カテゴリー「教師に必要とされる能力」の記事

教師にとって最も必要な資質とは何か、また授業の実力を高めるにはどうすればよいか

 教師としての楽しみは「教師になってからの努力」によってこそ、もたらされます。初心を忘れ、現状に安住して過ごすようになると、教師人生の楽しみは半減してしまうでしょう。「進みつつある教師のみ人を教える権利あり」という言葉を心に刻んで進むべきだと思います。
 人生において、自分自身の資質や力量を高めていくことほど、すばらしいことはありません。自分の上達を実感できることは最高の喜びです。
 上達していくためには、他の人からの意見や批判によって、それまでの自分の考え方や感じ方を省みることが必要です。常に「自分の現状の否定と破壊」を自らに課する必要があると言えるでしょう。
 つらいこと、聞きにくいことにも、耳を傾けなければなりません。自分を変えて、変えて、変え続けることによって、徐々に望ましい自分になっていくのです。
 私はこれまで、たくさんのすばらしい先生がたにお会いしてきました。共通するのは、謙虚で素直だということでした。
 教師にとって何よりも大切なのは、自分が人間として教師としても、まだまだ未熟である、という自覚を常に持つことです。そうすれば、より向上したいという意欲がわいてくるものです。
 自分が未熟であることを自覚し、謙虚であり続ければ、正直になります。自分をよく見せようとする必要などありません。
 すると、教師自身が楽になるだけでなく、勇気を持って子どもたちと向き合えることになります。自分が間違っていたとわかったら、素直に改めていけばよいのです。
 自分を省みつつ、向上させていく教師には、子どもたちも心を開き、その姿勢を見て学び、成長していくのです。
 この「謙虚さ」と「向上心」の二つは、すべての教師にとって最も重要な資質と言えるでしょう。
 自分をより高く伸ばそうと思うなら、優れた人に直接会うことが最も近道です。いろいろと問いかけ話の糸口をつくることが望ましい。そして素直に聞くことです。
 上達の一番の条件は素直さです。まずは素直に教えを受け入れ
(1)
その指摘は、私の授業のどこにあてはまるだろうか。
(2)
その指摘を取り入れると、私の授業のどこが変わってくるのだろうか。
(3)
そのように実践したら、私の授業はどういうことになるのだろうか。
(4)
この指導は、私の授業のどこをどう改めよということになるのだろうか。
というように、自分の実践をまな板にのせて、受け入れることが大切です。そうすることによって、より良い実践が生まれてくるはずです。
 授業のレベルを上げるには、優れた授業者の授業を参観することが、最も効果的です。その場合も、発問法を見るとか、受けの技術を見るとか、学習形態の組織の仕方を見るとか、はっきりとした問題意識を持ち、具体的な目的を持って見ることが大切です。
 さらに、自分のふだんの授業を他の人に見てもらうことは、いっそうよい勉強になります。研究授業の回数は多ければ多いほどよいのです。それは教材研究や授業の腕を磨いていくことに役立つのです。
 授業では、子どもたちの反応を見ながら、常に工夫を加えていきましょう。授業を行った後に、指導案に授業の気付きをメモ書きし、反省を記入することをくり返すとよいでしょう。日頃の積み重ねが実力を高めます。
 授業の実践を記録するには、学級通信を利用するのもよい。授業の様子や学級のできごと、教師の思いや意見を記すと、特別に時間をかけなくても、教育実践の記録を積み重ねることができます。
 経験はぼんやりと繰り返しながら積んでも力にはならない。「こうしてみよう」「あれを加えてみよう」「あそこを削ってみよう」と、常に意図的に積むことが肝要なのです。
 私は本当に優れた先達との出会いに恵まれてきました。多くのことを教えてくださる。それが自分の成長の糧となるのです。すばらしい喜びとなるのです。
 一つひとつの出会いに意味を見い出せるかどうか、ということこそが、実は人間の成長の分かれ目のような気がします。
(
野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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子どもたちが求める教師のタイプとはなにか、そうなるには教師はどうすればよいか  

 教師には大きく分けてつぎの4つのタイプがあります。
(1)
父性と母性が共存している教師(2割)
 厳しく接したり、グイグイ引っ張ったりすることもできるし、逆に優しく包み込むこともできる教師です。
 ふだんは「このクラスは、こんな学級をめざすぞ!」と子どもたちを引っ張る。一方で、子どもたちが悩んだり、ぐずったりしたら、彼らの声に対して耳を傾ける。
 子どもたちをグイグイ引っ張る「リーダーシップ」と、いたわったり悩みを聞いたりする「カウンセリングマインド」。この両方ができる先生が一番良いわけです。
 この担任のクラスは、落ち着きがあって、しかも、一人ひとりの子どもがいきいきとしています。なぜならば、担任がつねに、一人ひとりの子どもに関心を向けているし、同時に、規範をもって子どもたちを導くので、集団の団結力もでてきます。
 子どもたちは頼りがい(リーダーシップ)とあたたかさ(カウンセリングマインド)を兼ね備えた教師を求めています。
(2)
リーダシップのみの教師
 厳しさはあるけど、優しさのない教師。子どもに対しては常に厳しく接する。些細なことでも「何やってんだ、お前は!」と大声で叱責し、クラスがシーンとなる。けれども、子どもの気持ちはわかっていないし、楽しさもない。だから子どもたちはストレスが溜まりやすいのです。
 その教師がいるときクラスは静かです。けれど、子どもたちはストレスが溜まっているから、他の教師の授業では荒れてしまう。
 クラス替えなどで、その教師から離れると、子どもたちの一部が急に荒れ始める。でも、この教師は「オレが受け持っていたときは静かだった」と、自分に原因があるのにもかかわらず、平然と言う。
(3)
カウンセリングマインドのみの教師
 子どもに優しく接することができ、遊び心もあるが、ビシッとすることができない。若い教師に多く見られるタイプです。
 彼らは子どものご機嫌取りに走ってしまう。ルールをしっかり守らせない。目標を明確にしない。友だちのような教師になってしまう。教師と遊びたい子は、このタイプの教師が好きですが、楽しいけれど、まとまりがない。ザワザワといつもうるさい。
(4)
リーダーシップもカウンセリングマインドもない教師(1割)
 やる気があるのか、ないのかわからない。子どもたちにビシッと接することもできないし、優しい言葉をかけることもない。子どもたちから端的に嫌われるタイプです。このタイプの教師が担任をすると学級崩壊しやすい。
(5)
中学校の生徒
 子どもたちは、頼りがい(リーダーシップ)と、あたたかさ(カウンセリングマインド)を兼ね備えた教師を求めています。
 中学生は教師に「正しい大人」を求めています。正義感がある教師、信頼できる教師の人気が高い。チャラチャラしている教師は嫌われます。
(6)
高校の生徒
 高校生になると、「正しさ」は以前ほどこだわらず、勉強をきちんと教えてくれる教師を好むようになります。悩みなどをちゃんと聞いてくれるうえに、勉強の教え方が上手な教師に生徒はついていきます。
(7)
一番嫌われる教師
 気分次第で叱る教師です。感情をあらわにし、すぐカーッとなって叱り飛ばす。感情で動く教師は毛嫌いされる。ほめた場合も同様です。
 冷静にきちんと説得してもらえたら、子どもたちも納得できるのですが「先生、今日は機嫌が悪いな」としか伝わらない。
 子どもの立場から言うと、叱るなら叱るで、どういう理由で叱っているのか、きちんと教えて欲しいということです。
 以上のように教師にはいろんなタイプの教師がいます。どうすればよいのでしょうか。
 人間として、自己成長するうえで重要なのは、その人の個性、自分らしさを発揮していくことです。
 コツコツ教材研究をする教師は、それがその教師の取り柄なのです。それを「まじめすぎるからダメなんだ。もっと遊びを覚えなさい」と管理職が言ってはいけません。それはその教師の本質(個性)を否定することになるからです。自分の本質を見失っては、けっしてよい教師にはなれません。
 自分の取り柄がコツコツまじめにやることしかないのだとすれば、それを最大限に生かして、「コツコツまじめに」お笑いの研究やネタの分析をすればいいのです。それで子どもたちの笑いを取れば大成功です。
 自分の魂の本質を否定しない形で、個性を生かしながら、それをどう生かしていくかと考えて自己成長していってほしいのです。
 自分の魂の本質とは何か。それを探るもう一つのポイントは、子どものころに熱中していたことを思い出すことです。そこにあなたの魂の本質が現れます。
 小さいころから友だちに何かを教えることが好きだったかもしれません。この人は授業が好きなのです。
 教師としての持ち味には、生まれつきの個性が大きく影響しています。変えようとしても変わるものではありません。それを否定せずに、うまく生かす形で教師として成長していってほしいものです。
 もう一つ大切なのは、教師人生の中で起きるさまざまな出来事から、日々学んでいくことです。人生のすべての出来事は、気づきと学び、自己成長のチャンスである。・・・・こんなふうに考えてください。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授。カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリング、教師のサポート、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、悩める教師を支える会代表)

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子どもに侮辱されたときの対処法

 子どもは教師の怒り、動揺、いらつき、焦りの表情を見逃しません。すぐに弱点を嗅ぎとり、弱いところから攻めてきます。怒りや動揺などの反応を楽しみ、教師を試すためにいろいろな挑発をするようにもなります。
 教師としての大切な資質に「平静さ」と「演技力」があります。平静を装う演技力のない教師は、子どものレベルに落ちて、あっという間に子どもたちの術中にはまってしまいます。学級の秩序は雪崩を打って崩れます。
 カッとなりそうになったときや、なってしまったときの対処法を決めておくと、少しは演技力がつきます。同僚の教師が持っている処方箋を教えてもらいましょう。教師同士でロールプレイをすれば、トレーニングをかねて身につけることができます。「あ、トイレ!」とか適当な理由をつけて、その場を離れるのも一つです。
 とにかく気持ちを鎮め、頭を整理しましょう。大人の余裕を見せてください。たとえば、
(1)
平静にして沈着
(2)
恬淡(欲が無く、物事に執着しないこと)にして淡白
(3)
茫洋(広々として限りのないさま)にして模糊(はっきりしないさま)
が、教師の“すごさ”のペースです。
「人は軽蔑されたと感じたとき、最もよく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない」(三木清『人生論ノート』)
(
白須富夫:1950年生まれ、元東京都公立小学校教師、 児童言語研究会会員)


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残念な教師とは、どのようなところが問題なのか

 残念な教師とは子どもを成長させない教師のことである。学級崩壊やいじめの原因に教師説がある。確かに私の実感としても教師が実力者である場合はほとんど生じない。中学校や高校で、同じ学級でも教科の教師によって、生徒が話をよく聞く授業と、集中できない授業になるという話はよく聞く。
 私はジャーナリストとして全国の犯罪事件を取材していた頃、不思議なことに私にだけヤンキー少年が取り囲み、いろんな情報を知らせてくれた。もし自分が教師になったら彼らのような若者の役に立てるかもしれないと思い、私は教師になった。
 このような経験が教師として出発点となったものだから、私の教師生活はどこか傲慢さをはらんでいた。この傲慢さがほころびを生む。国語の授業中、小学2年生の女の子に「何しゃべってのるか、わかんないよ!」と言われた。
 私は焦った。逃げ出したかった。今思い出しても冷や汗が出る。この女の子の指摘は、私という教師を作りあげる契機となった。これ以降、私は徹底した授業準備、授業技術の習得に邁進し始めた。
 私がジャーナリズムの世界から教師に転身したとき、最初は公立小学校だったが、現在は中学高校一貫校の教師であるため、子どもを成長させない残念な教師とは主に中学校や高校の教師のことを指していると理解していただきたい。
 私が直接見聞きしたことや、研究会等で報告されたことに私の分析を加えて紹介していきたい。
(1)
鈍感な教師
 残念な教師の半数以上は生徒よりも「鈍感」である。私もかつては気づけない教師だった。教師が持つ鈍感さは、学校の教室という閉鎖された所で、誰にも非社会性を指摘されずにきた点にあるのではないだろうか。
 授業中、そのクラスの雰囲気を感じ取れず、毎授業、冒頭から最後まで同じペースで語り続ける、といった残念な教師の振る舞いはどこの学校でも見られるが、それが改善したという事例はあまり聞こえてこない。
(2)
学ばない教師
 あるアンケート調査によれば、教育関係の本を年間20冊以上読む教師は23%となっていた。教師として読むべき実践事例や研究といったものが、ごまんとあるのにそれを知らないまま実践をしている教師が多い。
 ある中学校長は「教員養成系大学を卒業した若手教師でも指導案すら満足に書けないよね。斎藤喜博や東井義雄も知らないからね。若い教師がよくいう『子どもが好きで』は当然でさ、そこから何ができるかが大切なんだから」と嘆いていた。
 
「学びの共同体」で知られる佐藤学教授は「古来、教えるという不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。よく学ぶ者のみが教えることが許されたのだ」と述べている。
 私は時間があれば、出かけ様々な人と交流するようにしている。私は生徒によっても形作られている。人は人の間で育つ。私自身多くの人に磨いていただいて今があると思っている。
(3)
学べない教師
 
「生徒は教師の話を聞くのが当たり前」というスタンスでは教育が成立しなくなったことに気づいてない教師がいる。こういう教師は、話法の向上や話す内容の精選、生徒が話しを聞くときの心理に目を向けない。
 先輩教師の素晴らしい実践を見せてもらっても、その良さがわからず、何も学べない教師がいる。私自身、何人も出会っている。
(4)
練習をしない教師
 説明することを抜きに授業はできない。生徒は下手な説明しかできない教師をすぐに見限る。だから教師は説明の技術を向上させる必要がある。しかし、教師の多くは説明の練習をしない。私は練習をせずに授業をしたことはない。そもそも練習なしに生徒を満足させることは考えられない。
 教師は多忙で練習する時間が限られるので、大切な部分(授業の冒頭やまとめ、重要な所、生徒がつまずく所)を対象として練習する。説明には、語彙の選択、発声、声量、速度、抑揚、くり返しなどの強調表現、話すときの表情などチェックすべきポイントがあり、練習し反省しなければ技術は伸びない。
 だから、自分の授業を動画で撮影して確認すべきなのである。そうすることで、自分の動きと声が合っているか、全員に届く声量・速度で話せているか、一文が長くわかり難い説明になっていないかなど、冷静に分析できる。
 私は、自分の授業を全て撮影し、それを何度も見て弱点部分を意識して練習を繰り返すことで改善してきた。さらに研究授業など緊張する授業実践を多くし、教師同士が学び合ったりすることが重要である。
(5)
先人の意図を理解せず追試する
 
「教育技術の法則化運動」を起こした向山洋一が求めた技術は「指示」だった。指示をしっかり理解して実践すれば、全員跳び箱を跳ばすことができるようになったからである。この活動は教師にとっては福音となった。
 指示は短い方がいい。確かに熟達者の指示は短くて明快なので若手教師でも盗みやすい。私もそれを使ってうまくいった経験がある。
 だが、未熟な教師は適当にざっくりと盗んでくるのだ。追試するとき、言葉の隅々までケアしていた先人の意図は伝わらず、生徒から質問がでると、詳細な理解をしておらず返答に苦慮する。すると学級の空気は冷えたものになり、それが続くと「あの先生は何を言っているのかわからない」となる。
(6)
見づらい板書
 中学・高校教師の書く板書の約半数は見づらい。小学校の教師は字も綺麗で良い。赤チョークやホワイトボードの緑ペンは見えないことがある。教科書に書かれている内容の劣化版イミテーションを黒板に再現することを板書だと考えている教師が多数いる。
(7)
ダメなプリント(ワークシート)
 プリントも生徒にとって非常に見づらい、わかりづらいものが多い。例えば、情報の配置に無自覚で視線の移動を考えていないもの。余白がすくなすぎて書き込めないもの。引用がずらずら書かれているもの、がある。
 塾などで、そのような汚いプリントが配られることは少ない。プロの教師として対人意識が希薄だと生徒に判断されてしまう。
(8)
課題の出来具合を確認することしかしない机間指導
 机間指導は課題の出来不出来を確認する程度しかなされていないことが多い。私が求めるレベルはこのようなものではない。生徒の様子や質と、その変化を見るのだ。
 例えば、筆箱の種類、机の落書き、髪型、色の好み、芸能人等の好みといった基本情報から、服の汚れ、フケや白髪の量、爪の状態、アイプチしているかまで多岐にわたる。これらの情報をカルテ化してキープしておく。すると会話のきっかけになったり、SOSを捉えられたりするのだ。
 生徒の変化を見ることのできる機会はそう多くない。授業中がチャンスだといえる。
 机間指導で注意すべき点は、教師の清潔感と匂いと距離である。相手は多感な10歳代である。汚らしい大人には近寄られたくない。私も爪を切る、髪型を整える、シャツやズボンの折り目やしわをとる、食後に歯磨き、口臭予防のガムを常備することを励行している。
(9)
子どもをよく見ない
 授業中に黒板と教科書のみに視線を集中し、一部の生徒しか見ない教師がいる。生徒は教師をよく観察している。「あの先生は、いつも○くんばかり見ているよな」と、不平が出る。その教師の授業を見にいくと、たいてい独りよがりの動作や授業展開であることが多い。結果として教師と生徒の距離が遠くなり、教室が冷えているように感じる。
(10)
子どもを怒鳴れない
 私が怒鳴る理由は2つある。まず、教室の緊張した空気が生徒の心理や理解に効果的に働く場合である。だから怒鳴ることは全て計算づくであり、論理的に筋道の通っていないことを言ったことはない。感情で怒鳴るのは教育行為ではない。
 現実的に、怒鳴るレベルでないと、生徒が大人をなめる状況が生まれることもある。往々にしてヤンチャな生徒は甘い教師をなめる。この力関係ができあがると、指導が非常に困難になる。
 全ての教師がそうである必要はないが、父性を担当する教師は怒鳴ることができないと、生徒と対決する場面で指導力が弱まってしまう。適切な怒鳴りができれば、生徒に内容を深く理解させられることも多い。
 もう一つ、誰からも怒鳴られたことのない者が社会の荒波を乗り越えていけるのかという点である。今の生徒は社会の荒波をも乗り越えいかねばならない。そのためには心理的な屈強さが不可欠であり、それを身に付けてもらうために壁になろうというのが、私の考え方である。
 しかし、何度もシミュレーションし、怒鳴るしかないと決めて怒鳴った日でも、ひどく落ち込む。教育には完璧がないと実感する瞬間である。
(
林 純次:1975年埼玉県生まれ、大手新聞社記者、ジヤーナリストを経て関西の中高一貫校教師。読売教育賞優秀賞(国語)

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学級崩壊させないためにも、今の時代の教師として身につけるべき資質とはなにか 

 私は教師生活が20年を超えていますが、教師に必要な資質をあげろと言われたら、次のように答えます。
1 いつも笑顔でいること
 教師が子どもたちのそばに、いつも上機嫌でいること以上に教育効果を発揮する教育手法などないと、考えるに至りました。教師は子どもたちのモデルです。もし、子どもたちと和気あいあいと過ごし、なごやかな子どもたちを育てたいと思うならば、教師であるあなた自身が常に上機嫌で「いつも笑顔でいること」が必要なのです。
 いつも機嫌よく過ごすためには、よく寝なければならない。余裕をもって仕事を進めなければならない。子どもとのトラブルさえ楽しめるような心の余裕もっていなければなりません。それができないうちは、実は教師としての実力もまだまだなのです。
 楽しくないことがあっても、多少体の調子が悪かったとしても、子どもたちの前では上機嫌に振る舞えることが、教師にとって最も求められる振る舞いなのです。そういう原因が自覚できれば、けっこう対処の仕方というものはあるものです。それを意識して子どもたちの前に立っているうちに、特に意図的に振る舞わなくても、ほんとうに上機嫌でいられるようになるものです。
 いつも笑顔でいることができないということは、おそらく人生を楽しめてない場合が多いのではないか、私はそんな気がします。
2 孤独に耐える力をもつこと
 教師という職業は、子どもたちを「社会に有用な人間」「将来、自分で生きていくことができる人間」にするために「自立した大人」へと成長させるためにあるのです。子どもに好かれるためにあるわけではないのです。
 教師が良かれと思ってしたことが子どもや保護者に理解してもらえないことがあります。教師には子どもや保護者とぶつかったとしても筋を通さねばならないことがあります。それでも笑顔でいなければならないということです。自分が正しいと判断したこと信じて行う。人を導くには孤独をかみしめることも少なくありません。幾度となく孤独に耐えねばならないのです。それがリーダーであり指導者なのですから。
 子どもに嫌われるのに耐えられなくなったり、保護者のクレームを怖れて事なかれ主義に陥ったり、同僚とのあつれきを避けて納得できない提案を受け入れたりするのは、すべて「孤独に耐える力」欠如が原因なのです。教師たる者は孤独に耐えねばならぬという覚悟が必要です。
3 無駄もまた楽しむ
 教師は子ども相手の仕事です。当然、指導してすぐに成果があがるとは限りません。すぐに成果が上がらないのが普通です。一度指導しても、また同じことを子どもがしてしまうこともあります。
 
「あんな子に指導しても無駄だから指導しない」と言っている教師がいました。気持ちはわからないでもありませんが、それは仕事を放棄しているのと同じです。だって、教師の仕事は無駄の連続なのですから。無駄だからしないと言ってしまっては、教師の仕事はほとんどなくなってしまいます。
 一つの指導、一つの取り組みによってすぐに効果があらわれることは皆無です。それを続けることでしか、成果があがることはないのです。「それでもやる」、教師の仕事はその連続です。やり続ける覚悟が必要なのです。長いスパンで子どもを見つめていると成長しているものです。いろんなことが見えてくるものです。
4 子どもといっしょに馬鹿げたことを楽しめること
 人はいっしょに笑った分だけ、人間関係を築くことができます。いっしょに楽しく過ごすということだけが重要なのです。学生時代の友人とのやりとりを思い浮かべれば合点がいくはずです。一見意味のない、くだらないことにいっしょに取り組む。そしてばかばかしいなと大笑いする。
 行事やレクレーションなどでは、子どもたちとともに楽しむ姿勢が必要です。何度もいっしょに行うことが、少しずつ大きな意味をもち始めることもあるのです。
 いつも苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたり、口うるさくお説教ばかりしていたりしていて、子どもたちに「自分の言うことを聞け」と言っても無理があります。もちろん、必要なときには指導をしなければなりませんが、日常の学校生活においては、馬鹿げたこと、くだらないことを子どもたちといっしょに楽しめる感性をもちたいものです。
5 学級を統率していくコミュニケーション能力
 学級崩壊にならないためには学級を統率していく力が必要です。それには、つぎのような3つのコミュニケーション能力が必要です。
(1)
自己主張
 自分の意見をしっかり主張することができ、他人のネガティブな言動や態度に対してしっかりと戒めることができる力。
(2)
共感力
 他人に対して思いやりをもち、他人の立場や状況に応じて考えることのできる力。リーダー性にとって絶対に必要とされる能力。
(3)
同調力
 バラエティ番組に代表されるような「場の空気」に応じてボケたりツッコミを入れて盛り上げたりしながら、常に明るい雰囲気を形成する能力。現代的なリーダーシップには不可欠と考えられている。
 教師はいま、この3つの力の総合力としてのコミュニケーション能力をもたねばならない立場に置かれています。ベテラン教師、お母さん教師、優しいお兄さんお姉さん教師が学級を統率できずに学級を崩壊させる要因がここにあります。
6 自らを変える
 教師は成長することが重要です。成長とは自らを変えることです。常に自らを変化させようとアンテナを高くする。現状を一歩でも進める方法はないかと常に考えている。そういう教師だけが子どもたちを導く資格があると私はそう考えています。
 教師は何より変化を恐れます。変化しないことが楽で安全で安心だからです。しかし、同じ手法を8~10年程度使っていると、時代の変化や子どもたちの変容によって耐用年数が切れてくるものです。転勤して質の異なる子どもたちを受け持っているにもかかわらず、同じ手法で実践し続けるという傾向もあります。常にいま目の前にいる子どもたちの実態に合ったシステム、スキルを身につける必要があるのです。
 教師が変わるために最も必要なことは「自信」です。変えることによって、想定外のことが起こる。それに対応できるという自信がある人はシステムやスキルを変えることができるのです。自信をもっていない人ほど変えられません。
 教師は子どもたちに「変われ」と言い続けなければならない立場にいるのです。そんな私たち自らが現状維持に安住しているとしたら、子どもたちの前に立つ資格があるのでしょうか。
 成長しないことは子どもの前に立つ資格を問われるほど重大事なのです。成長とは現状を破壊し再構築すること、即ち「変化すること」なのです。
 教師が日々学び続け、日々変化し続け、日々成長し続けることによって、教師が自信をもって子どもたちに言おうではありませんか「成長せよ、私も成長する」と。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」を設立、道内の民間教育団体でつくる「教師力ブラッシュアップセミナー」顧問)

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「できる」教師になるには、どうすればよいのでしょうか

 その人の品性、知性は日常つかう言葉に表れます。丁寧な言葉つかいは社会人として当然のことですね。
 教師が子どものことを「こいつら」と言うのはやめてほしい。「傲慢さ」「決めつけて話す」「相手の話を聞き入れない」「礼節を欠く」などは、子どもと接する教師としては絶対持ち合わせてはいけない。
 そういった残念な人達と職場で接して、山のように学んできました。私は嘆くことなく「神様が自分を成長させるために刺客として送り込んでいるのだな」と思う習慣を持ちました。
 結局、問題は言葉や態度の奥にあるものです。その人の意識です。仕事、人、生き方に対する意識が言葉や態度として発信されているのです。言葉や態度はその人の名刺です。常に自戒し、気をつけていきたい。
 表情豊かな教師は子どもに支持されます。子どもたちは驚くほど教師の表情を見ています。私は笑顔でいようと努力しています。
 質問上手は授業上手です。質問は自分が一番聞きたいことをズバッと質問します。また、司会上手は授業上手なのです。司会は本当にその人の力量、意識が表れます。
 教師という仕事は子どもたちと接している職業です。だからこそ、新鮮さが求められます。新鮮な気持ちで勝負したいものです。慣れや、こうすればうまくいく、ということの蓄積はもちろん大事です。しかし、それが惰性や流れ作業のようになってはいけません。
 同じことをやるにしても、ちょっとアレンジを入れて変えていく。同じ単元でも違うアプローチにしてくる。常に貧欲に、子どもたちとの授業や接し方を追い求めたいですね。
 教師はどれだけ忙しくとも、美術館など知的な場所に行く習慣をつけたいものです。会場に入ると、頭のモードが教えるから教わるに変換されます。教師にとってとても重要です。子どもの側に立つことになるからです。
 学んでいる教師、吸収している教師から発せられる言葉には重みが生まれます。子どもたちには教科の学習だけを語るのではなく、教師自身の学びの軌跡や楽しかった経験を生き生きと語ることが大切だからです。子どもたちは、後々までこぼれ話を覚えています。
 教師という仕事は、多くを学び、多く遊ぶ必要があると私は思っています。教師の生活感や教師自身が楽しんでいる姿は子どもたちの心に響きます。
 教師が子どもの前で話す内容を高めるためには、投資することが必要です。
 例えば、本や教育雑誌を買って会話しながら読む。この本だと思ったら何度も読みましょう。自分を変えてくれる幸運な本かもしれません。
 セミナーや研修に自費で参加し、新しい知識や方法を吸収する。あこがれの先生のセミナーや講演会に出かけて行き、講師の考え方、生き方、オーラを肌で感じる。講師との出会いから生き方が変わることもある。
 博物館や美術館に行き、専門員に聞いて教材探しをする。
 そのうち、そういうことが楽しい体質に変わっていきます。最初は狂気じみているくらいに熱中するくらいでちょうどです。ノートにびっしりとメモを書く。ファイルしていく。その日の学びについてすぐにまとめる。自分の身体の中に溶け込ませることを習慣にしましょう。
 自分に投資した分だけ、子どもの前で話す内容が変わってきます。子どもとの瞬時の受け答えが変わってきます。学んだことは確実に自分の中に蓄積されているのです。夢を叶えている人には必ず、誰にも言っていない努力というものが存在します。
 ただし、学んでトコトン真似てみても、なかなか結果が出ないことがあります。その時はあなたの教室やあなた自身にあっていないのです。怖いのは全肯定して思考停止になることです。「学んでは試す」をたくさん繰り返した人だけが、あっているかどうかの見極めを自然と実感できるようになるものなのです。
 教師の力量を上げるというのはステキな習慣を増やすということだと思います。本を読む、セミナーを聞いている時に、どんどんアイデアが沸いてきます。私の習慣になっています。
 子どもは教師の姿を鏡となって映し出しています。子どもの笑顔は教師が笑顔でなければ生まれません。子どものやる気は教師にやる気がなければ生まれません。子どもたちを変えたいと願うなら、教師である自分がまず変わることです。
 あなたが得意とする分野で徹底的に勝負して「△といえば、○先生」という具合になるよう心がけたいです。私の場合は、書くことでした。そこを中心に授業をつくっていくのです。
 できる教師は、その人の生き方がにじみ出ています。一貫した「前向きな姿勢」でエネルギッシュに魅せます。一貫した「あきらめない心」は他人からの信頼を生みます。
 毎日をコツコツ勝負していきましょう。「○先生らしいね」と言われたら、教師として最高の勲章ではないでしょうか。信念を持って生きていれば周りが評価してくれるものなのです。  
(
森川正樹:兵庫県生まれ、兵庫県私立小学校教師。研究教科は国語科。教師塾「あまから」代表、教師の笑顔向上委員会代表、基幹学力研究会幹事、読書会「月の道」主宰)

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子どもに好かれる教師が行っている学級作りのステキな習慣とは何か

 教師は、毎日生活を更新し、新鮮な教師でいることが大切だと私は思っています。鮮度抜群な教師の周りには、いつも子どもたちが集まります。
 鮮度は若さではなく意識です。年齢は関係ありません。まず意識して、教師としてのステキな習慣を身につけましょう。何度も何度も意識することで無意識にできるようになります。
 教師になったとき「子どもたちに、これだけは伝えたい」という思いが必ずあったはずです。いつしか毎日が、昨日と変わらない今日になっている教師もいるでしょう。子どもたちを見て、教師になったときの思いを思い出してください。
 私は教師という仕事が好きでたまらない。この感覚は習慣がつくります。子どもと目を合わせたら笑っている自分。習慣とは無意識についやってしまっていることです。
 教師の力量を上げるというのはステキな習慣を増やすということだと思います。日常をただの日常にしないで、ステキな習慣が自分の中にたまってくれば、日頃見ている教室の景色が変わってきます。自然と子どもがよく見えるようになります。
 私は習慣化することを意識し、ステキな習慣を増やすことによって、何度もそれによって私は救われてきました。
 学級の子どもたちがまとまるステキな習慣には、どのようなものがあるのでしょうか。
1 教室密度の濃い時間帯をつくる
 一日のすべてが始まる「朝の密度」が恐ろしく高い。朝、教室に入るとき嫌な顔をしていたら、子どもに嫌な思いをさせることになるのです。朝の連絡に入る前に、私は短くても何か子どもたちにまつわるエピソードを話すようにしています。
 話すときの順序は「笑顔になる」→「面白いことがあったんだよ」と前置きする→「笑顔になれるクラスの子どものエピソードを語る」という順序です。笑いが起きる話題は子どもが提供してくれます。「お、○○くん、今日は朝から、ひときわハンサムな顔をしているね」でいいのです。
 朝は、特に全力で勝負しなければなりません。家で嫌なことがあった子も、もやもやしている心を引きずっている子も、それらをリセットするは、担任の明るい笑顔と声なのです。
2 ワクワクを伝染させる
 
「あの先生、楽しそうだなあ」「この授業何だか明るくていいなあ」これらは、教師が子どもたちにワクワクのオーラを伝染させているのです。 
 ワクワクのオーラは教師が
(1)
心底、教師という仕事を愛しているときに生まれます。
(2)
その授業内容に、のめり込んでいるときにでます。
(3)
遊び心があると発散されます。
(4)
楽しんでいるときに出ます。
(5)
笑顔から発散されます。
(6)
子どもが大好きなときに発散されます。
3 誰よりも明るい
 担任は教室の中で誰よりも明るい存在でなければなりません。気分が沈んでいた子が、登校して担任を見るなり、明るくなれるような存在です。何だか楽しく、笑顔になる。言うなれば、担任は子どものパワースポットであるべきだと私は思います。
4 たまには、テンションを高くする
 子どもたちはテンションが高い。たまには教師が「先生テンション上がってきたわ」と、いつもの二割増しくらい、ニコニコ顔で声を高く、身ぶりを入れてみる。気分がのらない時こそ効きます。
5 子どもたちに信用される
 子どもたちに信用されているか。それは教師にとって生命線です。「何気ない口約束」には要注意です。「よし、明日の休み時間には○○してあげるね」と一度言ったら、子どもたちは覚えていますから、必ず守るようにします。
 子どもたちから話しかけられたら絶対にスルーしないことです。教師以前に、人として信用を基盤にしたつき合いをして、常に信用を得ることに全力を尽くす姿勢でありたい。
6 説得よりも共感で話す
 人間は「納得はしたいけれど、説得されたくない生き物」です。子どもに話すときにも、「説得」色が出すぎると伝わりにくくなります。共感で話すのです。「そうそう!」と子どもが思うとき、学びは定着しやすくなるのです。何か気づきがあるときに人は納得します。
 寄り添う言葉がけで子どもは頑張ることができます。子どもが納得して考える、動く、そのような状態に持っていくことが大切です。
7 善人捜しをする
 素敵なことはささいなことでも、教師は子どもたちの誰がやったか探します。「雑巾ラックを整頓してくれていた」とき、教師は「誰ですか? ここに落ちていた雑巾を拾ってくれたのは? 名乗りもせずにそっと拾ってかけておくなんて、すごいなあ。先生はそういう人、大好きです」と話します。
 そういうやさしい空気、素敵な振る舞いを教室のすべての子どもたちにふれさせるのです。
8 挑戦する
 教室で行われる活動、学びの数々はすべて担任の言動にかかっているのです。だから、担任があきらめたら終わりなのです。挑戦しなかったら始まることすらありません。担任のさじ加減にすべてがかかっているのです。
 新しいことへの挑戦は、担任が握っているのです。新しいこと、ちょっと高度なこと、面白いこと、背伸びすることに子どもたちをぜひ挑戦させましょう。子どもたちを信頼して、いろいろなことを教室に持ち込みましょう。
 挑戦する子どもたちの姿は挑戦する教師のいる教室でしか生まれないのです。
(
森川正樹:兵庫県生まれ、兵庫県私立小学校教師。研究教科は国語科。教師塾「あまから」代表、教師の笑顔向上委員会代表、基幹学力研究会幹事、読書会「月の道」主宰)

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統率力のない教師は学級をまとめることができない、どうすれば統率力がつけられるか

 集団があるところ、必ず指導者の統率力がとわれる。統率力のない教師が、クラスを上手にまとめられるわけがない。人をひきつけ、人をひっぱっていく力があってこそ、集団はまとまる。
 統率力のある教師は、上手に自然に人を引きつけるし、統率力のない教師は、ぎくしゃくとひっぱっていって、時々、ボロがでる。
 動物の世界でも、群れのあるところは「ボス」ができる。ボスは、自分の体力で、他のサルを従える。人間の集団も放っておけば、弱肉強食の世界になる。その中で「力の強いもの」が、集団を支配するようになる。
 学級崩壊のうしろには、このような力の支配が存在する。弱肉強食の「力の支配」が作用している。だから「いじめ」も起こるし、「不登校」も起こる。
 これを防ぐには、教師が「力の支配」をすればいい。つまり、教師が「ガキ大将」になればいい。
 おとなしくて、まじめで、小学校のときから、ずっと優等生という人が教師になると、クラスはどうなるかというと、まずクラスは荒れる。学級崩壊になる。なぜ、駄目だというと、クラスをまとめられなかったからである。
 教師には「ガキ大将」になれない人も多い。今さら、これまでの生き方を変えられないわけだ。
 しかし、子どもの中にも「教師のガキ大将」に反発する子も出てくる。人間は知的な生き物だ。体力だけでは従わない人間も出てくる。「知的な権威」なら従うという立場だ。
 知的な権威は、いろいろあるが、まず第一は「授業が楽しく分かりやすい」ことだろう。子どもが学級ですごす大半の時間は授業である。「楽しく、分かりやすい」授業をする教師なら、子どもはついていく。逆に「つまらなくて、分かりにくい」授業をする教師には反発する。
 どうすれば「楽しく、分かりやすい」授業ができるでしょうか。それには
(1)
授業がシンプルなこと。
 指示が明確である。文字にして「10文字」ぐらいで指示が出せる教師ならよい。言っていることにブレがない。15秒以上の指示や説明はグドクドして分かりにくいのである。だから子どもは聞かなくなる。いつか反発するようになる。
(2)
リズム
 流れるように授業が進むことだ。全員がやり終わるまで待つ授業はグチャグチャだ。
(3)
テンポ
 授業にスピード感があるということである。小さなステップをポンポンやっていくと、スピードがあるのに、ゆったりとしているという感じになる。
(4)
授業の内容が知的である
 本が好きで、本を買って読んでいる教師でなくては、授業は知的にならない。本を読み、授業の研究をすることである。すばらしい教師は、自分からすすんで研究授業をやってみせる。
 以上のような授業をできれば、知的権威があり、子どもを統率することができる。
 すぐれた統率者はすぐれた教師であるといえる。孫子を参考にすると、つぎの五つが必要である。
(1)
知的な授業ができること。できなければ統率する力は弱い。(知恵)
(2)
正直でウソをつかない。約束を守り信用できる。()
(3)
思いやり深く、子どもを包み込むようなあたたかさがある。()
(4)
必要とあらば、ひるまないで、進んでいく勇気がある。()
(5)
時には、けじめをはっきりつけ、叱責する厳しさがある。()
 これは、歴史が始まった頃から明らかにされている統率の原則である。自分自身を反省してみるとよい。
さらに現代で明らかにされている統率の行為は
(1)
進むべき方向を持つ
 目的、進むべき方向、理想の姿をはっきりさせる。これがないと、集団はあっちこっちを向いて、グチャグチャになる。
 教師は、自分の心の中に、追い求める豊かな教育を描かなければならない。このために教師は多くの教師に出会って学ぶ必要がある。
(2)
集団を運営していく「ルール」と「しくみ」をつくり、上手に作用させなければならない。
 どのような授業のシステム、毎日の生活のシステム、ルールをつくるかは、極めて大事である。
(3)
非常時に、すぐ対応しなければならない。
 解決の方法を決断し、即座に実行することである。悪いのは、決断しないこと。遅い決断、間違った決断である。教師は決断できない人が多い。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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学級経営の急所とは何か、すぐれた教師と、ひどい教師とはどう違うのか

 すぐれた教師は子どもの力を伸ばす方法を知っている。欠点を直すのではなく、良いところを伸ばそうとする。
 人間とは不思議なもので「良いところ」を認められ、ほめられると、さらに努力する。心地よいものだから努力してしまう。良いところは、ほめられるとどんどん伸びていくのである。そして「良いところが伸びた結果」として、それまでの「欠点」も、少しずつなくなっていく。
 ところが、反対に「欠点を直すように言われる」と、気力が減じてしまう。欠点を言われるのは、いやなものである。努力をしてみたところで、せいぜい人並みになるだけである。欠点を言う教師を憎みさえする。せっかく「子どものため」と思って、教師が努力しているのに、逆の結果になってしまうことが多い。
 教師自身のことにしたって同じである。自分のクラスをすばらしいクラスにするのに一番いいのは、自分の得意な分野をまずやっていくことである。「良いもの」をとりあげると「良い結果」が出てくるようになる。また、他人がやってよかったことを試してみて、自分にとってよかったら、どんどんやっていくことである。
 私は将棋が好きだ。だから、クラスに将棋をとり入れてきたし、クラブも作ってきた。好きなことは苦にならない。また、私は小学生の時から百人一首をやってきた。したがって、百人一首もとり入れてきた。子どもに覚えさせ、競技もやってきた。
 「五色百人一首」は、一試合が三分でできる。すき間時間にできる。「テープ」に「読み方」を入れておけば、子どもだけで熱中する。しかも、百人一首を覚え、親・子どもからも感謝される。「みんながやってよかった」ものは、とりあげていくことが大切なのである。
 すぐれた教師と、ひどい教師の差とはなんだろうか。
 すぐれた教師は、教育の結果が悪い場合は、自分自身にほこ先を向ける。自分がいたらなかったからだと思い、自分の技量が未熟だったからだと思う。有田・野口両先生がそうである。そして、すぐれた結果に対しては、それを子どもの功にするか、だまって笑っている。
 ひどい教師はまるで逆である。子どものひどい姿に接すると、それを子どものせいにする。あるいは家庭のせいにする。ひどい教師に習えば、子どもは三日で反発し、ひねくれていく。それを前の担任のせいにする。
 荒れている中学校、そこに勤める多くの教師に共通するのは、その責任を家庭のせいにして、小学校の責任にする。駄目な中学の教師は、自分のひどい授業を棚にあげて「非行の芽は小学校にあった」などという。中学生から信望のある中学校の教師はいくらもいるが、そういう教師は決して責任を他に転嫁しない。
 学級経営の急所は「人間である教師が人間である子どもと、どのような絆をつくっていくか」ということなのである。
 人間と人間との絆をつくるのだから、相手を人間として認めるということが出発点となる。
 教師は「ぼくは先生なんか大嫌いだ」と憎らしく言う子どもをも、受け入れ包み込まなければならない。教師はいかなる状態のいかなる考え方の子も、丸ごとすべて暖かく包み込める心構えが必要である。内心嫌だと思っていることは相手にも伝わるのである。簡単ではないが、心の革命を必要とする。
 相手の人格を認めるなら、子どもを「君、さん」とつけ、よびすてにしないことである。人間の絆はこうしたところからつくられていく。
 絆をつくるのだから「会話」が必要になる。ニッコリ笑って「面白いマンガ教えて」ぐらいの会話ができればいい。むろん全員の子とするのである。ニッコリ笑って、子どもに話しかける。これだけで教室は明るくなっていく。
 子ども同士の関係も目配りが大切である。休み時間に誰と遊んでいたかを聞いていくと、一人ぼっちで残る子が出てくる。一人ぼっちの子は、教師が何とかしなければいけないのである。
 子ども同士の間にある「差別」を許さないことも大切だ。弱い子どもを陰険にいじめる子どもがいるものである。断じて許してはならない。教師が見のがしてはならないのである。見のがしていたら、学級づくりは失敗する。
 学級は、いっぱい人間が集まった集団である。人間と人間のつきあいの場、生きていく場なのである。だから、教師は「あたたかく」「公平」「誠実」「明るく」なければならない。あたたかく、公平で、誠実で、明るい人が中心になっている集団なら、うまくいくに決まっている。
 逆に、つめたかったり、不公平であったり、ごまかしたり、暗かったりする人が、集団の中心になっていたら「学校に行くのもいや」ということになるのである。学級の性格は、実は教師の個性の照り返しである。
 成功体験を子どもたちに与えることが大切である。
 子どもたちが授業で「成功体験」を実感することによって「勉強への意欲」をもつばかりではない「生きていく力」も獲得するのである。「どの子にも成功体験を与える」こと、「どの子もできるようにさせる」ことをぬきに、人権を語ることはできない。
 自分のクラスの一人ひとりの子どもに「成功体験を味わわせる授業」を「意図的・計画的」に組み立ててきただろうか? この責任は教師が負うべきなのだ。
 教師は子ども集団を統率できる統率力がなければならない。統率者は情熱と責任観を持ち、学ぶ者でなければ人のうえに立つことはできない。教師が謙虚に学ぶとき、子どもも、ついてくるのである。
 統率のためには、クラス全員が共有できる目標をつくらなければならない。まず教師がはっきりと心に描くことだ。それを、クラス全員のものにしなくてはならない。目標を映像としてとらえられるまで具体化する。
 目標を達成するための仕組みをつくらなければならない。楽しいクラスを目標とするクラスでは「集会係」「イベント係」などが大活躍することになるだろう。授業も、むろん楽しいものにする必要がある。
 そして、実際に子どもを動かすことが必要になる。教師はガキ大将のごとき能力が必要なのである。子どもを動かす原理はいくつかあるが、最も大切なことは「ほめる」ことである。ほめて、ほめて、ほめまくるのである。「努力」を認められ、ほめられるとき、人は動くのである。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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指導力不足教員の特徴と、指導力不足教員にならないためにはどうすればよいか

 指導力不足教員とは、わからない授業を一方的に繰り返す、保護者とトラブルが絶えないなど、専門的な知識・技術を欠き、子どもの心を理解する能力が低く、指導方法が不適切で、保護者との信頼関係を築くことができず、職場で協調性が足りず、担任も任せられないと判断されるような教師である。
 指導力不足教員は、校長から教育委員会を経て、認定諮問委員会で認定され、教育センターで指導改善研修を受ける。
指導力不足教員は、つぎのような共通する特徴がある。
(1)
自分が抱えている課題を自覚していない
 なぜ指導改善研修を受けるのかの自覚が乏しく、教師として抱えている自分の課題を明確にとらえていない。
(2)
自分に対する評価がわりに高い
 指導改善研修で模擬授業をしても高い自己評価をつけ、研修指導者の低い評価との間に大きなギャップが生じる。
 自分を客観的にながめることができる、多様な視点が身についていない。
(3)
対人関係能力が不足し円滑に運ばない
 堅い自分の殻に閉じこもっているようで、話しかけても理解できず、コミュニケーションが成り立たない。話を聴き取り理解する力が弱い。
 これら三つ特徴は同じものだと理解することができる。つまり、主観的で自己中心的な基準を絶対的なものとして、他者の異質で多様なまなざしを取り入れることによって、自己を客観的に見つめることに失敗した状態にあるのではないかということである。
 おそらく、日ごろから、さまざまな人と交流することを通じて、自分とは異なる見方や価値観、評価を知って、多様な基準を取り入れる経験が乏しく、社会的自我が未熟であるのだろう。
 自己の殻に囚われやすい教師はソーシャル‐スキル(社会技能)、つまり、他の人との協調を保って生きる生活能力をつける視点や訓練が求められているのではないか。
(
今津孝次郎:1946年生まれ、名古屋大学教授・附属中高校長を経て名古屋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校臨床社会学、発達社会学)

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