動きながら授業をしたらいいのにな」と言っていました。
 子どもがボケてたらツッこむ。そんなお笑い芸人的な技術が備わったら、先生の授業力も一ランクあがったと言えるのではないでしょうか。
 家庭でもどうか、子どもの顔をよく見てツッコミを入れてください。子どもをいじる、時には親が間違えることで、子どもの注意を惹きつける。
 こんな親子の勉強のひとときは子どもにとって楽しい時間になりますし、説明役をたくさん引き受けた子どもの学びは、実のあるものになります。
 学校や家庭で、相手のタイプや状況に合わせてコミュニケーションの方法を変えることは重要な気がする。
「子どもの表情に合わせて、次に何をしゃべるか考える練習が必要なのは、学校の先生、家庭学習での親も同じです。さらに言えば、ビジネスでも同じだ」と思います。
 一つ、意外な秘技をお教えしましょう。家で職場で、子どもや部下にフィードバックする時、思っていることを表情に出さない。ポーカーフェイスを心がけてみてください。
 少なくとも「ここはどうして足したの?」と聞いた途端、子どもが書いた答えを消すのを見たら、あ、表情に出してはいけないんだな、と気づいてアクションを修正する。
 そうでないと、消して引き算に書き直して正解を出せたとしても、その子の本質的な学びにはつながらないんです。
 あくまでも表情に出さず、中立を心がけて「まずは顔色をうかがわせず、自分なりの考えで進めさせる」ことも重要でしょう。
 逆に自分の軸があって、基本的に自分で決めてやれるような部下の場合は、早いタイミングでアドバイスしても一向に構わないと思います。
 やり方は一通りではない。人の性格や個性によって付き合い方を変えないと、ポテンシャルを引き出せないんです。
 私は「初めての単元などで間違えるのはあたり前」とつねづね言っています。
 間違える回数が多い子どもの方が、幅が広がる。経験が増える。
 次のチャンスで、失敗を思い出して「あれをやって失敗したことがある、今回は避けよう」と応用がきく。
 いつも一発正解だと、限られた経験しかできないから、何をやったら失敗するかを学べないと思います。まちがいの経験が重要である。
 例えば、子どものまちがいのままに進めてみる。
「なぜ、30分は0.3時間じゃないの?」という、子どものまちがいにはどう対応したらよいか、を考えてみよう。
「なぜ、30分は0.3時間じゃないの?」という子どもの声に答える時に大切にしたいのは、まずは子どものまちがいの道筋を一緒にたどってみるということ。
「0.3時間と答えた子どものまちがいのままに、いったん先を進めてみる」ということです。
 私は、子どもが持っていたテスト用紙をいったん脇によけました。
 そして、手近にあった白紙の用紙を机にひろげ、
「なるほど。30分は0.3時間なんだよね」と子どもにたしかめてから、その紙に30分=0.3時間と書きました。
 そうしておいて、子どもに「じゃあ、40分は?」とたずねると、子どもはすぐに「0.4時間」と答えました。
 私は先ほどの式に続けて40分=0.4時間と書きました。
 つづけて「なるほど。じゃあ50分は?」と聞くと、「0.5時間」
「60分は?」「0.6時間」
 その子どもの言葉をひろって、私が「60分=0.6時間」と紙に書いたと同時に、その子どもは「あれ?」と声をあげました」
 そして、この後、この子どもは「60分は1時間なのに、0.6時間じゃたりない!」と自分で気づくのである。
 田中先生は言う、
「子どもには、まちがった答えを出すに至った考えがあり、根拠があるわけです」
「大人の説明が子どもに伝わらない、そういうときは、子どものまちがいのままに進めてみること」
「そうすれば、子どもが自分でそのつじつまの合わなさに気づく瞬間が来るんです」
(田中博史:1958年山口県生まれ、山口県公立小学校教師、筑波大学附属小学校教師を経て同副校長。全国算数授業研究会理事・日本数学教育学会出版部幹事,隔月刊誌『算数授業研究』編集委員、基幹学力研究会代表・算数ICT研究会代表。また「課外授業 ようこそ先輩」を始め、多数のNHK教育番組に出演。)

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優れた授業にするためには、具体的にどうすればよいのでしょうか

 すぐれた授業行為は、すぐれた教育技術に貫かれている。すぐれた教育技術は、すぐれた教育思想に基づいているのである。
 同じ教材で、同じ方法で授業をしても、人によって授業が異なるのは、力量の違いというより、教師の本質の違いであることが多い。
 まさに「教育は人なり」である。教師の本質とは、これまでの人生、個性・人生観の総和でもある。
 すぐれた教育思想は、その教師の人生によって培われた人生観の教育への照り返しである。
 すぐれた教育思想があれば、すぐれた授業が行われるというものではない。思想と行為の間には、大きな落差がある。
 すぐれた教育思想とは、
(1)教師はすべての子どもの可能性を信頼すること。子どもの個性、力量をよりどころとすべきである。
(2)教師はすべての責任をまず自分自身に帰すべきである。教師は絶え間なく反省し、常に修業し学び続けるべきである。
(3)教師はすべての子どもに生きていく勇気を与え、生きぬいていく知識と知恵と技を育てなければならない。
 授業が良いか悪いかの判断は、つぎの問いを自分自身に向けるのである
(1)子どもを本当に信頼しているといえるか
(2)本当に育てていると言えるか
(3)本当にすべての子どもを対象としているか
 教師のすぐれた授業中の行為は
(1)子どもの力をひき出す
(2)子どもに知識や技を教える
(3)子どもに知的興奮を与える
(4)子どもを包み込む
 教師は、子どもをやる気にさせ、自分から挑戦させ、追求させるようにしなくてはならない。
 すぐれた授業の具体的な授業行為は、
(1)教える内容が明快
 すぐれた授業は、教える内容が明快である。
 話しは整理され、短く明快に。文章は読みやすく、分かりやすい。
(2)教え方のポイントをふまえている
 教師はつまらない下手な説明をやめよ。問いと指示を出し、子ども自身に考えさせよ。
(3)発問の目線を低く
 目線が低い発問は、易しい問題だ。ゆっくりやると授業が濁り、だれる。
 だから、テンポを速くするのである。そして「変化のあるくり返し」して、たたみこんでいく。
 そして、一気に、本質の、むずかしい問題へ飛躍するのである。
(4)授業はリズムよく
 教師はできる限り明確な、よけいな言葉のない話し方をせよ。
 発問と作業指示が明確ないい方をせよ。
 授業のリズムをこわす原因は、一つひとつの指示、発問、解説が長すぎることだ。
 どうして、長くなるのか。よけいな言葉をつけ加えるからだ。発問は何を聞いているのか、どうするのかはっきりしない。               
 スッキリとした、明快な言葉つかいを教師はすべきなのである。
 指示はつぎのように、動きを生き生きとすること。
(1)指示・発問は短く限定してのべよ
 限定して、語尾をにごらせてはいけない。
(2)子どもが変化する言葉が必要
 どういう言葉によって子どもが変化するかは、自分でやってみるのが一番良い。それが身につけていく基本である。
 自分自身が苦労した体験がないと「言葉だけ」を知っても、身につかないのである。
(3)一度動き出した集団を、追加修正で変更させることは、よほどのことがないかぎりしてはいけない。
 一つの指示をして、子どもが動き出したら、修正してはいけない。クラスがぐちゃぐちゃになってしまうからである。
(4)まず、たった一つの明確な指示を与えよ。それができたのを確かめてから、第二のたった一つの明確な指示を与えよ。
 これを身につけるのは容易ではない。私は10年かかった。言葉を知ることと技術の習得は別である。
(5)指示の意味を短く語る
 10分も20分も指示の意味を語ったら、聞いてる方もだらけてきてしまう。
 たとえば「教室をきれいにします。ゴミを10個ひろいなさい」この程度でいい。
 短く、スパッと言うのがいい。こういう一言こそが、子どもを育てていく。
 子どもを動かす秘訣は「最後の行動まで示してから、子どもを動かせ」に尽きる。
「最後までどうやっていくか」ということが分からないから、子どもは場当たり的に行動するのである。
 子どもを動かす法則を補足すると
(1)何をするのか端的に説明せよ
(2)どれだけやるのか具体的に示せ
(3)終わったら何をするのか指示をせよ
(4)質問は一通り説明してから受けよ
(5)個別の場面をとりあげほめよ
 子どもを動かすのは、教師の人格と技術である。
 感性の鋭い子どもを動かすには、子どもを深く理解しようとする意欲を持つ教師の人柄と関係する。
 子どもを動かす技術の習得には年数がかかる高級な技術である。
(向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる。著作多数)

 

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教師が「優れた授業をする」「生徒に人気が出る」ために大事なこととは何か

 まず第一に、自分の専門教科に精通すること。
 ただ単に答え合わせをするな。自分流の教授法の確立。いわゆる教科の商品化である。
 たとえば、長文恐怖症を吹き飛ばす速読速解法。簡単に解けちゃう数学など、生徒の目線でタイトルを考えること。
 授業をストーリーに組み立てよ。
 まず、授業の導入。今日は何を教えるのか、徹底してプレゼンすること。
 大事なことを最小に絞れ。
 最悪の教師は、全部大事だと言って、最後までべたべた、だらだら。眠くなる。
 生徒に「今日は何を勉強したの?」と尋ねたとき「英語、数学、国語を勉強した」と言わせたら、その授業は失敗である。各教科の具体的な項目を言わせることだ。
 もっと思い切って、これを覚えれば、後は忘れていいぞというぐらいのことを言え。
 プロの教師とアマチュア教師の決定的な違いは、教える内容を切って捨てられるかどうかである。
 もちろん切るには、プロとして、切っても大丈夫という確信と、過去のデータを熟知しておかねばならない。
 わかりやすく、繰り返すことで、知識が定着する。そこで生徒は、わかることの喜びを体験する。
 そして、エンディング。
 もう一度、今日の重要事項を繰り返して確認する。
 そして、次回の予告をして、次回も受けなければ、「せっかく今日覚えたことが無駄になる」と、ある種の不安感を抱かせる。
 要するに、腹八分で終わることだ。生徒は「わかる」ことの喜びを期待している。
 教科書をシナリオに。
 教師が予習する段階で、授業は終わったも同然。
 答えの列記は予習ではない。結構、答え合わせだけの教師が多い。
 シナリオ作りとは、
(1)教科書にその日の授業の流れを明記する。
(2)授業の初めに、その日のテーマをまず知らせる。
(3)次に強調するテーマを示す。
(4)そして授業の展開に入っていく。
(5)大事なことは、単なる答え合わせの説明ではだめ。
 答えを導くのに、なぜ、この答えなのかを立体的、論理的に説明し、その教師の個性を生かしたテクニックを駆使する。
 一つの問題に一つの答えを出すだけでは広がりがない。その問題、答えの背景を示すことだ。
 出題者は何の根拠もない問題は100%出さない。必ず、意図がある。出題者の意図を見抜け。
(6)授業の合間に、できたら、教科書の内容に沿ったエピソードを入れれば動機付けになる。
(7)全部教えるのでなく、腹八分で終わることだ。
 来週につなげることで、来週も受けなければ損をする、ある種の不安感を持たせること。これは難しいが、挑戦してもらいたい。できればプロである。
(8)エンディングは、もう一度今日の重要事項を再度確認。来週の予告。
 授業をショウ(show)仕立てに。授業は楽しくなければならない。
 お客様は生徒である。どれだけ楽しませるか、満足させるか。
 教えてやるんだという考えは即捨てよ。
 学んでいただくのだ。
 徹底したサービスである。これが、学校の教師との究極の差別化である。
 教科書をシナリオにした上で、パフォーマンスは大いにやるべきだ。
 わかりやすい授業、すばらしい授業、感動する授業の直後にパフォーマンスをする。効果的な演出になる。
 しかも短時間に。効果抜群である。
 亡くなった落語の名人、桂枝雀の緊張と緩和である。
 気をつけなければならないことは、やたらにやると生徒からブーイングが出る。
 雑談が多いという批判を受ける。
 パフォーマンスの種類は人によっていろいろある。
 自分の個性に合わせて、無理をしないで自然に出せるとよい。例えば
(1)笑い・ユーモア型パフォーマンス
(2)語りかけパフォーマンス
(3)ためになる説教型パフォーマンス
(4)ジーンとくる涙型パフォーマンス
(5)知識、知性型パフォーマンス
 生徒は変わらない、教師が変われ。
 学校であれ、塾であれ、教師は同じ生徒たちを毎日一年間教えることになる。
 自然と教師と生徒に飽きが始まる。
 生徒が悪い悪いという前に、教師自ら努力して己を変えよ。
 そういう意味で生徒が変わることを期待してはならない。
 教師が変わる努力と工夫が必要である。
 私は36年間、一度も授業で飽いたことはない。楽しいのである。
 今日はどんな授業をしようかと思うとわくわくする。例えば、
(1)今日は徹底して基礎をやろう
(2)難解な問題をわかりやすくやろう
(3)おもしろい話をしよう
(4)苦労した経験談をしよう
 ネタはいくらでもある。
 教師は教育以外のことから学べ。
 教師はもともと社会性が乏しい。
 生徒から「先生、先生」と、父母から「先生、先生」と呼ばれると何か、自分が偉くなったような気がする。
 特に、つい最近まで大学生であった若者が、教師になるといきなり先生と呼ばれると勘違いをする。何様だと思っているだと言いたい。
 生徒は社会性を親から学ぶ。教師は誰から学ぶんだ。
 一般社会でいろいろな分野で、それこそ汗水流して頑張っている人たちを見よ。
 親の悩み、子どもの悩みをもっと直視せよ。多くの人たちから学びなさい。もっと勉強しろ。
 教師は感性を磨かなければならない。
 感性が教師の最後の砦になる。
 情熱と努力ができれば、感性は身につく。
 赤ちゃんを見よ、わが子を見よ、若者を見よ、母を見よ、父を見よ、じいちゃん、ばあちゃんを見よ。必ず感性をくすぐる心がある、話がある。
 生徒の悩み、苦労、非行から学ぶときに、教師側に感性がなければ生徒と同じ目線に立てない。
 私は生徒を変えようと思わない。自分が変わろう。そして評価は生徒に任せよう。
 教師に限って人の話を聞かない。学ぶ姿勢、社会性がないのである。
 生徒に学べという前に、教師自ら学ぶべきである。
 生徒に「勉強しろ」というまえに、先生「あんたが、勉強せえ」
 人の話を真剣に聞け。そして真似よ。
 読書、音楽、映画、スポーツなど、仕事以外のすべてに関心を持て。
 私は、水泳、マラソン、カート、四国の88ヶ所巡り、熊野古道登山から学んだことは枚挙にいとまがないと言える。
 私は、生徒から学んだのである。
 だから人気があると自信を持って言える。
 教師自ら学ぶべきである。
(瀧山敏郎:元小学校・中学校・高校教師・教頭・予備校講師(代々木ゼミナール・東進ハイスクール)経て教師アカデミー主宰。元全国英語研究団体連合理事・京都私立中学・高等学校英語研究会会長。テネシー州等名誉州民)

 

 

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