カテゴリー「教師に必要とされる能力」の記事

教師として必要な資質(1)

 実力ある教師は、授業をすれば子どもを魅了し、話をすれば多くの人を引きつける。子どもの力は伸び、保護者の信頼も厚い。
 生まれつきなのだろうか? そんなはずはない。実力ある教師は、どこがちがうのか。
1 実力ある教師になりたいと思うその願いの強さにある
 実力ある教師になりたいと願わなければ実力ある教師にはなれない。
 焦がれるほど熱く願わなければ、達成はできない。
 高校野球で一度甲子園の土をふみたいと願うチームしか、甲子園へはいけない。
 願望や実力は、それを強く願わなくては手にすることはできない。
 教師は、自分も学び続けてこそ人に教えるということが許される仕事なのである。
 平凡な教師でいいと思っている教師に教えられる子どもがかわいそうである。
2 子どもを組織力し構成力する力
 教師の仕事は、学級の子どもたちを授業という事実によって組織し構成し、相互に交流し影響させ合わせることによって成立する。
 したがって教師に組織力・構成力があるかないかによって、授業や行事の質は一変したものになってしまう。
 組織力があり構成力のある教師は、すべての子どもを生かしながら授業や行事を発展させ、そのなかで一人ひとりの子どもが育つのを見守り助けていく。
 教師の仕事は、さまざまな異質のものを持ち、そのときどきに変化していく何十人かの子どもを対象にして、子どもの相互の関連をもみながら対処していかなければならない複雑な仕事である。
 同時に何十人かを対象にし、組織し構成し、そのなかで一人ひとりに対処していかなければならない。
 組織力や構成力を持ち、知識や感覚や表現力を持ったうえに、直接に働きかけ手入れをするための、指導の技術や技能を持っていなければできない仕事である。
 組織力・構成力のない教師は、授業や行事が平板になり、むしろ逆に、子どもの成長を抑えつけたり、押しつぶしてしまったりすることが多い。
3 すぐれた働きかけや手入れをする力
 授業や行事は、教師の働きかけや手入れによって出発し成立していくものである。
 教師のすぐれた働きかけや手入れがないかぎり、子どもたちは、どの子どもも、それまでの日常的な世界にとどまっているのであり、それまでの自分を捨てて、別の世界へと入り込み、自分を別の人間にしていくことなどできないのである。
 教師の働きや手入れとかは、ほとんど教師の言語や身体での表現によってされていくものである。
 そういう教師の表現によって、触発されたり、深く考えたり、自分を変えていったりすることができるのである。
 教師の表現活動の背後にあり、また表現活動の内容となり力となっているものは、教師の豊かな知識とか経験とかであり、また教師の持っているすぐれた感覚である。
 教師が豊かな知識とか経験とかを持っているとき、教師の表現は豊かで明確になり、子どもを豊かに楽しくしたり、子どもの内部にあるものを触発し、生き生きと表に出させるような力となる。
 また、教師がすぐれた感覚を持っていることによって、子どもの表現のなかにあるものを見わけたり、他とつなげたり、さらに子どもの内部にあるものまで掘り出したりすることができるようになる。
4 教師の技術や技能に人間的なものを持つ
 教師の技術や技能は、背後に教師の人間性とか教育観とか、子ども観とか、教材に対する考え方とかがあり、それを内容としての技術や技能である。
 教師の技術や技能がそういう人間的なものを持ち、内容を持ったとき、教師の技術や技能は生きて働くものとなり、子どものなかに豊かにはいっていくものとなる。
 そういう技術や技能がないことには、事実が豊かに確実に動くなどということはない。
5 子どもに対する誠実さ、子どもをいとおしいと思う心、自分を省みる謙虚さ
 これは疑いもなく、すぐれた教師に共通する資質である。
6 3つの指導力を使い分ける
 指導力は、
(1)悪いことは悪いと子どもにしっかりと伝える「父性型」
(2)悩んでいる子どもを包み込む「母性型」
(3)子どもと一緒に楽しむことができる「友人型」
 に分けられます。
 この型を時と場合によって使い分ける能力が必要です。
 批判の多くも、この部分に集中している感じがします。

 

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子どもや保護者が満足する、プロの教師をめざすにはどのようにすればよいか

 子どもを学校に通わせている親のいちばんの関心事は何でしょうか? 
 成績を別にすれば、「子どもが教わる先生はどんな人か」という、教師の人格と実力に一番の興味と関心を持っています。
 子どもを、易しく伸びやかで、公平に扱ってくれるような教師を求めています。親から見れば、授業の実力もさることながら、わが子を大事に扱ってくれるかどうかが重大な関心事となります。したがって、教師はこの親の気持ちを理解することから、始めなければいけません。
 どのように、やるべきことをやるかという方法に教師の個性と実力が表れ、そこにプロとしての力量が問われるのです。
 自分なりのやり方が確立していない試行錯誤の状態であれば、同僚や先輩の教師の技を盗むことも必要です。他の教師の教室内の指導の実態はわかりにくいので、盗めなければ教わるより仕方がないのです。
 私の経験からいうと、生徒指導はやり方の問題です。子どもと保護者を大切にするという気持ちを根底におき、生徒指導の具体的なやり方にどのように反映するかです。
 おかれた状況により違うので、画一的に「このようにするというノウハウ」は必要ありません。むしろ、有害無益です。
 ただ、どのような場合でも、保護者にしっかりと説明する必要があります。明確な説明をしてくれないと保護者は不安になり、教師に文句を言うのは当然です。
 しかし、小学校も高学年になるにつれ、教師の「人柄」だけではダメです。教師としての「指導力」と「学力」が問題となってきます。
 教師が指導力を発揮して、子どもたちが安全で安心して過ごすことができるかを親は気にしています。
 さらに、学校は学ぶための場所です。教師が教える内容と技術について豊富な知識と経験があるかどうかが大切です。
 特に小学校では算数と国語が主要教科であるから、この二教科とりわけ算数は教え方によって上達度が違います。好き嫌いにも影響します。
 教師には親ではできないことをやる使命と役割が与えられているのです。愛情があればあるほど親子間では距離が取りにくい。
 アカの他人であればこそ、ある種の冷淡さが子どもたちから甘えを取り去り、自立心や独立心を育む作用をするのです。つまり教師は他人としての適度の冷たさが必要だということです。
 学校で一番大事な授業は情熱だけではできません。必要なのは知性と教養です。問題解決の方法を考え出す経験や専門的な知識に支えられた知性のほうが、役立つことは言うまでもないことです。
 学校教育は、言うことと行うことを、なるべく一致させることが望ましい。異なると不信感を保護者が持ちます。
 教師に「忙しい」が口癖みたいな人がいます。しかし、プロといわれる教師は、子どもが担任ところへ行っても「今、忙しいから後で」とは言いません。教師にとって最大の仕事は子どもとその親を相手にすることだということがわかっているからです。
 教師はプロとしてやるべきことを粛々とやり、何ごとについても言い分けせずに結果を見てくれという姿勢を持って臨んで欲しいものです。
 学校の教師は自分流でいける職業です。しかし、プロ意識が欠如していると、問題が生じるのです。教師は教育のプロです。プロとは自分の知識や技能を売って給料をもらっているのです。
 学校教育のプロとしての基本の仕事である「授業」と「生徒指導」がきちんとできないのなら、給料ドロボーと言われても仕方がありません。大事なことは問題解決から逃げないことです。
 授業が成立しない、学級経営がうまくいかない、そういう場合は、本人が同僚に相談するにしろ、最後は自分で解決するしか方法はないから、何がなんでも解決のすじ道を見つけなければなりません。
 一番のカギは授業です。良い授業をしている教師に「学級崩壊」などということはあり得ません。ダメな教師の授業は子どもが相手にしないから、授業が成り立たないで「学級崩壊」するのは、昔も今も変わりがないことがよくわかります。
 よい授業とは、子どもたちに「素晴らしい授業」と評価される授業が「よい授業」なのです。
 授業を改善するには、子どもたちから率直な意見をきく、同僚の授業を見せてもらい参考にするなど、あらゆる方法で、日々、授業の改善工夫を凝らす以外に道はないのです。これが教師の仕事のキーポイントです。
 学級経営では子どもが安心して勉強に専念できる雰囲気をつくることが肝要です。学級をワルのボスに仕切られたのでは、子どもは学校へ行くのが嫌になります。いじめを防止することも最重要課題です。
 それでは子どもに理解され、受け入れられる「よい授業」と何でしょうか。
 まずは、子どもの「興味を引く」、「おもしろい」という要素が大事です。さらに、子どもにとって「役に立つ」「ためになる」という要素も大事です。
 教える内容をいかにわかりやすく、興味深く教えるためには、教師自身にかなりの学識がないとできません。
 日々、自分自身に投資して、せめて最低、年間100冊を超える本を読まなければ、子どもたちを満足させる授業を行うことは難しいのではないかと思います。
 また、塾が子どもたちに評価されているのだから、教師もその技を盗むような努力をしてもらいたい。
 塾は子どものニーズに即して、授業内容をどんどん改変します。飽きさせないように、さまざまな工夫を凝らします。
 塾は授業者自身のキャラクターも商品なので、おもしろ系、ハッタリ系、アカデミー系のキャラを作り、子どもの方に顔を向け、必死に自分の授業をアピールします。根本に成果主義があるから、結果を出すためのパフォーマンスが必要なのです。
 教師が、いつまでも「先生」という権威に安住していると、自分の能力は劣化してしまいます。だからこそ、塾の切実感を学校の教師も学んでほしいのです。
(
戸田忠雄:1937年生まれ、長野県の私立、公立学校の教師、公立高校長、信学会長野予備学校長などを歴任し、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。XYサタデースクールネットワーク代表。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた)

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教師に向かない人、向く人とは、教師に必要な人間としての資質とは何か

 教師は、子どもの心をつかみ、信頼され、指導に従ってもらえる関係を作り出す能力が必要とされる。
 教師は子どもとの間に気持ちの通じ合いが求められる。
 しかし、通じ合っても友だち関係ではなく、師弟関係が必要である。
 また、子どもが言うことをきかないと、すぐ怒鳴ったり、子どもに睨まれたら腰がひけるようでは教師の仕事が務まらない。
 こう考えるなら、教師に向かない人は、一般的に言って、
(1)子ども嫌いの人
(2)大人しすぎる人
(3)すぐに感情的になる人
(4)人の痛みがわからない鈍感な人
(5)暗い人
 は、教師に向かないと思われる。
 教師として求められることは、
(1)教育への熱意と迫力
(2)子どもが好き
(3)子どもの気持ちが感じとれる
(4)子どもに軽視されない人間的存在感
(5)スキンシップを深める
 といった能力である。
 また、教師に必要な人間としての資質は、
(1)開かれた柔軟な性格
(2)自信と心の安定
(3)暖かさと協調性
(4)社会的な常識と責任感
 が考えられる。
 実践を通じて自分を見つめ、反省し高め、新たにしていくといったたえまない努力が人間的な成長をもたらすであろう。
(梶田叡一:1941年生まれ、国立教育研究所研究員、京都大学教授、兵庫教育大学学長等を歴任し、奈良学園大学長)

 

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教師に求められる資質とは何か

 教師に求められる資質とは何か、梶田叡一はつぎのように述べています。
1 人間として成熟していること
 開かれた柔軟な人格を持ち、自分を受け入れることができて自信を持ち安定感がある。
 人間的な暖かさと協調性を持つ。
 社会的常識と強い責任感がある。
2 子どもと信頼関係が築けること
 子どもと遊んだり、雑談することに喜びを感じ、子どもの気持ちや感情を察知し、子どもと心のつながりを持つ方法を身につけている。
3 教育に対する使命感と情熱にあふれている
4 授業の指導力がある
 教科の専門的な知識と授業の指導方法に深い理解を持ち、子どものつまずきの対応や子どもの成長をはかることができる。
5 子ども集団を指導する力と信頼をえることができる
 指導が公平で、力の強い子どもに引きずられない。
 集団の動きや子ども一人ひとりの状況を把握できると共に集団に対する指示が的確で規律正しく活動させることができる。
 また子どもたちに熱気と活気を与え、気持ちをひとつの方向に集中させる力がある。
6 常に成長し続ける
 常に学び続け成長し、人間としての生き方あり方についても学ぶ姿勢を持つ。
(梶田叡一:1941年生まれ、国立教育研究所研究員、京都大学教授、兵庫教育大学学長等を歴任し、奈良学園大学長)

 

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教師、教頭、校長はどのような人がよいか

1 子どもが「信頼する」先生、「好きな」先生、「嫌いな」先生
(1)子どもからの「信頼が高い」先生は、
・授業がうまく
・明るく
・元気で
・人間味あふれる教師
(2)子どもが「好きな」先生は、
・ユーモアがあり
・親しみやすい
・やさしく、時に厳しい
・一緒に遊んでくれる
・教え方がうまい
(3)子どもが「嫌いな」先生は、
・えこひいきをする
・短気ですぐ怒る
・がんこである
・独断的である
・小言をよくいう
2 教頭は、臨機応変で、人柄がよい人
 教頭は学校組織を交通整理する役割である。
 どんなことでも臨機応変に子どもの立場にたって交通整理しなければならない。
 教頭の要件は、
(1)誠実・堅実・果敢が求められる。
(2)人に好かれる人間性が根本となる。
(3)対人関係を肯定的にこなす。
(4)自信をもって、明るく笑顔で接する。
(5)ユーモアがある。
(6)人柄がよく、そこにいるだけで職員室の雰囲気が良くなる。
3 校長
 学校の善し悪しは校長で決まる。
 校長の指導力は、教師との良好な信頼関係で決まる。
 指導力は始動力であり、校長の方針や抱負は教師の働きによってはじめて実現する。
 校長の要件は、高い志と使命感と実行力
(1)どんな学校にしていくのか。明確なビジョン、理念を示す。
(2)具体的な対応、方策を選んで決めていくという決断力をもつ。
(3)校長が陣頭指揮をとる。日々の校長の言動が学校の風景に映る。
(4)校長のパワーと、子どもへの情熱の深さが物事の成否を決める
(5)誠実、前向き、ワクワクさせてくれる人柄。
(6)人間味のにじみでる笑顔の人。
(明石一郎:大阪府公立小学校教師、全国同和教育研究協議会事務局長、大阪府教育委員会指導主事、貝塚市立小学校校長を経て関西外国語大学教授)

 

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国語教師に必要とされる能力とは何か

 国語という教科は、ことばでことばを教える教科だから、国語教師に求められるのは、話す力や聞き分けられる力、文章表現力や理解力といったことばに対する感性としての言語感覚、国語力である。
 国語教師に必要とされる能力は
1 ことばを理解し表現する力や豊かな言語感覚を持っている。
2 ことばを仲立ちとして自己開示できる力や、他者を受容できる力がある。
3 教材を媒介に絶えず状況をとらえ、新たな状況を創り出す創造者でなければならない。
4 考えや思いを筋道立てて話したり、人の話や文章を豊かに類推・想像したりできる力がある。
5 聞き手や読み手の理解を深めるような話し方や書き方、子どもたちの心に伝わるような表現力をもっている。
6 授業の質を高める指導者としてのつぎのような能力を備えなければならない。
(1)「気力」:やる気・気配り・根気・勇気といったエネルギー
(2)「知識力」:言葉を理解し表現する力や豊かな言語感覚
(3)「識見」:ものごとの道理をわきまえ、筋道をたてて考え、判断し処理していく力
(4)「度量」:正邪を判断し、美醜を見分け、どこまで言うべきかを見きわめる広い度量
(5)「技術」:子どもたちを動かしていく技術
(6)「品格」:子どもたちを暗黙のうちに感化させ、納得させる人間的魅力
 人間としての教師の姿が学習者である子どもたちの目に映り、言語環境を作りあげ、学習全体に作用して子どもたちを育てあげる。
 それがプラスにもマイナスにも作用する。
 国語科の読むことを指導する教材研究に求められる基本的な態度は、次の3点であると私は考える。
1 文章(作品)の精緻な教材分析
 多くの文章は、国語教材として書かれていない。
 したがって、文章それ自体の価値とそれに内在する教育的な価値(国語科の教育目標・内容の具現化に資する)とを見いだすことが求められる。
 教育的な価値を見いだしたときにはじめて、文章は教材として位置づけられる。
 これまでは、「何」が書かれているかという内容に重きをおく傾向がみられたが、これからは「どのように」書かれているかという文章表現や表現方法、叙述のあり方を明らかにすることが重視される。
 つまり、作品を読み味わうだけでなく、作品の読み解き方や文章中の表現・語句の働きに着目させることが求められるからである。
2 文章(作品)と学習者とのかかわりの確認
 取り上げたい文章(作品)が生徒にとって、どのような意味をもつか、生徒がそれらの文章をどのように受けとめるかを予測し、必要に応じて対策を考える必要がある。
3 言語活動の可能性の発見
 それぞれの文章(作品)を教材として取り上げることによって、どのような言語活動(話す・聞く・書く・読むなど)が展開できるかを見通すことが大切である。
 一つの文章でも、その活用次第によっては、討論の学習や作文・小論文の発想指導に活用できたり、文章の読み方の学習が展開できたりすることがあるからである。
 個々の文章(作品)がもたらす言語活動の可能性を見いだすことは1時間の授業展開を構想することにつながる。
「読むこと」の指導における重要な目的の一つは、とりわけ美しい、優れた日本語表現に気づかせ、生徒たちの言語表現に生かせるようにすることである。
「言語そのものの韻律的な美」「人物描写や情景描写等の優れた表現」などに気づかせるのである。
(相澤秀夫:1949年宮城県生まれ、国公立中学校教諭・指導主事、文部科学集教科調査官及び海外子女教育専門官、宮城教育大学教授を経て宮城教育大学名誉教授。専門は国語科教育)

 

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教育は修養を楽しめる子どもにつくりあげること、そのためには教師はどのようにすればよいか

 教育は修養(知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること)を楽しむ子どもにつくりあげることが最も重要である。
 修養の味を知れば、子どもは生涯、向上発展して止まぬ。自分自身に満足を求めるから、他と比較して、羨望し、煩悶し、憤慨することはない。
 修養を楽しめる子どもにするためには、私はただ一つの方法しかないように思う。その方法とは教師がひたすら修養を楽しむということである。
 修養の味を知らない者が修養の味を知らせようということは、無から有を生じさせようと計画するのと同じで、不可能である。
 教師が修養の味をしめてさえいれば、説かなくても、その一挙一動が有力な説明である。
 教師が修養の味をしめるには、どのようにすればよいか。
 私は人間を育成する教育は、名画家や名俳優以上に、日々教壇に立って行う授業に、入神の技が必要と主張する。
 これを求めるには知識のみではだめである。方法のみでも得られない。本性に帰ることに努めねばならない。
 修養の本性は人間の本性にたち帰るという意味である。
 私は、人間の本性を定義することはできない。
 ただ明鏡の如き止水、七色の配合した太陽の光線、七情の調和した人間の本性、これらを思いあわせて、万物一如の真理を認めないわけにはいかない。
 人間の本性を悟ったものは、利害得失の思いを超越してしまう。この本性を得るには修養しかない。
 本性に帰る最も早い道は、端座瞑目して自己の内観につとめるのがよいと思う。
 私の内観の方法は、自然にまかせて、意識にあらわれるものを静かにながめて、去るものは追わず、来るものはとがめないのである。
 お金もあらわれる、美人もあらわれる、名声・利達・嫉妬・怨恨、あらゆる悪徳の行列が通る。
 あさましいが、それが七情の仮装であるからしかたがない。過ぎ行くままにまかせていおく。
 これら百鬼は次第に影を潜める。
 かつて夜も眠らぬほど苦悶したことも、児戯に等しい(たわいもない)ように感じて来る。
 こうなると一面には広々とした世界が、次第に展開して来るようになって、本性の閃きかと思われるものが見える。
 内観により、お金よりも、美人よりも名声・利達よりも、嫉妬・怨恨よりも、世相を超越した心の安住の場所が感じられ、人間の「性」とか「道」とかいうものはこれだろうかと思う。
 物があるのではない、規範があるのでもない。世の中の百事をこれに映して、即断即決してもあやまりではないように思われる。これは私一人の経験である。
 私は読書をしたり、他人の説を聞いたりして、人間の「性」とか「道」を会得しようとつとめた。
 いつのまにか自己に「性」が宿り、「道」が行われていることに気づかなかった。
 瞑目は内観を行うために最良に工夫されたものである。端座は身心を平静させる唯一の方法である。
 心身の気分に注意をすると、百鬼の往来する間は、形は端座していても、心は平静ではない。百鬼が次第にその影を潜めてくると、自ら心がひろく体がゆたかになる。
 端座瞑目して内観につとめ実行することを、一日でも怠ってはならない。
 ひたすら心がひろく、体がゆたかなる気分を得ようと端座瞑目するがよい。
 これが即ち修養である。
 内観によって得たものは、強い信念が伴っている。
 信念の伴うものは、事に当たっては融通自在である。
 茶道の達人は茶を点てる技から悟入して、天地を開拓している。
 およそ一道に名を得たる人の動作には、いずことなく典雅の趣がある。
 修養に志す者の身体的工夫の一つとして、丹田に力をこめることを説かないものはない。
 忙しいときや事件に遭遇しても、丹田に力が抜けないように修養すれば、非常時でも普通の事となり、忙中に閑を発見することができるだろう。
 私は、修養の方法として、内観につとめ継続すること、丹田に力をこめること、読書することを勧める。
 常に丹田に力をこめて、自ら内観につとめ、本性のひらめきを認めてここに心を安住し、七情の調和をたのしめば、心はおのづからひろく体はゆたかになる。
 これを何十年も実行すれば、そのうち人生の真意義が、釈然として氷解するときがくるであろう。
 修養の道場として、教室の教壇上と運動場を特にあげたいと思う。
 子どもが事件をおこしたときは丹田の力が抜け、七情の調和がやぶれ腹をたててしまう。
 後で心が平静になったとき、なぜこの事に腹をたてたのか、即ち怒る要のないときに怒ったということが多い。
 教師は太陽が年中その光を閉ざさないように、雲が光を覆うことがあっても、雲が去ると共に輝きだす態度が望ましい。
 万物は太陽の光により成長し、子どもはこれがために育つのである。
(芦田恵之助:1873(明治6)-1951(昭和26)年、兵庫県生まれ、東京高師付小学校教師、全国各地で授業をする。国語教授法や随意選題の綴り方教授法を考え実践した。小学校国語教育に多大な影響を与えた)

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楽しい魅力ある教室をつくるためには、教師であるあなたが魅力いっぱいに

「子どもたちが変わってきた」
「子どもたちがわからなくなってきた」
「低学年を担任しても、今までの経験ではどうもうまくいかない」
 といった声をききます。
 現代の子どもたちにとって、楽しい学校、魅力ある教室をつくることは、教育の大切な課題といえます。
 そのためにまず、先生であるあなた自身が、子どもたちの前で魅力いっぱいに活躍してください。
 先生がまず学級のリーダーになって楽しい教室のムードづくりを。
 教室の主人公はもちろん子どもたちですが、そのリーダーはあなた。
 むかしのガキ大将になったつもりで、子どもたちの中にとびこんでいきましょう。
 それには、まずあなたが変身を。
 子どもたちに人気の先生像は「たのしい先生」「やさしい先生」です。
 あそびは子どもの生活と学習を活発に刺激して、学習効果もあがります。
 なにより、あそび名人の先生はすてきです。
 ゲーム指導のコツとポイントは、
1 ゲームをするときは、子どもたちをよく見ること
 ゲームにとりくむときに、気をつけることは
(1) 子どもを生き生きと活動させるのが目的です。
(2) のってこない子に、「やりなさい!」と強制しないこと。
  この場合ははやめにきりあげるように。
(3) 調子の悪い子どももいるので、子どもの状態をよく見てください。
2 ゲーム指導のコツ
(1) まず指導者がたのしく
  教えるのではなく、たのしさを感染させる。
(2) 練習はおこたりなく
  やり方をよく知り、ひそかに練習を。
(3) 臨機応変に
  その場の雰囲気に応じて変化させる。
3 うまくやるポイントは
(1) 子どもたちを見回せるゆとりを持とう
  きょうはどの手でせめてやろうか?
(2) オーバーアクションをやれる演技力をつけよう
(3) はずかしがらないで
(4) さっときりあげるタイミングが肝心
(奥田靖二:元東京都公立小学校教師、子どもの文化研究所員、新しい絵の会会員、マジックの腕もプロ級)

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教師になりたい学生や、若い教師に知っておいてもらいたいこと

 将来教師になりたいと考えている高校生や大学生、それから教師になって5年目までの先生方に理解してもらいたいこととは何か。
 池田 修京都橘大学教授は大学教員になる前、約20年間中学校で国語科の教師をしてきました。
 教育の現場でやってきた事実と、アカデミックな理論・哲学の両方の視点が必要だということです。
 一般的に、現場の先生が書かれた本を読むと、どうしても「教育の方法のみのHow to本」になってしまう傾向があります。
 しかし、どうしてそのHow toが必要なのかということ、つまり「その背景にある教育の理論や哲学といったものを考えなければならない」と池田教授は思うのです。
 池田教授が中学校教師になった頃は、教育の指導技術というのは、いわゆる名人芸でした。
 それがこの後何十年間に、指導方法がかなり整理されてきて、今日では、「こうすれば教師になれる」というようにマニュアル化されてしまいました。
 しかし、本来そうしたマニュアルの背景には、「このような目的を達成するため」という指導者の理論や哲学があるはずです。
 指導の技術を通して教育の哲学と理論を考えていってもらいたいと池田教授は伝えたかったのです。
 日頃、
大学で教えていて感じるのは、技術を習得すれば指導ができると学生達は勘違いしてしまうことです。
 本当なら、そこから教育の哲学を考えていかなければならないのです。
 例えば、黒板に字を書く時には、注意の6割を生徒に、4割を黒板に向けるという6:4の法則があります。
 学生たちはこの法則を教わってなるほどと思うのですが、6:4の構えを型どおりに実践することのみに気を取られ、これが子どもに伝え、理解させるための方法だということがわからないんですね。
 そもそもテクニックは何のためにあるかが抜け落ちてしまっているのです。テクニックやマニュアルの根本的な哲学を考える必要性を痛感しています。
 普通、教師になって3年ぐらいで、自分の教育スタイルがだいたい決まってしまいます。
 それ以降は一国一城の主となり、他者の意見を聞かなくなってしまいがちです。
 ですから、合格をゴールとするのではなく、新卒5年目ぐらいまでは懸命に勉強すべきなのです。
 池田教授の本の読者から頂いた感想によると、この本が自分の教育を考え直すきっかけになったという先生もいます。
 一校目の赴任地で教師スタイルが決まってしまうので、若い先生はどんどん学校を変わった方がよいと私は思います。
 校風というのは、それぞれの学校によって全く異なるものですからね。
 教師を目指している学生には、もっとたくさん本を読んでほしいものです。
 そうすると、「どんな本を読んだらいいですか?」と質問する学生が多くいますが、これは本を読んでいないことを意味するのですよ。
 100冊読めば、本の方から「次はこれを読んで」と言うはずです。
 文章を通して内容を豊かに想像することができるので、活字本をたくさん読むことが望ましいです。
 こうして本をたくさん読むことによって、雑学が身につきます。
 特に小学校・中学校教育においては、雑学はとても大切です。
 教師は、教えたいテーマの周辺に雑談を織り込むことをよくします。
 これにより、子どもたちはストーリーとして記憶し、学習していきます。
 この雑談ができるようになるためには、雑学が必要なのです。
 色々と読んでいったら1年間に軽く100冊は超えますよ。
 それから、色々な先生の授業をその先生の立場で見てほしいと思います。
 池田教授は「視座の転換」というものを求めています。
 子どもたちの側と、先生の視点・立場で物事を見なさいということです。
 池田教授は、大学の恩師から「授業は、子どもの事実から作るもんだ」と指導されてきました。
 子どもの事実とは、子どもの興味や要求や学力のレベルなどだと思っています。
 そこから、授業を作っていく問題解決型の授業づくりをしていただきたい。
 教師の視点で見る例をあげると、
 池田教授の受け持つある講義では「100人の子どもを引率して○○に行く」という実踏計画(実地踏査の計画)を学生に立てさせています。
 まず計画を立て、実際に現地に行って調べ、さらに計画を書き直すということをしています。
 学生は現地調査で、大人数の子どもを引き連れて信号を一度に渡れないことや、全員集合できる場所の確保の難しさなどを思い知ります。
 これによって、教師の視点というものを多少なりとも持てるようになると思います。
(池田 修:京都橘大学教授。東京都公立中学校教師を経て現職。「国語科を実技教科にしたい、学級を楽しくしたい」をキーワードに研究。 恐怖を刺激する学習ではなく、子どもの興味を刺激し、その結果を構成する学びに着目している。全国教室ディベート連盟理事、京都で教育研究会「明日の教室」主催)

 

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教師に必要な資質として大事なものは何か

 教師に必要な資質として大事なものは何でしょうか。
 教師に必要な資質を考えるということは、自分なりに教師の理想像を抱くことを意味します。
 自分なりの理想像をふだんから意識しながら、それを自らの行動の指針として機能させることは私にはとても大切なことのように思えます。
 こうした問いに絶対に正しい答えなどありません。
 年齢を重ね、経験を重ねるうちに少しずつ考えが変わっていくことはあるでしょう。
 自分の成長にしたがって修正していけばよいのです。
 私は教師生活20年を超えましたが、教師に必要な資質として大事なものは、つぎの5つだと思います。
(1)いつも笑顔でいること
 あなたが教育技術をいくら学んだとしても、いつも笑顔でいること以上に威力を発揮することはありません。
 教師は子どもたちにとってモデルとして機能しています。
 いつも和やかにすごす子どもに育てたいと思うならば、他ならぬあなた自身が常に上機嫌でいることです。
(2)孤独に耐える力をもつこと
 教師も人間ですから、他人に嫌われまいという気持ちが働いてしまいます。
 それが生徒指導を甘くさせてしまったり、保護者に事なかれ主義で対応してしまうことにつながります。
 どれも「孤独に耐える力」の欠如に起因しているのです。
 教師は孤独に耐える力が必要なのだという意識を持っていると、具体的な場面で驚くほど対応が異なってくるものです。軽視してはいけません。
(3)無駄とわかっていることに取り組めること
 教師の一つの指導や取り組みによって、すぐに効果があらわれるわけではありません。
 しかし、そうした指導や取り組みを続けることでしか、成果はあがらないのです。
 生徒たちを変えたい、成長させたいと考えるならば「無駄とわかっていてもやり続ける」という覚悟が必要なのです。
(4)子どもといっしょに馬鹿げたことを一生懸命にやるのを楽しめること
 人はいっしょに笑った分だけ人間関係を築くことができます。
 学生時代の友人とのやりとりを思い浮かべれば合点がいくはずです。
 行事やレクレーションなどでは、生徒たちとともに楽しむ姿勢が必要です。
 馬鹿げた取り組みを何度もいっしょに行うことが、少しずつ大きな意味をもち始めることもあるのです。
(5)いつでも変われること
 教師は成長することが重要です。
 それでこそ生徒を教育する資格があるのです。
 成長とは自らを変えることです。
 実は、変化を怖れる人、現状維持にどっぷりとつかっている人は教師に向いていないのです。
 常に自らを変化させようとアンテナを高くする。
 何か現状を一歩でも進める方法はないかと常に考えている。
 そういう教師だけが生徒たちを導く資格があると私は考えています。
(堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」を設立、道内の民間教育団体でつくる「教師力ブラッシュアップセミナー」の代表も務める)

 

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