カテゴリー「教師に必要とされる能力」の記事

教師は自分のどこが子どもたちに受け入れられ、どこが拒否されているのかを知り、自分を変えるとよい、また、まわりの教師の指導を見て学ぶことである

 教師は力量をつけるためにどのようにしてつければよいか。
(1)
教師は自分のどこが子どもたちに受け入れられ、どこが拒否されているのか、知り自分を変える
 教師の顔つき、からだつきから「怒るとこわい先生」とみられ、そのことが指導の武器になっている教師もいる。
 また、美人・美男子もそうで、逆の教師より指導の入りがよい。声の大きさ、明瞭さ、すてきな笑顔もそうだ。
 これは、嘘のような話だが、指導力不足に悩んでいた教師がいた。「太い縁取りのめがねをかけろ」と助言した人がいて、そのとおりにしたら指導が成立するようになったという。
 ということは、教師は、あらゆるものを用いて教育していることになる。
 とすると、自分のどこが子どもたちに受け入れられているのか、反対に、どこが拒否されているのか、知ることである。
 その結果、ユーモアに欠けるとすれば、その力をつけるように努めることだ。
 自分をらち外において「わたしの教育がうまくいかないのは、子どもの質が悪いからだ」と、子どものせいにしてはならない。
 自分を知り、自分を変えることである。
(2)
まわりの教師の指導を見て学ぶ
 一人ひとりの教師は、まさに個性的な存在で、それぞれが得意技をもっている。
 たとえば、率先して模範を示し、子どもを引っぱっていく教師もいれば、「泣かせの何とか先生」という説諭の名人がいて、この教師にこんこんと諭されると、どんな子どもも、泣きだしてしまうという芸の持ち主もいる。
 あるいは、討議、話し合いに長けていて、子どもたちと「ああだ」「こうだ」と激しく論争しながら、指導を貫いていく教師もいる。
 お母さんのようにやさしく包み込む教師もいる。
 それぞれの教師が、指導について、得意の型をもっている。あらゆる指導に精通し、使いこなせるようになればよいのだが、そんなことはできることではない。
 だから、とりあえず、得意な指導法を身につけることである。学校は教師が集団として教育しているわけだから、一人ひとりの得意技をだしあい、教師集団としての指導を確立すればよいわけである。
 といって、「これは苦手だから、だれかにやってもらおう」といつまでも逃げていてはいけない。それでは一生上達しない。授業や学級づくりなど、一人ひとりの教師に必要な指導力は、身につけなければならない。
 したがって、ほかの教師の指導法や得意技を盗み、まねしながら、自分の力量として身につけ、みがいていくようにしたい。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)


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授業や学級経営がうまくいくために、教師はどのような力が必要なのでしょうか

 子どもに多くの知識を与え説明し、さまざまなものごとを覚えこませるのが授業であると思われがちです。
 教師の人格は、授業において言葉や態度から、まなざし、後ろ姿といった、しぐさにおけるすべてを通して子どもに伝わります。授業を通して子どもに伝わるものは、私たち教師の人格そのものです。授業の内容と、その授業を行う教師の人格とは表裏一体です。
 たとえば、同じような授業をしても、A教師の授業はわかるけど、B教師の授業はよくわからない、ということがあります。
 それは、子どもがB教師を拒否しているからです。A教師の授業がよくわかる、というのはA教師が好きだからです。教材を通して、A教師の豊かな人格が伝わったからです。
 授業のあるべき姿は、徹底した教材研究に基づく授業内容を追及する。人間性の豊かな教師が、子どもの可能性を引き出す授業を展開することです。豊かな人格を持った教師が、どうすれば子どもに伝わるか、いつも真剣に考えていれば、必ず子どもにわかる授業になります。
 その典型的な例が寺小屋です。人格者である指導者が読み書き算盤を教えるのが寺小屋方式です。松下村塾がいい例です。吉田松陰というすぐれた人格者が教えたからこそ、時代を変えていった数々の人材を輩出したのです。
 本当の意味での寺小屋方式のように、子どもに「どう生きていけば幸せになれるのか?」という問いと真剣に向き合う力を与えるのがすぐれた授業です。教師は人格を磨き、幅広い知識と豊かな人間性を身につけなければ、子どもを磨くことはできません。
 教師に必要な力とは、どういう力なのでしょうか。授業や学級経営がうまくいっていないと思ったら、つぎのことを確認してください。うまくいってないときは、そこに自分の弱さがあるのだと思います。
(1)
子どもの心を動かす力を持っている
 ただ「勉強しろよ!」と言っただけで子どもに伝わるでしょうか。子どもに自分から動いてもらうためには、教師には、子どもの心を動かす話術が必要になります。
 そのためには、どれだけ感動する話を持っているかが重要です。感動する話は、実際の人物の例を挙げていくのが一番いいと思います。新聞、雑誌、本などからもたくさんネタがあります。心が動くと、やる気を出します。やる気が出ると、自ら勉強するようになるのです。
(2)
子どもの心をつかむ力がある
 授業は、出だしの5分間がすべてを決めると言っても、言い過ぎではありません。動機づけがとても大切です。子どもの心をつかむかどうかで、授業のよし悪しが変わってきます。
 教室に入るときは「おはよう」と明るく、大きな声で入ります。笑顔と気合いの入った顔で入ります。やる気のない顔で、暗い感じで入ったら、それだけで授業はダメになってしまいます。
 うまく導入するために、私は絶対に話をしてから授業に入ります。授業が始まっていきなり「はい、36ページを開いて、今日はここからやります」と言う教師には「そんな授業だったら、やっていただかなくて結構」と私は言っています。
 導入は教師の人格が一番表れます。その人格によって、どのような題材を選ぶかです。
「今日、学校に来る途中、電車のホームを見たら、みんな朝からメールをやっていたんだよ。会話しなくていいのかなあ? みんなどう思う」
「そうだよねえ。メールだけじゃなく会話も必要だよね。英語も一緒でね。話したほうがお互いの意思の疎通がよくできるんだよ。じゃ、ちょっと今日は会話をしっかりやろうか」
というふうに日常と授業をつなげていきます。子どもの心をつかまなければ、どんなにいい授業をしても意味がありません。
(3)
子どもを認める力がある
 子どもにはそれぞれ生き方があります。人は自ら伸びていこうとするものです。それを認めてあげなければいけません。教師は子どもが自分なりの生き方を見つけられるためにサポートをしてあげるのです。
 カウンセリングのコツは、子どもの言うことを承認して、オウム返ししてあげることです。自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 子どもも、まだまだ未熟な面がたくさんあります。どうしても守らなければいけないルールを教えるようなときは、強く引っ張っていく必要もあります。
 そのようなときも、子どもの自分のなかで育っていこう、という気持ちをサポートすることを忘れてはいけません。完全に支配下において、一方通行にならないようにする。子どもが自ら考え、自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 根底には常に子どもを認めていなければいけません。子どもも自分が認めてもらえると安心して、初めて教師という人間を認めるのです。
(4)
子どもをほめる力がある
 子どもに「わかる喜び」があると勉強しようとします。その「わかる喜び」は、ほめ方しだいで倍増します。
 例えば、子どもが正解して「はい、正解です」と言われるよりも「すごい、この問題は相当難しいんだよ!」と言われたほうがうれしくなるでしょう。私はそれを必ずやります。
 これは子どもにはうれしいものです。子どもの気持ちが乗ってきます。
(5)
子どもをフォローする力を持つ
 子どもが答えを間違えたら必ずフォローが必要です。子どもは自分の存在を認めてもらえるとうれしいのです。例えば、
教師「Aさん、この問題はどうですか?」
Aさん「わかりません」
教師「Bさん、この問題はどうですか?」
Bさん「○○です」と正解
教師「Bさん、よくやりましたねえ!」「Aさん、わかった?」
とAさんに戻ってフォローしてあげなければいけません。「Aさん、わかった?」があるだけで、自分のことを構ってくれていると思えるのです。
(6)
子どもを励ます力がある
 教師は子どもを「怒って動かす」のではなく、子どもが「自ら心を動かせられる」言葉、「子どもを信じ切る」言葉を、私たち教師は持っていなければいけません。
(7)
あきらめない情熱 前進する力がある
 教師に必要なことは、たっぷりと子どもに愛情を注いで、しっかりと向き合って、ひるまないことです。
 以前「とても怖くて、あの子には話ができません」と言ってきた新任の教師がいました。それを聞いて、厳しいと思われるかもしれませんが、私は
「じゃあ辞めてくれ。子どもと向き合えなかったらダメだ。ひるんであきらめるようだったらダメだろう」と言いました。
 子どもと向き合えなかったら何も始まりません。ひるんだり、見て見ぬふりというのは、教師として最もやってはいけないことです。
 絶対にひるまない、絶対に向き合っていく、そのためには私たち教師が決してあきらめないことです。いったん逃げると逃げくせがつきます。人を教え、育てるのに平たんな道などありません。いくつもの険しい山がそびえたっています。
 しかし、目の前にある山を登りきると、そこにはそれまでに見たことのない景色が広がっています。山を越えた分だけ、いろんなことがわかってきて、いろんなことが見えてくるので、進んでいく道を切り拓いていけるのです。
 子どもが伸びていくには「やればできる」と信じて、あきらめさせないことが大切です。そのためには、教師自身も、子どもに対してあきらめてはいけません。子どもが逃げたくなるときにサポートしてあげるのが私たち教師です。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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教師が教育のプロとなるための条件とは何でしょうか

 指導力不足の教師がいる。子どもが大きく変化しているのに、教師の方が変化できないでいるのだ。わたしは、ほんのひとにぎりの教師が指導力不足に陥っているのであって、多くの教師は、そうでないと考えている。プロをめざしてがんばっている教師がたくさんいる。
 教育のプロとは、何だろうか。教師の場合、真のプロとはどんなところをみればよいのだろうか。幅が広くて、これとこれというようにはいかない。でも、何といっても
プロ教師の第一条件は
「子どもを引きつける授業ができる」 
ことであることは間違いない。
 授業ができないのに、理屈ばかりいって専門家ぶっているのは、本物ではない。
 わたしの夢は、子どもの前に立っただけで、子どもが集中し、語りかけてくるようなプロ教師になることである。
 子どもを引きつけるには、一つは、人間性である。子どもが「面白そうだ、何か話しかけてみたい」と、思うような存在感のある人間性でありたい。これをみがかなくてはならない。
 
「先生の笑顔をみただけで、勉強が面白そうに思える」
といった雰囲気をもった人間性である。こういう雰囲気をつくり出さなければならない。
プロ教師の第二条件は
「新しい角度からの『発問』ができる」  
ことである。例えば、
 
「どうして海の中を列車が走っているのでしょうね」
といった発問は、さり気ない発問のようにみえるが、実は深く広い教材研究の中から、にじみで出たような発問である。
 日本最初の新橋から横浜間の鉄道は、その三分の一は海の中に盛り土をして、その上を走らせたのである。
 明治のはじめの、しかも家も沢山ないような海岸を走らせるのに、どうして反対したのか。たぶん反対があってこのようになったのだ、といったことに気づかせるための発問である。
 発問のしかたで、授業は一変する。
「この紙で郵便ポストを作りたいのだが、どうだろう」
「バスの運転手は、どこをみて運転しているのでしょう?」
「東京23区に、牧場はあるでしょうか」
こういった発問は、子どもをゆさぶり、授業のあり方を変えてきた。
プロ教師の第三条件は
「明確な指示ができる」
ことである。
 明確な指示ができていれば、子どもはきちんと対応する。
 よくみかける指示は、何を指示しているのか、わからないものが多い。プロ教師の指示は明確である。
プロ教師の第四条件は
「オリジナルな教材をどれだけ持っているか」
である。
 教師は教え方のプロではあるが、教える内容のプロではなくなってしまっている。教科書ばかりに頼っている間に、自分らしい教材開発を忘れてしまったのではないかと、わたしは心配している。
 輪郭のはっきりした、その人らしい教材をもつことだ。これなくしてプロとはいえない。
 わたしが訪問する学校の教師たちは、毎年、新しい教材で授業をしてみせてくれる。ほんの少し努力しただけで、教材開発ができるのである。あとはやる気の問題だけである。
 面白いことに、一つの面白い教材を開発すると、次々に面白い教材がみつかる。教材を開発するには、関係的な見方・考え方をすることが得策である。
 例えば、いちじくを教材化すると、みかんや柿、りんご、梨、ぶどうなどが自然に教材化されるのである。
 つまり、一つみえるようになると、他のものがみえるようになるのである。
プロ教師の第五条件は
「対応の技術を持っているか」
ということである。
 子どもが発言する。それに対して教師がどれだけプロらしい対応の技術をみせるか、である。
「間」が大切である。
間ぬけになったり、間のびした対応ではどうしようもない。適度な「間」で、適切な対応をすれば、子どもはやる気を出して追及する。
 バスガイドの中には「対応の技術」にたけた人が多い。客を喜ばせるコツを心得た対応をする。
 ふだんから、子どもとのやりとりのしかたを工夫することだ。工夫しているうちに、あるときコツを会得することができる。
プロ教師の第六条件は
「板書の技能」
をあげたい。
 しっかりした板書ができなければ、とてもプロ教師とはいえない。
 わたしは、常に「芸術的な板書」をしたいと願って努力している。子どもを引きつけて離さない板書技能をみがきたいものだ。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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どの学校の調査でも笑顔の明るい教師がいい、教師が笑顔になるためのポイントとはなにか

 全国のどこの学校での調査でも「笑顔の明るい先生がいい」との回答が上位を占めています。やはり、子どもの指導に教師の笑顔は欠かせないものといえるでしょう。
 学校現場は忙しく、神経を疲れさせ余裕がもてない事情があると思います。そのせいか最近は「暗い先生が多い」「学校が冷たい」という子どもや保護者の声を聞くことが多くなりました。
 しかし、これは重大事です。見過ごしていたら、子どもや保護者との絆が断たれてしまいます。
 ある研究会で「子どものために笑えといっても、生まれつきの性格だから変えられないと思いますが」と、まじめそうな男性教師が私に質問した。私は
 
「いや、そうとは言えませんよ。指導のポイントがつかめれば、実践で笑顔がつくれますよ」と答えた。
 暗いといわれている人でも、子どもに対する指導を充実させることができれば笑顔が浮かびます。  
 鏡の前で笑顔の演技練習をしなくても、指導のポイントをつかみ、実践で子どもを躍動させれば、自然に自分も笑顔がつくり出されるということです。
 では、どのようにすればよいのでしょうか。その大切なポイントは二つあります。
1 子どもを活動させて長所をほめる
 私は全国各地で校内研究会に招かれたとき小・中学生と授業をすることがあります。私はまず子どもたちと遊ぶのです。授業前に15分くらい遊びます。
 そうすれば、遊びを通じて、子どもたちの長所を見つけ出すことができます。長所をほめたり励ましたりすれば、授業にはずみをつけることができるからなのです。
 例えば「五で叩く」という遊び。多くの子どもたちは活気をみせます。その遊び方は
 
「はい、三人ずつのグループになりましょう。それぞれ右手を机の上に出し、その手を重ねてください。重ねたら、一番上の人だけ手を30センチ上げてください。」 
 
「これから先生が数を言うので『五』と言ったら、上の人は、下の人の手を叩いてよい。下の人は逃げてよいのです。さあ、やりますよ。準備はいいですか?」
と、これだけで楽しく遊べるのです。
 もちろん何人かは、手を出さなかったり、出ししぶったりする子がいます。その場合は
「こわくないよ。競争じゃないから。まわりの人が誘ってあげなさい」
 この遊びのおもしろさは叩く方が有利に見えますが、ちがうのです。30センチ離れているため、たいがい下の子に逃げられてしまい、机の上を叩いてしまう場合が多いのです。
 数を言う私も、スリリングに言います。「一、三、六、八・・・・・」と、数を言い、緊張させておいてから「五!」と言います。
 そのとき、逃げる子は「わあっ」と、いっせいにわめく声をあげる。手が上だった子はバチンと机の上を叩いてしまい「いたいっ!」と悲鳴の声をあげたりする。
 これをローテーションでやって全員が叩く・逃げるの経験をしますが、私の着眼は子どもの長所を見つけ出すことにあります。
 
「きみの声は大きかったね」「あなたの逃げ方は、す早かったよ」「きみたちのグループは笑顔がいっぱいだった」というように長所をほめるのです。
「活動させ長所を見つける」と、子どもたちの気持ちもひろがり、やる気も動き出すところにねらいがあるのです。
 ほめるとき「何を長所として見つけ出すか」という観点が重要になります。ほめるときの具体的な着眼点は、
(1)
表情(表情がないと、相手の人と心が通い合えません)
 よくうなずく、喜怒哀楽を豊かに表現する、暗い表情が明るい表情に変化する
(2)
活力
 大きな声をだしている、他の子に呼びかけ・誘う、必要なことに体を動かしている
(3)
友だちと共同
 他の子に役立つことをする、いっしょにするのが楽しそう、遊びにすぐ加わる
(4)
物の扱い
 誰の物でも大事に扱う、かたずけをめんどうがらずにする、物を貸すのをいやがらない
(5)
創造・発見
 疑問を持つとすぐ質問する、「こうしよう」と気がつく、珍しいことに気づくのが早い
2 学び合いをつくり育てる
 授業のなかで「教師も笑顔、子どもたちも笑顔である」ためには、どうすればよいのでしょうか。私は「子ども同士の、学び合いをつくる」ことではないかと思います。
 そのためには、教師の指導技術をみがきあげることです。説明はわかりやすく、指示は的確に、発問は思考や意欲を誘い出し、ふくらますように指導技術をみがかなければならないということです。
 学び合いは、子どもたちが相互に意見を交わしながら、子どもたちの思考を出し合って、真理・真実を追及していくことです。
 できない子のちょっとした質問がみんなの思考を発展させることもあるし、誰かの思いがけない失敗やまちがいが、全員を深い思考に誘いこんでいくこともあります。そのなかで個性も感性も豊かに伸びていくのです。
 こうした学び合いはあるからこそ、楽しい授業ともなり、本当の学力も身についていくのだと思います。
 質問が学び合いのキーポイントになります。質問は、子どもの学ぶ意義や意欲を引き出す契機になります。授業で誰かが質問すると、他の子がそれによって啓発され、思考を高めていくことができるのです。
 質問が大事だといっても、子どもたちがなかなか質問しないという現実があります。教師がもっとわかりやすく教える努力をしなければならない。
 質問する力を培うために、グループによる話し合い・討論を多用するとよい。グループは3人が適当だと思います。4人だと一人が浮き、それ以上だと集中できない。
 子どもたちの関心をそそるように、私はキャッチフレーズをつくってグループで話し合い・討論をしました。例えば
(1)
よいとこ探し討論(作文や朗読、意見発表について長所を見つけ出すグループの話し合い)
(2)
はてな討論(質問、疑問、対立点、発問の解明などのグループの話し合い)
(3)
アイディア討論(提案、問題提起、訴え、発見などのグループの話し合い)
というようにです。これをあらゆる機会に多用します。
 そして、子どもたちの長所を見つけてほめる。とくに黙りがちな子、質問しない子に注目し、少しでも変化があったら、すかさずほめるのです。このような取り組みを重ねると、よく質問も意見が出るようになります。
 ですから「質問」をキーポイントにしたグループ討論を重ねながら、大きな討論へ広げていく。そうした学び合いを追及することが大切だと思います。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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プロの教師となるために,身につけるべき知識や技能にはどのようなものがあるでしょうか

 教師は「教育のプロフェッショナルな職人」です。高度の専門的な知識と技能がなくては務まらない専門職です。現実はともかく,少なくとも,そうあるべきだと私は思います。
 
「プロ教師」などという言葉がありますが,教師は本来「プロフェッショナルな知識と技能,人格を持ち合わせた教育の職人」であるはずです。
 そして実際,自分の仕事に自信と誇りを抱いてきた教師たちは,誰から強いられることもなく「プロフェッショナルな教育の職人」として恥ずかしくないだけの知識と技能を身につけようと,日々努めてきたはずです。
 私のまわりには,つぎのようなすばらしい教師の方々がたくさんいます。
「子どもからも保護者からも厚い信頼を寄せられる教師」
「感動的な授業をつくることのできる教師」
「学級をうまく育てていくことのできる教師」
「問題児からの攻撃も,保護者からのクレームも,自分のエネルギーに変えていくかのように,日々成長し続けていく教師」
といった教師たちがいます。私には,とても真似のできないことです。
 そして,このような教師たちは人知れず,日々,教師としてのスキルアップのための努力を重ねています。休日を返上し,自費で高額な研修会に参加し,自分の技を磨き続けている方もけっして少なくありません。
 そんな教師を支えているのは「プロフェッショナルとして胸を張ることのできる技術を磨いておきたい」というプライドです。「クラスの子どもたちに,少しでも役に立ちたい」という気持ちからかもしれません。
 そんな先生方は「教師としての技(スキル)を極めよう」と日々努力を重ねておられるのです。このような動きも「教師はプロフェッショナルな教育の職人」たるべきだという考えにもとづいてのものでしょう。
 では,あなたが「プロフェッショナルな教育の職人」となるために,身につけるべき知識や技能には,どのようなものがあるでしょうか。
 私がおすすめしたいのが,カウンセリングテクニックです。
 カウンセリングの分野には,さまざまな心の問題や人間関係,集団や組織の問題に対処するために蓄積されてきた,たくさんの有益な知識や技能,具体的な方法論があります。
 これを学ぶことが,あなたが教師としての技を極め「教育の達人」になるために不可欠のものだと私は思うのです。なぜでしょうか。
 昨今,教育現場で生じているさまざまな問題は,その大半が何らかの人間関係やそれに起因する心理的な側面にかかわったものだからです。
 例えば、指導のむずかしい子どもとの関係。次々とクレームをつけてきてあたかも教師が困惑するのを見て楽しんでいるかのような保護者との関係。 
 そんな保護者に刺激されたかのようにしてますます混乱の度を増してくる子ども集団との関係。自分の考えを一方的に押しつけてくるばかりの同僚や管理職との関係。
 こうした,さまざまな次元の「関係のねじれ」が,教師という仕事をむずかしくしているのです。したがって,私はこう思います。
 この時代,教師は特定教科を教えるプロである以前に「人間関係のプロ」でなくてはならない。人間関係をうまく処理できる技能なくしては,プロフェッショナルな教師は務まらない,と。
 カウンセリングの技をいかすと,授業で子どもたちがイキイキとしてきます。
 カウンセリングの技を使うと,クレームをつけてくる保護者ともうまくつきあえるようになります。
 カウンセリングの技を学ぶと,学級がうまく育っていきます。
 カウンセリングの技を体得すると,同僚や管理職ともうまくつながり,協力的な関係が築けるようになってきます。
 そして何より,カウンセリングを学んだ教師は,幸福感と生きがい感,仕事のやりがい感が増して,心がポカポカと暖かくなります。そしてそのポカポカ感がクラスの子どもたちに伝わって,子どもたちの心をもポカポカと暖かくしていくのです。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授。カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリング、教師のサポート、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、悩める教師を支える会代表)


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教師にとって最も必要な資質とは何か、また授業の実力を高めるにはどうすればよいか

 教師としての楽しみは「教師になってからの努力」によってこそ、もたらされます。初心を忘れ、現状に安住して過ごすようになると、教師人生の楽しみは半減してしまうでしょう。「進みつつある教師のみ人を教える権利あり」という言葉を心に刻んで進むべきだと思います。
 人生において、自分自身の資質や力量を高めていくことほど、すばらしいことはありません。自分の上達を実感できることは最高の喜びです。
 上達していくためには、他の人からの意見や批判によって、それまでの自分の考え方や感じ方を省みることが必要です。常に「自分の現状の否定と破壊」を自らに課する必要があると言えるでしょう。
 つらいこと、聞きにくいことにも、耳を傾けなければなりません。自分を変えて、変えて、変え続けることによって、徐々に望ましい自分になっていくのです。
 私はこれまで、たくさんのすばらしい先生がたにお会いしてきました。共通するのは、謙虚で素直だということでした。
 教師にとって何よりも大切なのは、自分が人間として教師としても、まだまだ未熟である、という自覚を常に持つことです。そうすれば、より向上したいという意欲がわいてくるものです。
 自分が未熟であることを自覚し、謙虚であり続ければ、正直になります。自分をよく見せようとする必要などありません。
 すると、教師自身が楽になるだけでなく、勇気を持って子どもたちと向き合えることになります。自分が間違っていたとわかったら、素直に改めていけばよいのです。
 自分を省みつつ、向上させていく教師には、子どもたちも心を開き、その姿勢を見て学び、成長していくのです。
 この「謙虚さ」と「向上心」の二つは、すべての教師にとって最も重要な資質と言えるでしょう。
 自分をより高く伸ばそうと思うなら、優れた人に直接会うことが最も近道です。いろいろと問いかけ話の糸口をつくることが望ましい。そして素直に聞くことです。
 上達の一番の条件は素直さです。まずは素直に教えを受け入れ
(1)
その指摘は、私の授業のどこにあてはまるだろうか。
(2)
その指摘を取り入れると、私の授業のどこが変わってくるのだろうか。
(3)
そのように実践したら、私の授業はどういうことになるのだろうか。
(4)
この指導は、私の授業のどこをどう改めよということになるのだろうか。
というように、自分の実践をまな板にのせて、受け入れることが大切です。そうすることによって、より良い実践が生まれてくるはずです。
 授業のレベルを上げるには、優れた授業者の授業を参観することが、最も効果的です。その場合も、発問法を見るとか、受けの技術を見るとか、学習形態の組織の仕方を見るとか、はっきりとした問題意識を持ち、具体的な目的を持って見ることが大切です。
 さらに、自分のふだんの授業を他の人に見てもらうことは、いっそうよい勉強になります。研究授業の回数は多ければ多いほどよいのです。それは教材研究や授業の腕を磨いていくことに役立つのです。
 授業では、子どもたちの反応を見ながら、常に工夫を加えていきましょう。授業を行った後に、指導案に授業の気付きをメモ書きし、反省を記入することをくり返すとよいでしょう。日頃の積み重ねが実力を高めます。
 授業の実践を記録するには、学級通信を利用するのもよい。授業の様子や学級のできごと、教師の思いや意見を記すと、特別に時間をかけなくても、教育実践の記録を積み重ねることができます。
 経験はぼんやりと繰り返しながら積んでも力にはならない。「こうしてみよう」「あれを加えてみよう」「あそこを削ってみよう」と、常に意図的に積むことが肝要なのです。
 私は本当に優れた先達との出会いに恵まれてきました。多くのことを教えてくださる。それが自分の成長の糧となるのです。すばらしい喜びとなるのです。
 一つひとつの出会いに意味を見い出せるかどうか、ということこそが、実は人間の成長の分かれ目のような気がします。
(
野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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子どもたちが求める教師のタイプとはなにか、そうなるには教師はどうすればよいか  

 教師には大きく分けてつぎの4つのタイプがあります。
(1)
父性と母性が共存している教師(2割)
 厳しく接したり、グイグイ引っ張ったりすることもできるし、逆に優しく包み込むこともできる教師です。
 ふだんは「このクラスは、こんな学級をめざすぞ!」と子どもたちを引っ張る。一方で、子どもたちが悩んだり、ぐずったりしたら、彼らの声に対して耳を傾ける。
 子どもたちをグイグイ引っ張る「リーダーシップ」と、いたわったり悩みを聞いたりする「カウンセリングマインド」。この両方ができる先生が一番良いわけです。
 この担任のクラスは、落ち着きがあって、しかも、一人ひとりの子どもがいきいきとしています。なぜならば、担任がつねに、一人ひとりの子どもに関心を向けているし、同時に、規範をもって子どもたちを導くので、集団の団結力もでてきます。
 子どもたちは頼りがい(リーダーシップ)とあたたかさ(カウンセリングマインド)を兼ね備えた教師を求めています。
(2)
リーダシップのみの教師
 厳しさはあるけど、優しさのない教師。子どもに対しては常に厳しく接する。些細なことでも「何やってんだ、お前は!」と大声で叱責し、クラスがシーンとなる。けれども、子どもの気持ちはわかっていないし、楽しさもない。だから子どもたちはストレスが溜まりやすいのです。
 その教師がいるときクラスは静かです。けれど、子どもたちはストレスが溜まっているから、他の教師の授業では荒れてしまう。
 クラス替えなどで、その教師から離れると、子どもたちの一部が急に荒れ始める。でも、この教師は「オレが受け持っていたときは静かだった」と、自分に原因があるのにもかかわらず、平然と言う。
(3)
カウンセリングマインドのみの教師
 子どもに優しく接することができ、遊び心もあるが、ビシッとすることができない。若い教師に多く見られるタイプです。
 彼らは子どものご機嫌取りに走ってしまう。ルールをしっかり守らせない。目標を明確にしない。友だちのような教師になってしまう。教師と遊びたい子は、このタイプの教師が好きですが、楽しいけれど、まとまりがない。ザワザワといつもうるさい。
(4)
リーダーシップもカウンセリングマインドもない教師(1割)
 やる気があるのか、ないのかわからない。子どもたちにビシッと接することもできないし、優しい言葉をかけることもない。子どもたちから端的に嫌われるタイプです。このタイプの教師が担任をすると学級崩壊しやすい。
(5)
中学校の生徒
 子どもたちは、頼りがい(リーダーシップ)と、あたたかさ(カウンセリングマインド)を兼ね備えた教師を求めています。
 中学生は教師に「正しい大人」を求めています。正義感がある教師、信頼できる教師の人気が高い。チャラチャラしている教師は嫌われます。
(6)
高校の生徒
 高校生になると、「正しさ」は以前ほどこだわらず、勉強をきちんと教えてくれる教師を好むようになります。悩みなどをちゃんと聞いてくれるうえに、勉強の教え方が上手な教師に生徒はついていきます。
(7)
一番嫌われる教師
 気分次第で叱る教師です。感情をあらわにし、すぐカーッとなって叱り飛ばす。感情で動く教師は毛嫌いされる。ほめた場合も同様です。
 冷静にきちんと説得してもらえたら、子どもたちも納得できるのですが「先生、今日は機嫌が悪いな」としか伝わらない。
 子どもの立場から言うと、叱るなら叱るで、どういう理由で叱っているのか、きちんと教えて欲しいということです。
 以上のように教師にはいろんなタイプの教師がいます。どうすればよいのでしょうか。
 人間として、自己成長するうえで重要なのは、その人の個性、自分らしさを発揮していくことです。
 コツコツ教材研究をする教師は、それがその教師の取り柄なのです。それを「まじめすぎるからダメなんだ。もっと遊びを覚えなさい」と管理職が言ってはいけません。それはその教師の本質(個性)を否定することになるからです。自分の本質を見失っては、けっしてよい教師にはなれません。
 自分の取り柄がコツコツまじめにやることしかないのだとすれば、それを最大限に生かして、「コツコツまじめに」お笑いの研究やネタの分析をすればいいのです。それで子どもたちの笑いを取れば大成功です。
 自分の魂の本質を否定しない形で、個性を生かしながら、それをどう生かしていくかと考えて自己成長していってほしいのです。
 自分の魂の本質とは何か。それを探るもう一つのポイントは、子どものころに熱中していたことを思い出すことです。そこにあなたの魂の本質が現れます。
 小さいころから友だちに何かを教えることが好きだったかもしれません。この人は授業が好きなのです。
 教師としての持ち味には、生まれつきの個性が大きく影響しています。変えようとしても変わるものではありません。それを否定せずに、うまく生かす形で教師として成長していってほしいものです。
 もう一つ大切なのは、教師人生の中で起きるさまざまな出来事から、日々学んでいくことです。人生のすべての出来事は、気づきと学び、自己成長のチャンスである。・・・・こんなふうに考えてください。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授。カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリング、教師のサポート、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、悩める教師を支える会代表)

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子どもに侮辱されたときの対処法

 子どもは教師の怒り、動揺、いらつき、焦りの表情を見逃しません。すぐに弱点を嗅ぎとり、弱いところから攻めてきます。怒りや動揺などの反応を楽しみ、教師を試すためにいろいろな挑発をするようにもなります。
 教師としての大切な資質に「平静さ」と「演技力」があります。平静を装う演技力のない教師は、子どものレベルに落ちて、あっという間に子どもたちの術中にはまってしまいます。学級の秩序は雪崩を打って崩れます。
 カッとなりそうになったときや、なってしまったときの対処法を決めておくと、少しは演技力がつきます。同僚の教師が持っている処方箋を教えてもらいましょう。教師同士でロールプレイをすれば、トレーニングをかねて身につけることができます。「あ、トイレ!」とか適当な理由をつけて、その場を離れるのも一つです。
 とにかく気持ちを鎮め、頭を整理しましょう。大人の余裕を見せてください。たとえば、
(1)
平静にして沈着
(2)
恬淡(欲が無く、物事に執着しないこと)にして淡白
(3)
茫洋(広々として限りのないさま)にして模糊(はっきりしないさま)
が、教師の“すごさ”のペースです。
「人は軽蔑されたと感じたとき、最もよく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない」(三木清『人生論ノート』)
(
白須富夫:1950年生まれ、元東京都公立小学校教師、 児童言語研究会会員)


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残念な教師とは、どのようなところが問題なのか

 残念な教師とは子どもを成長させない教師のことである。学級崩壊やいじめの原因に教師説がある。確かに私の実感としても教師が実力者である場合はほとんど生じない。中学校や高校で、同じ学級でも教科の教師によって、生徒が話をよく聞く授業と、集中できない授業になるという話はよく聞く。
 私はジャーナリストとして全国の犯罪事件を取材していた頃、不思議なことに私にだけヤンキー少年が取り囲み、いろんな情報を知らせてくれた。もし自分が教師になったら彼らのような若者の役に立てるかもしれないと思い、私は教師になった。
 このような経験が教師として出発点となったものだから、私の教師生活はどこか傲慢さをはらんでいた。この傲慢さがほころびを生む。国語の授業中、小学2年生の女の子に「何しゃべってのるか、わかんないよ!」と言われた。
 私は焦った。逃げ出したかった。今思い出しても冷や汗が出る。この女の子の指摘は、私という教師を作りあげる契機となった。これ以降、私は徹底した授業準備、授業技術の習得に邁進し始めた。
 私がジャーナリズムの世界から教師に転身したとき、最初は公立小学校だったが、現在は中学高校一貫校の教師であるため、子どもを成長させない残念な教師とは主に中学校や高校の教師のことを指していると理解していただきたい。
 私が直接見聞きしたことや、研究会等で報告されたことに私の分析を加えて紹介していきたい。
(1)
鈍感な教師
 残念な教師の半数以上は生徒よりも「鈍感」である。私もかつては気づけない教師だった。教師が持つ鈍感さは、学校の教室という閉鎖された所で、誰にも非社会性を指摘されずにきた点にあるのではないだろうか。
 授業中、そのクラスの雰囲気を感じ取れず、毎授業、冒頭から最後まで同じペースで語り続ける、といった残念な教師の振る舞いはどこの学校でも見られるが、それが改善したという事例はあまり聞こえてこない。
(2)
学ばない教師
 あるアンケート調査によれば、教育関係の本を年間20冊以上読む教師は23%となっていた。教師として読むべき実践事例や研究といったものが、ごまんとあるのにそれを知らないまま実践をしている教師が多い。
 ある中学校長は「教員養成系大学を卒業した若手教師でも指導案すら満足に書けないよね。斎藤喜博や東井義雄も知らないからね。若い教師がよくいう『子どもが好きで』は当然でさ、そこから何ができるかが大切なんだから」と嘆いていた。
 
「学びの共同体」で知られる佐藤学教授は「古来、教えるという不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。よく学ぶ者のみが教えることが許されたのだ」と述べている。
 私は時間があれば、出かけ様々な人と交流するようにしている。私は生徒によっても形作られている。人は人の間で育つ。私自身多くの人に磨いていただいて今があると思っている。
(3)
学べない教師
 
「生徒は教師の話を聞くのが当たり前」というスタンスでは教育が成立しなくなったことに気づいてない教師がいる。こういう教師は、話法の向上や話す内容の精選、生徒が話しを聞くときの心理に目を向けない。
 先輩教師の素晴らしい実践を見せてもらっても、その良さがわからず、何も学べない教師がいる。私自身、何人も出会っている。
(4)
練習をしない教師
 説明することを抜きに授業はできない。生徒は下手な説明しかできない教師をすぐに見限る。だから教師は説明の技術を向上させる必要がある。しかし、教師の多くは説明の練習をしない。私は練習をせずに授業をしたことはない。そもそも練習なしに生徒を満足させることは考えられない。
 教師は多忙で練習する時間が限られるので、大切な部分(授業の冒頭やまとめ、重要な所、生徒がつまずく所)を対象として練習する。説明には、語彙の選択、発声、声量、速度、抑揚、くり返しなどの強調表現、話すときの表情などチェックすべきポイントがあり、練習し反省しなければ技術は伸びない。
 だから、自分の授業を動画で撮影して確認すべきなのである。そうすることで、自分の動きと声が合っているか、全員に届く声量・速度で話せているか、一文が長くわかり難い説明になっていないかなど、冷静に分析できる。
 私は、自分の授業を全て撮影し、それを何度も見て弱点部分を意識して練習を繰り返すことで改善してきた。さらに研究授業など緊張する授業実践を多くし、教師同士が学び合ったりすることが重要である。
(5)
先人の意図を理解せず追試する
 
「教育技術の法則化運動」を起こした向山洋一が求めた技術は「指示」だった。指示をしっかり理解して実践すれば、全員跳び箱を跳ばすことができるようになったからである。この活動は教師にとっては福音となった。
 指示は短い方がいい。確かに熟達者の指示は短くて明快なので若手教師でも盗みやすい。私もそれを使ってうまくいった経験がある。
 だが、未熟な教師は適当にざっくりと盗んでくるのだ。追試するとき、言葉の隅々までケアしていた先人の意図は伝わらず、生徒から質問がでると、詳細な理解をしておらず返答に苦慮する。すると学級の空気は冷えたものになり、それが続くと「あの先生は何を言っているのかわからない」となる。
(6)
見づらい板書
 中学・高校教師の書く板書の約半数は見づらい。小学校の教師は字も綺麗で良い。赤チョークやホワイトボードの緑ペンは見えないことがある。教科書に書かれている内容の劣化版イミテーションを黒板に再現することを板書だと考えている教師が多数いる。
(7)
ダメなプリント(ワークシート)
 プリントも生徒にとって非常に見づらい、わかりづらいものが多い。例えば、情報の配置に無自覚で視線の移動を考えていないもの。余白がすくなすぎて書き込めないもの。引用がずらずら書かれているもの、がある。
 塾などで、そのような汚いプリントが配られることは少ない。プロの教師として対人意識が希薄だと生徒に判断されてしまう。
(8)
課題の出来具合を確認することしかしない机間指導
 机間指導は課題の出来不出来を確認する程度しかなされていないことが多い。私が求めるレベルはこのようなものではない。生徒の様子や質と、その変化を見るのだ。
 例えば、筆箱の種類、机の落書き、髪型、色の好み、芸能人等の好みといった基本情報から、服の汚れ、フケや白髪の量、爪の状態、アイプチしているかまで多岐にわたる。これらの情報をカルテ化してキープしておく。すると会話のきっかけになったり、SOSを捉えられたりするのだ。
 生徒の変化を見ることのできる機会はそう多くない。授業中がチャンスだといえる。
 机間指導で注意すべき点は、教師の清潔感と匂いと距離である。相手は多感な10歳代である。汚らしい大人には近寄られたくない。私も爪を切る、髪型を整える、シャツやズボンの折り目やしわをとる、食後に歯磨き、口臭予防のガムを常備することを励行している。
(9)
子どもをよく見ない
 授業中に黒板と教科書のみに視線を集中し、一部の生徒しか見ない教師がいる。生徒は教師をよく観察している。「あの先生は、いつも○くんばかり見ているよな」と、不平が出る。その教師の授業を見にいくと、たいてい独りよがりの動作や授業展開であることが多い。結果として教師と生徒の距離が遠くなり、教室が冷えているように感じる。
(10)
子どもを怒鳴れない
 私が怒鳴る理由は2つある。まず、教室の緊張した空気が生徒の心理や理解に効果的に働く場合である。だから怒鳴ることは全て計算づくであり、論理的に筋道の通っていないことを言ったことはない。感情で怒鳴るのは教育行為ではない。
 現実的に、怒鳴るレベルでないと、生徒が大人をなめる状況が生まれることもある。往々にしてヤンチャな生徒は甘い教師をなめる。この力関係ができあがると、指導が非常に困難になる。
 全ての教師がそうである必要はないが、父性を担当する教師は怒鳴ることができないと、生徒と対決する場面で指導力が弱まってしまう。適切な怒鳴りができれば、生徒に内容を深く理解させられることも多い。
 もう一つ、誰からも怒鳴られたことのない者が社会の荒波を乗り越えていけるのかという点である。今の生徒は社会の荒波をも乗り越えいかねばならない。そのためには心理的な屈強さが不可欠であり、それを身に付けてもらうために壁になろうというのが、私の考え方である。
 しかし、何度もシミュレーションし、怒鳴るしかないと決めて怒鳴った日でも、ひどく落ち込む。教育には完璧がないと実感する瞬間である。
(
林 純次:1975年埼玉県生まれ、大手新聞社記者、ジヤーナリストを経て関西の中高一貫校教師。読売教育賞優秀賞(国語)

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学級崩壊させないためにも、今の時代の教師として身につけるべき資質とはなにか 

 私は教師生活が20年を超えていますが、教師に必要な資質をあげろと言われたら、次のように答えます。
1 いつも笑顔でいること
 教師が子どもたちのそばに、いつも上機嫌でいること以上に教育効果を発揮する教育手法などないと、考えるに至りました。教師は子どもたちのモデルです。もし、子どもたちと和気あいあいと過ごし、なごやかな子どもたちを育てたいと思うならば、教師であるあなた自身が常に上機嫌で「いつも笑顔でいること」が必要なのです。
 いつも機嫌よく過ごすためには、よく寝なければならない。余裕をもって仕事を進めなければならない。子どもとのトラブルさえ楽しめるような心の余裕もっていなければなりません。それができないうちは、実は教師としての実力もまだまだなのです。
 楽しくないことがあっても、多少体の調子が悪かったとしても、子どもたちの前では上機嫌に振る舞えることが、教師にとって最も求められる振る舞いなのです。そういう原因が自覚できれば、けっこう対処の仕方というものはあるものです。それを意識して子どもたちの前に立っているうちに、特に意図的に振る舞わなくても、ほんとうに上機嫌でいられるようになるものです。
 いつも笑顔でいることができないということは、おそらく人生を楽しめてない場合が多いのではないか、私はそんな気がします。
2 孤独に耐える力をもつこと
 教師という職業は、子どもたちを「社会に有用な人間」「将来、自分で生きていくことができる人間」にするために「自立した大人」へと成長させるためにあるのです。子どもに好かれるためにあるわけではないのです。
 教師が良かれと思ってしたことが子どもや保護者に理解してもらえないことがあります。教師には子どもや保護者とぶつかったとしても筋を通さねばならないことがあります。それでも笑顔でいなければならないということです。自分が正しいと判断したこと信じて行う。人を導くには孤独をかみしめることも少なくありません。幾度となく孤独に耐えねばならないのです。それがリーダーであり指導者なのですから。
 子どもに嫌われるのに耐えられなくなったり、保護者のクレームを怖れて事なかれ主義に陥ったり、同僚とのあつれきを避けて納得できない提案を受け入れたりするのは、すべて「孤独に耐える力」欠如が原因なのです。教師たる者は孤独に耐えねばならぬという覚悟が必要です。
3 無駄もまた楽しむ
 教師は子ども相手の仕事です。当然、指導してすぐに成果があがるとは限りません。すぐに成果が上がらないのが普通です。一度指導しても、また同じことを子どもがしてしまうこともあります。
 
「あんな子に指導しても無駄だから指導しない」と言っている教師がいました。気持ちはわからないでもありませんが、それは仕事を放棄しているのと同じです。だって、教師の仕事は無駄の連続なのですから。無駄だからしないと言ってしまっては、教師の仕事はほとんどなくなってしまいます。
 一つの指導、一つの取り組みによってすぐに効果があらわれることは皆無です。それを続けることでしか、成果があがることはないのです。「それでもやる」、教師の仕事はその連続です。やり続ける覚悟が必要なのです。長いスパンで子どもを見つめていると成長しているものです。いろんなことが見えてくるものです。
4 子どもといっしょに馬鹿げたことを楽しめること
 人はいっしょに笑った分だけ、人間関係を築くことができます。いっしょに楽しく過ごすということだけが重要なのです。学生時代の友人とのやりとりを思い浮かべれば合点がいくはずです。一見意味のない、くだらないことにいっしょに取り組む。そしてばかばかしいなと大笑いする。
 行事やレクレーションなどでは、子どもたちとともに楽しむ姿勢が必要です。何度もいっしょに行うことが、少しずつ大きな意味をもち始めることもあるのです。
 いつも苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたり、口うるさくお説教ばかりしていたりしていて、子どもたちに「自分の言うことを聞け」と言っても無理があります。もちろん、必要なときには指導をしなければなりませんが、日常の学校生活においては、馬鹿げたこと、くだらないことを子どもたちといっしょに楽しめる感性をもちたいものです。
5 学級を統率していくコミュニケーション能力
 学級崩壊にならないためには学級を統率していく力が必要です。それには、つぎのような3つのコミュニケーション能力が必要です。
(1)
自己主張
 自分の意見をしっかり主張することができ、他人のネガティブな言動や態度に対してしっかりと戒めることができる力。
(2)
共感力
 他人に対して思いやりをもち、他人の立場や状況に応じて考えることのできる力。リーダー性にとって絶対に必要とされる能力。
(3)
同調力
 バラエティ番組に代表されるような「場の空気」に応じてボケたりツッコミを入れて盛り上げたりしながら、常に明るい雰囲気を形成する能力。現代的なリーダーシップには不可欠と考えられている。
 教師はいま、この3つの力の総合力としてのコミュニケーション能力をもたねばならない立場に置かれています。ベテラン教師、お母さん教師、優しいお兄さんお姉さん教師が学級を統率できずに学級を崩壊させる要因がここにあります。
6 自らを変える
 教師は成長することが重要です。成長とは自らを変えることです。常に自らを変化させようとアンテナを高くする。現状を一歩でも進める方法はないかと常に考えている。そういう教師だけが子どもたちを導く資格があると私はそう考えています。
 教師は何より変化を恐れます。変化しないことが楽で安全で安心だからです。しかし、同じ手法を8~10年程度使っていると、時代の変化や子どもたちの変容によって耐用年数が切れてくるものです。転勤して質の異なる子どもたちを受け持っているにもかかわらず、同じ手法で実践し続けるという傾向もあります。常にいま目の前にいる子どもたちの実態に合ったシステム、スキルを身につける必要があるのです。
 教師が変わるために最も必要なことは「自信」です。変えることによって、想定外のことが起こる。それに対応できるという自信がある人はシステムやスキルを変えることができるのです。自信をもっていない人ほど変えられません。
 教師は子どもたちに「変われ」と言い続けなければならない立場にいるのです。そんな私たち自らが現状維持に安住しているとしたら、子どもたちの前に立つ資格があるのでしょうか。
 成長しないことは子どもの前に立つ資格を問われるほど重大事なのです。成長とは現状を破壊し再構築すること、即ち「変化すること」なのです。
 教師が日々学び続け、日々変化し続け、日々成長し続けることによって、教師が自信をもって子どもたちに言おうではありませんか「成長せよ、私も成長する」と。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」を設立、道内の民間教育団体でつくる「教師力ブラッシュアップセミナー」顧問)

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