カテゴリー「教師に必要とされる能力」の記事

教師は子どもや保護者との対人関係能力が重要となっている、どのようにすればよいか

 教師の仕事は子どもとの関係はもちろん、保護者との関係を抜きにして考えることはできない。
 最近は、子どもや保護者との信頼関係の構築が課題となっている。そうした点からすれば、人間関係の視点を正面にすえて教師の仕事をとらえ直す必要がある。
 全国の学校で目立ってきているのが保護者による教師へのクレームである。なかには無理難題を要求するようなケースがある。
 保護者のクレームには担任だけでなく校長が対応することが多い。ある小学校の校長が語った、ごく日常的なクレームの事例を次に示します。
 若い親はわが子のことに必死ですから、たとえば担任に次のような注文をつけることがしばしばあるのです。
「先日、運動会の短距離走を保護者席から見ていると、うちの子が一等のはずなのに、どういうわけか二等にさせられた。うちの子を一等にすべきだ!」
と言う激しい物言いにつられて担任がつい
「そんなことを今さら言われてもゴール到達結果はすでに判定されたわけですから、変更はできません」
などと返答してしまうと、水かけ論になってしまいます。
 確かに混戦だったので、眺める場所によって結果が違って見えたのかもしれません。しかし、問題は判定結果がどうかということよりも、その対応次第では保護者との関係がこじれてしまう点にあります。
 このクレームへの対処法について、校長は次のように語っています。
 このクレームに対しては、担任はとっさに次のような判断を下せるかどうかがポイントだと思います。
 注文の内容とその口調から、その親のわが子かわいさの気持ちの表れだと受け止め、親としての気持ちにそうことが第一だと判断する。
 そこで、その気持ちにまず耳を傾けるという態度を取る。同時に、短距離走の判定は係りが厳正に見て下していると明確に伝え、結果をいじれば当の本人も周囲もどう感じるだろうか、問いかける。
 そして、一等に近かったその子のがんばりを評価し、次の機会にまた挑戦しましょう、と励ます。
 こうした話し合いの手順を丁寧に踏んでいけば深刻なもめごとにはならず、おそらく保護者も最終的には納得してくれるはずです。
 この語りから、基本的な対処法を導き出すことができよう。
 まず、クレームに対しては、少しでも距離を置きながら冷静に接すること。クレームの背後に潜む本音は何であるかを探ること。
 保護者の欲求に共感しつつ、同時に学校の基本方針や判断も明確に伝えること、などである。
 こうした対処は、とりもなおさず保護者との信頼関係を、教師自身が最初から創り出していく手立てにほかならない。
 子どもや保護者に寄り添いながら、さまざなニーズに応え、抱かえる問題を解明し、問題解決に向けた手だてを講じて、子どもや保護者の生活を充実させ、喜ばれ満足するような関係を築きあげなければならない。
 そこで、この対人関係という視点に絞って求められる教師の資質・能力は
(1)
誠実な人柄で、個々の状況に応じて適切に対処できること
 その上で、個々の状況に応じて適切に対応できる対人関係能力を欠くことははできない。
 日常的なことばのやりとりなどを見直しながら信頼関係を図り、相手の潜在能力を引き出す、コーチング手法も参考となる。
(2)
対人関係能力は教職についてから、学校現場の経験によって磨くことができる
 人間性の資質に弱点があったとしても、経験を通じて習得される対人関係能力はある程度カバーできるだろう。
(3)
対人関係能力に決定的に問題があって、学校現場の経験をいくら積んでも対人関係能力を磨くことがきわめて難しい場合には、教職には不向きである。他の職種を選択したほうが当人にとっても幸せであると判断される。
 教師は常に研究し探求していく態度が求められていると思います。
 探究心がないと、授業の教材研究であれ、生徒指導、学級経営、保護者との人間関係であれ、教師の職務すべての領域で発揮される実践の原動力が弱くなり、実践すべてが振るわなくなるだろう。
(
今津孝次郎:1946年生まれ、名古屋大学教授・附属中高校長を経て名古屋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校臨床社会学、発達社会学)

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教師という職業柄、もっとも必須とされるスキルとは何か、保護者に信頼されるにはどうすればよいか

 教師は話すことを商売としていると言ってよい職業ですから、もっとも重要なのは「話し方スキル」ということになるでしょう。
 授業における発問や指示は「話し方スキル」が前提となります。子どもたちを指導したり、説得したりするのも「話し方スキル」が必要です。保護者会で学級の様子を報告したりするもの同様です。
 つまり、教師にとって「話し方スキル」を身につけることは必須の課題なのだということです。
 
「話し方スキル」というと、なめらかな話は、ときには嫌味に聞こえる場合がありますし、ウケをねらった話は誠実さを欠いた印象を与えることもしばしばです。
 教師が話すとき、わかりやすい、明快な、おもしろい話術は必要なのですが、ただ、うまい話が子どもたちや保護者に伝わる話し方ではない、ということは意識したほうがよいでしょう。
 営業成績のトップに立つような営業マンは、決してただなめらかに宣伝ができる人ではなく、実感のこもった世間話のできる人であったり、たどたどしい口調ながらも誠実に語る人であったりすることが多いそうです。
 教師の「話し方スキル」も同じことが言えます。子どもも保護者も、ただなめらかにうまく話すことを教師に求めているわけではありません。少々たどたどしくても構わないので、その教師の独自の「語り」こそを聴きたいと思っているのです。
 学級の最初の学級懇談会では、保護者は担任がどんな先生なのか、評価されるのはあくまで人間性です。人間性のイメージです。
 なめらかに話をする教師は有能な印象を与えるかもしれませんが、どこか冷たい、信頼できないというイメージを与えがちです。なんとなく裏があるのではないか、という印象を抱いてしまうわけです。
 保護者たちは、その先生がどれだけ誠実で一生懸命にやってくれそうな先生かということを見ています。
 そして、教師がしゃべった話の内容よりは、その教師の表情や仕草や迷いやものの見方や考え方などの総合的な印象、つまり「その教師独自の語り方」によって判断されているのです。
 例えば、一つ一つの質問に対して質問者の方を向いて語ったとか、質問者に目線を合わせながらも他の保護者への気づかいがあったとか、保護者の話を早合点したり勝手に解釈したりして話さなかったとか、自分の言いたいことだけを言って保護者の話を聞かないという態度に見えたとか「声にならざる声」とでもいうべきものを聞いているのです。
 要するに、ちゃんと一人ひとりの保護者との対話を成立させていたか、ということを見ているわけですね。
 保護者会で一人ひとりの保護者と対話を成立させられる教師は、間違いなく子ども相手でも同じことをしてくれるはずです。
 わが子をあずけるにたる信頼を寄せられるか否かは、そうした印象によって判断されるわけです。
 教師はまず何より、子どもたちや保護者を前に「対話」を成立させられるような自分独自の語りを身につけなくてはならないのです。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)

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こんな教師と親が子どもをだめにする

 こんな教師と親が子どもをだめにする10箇条を私なりにまとめてみました。
 大人としての自覚がない
 大人が子どものお手本となる自覚がない。教師は子どもの親でも友だちでもありません。たとえ子どもに嫌われても、しなければならないことがあるのです。
 教師が子どもに教えつつ、子どもたちとの関係を築いていくために大切なのは「言葉づかいの切り替え」だと思います。子どもの前に立って指導するときに、言葉づかいを変えます。
 もし、子どもが問題行動をしたら、責任を感じて、大人が自分を責める。その姿を見て子どもが反省する。そんな厳しさも必要です。
 子どもの年齢に応じた教育をしていない
 小学校で、幼稚園から上がったばかりの1年生にも、6年生にも、同じ言い方で教えて、うまくいくはずがありません。
 子どもの発達段階に応じて、教育の仕方を変えていく必要があります。それができていない大人がたくさんいるように感じています。
 子どもと一緒にいる時間をつくらない
 若い教師にお願いするのは、いつも子どもと一緒に遊んでくださいということです。たくさんのことを子どもが教えてくれます。
 子どもは一緒に遊ぶ仲間の言うことには、耳を傾けてくれるものです。
 遊んだり、教室で会話するなどして、子どもと一緒にいるようにしましょう。一緒にお絵かきしたり、折り紙を教えたり、読書しても、子どもと時間を共有することになります。
 子どもと一緒に遊ばない教師は学級崩壊を起こしやすいのではないかと私は思っています。
 子どもの表情の変化に気がつかない
 子どもはいつもサインを出しています。表情・態度など、さまざまです。毎日きちんと見ていれば、トラブルが起きる前に、その微候が見えてくるものです。
 毎日見ていると、変化がつかめます。ふだんの表情と、比べて今日はどうだろうと、考えることができるのです。
 また、学級集団の中で、個々の子どもを見ることが大切です。表情の悪い子どもが一人いるとすぐにわかります。そんなとき見逃さず、笑顔で話しかけます。少しだけ、心が温まり、心をすくいとることにつながるような気がします。
5 子どもの人格を否定するような叱り方をする
 
「こんなこともできないの」「だからお前はみんなに嫌われるんや」「あなたが悪いんでしょ」「あなたは、いつもこうなんだから」「あなたのせいで、こんなことになったのよ」という叱り方です。
 自分の言動が、どういう意味を持つのか、相手がどういう感情を持つことになるのか、などを考えさせることのほうが重要です。子どもに自分の行為を見直すようにします。
 また、子どもには「納得」が必要です。納得させるために説明する必要があります。納得させられるような叱り方ができる大人になりましょう。
6 子どもの言葉に真剣に耳を傾けない
 大人は、子どもにちゃんと話を聞けというわりには、子どもの言うことをちゃんと聞かないことが多い。
 子どもの話を聞けるチャンスは一度だけです。「後でね」なんて言うと、二度と聞かせてもらえないことがある。
7 子どもを本気で叱れない
 子どもの悪い言動は、ちゃんと本気で叱らないと、よいのか悪いのか、子どもには判断できないことも多いのです。
 ちくっと叱るのではなくて、全力で叱ってあげることは必要です。
「そんなことしてたら、だめだよ」「気をつけましょうね」
これは注意であって、叱っているのではありません。この程度の言葉で子どもが変わったり、いじめがなくなったりすることは、決してないのです。中途半端な叱り方は、子どもには通じません。
「いけないことは絶対にいけない」と叱ってあげないと、子どもは何が正しいのか分からなくなります。大人に叱られて成長するのが子どもだと私は思っています。 
 親から「子どもが傷ついた」と反発を受けることもありますが、それでも断固として強く叱るという気概がなければと私は信じているのです。全力で叱ればいいのです。ただし、めったにしないほうがいい。へとへとになりますから。
8 子どもの小さな成長を自分の喜びにできない
 子どもは、少しずつ成長していきます。劇的に変わることは、めったにありません。その小さな変化を認めてくれる教師や親のもとで、子どもは育つのです。子どもの成果を認めて、一緒に喜ぶということです。
9 子どもをからかったり、やゆしたりする
 子どもをからかうことをユーモアだと勘違いしている教師がいます。そんなものはユーモアではありません。
 子どもの容姿に関することを、決してからかってはいけません。子どもの心に深い傷となって残るのですから。
 子どもをからかうことで、子どもとの関係はつくれません。
10
子どもを恫喝したり、恐怖で支配したりする
 もっともレベルの低い教師や親が、自分の感情の発散のために使う方法を体罰と呼ぶのです。教育ではありません。子どもをどこか見下して、子どもが一人の人間だという、とらえ方ができないのでしょう。
(
多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演)

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集会で前に立つと子どもたちが静かになるような威厳を教師が身につけるには、どうすればよいのでしょうか

 集会で、子どもたちの前に立つと、子どもたちがすぐに静かになるような威厳を身にまとっている教師がいる。
 集会で、前に立って話をするとき、若い教師がよく優れたベテラン教師の指導を真似て、子どもたちが静かになるまで待つことがあります。
 しかし、ざわついた子どもたちはなかなか静まってくれません。業をにやした若い教師がざわつきの中心の子をにらみつけ、指したりします。
 優れたベテラン教師は笑顔で子どもたちの前に立ったとしても、子どもたちが自然に静かになるのです。若い教師のやり方は威圧であって、まったく質が異なっています。
 威厳もなく畏敬を感じさせることもない力量の低い教師が、優れたベテラン教師の真似をすることは滑稽でさえあります。
 子どもたちに、その余裕のなさを見抜かれているということも少なくありません。長い目で見ると、そうした行いは子どもたち軽視されていく大きな要因にもなります。
 実は、教師が子どもたちにどう評価されているのか、その「教師の在り方」が子どもたちに、どう受けとめられているのか、それが一番よくわかるのが、集会で前に立ったときなのです。
 集会で全校生徒の前に立つということは、日常的に深いかかわりをもっていない子どもたちにも、こちらを向かせることを意味します。
 要するに、心が通い合っていない子どもたちに、どれだけの影響力を与えられるか、それも一瞬で与えられるか、ということなのです。自分の学級の子どもたちに、こちらを向かせるのとはわけが違います。
 その意味で、自分の学級にさえ静かに話を聞かせることができない教師というのは、ほんとうに力量がないのだと自覚すべきなのです。
 こうした「分」を知ることは、若い時期、教師の力量形成にとってとても大切なことです。それを測ることができるのが集会なのです。
 優れたベテラン教師は、間違いなく威厳を身にまとい、話を聞く人に畏敬を抱かせます。その威厳は、だれもが真似できないような独自の芸にあることは、話を生で聴いたことのある人なら、だれでもが理解できるはずです。
 私は、若いうちに一芸を身につけることが、威厳をまとい畏敬を抱かせるような「立ち姿」や「所作」を身につける基盤となっていくと思います。
 
「芸は身を助く」と言いますが、一芸を身につけたならば、どのような学校に転勤しても、職員室で軽く見られることは決してなくなります。それなりの地位をもって仕事に取り組むことができるわけです。
 それは、実は教師にとって仕事がしやすくなることを意味するのです。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)

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実は能力がないと「子どもが好き」な教師にはなれない

 いい先生についてアンケート調査すれば、どの調査の回答もほぼ似通っている。
 小中高生は「授業が分かりやすい」「親しみやすい」「公平性」などを。
 保護者は「教育への熱意がある」「子どもに愛情を持つ」「授業が分かりやすい」
 などをいつも上位にあげている。
 教師に望まれる資質として「子どもが好きなこと」がよく言われます。ところがよく見ていると、気の合う子どもは好きでも、そうでない子はそれほど好きではないのです。
 肌が合わず、手がかかりすぎる子どもが苦手という、深くて固定的な資質が教師にはあります。
 クラスのなかの数人は聞き分けのない子、肌の合わない子がいるはずです。そうした子どものことは、つい除外して、残りの大部分の子どもを念頭に置いて「子どもが好きだ」と言ってしまいがちです。
 問題は無意識に除外されがちな子どもたちに、担任はどう接するかということです。教師の資質の真価が問われるのは、実にその点にこそあるのではないでしょうか。
「たとえ肌が合わないと感じる子でも、意思疎通をはかって、その子を理解しようとする」ためには、子ども理解のための知識と技術を必要とする。
 たとえば、その子どもの発達段階の特徴は何か、その子の背景にどのような家庭や地域があるか、などは子ども理解の基本的知識であり、そうした知識を得ながら指導に生かすことのできる技術である。
 子どもと向き合うときの、そうした知識や技術は教師の能力に属する。 
「子どもを好きになりなさい」と言っても、子ども理解の知識や技術を能力として身につけることは可能である。
 その能力は毎日の経験や日頃の研修を通じて磨かれていくだろう。
 つまり「子どもが好き」であることは、教師の人間性としての資質だけに根ざすのではなく、能力がないと実は「子どもが好き」な教師にはなれないのだ。
 逆に言えば、能力を高めることによって、肌が合わずに手がかかり過ぎると感じる子どもも、徐々に好きになっていくのである。
(
今津孝次郎:1946年生まれ、名古屋大学教授・附属中高校長を経て名古屋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校臨床社会学、発達社会学)

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学級崩壊を起こす教師は、子どもたちと共鳴する力が不足しているのではないか

 私は若い教師をたくさん見てきました。その結果「遊べない教師はだめだ」「遊ぶときには、とことん遊べる教師が良い教師になる」と言えます。
 遊べるということは、ものごとの楽しみ方を知っているということです。
 遊べるということは、どんなメンバーとも、おもしろさを発見して心から楽しむことができるということです。
 子どもはおもしろいことが大好きです。子どもは遊びのなかに、人間関係の機微を学びます。
 教師が日常生活のなかに楽しみを見出せないタイプの人では、子どもたちがかわいそうです。
 子どもと一緒に笑ってくれる教師、子どものいたずらを叱りながらも共感してくれる教師、必要なときにボケてくれツッコミを入れてくれる教師、そういう教師が子どもたちを育てていくのだろうと思います。
 私は、この「子どもと共鳴する力」は教師力の一つだと、とらえています。
 学級崩壊を起こす教師、子どもに反発される教師を見ていると、このことが実感されます。
 そのような教師は、子どもの発している電波とは異なった電波で受信しようとしている。
 子どもの電波とは合わない、自分のたった一つの電波しかもっていない。そういう教師が子どもたちとのコミュニケーションを断絶しています。
 子どもたちが発している電波に、即座に合わせられる、そんな共鳴力がなによりも必要なのではないでしょうか。 教師が子どもと接するときは、その判断の連続です。
 学級崩壊を頻繁に起こす教師、子どもたちとのコミュニケーションがへたな教師というのは、実はこれができないのです。
 どうすれば、共鳴力を鍛えることができるのでしょうか。
 気の合わない人、知らない人とも遊んでみる、そこに楽しみを見つけてみる、というのが近道であるように思います。
 教師が遊べるということは、実は他者への共鳴力が高いことを意味しています。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)

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子どもに慕われているが授業がへたな教師と、授業がじょうずだがやや人間性に欠ける教師とではどちらが教師としてよいと思いますか

 教師の資質とは何んなのか。何が重要なのか、優先順位がつかないのが教育現場なのです。
 昨今の優先順位は、教育技術の向上や学力重視でしょうが、これだけで教育問題が解決するとは思えないのです。
 ただ、はっきり言えることは「教師として」というより「人間として」どうか、という視点で教師の資質を考えたほうが妥当である、という現実です。
 多発する教師の不祥事の根底もここにありますから、教師の人間性の向上にこそ優先順位を置きたいのです。
 また、子どもが教師を好きになれば、少々授業がうまくなくても、成績は向上するものですから、これこそが真理でしょう。教師こそ「ゆとり」が必要なのです。
 教師の力量は、ある意味、天分的なスキルの面が多いのですが、それをいくら言葉で説明し、マニュアルに沿って研修しても、習得は難しいものです。
 しかし、そういった「暗黙知」のスキルを知っている先輩教師が、後輩教師と一緒に実践しながら、言葉でない部分を伝えていくことが大切です。それがいま必要なのです。
 この「伝える環境づくり」こそ、教師の資質向上につながると信じています。そして、これには「ゆとり」が必要なのです。
(
阪根健二:1954年神戸生まれ、香川県公立中学校教師、指導主事、教頭、香川大学助教授を経て鳴門教育大学教授。専門は学校危機管理,生徒指導) 

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子どもたちは嫌いな教師の言うことは聞かない、信頼され人気のある教師になるにはどうすればよいか

 教師になる前は「先生、先生!」と笑顔の子どもたちに囲まれ、先生の話を真剣に聞き、先生の期待に応えようとがんばる子どもたち。毎日が感動のドラマ。
 そんな生活を夢見たはずなのに、教師になって、気がつけば、怖い顔をして、子どもたちを怒鳴り散らしている。
 日々、子どもたちの対応で疲れ切り、子どもや保護者からの支持を得られず、ぐちをこぼす毎日。「こんなはずじゃなかった」と思ったのは、10年前の私です。
 子どもたちは嫌いな教師の言うことを素直に聞くでしょうか。
「一生懸命勉強しなさい」「友だち同士、仲よくしなさい」
と、嫌いな教師から言われて「よし、勉強するぞ」「仲よくするぞ」と思えるでしょうか。
 私はできないと思います。子どもたちは反発するのではないでしょうか。
 一方、信頼する教師であれば、子どもたちは「大好きな先生の言うことだから聞こう」と思い、進んで正しいことをします。素直に明るく、ぐんぐん力を伸ばしていきます。そして、教師も楽しく仕事ができます。
 クラスの子どもたちから信頼を得た「人気のある教師」になるためにはどうすればよいのでしょうか。
 かつて、子どもからの支持を得られず苦労した経験から学んだ、人気の教師になるための私のアドバイスは
(1)
とことん子どもを好きになろう
 子どものよいところを記録することで、子どもたちのよいところに目が向くようになります。心の中で「好きだよ」と言うと、表情や言葉などに表れ好意が子どもたちに伝わります。
(2)
子どもたちと笑顔で接し、子どもたちを安心させる
 笑顔になるためには、教師が機嫌よくしていることが大切です。疲れを残さず、趣味や家族、友人との時間を充実させるようにします。子どもとの日常のやりとりに、ユーモアを入れます。
(3)
たくさんほめよう
 子どもはほめてくれる先生のことが好きになります。子どものご機嫌をとるのではなく、本当によいと思ったときだけ、ほめます。
 しかし、叱るべき時には叱らなければなりません。教室全体に安心感を与えることができます。叱ったあとは、名誉ばんかいのチャンスを与えて、できたときにはほめて終わりにすることが大切です。
(4)
授業の達人をめざそう
 つまらない授業が続けば、子どもたちの不満がたまります。楽しくて自分が伸びたと実感できる授業であれば、教師のことも大好きになります。
 教師の発問や指示に対する子どもの反応に対して、どのような「受け」を教師がするのか、そこがよい授業をするうえでの大事なポイントです。
(5)
あこがれを持って学ぼう
 あこがれの先生を持っている教師は、近づけるように自然と努力をします。日々成長している子どもたちからの目も、このような先生の姿は、いっしょに進んでいる先輩のように見えることでしょう。
 私には、たくさんのあこがれの先生がいます。赤坂真二先生との出会いが、私を成長させ、仕事が楽しくなり、人生を大きく変えてくれました。
(6)
最初が肝心、秩序あるクラスをつくろう
 秩序を保つことは、教師として子どもや保護者、同僚からの信頼を得るために必要不可欠なものです。
 秩序を保つためには、ポイントをしぼって、やらせ切ること。できればどんどんほめるようにします。一日に何度も指導ができるようになれば、他の行動にもよい影響を与えることができます。
 厳しい指導で息が詰まらないよう、ユーモアを持って明るく楽しく指導することも時には必要です。
(7)
つながろう、つなげよう
 教師と子どもだけのつながりだけでは、子どもたちは満足しません。子ども同士のつながりをつくらなければなりません。
 教師が得意なことを子どもたちの前で披露したりして、キャラを立ると、子どもたちは親しみを持つことができます。子どもたちは家の人にも話しますし、友だち同士の話題にもなり、人間関係を深めることもできます。
 
「いつも子ども同士をつなげる」という視点をもって、授業、行事、掃除、給食などで、二人以上で協力する場面を多く設定して指導します。
(8)
仕事を超えてあたたかくしよう
 教育において厳しさは必要です。しかし、それは温かさがあってこそです。愛情で子どもたちをつつんであげましょう。愛情で満たされた子どもは、きっとまわりにも愛情を与えようとするものです。
(9)
子どもに力をつけよう
 子どもをできるようにする指導技術をどれだけ持っているかということは、かなり重要な問題です。教師が学び続け、子どもを伸ばす技術を身につける必要があります。
(10)
同僚や保護者とうまくつき合おう
 同僚や保護者との良好な関係なくして、人気のある先生はありえません。
 自分の仕事を一生懸命にやるのは当たり前です。自分以外のことをどれだけ一生懸命やるかで、まわりの評価が違ってきます。
 保護者との個人面談では、子育てをがんばっている母親をほめ、感謝の気持ちを伝えましょう。そして、子どものことをたくさんほめましょう。まず保護者と担任が仲よくなることが大事です。子どもの改善点などは、後でもよいのです。
 学級通信を出して、教師の考えを伝え、子どもたちのよいところを伝えます。
 子どもが何かよいことをしたとき、便箋にそれを書き連絡帳に貼りつけます。一日三人などと決めて全員に書けるようにします。
 小まめに電話や家庭訪問で連絡を取りあうことが大切です。
(
飯村友和:1977年千葉県生まれ、千葉県公立小学校教師。教育サークル「明日の学級づくりを語る会」代表)

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子どもや保護者が満足する、プロの教師をめざすにはどのようにすればよいか

 子どもを学校に通わせている親のいちばんの関心事は何でしょうか? 
 成績を別にすれば、「子どもが教わる先生はどんな人か」という、教師の人格と実力に一番の興味と関心を持っています。
 子どもを、易しく伸びやかで、公平に扱ってくれるような教師を求めています。親から見れば、授業の実力もさることながら、わが子を大事に扱ってくれるかどうかが重大な関心事となります。したがって、教師はこの親の気持ちを理解することから、始めなければいけません。
 どのように、やるべきことをやるかという方法に教師の個性と実力が表れ、そこにプロとしての力量が問われるのです。
 自分なりのやり方が確立していない試行錯誤の状態であれば、同僚や先輩の教師の技を盗むことも必要です。他の教師の教室内の指導の実態はわかりにくいので、盗めなければ教わるより仕方がないのです。
 私の経験からいうと、生徒指導はやり方の問題です。子どもと保護者を大切にするという気持ちを根底におき、生徒指導の具体的なやり方にどのように反映するかです。
 おかれた状況により違うので、画一的に「このようにするというノウハウ」は必要ありません。むしろ、有害無益です。
 ただ、どのような場合でも、保護者にしっかりと説明する必要があります。明確な説明をしてくれないと保護者は不安になり、教師に文句を言うのは当然です。
 しかし、小学校も高学年になるにつれ、教師の「人柄」だけではダメです。教師としての「指導力」と「学力」が問題となってきます。
 教師が指導力を発揮して、子どもたちが安全で安心して過ごすことができるかを親は気にしています。
 さらに、学校は学ぶための場所です。教師が教える内容と技術について豊富な知識と経験があるかどうかが大切です。
 特に小学校では算数と国語が主要教科であるから、この二教科とりわけ算数は教え方によって上達度が違います。好き嫌いにも影響します。
 教師には親ではできないことをやる使命と役割が与えられているのです。愛情があればあるほど親子間では距離が取りにくい。
 アカの他人であればこそ、ある種の冷淡さが子どもたちから甘えを取り去り、自立心や独立心を育む作用をするのです。つまり教師は他人としての適度の冷たさが必要だということです。
 学校で一番大事な授業は情熱だけではできません。必要なのは知性と教養です。問題解決の方法を考え出す経験や専門的な知識に支えられた知性のほうが、役立つことは言うまでもないことです。
 学校教育は、言うことと行うことを、なるべく一致させることが望ましい。異なると不信感を保護者が持ちます。
 教師に「忙しい」が口癖みたいな人がいます。しかし、プロといわれる教師は、子どもが担任ところへ行っても「今、忙しいから後で」とは言いません。教師にとって最大の仕事は子どもとその親を相手にすることだということがわかっているからです。
 教師はプロとしてやるべきことを粛々とやり、何ごとについても言い分けせずに結果を見てくれという姿勢を持って臨んで欲しいものです。
 学校の教師は自分流でいける職業です。しかし、プロ意識が欠如していると、問題が生じるのです。教師は教育のプロです。プロとは自分の知識や技能を売って給料をもらっているのです。
 学校教育のプロとしての基本の仕事である「授業」と「生徒指導」がきちんとできないのなら、給料ドロボーと言われても仕方がありません。大事なことは問題解決から逃げないことです。
 授業が成立しない、学級経営がうまくいかない、そういう場合は、本人が同僚に相談するにしろ、最後は自分で解決するしか方法はないから、何がなんでも解決のすじ道を見つけなければなりません。
 一番のカギは授業です。良い授業をしている教師に「学級崩壊」などということはあり得ません。ダメな教師の授業は子どもが相手にしないから、授業が成り立たないで「学級崩壊」するのは、昔も今も変わりがないことがよくわかります。
 よい授業とは、子どもたちに「素晴らしい授業」と評価される授業が「よい授業」なのです。
 授業を改善するには、子どもたちから率直な意見をきく、同僚の授業を見せてもらい参考にするなど、あらゆる方法で、日々、授業の改善工夫を凝らす以外に道はないのです。これが教師の仕事のキーポイントです。
 学級経営では子どもが安心して勉強に専念できる雰囲気をつくることが肝要です。学級をワルのボスに仕切られたのでは、子どもは学校へ行くのが嫌になります。いじめを防止することも最重要課題です。
 それでは子どもに理解され、受け入れられる「よい授業」と何でしょうか。
 まずは、子どもの「興味を引く」、「おもしろい」という要素が大事です。さらに、子どもにとって「役に立つ」「ためになる」という要素も大事です。
 教える内容をいかにわかりやすく、興味深く教えるためには、教師自身にかなりの学識がないとできません。
 日々、自分自身に投資して、せめて最低、年間100冊を超える本を読まなければ、子どもたちを満足させる授業を行うことは難しいのではないかと思います。
 また、塾が子どもたちに評価されているのだから、教師もその技を盗むような努力をしてもらいたい。
 塾は子どものニーズに即して、授業内容をどんどん改変します。飽きさせないように、さまざまな工夫を凝らします。
 塾は授業者自身のキャラクターも商品なので、おもしろ系、ハッタリ系、アカデミー系のキャラを作り、子どもの方に顔を向け、必死に自分の授業をアピールします。根本に成果主義があるから、結果を出すためのパフォーマンスが必要なのです。
 教師が、いつまでも「先生」という権威に安住していると、自分の能力は劣化してしまいます。だからこそ、塾の切実感を学校の教師も学んでほしいのです。
(
戸田忠雄:1937年生まれ、長野県の私立、公立学校の教師、公立高校長、信学会長野予備学校長などを歴任し、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。XYサタデースクールネットワーク代表。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた)

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普通の学校では学習できない問題児を再生する教師はどのような人か

 私は米国のネヴァダ州でも最低と呼ばれる高校で「日本文化」の講師を勤めた。モラルのかけらもない生徒と接しながら、米国社会のひずみを見た。
 生徒たちが常識を身につけていないのは「しつけ」てくれる大人がいないからだ。生徒たちは崩壊した家庭に育ち、貧困にあえいでいた。親が不法労働者であったり、刑務所に入っていたり、ドラッグに溺れていたりしていた。
 私なりに全力で生徒たちと向き合ったが、限られた時間では手に負えず、諦めた生徒もいた。私が教室を去った後、受け持った生徒たちのほとんどが高校を中退していた。
 その後、私は問題児と呼ばれる小学生を、大人が支えるボランティア活動に参加した。活動の一環として、普通の学校では学習できない、問題を起こした子どもを預かる特別な学校を訪ねた。
 この学校では特別授業をする。30日から45日ごとにサイクルを決め、段階に応じた「しつけ」を施す。「通常の生活が可能」と判断された子どもは、それぞれ市内の別の学校で再スタートする。
 小学部の責任者のテイラー・ハーパーは
「この学校に送られてくる子どもの98%は家庭が崩壊しています。それも、かなり深刻な状態で」と彼女は言った。
 彼女の部屋には、教室が見える特殊ミラーがある。彼女は教室の最後部席に座る5年生くらいの男の子を凝視した。彼は身体を左右に揺らし、何かの曲を口ずさんでいる。動きが激しくなり、机を叩きながらラップを歌い始めた。
 彼女は彼の元へ走り、話かけた。
「随分、ご機嫌ね。どうしたの?」「えっ、ああ」
「今、何をする時間か知っているわよね」「あ、うん」 
「じゃあ、決められたことをやりましょうよ」
 彼が戸惑った顔をすると、ハーパーは
「ちょっと、校庭を一周しようか?」
と、彼をうながし、教室の外へ連れ出した。
「今日はいい天気ね。さぁ、大きく深呼吸をして!」
と、ハーパーは大きな声で呼びかけ、彼と一緒に小走りで校舎の周りを駆け始めた。
 この学校には、いじめを受けて、いじめっ子に銃口を向けた子(我慢の限界を超えて、お祖父さんの机から拳銃を持ち出したのだ)。水道がない、使えなくなったトレーラー車で生活している子。同性愛者に犯されてしまった子。など、絶望的な生活環境のなかで生きている子どもたちである。
 子どもたちが置かれた現状を聞かされると、悲惨な生活環境で気持ちが暗くなる。しかし、教室からはネガティブな空気は感じられない。その理由は教師であるハーパーがエネルギッシュでバイタリティに満ちているからである。
 ハーパーは「子どもを再生させるカギは、常に子どもをポジティブな気持ちにさせてあげること。だから、私がはつらつとした姿をみせることだ」と、述べています。
 ハーパーは大学を卒業し教師になった時、荒れた小学校を希望した。9年間務めた小学校では、9割以上の保護者がトレーラー車内で生活し、ドラッグに溺れていた。だから、小学生でドラッグを覚えてしまう。
 
「私が自分に約束したのは、絶対に子どもたちから逃げないということ。それから、どんな子どもにも同じように接することを心がけています」とハーパー言う。 
 ハーパーが勤務する学校の代表のフリーマン(他の高校の校長を8年間務めた経験がある)
「私はタフですよ。自分の限界に挑むつもりで仕事をこなしています。絶対にあきらめたりしません」
「子どもたち一人ひとりの特色を見きわめて、最善の方法を探すことこそ教育者の務めだと思う。ハートとハートで付き合っていくことが第一です。信頼関係を築くことがカギです」
と述べています。
 二人に共通するのは、陽気さとみなぎるエネルギーである。
(
林 壮一:1969年埼玉県生まれ、プロボクサーを断念し、週刊誌記者を経てノンフィクションライター。渡米し弱者の目線から米国の問題児の姿を追い続けた)

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