カテゴリー「授業のさまざまな方法」の記事

「辞書引き学習法」で、子どもが辞書を引きたくてたまらなくなり、どんどん辞書を引くようになるにはどうすればよいか

 深谷圭助先生が「辞書引き学習法」を始めたのは、ある一人の子どもが国語辞典を机の上においてさまざまな授業の中で楽しそうに辞典を引いていたので、みんなでまねをしようかということからです。
 この学習方法の特徴は、自分で気がついて自分で調べる心構えができることです。
 子どもたちは気がついたことや疑問に思ったことを調べるようになっていきます。
 かな文字を習い始める小学校1年生から国語辞典を与えることで、日常生活における疑問や、子どもの生活上で登場するものやことを調べさせ、自ら学ぶ態度や自ら学ぶ学び方を習得させようとする学習法である。
 付箋紙に、辞書で調べた言葉を書き込み、辞書にはさむというプロセスに特徴があり、小学校1年生の児童でも、数千枚の付箋を辞書にはさむようになる。
 子どもが「辞書を引きたくてたまらない!」というところに持っていくには、大人の側の工夫、「種まき」が必要です。親や教師で上手な種まきをすれば、たくましい芽が伸びていきます。
 辞書を引きたくなる工夫は、 
1 引いた言葉に付箋紙を貼る
 1年生の辞書引き活動の最大の秘密が「付箋を貼る」ということなのです。
 1年生はものごとのとらえ方が単純で、「多い」「少ない」はわかりやすい。
 ですから、付箋を貼り、どんどん増えていくことは、子どもたちにとってうれしいことなのです。
 しかも付箋なら、自分のがんばりを、目に見える「量」として実感できます。
 達成感を感じ、さらに辞書引きに励むという好循環が生まれるのです。
 子どもたちは「言葉集め」というゲームに参加しているようなものかもしれません。
 付箋には、番号と調べた言葉を書き込むように指導します。
2 辞書のケースやカバーははずす
 辞書に対する抵抗が少しでも少なくなるよう、使いやすさを第一に考えましょう。
 カバーがかかっていれば扱いにくいですし、いちいちケースに入れていては、引きたいときにすぐ引くことができません。
3 つねに机の上にだしておく
 気になることがあったらすぐに辞書に手が伸びるよう、常に子どもの視界に入るところに出しておきましょう。
 学校では机の上、ご家庭でしたら食卓やリビングのテーブルのまわりに置いておくとよいかもしれません。
 深谷先生は辞書引き学習法のすすめかたをつぎのように述べています。
1 小学校一年生から始めるとよい
 小学校一年生は、言葉に対する興味・関心が非常に高まった状態にある特別な時期なのです。
 小学校入学前の子どもは、自分がすでに獲得して使いこなしている言葉と、自分の体験との間にギャップがあります。子ども自身は、見て知っているのだけれど、なんと表現したらよいかわからないといった状態にあります。
 ですから、小学校で自分の体験した言葉と出会うと、新鮮な喜びを感じるのです。まるでスポンジのように新しい言葉をどんどん吸収していきます。
2 辞書を自由に使わせる
 一年生に辞書を持たせると、何が書いてあるか興味しんしんで、辞書を調べるというより、いろんなことが書いてある読み物なのです。
 辞書というのは、世の中のことを簡素にのべようとしています。だからこそ、子どもにも訴えるものがあります。
 その説明を読むこと自体を楽しみます。子ども向け辞書にはイラストが多く、眺めているだけでも楽しいものです。
 自由に使わせて多様な活用の仕方を見つけさせることが大切なのです。
3 知っていることがどう辞書に書かれているかを知ることが学問との出会い
 子どもたちに辞書を持たせると、まず知っている言葉さがしにハマる子が多いのです。
 一年生の辞書の使い方の特徴として、すでに知っている言葉を探すというものがあります。
 ふだんの生活の中で見聞きしているものや、話している言葉、体験していることも、辞書に掲載されている。
 たとえば、自分が知っている“チューリップ”が、辞書の中で、説明されているようすに子どもたちは新鮮な驚きを感じます。
 これは、いわば「学問との出会い」、すなわち、世界を客観的にとらえる第一歩だといえると思います。
4 「学びのスタイル」を身につけることができる
 国語辞書は、生活の中で登場するあらゆる事柄や言葉を網羅しています。ですから、日常の中で子どもが疑問に思ったことをすぐ調べることができる、手軽なツールになります。
「疑問に思ったら辞書を使って調べる」ことが朝起きたら顔を洗うのと同じように、生活にとけこんでしまうのです。
 この「学びのスタイル」を身につけた子どもは、学ぶことを苦労と思わなくなります。
 生活を丸ごと網羅している国語辞典が、生活を知的にとらえ直そうとしている小学1年生の教材として最適なのを理解していただけると思います。
5 「自分だけ」の愛用の辞書を持たせる
 1年生が学校生活に少し慣れ始めるゴールデンウィーク前に「国語辞典購入の案内」を保護者向けに配布します。
 学校で一斉購入するのではなく、各家庭で、子どもに合った「わが子専用の辞書」を用意してもらいます。子どもといっしょに辞書を買うとよいでしょう。
 親が用意したものを手渡されるよりも、子どもが自分で選んだ辞書のほうが「自分の辞書」という愛着を感じられるからです。
 ただし、1年生にもっとも適した辞書は、総ルビつき、1万5千語以上収録の辞書で、辞書の本来の機能である語句の説明がしっかりとされていること。
 たとえば、「学習国語新辞典」小学館 19000語等があります。
 愛用の辞書を持たせるねらいのひとつは、好きなだけ線を引っ張ったり、付箋を貼ったり、書き込みをしたりと、子どもにどんどん辞書に手を入れていってほしいということです。
 各家庭であえて違う辞書を持たせるのは、同じ言葉を引いても、辞書によって説明の仕方は異なります。
 それで子どもが立ち止まり、考えます。「はてな?」を生み、いろいろな解釈を知り、自分なりの考えを追求する契機となり、探求活動のきっかけとなるのです。
 この点は非常に重要です。「自ら学ぶ力を育てる」うえでは、辞書によって書いてあることが違うことに気づかせる方が有効です。
 辞書がボロボロになっていけば、「自分はそれだけ勉強しているんだ」と誇らしい気持ちにもなります。
(深谷 圭助:1965年愛知県生まれ、愛知県公立小中学校教師、立命館小学校教頭、同校長を経て中部大学教授。こども・ことば研究所理事長、「辞書引き学習法」の提唱者)

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自宅のパソコンなどからインターネットを介し、いつでも自分の都合のよい時間帯に学習を進めるeスクールとは、どのようなものか

 早稲田大学人間科学部eスクールは、スクーリングを除くほとんどの課程をeラーニング(インターネットを通じた授業)で行う日本初の通信教育課程です。
 eスクールの授業は、時間や場所の制約に縛られない。
 つまり、一人ひとりの学生が自宅のパソコンなどからインターネットを介し、いつでも自分の都合のよい時間帯に学習を進めるというスタイルである。
 2003年に始まり、これまでに1500名以上の卒業生を送り出しました。
 講義をはじめ、レポート提出や小テストなども自宅のパソコンでOK。卒業すると学士(人間科学)が取得できます。
 教材は通学制の授業を撮影した映像をベースに、スタジオで新たに収録した動画や参考資料などを加えます。
 これを単元ごとに一定期間内であれば、同じ講義を何度でも繰り返し受講して理解を深めることができる。
 講義の受講をはじめ、電子掲示板での質問・議論、レポート提出や小テストまで、すべてインターネットでおこないますので、大学への通学が難しい人も自分のペースで卒業を目指すことができます。
 自分のペースで取り組むということは、ともすれば卒業まで孤独に頑張り抜くといったような印象があるかもしれません。
 しかし、実際の科目履修においては、クラスごとに電子掲示板が設定されており、履修学生同士による意見交換や教員への質問等のために双方向のコミュニケーション環境が整えられています。
 また、各科目には教育コーチが学びを支援してくれます。
 eスクールの学生は、30~50歳代の社会人が中心で、在籍人数の半分以上を占めますが、若い人は18歳から、上は70歳以上と、その裾野はすべての世代をカバーしています。
 そうした人々がeスクールで学ぶことを決心した背景は多岐にわたり、仕事に役立てたい、自分の仕事を学問的に見直したい、最新の知識を身につけたいといった具体的な動機から、自分の人生を見つめ直したい、夢を実現したいという抽象的なことまでさまざまです。
 eスクールは、社会に出て、新たに学びたいと思ったときにいつでも大学で最先端の科学と技術を学べる環境を整える役割を持っています。
 eスクール立ち上げから関わってきた野嶋栄一郎名誉教授は次のように述べています。
 eスクールを開始して改めて感じることは「社会人は優秀である」ということです。「私」が鍛えられているのですね。
 eスクールは、「対面授業ではないから通学生に比べ、ハンディキャップがある」と考えられ勝ちですが、これは大きな間違いです。
 講義は全く同じものであり、かつ、電子掲示板により個別の疑問に対応、議論は、リアルタイムではありませんが、24時間展開され、受講生全員が共有出来ますので、授業の中で展開する以上に、学びに広がりが生まれるのです。
 中には海外在住の学生や、社会人経験のある人が多く、議論の種となる経験が具体的でシビア、指摘が鋭い。
 ただ講義を受ける一斉授業よりはるかに質が高まる可能性が高いといえます。
 eスクールでは1講義につき最低1人、院生などが「教育コーチ」としてつき、講義後の電子掲示板での対応を行っています。
 eスクールの学生は、一人ひとりがウェブサイトの講義映像を見ながら学習を進めつつ、オンラインディスカッションで意見を交わして理解を深めていく、個人学習と協調学習である。
 従来、大学で一般に行われてきたのは、一人の教員が主導権を握って何かを伝える教え方である。
 例えて言うなら、馬にくつわを付けて「正しい方向はこっちだ」とぐいぐい引っ張るような教育でした。
 eスクールを進めるうちに、能動的な学びを引き出すのに適していると野嶋教授は確信しました。
 学生たちが行きつ戻りつしながらも、互いに触発しあって何かを見出していく。
 そんな授業の在り方こそが、人を成長させるのだという思いを強めました。
 そのために野嶋先生は、ある程度の方向性を示す以外は、あえて細々とした指導はしなかった。
 あたかも社会人が仕事を通じて能力を磨いていくような、自活力の高い学習の機会をつくりたかったのである。
 ネットワーク環境が能動的な学びを引き出すのに適していると確信した野嶋先生は、eラーニング、つまりインターネットを通じた授業で、キャンパスに通わなくても学位が取れる四年制のオンデマンド課程を創設しました。
 オンデマンドとは、一人ひとりの学生が自宅のパソコンなどからインターネットを介し、いつでも自分の都合のよい時間帯に学習を進めるというスタイルである。
 教員や学生同士がほとんど顔を合わせずに卒業する。そう聞くと、無機質で冷たい印象を覚えるかもしれない。
 だが、「実は、ネット空間のほうが対面式の教室よりも濃密なコミュニケーションが生まれる場合もある」と野嶋先生は言う。
 eスクールでは、個人ベースで受講する講義に加え、教員との質疑応答や学生間のディスカッションの場として電子掲示板が用意されている。
 また、教育コーチと呼ばれる指導助手が各科目に必ず一名以上付き、学生たちのさまざまな悩みや疑問に応じている。
 そうした多彩な意見や情報をネット上で受講者全員が分かち合うことで、限られた教室内での交流をはるかにしのぐ緊密な関係が築かれるのである。
 ある学生のほんの小さな気づきが、別の学生にとっては大きな発見になるかもしれないし、数多くの考え方に接することが、新たな知的関心を呼び起こすことにもつながる。
 そればかりか、自分の授業がネットで公開されるという緊張感が、教員にとっても格好の刺激となり、教育の質がおのずから上向くことさえ期待できるのです。
(野嶋栄一郎:1946年生まれ、福井大学助教授、早稲田大学教授を経て同大学名誉教授、パナソニック教育財団評議員)

 

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百ます計算は、どのような趣旨で生まれたのか

 百ます計算は、陰山英男先生が百ます計算を活用し、小学生の基礎学力向上に成果を見せたことにより話題となった。
 百ます計算は、縦10×横10のますの左側と上側に、それぞれ0から9の数字をランダムに並べ、1けたの数字の足し算、かけ算などのスピードアップを競う。
 教育現場に登場したのは1960年代。考案者は、神戸市で40年間の小学教師経験のある岸本裕史先生だ。
 68年の学習指導要領改訂で「詰め込み教育」が進み、岸本先生は「授業についていけない児童が多数出る」と、百ます計算を授業に組み込んだ。
 百ます計算のブームは、兵庫県朝来町立山口小学校の異変がきっかけである。
 岸本先生は、
「山口小学校は数年に1人程度しか有名大学進学者がなかった。ところがこの10年間、同小で百ます計算など反復トレーニングを集中的に実践。毎年、2割程度の難関大学合格者が出るようになった」と説明する。
 東北大学未来科学技術共同研究センターの川島隆太教授は、
「百ます計算や音読のときは、脳全体に血流が集まることが実験で明らかになった」
「小学生時に訓練された計算力や言語能力、記憶力、認知力は一生残る」と指摘。
 しかし、教育界には、小学生時の単純な反復訓練が大学受験時まで効果があるのか疑問視する声も多い。
 元教師の家本芳郎は、
「小学生の時につけた学力が、簡単に壊れることは長年の中学校教師経験で知っている。計算能力と考える知能は全く別ものだ。受験の学力を本当の学力と定義しているのが間違い」と言う。
 さらに、教師がストップウオッチ片手に子どもを競わせるスタイルも問題という。
 家本先生は、計算が早ければ偉いという一元的価値観を植え付け、受験戦争につながる。小学生の段階で、人との協調性より競争心を育てるのは時期尚早である。
 実は、百マス計算の生みの親の岸本先生も、考案の目的は受験対策ではなかった。
 詰め込み教育の、落ちこぼれ対策が出発点だったというのだ。
 百ます計算の利点は、勉強が苦手な子どもでも全問正解できる。
 自信をつけさせてくれた教師に、子どもは「先生、今度は何をすれば賢くなれるんや」と聞いてくる。
 理想論では、子どもたちは救えないと。
 教育界の百ます計算の批判に対し、岸本先生は、
「反復学習を批判するのは、自身が高学歴者ばかりじゃないか」と一蹴する。
「全国で学級崩壊どころか学校崩壊にまで広がっている危機的状況をみて、どう思うのか」
「子どもの能力を引き出すのは、子どもに基礎学力がある場合だけだ」
「勉強が分からないから、学校が楽しくなくて、荒れる子どもたちの悲しみが分かっていない」
 と反論する。
 競争が子どもの人格形成に悪いという意見については、岸本先生氏は、
「競争が駄目なら、運動会の徒競走で順位をつけるのも、コンクールで表彰するのもやめなければいけない」
「競争があってこそ、努力して成長できる」と言う。さらに、
「百ます計算で競争する相手は、友だちはなく、レベルが低かった過去の自分」
「教師が『よく頑張った』と褒めることで、みんなも祝福し、教室の雰囲気がよくなる」と。
(岸本裕史元:1930-2006年、神戸市生まれ、元小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)」(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)代表委員)

 

 

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ユニット学習で授業をすると、子どもたちは落ち着き、どんどん力を伸ばしていきます(その1)

 西村 徹先生が小学二年生を担任したとき、子どもたちがなかなか落ち着いて勉強できずに困りました。
 ある時、東京の杉渕鉄良先生に「ユニット学習」を教えてもらいました。
 この方法で授業をすると、すぐに落ち着き、子ども達がどんどん力を伸ばしていきました。
 ユニット学習とは、45分の授業時間をいくつかの小さな学習で構成するということです。
「ユニット学習、おもしろい」と、子どもたちは思います。
 やっていただくと「やってよかった」と思われるでしょう。具体的に紹介していきます。
1 ことわざ
 公文式の「ことわざカード」を買いましょう。ことわざが62載っています。
 さまざまな教訓に満ちていることわざを覚えることは、日本語の語彙を豊かにします。
 このカードを使って、ユニット学習を始めてみましょう。
 やり方は簡単です。次のようにします。
教師「ことわざ学習をやりましょう。最初の言葉を言いますから、続く言葉を言ってください」
教師「犬も歩けば」と、カードを見せながら言います。
子ども「棒に当たる」と、子どもたちは言います。続けて10ほど、ことわざを言います。
 初めですから、簡単なことわざを選びましょう。
 大切なポイントは、ことわざ62全部を一度にしないでください。
 これをすると、教師も子どもも一度でユニット学習が嫌になりますから。
 つまり、1日に5つから10までのことわざにすることがポイントなのです。
 これだと1分で終わりますね。「もうちょっとやりたい」ぐらいで終わるのです。
 1週間、毎日、同じことわざを教えます。
 次の週は、違うことわざです。6週間かけると62のことわざが終わります。
 1回に1分。1週間では5分指導していますから、それを6週間すると30分です。わずか30分で62のことわざが覚えられるのです。
2 慣用句
 公文式のカードには「慣用句カード」もあります。62の慣用句が紹介してあります。
 慣用句の場合、意味を言ってから答えさせます。意味を言わないと答えにくいからです。
 たとえば「耳を」と聴いて、後に続く言葉はいくつか思いつきます。
 答えは「すます」なのですが、「うたがう」でも正解です。
 まず、教師が慣用句の意味を言います。
教師「声や音がよく聞こえるように、注意を集中して聞くことです」 そこでカードを見せて、
教師「耳を・・・」と言います。子どもたちは「すます」と言います。
3 四字熟語
 四字熟語の指導も公文カードを使います。
 字が小さいので教室の後ろまでよく見えるように、公文カードを元に、大きめで厚めな紙でカードを作ります。
 次のように指導します。四字熟語カードを見せます。
教師「弱肉強食」
子ども「じゃくにく、きょうしょく」と子どもたちが読みます。これを10ほど続けます。
4 難読語
 難読語の指導も公文カードを使います。
 これも字が小さいので教室の後ろまでよく見えるように、公文カードを元に、大きめで厚めな紙でカードを作ります。
 難読語カードを見せます。
教師「烏」
子ども「からす」と、子どもたちが読みます。これを10ほど続けます。
5 対義語
 対義語は受験参考書から取ってきます。
 これも字が小さいので教室の後ろまでよく見えるように、大きめで厚めな紙でカードを作ります。
 表に熟語、裏に対義語を書きます。それを続けて言わせます。
 熟語とその対義語をワンセットで覚えさせます。次のように指導します。
 対義語カードの表を見せ、すぐに裏を見せて言わせます。
「主観客観」と子ども達が読みます。これを10ほど続けます。
6 季節の言葉
 梅雨の頃は、雨に関する言葉を、冬には雪に関する言葉を覚えさせます。
 難読語の指導と同じです。教室の後ろまでよく見えるように大きめで厚めな紙でカードを作ります。
 季節の言葉カードを見せます。
教師「時雨」
子ども「しぐれ」と子ども達が読みます。その後で、
教師「秋から冬にかけて通り雨のように降る雨」と意味を言います。これを10ほど続けます。
7 復習する言葉
 各教科の中には、単純に覚え込めばいい言葉があります。
 しかし、教科書で一度学習した後は、復習しませんから子どもたちは忘れます。
 それを、カードにしてユニット学習で何回か言わせると覚えることができます。
 やはり、少し厚めの紙に書いてください。次のように指導します。
 教師が復習する言葉カードの意味をいいます。
教師「遠くの海に出かけ長い期間行う漁は?」
子ども「遠洋漁業」と子ども達が読みます。 これを10ほど続けます。
 ユニット学習を経験して、ある5年生の女子は、次のように述べています。
「私は、カードユニットを続けていて、初めは読めなかった漢字でも大きな声で毎日読んでいると、自然に覚えていって、自然に身に付くんだと思いました」
「ことわざでも、初めは覚えていなかったけど、ことわざカードをやり始めると、初めよりたくさん覚えていきました」
「そして、スラスラ言えるようになり、こんなに言えるんだーと思いました」
「私は、ことわざカードユニットをやっているうちに、すぐ覚えられました。覚えようとしなくても、すぐ頭にうかんできました」
「そのうち、ことわざが、好きになってきました。難読語も同じです」
「それは、ほとんど毎日やっているからだと思いました。どのカードユニットでも、覚えようとしなくても覚えられるから便利です」
(西村 徹:1960年兵庫県生まれ、小学校在席6年間の校長は東井義雄先生。兵庫県公立小学校教師。「東井義雄の言葉 こころの花がひらくとき」(致知出版社)を出版。地元で、やぶ読書会・教育サークル「カセッタ会」、但馬掃除に学ぶ会・教育立志会を主催)

 

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授業が面白く、学校に来るのが楽しみになる、笑いのある授業をして授業力をアップをする方法とは

 田中光夫先生は「お笑い教師同盟」という団体に参加していました。
 そこでの田中先生の授業実践が評価されて、にTBSのイブニングファイブというニュース番組で実践が放送(2006年8月11日)されました。その授業は次のようでした。
 東京都羽村市の栄小学校3年3組担任の田中光夫先生は、国語の授業を行った。
 授業が始まると、突然、携帯電話が鳴り響いた。
「あ、わかりました。今すぐ向かいますので」
 電話を切った田中先生は子どもたちにこう切り出した。
「ごめーん、先生きょう急用が入っちゃった。代わりの先生呼んでくるね」
 そう言い残して教室を出て行った田中先生。
 後を追ってみると、廊下でおもむろに着替えを始めた。
 その直後、教室に入ってきたのは髭を生やして帽子とサングラスをつけた怪しい男性。
 田中先生が映画監督に変装してきたのだ。
「ここがオーディション会場かな。この夏の映画“夏の田中”のオーディションを行いたい」
 こう言って始めたのは、教科書を読む音読の練習だった。
「用意!アクション!」「夏の思い出…」
 田中“監督”の合図と共に、子どもが1人ずつ教科書を読み上げていく。
 途中で引っかかると
「カーット!台本をしっかり読み込んできてください!」
 という声が教室に響き、子どもたちからは大きな笑い声があがる。
 田中先生がこうした授業を始めたのは、月曜日の朝にクラスの雰囲気がいつも沈んでいることに気づいてからだった。
 田中先生は、
「ちょっと簡単なネタをやったところ、月曜日の最初からテンションがあがって授業がスムーズにできたことがあった。その時に『ああこれは使えるな』と思ったんです」
 “笑い”を授業に取り入れたことでクラスの雰囲気が明るくなり、子どもたちの様子が大きく変わったという。
 田中先生は、
「授業の中で『まちがってもいいんだ』『先生がうまくフォローしてくれるんだ』という気持ちを子どもたちがもてたようで、今まで静かにしていた子も、特に女の子がどんどん発表するようになりました」
 子どもたちに田中先生の授業の魅力を聞いてみると、
「普通の授業より、いろんなことができるから楽しい」
「田中先生の授業が、いつも面白くて、学校に来るのが楽しみになった」
 田中先生は、教師が授業力をつけるには、どうすればよいかを次のように述べている。
 授業の実践力をつけるには、実際に授業を見させて頂くのが一番いいですが、なかなかそんな時間はありません。
 田中先生は、本とか教育サークルとか。身のまわりのもの全てを「これ授業で使えるんじゃない?」という視点で見ています。
 そして、学んだ事を授業で実際に行う。
 サークルや本、インターネットなどで見つけた「これ面白そうだなぁ」「子どもたち、喜びそうだなぁ」「力がつけられそうだなぁ」というものを、授業でまねをして、追試(ついし)を行います。
 お笑いのネタの情報源は、田中先生の場合はテレビです。コマーシャルは子どもたちも大好きです。
 自分で授業の教材(ネタ)を探してきて、研究して、実際に授業してみて、記録して、反省して、また授業して、時に先輩教師にみてもらって、ダメ出しされて、でもまた教材研究していきます。
 その繰り返しを行うことで、初めて教師は力をつけます。
 これをさぼると、ダメダメ教師になってしまう、怖い怖い。
(田中光夫:1978年北海道札幌市生まれ、東京都公立小学校教師(14年間)を退職後、フリーランサーの教師(公立・私立学校で病気休職の教師に代わり学級担任を行う)になった。全国で教師の働き方改革を進める「アクティブ・ワーキングセミナー」を開催。イラストレーターとしても活動している)

 

 

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読み聞かせ合う学級づくりと、私の実践の根を太くしてくれたこととは

 石川 晋さんは、学生時代から教育系のサークル活動に取り組み、自信を胸に教壇に立ちました。
 しかし、初めて授業を持った中学校三年生の教室は、授業にならなかった。
 立ち歩き、授業妨害、トランプをする、「談笑」しつづける、激しく反抗し、時には机を投げつける。
 担任の先生が、何度も家庭訪問をしてくださるが、状況は好転しない。くやしさとみじめさに身の置き場もなかった。
 最後に教室に持ち込んだもの、それが「絵本」だった。半ばやけくそであった、と思う。
 石川さんがこの時、教室に持ち込んだ絵本、それは『急行「北極号」』(河出書房新社)である。ゆっくり読むと15分以上かかる作品だ。
 教室の前の席に座り、絵本のカヴァーをはずし、おもむろに読み始める。
 生徒はいつものように立ち歩きしているが、もうお構いなし。ひたすらただ読む。
 するとナント、立ち歩きしている男子たちがいつのまにか、読んでいるぼくの前に座って聞いているではないか。
 最初の5分で、騒然とした学級が静かになった。
 ふだんは大騒ぎをする男子生徒が、かぶりつきで読み聞かせを受けた。
 読み終わると拍手が…。
「石川、こういうんならまたやってもいいぞ」とかぶりつきの生徒がいった。その場面を今でもはっきりと覚えている。
 さらに「物語」の読み聞かせをしようと考えたきっかけは、大西忠治氏の文章との出会いである。
「読み聞かせの継続が教師を鍛える」というその文章に大変引きつけられた。
 今まで読んだ物語の中で、圧倒的な支持を得たのは、森絵都『宇宙のみなしご』(講談社)である。
 出会った時「あ、これだ」と思った。
 読みながら、夜ごと屋根に登る少年たちの姿が目に浮かんでくる。
 毎日五分間ずつ国語の授業の最後に読み聞かせた。生徒には大好評であった。
 教師には、学級づくりや授業づくりの中で伝えたいメッセージがある。
 でも、それが生徒の中になかなか通っていかない。
 しかし「読み聞かせ」で絵本や物語をはさみこめば、伝えたい内容が伝えたい相手に届くまでに「緩衝物」が入る。
 柔らかく教師からのメッセージを伝えることができる。
 強圧的な指導に従わない生徒の心に届く理由があるようだ。
 しかも、生徒も教師も気持がいい。本当に読み聞かせはすぐれた手法なのだ。
 生徒の誕生日には、仲の良い友達からの手紙を学級通信に載せることにした。
 本人から朝の会で直接読んでもらう。読む方も聞く方も照れくさい。
 だが、本人の肉声によって初めて伝わるものがある。ことばが輝いている。
「絵本」の読み聞かせも、生徒同士でさせたい。
「読み聞かせ合う」ことで、「聞き手」への関心が広がる。
 聞き手への関心の広がりが関わり合いの心を育てていく。
「読み聞かせ」は人生を豊かにし、人と人とをつなぐアイテムにもなるのだ。
 好きな絵本を読んで聞かせることの素晴らしさを体験した生徒は、大人になった時、きっと絵本を自分の子供達にも読んであげたいと願うはずだ。
 私は、教師になった当初は、向山洋一さんの法則化運動の影響を受けて、授業記録を書きつづりました。
 授業をいくつかに区切り、教師や生徒の発言や所作を克明に記録して、自分の分析を加えるという形式でした。
 それをサークルに配布して意見をいただくことを繰り返したことは、自分の授業力向上のために決定的な役割を果たしたと断言できます。
 書くことと並んで重要なことは、読むこと、聴くこと、対話すること、そして楽しむことでした。
 教師になってからは、教育書、詩集、絵本などを一生懸命読みました。何しろ私は「読み聞かせ教師」でしたので、教室でも絵本や物語をたくさん読み聞かせしていました。
 音楽はクラシックから洋楽、邦楽なんでも聴いていました。苦しいときに、自分を助けてくれたのは、ちょっとしたユーモアや笑顔と、すてきな音楽だったと思います。
 そして、とにかくたくさんの人と「対話」してきました。様々な市民運動に参加して、直接、学校教育とはかかわらない様々な職種の人たちと、いろんな話をしてきたことが、教師になって10年を過ぎたことから、教室に役立つようになってきました。
 楽しさをベースにした、書く、読む、聴く、対話する、楽しむといった営みが、知らず知らずのうちに、私の実践の根を太くしてくれたのではと思います。
(石川 晋:1967年北海道生まれ、北海道公立中学校教師。NPO法人授業づくりネットワーク理事長。教科指導と学級経営の連動を意識した読み聞かせ活動を展開中。また、教師の学びの場づくりを精力的に展開中である)

 

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授業でどの子どももできるように机間指導するときの「○つけ法」とは

 愛知教育大学教授である志水廣先生が開発された「○付け法」とはどのようなものでしょうか。
 教師が授業中に「できた子どもからノートを持っておいで」という指示は、できない子どもはノートをもっていくことができません。
 教師が本当に手立てをしたい子どもは、できない子どもだと考えます。
「○付け法」は机間指導して、どの子どもにも手立てできるようにと教師が働きかけるのです。
「○付け法」とは、子どもが問題に取り組んでいるときに、教師が机間指導して、解決過程や結果に対して、ノートに○をつけていく方法です。
 即時評価し指導するのが基本です。
 ○をつけるが×はつけない。
 教室の空気が一気によくなりやる気になります。
 ポイントはスピード、声かけです。
 ノート等に問題を解く場面や気づいたことをかかせる場面で、子ども一人ひとりに対して、赤色で○をつけていく方法です。
 教師が子どもの机を回り、○つけ、声かけ等の支援を行いながら、全員の反応を把握していきます。
 子どもに〇をあげる、言い換えれば、子どもを〇にして学校から帰すのが教師の役割です。
 子どもを×にして、×の思いを持たせて帰してはなりません。
 このことを全国の教師に対して訴えたいのです。
 志水式「○つけ法」の精神は、子ども全員が「わかる」「できる」授業を保障することである。
 子ども一人一人に対して赤色で○をつけていく方法である。誤答に○はつけない。
 目標は全員に○をつけることである。「できる」ことの保障である。
 ○つけ法は指導と評価が一体化する技法である。
 授業の導入で、復習や適用題の場面では30人3分間で○つけすることが可能である。
 自力解決問題では7分間で30人の○つけを目標とする。
 〇つけのスピードは、正答だと一人5秒,誤答だと一人15秒の声かけが目標である。
 一人に30秒以上の個別指導をすると授業の集団が壊れます。
 声かけは重要で、声は大きく教室中に広げる。
 子どもの実態はデジカメのように記憶し把握する。
 ○つけ法のよさは、子どもの立場からは達成感,称賛が得られる。
 教師の立場からは、つまずきに即時指導すると、教室の空気が一気によくなる。やる気になる。
 〇つけ法の前提条件として、9割の子どもが解決への見通しを持っていること。
 ○つけ法の練習は,適用題や復習題からやってみる。スピードがついたら自力解決問題に挑戦してみるとよい。
 適用題とは,問題解決の方法を知っている状態である。例えば,筆算のひき算の手順をあてはめていって解決していく。つまり「わかる」の段階は済んでいて「できる」「身につける」ことにねらいがある。
 自力解決問題では問題解決の方法はわかっていない。各自の解決の見通しにしたがって,解決していくことになる。
 それは,成功する場合もあれば,失敗する場合もある。これらをぱっと見て判断して、助言の声かけを出していく。
 自力解決問題での○つけ法は、見通しが正解になっているかどうかを確認し、○つけする。この方法で9割の子どもが見通しを持つように高める。
 とりあえず3分間頑張って○つけ法をして,その時点で,○つけ法を続行するか,一斉指導に戻すかを判断する。
 ○つけ法がしやすい場所を視覚的に特定しておく。
(志水 廣:1952年神戸市に生まれ、神戸市公立小学校教師、筑波大学附属小学校教師を経て愛知教育大学教授。 大学で学部生に算数・数学教育の教鞭をとる傍ら、各地の小学校・中学校のコンサルティングをし、各地の算数・数学の研究会の指導にあたっている。また、授業力アップのための教師塾を開催している)

 

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授業の目的は、子どもたちが受動から能動になるようにすること

 正木孝昌先生の偉いところは,毎日授業のテープを聴いていたことだ。
 名人と言われる人が毎日聴いているのである。そして,子どもの算数の世界に突入している。
 名人技は,日々の授業の反省から始まると行っても過言ではない。
 授業は、子どもたちを必ず受動から能動にしなければならない。
 授業で一番大切なことは、目の前の子どもたちが「生きている」かを見定める目があるかどうかである。
「生きている」ということは、何か物事に働きかける姿。言い換えると能動的になること。
 すなわち、授業の目的は子どもたちが能動的になることである。
 新学期の最初の授業に先生が子どもたちに声を掛ける。
 その場面では、全ての子どもが必ず手を挙げる質問でなければならないということです。
 このことを1年間続けたら、必ずその授業が好きになります。
 それはなぜかというと、子どもの立場に立ってみたら、授業の最初の質問で「分からない?」という気持ちになったら、残りの授業を不安な状態で受けることになってしまいます。
 子どもとは本来受身であるから、最初の質問は誰でもが分かるものにして、彼らを積極的に参加させる下地を作って授業を展開していくことが大事でしょう。
 子どもたちが受身の状態から積極的に授業に参加していくことにより、子どもの方から問題への働きかけを引き出すことができます。
 その結果、授業が楽しくなる。こうした一連の授業の流れを頭の中に留めておかなくてはいけないんじゃないでしょうか。
 授業は2段階です。スタートは受動的、それが能動となる。
 受動から能動とは、漠然としたものを明確にすること。
 微妙な違いのものを与えると、既習したことを使っていろいろな方法で調べだす。つまり能動的になる。
 その順序は、
(1)問題を与える(受動)
(2)問題を解く。命令されて動いているだけ。この段階ではまだロボット状態。
(3)解くうちに何かに気づく。
(4)今まで見えなかった「きまり」が見えてくる。
(5)いろいろな数で確かめようとする。ここでは、もうロボットではない(能動)
 授業は、必ず受動から能動にすることが必要。これは教師が作らなければいけない。
 例えば、
 
「今日から分数÷分数の計算を考えたい」
 「今の自分でも、自信をもって計算できる分数÷分数の計算ないかな?」
  と問いかける(受動)
 初めて学習する場面だが、わり算の意味と分数のイメージをもとに考えてみると、結構できるものがたくさんある。
 初めての問題や困難な問題に出合ったときに、自分に何ができるかを自ら問わせる。
 これから挑戦する問題に対するひとつの手がかりを見出すという意味で大切である。
 できないもどかしさを感じると、子どもは能動的になる(能動)
 また、「まちがい」を誉めないとだめです。まちがい大歓迎!
 例えば、ある子どもが、
「時速12kmで進んでいる自転車が、30分で何km進むことができるでしょうか?」
 という問題があって
「12×0.3=3.6km」という答えを出したんですよ。
 すごくいいですよね。
 1mが12円のテープが30cmだと「12×0.3=3.6円」と同じように考えたんですね。
 実際には間違いなんだけど、一人が間違うことによってみんなが気づく。
 そのことによって子どもたちの授業に対する働きかけが生まれてきて、
「じゃあ40分だったらどうなるの?」、「小数にならないよ。」
 とクラス中で話し合う。
 そうすると「12×2/3」という式がでてきます。
 分数の掛け算という新しい単元学習のきっかけが、ひとつの間違えから始まった。
 もし間違いが駄目だ、恥かしいという空気が教室で漂っていたら、このような授業は絶対にできない。
 子どもが間違ったとき、必ずいいものがあるんです。
 人間というのは間違いがある。
 わからないことがあるから正しいことが分かる。
 このことを教室の中で一番大事にしなければいけないと思います。
 算数はやっぱり楽しくなければならないですね。
 算数の楽しさとは、そこに問題があって働きかけていく楽しさだと思うんです。
 働きかけていくというのは相手を変えていくということです。
「2+4はなんですか?」と先生から問われて「6!」と答えるだけでは働きかけは存在しないんです。
「答えが6になる足し算はどんなものがあるかな?」という子供たちへ問いかける。
 すると、子どもたちは働きかけなければなりません。
 この答えをいっぱい集めていくことによっておもしろい決まりごとを発見していきます。
「7だったらどうなる?」「分数だったら?」というように広がっていきます。
 これが算数の楽しさなんじゃないでしょうか。
(正木孝昌:1939年高知県生まれ、高知県公立小学校教師、筑波大学附属小学校教師、國學院大學栃木短期大学教授、算数授業研究会会長、算数科の受動から能動への「二段階教授法」を提唱)

 

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授業で学習を進める主体は子どもだ、教えたいという教師はダメだ、子どもに教わることばかりだ

「俺は教えたい、という先生はダメだ。子どもに教わる。子どもは教わることばかり」
 と、問題解決学習の生みの親として知られる荻須正義先生はそう語った。
 そう語る荻須先生も、子どもたちに考えさせ、発見を導くために、相当の時間をかけていたと聞く。
 授業で学習を進める主体は子ども自身である。その授業への反応は授業中に子どもによって表現されるもので、言葉のほかに行動による表現も含まれる。
 指導案を作る場合、何を教えるかという内容に沿って、好ましい教材を用意する。
 しかしこれだけでは指導案は作れない。それぞれの時点での子どもの反応を想定し、それを軸にして展開する。
 だから、子どもの反応を想定できる教師の力量が必要になる。
 実際に授業をやってみると前もって想定したような反応はなかなか出てこないが、経験を重ねると少しずつ想定したことが的中するようになってくる。
 的中することで満足してはならない。その反応がどんな意識のはたらきから表れ出たものかを考えることが必要である。
 意識は外からは見えないが、反応を手がかりに意識の流れを読み取るのである。それによって授業がより高次なものになっていく。
 適切な教材が用意されていれば、その教材によって教師の意図に沿って行動を開始する。
 教材が子どもの経験をたぐりよせ、それにふさわしいイメージを描き始めるのだ。
 例えば、天秤の授業で、子どもに棒を運ばせることから始めた。
 この棒は2メートルほどのものが適切である。2メートルもあると、長いし重いしで持ち方に工夫がいる。
 多くの子どもは、棒の中ほどの「つりあうところ」を持って運ぶ。
 なぜそこを持つかについてはもちろん無意識である。
 物を運ぶことは生活の中にいっぱいあるが、持つところによって何が起こるかについてはほとんど無意識に行動している。
 それを意識の中に持ち込んでやることによって学習は始まる。
 だから学習は無意識からの出発であり、子どもの経験からイメージを描く。
 ここに教材選択の大切な視点がある。
 棒を運ぶとき「持つ位置によって棒の重さが違うような気がする」という気づきから、意図的にいろいろなところを持ってみて、手に感じる棒の重さを比べるようになる。
「やっぱりそうだ。持つ位置によって棒の重さが違うような気がする」という気づきはより確かなものになって、意識の中に入り込んでくる。
 言いかえると、持つ位置によって棒の重さが違うというところに子どもの注意が集まったといえる。
 注意するものを対象の中から選ぶのは子ども自身であり、教師が指示してはいけない。
 この注意が持続するとき、関心を持ったといえる。
 子どもに関心を抱かせることは、授業を始める時点できわめて大切なことであって、これを「導入」という。
 棒は持つ位置によって重さが違うという事実の発見は、しばらくして子どもの疑問に変わる。
「おかしい、棒の重さが変わるはずがない。」と考えるようになるからである。
 手で持ち上げたときの感じは明らかに違うという事実と、棒の重さが変わるはずがないということの間に、ある子どもが矛盾をみつけると、それが次々とほかの子どもに波及する。
「きみもそう思うか、ぼくも同じだ」と、はじめの一人の子どもの気づきが、見る見るうちに他の子どもの意識の中に広がっていく。
 一人の疑問を共有するようになるからだ。
 このように、子どもの調べたいことが意識の中心部を占めるようになると、自我と調べたい対象とが対立するようになる。
 疑問をそのまま学習問題におきかえてしまうと、子どもの思考をさまたげるばかりでなく、子どもの意欲を衰退させる結果にもなる。
 これを学習問題として解決の方向に動き出させるためには、疑問に対して解決の見通しを持つことが必要である。
 その見通しを持つためには、2つの条件が考えられる。
(1)集団
 集団は教育には不可欠な条件であって、集団を離れて教育は存在できない。
 集団とは互いに認めあえる仲間で、集団の機能は互いに情報を出しあいながらみんなで考えることができるという点にある。
 この集団のはたらき、対話によって、関係づけられなかったものが関係づけられ、それによって意味づけをすることができるようになる。
 関係づけることによって生まれた意味づけは、その子どもにとって価値あるものとなる。
(2)学習の対象
 対象を見るときの認識のものさし(空間・純感覚・時間)も大切な条件になる。
 疑問は、関係づけようとしても関係づけられない状態、いいかえれば論理の組み立てられない意識の状態をさしている。
 対象から得た情報にもとづいて、自分で考えたことを集団の中で表出し、みんなで話し合うことによって疑問に対して意味づけができるようになる。
 その意味づけしたことが果たして正しいかどうか確かめれば、問題は解決できそうだという自信を持つことができる。
 そこに意欲の高まりを期待することができる。
 疑問を抱いた状態で「問題を持った」と判断してはならない。
 疑問に対してなんらかの関係づけ・意味づけがなされることによって解決の見通しが立った段階で、子どもが「問題を持った」ことになる。
 それには、集団での対話、そして対象(教材)を何度も見直し、情報を対話の中で役立てることを忘れてはならない。
 問題の解決は、まとめることによって終わる。
 まとめる仕事は教師がやってはならない。
 子どもにまとめさせることによって、子どもがどこまで理解してくれたかを知ることができるし、それは同時に自分の指導のしかたを評価することにもなる。
 持つ位置によって棒の重さが変わるということと、棒の重さは変わらないという矛盾は、棒を持つ位置と棒の重さ(手ごたえ)とを関係づけることによって解決の見通しが見えはじめる。
 手で持つかわりにひもでつるしてみると、どこをつるしても棒の重さは変わらないことがわかる。
 と同時に、つるす位置を先端に移すにつれて、棒の傾きが大きくなることを新しい情報として発見する。
 この傾きを平らにするには、別の力がいる。
 この力は、傾きが大きいほど大きくなる。
「うん、わかった。」と手をたたく。
 それを各自にノートにまとめさせ、何人かの子どもに黒板に書いて発表させ、よりよいまとめ方を話し合いで決めるように導けばよい。
 ひもで棒をつることが問題を解決してくれる。つり合いが入るからである。
 さらに、棒を肩に乗せて運ぶとき一番少ない力で運べるのは、平らになってつり合うところを肩に乗せればよいということにも発展する。
 また、支点の左右に物をつるしてつりあわせた場合に支点にどのくらいの力がかかるのかということにも発展していく。ただし、教師の支援の適切さが必要であることは言うまでもない。
 こうして授業がつぎつぎと発展し連続していかないと、認識の深まりは期待できない。
 発展・連続を可能にするのは、教材と子どもの思考のはたらきである。教材の選択が、まず何よりも大切なのである。
(荻須正義:1916~2008年、元東京教育大学付属小学校教師・常葉学園大学教授。問題や疑問を解決しながら理解を深めていく問題解決学習法を小学校の理科の授業で先駆的に実践した)

 

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生徒をやる気にさせるには1対1で向き合い、答えを教えず自分で見つけさせること

 中学1年生の英語の授業。
 いきなり英語で話し始めた。生徒を心から楽しませる。いわば準備運動である。15分後教科書を開かせた。
 英語を教える相手は中学生。田尻悟郎はまず「楽しませる」ことを大切にする。
 そのためには、あらゆる手を使う。ゲームやクイズ、歌や映画、そしてときには屋外での特別授業。
 巧みな話術と面白おかしい小道具、そして大げさなリアクションで生徒たちを盛り上げる。その姿は、まるで大道芸人のよう。
 漫才が好きだ。鏡の前で表情を作ったり声を出す練習する。
 しかし目的は、生徒を遊ばせることではない。
 授業を楽しませ、夢中にさせることで、慣れない英語を生徒たちの身近なものにしていく。
 英語を勉強することは、苦い良薬みたいなもの。そこに楽しさという糖衣をまぶすことが先生の重要な役割だ。
 田尻の譲れないこだわりは、生徒に答えを自分で見つけさせること。
 正解を教えない。生徒が答えを見つけるまで待ち続ける。
 正解をいわないまま授業を打ち切ることも少なくない。
 答えがわからない、教えて欲しいというストレス是非ためて欲しい。
 教えなければ、生徒は気になって自分で答えを探し始める。
 生徒をやる気にさせる方法は一つしかない。1対1で向き合うこと。
 子どもたちと一人ずつ対話する場面を意識的に作らなければ、彼らからの信頼を得ることはできない。
 しかし、一クラスの生徒はおよそ40人。どうやってその時間をねん出するか。
 解決策として考え出したのは、1対1で行う口頭の小テスト。
 単語の発音や会話の練習、あるいは短いスピーチなど、生徒と1対1で向かい合ってテストをする。
 そのなかで会話を重ね、その子のやる気を引き出していく。
 小テストをクリアして実力がついた生徒を先生役に指名して、ほかの生徒の1対1の小テストを全て任せる。 生徒同士での教え合いが始まるのだ。
 複数の先生を教室につくることで、教師は、それまで面倒を見られなかった生徒と1対1で向き合うことができる。授業に積極的でない生徒たちに直接指導する。直接、言葉を交わし合うことで生徒の心の扉を叩く。
 1対1で会話をしないことには彼らは信用してくれない。
 信じて、待ち続けるのが田尻悟郎流の人間育成法である。
 英語の知識を教えることだけはない。教える生徒は思春期の真っただ中に立つ。子どもから大人へと成長していく。接するなかで授業を通して大人になるための練習を課す。
 しかし、頭ごなしに生徒に「指導」することはしない。大切なのは本人が気づくかどうかだと考えるからだ。
 それまでは、ただ待ち続け、生徒を信じ続ける。友だちとトラブルを起こしたときや本人が気落ちしたときこそが、機が熟したとき。そのとき初めて動き出す。
 英語できるよりももっともっと大切なことは、自分一人が良ければいいんじゃない。生徒同士の教えあい。相手の気持ちをくみとりながら接すること。
 人の痛みを知る生徒になってほしい。悔しさ、みじめさ。それを味わっているから人の気持ちがわかる人間に。
 田尻の信念は「子どもたちの心を開き、やる気をたきつけること。答えは自分で見つけさせる。1対1で向き合う」こと。
 楽しめば、勉強が勉強でなくなる。
 教師が楽しそうに、夢中で一生懸命でいる姿は生徒に伝染する。
 田尻の若い頃はスパルタ教師だった。授業がうまくいかず、部活動の指導に入れ込んだ。
 スパルタ指導で野球部が優勝して結果を残すも、生徒たちに「先生への恨みから、勝とうとした」と言われ、田尻はショックを受けて、変わった。
 楽しいということが、ふざけて楽しむんじゃなくて、学習することが楽しいのなら良いんじゃないかと思った。
 ぴりっとした空気を持ちつつ生徒たちを盛り上げる手腕はすごい。
 厳しいだけではなく、優しく甘いだけではない。いかに学ぶ心構えを作るか、作ったそれを維持し続けるか。そのことをとても意識している。
 教師の目線が生徒と同じか下だと生徒たちが自分を出せる。
 教師が一方的に生徒を説き伏せても意味がない。本人が気がつき始めた、機が熟したタイミングに一声かける。  
 1対1の小テストに合格して先生役になった生徒が増えて来ると、田尻は教室を歩き回わる。勉強している生徒、生徒同士で小テストをしている生徒たちのようすをじっと観察している。
 教師はエンターティナーと思っているとの言葉のとおり、外に表れている田尻の姿と、内面、内心の計算、思考がかなり高速に動いていると思う。鋭い視線が、それを物語っている。
(田尻悟郎:1958年生まれ、神戸と島根県で公立中学校7校に勤務を経て関西大学教授。パーマー賞を受賞、『Newsweek』誌日本版の「世界のカリスマ教師たち」の1人に選出される)

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